ノート:新自由主義/過去ログ1

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評価、批判

評価と批判を比較してみると、批判の記事のほうが多すぎると思います。思想的に偏った、「古典的保守主義」の方が書いたものだと思われます。これは、「中立的な観点」から問題があると考えます。--以上の署名のないコメントは、218.226.218.230会話/Whois)さんが 2006年7月8日 (土) 09:29 (UTC) に投稿したものです。

署名してください。テキストボックスの右から二つ目のボタンです。 批判がバランスを失していると感じるなら評価を書き足すべきです。かかれている批判は、ここだけのものではなく大部分が流布しているものであり、記述の価値はあります。また、保守主義的観点だけでなく、リベラル・社会民主主義的観点のものもあります。いずれにせよ、すべて消す理由にはなりません。--Clinamen 2006年7月10日 (月) 03:52 (UTC)

もっと評価・メリットの部分も加筆するべきです。私が妥協して批判も残した上で評価を加筆したのに、それを消すのはおかしいはずです。荒らしなのはどちらでしょうか?218.226.218.230 2006年7月29日 (土) 17:35 (UTC)

批判がいまやほとんど支持されていないという記述は事実を反映しているとは思いませんが、218.226.218.230 さんが批判を残して加筆された編集をリバートした行為には私も同意できません。--Clinamen 2006年8月1日 (火) 13:33 (UTC)

評価、批判ともに出典がないために削除しました。検証可能性を満たした上での記述を。ヒスタミン 2007年1月11日 (木) 01:13 (UTC)

たいへん公正で妥当な記事だと思いました。特にイギリスにおける新自由主義への評価について正しく記述しているのが良いと思います。南米の諸政権について、日本のマスコミ用語でしょうか、チャべスらを「左派」と記述するのは正しくないと思います。経済政策は国民経済の破壊とグローバル化を推し進めようとする前衛的なものですので新自由主義を「左派」、これに対して国民経済を維持しようとする側は「保守派」「右派」と言い表すほうが実体にあっていると思います。ただしこのような理解が一般的になっていないことも分かっておりますのでみなさんで検討していただければと思います。「新自由主義」と言う名称が「自由主義にあらざるもの」として名付けられたことから、少なくとも現実の新自由主義を説明するにあたっては既存の保守派・右派との連続性を感じさせないような記述の仕方を心がけるべきだと思います。--210.164.1.71 2007年2月28日 (水) 04:18 (UTC)

超自由主義、new liberalism

超自由主義などという言葉はほとんど使われていない。new liberalismも日本では全く浸透していないので必要なし。60.237.10.43 2006年10月26日 (木) 13:57 (UTC)

超自由主義はともかく、「ニューリベラル」、「ニューリベラリズム」は日本でも使われると思います。また、日本で使われるか否かは記述の要否とは別の観点かと思います。--mshin会話2013年2月27日 (水) 09:57 (UTC)

コメント 60.237.10.43さんへ。mshinさんと同意見です。ウィキペディアは「日本人だけに提供される百科事典」ではなく、また「日本現代用語事典」でもないので、歴史的用語や特定の学術用語でも、特筆性があれば併記されます。--Rabit gti会話2013年2月27日 (水) 13:24 (UTC)

アダム・スミス

「アダム・スミスが主張」を消すために反証を。アダム・スミス=自由放任主義=アダム・スミス=新自由主義ではないですね。 大辞林を。 アンガージュマン 2007年1月20日 (土) 16:16 (UTC)

新自由主義への批判ではなくもっぱらグローバル資本主義への批判となっている記述について

アルテルモンディアリスムとか中南米の左派政権とかの話題は「新自由主義」に書かずに他の項目に書かれたほうがよろしいのでは?削除はせずにコメントアウトしときます。--219.9.83.74 2007年3月15日 (木) 20:00 (UTC)

