ノート:日露戦争/過去ログ2
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旅順攻略・奉天会戦について
11月26日からの第三回総攻撃も苦戦に陥る。戦況を懸念した満州軍総参謀長兒玉源太郎大将は、大山巌元帥の指示を受け旅順方面へ着任。攻撃目標を203高地に絞り込む。日露両軍ともに戦死5,000、戦傷者10,000以上を出す激戦のすえ、第三軍は12月4日に203高地を占領した。その後1か月余りの戦闘を経て、1905年1月1日に旅順要塞のロシア軍司令官ステッセル中将は降伏した。
攻撃目標を203高地に変更したのは第三軍司令部の判断で、兒玉源太郎大将が攻撃目標を203高地に絞り込むとの表記は問題があると思います。 203高地に比重を置いた書き方をされていますが、ステッセル中将が降伏を決断したのは203高地の失陥ではなく、東北正面・望台が陥落したためであることは明記されるべきと思います。 このコメントは 2006年9月13日 (水) 23:10 (UTC) にIP:202.233.217.22(会話 / 投稿記録)氏によって記載されたものです。--Cave cattum 2007年5月6日 (日) 06:26 (UTC)
- 対応しました。--Cave cattum 2007年5月6日 (日) 06:26 (UTC)というのは、すべて嘘です。
- 議論の余地があるため、旅順攻囲戦のページに記述をまかせるということで省略しました。--Sta.cameraman 2011年2月5日 (土) 17:09 (UTC)
対日感情について
>極東に動員されたロシア兵はロシア帝国の支配下にあったポーランド人やフィンランド人が多く
具体的な数値を明記してください。
>これらの国で良好な対日感情が醸成される原因となった。
これらの国で対日感情が良好なのは、まず第一に自分たちにとって加害者であったロシアを敗北させたということによるものでしょう。捕虜への待遇云々は二次的なものです。 このコメントは 2006年11月20日 (月) 06:49 (UTC) に利用者:どですかでん(会話 / 投稿記録)氏によって記載されたものです。--Cave cattum 2007年5月6日 (日) 06:26 (UTC)
- 信頼性の乏しい記述についてはコメントアウトしました。--Cave cattum 2007年5月6日 (日) 06:26 (UTC)
参考文献
参考文献として、司馬遼太郎『坂の上の雲』と児島襄『日露戦争』があげられていますが、これ違和感があります。緻密な歴史考証をすることで知られる歴史小説の両巨頭の作品でありますが、小説は小説です。歴史の記事の参考文献にはならないでしょう。「日露戦争を描いた作品」に小説という項目を立て、そちらで紹介すべきと考えます。220.146.145.69 2006�
- 対応しました。--Cave cattum 2007年5月4日 (金) 01:02 (UTC)
児島襄「日露戦争」は国立国会図書館の日本十進分類法による分類でも2類 歴史の210.67(日露戦争前後)となっており、坂の上の雲は913.6(小説、物語)となっております。小説扱いではないようですので、関連書籍のほうに移します。
保護中につき修正願い
国立公文書館アジア歴史資料センターのサイトが更新されました。それに伴いリンク先が変更になっています。こちらの記事の書き換えをしようとしたのですが、私では手が出せません。代わって修正していただけますようお願い申し上げます。なお、URLをきちんと書くとウキのシステム上面倒なことになりますので一部省略しています。
- [jacar.go.jp/nichiro/frame1.htm 公文書にみる日露戦争](国立公文書館 アジア歴史資料センター)
- [jacar.go.jp/nichiro/djvu_doc/a03020585900/directory.djvu 「明治三十七年・詔勅二月十日・露国に対し宣戦」](国立公文書館アジア歴史資料センター レファレンスコード:A03020585900 )219.97.190.197 2006年10月16日 (月) 02:26 (UTC)
日露戦争を扱った作品として、アメリカのPCゲームで『Distance Guns:Russian-Japanese War at Sea』(開発元;Storm Eagle Studios 日露戦争の海戦ゲームで、日本未発売。リンク先は公式サイト)なるものがあります。保護中のため追加できませんでしたので、後日お気づきの方がいらっしゃればよろしくお願いします。--おきた 2006年11月26日 (日) 05:21 (UTC)
