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ノート:応援団

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記事編集における注意点・考慮点についての提言

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どうも、贔屓の団体の自慢合戦になる嫌いがある記事内容ですが、Category‐ノート:日本の学生スポーツを参照ください。--以上の署名の無いコメントは、陸奥守会話投稿記録)さんによるものです。2007年4月7日 (土) 02:16 (UTC)[返信]

日本中心にも程がある

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定義が「競技の応援を目的とする集団である。」とありますが、それならチアリーダーなどを含め世界中に存在するはずですね。なんで日本の特定のスタイルの「応援団」のことばかり書いてあるのでしょうか。--Kojidoi会話2015年7月16日 (木) 16:04 (UTC)[返信]

内容的に日本の「応援団」の記事としてまとまってなっており、他言語版も”Ōendan”です。”国際化”タグは明らかに不適切ですね。冒頭文がおかしいならそこを変えるべきであり、記事の整合性を考えずに無責任にタグを貼り散らかしても、記事の破壊になるだけです。--uaa会話2015年7月16日 (木) 18:41 (UTC)[返信]
冒頭文を記事内容や他言語版に合わせましたが、まだご不満でしょうか?--uaa会話2015年7月16日 (木) 18:55 (UTC)[返信]
それと、欧米の「競技の応援を目的とする集団」であるチアリーダーは、別個に記事がありますね。わざわざその内容を混ぜ込む必要は無いですね。逆に記事のフォーカスがボケます。--uaa会話2015年7月16日 (木) 19:09 (UTC)[返信]
ここでの指摘に何の反論も無く編集を強行したので差し戻しました。「本記事では、主として後者(日本)の意味での応援団について解説する」ならば、「日本における応援団」という節分けはおかしいですね。そもそも、他国の「競技の応援を目的とする集団」を一般的に「応援団」と呼びますか?「チアリーダー」とか「サポーター」だと思うのですがね。どうしても御自身の編集に拘りたいのなら、「広義の応援団」が「(世界中の)スポーツ競技で、母校の応援を統率して活躍する人たちや、それを含む集団全体を指す」ということに付いての出典を求めます。少なくとも、他言語版が”Ōendan”となっている記事に{{国際化|date=2015年7月|領域=日本}}タグが必要な理由を説明する必要がありますね。--uaa会話2015年7月18日 (土) 11:45 (UTC)[返信]
そもそも、ウィキペディアは百科事典であって、辞書ではありません。「応援団(おうえんだん)は、競技の応援を目的とする集団である。」のような国語辞典的定義が必要なのでしょうか?仮に冒頭でそう述べるとしても、記事の内容をその最も広い意味で扱う必要は無いでしょう。世界的な応援集団としては、チアリーダーという記事があるので、ここで扱う必要ないでしょう。--uaa会話2015年7月18日 (土) 11:55 (UTC)[返信]
uaa氏の「そもそも、他国の「競技の応援を目的とする集団」を一般的に「応援団」と呼びますか?」と言う発言は成均館大学校のKingko応援団、漢陽大学校応援団rhooters、東国大学校応援団白象、KAIST応援団ELKAですでに崩れておりますが。あと、北朝鮮美女応援団もありました。--hyolee2/H.L.LEE 2015年7月18日 (土) 12:12 (UTC)[返信]
一般的に」ですよ。日本語の文章で「応援団」と表現されるものが通常何を指しているか?ということです。韓国の一部「競技の応援を目的とする集団」がそう呼ばれているからといって、私の論拠が「崩れて」いるとは思いませんね。「北朝鮮美女応援団」は広義の意味で使われてるだけですし、そういうものまで扱うのは「情報の無差別な収集」でしかありません。
この記事を「応援団 (日本)」へ改名するのなら検討の余地はありますね。但し、新しい「応援団」の記事がチアリーダーと重複せず、「情報の無差別な収集」や「独自研究」とならない証明がされた場合ですが。ちなみに、「漢字文化圏の韓国や北朝鮮でも「応援団」と表記するから」といって、同じ記事で扱ってよいかというのは別問題です。--uaa会話2015年7月18日 (土) 12:30 (UTC)[返信]
韓国語版の相当記事の題名は”응원단(応援団)”と” 응원단 (일본)(応援団(日本))”で往復してますね。--uaa会話2015年7月18日 (土) 12:47 (UTC)[返信]
まさか「応援団」を「日本の学校や企業における伝統的な」それに限定する定義をここまで堂々とゴリ押し、出典まで要求する人が現れるとは思いませんでした。世間で認められている応援団の定義は次のようなものです。
その選手・チームなどを応援する人々の集まり。 —  三省堂大辞林
「応援団」をUaauaa氏の推すような限定的に定義している資料は私が見る限り見つかりませんでした。一々指摘するのもバカバカしいことですが、応援団という言葉は日本以外のスポーツチームの応援をする集団に対して普通に使われている言葉です。なおチアリーダーとは100年前にアメリカ合衆国で始まった応援団の一形態であり(日本チアリーディング協会ホームページ参照)、すなわち、「応援団」のに「チアリーダー」やら「日本の伝統的な応援団」やらが来るのです。従って、記事「チアリーダー」の存在は本記事での応援団の定義を「日本独自の応援団」に限定すべき理由には全くなりません。本記事を「応援団(日本)」のように改名するとでも言うならともかく、単に「応援団」として立項するなら、まずは特定の国の事情に依らない包括的な定義を示し、それから日本独自のスタイルについて記述するのが推奨されるスタイルであることは、「世界的にみられる事象をそのことに触れず局地の事象のみを描写している場合、また局地の観点からのみ説明されている場合は、観点の偏りや誤解を生みやすい表現であるため修正や加筆を行うことが望ましい」とするWikipedia:日本中心にならないようにの記述を引用するまでもなく、明白です。2015年7月18日 (土) 04:46版はその観点に基づいて修正を試みたものであり、少なくともUaauaa氏が拘る偏りまくった現行版よりは確実にベターであると確信します。
また日本語版が英語版やその他に準拠しなければならないというルールはどこにもありませんので、英語版がoendanとなっていることは本件の議論に何の関係もありません。向こうさんが偏っているなら尚の事で、偏った方向にこっちから寄っていく必要はどこにもありません。
Uaauaa氏には、日本において応援団という単語の定義が「日本の学校や企業における伝統的な」それに限定されるということを示す典拠の提示を要求します。慣例に従い一週間待ちましょう。それまでに提示がなければ再差し戻しを断行します。--Kojidoi会話2015年7月25日 (土) 17:14 (UTC)[返信]
自己の主張をゴリ押しするために、言語間リンクを破壊するとは呆れましたね。「チアリーダーとは100年前にアメリカ合衆国で始まった応援団の一形態」ならば、「応援団」を「en:Cheerleading」にリンクさせるのは明らかに矛盾してるでしょう。もし、あのようなリンク構成が出鱈目ではないというのなら、合理的な説明を求めます。たとえ、英語版「Cheerleading」の言葉の定義が大辞林の「応援団」に近いとしても、現在の記事内容とは乖離してますし、英・独語版「Ōendan」や日本語版の「チアリーダー」が孤立しますね。これらの問題をどうするおつもりなんですか?
>日本語版が英語版やその他に準拠しなければならないというルールはどこにもありませんので
日本語版の構成が他言語版とずれていることこそ、”世界的観点”上問題があると考えるべきではないでしょうか?「本件の議論に何の関係もありません」などというあなたの都合に合わせるつもりは微塵もありませんね。そもそも、「ルールが無い」というのなら、記事の定義や内容を大辞林や広辞苑に準拠しなければならないというルールもどこにもありませんよね。「○○とはAである。本項ではaについて説明する。」(aはAの下位概念)のような記事は珍しくないでしょう。
>~定義が「日本の学校や企業における伝統的な」それに限定されるということを示す典拠の提示を要求します。~提示がなければ再差し戻しを断行します。
私は、広義の意味を認めた上で、記事の現状や他言語版との整合性を考えて、現在の記事に有象無象の応援集団を混ぜ込むことに反対してるんですよ。論点がずれており、議論を矮小化させるものです。勝手なマイルールを作って自己の主張をゴリ押ししないでください。あなたは先ず、「特定の国の事情に依らない包括的な」記事がまともに書けることを示すべきでしょう。私はそう要求してるんですがね。「情報の無差別な収集」や「独自研究」についての私の懸念も無視してますね。そのような問題の根幹は無視して、言葉尻を捉えるような典拠要求をしても無意味です。”国際化”テンプレを貼り付けて、その場しのぎに節構成を弄っただけの編集で”国際化”したつもりですか?無責任極まりないですね。--uaa会話2015年7月25日 (土) 20:36 (UTC)[返信]
記事を他国版の類似記事から孤立化させないことが貴方の言う国際化なんですか。初めて聞く定義ですし、日本語版の構成を他言語版からずらしてはならないなどというルールも聞いたことがありません。「世界的にみられる事象をそのことに触れず局地の事象のみを描写している」のは明らかなのだから”国際化”テンプレにおかしいところは微塵もありません。en:Cheerleadingへのリンク云々については何を言っているのかわかりません。リンクをいじった覚えはありません。しかし前述のとおり言語間リンクの話は全く議論の本質ではありません。--Kojidoi会話2015年7月26日 (日) 01:51 (UTC)[返信]