新自由主義経済とグローバル資本主義は、本質的な部分で不可分というか境界線が非常に曖昧ですよ。その歴史的経緯を考えると削除もコメントアウトも不適切。以下にその理由の概要を書きます。Artane. 2008年4月27日 (日) 01:41 (UTC)
アメリカの経済政策で新自由主義が採用されるまでには政治的に非常に複雑な経緯を辿っていまして、新自由主義の思想的源流はシカゴ学派_(経済学)にあって、1950年代以降にシカゴ学派のミルトン・フリードマンと言う学者の派閥が米国政権に食い込みまして、ニクソン政権下でアメリカ国内での実験を行おうとしたところ、次期大統領選や国政選挙に不利になることを恐れたニクソン政権が実験を拒絶し、そのかわりにアメリカが支援していたピノチェトによるチリの軍事クーデター政権の経済政策をフリードマン一派に任せて実験場にして、その後、当時中南米各地で起きていた反米勢力による親米政権打倒の動きの封じ込めとセットにする形でアルゼンチンなどの中南米諸国で「実験」した上でレーガン政権時代に新自由主義経済と言う形態でアメリカ国内の経済政策に本格的に採用された。と言う歴史的な流れがあります。
ナオミ・クライン著の ショック・ドクトリンにて詳細に触れられているようです。と言うのも実はこの本、まだ和訳されていなくて、私の方では原書が入手できていなくて、DEMOCRACY NOW !による著者インタビューの和訳テロップ版の動画で詳細かつ丁寧なAbstractを著者自ら示されていたのを参考にして、自分なりに調べてみている。と言うお恥ずかしい現状でして…Artane. 2008年4月27日 (日) 01:41 (UTC)

保守党キャメロン党首の記述

>”保守党 (イギリス)党首デービッド・キャメロン党首が、サッチャリズムを自己批判し、第三の道への政策転換を表明した。”

このソースが見当たらないのですが、、、サッチャー主義的なものから距離を置くような発言のソースCameron: Tories need new identityはあったので差し替えます。”第三の道への政策転換を表明”の出典がわかる方おられませんか?--219.9.83.74 2007年3月15日 (木) 20:03 (UTC)

党大会でサッチャリズムを「過去のもの」として決別を宣言したのはイギリスの新聞等で大々的に報じられました。 しかし、「第三の道」への転換を表明したと言うのは私も知りません。 同じ職場のイギリス人は「確かにそう言っていた。誰も信じない」と鼻で笑っていましたので、いろんなところでいろんな方が適当に喋っていたのでしょう。 それが保守党の正式な意志ではないでしょうし、そうだとしても英国人には信じられていないようです。 保守党が「第三の道への政策転換を表明」したと言う部分については勇み足の記述かもしれません。 このまま出典が明らかにならなければ削除しても良いのではないでしょうか?--210.164.1.72 2007年3月19日 (月) 04:32 (UTC)

「IMFが誤りを認めている」旨の記述について

IMFのサイトからそのリファレンスを引こうと思ったのですが、neoliberalismではそれらしい記述が引っかかりませんでした。googleの日本語検索結果でもここの記述が原義になっているようなので、オリジナルソースがなければコメントアウトないし削除せざるを得ない状況です。ご存知の方はぜひともリファレンスを追加してください。--くまたろう 2008年5月15日 (木) 01:19 (UTC)

え、そうなんですか? yahooのニュースでも報じられたことですし、スティグリッツが盛んに紹介していたので、常識だと思っていました。あまりにも常識的だとまとまったテキストが消え去っていることがあります。それではわたしもソースを探すことにしましょう。--219.102.217.60 2008年6月28日 (土) 07:57 (UTC)

観点タグについて

ノートを見ても現在の観点タグの存在理由がよくわからないのですが。1週間ほどまって、具体的な観点タグ貼付の理由を教えていただけない場合は削除いたしますが、よろしいでしょうか?--Peachkiller 2009年3月22日 (日) 12:32 (UTC)

除去しました。--Peachkiller 2009年3月31日 (火) 11:48 (UTC)

人物

neoliberalismといういち思想についての定義のこじつけが見られます。以前にこの項目を作成したのですが取り消しさせて戴きます。--122.27.3.141 2009年11月26日 (木) 19:57 (UTC)


個人攻撃、誹謗中傷と思われる箇所について

報告勝手ですがとりあえずコメントにいたしました。--Zakinco 2011年2月26日 (土) 09:23 (UTC)