次のようなリンクを貼りたいと思ったのですが、他の方と同様の理由で、ここに追加依頼を書いておくことにします。
- [://grandwar.kulichki.net/ 主に19世紀ロシアの戦争を扱ったページ]。書庫(библиотека)にノビコフ・プリボイ作「ツシマ」などを収める。
なお、「主要参考文献」の「個人体験」というのを「従軍記・ルポルタージュ」のように直した上で、プリボイの「ツシマ」もそっちに移すことを提案したく思います。
- 対応しました。--Cave cattum 2007年5月6日 (日) 06:26 (UTC)
重要参考文献追加のお願い
参考文献に以下を追加お願いできませんでしょうか。軍事史学会の本や、山室先生の本が載せられているのなら、これも掲載に値すると存じます。
日露戦争研究会編『日露戦争の新視点』(成文社, 2005年) このコメントは 2007年2月19日 (月) 20:18 (UTC) にIP:207.172.81.31(会話 / 投稿記録)氏によって記載されたものです。--Cave cattum 2007年5月3日 (木) 11:18 (UTC)
- 後ほど追加しておきます。なおコメントは一番下に追加するようにしてください。--Cave cattum 2007年5月3日 (木) 11:18 (UTC)
- 対応しました。--Cave cattum 2007年5月6日 (日) 06:26 (UTC)
保護の解除に向けて
保護されてから半年。熱くなった編集合戦を冷ますための措置だったとは思いますが、もうそろそろ解除していただきたい。修正依頼も溜まってきていることですし。219.97.187.149 2007年2月23日 (金) 08:07 (UTC)
世界史的な流れが分かりやすく書かれていて、素晴らしい記事だと思います。私が大昔に書き足したところもちょこっと残ってます。これからもがんばっていきましょう。--史跡めぐり 2007年3月9日 (金) 18:56 (UTC)
保護が解除されたら、「戦時下の人々の暮らし」の節は節ごと除去すべきと考えます。「一列ランパン破裂して・・・」の歌は明らかに日露戦争後の歌です(東郷さんは当時中将です)。「日本国内では、幸徳秋水や堺利彦らの平民社が・・・」の段落は以前私が最初に記載した部分だったのですが、編集合戦の原因となってしまいました。--Cave cattum(WikiMiniAtlasのご紹介) 2007年3月18日 (日) 02:16 (UTC)
- Wikipedia:保護解除依頼を提出しました。本記事はYukarin系荒らしアカウントにより編集合戦が引き起こされたために保護され、以来依頼半年以上保護が続いてきました。上記の通り保護解除を望む声に対して特に反対意見もないこと、またYukarin系荒らしアカウントのアクセスも遮断されていることから、保護解除にあたって問題はないとみられます。--Cave cattum(WikiMiniAtlasのご紹介) 2007年3月21日 (水) 12:10 (UTC)
- 様子見的に解除していただいたようでありがとうございます。再度荒らし行為の対象となった場合は再保護をお願いします。--Cave cattum 2007年5月3日 (木) 11:06 (UTC)
「戦時下の人々の暮らし」の節について
2007年4月28日 (土) 03:20 (UTC) の版以前にあった「戦時下の人々の暮らし」の節を除去しました。理由は既に述べていますが、まず「一列ランパン破裂して・・・」の歌は明らかに日露戦争後の歌です。「日本国内では、幸徳秋水や堺利彦らの平民社が・・・」の段落は編集合戦の原因となりましたが、あえて残す必要もないと思われます。--Cave cattum 2007年5月3日 (木) 11:06 (UTC)
原因と結果が知りたいんです
原因と結果が知りたいんですネ
「大日本帝国」の一律書き換えについて
百科事典の単なる使用例を出典と称して、文脈を無視した「大日本帝国」を「日本」への一律書き換えが行なわれていますが、なんとか社の百科事典は単なる使用例に過ぎず、「大日本帝国」の表記を排除する根拠にはなっていません。もし出典とするならば、「大日本帝国と言う表記は使ってはいけない」ということが理由と共に示された資料であり、いくら百科事典や学術書を並べ立てても「使用例がない」とする根拠にはなりません。的外れな出典です。この記事でOmaemona1982氏が書き換えたヶ所はいずれも「ロシア帝国」に対する日本の国号であり、文脈を無視した言葉狩りでしかありませんね。--uaa 2009年10月2日 (金) 19:37 (UTC)
