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利用者‐会話:Miki08/過去ログ1

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共産党の「一党独裁」の削除について

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共産党へのMiki08さんの編集ですが、共産党の一党独裁中国共産党の記事や、一般のマスコミや、共産主義者の間でも従来より広く使われており、理論的にも「独裁」もマルクス・レーニン主義プロレタリア独裁から考えれば非中立的な用語でもありません。当記事以外でも、重要な原則である「下部構造が上部構造を決定する」の「決定」を「相互作用」に変えたり(例外や補足ならば追記すべき。原則理論自体を書き換えると意味不明となる)、日本共産党が非合法で結党した理由を不正確に編集したり(結党時は治安警察法)、「社会主義」の記事なのに「ナチスはファシズムと呼ばれる」との(社会主義の記事内で何故記述する必要性があるのか疑問な)追記を主張し続けたり(私は一時的にせよ合意した事を強く反省しています)、「ビスマルクの社会政策」の表現に「社会主義者を弾圧した」と加えたり、書籍の記事にもかかわらず作者に「右翼の~」と追記したり、レッテル張りと同等な問題編集が多数見られます(仮にレッテル張りでないならば、何故マルクスやレーニンや、その著作の記事には、同等の追記をしないのでしょうか)。編集はWikipedia:中立的な観点行うべきです。迷惑編集は避けるよう、強くお願いします(私は数ヶ月、やむを得ずMiki08さんの編集を履歴から監視・修正し議論し続けていますが、本心からずっと迷惑です)。また失礼ながらファシズムの記事編集での「ムッソリーニはファシスト党や「突撃団」(黒シャツ隊)などを組織し」の記載は本当に驚きました(ファシズムの記事を編集する以上、ムッソリーニは黒シャツ隊、「突撃隊」ならばナチス、というのは基本常識と思います)。共産党関係を含め、ご自分の最低限の知識レベルのある分野・範囲(のみ)で編集をお願いします。--Rabit gti 2010年4月16日 (金) 17:14 (UTC)


Rabit gtiさんへ

  • 「一党独裁制」について
かつてのソ連や現在の北朝鮮は「一党独裁制」と呼ぶのがふさわしいとしても、現在の中国やベトナムは「一党制」ぐらいが社会の実態に合っていると思いました。「一党独裁」という言葉が「特殊な用語」だとか「非中立的な用語」だとか言うつもりはありません。
  • 「突撃団(黒シャツ隊)」について
「突撃団(黒シャツ隊)」は出典にもとづく記述です。出典は以下のとおりです。
「ナチスの「突撃隊」(SA)にあたるのは、イタリアの場合、「突撃団」(squadre)である。」「ムッソリーニの政権掌握への道を実力闘争で切り拓いた「突撃団」(「黒シャツ隊」)は、・・・・」(山口定『ファシズム』、有斐閣、p.62-63)
  • 「マルクス主義の原則を書き換えた」という非難について
Rabit gtiさんが問題にしているのは、「社会主義」の記事の2010年2月10日の編集の、以下の箇所です。
  • 【修正前】 マルクス主義は「下部構造と上部構造論」で「経済の発展段階のみが社会(政治・法律・文化など)を決定し、時代や地域での多少の相違は本筋ではない」とした。(ただし、マルクス主義内部でも構造主義的マルクス主義の重層的決定論をはじめとして、上部構造の下部構造への影響を認める議論も少なからずある)
  • 【修正後】 たとえばエンゲルスは、「政治的、法律的、哲学的、宗教的、文学的、芸術的などの発展は、経済的発展に立脚しています。しかしそれらの発展はまたすべて、相互に反作用し合いますし、経済的土台に反作用します。」と述べている。
私は、エンゲルスの言葉を引用してマルクス主義の説明をより正確なものに修正しただけです。マルクス主義の「原則理論自体を書き換え」たという、Rabit gtiさんの非難は不当です。--Miki08 2010年4月18日 (日) 16:29 (UTC)
  • 「日本共産党が非合法で結党された理由を不正確に編集した」について
治安維持法は1925年からであり、1922年の時点では治安警察法だった点については、私の編集が不正確だったことを認めます。しかし、このような わずかなミスを「問題編集」であるとか、「最低限の知識レベル」がないというRabit gtiさんの批判には同意できません。
  • 「社会主義の記事にナチスに関する追記を主張し続けた」について
私が繰り返した主張は以下のとおりです。
社会主義の「潮流」の章に国家社会主義を記述し、国家社会主義の説明としてナチズムを記述するなら、「ナチスは通常、社会主義とはみなされていない。」と記述する必要がある。
この主張に含まれる説明が、「社会主義の記事内で何故記述する必要性があるのか」という疑問に対する回答です。もっと簡単に言えば、読者の誤解を避けるために追記が必要です。--Miki08 2010年4月19日 (月) 15:36 (UTC)