ハイエクをフリードマンと並べて記載することが中立的かどうか

参考文献などを含め、中立性に非常に疑問のある内容です。また、経済学のカテゴリーである新古典派と、思想や政治学の分野である新自由主義との混同がある(そもそも、経済学に関する知識の乏しいものによる編集のためか、新古典派の理解も誤っている)ように思えます。特に、オーストリア学派であるハイエクを新自由主義者としてフリードマンと並べているのは(日本ではよく見られ、また恐ろしいことに出典の文献でもそうなっているようですが(形式的には信頼できる出典の基準を満たすので致し方ないですが))誤解を招く内容です。--Doorroom 2011年5月13日 (金) 20:51 (UTC)

著者の経歴的にも本の内容的にも中立性に疑問のある『友寄英隆著 「新自由主義」とは何か』を、トップの用語説明や概要の部分で用いるのはどうかと思われます。また、新自由主義(というかフリードマン等マネタリスト)がケインズ主義を批判しているのは事実ですが、それは「政府の介入の正しいあり方」に対する認識の違い(裁量ではなくルールに基づいて経済をコントロールする方がうまくいく)によるものであって、自由主義の観点において対立しているものではありません。にも関わらず、さもそのように書いている書物は、中立性以前に信憑性に疑問があります。もう少し幅広い出典・参考文献が必要となるのではないでしょうか。--Doorroom 2011年5月15日 (日) 21:44 (UTC)

ハイエク・フリードマン・ルーカス辺りの違い、ならびにそれら経済学と、思想史・政治学の別をきちんと纏め、説明している文献があればよいのですが。そのような文献を知っている方がおられましたら加筆お願い致します。--Doorroom 2011年5月15日 (日) 21:49 (UTC)