「大日本帝国」の語の使用が百科事典などに一般的ではないことの証明にはなっております。存在しないとまでは言わなくともマイナーな表記をあえて優先する理由はありません。--Omaemona1982 2009年10月3日 (土) 06:23 (UTC)
今後この提案に関する意見は現在大きな合意を形成中であるWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史で表明して下さい。 |
同盟国・支援国 について
トルコが日本側の同盟国・支援国に掲載されていますが、いかなる根拠によるものでしょうか? 当時トルコなどという国は存在しません。「大韓帝国」「ロシア帝国」と書くならここは「オスマン帝国」と書くべきでしょう。 また、当時のオスマン帝国政府が日本側に特段の支援を与えたとの事績も見られないと思います。削除して良いのではないでしょうか。 --61.87.26.192 2009年10月23日 (金) 07:32 (UTC)
- オスマン帝国は日本へ観戦武官を派遣したり、イスタンブルで日本人が情報収集を行うのを黙認したり(山田寅次郎を参照)はしていますが、明らかな「支援」はしていません。少なくとも「関与国」ではないと思いますが・・・。F.V.E 2009年12月25日 (金) 14:57 (UTC)
「黄海海戦・遼陽会戦」の節について
陸軍の旅順攻略参戦を頑なに拒む海軍の意向を受けとありますが、これは「陸軍は旅順攻略を拒んでいたが、海軍が攻略を望んでいたので仕方なく陸軍は旅順に出動した」という意味合いで記述しているのでしょうか? 現状のままでは「陸軍が旅順に参戦することを海軍は拒んでいて、その意向を受けて・・・」と読め、その後の文章との関係性に問題が生じています。主語述語の関係は現状のままでよろしいのでしょうか? --文帳 2009年12月21日 (月) 21:56 (UTC)
- そもそも第三軍は旅順攻略の為に送られたのでは?だとすれば、それに続く 満洲軍総司令部の指示により旅順に向けて漸進を余儀なくさせられる。 も意味不明です。--4thmoon 2010年1月6日 (水) 11:49 (UTC)
- 「坂の上の雲」しか読んでいないので断言できないのですが、小説では「陸軍は旅順攻略について乗り気でなく、海軍の強い意向を受けて出動した」「第三軍は旅順攻略のために組織された」だったと記憶しています。史実に詳しい方、いかがでしょうか?--文帳 2010年1月11日 (月) 06:53 (UTC)
旅順攻囲戦のページ参照ということで一旦コメントアウトとします。--Sta.cameraman 2011年2月5日 (土) 17:09 (UTC)
「バルチック艦隊」について
素朴な疑問なんですが欧州最強と言われたバルチック艦隊の出典はあるのでしょうか。--4thmoon 2010年1月6日 (水) 11:56 (UTC)
- 出典はあるでしょうが専門的な書籍にはないでしょう。またイギリス海軍が艦隊をどう編成していたかは知りませんが質、量ともに勝てるとも思えませんので記述を外しました。--Sta.cameraman 2011年2月5日 (土) 17:09 (UTC)
第ゼロ次世界大戦
さすがに世界的に全く定着しているとは見られない呼称ですので、冒頭定義ではなく本文に織り込みさせていただきました。--大和屋敷 2010年10月16日 (土) 14:50 (UTC)
Takabeg氏による風刺画の貼付けについて
Takabeg氏がコモンズにアップした「File:Russo-Japanese War Shunga.jpg」という画像を私が当記事に載せるべきではないとして削除したところTakabeg氏から異論がでましたので、削除してもよいか皆様のご意見を伺いたいと思います。特にTakabeg氏の意見を期待しております。もっとも個人的には#日露戦争を題材とした作品節などで風刺画を扱うのはアリだとは思います。--MOILIP (user / talk) 2011年12月13日 (火) 16:07 (UTC)
- (追記)異論がない場合、さきほどの提案の一週間後「2011年12月20日 (火) 16:07 (UTC)」をもちまして削除させて頂きます。--MOILIP (user / talk) 2011年12月13日 (火) 16:19 (UTC)
