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ノート:極左

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出典

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デモと極左について触れられている。

まだあるが、とりあえずこれくらいで。--shikine 2007年6月10日 (日) 02:55 (UTC)[返信]

「近年では、プロパガンダ活動の拠点をインターネットの掲示板や市民参加型のニュースサイト、ブログに見出しつつある。」なんてどこに書いてある?--Drawer 2007年6月10日 (日) 03:02 (UTC)[返信]
では、その部分は出典がみつかるまで一時保留とします。--shikine 2007年6月10日 (日) 03:08 (UTC)[返信]
平成18年版『警察白書』第一章・・「よど号」グループとインターネットについて触れられている(http://www.npa.go.jp/hakusyo/h18/honbun/hakusho/h18/index.html)。--shikine 2007年6月10日 (日) 06:28 (UTC)[返信]
見つかりませんが。具体的に示すようにしてください。--Drawer 2007年6月11日 (月) 14:13 (UTC)[返信]
第一章第一節(4)-[2]-ア --shikine 2007年6月11日 (月) 22:56 (UTC)[返信]
この記事は長期間出典が示されず放置されているようです。Wikipediaの三つの方針Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないに沿わない記載については、ノートに挙げて議論して削除していきたいと思います。--Zakinco 2010年4月15日 (木) 12:44 (UTC)[返信]

POVテンプレをはりました

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極左左翼の性質を備えているため、うまく書かないと左翼の行動特色をまとめて極左と呼んでしまう現象がおきますが、極左と暴力が結びつけられていることもあり、この現象を放置するのはかなりまずい POV です。今の本文ですと、サミット抗議集会を開くのはみんな極左になってしまうのですが、それはさすがにおかしい話で、上に出ているAFP電の例だと、数万人の参加者のうち極左グループは数百人とされています。この部分だけではなくて、文章全体がPOVっぽいので、文章の再構成をしたほうがいいような気がします。--崎山伸夫 2007年7月1日 (日) 21:20 (UTC)[返信]

どこをどう読めば「サミット抗議集会を開くのはみんな極左になってしまう」のかまったくもって理解に苦しむところですが、その部分が気になるのなら「サミット抗議集会に集まるのは極左だけではない」といった補足ぐらいで済むかと思われる。いずれにしても微々たる表現の差であり、(いわゆる)市民団体や左翼にとって都合の悪い事実が淡々と書かれているに過ぎない。--shikine 2007年7月1日 (日) 22:40 (UTC)[返信]
いや、都合のいい、悪い、といった話ではなくて、単にうまく書き切れていないので、私も考えますが、積極的に編集している方なのでちょっと考えてほしいと思いまして。「極左」が政策転換をして、され、それはどこまで「左翼」の範囲なのだろうか、というのが問題です。あるいは、暴力行為が事実として行われなくなって長くなったとき、それをいつまで極左と認識すべきか、という問題もあります。微妙な具体例をだします。ブントというのがありますね。昔は戦旗日向派でしたから、その当時は確実に「極左」です。項目のところにあるように、1997年に「共産主義と武装闘争路線は放棄し」たというものの、その数ヶ月後と2000年に元構成員一人に対して集団暴行事件を起こしています。このころまでは、暴力的な体質を実際には保持していた客観的な事実は確認できます。さて、2007年ですが、神奈川県警公安3課はブントの構成員を逮捕していますが、勾留状では、公安警察がブントを極左暴力集団といまだみなしている、という事実は見て取れます[1][2]。一方、ここ数年はブントによる顕著な暴力事件というのは、とりあえず聞かないです。また、ブントがいまだ左翼と呼べるかというと、これまたかなり微妙で、長らくブントの代表にあった荒岱介が社長をつとめる出版社からは理戦 というブントの理論誌(以前は「理論戦線」)が長らく刊行されてきているのですが、ざっとそこのバックナンバーをみても、最近の寄稿者は全くもって左翼ではない人々が少なくない(小倉秀夫佐伯啓思西部邁加藤朗といった面々まで書いている)という状況があり、公安が彼らを極左と呼ぶのはそれはそれとして、ブントが客観的に極左とか左翼とかかというと、そうとも言えない状況になっていたりします(これは、彼らの思想信条や過去の行動を肯定したり、あるいは過去の暴力を忘れて監視しなくていいということを主張したりしているわけではないことに注意)。しかし、現状の解説文は、ここで述べたような難しさを表現できていなくて、単に公安が極左と呼ぶから極左だと定義しているような文章になってしまっているのではないか、というのが、私の問題意識です。--崎山伸夫 2007年7月2日 (月) 07:37 (UTC)人名追加--崎山伸夫 2007年7月2日 (月) 07:43 (UTC)[返信]