コメントMiki08さんへ (1)単に「一時点で一党のみが認められている」のではなく、マルクス・レーニン主義に基づき「共産党のみが全権力を認められている」ので、一党独裁が適切です。「社会の実態に合っている」の意味も出典も不明です。現在の中国は(形式的な衛星政党を除き)共産党以外は存在できず、司法・行政・立法の全ては共産党の指導下にあり、党批判や政府批判は実際に刑務所に送られます。これを通常は独裁と呼びます。改革開放は経済面のみです。(2)「突撃団」の出典は判りましたが、書く前に少しでもWikipedia内またはネット検索すれば、明らかにマイナーな表現と瞬時に判る筈ですし、他記事との整合性を少しは考慮すべきです。ファシズム#歴史も、ムッソリーニやファシスト党の記事も「黒シャツ隊」で統一されてリンクも存在するのに、ファシズム#概要で「突撃団」表記が突然登場するのは不適切かつ不親切です。上記の記事を1回も見ずに書いたとしか思えません。また黒シャツ隊はファシスト党(前身を含む)の一部であり、そもそも「ムッソリーニはファシスト党や「突撃団」(黒シャツ隊)などを組織し、」と併記の必要性がありません。仮に「突撃団」との表記を追記したいならば黒シャツ隊の記事に書くべきです。出典さえあれば、何をどう書いても良いとは思いません。以上から「最低限の知識レベルのある分野・範囲(のみ)で編集をお願いします」と言っています。(3)「下部構造」は、私が問題にした修正箇所はその通りですが、修正前後を比較すれば、明白な改悪です。まずは「下部構造は上部構造を決定する(規定する)」との原則(常識)を書き、例外や補足があれば追記すべきです。引用したエンゲルスの箇所だけでは、そもそも「下部構造・上部構造論」が全く伝わらず、何が論点なのかも消滅しており、意味不明です。マルクス主義を良く書きたい目的で、都合の良い引用を探してきては書き換えるのでは修正主義・教条主義であり、事実を書くという百科事典とは異なります。(4)治安警察法治安維持法は、Wikipediaの該当記事を一瞬でも読めば瞬時に判ります。単純ミスは誰にでもありますが、私が3月13日に「治安警察法」に書き戻した後に、3月16日に再び「治安維持法」に修正しており、確認して書いているのか極めて疑問です。また私が問題修正と呼んでいるのは、ミスよりも、(1)(3)(5)を含めた中立性に問題のある多数の編集です。(5)単にMiki08さん主張の個人ルールにすぎません。Wikipedia日本語版の社会主義以外の多数の思想の記事でも、「その思想以外の人物や組織が登場した場合は、いちいち○○ではない、と記載すべき」などというローカルルールはありません。このような事が迷惑行為です。Wikipediaは「社会主義事典」や「社会主義の教科書」や「辞書」ではありません。また弁証法を含め、一見矛盾・対立する思想や概念を統合するのは思想では一般的であり、「社会主義」と「反社会主義」が歴史上も単純に分けられると思うのも間違いです。Wikipediaは中立的・世界的視点で書くべきです。--Rabit gti 2010年4月20日 (火) 15:20 (UTC)


(1)「共産党」のノートページで回答しました。 (2)「ムッソリーニはファシスト党などを組織し、」では暴力性の記述が不十分と考え、「ムッソリーニはファシスト党や「突撃団」(黒シャツ隊)などを組織し、」と加筆しました。不十分な点はあったと思いますが、それほど非難されるべき編集とも思いません。--Miki08 2010年5月5日 (水) 06:06 (UTC)


