コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:東ローマ帝国/過去ログ1

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

「Wikipedia:ウィキプロジェクト 東ローマ帝国史の用語表記」を用意しました

[編集]

以上の議論を踏まえて、Wikipedia:ウィキプロジェクト 東ローマ帝国史の用語表記を用意しました。この問題についてはプロジェクトのノートに議論を継承したいと思います。もし問題などありましたら、めんどうですが利用者‐会話:Kanbunのほうまでその旨お知らせください。--Kanbun 2006年3月24日 (金) 09:09 (UTC)

表記の一方的な改変はやめてください

[編集]

上記のプロジェクトにて、「古典慣例形」使用という合意がされておりますので、「コンスタンディヌーポリ総主教」はいったん元に戻しました(そもそも、同じページ内で表記がバラバラというのはどう考えてもおかしい。せめて「コンスタンディヌーポリ総主教庁|コンスタンティノポリス総主教」で対処すべき)。 --121.107.181.60 2008年3月7日 (金) 15:57 (UTC)

IPアドレスだけの方に全ての関連項目について差し戻しを受け、大変不愉快です。合意無きと仰いましたが、手順に則った合意です。しかも正教会は東ローマ帝国だけに関連するものではなく、現代ギリシャにまで係るものです。一応、東ローマ帝国関連の記事では古典再建音の尊重という原則が提示されているようですのでそれに則った訂正をしておきますが、いずれにしましても、正当な手続きに則った改名を「一方的な」と評して「単に差し戻す」という行動に出られたIP氏に対しては、大変不愉快に思います。--Kliment A.K. 2008年3月7日 (金) 16:53 (UTC)

しかも上記IP氏は

>せめて「コンスタンディヌーポリ総主教庁|コンスタンティノポリス総主教」で対処すべき

などと云いながら、パイプ以前の部分に関しても「コンスタンティノポリス総主教」として、リダイレクトへのリンクを放置する形をとり、差し戻しのまま放置しました。こうした二枚舌も大変不愉快であります。--Kliment A.K. 2008年3月7日 (金) 17:00 (UTC)

これに関しては、私も上記プロジェクトにいちおう絡んでいるものとして、東ローマ帝国史関連の記事ではそれなりの合意がされており、わざわざ記事本文で触れているのに、それを無視して書き換えをするのは勘弁して頂きたいです(IPだから云々と言うのは関係ないというか、偏見ではないかと思うのですが)。首都名は、中世ギリシャ語読みを持ち込んだ東海大の尚樹教授でさえ一般性を考慮して「コンスタンティノープル」にしている位なのです。上記で、古典慣用形か中世ギリシャ語形かと言う論争を持ち込んで編集合戦になるのを避けようとする意図があって作られた合意を反故にされるのは、私としては逆に大変不愉快です。少なくとも東ローマ帝国史の要素が強い部分においては「コンスタンディヌーポリ総主教庁|コンスタンティノポリス総主教」等でご対応願います。--コンスタンティノープルからの使者 2008年3月7日 (金) 17:08 (UTC)

落ち着いてください。記事編集には多くの方が参加しており、それぞれ思うところがあるはずです。記事ごとに統一性を持たせることも考慮する必要もあるかもしれません。もちろんIPさんの対応もやや不誠実だったかもしれませんが、ギリシャ語の用語表記につきましてはいろいろな観点があり、論争になりやすく、結果編集合戦に至りやすいことも考慮してください。どうか双方ともお怒りを鎮めてください。パイプにして編集対処でよいと私は思うのですが。--Kanbun 2008年3月7日 (金) 17:11 (UTC)