全体を整理しました

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報告 報告が遅れましたが、 (1)右翼左翼などの定義は時代によっても変わる (2)特定の思想や人物を「極右、右翼、左翼、極左」などと断定するのは不毛(中立的でない) (3)各国語版と同様に概念の説明を中心にして特定の思想・団体・人物は代表例の簡潔な記述にする、などを目的に、全体を整理して修正しました。具体的にはen:Far leftの21:44, 15 April 2010 を参考に、構成や表記を極右とも揃え、「しばしば思想内容よりも、行動上の過激主義者や過激派を示す用語としても使われる。また「極右(極左)」はあくまで相対的な用語であり、自称する例は少なく、レッテル張りに使われる場合も多い。」と追記し、極右との共通点の話は簡潔な記述として、詳細は習合思想などを参照としました。--Rabit gti 2010年5月9日 (日) 13:26 (UTC)[返信]

コメントRabit gtiさん、大幅な修正ありがとうございます。レッテル貼りに終始している前の版[3]に比べて中立的で用語について大変理解しやすくなったと思います。--Zakinco 2010年5月9日 (日) 15:46 (UTC)[返信]

Miki08さんによる一連の編集

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Miki08さんによる一連の編集([4][5][6][7])は、それぞれ取消済ですが、いずれも本来の記述の意味を理解しないままの、特定の思想的立場からの修正です。例えば、「右翼、左翼」はそもそも相対的な呼称で、主に政治的側面と経済的側面を基準にした呼称があり、政治的側面での「極左」には(政治的な自由・平等を最大化する)急進的な無政府主義の潮流も多数あり、「極左」とは思想面または行動面が「極端」なのであり単純に「暴力革命主義者が極左」とは限らない(記述では定量的・定性的の部分にも関連)、例は後半(最後の節)に簡単にまとめる、などの英語版をベースにした現在の記述に対して、Miki08さんは(いわば日本共産党的な初歩的な観点だけからと思われる)修正を続けています。同様の編集は昨年から続いており、私はノート:社会主義ノート:ファシズム利用者‐会話:Miki08などで議論を続けていますが、指摘すると別の記事の編集を始めてしまいます。しかしWikipediaでは、特定の思想の演説台や、レッテル張りを行う場ではなく、中立的に記載すべきです。また、単に自分が理解が無い用語だからと勝手に削除するのは避けてください。--Rabit gti 2010年5月9日 (日) 13:52 (UTC)[返信]