- あーこれは完全に無関係ですね。春画にでも投稿しておけばどうでしょう。画像そのものの資料的価値は十分高いものがあるとおもいますが、いくらなんでも日露戦争を調べに来た読者にいきなり春画を見せるのは悪趣味すぎるでしょう。春画というアングラ文化をもって当時の日本人全体あるいは日本文化全体を代表させるわけにはいきません。--大和屋敷 2011年12月13日 (火) 17:21 (UTC)
反対 「完全に無関係」ではないでしょう。画像の除去には反対です。このように、太平洋戦争中には考えられないような風刺画があったということで掲載価値はあると思います。掲載場所は日露戦争#影響か日露戦争#日露戦争を題材とした作品の節のほうがいいと思います。本来なら、戦争中の庶民に関する節や記事があってしかるべきだと思うのですが、太平洋戦争にもないですね。「日本文化全体を代表させる」のが心配なら、そのような観点で記事を拡充したほうがいいでしょうね。--uaa 2011年12月13日 (火) 19:05 (UTC)
- なるほど。原状で感じる違和感は、仰るように「戦争中の庶民に関する節や記事」がないからですね。原状では取り上げようがないという気がします。画像そのものの貴重性に引きずられて「とりあえず放り込んでおけ」という文脈無視の編集になっている印象がある。--大和屋敷 2011年12月13日 (火) 19:41 (UTC)勝絵というんですかね。こういうWeb文献[1]を見つけましたが、書き出したらけっこう大変な印象が。あと、元画像のUP履歴が匿名のアップロダからの転載のようで、そもそもこの画像がどういった履歴のものかよく分かりません(Web上だけの調査では)。後世・現代に作られた物の可能性もありますので、こちらの調査のほうも宜しくお願いします。--大和屋敷 2011年12月13日 (火) 20:08 (UTC)うーん。一通り調べたのですが[2]この春画・勝絵の履歴がわかりませんでした。現代に作られた仮託作(贋作)の可能性が排除できませんので、出典履歴がはっきりするまでは上記の主旨とは別に、ウィキペディアでは採用・掲載をすべきではないと一旦判断致しました。他の方の情報提供を待ちたいと考えます。--大和屋敷 2011年12月13日 (火) 21:21 (UTC)
- 「戦争中の庶民に関する節や記事」という風刺画の掲載に耐えうる受け皿が存在しない以上、ポンッと貼りつけただけの画像は不要でしょう。現在の記事内容に全くとはいわないが、ほとんどそぐわない画像です。百科事典なんですから何の説明もなく「ロスケ」という語を使用するのも論外です。少なくともあの位置は不自然だし、場所を#日露戦争を題材とした作品節などに移すだけでは五十歩百歩でしょうね。「戦争中の庶民に関する節や記事」が拡充されれば話は変わってきますが、画像の添付が記事内容の拡充に先行するのはおかしいです。--MOILIP (user / talk) 2011年12月14日 (水) 00:01 (UTC)
コメント無しでdeleteするのは論外だと思われます。また、不適。「ロスケ」って何ですか?というコメントも削除の理由が示されていませんでした。ロスケとはРусскийを指し、絵にロスケと書いてあり、それを忠実に転載したまでであすので、「ロスケ」という語の使用が論外だというご意見のは論外です。また、「読者にいきなり春画を見せるのは悪趣味」か否かは完全に主観的な問題であり、削除の正当な理由として認め難いものです。さらに、「日本文化全体を代表させる」かというご意見に関しては、東郷平八郎、児玉源太郎など他のほぼ全ての図画に関しても同様の議論が起きた場合、客観的な証明はほぼ不可能ですから、「日本文化全体を代表させる」か否かというのは、合理的な基準とはならないはずです。ただ、大和屋敷の提示した意見のうち、作品の出所に関しては不明瞭な点が多いことはたしかで、このアプローチは建設的なものであると思います。実は、スペイン語ウィキペディアのビューロクラトをやっているUser:RαgeさんによりFile:Shunga Ruso-Japanese.jpgが既にアップロードされていましたが、出所は、[3] で、やはり確かな情報は見当たりません。しかしながら、この時代には、春画に限らず、実に多くの錦絵が作成されており、美術館に所蔵されたものは極めて少数派である事実を考慮に入れた場合、確かに贋作である可能性は排除できませんが、贋作と決め付けるだけの証拠が見当たらない以上、贋作であると決め付けるのも難しいと思います。Takabeg 2011年12月14日 (水) 05:05 (UTC)