>パイプにして編集対処でよいと私は思うのですが。
ただ今現に、そうして参りました。IP氏がそのような姿勢だったのなら私も怒りもしませんでした。
私が大変不愉快なのは「当該総主教を無条件に東ローマ帝国の専売特許と考えた安直な対応」と「自分ではパイプ方式を推奨しておきながら『合意無き編集は止めよ』と言って『単に差し戻した』事」に尽きます。--Kliment A.K. 2008年3月7日 (金) 17:15 (UTC)
>東ローマ帝国史関連の記事ではそれなりの合意がされており、わざわざ記事本文で触れているのに、それを無視して書き換えをするのは勘弁して頂きたいです
これについてはあまり東ローマ帝国関連の記事に携わった事の無い小生の落ち度です…、大変失礼しました。ただ今、パイプ処理で対応して参りました。--Kliment A.K. 2008年3月7日 (金) 17:17 (UTC)
気持ちはわかります。ただあくまで記事の編集合戦などネガティブな結果をもたらさないためにも、双方どうか譲り合ってください。上記プロジェクトにつきましては、周知が足りない面もあるかもしれませんので、今後ももし表記で論争になりそうになったら、編集合戦を避けるためにも話題に出していただけたらと思います。どうかお互いの行動を非難し合うのではなく、記事のためによりよい方向を目指してください。記事のためを思えば、編集者同士のちょっとした行き違いによる感情的な不満は、ぐっと抑えられるはずと思います。--Kanbun 2008年3月7日 (金) 17:20 (UTC)
Kanbunさん、私は別に怒っているわけではないのです。ただ、こちらにもそれなりに議論がされた上での合意事項があるので、それを踏まえて下さいということです。Klimentさんが以後パイプで対応してくだされば、別段異論はありません。実は合意の時も「近代ギリシャはどうするんだになる」って出てるみたいなのですが、このあたりは難しいですね。--コンスタンティノープルからの使者 2008年3月7日 (金) 17:24 (UTC)
正直怒りたくありません。そしてこちらのプロジェクトの事情も知らずにナイーブな編集を行ってしまった事については本当に深く反省しております。
  • 合意を経た上での改名であったにも関わらず、「合意無き」とされてしまった名誉毀損ものの要約について、そしてコンスタンディヌーポリ総主教のカテゴリにまで「安直」と断じられた事[1]については、深い憤りを覚えております。
  • 東ローマ帝国関連のプロジェクトの事情を知らぬままに「リダイレクトへのリンク訂正」だけの気持ちで名称を変更してしまった軽率さについては深く反省しております。以後は気をつけてパイプ処理で対応します。
今、申し訳ありませんが、感情的には大きくアンビバレンスな情況です。--Kliment A.K. 2008年3月7日 (金) 17:27 (UTC)
>Kanbunさん、私は別に怒っているわけではないのです。
安心しました。IPさんはコンスタンティノープルからの使者さんでしたか。その節は大変お世話になりました。
>実は合意の時も「近代ギリシャはどうするんだになる」って出てるみたいなのですが、このあたりは難しいですね。
そうですね。そのうち必要になれば表記については考え直す必要も出てくるかもしれませんね~。
お二方とも、現況の編集対処で問題ないようですのでよかったです。ウィキペディアの発展には皆さんの協力が欠かせないですし、編集者仲間同士、どうか感情的な不満は水に流していただければと思います。お二方ともウィキペディアにとって貴重な方ですので、どうか今回のことは円満解決という形で、現況の編集対処をとりあえずは支持するということで和解していただければと思います。--Kanbun 2008年3月7日 (金) 17:35 (UTC)
東欧・正教会関連の記事について執筆する事が多い小生ですから、これからもこちらのプロジェクトとは色々と重なる事が多いと思います(寧ろ今まで重なる事が無かったのが不思議な位だったと言っていいでしょう)。今後とも色々と御教示を賜りたく思います。あまり良くない始まりなのが残念ではありますが、今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。--Kliment A.K. 2008年3月7日 (金) 17:41 (UTC)
編集競合になりましたので追記させて頂きますが、Kanbunさん、コンスタンティノープルからの使者さん、「現況の編集対処で問題ないようですのでよかったです。」全くその通りの情況です。今後とも宜しくお願いします。--Kliment A.K. 2008年3月7日 (金) 17:41 (UTC)
Kanbunさん、そこを一くくりにされると…まあ、私も下手をすると「こっちの合意が無いぞ」ということで、同じことをしちゃった可能性はあるのですが。とにかく今回はここまでです。この表記問題は、もう蒸し返したくないんだけどな…。--コンスタンティノープルからの使者 2008年3月7日 (金) 17:44 (UTC)
自分も蒸し返したくないのは同感ですねぇ。でも、やはりよりよい方法がある場合は再検討もやむなしと思います。ウィキペディアのためにも……。--Kanbun 2008年3月7日 (金) 17:59 (UTC)

世界創造紀元の使用について

[編集]

世界創造紀元の使用については、同時代のキリスト教社会にかなり一般的に見られた事象だと考えられますので、東ローマ帝国で特筆すべきとは考えていません。尚樹の『ビザンツ帝国史』などを参照した上で。もちろん比較的初期の、カール大帝の戴冠以前のキリスト教帝国が東ローマ帝国しかなかった時期は、東ローマ帝国をキリスト教帝国として固有の事例とはいえるでしょうが。全時代的にそれを固有の事例と考えるのはどうでしょうか。--Kanbun 2006年12月31日 (日) 04:22 (UTC)

記事への大量のカテゴリ付与につき

[編集]

以下の編集について疑問を感じました。即リバートをかけたいほどだったのですが、合意を経てからの方が無難と思いここに告知させて頂きます。

特に異論が無ければ、カテゴリを元に戻したく思います。なお、主要執筆者の方があっさりカテゴリを元に戻されても、私は全く反対致しません(むしろ賛成します)。--Kliment A.K. 2008年7月4日 (金) 08:49 (UTC)

お願いがあります。カテゴリを元に戻されるのであれば同名のカテゴリからも同様に付与されたカテゴリを外します。こちらの作業に異議があるのであればその理由を記事とカテゴリの両方に埋め込んで書き残しておきたいと思います。--Sweeper tamonten 2008年7月4日 (金) 14:43 (UTC)

ビザンツ帝国への改名提案

[編集]

学会等において東ローマ帝国の呼称は一般的で無いと思います。日本ビザンツ学会の呼称に合わせて、ビザンツ帝国への改名を提案致します。--Popons 2008年8月16日 (土) 22:09 (UTC)

(反対) いちおうWikipedia:記事名の付け方では、「正式な名称を使うこと」「よく使われる略称、別名、別表記などは記事名に使うのではなく、正式な記事名へのリダイレクト(転送)ページにしましょう。」です。「東ローマ帝国」も正式名称ではありません(正式名称は「ローマ帝国」)が、わざわざ正式な名称から遠い名前に変える必要はないと思います。また、建築などの分野では「ビザンティン」の方が一般的です。改名する必要は無いと思います。 --コンスタンティノープルからの使者 2008年8月17日 (日) 00:01 (UTC)