  • (1)アナキズム各派の羅列を合意なく削除したのは、やりすぎだったかと今では思っています。
(2)私は、「極端に左翼的な思想、人物、党派、勢力を指す。」という現行の定義を基本としつつ、「ただし、「極左」の用語は、しばしば思想内容よりも、行動上の過激主義者や過激派を示す用語としても使われる。」と補足しました。「日本において」という言葉を追加すれば、世界的観点で見ても問題ありません。私は定義を補足・併記したのであり、「極左を暴力革命主義者に限った」、「特定の思想の演説だ」というのは誤解です。
(3)提案ですが、「概要」節の共産主義とアナキズムに関する記述を、フランス語版の記事を参考にして、以下のように書き直すのはいかがでしょうか?
一般に極左とされているもの
(4)提案の説明
何を極左(極端な左翼)と呼ぶかは国や政治状況によって異なります。ウィキペディア英語版の Far left の記事には以下の記述があります。
「フランス共産党は極左とみなされていない。Serge Cosseron著『極左の辞典』は '極左' を '共産党の左に位置しているすべての運動' と定義している。」
また、日本共産党も一般に極左とは見られていません。「極左は共産主義とアナキズム。」と固定的に記述するより、「一部の」と記述したほうが正確で中立的です。また、私の提案は、共産主義、アナキズムはすべて極左と考える方でも同意可能と思います。--Miki08 2010年5月12日 (水) 08:04 (UTC)[返信]


コメント (1)「やりすぎ」かどうかではなく、中立的な編集ではありません。(2)前述のMiki08さんによる一連の編集([8][9][10][11])は、「極左」の思想的な説明を大幅に削除し、備考にすぎない「行動上の過激主義者や過激派を示す用語としても使われる」を「概要」から冒頭に移動し、「関連項目」から左翼全般の項目を複数削除し、代わりに「過激派」や日本共産党の独自用語である「ニセ「左翼」暴力集団」を追加し、更に無政府主義の説明を大幅削除しています。結果として「極左という概念の説明、何を極左というかは視点による」との記述から、「極左とは通常、単なる暴力集団で、日本共産党は含まない」といった特定の政治的立場の記述への改悪になっています。なお同時期の「右翼思想・左翼思想」へのMiki08さんによる編集では、「共産主義」を「暴力的な共産主義 = 極左」と「合法的な共産主義 = 左翼」に書き換えましたが、これも思想内容を無視したレッテル張りです。そもそも合法か非合法かで極左とは呼びません。日本共産党も戦前は非合法で、戦後も山村工作隊など武装闘争をしていた時期もあります。更に同時期の「極右」へのMiki08さんの編集も同様で、「例」にも書かれているネオナチをわざわざ冒頭に追加しています。これは例示の追加・削除など編集合戦を招き易い記述です。以前より利用者‐会話:Miki08でも再三指摘していますが、これらは全て中立的ではない編集です。思想的・学術的よりも、通俗的・政治的で、レッテル張りにより編集合戦を招きます。(3)中立的な記述としてレッテル張りや編集合戦を最小限にするためにも、冒頭や概要では概念の説明とし、例示は後半の例にまとめるべきです。(4)「一部の」や「日本では」は、単に特定を曖昧にして通俗的なレッテル張りを掲載するだけです。「何故全部ではないか」「他国では違うのか」との説明にもなりません。相対的な用語との説明を主に、後半に例示すべきと思います。「日本共産党は極左か、極左でないか」を記載する記事では無いし、日本共産党が火炎瓶闘争をしていた時代もあります。(5)Miki08さんの要約欄での指摘の原因は「定性的・定量的が判りにくい」「無政府主義の各潮流は知名度が低い」「共産主義を極左と呼ぶかは色々な視点次第」であり、それぞれ平易な記述にすれば良いため、別途修正予定です。--Rabit gti 2010年5月15日 (土) 09:46 (UTC)[返信]

