ノート:杉本城
曖昧回避ページ化
[編集]「相模国の杉本城」は単体記事に出来る内容と思ったので「杉本城 (相模国)」として分離しました。なお、相模のにつきましても要出典をつけた箇所は信頼できる文献提示を希望します。
「越中国の杉本城」削除理由
[編集]次の箇所削除→『越中国の杉本城-越中国における杉本城は、新川郡滑川郷における城郭のひとつで、築城年は不明であるが、鎌倉幕府が滅亡した後、建武2年(1335年)、北条得宗家の遺児 北条時行を奉じた諏訪頼重が蜂起し、中先代の乱起こると、越中国の北条残党 名越時兼が蜂起し、反乱軍の巣窟となったのが、越中国の杉本城であった。この時、名越時兼は越中をはじめ、加賀・能登など近在・隣国で新政に不満を持つ武士を結集し挙兵に及び、松倉城を守る椎名六郎入道に攻めかかったという。』
「越中国の杉本城」について1980年刊『日本城郭大系』第7巻(新潟・富山・石川)をあたってみましたが、「杉本城」という名の項目や言及箇所は見つかりませんでした。本文では、杉本城は現在の富山県滑川市と思われる「新川郡滑川郷」にあると書かれていますが、新川郡に「滑川郷」という郷が見つかりません。そのうえ富山県の遺跡地図を参照したところ、滑川市には「杉本」という地域は実在しますが、そこに「杉本城」という城郭遺跡は確認出来ませんでした。また本文では、中先代の乱のころ(1335年)に名越時兼が杉本城を拠点に「松倉城を守る椎名六郎入道に攻めかかった」とありますが、『日本城郭大系』では松倉城の史料上の初見は1338年(暦応元年)としており(p.272)、1335年に本文に書かれるような史実があったとは書かれていません。現状では城の存在自体を示す出典が皆無です。「越中杉本城」についての確かな史料や参考文献が明示されるまで、表示を控えるべき内容と思われます。
「筑後国の杉本城」削除理由
[編集]次の箇所削除→『筑後国における杉本城は、同国朝倉郡における城郭のひとつ。筑後国の有力国人領主 秋月氏が鎌倉時代に築城した城郭のひとつで後の秋月城の前進となった城郭である。原田氏の一門 秋月種雄が建仁3年(1203年)に築城。杉本城築城当時は、荒平城など多く城郭があり、秋月氏の勢力拠点の一翼を担った。戦国時代、秋月種実が豊臣秀吉の九州征伐に敗れ、日向国高鍋に移封されると、廃城となり、現在は城跡が残されている。』
参考文献『日本城郭大系』第18巻(福岡・熊本・鹿児島)と『福岡県の中近世城館跡Ⅰ』を見てみましたが、筑後の杉本城は古処山山麓にあって正解な所在地不明の秋月氏居館(秋月氏宅所)のことを言うらしく、これまでの本文内容は古処山城および秋月城(陣屋)の記事と重複しており、そちらにいずれ転記すれば足るものと判断したため削除しました。
以上です。--港北の乱(会話) 2021年4月10日 (土) 17:51 (UTC)