(賛成)Wikipedia:記事名の付け方では、過去にあった国については、もっとも一般的な呼称を記事名にするのが適切です。(例: 「神聖ローマ帝国」)、とあります。ビザンツ帝国(またはビザンティン帝国)がもっとも一般的な呼称では無いでしょうか--Popons 2008年8月17日 (日) 11:59 (UTC)
提案者は賛成も何もないあったものでは無い気が…。神聖ローマ帝国みたいに殆どそれしか使われていないのならともかく、この記事で扱う時代のローマ帝国の呼称は人によってバラバラに割れています。何を以って「もっとも一般的」とするのか客観的な基準はあるのでしょうか?大阪市大の井上浩一教授のようにビザンツ学会の副代表でも著作によって「ビザンツ」「ビザンティン」両方使ってる方もいますし、場合によってはユスティニアヌス王朝までを「東ローマ」ヘラクレイオス王朝以降を「ビザンツ」って呼び分けてることもあります。こういう学術的に何かはっきりした決まりことが出来ている訳でもなく、客観的な根拠がはっきり出せるわけでもないような、しかも瑣末な(それこそ西欧言語で言う「ビザンティン的な」)ことで、わざわざ寝た子を起すようなことを何故されたがるのか、ただの好みとか自己満足なのではないのか?と、ちょっと理解に苦しむところではあります。学術面でも実利面でも別に不備や不便がある訳でもありませんし。--コンスタンティノープルからの使者 2008年8月17日 (日) 16:31 (UTC)
  • (反対)
一般論の部分ではコンスタンティノープルからの使者さんとは違い、私は「時には『寝た子を起こす』ような議論にも意義がある事もあるし、放っておいても時間が経てば必ずそのような議論は起きる」という立場ですが、今回の提案には反対します。記事名選定のこれまでの経緯に全く問題は無く、コンスタンティノープルからの使者さんの仰る論拠にも同意です。「ビザンツ帝国」が「東ローマ帝国」を押しのけるほどに最も一般的な呼称とは全く思えません。--Kliment A.K. 2008年8月17日 (日) 18:31 (UTC)
反対理由を補足しておきますが、コンスタンティノープルからの使者さんも似たような事を仰っていますが、記事名を「ビザンツ帝国」としてしまいますと「いつからをビザンツと謂うのか」という別の問題が発生してしまいます。一研究者の一著作でしたらそれは研究者個人の見解を反映すれば良いのですが、幅広い共同作業が求められるウィキペディアではこの点で合意を形成するのは極めて困難です(というよりほぼ不可能でしょう)。この点、「東ローマ帝国」であれば、「ローマ帝国の東西分裂」を起点にするという明確な基準を採用する事が可能であり、最初の時代区分の定義の部分で対立が起きる事が避けられるという大きなメリットがあります。--Kliment A.K. 2008年8月18日 (月) 02:23 (UTC)
(反対)コンスタンティノープルからの使者さんのご指摘にあるように、もしも使い分けるのであれば、ユスティニアヌス王朝までを「東ローマ」、ヘラクレイオス王朝以降を「ビザンツ」と呼び分けるのが一般的な理解かと思っていました。何をもって「もっとも一般的」なのか客観的な基準を欠く以上、現行の記事名を支持します。また、Kliment.A.K.さんのご指摘と同様の趣旨ですが、ローマ帝国の東西分裂後、すぐに「ビザンツ帝国」と呼ぶべきかというと疑問が残りますし、ここで議論する事柄でも(そして結論の出る事柄でも)ないでしょう。また、「日本ビザンツ学会」も、395年から1453年までの「ローマ帝国」を「ビザンツ帝国」と呼ぶような合意を形成したり、それを幅広く普及させようという試みはしていないはずです。もちろん、考慮に値するような客観的な基準(グーグルの検索数とかではなく)があるのでしたら、Poponsさんのご提案は引き続き検討されるべきですが、現段階ではそれは困難だと考えます。--Hasi 2008年8月18日 (月) 12:02 (UTC)

議論停止から一ヶ月以上経ちましたので、Wikipedia:改名提案に従い、改名提案テンプレートを外しました。--コンスタンティノープルからの使者 2008年10月3日 (金) 23:49 (UTC)

節のタイトル

[編集]

瑣末なことで恐縮ですが…。 東ローマが何度も盛衰を繰り返しているから仕方がないとは言え、「衰退」「衰退」と同じ表現を繰り返すのも今ひとつしっくり来ないので、直しました。が、元は井上浩一栗生沢猛夫『ビザンツとスラヴ』P194の「苦悩する落日の帝国」から採っているので、他に「衰退」以外で良い表現があったら適宜直してください(どうしても「衰退」を二回使いたいと言う方はご意見を)。

参考までに日本語の専門書の表現を挙げておきます。

  • 尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』では「ビザンツ帝国の弱小国化」
  • 和田廣訳 ゲオルク・オストロゴルスキー『ビザンツ帝国史』では「ビザンツ帝国の衰退と没落」
  • 井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』では「ビザンティン帝国の落日」(井上先生は落日と言う表現がお好きなようです)

--コンスタンティノープルからの使者 2010年4月2日 (金) 14:46 (UTC)