報告上記の修正を反映しました。そもそも「共産主義は極左か、共産主義の一部が極左か」という皮相的な話以前に、「社会主義と共産主義」の呼び分けに複数立場がある(当初はほぼ同義であったが、19世紀末より革命など急進的な社会主義を共産主義と呼ぶ用例が増加した)ので、何をどう呼ぶかは複数立場がある事を明確にしました。また思想上の急進主義(極左)と、行動上の過激主義(過激派)は本来異なるため、それも明記しました。例えば、私有財産や貨幣や国家の即時廃止の主張は急進思想ですが、言論だけならば過激派とは言えません。社会福祉や主要産業の一部国有化程度ならば穏健思想ですが、反対者への暴力を行えば過激派となりますが、しかし極左とは言えません。なお日本共産党ですら、「ニセ「左翼」暴力集団」と、内ゲバを否定する第四インターなどへの「ニセ「左翼」集団」を使い分けてもおり、「極左 = 暴力左翼」との用法ではありません。基本的には思想と行動は別物です。--Rabit gti 2010年5月15日 (土) 15:26 (UTC) 表現を一部更新しました。--Rabit gti 2010年5月16日 (日) 05:22 (UTC)[返信]
国語辞典の記述から、「極左」の本来の意味は「極端な左翼思想」ということが確認できましたので、定義の補足(「しばしば過激派を指す」)は取り下げます。--Miki08 2010年5月17日 (月) 12:15 (UTC)[返信]

関連項目について

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報告 Miki08さんが編集で「革新」などの項目を削除したため、取消しました。現在の各記事の既述では、左翼は「革新」、右翼は「保守」なので、当「極左」から「革新」を削除するのは不適当です。また一般に極左とされる新左翼の一部は、旧国鉄の動労や動労千葉を含め、日本の労働運動にも多々関連しています(良し悪しや好き嫌いは別として)。--Rabit gti 2010年5月16日 (日) 13:31 (UTC)[返信]

コメント 「革新」はおもに日本社会党、日本共産党について使われてきた言葉です。Wikipedia:関連項目から引用します。
関連項目は、語彙が類似しているだけの項目や、多少の関連性が有るに留まる項目を紹介する一覧表ではありません。本来、内部リンクは本文記事内の文中に包括されるのが理想的であり、「関連項目」のセクションに挙げられる項目は深い関連がありながら本文に組み込むことが困難な項目に限られるべきです。例外として、内部リンクに存在していてもその記事を理解する上で特に重要な項目は許容されます。「関連項目」のセクションは短く、必要最小限であるべきです。
したがって、極左の関連項目から、「革新」、「日本の労働運動史」、「平和主義」、「国際主義」を削除したのは適切です。--Miki08 2010年5月16日 (日) 15:15 (UTC)[返信]

コメント (a)歴史的順序やWikipediaの世界的視点の観点からは、逆です。「革新とは日本社会党や日本共産党などの総称」ではなく、「(フランス革命後に)左翼(革新)と呼ばれる勢力が顕在化し、日本の戦後の主な革新政党と呼ばれる政党では、日本社会党(社民党)や日本共産党、社会民主連合日本労働党新左翼諸派などがある」です。単に「革新」と言えば「保守」の対比語であり、「極左」も含まれ、政党に限りません。当記事は「日本の戦後の革新政党」ではないため、「極左」の概念を中心に説明し、後半に簡単に例示しています。(何でも特定政党の視点から断定するのはやめましょう。)(b)関連項目を最低限にするのは賛成です。私も全部残すべきとは思っていません。しかし「左翼」の意味が「革新」であり、「極左」が「極端な左翼」ならば、「革新」はWikipediaガイドの「その記事を理解する上で特に重要な項目」でしょう。なおマルクス・レーニン主義の「国際主義」も、究極的には国家廃止論(またはコミンテルン支配)であり、多くの保守派から見て「極端な左翼思想」の重要なポイントです。--Rabit gti 2010年5月17日 (月) 13:33 (UTC)[返信]

中立的でない修正を取り消しました

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Miki08さんの中立的でない編集を取り消しました。常習犯のため、詳細は利用者‐会話:Miki08#政党政治、極右、極左の記事の編集に記載しました。--Rabit gti 2010年6月9日 (水) 02:29 (UTC)[返信]