平凡社の「世界大百科事典」(1988年版以降のどれかの版だと思います)には、「新自由主義を標榜するのは、F.A.ハイエク、M.フリードマンらケインズ批判派の経済学者である」とはっきり書かれており、このような記述を冒頭に入れることに問題はなく、ケインズ主義を批判しているとの文言を冒頭に入れても良いと私は考えています。
利用者:Doorroom会話 / 投稿記録 / 記録さんは、友寄英隆氏の経歴と著書の『「新自由主義」とは何か』の内容について、中立性以前に信憑性に疑問がありますと強く批判されていますが、氏の経歴と著書についてお詳しいようなので、信憑性への疑問について具体的に説明してください。あと、氏の経歴と著書は中立性に疑問があるとのことですが、中立性に関してもWikipediaの出典として使うべきでない重大な問題点があるとDoorroomさんはお考えだと思いますので、これについても説明してください。友寄英隆氏への個人攻撃にならないように(削除されてしまいますので)、説明していただければと思います。よろしくお願いします。--Zakinco 2011年5月16日 (月) 03:33 (UTC)
編集長を務めていた「経済」の内容や、投稿を行っていたのが「赤旗」などに限られるという点を鑑みた上で、それでも中立性に問題がないと考えるならばもはや見解の違いなので何も言うことはありません。また、ハイエクはフリードマンに否定的であり(ハイエクから見れば、ケインズもフリードマンも、やり方が裁量的かルール的かの違いに過ぎず、ミクロ的な基礎付けも説明せずに「マクロ経済」なる不確かなものへの介入を行う許しがたいもの。ハイエクの"Unemployment and Monetary Policy"参照。)、またハイエクはケインズと論争を行うなど同時代にも活躍した人物で、その点でも主にケインズ政策が主流になった後でケインズ”政策”を批判したフリードマンとは異なります。ハイエクが出てきた頃にはまだケインズ政策は主流ではなく、当然ながらそれを批判しても「新」自由主義とはなりません。ハイエクは新自由主義の父ではありますが、彼自身の思想は当時まで続いていたclassical liberalismです。このような点を考慮せず、ハイエクとフリードマンを並べて括ってしまう本を信憑性に乏しいと評価するのは妥当だと考えます。少なくとも、自由主義・反計画経済の立場からの参考文献を併記せずに、それのみを用いて中立性や信頼性に足る記事を作れるだけの著作とは全く思われません。--Doorroom 2011年5月16日 (月) 10:27 (UTC)
友寄英隆氏の経歴が雑誌「経済」の編集長で、記事の投稿を行っていたのが「赤旗」だけであることが事実であったとして、それらの特定の立場から書かれている著書を出典に使うことが、Wikipedia:中立的な観点の何に違反していると考えているのですか?偏った見方から書かれた文章の削除はWikipedia:中立的な観点#偏った意見を削除して良いかで止めるように書かれています。そうではなく『「新自由主義」とは何か』を出版している新日本出版社の信頼性がWikipediaの記事の出典としてまったく使えないほど低いと主張されているのですか?私には一つの出版社であるという以上の判断はできません。
今回の利用者:Doorroom会話 / 投稿記録 / 記録さんの発言を見ますと、共産党と関連している著者、文献は信憑性に疑問があるとして、日本でよくある言説にも関わらず、これを排除しようとしているように見えます。
日本でハイエクとフリードマンが新自由主義と言われるのは、彼らが市場への政府の介入を全体主義的と批判していて市場理論に基づく古典的なリベラリズムへの復古を唱えているとされているからのようです(ネオリベ現代生活批判序説 pp.24-25)。そう書かれている本は日本では多いのでしょう。もちろん他の見方もあるでしょうし、日本の多くの文献で言われていることは間違っているという批判もあるなら、私はそれについて記事に加筆していただくことを望んでいます。ハイエクを新自由主義者としてフリードマンと並べている記述は日本ではよく見られるがこれは間違っているとされているという記述を出典を付けて加筆していただければと思います。それがWikipedia:中立的な観点だと思っています。ですので、ハイエクとフリードマンを並べて括ってしまう本を信憑性に乏しいとして、そのような書籍は出典とは認めず記述を削除してしまうことは止めてください。少し前に日本で出たハイエク全集の隷属への道〈新装版〉の序文はフリードマンが書いているようですし、まったく違う主義思想の人の文を序文に加えたりはしないでしょうから、日本では並べて括られてもやむを得ないのではないかと思います。
ハイエクとフリードマンが新自由主義という元の記述は、日本の多くの文献に書かれていることを反映してWikipediaにも記述されていたのだろうと思います。私が該当部分の記述をしたわけではなくて、出典が必要とされているから見つけた書籍を出典として入れたのです。その出典がDoorroomさんの基準によって信頼性が低いとされ、反論の出典も示されずに元の記述を削除されるのはどうかと思います。Doorroomさんの基準では信頼性が低い出典で、Doorroomさんが間違っていると信じるからという理由で、Doorroomさんにとって偏った見方から書かれたと思われる文章の削除をするのは辞めてください。