東ローマ帝国、ビザンツ帝国どちらが題名としてふさわしいのか。

[編集]

別段、変更する必要もないと思っていましたが、気になりますのであえて、質問させていただきます。この項目は東ローマ帝国となっていますが、なぜ東ローマなのでしょうか?他言語版Wikipediaを見てもわかりますように世界的には「ビザンツ帝国」もしくはそれに類する名前となっています。今のままでは日本語版のみで扱われる言葉としてJPOVとみなされても致し方ない部分があります。また、これに関連するプロジェクトプロジェクト:東ローマ帝国史の用語表記においても冒頭に「このプロジェクトはビザンツ帝国と一般に呼び慣わされている東ローマ帝国の歴史記述」と書かれており、一般的にビザンツ帝国であると暗に認めている状況です。少なくとも私が所有しているギリシャ史、東欧史関連の書籍においても東ローマ帝国という文言で扱っている書籍は極めて少数であり、この表題の国の歴史を著してる本のほとんどがビザンツ帝国という文言を使っています。私自身、無理してまで改名する必要もないかと思っていましたが、以前より悩まされていた東ローマ帝国表記主義な方が粗悪な記事を乱造されているのを見過ごすことが果たして正しいのかと考え始めました。改名を前提とはしておりませんが、東ローマ帝国という文言がビザンツ帝国よりもふさわしいという理由を有識者よりお聞かせいただければと思います。--Hideokun 2012年2月12日 (日) 16:35 (UTC)