コメント 残念ながら「意見の違いによる印象操作」ではなく、Miki08さんがWikipedia:中立的な観点に反する編集(特定の思想の美化、敵対する思想や人物へのレッテル張りや参照削除、複数立場の単純併記への執拗な反対、自分が要求する既述にできなければ中立的では無いとの主張など)を数ヶ月も続けている事実を、迷惑行為の常習犯と記載しています。(実際のところ、意見自体は大差ありません。Miki08さんがWikipedia:中立的な観点を独善的に解釈する事が問題です。)詳細は利用者‐会話:Miki08#政党政治、極右、極左の記事の編集に追記しました。--Rabit gti 2010年6月13日 (日) 04:02 (UTC)[返信]

上記の非難の具体的検証は、利用者‐会話:Miki08でおこないたいと思います。--Miki08 2010年6月15日 (火) 10:49 (UTC)[返信]

日本共産党のみを過度に弁護する編集を取り消しました

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Miki08さんによる上記編集[12]を取り消しました。ここは「極左#代表例」で、代表例を簡単に列挙している節なので、極左と言える行為とそれを「極左」と認めた記載があればよく、「「一切の極左冒険主義とは、きっぱり、手を切ること」を表明した」など日本共産党の釈明やその後の決意表明を書く場所ではありません。毎回「読者が誤解しないための編集なので、正しい」などと弁解していますが、日本共産党への過度な弁護が多すぎて、他の記載と比較しても中立的ではない偏向編集であり、迷惑行為ですのでやめてください。当記事でも他記事でも常習者のため、利用者‐会話:Miki08にも記載しました。 --Rabit gti 2010年11月22日 (月) 12:17 (UTC)[返信]