- 山口晃さんのように現代アートとして専門にされてる方もおり、才能のある画家にとってはなんてことないわけでして作品来歴の確認は重要ですよ。来歴のはっきりしないものをWeb上でたまたま拾ってきて無断で掲載した場合は期限について著作権上の問題にも関わります。--大和屋敷 2011年12月14日 (水) 05:41 (UTC)
モアリップ氏の主張には全く説得力を感じませんね。初めに画像除去ありきとしか見えません。本文が不充分だからというのは画像を除去する理由にはなりません。それに、百科事典だから「ロスケ」という語を使用してはいけないということこそ論外ですね。言葉狩りは私が最も嫌悪するところです。--uaa 2011年12月14日 (水) 09:24 (UTC)
当該画像は当時の絵として広くネットに出回ってるようですね([一例])。自然に考えてそうだと思います。この手の絵は作者が不祥なので、「現代に作られた可能性が排除できない」と言い出したらきりがないでしょう。こういう場合は逆に、削除を主張するに際して現代に作られたことを証明するべきだと思います。--uaa 2011年12月14日 (水) 09:30 (UTC)
- いやいやそれは違うでしょう。誰が撮影したのか分からない写真画像(当該画像は写真画像です)をインターネット上から勝手に持ち込んで著作権フリー、また「日露戦争当時に描かれたもの」として紹介しているから問題なわけです。①日露戦争当時に描かれたものであるという確認ができなければ当時の民間風俗を紹介する傍証にはなりません②履歴が「UPした当人が撮影した物」かどうか確認できません。以上の2点は重要です。--大和屋敷 2011年12月14日 (水) 09:45 (UTC)たとえば大学や研究室などが、当時の風俗絵として著作権フリーで公開したものである、などという来歴が明確であれば①の点すなわち当時に製作されたものであるという確証が相当程度得られます、また②については著作権元が明らかであり不明ではありません。原状では匿名のアップローダーに登録されているものを無断で転載しており上記の二重の意味で問題があります。--大和屋敷 2011年12月14日 (水) 09:50 (UTC)
- 当該画像が出回っていることは「誰がいつ撮影したか」が問題になってきます。(元ネタが書物などで無断転載されて広まっているケースなどもあるため)著作権の問題が出てきている以上それを証明することなく安易に掲載する方が危険ではないでしょうか?--Aquamarin456 2011年12月14日 (水) 09:56 (UTC)
- 当該画像は保護期間が終了した(と推定される)著作物の複製なので、撮影者に著作権はありません。そうでなかったら、コモンズにある多くの期間切れ絵画の画像はNGってことになりますよね。この作品は作者不明なので、問題となるとしたらいつ公開されたかでしょう。いずれにせよ、著作権の問題があると思うならコモンズに提起すべきでしょう。日本語版の一部利用者の勝手な解釈で日本語版だけ使用不可なんてあってはならないことです。--uaa 2011年12月15日 (木) 19:49 (UTC)
そういう推測をもとにした断定ではこまります。この画像の来歴情報を紹介いただきたいだけです。むろんUaaさんがご存じなければ他の方にご紹介頂きたいだけです。来歴の明らかでない歴史史料を百科事典の記事に採録することはできません。--大和屋敷 2011年12月15日 (木) 20:15 (UTC)僭越ですが一旦コメントアウト致しました。ようは「この画像は何なのか?」がまったく不明なのです。まずこの画像が何なのかをハッキリさせましょう。ワタクシはすでに述べましたように近代デジタルライブラリを1時間ほどかけて調査しましたが確認できていません。根気よく探してみてください。--大和屋敷 2011年12月15日 (木) 20:31 (UTC)
テンプレートについて
そもそもテンプレートに勝敗を書く必要はありません。また戦争状態は講和をもって終結となしますので交戦状態の推移をもって勝敗を論じる小説家の論調は百科事典に相応しいものではない。中立的観点からみれば結果の項目はすべて「停戦」「継戦中」「講和・●●条約」とでもしか書きようがない。グロティウス曰く戦争においては常に講和を目標とすべきである。中立的観点からテンプレート中のこの項目にそもそも反対であり、あえて書くならばこのように書くべきであるという立場です。小説家の方が「勝利だ」「敗北だ」と論じておられるのであればそれはテンプレートではなく記事中に引用元を明示のうえ縷々記述すれば宜しい。--大和屋敷(会話) 2013年12月24日 (火) 01:49 (UTC)