メリットとしては以下が挙げられるかと。
  • 東西分裂前のローマ帝国との連続性が解り易い
  • ビザンツ帝国というのは公式名称ではなかった(尤も「東ローマ帝国」も公式名称ではなく、単に公式名称は「ローマ帝国」だったわけですが、「東」をただ加えるのと、「ビザンツ」にしてしまうのとでは距離が全く違います)
  • ビザンツ、ビザンティン、ヴィザンチンなど、表記揺れの問題を回避出来る
「東ローマ帝国表記主義な方が粗悪な記事を乱造されている」については、粗悪な記事乱造という行為を問題にすべきで、記事名を問題にしても問題は解決しないと思います。というよりそういう問題があれば勿論問題で御座いますし、複数人による対策も必要かと存じますので、是非例を示して頂きたく…。宜しくお願いします。--Kinno Angel 2012年2月12日 (日) 16:40 (UTC)
私もKinno Angelさんと同じような考え方ですね。東ローマ帝国がほぼ全く使用されていないならビザンツあるはビザンティンなんでしょうけど、呼称が3つもあり、その中である程度割れている以上、自称に近い方が良いと思います。
余談ですが、日本語版のみで扱われる言葉と仰られていますが、ラテン語版Wikipediaは、「Imperium Romanum Orientale」という記事名を採用しているようです。Orientaleは「東の」を意味する形容詞なので、日本語版と同じく「東ローマ帝国」になります。まあ、もう1つの公用語のギリシア語は「Βυζαντινή Αυτοκρατορία」ですけど、日本語版が全世界で唯一違うってほどではないのかなと。--Crion 2012年2月13日 (月) 09:49 (UTC)(イタリック部分Crion 2012年2月14日 (火) 12:26 (UTC)追記)
えーと、別にビザンツ、ビザンティン、ヴィザンティン、どれでもかまわないのです。ただ、本項目の参考文献、関連文献の題名を見てもらえればわかるように東ローマと記載されているものは極少数であり、ほとんどの文献がビザンツ、もしくはそれに類するものとなっています。その中で東ローマという文言を選ぶのはたとえ使いやすいといえども、参考文献に記載されている描写を無視したものであるということです。ついでにラテン語ではそうかもしれませんが、他の言語を確認してください。圧倒的多数がビザンツ、もしくはそれに類する題名となっています。私は東ローマ帝国と記載することはあまり好ましくない状況であると考えます。例えば東ローマ帝国支配下のギリシャという記事は見るに耐えない状況ですが、これは東ローマという文言を記事名に入れるために拙速に作成したものと思われます。また、東ローマVSブルガリアに関する記事にしても参考文献には東ローマという記述がないにもかかわらず東ローマという文言を使っている上に極少数の参考文献の上っ面を記載しているだけで内容を深めようとする意思がないのは明らかです。本来、このような乱雑で拙速な作業がなければここで動くこともないのですが、加筆するのもめんどうなのでオスマン帝国支配下のギリシャトルコクラティアとして別記事を立項させていただきました。拙速な作業をされる方の尻拭いなぞはごめんですので。
かなり愚痴が入りましたが、再度質問させていただきます。参考文献の題名、内容のほとんどと言っても過言ではないくらいビザンツ、もしくはそれに類する文言が使われている状況で東ローマという文言を使うことの意義について有識者からのご意見を求めたいと思います。--Hideokun 2012年2月13日 (月) 14:21 (UTC)
…ま、少々落ち着いて頂きたく…^^;「東ローマ」のメリットについては私から既に3点申し上げました。
例えば東ローマ帝国支配下のギリシャという記事は見るに耐えない状況ですが、これは東ローマという文言を記事名に入れるために拙速に作成したものと思われます。
さて、それはどうでしょうか…?私にはそうは思われませんでしたが…。憶測の域を出ないと思います。
まあ心情的には、私も「東ローマ帝国」「ビザンツ帝国」「ビザンティン帝国」のどれでもいいんです。ちなみに「他言語版もそうなっている」というのは、参考意見にはなるかと思いますが、決定打にはなりませんね(御承知とは思いますが…)。
しかしこの「どれでもいい」というレベルの問題こそ、かなり曲者でして…そういう時こそ議論が大混乱になるんですよ。「中世ローマ帝国」という専門家が使っていて書籍もある用語まで乱入する可能性を考えると、これを巡って改名大議論が勃発するなどという事態は避けたいところです…。特に今まで東ローマ帝国関連の記事で尽力された方々は「東ローマ表記派」だったのでして、今休眠中の彼らを起こしかねない激論を発生させる…それほどの必要性があるのでしょうか?
Hideokunさんは「粗悪な記事が乱造されているのは記事名のせい」とお考えのようですが(違っていたらすみません)、たとえば粗悪な記事が乱造されて未だに殆どが放置されているキリスト教系記事は、「キリスト教」という記事名に問題があるでしょうか?
基幹の記事名と記事の質との間に相関性を見出すという見解が、私には正直、理解出来ません。
「ビザンツ帝国」になったところで、問題が解決することは無いとしか思えません。そういう意味で「わざわざ議論を発生させて「どれでもいい」程度の記事名に変更するほどのメリットが見出せません。--Kinno Angel 2012年2月13日 (月) 15:14 (UTC)
こんばんは。私として知りたいのは東ローマ帝国と記載するにふさわしい参考文献を出して欲しいということです。参考文献の題名を見るかぎり、東ローマ帝国という題名を使っているものは明らかに少数派です。Wikipedia上でのメリットというのは理解していますが、では参考文献を用いることの意義というものはどこに存在するのでしょうか?
正式名称がローマ帝国であり、東ローマ帝国、ビザンツ帝国というのが便宜上であるというのはわかっています。ただ、例えば日本は正式名称は日本ですが、各言語版を見ればJapanと記載した記事がほとんどという例もあります。これを鑑みるによく使われている名称を記事名とするべきなのではないでしょうか?少なくとも、参考文献を見るかぎり東ローマ帝国という記事名がふさわしいようには見えません。
キリスト教とビザンツ帝国は扱い方が明らかに違います。キリスト教というものはあまりにも巨大であり、宗派が数細かく分かれている上、土着宗教と融合することで同じ宗派でも教義が変化しているケースもあるそうですね。ですのでひとつの出来事に関して宗派、もしくは地域によって呼び方、考え方が変わるのはヤムを得ないと思います。が、ビザンツ帝国に関しては文献を見るかぎり明らかにビザンツ、もしくはそれに類する文言が多数派であることは明らかでしょう。
これまでにビザンツを東ローマと変更する方がおられましたが、これらの行為はその延長線であると考えています。場合によってはそれらの記事をすべてきっちり作成しなおす必要すら感じています。本来は寝た子を起こすような行為をしたくはないのですが、オスマン・東ローマ戦争というかなんですかこれ?参考文献を見ても見なくても書ける内容な上、両方の文献にはビザンツ帝国としっかり記載されています。オスマン帝国関連記事、ギリシャ関連の記事を作成してきた私にとっては屈辱の極みな記事です。きっちり調べずにそれも単発アカウントでどんどん作成されることは誠に残念でなりません。とはいいつつも尻拭いはする気はありませんので別記事で作成するしかないのかなとも思います。--Hideokun 2012年2月13日 (月) 16:58 (UTC)