(1) 元の記述の出典について
『日本共産党の八十年 1922~2002』には、六全協について、「誤った方針をもちこんだ当事者たちが、自分たちの活動の失敗をみとめ、なしくずしの方向転換をはかろうとした」(122ページ)と書かれています。「六全協で『極左冒険主義』と批判された。」という記述には出典が示されておらず、検証できなかったため、出典つきの記述に書き換えました。
(2) 私の編集内容について
私がおこなった加筆 (「所感派」は)「国民の支持をうしない、1955年1月に『一切の極左冒険主義とは、きっぱり、手を切ること』を表明した。」 については、引用をやめてもっと簡潔に記述すればよかったかと思います。
(3) 「書く場所でない」について
「第一次世界大戦後のドイツの共産主義勢力」には、付加的な説明(「後にファシズムと連帯して社会民主党を攻撃した」)が記述されています。同様に、日本共産党の「所感派」について、「国民の支持をうしない、1955年に武装闘争路線を放棄した」程度の説明があってもなんら問題ないと思います。
(4) Rabit gtiさんの非難について
極左冒険主義とはきっぱり手を切るという表明を、「釈明やその後の決意表明」とよぶのは、私が偏っていると印象づけるための歪曲した言い方だと思います。また、「偏向編集であり、迷惑行為」、「日本共産党のみを過度に弁護する」などの非難は、攻撃的で過剰な言い方だと思います。--Miki08 2010年11月25日 (木) 09:53 (UTC)[返信]
コメント 話がかみあっていないようです。(1)「日本共産党が極左冒険主義を自己批判した」との表現は一般的です 警察庁私の戦後史と日本共産党論日本の労働組合100年。出典は必要とはいえ、検索すれば誰でも発見できる常識的内容です。日本共産党内部では「従来の主流派を批判」でも、外部から見れば「自己批判」なのも常識です。(2)私は11月22日に同じ事を書いています。同意見ならば反論は不要でしょう。(3)ドイツの場合は「極左と呼ばれた背景」(ナチスと連帯して左翼穏健派も攻撃した)の説明です。しかしMiki08さんが追加した「きっぱり手を切る」などは、日本共産党の方針転換後の弁明または今後への決意表明で、主流派の地位を奪取した国際派 (日本共産党)の立場の一方的な記載で、妥当とも思えません。ジャコバンも、文化大革命も、クメールルージュも、全て「極左とされた事実」だけの簡潔な記載であり、「後にどうなったか、支持を失ったか、その後は改心したか」などは全く記載していません。それは各記事で書くべきです。日本共産党だけに後日談を書くのでは、偏っています。冷静に読み比べてください。(4)今回の(3)のように、マルクス主義と日本共産党を異常に弁護する(他の記載とのバランスを無視した過剰弁護が多すぎる)、他思想へのレッテル張りや削除や削除提案を繰り返すという、偏向編集という迷惑行為を続けている事は、残念ながら事実で、利用者‐会話:Miki08にも多数記載済です(程度は改善していると思いますが、根本的に Wikipedia:中立的な観点 の趣旨を理解していない。ウィキペディアでは「民主主義や平和は良い、独裁や侵略は悪い」などの偏向既述もしてはいけません)。--Rabit gti 2010年11月25日 (木) 14:46 (UTC)[返信]
(1) 所感派が「軍事方針について」を採択したのが1951年、ピークは1951年末から1952年7月にかけて、「一切の極左冒険主義とは、きっぱり、手を切ること」を表明したのが1955年1月1日付の「アカハタ」なので、極左方針の期間を「1951年から1954年まで」に修正します。「1950年から1955年」というのは、所感派や国際派に分裂していた期間でした。