- 各国語版Wikipediaの該当記事を見たことがないのでしょうか。そうだとすれば独善的と言わざるを得ません。--101.102.40.199 2013年12月24日 (火) 01:58 (UTC)
- 外国語版wikipediaはそれ自身は信頼できる情報源にはなりませんよ。出典をもちよって記事中に記述してください。そちらについては反対しませんし、むしろ記事内容の充実に貢献する適切な加筆だと考えます。大和屋敷は「テンプレート」の項目として導入されていることに反対しているのです。--大和屋敷(会話) 2013年12月24日 (火) 02:00 (UTC)保護依頼を提出致しました。--大和屋敷(会話) 2013年12月24日 (火) 02:06 (UTC)
- Template:Battleboxの使用例として「result = 連合軍(カナダ軍)の勝利」とあります。テンプレートに勝敗を書くべきでないとするのは、あくまで大和屋敷さんの個人的見解に過ぎないと思います。--101.102.40.199 2013年12月24日 (火) 02:08 (UTC)
- 外部の引用元も提示なさらずに大和屋敷の個人的見解と歪曲されては困りますな。ちなみに大和屋敷は大東亜戦争が連合国の勝利・日本の敗北だと記述することに反対の立場です。戦争の目的は達成したのであるからやはり休戦・講和としか書きようがないものである。--大和屋敷(会話) 2013年12月24日 (火) 02:11 (UTC)
- 「歪曲」という語句を使用される意図が分かりかねます。テンプレートの使用例に異議があるのであれば、まずそちらを変更することの是非を然る場所にて議論されては如何かと思います。--101.102.40.199 2013年12月24日 (火) 02:17 (UTC)
コメントTemplate:Battleboxのresult項目は多くのページで使われており日露戦争だけで済む話ではないと思うので、井戸端やTemplate:Battleboxのノートで、必要があればコメント依頼も出して、議論してみてはどうでしょうか? Wikipedia:中立的な観点#この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くなに厳密に従うなら、大和屋敷の主張も一理あると思います。戦争に参加した各国が戦争目的をどの程度達成したのかをきちんと記述して、勝敗については書かずに読者の判断に任せるという記述方法もありかもと思います。--Zakinco(会話) 2013年12月24日 (火) 15:06 (UTC)
Здравствуйте. Hello.
Здравствуйте. Сколько винтовочных патронов израсходовала японская армия в русско-японской войне? Русская армия израсходовала 400 миллионов (400000000) винтовочных патронов израсходовала в русско-японской войне. Hello. How many rifle cartridges spent the Japanese army in the Russo-Japanese war? The Russian army has spent 400 million (400000000) rifle ammunition expended in the Russo-Japanese war. --УголковМИ(会話) 2014年11月5日 (水) 09:50 (UTC)
宣戦布告
この当時、宣戦布告に関する国際法上(国際慣習法上含め)合意や有意な理解は無かったはずですので、独自研究としてリバート致しました。検証可能な信頼できる情報源による情報提供を期待致します。--大和屋敷(会話) 2015年1月21日 (水) 15:04 (UTC)
- 宣戦布告無しだったことには変わりませんよ。別にそれで非難されたとも書いていません。すぐ後に宣戦布告と問題無しの件について言及がありますし、書き加えられた語句が必要であるとは思えませんが。--Sta.cameraman(会話) 2015年1月21日 (水) 15:29 (UTC)
- 大和屋敷さんが鉄道国有法の意義について考えるところを述べずに外貨調達の記事をリバートしました。出典もそちらについているのですが。--153.228.47.181 2015年10月5日 (月) 13:54 (UTC)