Doorroomさんには批判を加筆することでWikipedia:中立的な観点に沿った編集をしていただければと思います。よろしくお願いします。--Zakinco 2011年5月17日 (火) 02:31 (UTC)
>共産党と関連している著者、文献は信憑性に疑問がある
の部分ですが、この点は中立性に疑義があるとしていますが、信憑性に欠ける理由とはしていませんが。信憑性に欠ける理由は別に書いたはずです。また、
>彼らが市場への政府の介入を全体主義的と批判していて市場理論に基づく古典的なリベラリズムへの復古を唱えている
というのも完全な誤りです。フリードマンが政府の介入を批判したのは全体主義などとは関係なく、単純に裁量的な介入は失敗の可能性があり、その失敗は大恐慌のような大きな景気変動を生んでしまう、だから裁量介入はやめてルールに基づいた運営をすべき、というものです。代表的著作”A Monetary History of the United States, 1867-1960”ではそのような裁量的介入の失敗について分析されています。
先述したハイエクのマネタリズム批判である"Unemployment and Monetary Policy"、あるいはこのフリードマンのルールに基づいて運営(つまりは介入)すべきとしている”A Monetary History of the United States, 1867-1960”などは、この記事で挙げられている文献が間違いに基づいたものであるということの出典にはなりませんか。--Doorroom 2011年5月17日 (火) 09:23 (UTC)
正直、ハイエクやフリードマンが言いもしていない主張に対する反論というのは、悪魔の証明というか、まともな学者は相手にしないため(わざわざ間違った解釈が多い、だけを書くほど研究者は暇ではない)、無いものと思われます(上記のような原典を読め、で終わる話ですから)。原典を見れば間違っているとわかる出版物を出典として挙げ、さらに”そのような間違った言説が日本では多い”というのを出せ、というのはWikipedia:中立的な観点で求められているものとは違うでしょう。最初の出典に、より信頼性の高く中立性の確保された資料を出すということを目指すべきです。それが無いのならばそのような記述はしないべきです(情報を無差別に載せる場ではないというのがウィキペディアの方針ですから)。せめて書くならば、ハイエクは新自由主義の父である、のような形にすべきです(もちろん、そうなるとスミスその他古典的自由主義者たちも皆、新自由主義の父ということになりますが)。--Doorroom 2011年5月17日 (火) 09:25 (UTC)
ちなみに、>新日本出版社の信頼性がWikipediaの記事の出典としてまったく使えないほど低いと主張
こういう主張はしていないことは上述した通りですが、Wikipediaが理想とするような「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できる」を満たすような学術的な出版社で無いとは考えます。また、別の分野の話ならば出典として問題がないことももちろん有り得ますが、すくなくとも自由主義といったテーマにおいては共産党系雑誌・書籍を主に扱う新日本出版社の書籍では中立性は満たさないでしょう。--Doorroom 2011年5月17日 (火) 09:54 (UTC)
コメント(勝手ながら記載順序を変更しました。Wikipedia:ノートページのガイドライン#投稿の技術的慣習では「新しい話題はページの一番下に追加する」とあります。)横から失礼します。自由主義新自由主義などは、その分類・範囲が観点や学者により極端に異なるのは一般的です。そもそも「新自由主義」と呼ばれる学者の多くは、自分の思想は(本来の)「自由主義」と思っています。「Wikipedia:中立的な観点」では「ウィキペディアの中立性についての方針は、論争での全ての観点を公正に考慮することで、記事には特定の立場が正しいと明記したり、暗示したりするべきではない」とあります。具体的には、「どの分類や呼称が正しいか」を特定の出典で勝手に断定するのではなく、導入部や概要では比較的一般的な内容を記載し、詳細で「経済学者の○○は、○○と○○は別と分類した」のように、特筆性に応じて主語と出典を付けて併記するのが妥当と思います。この方法で、共産党の立場による主張も、保守主義の立場による主張も、環境保護団体による主張なども併記できます。なお、同様に論者によって範囲が極端に違う「ファシズム」でも、同様に併記しています(ファシズム#批評・批判)--Rabit gti 2011年5月17日 (火) 13:51 (UTC)
そのような併記が当該記事として求められているか(「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」という方針に反しないか)という点には疑問がありますが、それは別として、Rabit gti氏の仰るような形で、マルクス主義者のXXの立場によると…、などのように限定的な立場からの解釈に過ぎないものであることが明記されるのであれば(さらに極力、他の立場のものも併記して中立性を確保することを目指すのであれば)、構わないかと思われます。その内容が正しかろうが間違ってようが、「ある人がそういうようなことを言っていた」ということは検証可能な事実ですから。--Doorroom 2011年5月17日 (火) 14:37 (UTC)