(2) 他の例と同様に、「1951年から1954年までの日本共産党所感派」とすることを提案します。詳細はリンク先を参照すればよいことです。--Miki08 2010年12月9日 (木) 14:45 (UTC)[返信]
本文の期間を訂正しました。--Miki08 2010年12月10日 (金) 00:29 (UTC)[返信]
異論がなかったので、他の例と同様に、「1951年から1954年までの日本共産党所感派」に変更しました。--Miki08 2010年12月24日 (金) 13:59 (UTC)[返信]
上記では「他の例と同様」とは言えないため、他の例と同様に簡潔に「1951年から1954年までの日本共産党」と修正しました[13]。なお、「当時の主流派である所感派が主導した日本共産党」などの表現も考えられますが、「主流派が主導」なのは他の例も全て同じで記述する意味が無く、「それに反対した非主流派の存在」や「その後の経緯」や「現在の執行部は当時をどうみなしている」などは、詳細はリンク先を参照すればよいことです。なお、日本共産党#1950年問題(分裂、武装闘争方針)にも出典付で記載のように、武装路線を主導したのは所感派ですが、宮本らも1951年10月に国際派を解散して自己批判して復党し、武装路線の5全協(51年綱領)はその後に正式採択されています。少なくとも1951年10月以降は「旧所感派だけが勝手に行った」形ではありません。--Rabit gti 2010年12月26日 (日) 17:30 (UTC)[返信]
今はその記述を受け入れます。復党後について参考までに引用します。
「この時期」(1952年から1954年までの3年間)「は、もとの所感派、五全協の中央部がいっさいを指導していた。」「宮本はのちに自ら書いているように、「当時、党籍はあったが、党のどの組織にも属していないという、普通ならばあり得ない状態におかれていた」そうである。」(亀山幸三 『戦後日本共産党の二重帳簿』 現代評論社)--Miki08 2010年12月27日 (月) 08:53 (UTC)[返信]
コメント 一応了解です。なお、当時(1952-1954年)、旧所感派が地下組織化して独断的な運営をし、他の除名なども繰り返していた事は多くの出典で一致しており、私も同認識です。私は元々、所感派と国際派のどちらが「正しい」などとは書いていません。当時は朝鮮戦争中で、実質参戦中のスターリンや毛沢東が国連軍側の補給基地である日本で、日本共産党の壊滅より、当面の社会混乱を優先しても不思議はありません(スターリンはナチス占領下のフランスの共産党員にも似た事を指示している。)また当時の大多数の共産主義者がスターリンや毛沢東の権威には勝てなかった事、従って宮本一派が所感派に内心反対でも形上の自己批判と復党はやむをえなかったとも思います。ただしそれは「クーデター」にせよ政党内部の責任問題であり、「複数の日本共産党が並存した」とは言えず。また宮本が「普通ならばあり得ない状態」と書いたのは自分の責任回避でもあります。例えば「日本の対米英開戦は、軍国主義者が平和主義者を一方的に弾圧して強行したことなので、分裂した片方の日本が行った事であり、戦後の再統一後の日本とは全く無関係で何の責任もない」などとは通常言えません。しかし多くの政党や執行部は、責任回避や都合の悪い歴史の隠蔽をしがちなのも、また事実です。ウィキペディアでは、基本は事実を客観的に書く必要があります。--Rabit gti 2010年12月27日 (月) 15:12 (UTC)[返信]