定義については、表現を変えました。--uaa会話2015年7月25日 (土) 20:43 (UTC)[返信]

なるほど、定義については私の版で示したほうがより妥当であったことは認めていただけたわけですね。一歩前進です。--Kojidoi会話2015年7月26日 (日) 01:51 (UTC)[返信]
リンクを弄ったのは他のユーザーでしたね。大変失礼致しました。前回の発言は、Wikidataの編集をあなたがしたという前提でしてしまったので、言い方を変えます。
私が言いたいのは、日本語で「応援団」と言い表される、「その選手・チームなどを応援する人々の集まり」という概念が欧米にも存在するのか?存在するとしたら、なんと言う言葉なのか?ということです。確かに、日本語の「応援団」の定義に当て嵌まる事象は全世界で見られるでしょう。しかし、それを日本(或は漢字文化圏)のローカルルールで括ることこそ”日本中心の観点”ではないでしょうか?つまり、他言語版にリンクできないような言葉を万国共通の概念であるかのようにすることこそ、”日本中心の観点”に基づいた”独自研究”な”情報の無差別な収集”であるということなのです。このような理由で、記事の国際化を求めるのなら、言語間リンクは重要な問題なのです。私は、他国版から孤立するような記事に国際化はありえないと考えています。--uaa会話2015年7月26日 (日) 11:59 (UTC)[返信]