コメントご指摘の「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」に反しないためには、上述のように特筆性が必要、との認識です。例えば、世界的に見て著名な学者や政党などが、著書・綱領・宣言などで公式に明記した見解ならば、出典を付け併記できると思います。その量は他の併記とのバランスにもよりますが。--Rabit gti 2011年5月17日 (火) 14:42 (UTC)
誰々の説が正しい間違っているという議論はWikipediaですることではないです。Doorroomさんによる中立性を満たさないことはWikipediaでは関係ありませんし、Doorroomさんにとって原典が真理だったとしても、Wikipediaはそれを広める場ではないです。Doorroomさんにとって間違った言説だとしても、日本で広く一般に流布されているという事実は特筆性があるように思います。共産主義という主義思想に関して研究をしている人たちの(多分に攻撃的な書き方になっているかもしれませんが)、別の主義思想である新自由主義に対しての言説を、信憑性に欠けていると排除するというのは考えられません。日本の大学で社会哲学を研究されている方の言説も同様でしょう。
Rabit gtiさん、記載順序の変更とコメントありがとうございます。出典と特筆性について努力してみたいと思います。--Zakinco 2011年5月18日 (水) 02:59 (UTC)
ならば、「日本で広く一般に流布されているという事実」ということを検証可能なように示しながら編集を行って下さい。もちろん、Zakincoさんによる判断ではなく、誰が見てもそれならば確かに日本で広く一般に流布されているな、と判別・判断できるようにです。かつ、Wikipedia:日本中心にならないようにとも齟齬しないようご留意下さい。また、Wikipedia:中立的な観点には、「偏りのない記述は、最も普及している観点だけを提示するものではありません。また、最も普及している見方を正しい見方として提示するものでもありません。様々な異なる観点の中間に位置する観点からの意見を(中間=中立であるかのように)正しいものとして提示するものでもありません。全ての観点を提示するということは、p 主義者は p が正しいと考えており、一方で q 主義者は q が正しいと考え、現在その点をめぐる論争がある、というような記述をすることです。」と書いてあるように、現在参考文献として挙がっているものだけに基づいて書くことは、中立性の点が問題があるというのは、私の勝手な思い込みなどでは決して無いと考えます。(ここはノートなので少し自由に書かせてもらうならば)まして自由主義に関わる話に、マルクス主義の色濃い資料だけに基づくことは、どれだけ捏ねくり回したところで、天地がひっくり返っても中立性とは相容れようのないことだと思います。--Doorroom 2011年5月18日 (水) 06:41 (UTC)
コメント余談ですが、(現実の体制の話ではなく)思想の観点では、マルクス主義では資本主義が発展して国家が消滅した、無政府主義的でグローバルな「自由」な社会が「共産主義社会」なので、根底にはフランス革命などの啓蒙思想自由主義の影響があります。また、先進国革命論である「マルクス主義」と、後に帝国主義論を持ち込んだ「マルクス・レーニン主義」はかなり相違があります。現実の体制の話では、社会主義やファシズム開発独裁などによる非自由主義的な近代化が、後の資本主義社会の基盤となった国家も多数あります。学術的な記述ならば、単純な「右翼左翼」や、「自由 対 集産主義」的な観点だけではなく、複数の観点から複数の意見を書く必要があると私も思います。--Rabit gti 2011年5月18日 (水) 13:48 (UTC)
恐ろしい誤解を招くような言説が日本ではよく見られるということを自分は知っていると最初に説明されたのはDoorroomさんですので、それを検証可能なように示しながら編集するのはDoorroomさんの役目です。記事に詳しいと思われるDoorroomさんが、恐ろしいことに日本ではよく見られると書いていたので「日本で広く一般に流布されている」と解釈して私の言葉で置き換えたのですが、私はこの件を記事に加筆しようとは考えていません。私の解釈がDoorroomさんに誤解を与えてしまったようでしたらすいません。--Zakinco 2011年5月19日 (木) 01:25 (UTC)
あなたの擁護する本やそれこそGoogleで「"新自由主義"+"ハイエク"」で検索すれば山のように誤解の文章(たとえば[1]など)が出てくる点で(もちろん、書籍もあります)、日本ではよく見られると私は判断しています。ただし、もちろんそれをWikipediaの出典基準を満たせる形で示せるかということは別ですし、私には示すのは難しいと考えるので記事のページではなくノートで問題を提示しております(もっとも、そもそも、XXといった考え方が広く見られるが誤りである、などの記述をわざわざ書く必要はないと考えているのでこの件に関しては出典があっても記事のページには書きませんが)。何にせよ、Zakinco氏に加筆の意思がないのであれば私も特に言うことはありません。中立性に問題があるものには疑義を出しつつ、上述のように、ハイエクやフリードマン、ルーカスなどの違いを上手くまとめた文献を誰かが提示してくれるのを待つだけです。個別の説明をしているものはあるのですが、「違うことを示す」出典としては検証可能な形では出しにくいですから。--Doorroom 2011年5月19日 (木) 01:49 (UTC)