「極右との共通点」節の記述について

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共通点だけを並べて、対立関係に一切触れないのは偏っているので、正確な記述にしてバランスをとりました。
(修正前) 「ムッソリーニファシズムは愛国主義的な社会主義の出身であり、」
(修正後) 「ムッソリーニは社会党の出身であり(参戦を主張し除名された)、」
(修正前) 「ナチス社会主義政策を含む国家社会主義を掲げており、」
(修正後) 「ナチス社会主義に対抗して社会主義に似た政策を含む国家社会主義を掲げ、」--Miki08 2010年12月10日 (金) 01:41 (UTC)[返信]
コメント 上記の改悪を取り消しました。この節は「共通点」なので共通点(のみ)を簡潔に客観的に列挙すべきで、その背景や動機などの詳細はリンク先の各記事に記載すべきですし、既に記載済です。また修正後では、ムッソリーニでは「共通点」にならないので意味が通じず、ナチスでは「対抗して」と動機を断定していますが、ファシズムやナチズムの思想的源流は社会主義である黄色社会主義ヘンリー・ハインドマンサンディカリスムなどにも見られており、それもリンク先の各記事に記載済なので、この記事で断定するのは不適切で中立的ではありませんMiki08さんは多くの記事で日本共産党に偏向した編集を行っては、反論があると議論を放置しては別の記事を偏向編集し続けていますが、ウィキペディアではWikipedia:中立的な観点が、「絶対的で交渉の余地のないもの」とされています。--Rabit gti 2010年12月11日 (土) 02:38 (UTC)[返信]
報告 中立的でない編集の常習者のため、利用者‐会話:Miki08#中立的でない多数の編集はやめてくださいにも注意を記載しました。--Rabit gti 2010年12月11日 (土) 03:06 (UTC)[返信]
(回答) (1) 極左と極右の共通点だけを多数並べ、ファシズムと左翼が激しく対立したことについては一切記述するな、というほうが中立的でありません。極左と極右の共通点を記述する場合も、記述は正確に、読者に誤解を与えないようにおこなうべきです。「リンク先を読めば分かるから一面的な記述を羅列しても構わない」ということにはなりません。
(2) 「ナチスは社会主義に対抗する立場から 社会主義に似た政策を含む国家社会主義を掲げ、」のほうがよかったかもしれません。
(3) Rabit gtiさんの私に対する「偏向編集」などの非難の多くは、一方的な決めつけです。ウィキペディアは戦場ではありませんなどもご覧下さい。--Miki08 2010年12月13日 (月) 06:16 (UTC)[返信]
コメント (1)相手の発言を読んでください。極右極左も記事全体が相互の特徴と相違点の記述で、その中で「共通点」は逆に共通点を簡潔に列挙している節です。「共通点の節の中も、相違点と共通点と両方書かないと中立的ではない」との主張は、記事全体を全く見ていません。実際、上述のようにMiki08さんの修正後では、記事として意味が通じません。(2)「立場から」の方が少しはましですが、あくまで(1)と同様に、共通点を書く節なので共通点を客観的に簡潔に書くべきです。(3)Miki08さんは、過去のノート等で、右翼は「暴力的」、社会主義は「平和な思想」、「共産党までが左翼、共産党は極左ではない」、「民社党は右」、「ならず者集団に近い極左/極右もありえる」などの、特定の時代・地域の固定観念やレッテル貼りを多数繰り返していますが、そもそも右翼左翼極右極左などは、特定団体を表す用語ではなく、相対的な「呼称」で、その内容も対象も変化しています。ウィキペディアでは、そのような意味・歴史・例を客観的に列挙すべきです。繰り返しますが、Wikipedia:中立的な観点は絶対的なガイドで、独自研究な解釈や、他のガイドによる否定はできません。--Rabit gti 2010年12月14日 (火) 13:11 (UTC)[返信]
(1)(2) 「極右との共通点」について
ムッソリーニが一時期所属した社会党は極左ではありません。ナチスが掲げた一見社会主義的な政策も極左的とは言われていません。北一輝の「純正社会主義」も極左とは言われていません。以上の三つについて、極左だとする信頼できる出典はありますでしょうか? 出典を示せないようでしたら、記述を削除したいと思います。
(3) ノートページでの発言について
中立的な観点のルールは原則的にはノートページに適用されません。「ノートページでの慣習的な決まり」には以下のように書かれています。
「検証可能性、独自研究は載せない、中立的な観点といった記事内容や記事のスタイルに関するルールは原則的にはノートページに適用されません。ただし、ノートページにおいて推測や提案・個人的に知っている事柄を提供するといったことはあくまでその後記事に生かすための調査の手がかりとして認められることです。」
ノートページは記事について議論するための場です。言葉じりをとらえ、無関係な場所で攻撃材料に使うのはやめて下さい。--Miki08 2010年12月27日 (月) 08:53 (UTC)[返信]
コメント (1)(2)現在の記述をちゃんと読んでください。「逆に通常は極右と呼ばれるムッソリーニのファシズムは愛国主義的な社会主義の出身であり、ナチスは社会主義政策を含む国家社会主義を掲げており、北一輝は当初は純正社会主義を掲げた。」とあり、極右と社会主義の共通点であり、それぞれ「極左」とは書かれていません。(3)Miki08さんの過去の類似編集の事実の列挙は、残念ながら中立的でない編集の常習者日本共産党マルクス主義への偏向)という事実の説明です。上記(1)(2)も、過去に多くの記事で「右翼と左翼の共通点」を削除して「左翼は右翼と全く違う、社会主義は平和、右翼は暴力」といった趣旨の一連のレッテル張り編集の繰り返しです。ウィキペディアの記事は日本共産党のパンフレットではありません。Miki08さんには数十回以上お願いしていますが、ウィキペディアでは中立的に編集する必要があります。迷惑行為は止めてください。--Rabit gti 2010年12月27日 (月) 15:12 (UTC)[返信]
この記事は「極左」の記事です。極左でないなら、記述を削除させていただきます。スターリンも極左とは言われていないので、同様とします。--Miki08 2010年12月28日 (火) 03:22 (UTC)[返信]
コメント従来の記述は極右と合わせたものですが、編集対応し、スターリンを「極左」や「極右」などと呼ぶ出典を追加し、極左(少なくとも左翼)関連に整理しました [14]そもそも「左翼、右翼、極右、極左などの用語は、団体名ではなく、単に方向性を表す呼称なので、視点や立場により色々使われており、確認もせずに「○○は○○と言われていない」などと安易に言えませんスターリニズムは、自由主義者から見れば社会民主主義などと対比させて「極左」、左翼共産主義から見ればその個人崇拝全体主義排外主義などは「右翼、極右」とも言われています。また「典型的」の意味で「最右翼」という表現もあります。--Rabit gti 2010年12月28日 (火) 14:42 (UTC)[返信]