追伸。 トラヤヌスの門の戦いの方で記事作成者と編集合戦になっていますが、過去にビザンツを東ローマと書き換えていた方と同じ発言をされています。東ローマという文言を広めるために拙速に記事を作成していると判断せざるを得ません。誠に残念なことです。--Hideokun 2012年2月13日 (月) 17:12 (UTC)
まず…仰る人物の言動や編集姿勢は確かに問題ですね。この履歴会話ページでの白紙化という言動を見ていると、まずこの人物の対話拒否の姿勢について、ブロックを視野に入れたコメント依頼を出された方が宜しいかと思います。その方が問題解決にダイレクトに繋がると思います。複数アカウントについては根拠を提示するのは難しいですから、まずこのマシラ氏による記事の乱暴な作成と対話拒否の姿勢を問題にし、同様の事例が別アカウントもしくは別IPで続発して来たら、CUに持っていくという方向でいかがでしょうか。
この人物の言動は「記事名改名」では解決しないと思われます。あくまで記事名と問題編集は、切り離して考えるべきでしょう。
が、その一方、「ビザンツの方が記事名として適切」という御意見自体には、説得力も感じて来ています。色々ちょっと考えが変わって来ています。「ビザンツでもいいかな」と。今ある学会も「日本ビザンツ学会」であって「日本東ローマ学会」じゃないですしね…。
私の領域(正教会)では「正教ローマ帝国」と雅称的に呼んでいる人は居ますが(高橋保行など…もちろん「正教ローマ帝国にすべきだ云々」とは申しませんよ念の為^^;)、「東ローマ」「ビザンツ」のいずれが私の領域で優勢かどうかは、微妙な感じであり、判断しかねます。
今のところ、私の中では、先に述べました「東ローマ」表記のメリット3点と、各種出典・学会名などを勘案して、50:50といったところです。申し訳ありませんが改名提案が出されても、いずれにも与し難いというのが現時点の心情です(つまり現時点では反対も賛成もしません)。
先ほどの話に戻って繰り返しになりますが、当該人物の問題言動は「記事名改名」では解決しないと思われます。あくまで記事名と問題編集は、切り離して考えるべきです。当該人物の問題編集行動(特に対話拒否)をまとめてコメント依頼に出して頂ければ、私からも当該人物に問題があると客観的に認められれば、コミュニティの維持と正常な記事発展のために、出来る限りのことはさせて頂きます。--Kinno Angel 2012年2月14日 (火) 14:30 (UTC)
こんばんは、建設的なご意見をいただけたようで助かります。まず先に私個人の考えというかこれまで観察して思うことを書かさせていただきますと、これまで私が対応してきたビザンツ→東ローマと書き換える方は根拠として「Wikipediaの記事名が東ローマだから東ローマがふさわしい」という意味不明なことを根拠として書き換えを行なっています。これまでギリシャの歴史に関する多くの記事でそのような作業をされており、さらに中世ギリシャという全くもってほとんど使われていない用語を持ちだして通常、中世に含まれることのないローマ帝国時代からの歴史を盛り込むという意味不明な作業を行われました。で、この記事について私の方でギリシャの中世はビザンツ帝国時代がふさわしいであろうということで記事をビザンツ時代のみにしたところ、今度はこの記事を東ローマ帝国時代のギリシャへの改名提案が出されるという事態になったので私の方でビザンツ時代のギリシャは作成するので改名は必要ないということを申し伝えたところ東ローマ帝国支配下のギリシャという記事が拙速に作成されたという経緯があります。(また、この時同時にオスマン帝国時代のギリシャというまるでオスマン帝国の記事から抜き出したような適当な記事も作成されましたが、これはトルコクラティアを作成することでオスマン帝国内にないことを含めた記事になったと思いますが、これは余談です)これらの作業は単発アカウントもしくはIPで行われており、これまでビザンツ→東ローマと変更されていた方と同一人物である可能性は非常に高いと考えています。よって記事名は東ローマ帝国であるとしてもビザンツ帝国と同列であり記事名、もしくは記事内の描写を変更するのは必要ない作業でリソースのムダなことであるということを確定したいというのが本心です。記事名が東ローマだから東ローマへ変更など愚の骨頂であり、ギリシャ関連の歴史文献においてはビザンツと描写されている以上、ビザンツと書くのが専門家ではない我々がする作業であると思います。
ただし、この方が文献の上っ面だけをまるで書きなぐるかのように描写するのをやめて文献を深く読み、様々な文献を活用して作業を行うならば私も安心して引退なりすることもできるのですが、現状ではちょっとムリなのではないかと思います。
以上よりビザンツに改名する必然性については置いておきますが、これからも同じような作業をされる単発アカウント、IPの方が現れ続ける場合、その方の根拠となっているこの記事の名称変更について行わなければならないと考えています。--Hideokun 2012年2月14日 (火) 17:42 (UTC)
御事情、承りました。有力な反対意見が出ない限り、「『ビザンツ帝国』に改名も已む無し」、に現時点で心情が傾いております。
元々私の中ではこの表記問題は「50:50」でして、これまでの執筆者達の意向を尊重して「東ローマ」表記にしてきたという経緯があります。かつて(まだ出典についてそれほど厳しく無い頃に)jawpで活躍された「東ローマ帝国表記派」の方々が、「自分達も出典を記事本文個々につけていき、参照方法の改善に取り組む。問題ある事態の改善に取り組むから、記事名をその原因としてターゲットにすることはやめてもらいたい。」と仰って下さるのなら、先に私が述べましたようにメリットと根拠はある表記ですから、改名しなくても良いと思います。
もちろん、記事名を決めるのにあたってWP:NCでは「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」「その記事へのリンクを作成しやすいもの」「正式な名称を使うこと」といった文言が策定されており、記事編集の背後事情は原則、記事名に反映されるものではないことは勿論です。
しかし現実として記事名への拘りから対話拒否する単発アカウントやIPが出没している状況において、「50:50」ほどのメリットもデメリットもほぼ等価(と私は判断します)記事名のうち、こうした状況を助長する方を採用する意義は私には感じられません。
かつて(まだ出典についてそれほど厳しく無い頃に)jawpで活躍された「東ローマ帝国表記派」の方々からの回答を待ちたいところです。協力が得られないのであれば、現時点で良質な編集をして下さる方の意向が反映される事に、私は異議を唱えません。
繰り返しますが、記事編集の背後事情は原則、記事名に反映されるものではないことは勿論ですが、今回、「どちらにもそれなりに合理性と根拠がある」(と私からは思える)両記事名のうち、「良質な記事の発展可能性に繋がる」方を私としては支持せざるを得ない、そういう判断に傾きつつあります。--Kinno Angel 2012年2月16日 (木) 14:54 (UTC)


