ノート:東洋工業サッカー部
1991-1992シーズンの監督
[編集]ビル・フォルケス監督の在籍年はウィキペディア英語版などで確認すると1988-1991年の4年間。またスチュワート・バクスター監督はヴィッセル神戸オフィシャルより1992年8月~となっている。 よって、両者2人の間であるJSL最終年1991-1992シーズンの監督が記載されていないのだが、ご存知の方いらっしゃいますか?--218.40.20.177 2007年10月6日 (土) 23:07 (UTC)
「1991-1992JSLイヤーブック」(日本サッカーリーグ発行)によれば、'91/92のマツダSCには監督として掲載された者はありませんでした。ただし、今西和男が部長兼総監督として掲載されており、後に刊行された「日本サッカーリーグ全史」(日本サッカーリーグ発行)でもJSL全監督全成績の今西和男の欄に91/92シーズンの成績が合算されています。
なお、「1991-1992JSLイヤーブック」には以下のような記述もあるので、ビル・フォルケスが監督として正式にリーグ登録されているかどうかの確認は必要です。(前年度のイヤーブック等で確認が出来るでしょう) 以下、「1991-1992JSLイヤーブック」より
- JSL1部全12チームの横顔(p63)マツダより、HISTORY欄[監督]
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- 1938山崎芳樹
- 1947山崎芳樹
- 1951小畑実
- 1964下村幸男
- 1972大橋謙三
- 1976松本育夫
- 1977小城得達
- 1981二村昭雄
- 1984今西和男
- 1987ハンス・オフト
- 1988今西和男(1988年今西和男就任までの記載。なお、1982年に副部長兼総監督就任)
- 同(p65)より、ONE POINT欄
- 「ビル前コーチの助力で〜」等、前監督ではなく前コーチとある
- JSL2部90/91総評(p125)より
- 「マツダ・今西和男監督」、今西和男監督とある
ビル・フォルケスが実質的な監督の地位にあったとも考えられるが、念のため確認した方がよいでしょう。 220.216.108.74 2007年10月7日 (日) 15:12 (UTC)
- 森保一の自伝「ぽいち」(森保/西岡明彦著)より、第3章中ごろ(p.67)森保JSL2部デビュー戦(1989年)のくだりで
- 「当時の監督は、かつてマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)の中心選手として活躍した経験もあるビル・フォルケスと言うイギリス人だった。」
- というのがあり、おそらく名目上は今西氏が監督、フォルケス氏が実質的な監督と思われます。
- 追記--天皇杯での記録はあるんでしょうかね?--218.40.20.130 2007年10月15日 (月) 11:51 (UTC)
- その前のJSL2部時代(1984年-1987年)も、監督・コーチ経験の無かった今西氏が名目上の監督、コーチに招聘したハンス・オフト氏が実質的な監督だったようですし、JSL2部に外国人監督を起用してはいけない暗黙の了解でもあったのでは?--218.40.21.227 2007年11月1日 (木) 17:21 (UTC)
2012年12月11日 版の編集について
[編集]2012年12月11日 (火) 04:45版の編集ですが以下のことを行いました
- 出典の選別および編集時点での外部リンク切れの削除
- 広島サッカーに関する部分の校正
- 諸元を追加し、概要をシンプルに
特に広島サッカーに関する部分は東洋工業とは直接関係ない部分にまで及んでいたため削除しました。個人的な意見ですが、広島のサッカーとか別に新しく作って書くべきかと思います。--M9106TB(会話) 2012年12月11日 (火) 04:50 (UTC)