報告議論の内容に合わせて見出しを変更しました。

私はウィキペディア日本語版の編集者として、日本語で書かれた文献に対してしかるべき敬意を表しているだけなのですが、それを擁護と言われるのは心外です。今回の件でDoorroomさんが平凡社の「世界大百科事典」を敵視していることがよく分かりましたが、それはきっと平凡社の物よりもウィキペディア日本語版を百科事典として信憑性が高く真理に近い物にしようとする熱意の現れなのでしょう。私は、平凡社の「世界大百科事典」の新自由主義の説明にハイエクはフリードマンと並べて記載されていることから、問題となった記述は削除する必要はないと思いましたが、Doorroomさんの判断で削除されたということで、それがノートの議論に残れば十分と考えます。これにて私は今回の議論への参加を終了します。--Zakinco 2011年5月22日 (日) 03:59 (UTC)

今日での用法

>「今日ではこの用語は、政府の規制緩和と民間役割拡大の政策を軽蔑する目的で用いられる[4]。」

との記述は、参照先の論文の主旨から導かれる主張ではないように思えますが如何でしょうか。 参照先を読むと、「新自由主義」という用語が極めて多義的またはほぼ未定義と言っていいような 状態で用いられており、本質的な議論の妨げになっている旨を述べているかと思います。 なぜ上記のような「今日での用法」が断定的に導き出されたのか疑問です。--mshin会話2013年2月27日 (水) 10:16 (UTC)

コメント同意見です。断定的で不適切だと思います。(この記事全般に、特定の立場からの断定が多すぎますが。)--Rabit gti会話2013年2月27日 (水) 13:24 (UTC)

コメント参照文献は25ページもある英語の論文で、私には読んで理解するのは難しいので内容についてはコメントできませんが、その記述は利用者:Tondenh会話 / 投稿記録さんがこの編集[2]で加筆された記述なので、ご本人も交えて議論された方が良いかと思います。--Zakinco会話2013年2月28日 (木) 00:01 (UTC)

コメント現在の「軽蔑する目的で用いられる」の断定は非中立的(肯定的な用法は間違いと読める)なので、少なくとも「学者の誰はこう主張している」とか「批判的な用語としても使用されている」などと書き直すべきと思います。なおZakincoさんのご指摘は、拙速な修正が揉め事になる事を懸念されたのかと思いますが、異論がある場合の合意形成は必要ですが、議論への参加・不参加は自由で、記載者を含め特定の方との対話や許諾が必要な訳ではないと思います(知らない方が誤解されるといけないと思い、念のため)。なお今回の場合、私は事前合意は不要(即修正で当然)なレベルかと思います(些細な点まで慎重に慎重を重ねる考えもわかりますが)。--Rabit gti会話2013年2月28日 (木) 00:30 (UTC)

報告とりあえず、明らかに不適切と思われる表現(「今日は」や「軽蔑する目的で用いられる」)を、少し修正しました[3]。更に良い意見や案があればお願いします。なお「新自由主義」の用語が肯定的に使われている例もあります(新自由主義をめざしてウイルソン 著日本人のイギリス観:新自由主義・国民主権論のモデル出版社名が「経済同友会新自由主義推進委員会」)。安易な断定はいけません。--Rabit gti会話2013年2月28日 (木) 01:06 (UTC)
Rabit gtiさん、「中立的な観点」から見て不適切な記述の修正ありがとうございます。
記述の修正に関して記載者との対話は必要ないということは分かりますが、mshinさんがわざわざ参照文献を読まれて意見を出されているので、最近の編集ですしブロック中やウィキブレイク中でないのであれば加筆者は対話すべきだろうと思ったのであのようなコメントをしました。mshinさんとRabit gtiさんには出典の検証に協力していただいて大変感謝しています。--Zakinco会話2013年3月1日 (金) 14:41 (UTC)