お返事遅れました申し訳ありません。様々な視点からのご意見、そしてそのメリット、デメリットについて検討していただいたことに感謝いたします。もしWikipedia内に表記についての派閥があるとしたら本当に残念なことです。私個人としてはかの単発アカウント、IPの方が優秀な記事を作成してくれればそこまで真剣に悩むこともなかったと思います。振り返ればキプロス紛争での編集合戦以降、その方と私の方で不毛な諍いが続いていることは間違いないことで、誠に私の不徳のいたすところではないかと思います。現状、その方の動向を見た上でこちらから改名提案を行うなどの対応を検討するということにいたしたく、また、現状の記事名も資料などの表記から考えれば決してベストなものではないということを本文内に挿入することも検討したいと思います。Kinno Angelさん、色々とお骨折りいただき誠にありがとうございます。--Hideokun 2012年2月24日 (金) 15:54 (UTC)

どうしても寝た子を起こすのが好きな方がいらっしゃるのが、残念というかなんというか。名称に関しては学術的に定義されている訳でも無い(学会名は「日本ビザンツ学会」ですが)ですし、どちらが一般的かどうかというのも客観的に検証可能でもないような状態で、どちらが良いとか悪いと言い切れる話でもないと思うのですが。二人三人だけで話を進めて、じゃあ他に誰もいないから決まり!みたいなノリで決めて良いようなものでもなさそうですし。今後も延々とこの話題が出るのでしょうかね。--コンスタンティノープルからの使者会話2012年3月6日 (火) 16:22 (UTC)

寝た子を起こすのが好きな方がどなたかはしりませんが、参考文献等を見るかぎりでは疑問に思うのは当然でしょう。ビザンツ系の名前が用いるケースが多いにもかかわらずわざわざ東ローマ帝国という文言を使うことが理解できません。そもそも二人で決めているわけではなく、その証拠に改名提案も出しておらず様子を見ている最中です。また、学術的に定義されていないのであれば文献に多く用いられている、もしくは世界的に用いられている文言を用いるべきなのは客観的に考えても至極、当然なことでしょう。ここは日本語版Wikipediaであって日本版Wikipediaではないのですから。どうしても東ローマ帝国がふさわしいといわれるのでしたらそれなりの資料をバックボーンにした発言をお願いいたします。--Hideokun会話2012年3月12日 (月) 18:36 (UTC)
項目名についての過去の議論を確認したいのですが、下記2件の他にございますでしょうか?
「今更何を…」と思われるかもしれませんが、私も「何で東ローマ帝国なの?」と疑問に思うものの一人でして、過去の議論から論拠を確認させていただければと思いまして。よろしくお願いいたします。--ぽん吉会話2012年3月7日 (水) 01:10 (UTC)
Hideokunさんとぽん吉さんは資料を元にして発言しておいでなわけですが、コンスタンティノープルからの使者さんはいかがお考えなのでしょうか。そもそも少なくとも二人三人が勝手に話を進めて…という話にはなっていないのですから、「寝た子を起こすのは残念」などと、不誠実に取られかねない文言は避けられるようお勧めします。
コンスタンティノープルからの使者さんの「今後も延々とこの話題が出るのでしょうかね。」という御発言についてですが、それは誰もが何時でも編集出来るというjawpの宿命でしょう。固定されている媒体ではないのですから、そういうjawpの本質的性格がイヤなのならば、御自分でウェブサイトを立ち上げた方が合理的です(コンスタンティノープルからの使者さんほどの知識量があれば可能な筈ですし、アクセス数も直ぐに稼げる筈ですよ)。
私としては「どちらでも良い」です。ただ、jawpに蓄積された(プロジェクト名やカテゴリ名まで含めて)膨大な分量の表記を一気に変えるのは大変だなあと思います。かと言って、東ローマ帝国表記をゴリ押しする人物によってコミュニティが疲弊させられる傾向が垣間見えるのも事実でして、それを放置するのもどうかな…、と。--Kinno Angel会話2012年3月12日 (月) 18:57 (UTC)
まずは、確かに感情的だと取られる点があったことについては申し訳ないと思っております。この表記の仕方ですが、この帝国を古代ローマ帝国から連続しているという面を見る「中世ローマ帝国」的な考え方と、古代の法制度等は継承しつつも別の文明である「ビザンツ帝国」とする考え方(前者の方から論じたのが渡辺金一氏、それに反論したのが井上浩一氏)という、学会内での論争も若干含まれてくるので、そこの所の整合性をどう付ける気なのかな、という(ビザンツにするという事は後者に偏ったと見做されるかもしれない)のと、数人が短時間に話をして決めて、また後で他の人が蒸し返して・・・みたいなことがままあるので(この帝国の首都の表記みたいに二転三転したケースもありますし)、そのリスクを冒してまで論争を起こすだけの問題なのかなぁ(jawpの場合、ここでは有りませんが時々単に論争吹っ掛けたいだけじゃないのかという方を見かけます)、ということです。学術的な論拠で合理的な説明がきちんとと付くのであれば改名すること自体には別に異議はありません(私などに言われなくてもここに提案されるような方なら、それなりの数の資料は読み込んでおられるとは思いますが。前回議論が起きた時には、反対意見に対して反論が全く出なかったので改名提案を外しました。)。なお、個人のサイトは1999年から既にありますので、悪しからず。自分の手元にある書籍を無駄にしないためにも、仰る通りもう一回個人のサイトをきっちりやった方が良いのかもしれませんね。--コンスタンティノープルからの使者会話2012年3月20日 (火) 03:38 (UTC)
他の方々の意見を頂いた上でお話したいと思いますので少しだけ。必ずしもどちらかに固定したいということでもないのです。この節の冒頭で私が書いておりますが、どちらがふさわしいのか、それとも同格なのか、様々な記事内に書かれている文言をわざわざ統一する必要があるのかどうかという点にも注目していただければと思います。また、逆にこれまでキチンと議論されていないのであれば、この場である程度の議論を重ねて今後、そのような事例が発生しないように布石を打つというのもいいのではないかと思っております。出先ですので取り急ぎ。--Hideokun会話2012年3月22日 (木) 15:59 (UTC)

上で挙がっているユーザーと同一人物なのかどうか知らないけど、参考文献内の表記や記事の主題を無視して機械的にビザンツから東ローマへの書き換えを現在進行形で行い続けている可変IP([3][4][5][6][7])がいるんだけどなんとかならないのかなあ。--オオミズナギドリ会話2015年6月7日 (日) 12:55 (UTC)

こんばんは、はじめまして。上記のIPはWikipedia:進行中の荒らし行為/長期/イーアクセス可変と同一人物と思われます。私の方で過去に対応しておりましたが、今や半隠居状態ですので私が手を入れたギリシャ史関係のみは対応を行っていますが、その他の記事については私はあえて手を入れていません。場合によってはこの記事の題名を変更することで根拠をなくすことも考えるべきなのかもしれません。とりあえずお伝えいたします。--Hideokun会話2015年6月7日 (日) 13:09 (UTC)

外部リンク修正

[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

東ローマ帝国」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月7日 (土) 14:07 (UTC)

この記事の名称について

[編集]

過去に議論しましたし、寝た子を起す気もないのですが残念ながら寝た子を起そうとする方が居られますのでその方が収まらない以上、改名を見当します。ただ、これは現段階ではまだ提案ではありません。ある荒らし行為を行う方のために作業を行わざるを得ない状況に陥りつつあるということをここに明記しておくことが目的です。--Hideokun会話2019年8月29日 (木) 11:37 (UTC)

報告 関連して{{ギリシャの歴史}}を保護しました。表記について合意が形成されましたら解除を依頼してください。--柒月例祭会話2019年8月31日 (土) 14:39 (UTC)

ご連絡ありがとうございます。こちらとしては散々呼び掛けましたのでお相手の反応を待つことといたします。--Hideokun会話2019年9月2日 (月) 05:40 (UTC)
最近出版された東ローマ関係の書籍で東ローマと名前がついた書籍がないようです。ですのでこの記事をビザンツと変更するエビデンスが得られていると考えられます。記事名の変更について時機が来たら提議しようと思います。反対意見がありましたら『最近の文献を以て』ご意見いただきますようお願い申し上げます。--Hideokun会話2019年10月12日 (土) 11:24 (UTC)

「中世ローマ帝国」の名称

[編集]

「中世ローマ帝国」の名称が岩波新書に採用され充分に一般的になったはずとのことですが、渡辺金一氏の著作は1980年という昔の話であり、その後に追随するものがほぼ皆無である以上は全く定着しないまま消えた名称であると思われます。 また岩波においても「中世ローマ帝国」を冠するタイトルは渡辺金一氏以降40年近く出ておらず、一方で井上浩一氏の「ビザンツ帝国」が2019年に出版されています。
教科書においても東ローマまたはビザンツの名称であり、中世ローマ帝国の名称は登場しません。そのため中世ローマ帝国の名は全く普及しておらずwikipediaの記載には不要だと考えます。
もし「中世ローマ帝国」の項を残すのであれば、この名称が十分に一般に普及しているというエビデンスを頂けないでしょうか。--180.15.63.99 2019年9月10日 (火) 05:26 (UTC)

1月経ってエビデンスの提示を頂けなかったので、一旦削除します。記載を復帰させたい場合は、本文を編集する前にまずはノートでエビデンスを提示ください。--114.159.15.203 2019年10月9日 (水) 15:04 (UTC)
(この件について初めて発言する者です。過去ログでのやりとりについては把握していません)2018年にビザンツ研究者の大月康弘氏が「中世ローマ帝国の社会経済システム : 再分配国家と市場の役割 (経済研究所創設30周年記念号) 」という論文を発表しており、また中世ドイツ研究者の三佐川亮宏氏も2013年の著書のあとがきで「中世ローマ帝国」(ただし彼の場合神聖ローマ帝国を意味している)を利用していることがわかりました。この用語は一般には普及しているとは言えませんが、現在第一線の学者の中で例外的とはいえ用いている人がいるため、脚注にて「中世ローマ帝国」の用例を紹介する記載を追加しました。項目を立てる必要などはまったくないと思いますが、この記事がビザンツ帝国に関する用語事典であり、実際に近年の論文のタイトルに用いてしまう現役のビザンツ学者がいる以上、「中世ローマ帝国」の用例に関する位置づけ的な案内は、用語事典である以上必要であると考え、脚注という形で追記させていただきました。問題ないかと思いますが、ご意見があればご指摘ください。--German Romanist会話2020年3月1日 (日) 13:30 (UTC)
同意です。一般に使用されていない「中世ローマ帝国」の項目は本文内には立てるべきではないと思いますが、脚注で触れるだけなら問題ないかと。--2400:4050:B260:8D00:244A:7CB9:AA8A:6E7A 2020年3月14日 (土) 16:24 (UTC)