コメント(1)私もノート:共産党でコメントしました。(2)問題自体は非常に軽微なものです。しかし「不十分」というより、大変失礼ながら「特定の価値観から、ごく一部の記述に過剰な思い込みをして、記事全体の構成や用語も考慮しない編集や転載を、再三繰り返しては、毎回開き直っている」との印象です。今回も「暴力性の記述が不十分」とは、非中立的です。百科事典は事実を列挙するもので、世間の一般認識にかかわらず、例えば「こいつらは暴力集団だ、しかし社会主義は平和な思想だ」のような印象操作を意図して編集すべきではありません。この事を再三「中立的な記述ではない」、「レッテル張り的」、「迷惑行為」と指摘しています。例えば現在のアドルフ・ヒトラーナチズムは(模様砂漠2さんの修正もあり)、非常に中立的に書かれており、レッテル張り的な表現は避けていると思います。--Rabit gti 2010年5月5日 (水) 06:39 (UTC)


ウィキペディアの記事は中立的でなければなりませんが、執筆動機まで中立であることは求められていません。たとえば、自由主義者がウィキペディアの基本方針に賛同し、ウィキペディアのルールを守りながら記事を加筆・修正することは問題ありません。彼の編集意図や観点が自由主義的であることを問題にするのではなく、記述が中立的かどうかで判断するべきだと思います。--Miki08 2010年5月6日 (木) 08:05 (UTC)
また、記事について「暴力性の記述が不十分」とか「功績の記述が不十分」とか考えること自体が非中立的だとするなら、記事を加筆・修正することは、すべて非中立的ということになります。--Miki08 2010年5月7日 (金) 05:37 (UTC)

Rabit gtiさんの4月20日のコメントの(3)について回答します。論争について記述したいというRabit gtiさんの趣旨はわかりました。ただ、唯物史観の一面的な説明だけでなく、正確な説明も、脚注でなく本文に記述させていただきたいと思います。--Miki08 2010年5月7日 (金) 09:30 (UTC)

同じく(5)について。私は「ナチスは社会主義ではない。」という断定的記述を主張したのではありません。「ナチスは通常、社会主義とはみなされていない。」という社会的事実を記述することを主張したのです。

社会主義の「潮流」の章にナチズムが記載されていれば、少なくない読者がナチズムは社会主義の一種と思うでしょう。その箇所に、「ただし、ナチスは通常、社会主義とはみなされていない。」という社会的事実を記載することは、迷惑行為でも中立性に反することでもなく、むしろ読者への非常に重要な情報の提供です。--Miki08 2010年5月7日 (金) 07:51 (UTC)


コメント 話が多いので(a,b,c..)と振り直します。(a)「執筆動機まで中立であることは求められていません」ですが、話をすりかえないでください。私の指摘は「印象操作を意図して編集すべきではありません」です。つまり「中立的でない記述をしない」という事です。内面の動機の話はしていません。例えば(撤回済の話ですが)「一党独裁」が一般的な表現であるのに、わざわざ「一党制」と書き直すのは、「どちらでも間違いでは無い」ではなく、そのような印象操作自体が中立的な編集ではありません。(b)「暴力性の記述が不十分」ですが、そのような「これは暴力思想」との記述自体が中立的な編集ではありません。暴力主義は各種の保守主義にも共産主義にもあります。 (c)「論争について記述したい」ではなく、理論はまずは原則を書き、例外や備考は後半に書くのが妥当と言っています。具体例は暴力革命#マルクス・レーニン主義の立場のような2段階の記述です。最初から「上部構造と下部構造は相互に影響」では、「下部構造が上部構造を決定する」との大原則が全く判りません。 (d)「読者への非常に重要な情報の提供です」ですが、繰り返しですが単に Miki08さんの個人ルールです。各国語版や他の思想でも、「別思想の記載が登場する場合は、世間では○○とみなされている、と書くべき」などのルールはありません。どのような思想かはリンク先を見れば判る事ですし、判断は任せるべきです。そもそも思想的にはファシズムと民族社会主義は類似しており、一部の無政府主義は完全な自由主義経済理論ですが、勝手に「ファシズムだけは別扱いのルール」も中立的ではありません。 (e) 最後に繰り返しですが、Wikipediaを「社会主義入門者用の教科書」と考えてはいけません。通俗的な見解を列挙する場ではなく、百科事典として、思想であればレッテル張りよりも思想内容の記述をすべきです。--Rabit gti 2010年5月9日 (日) 14:38 (UTC)


  • (a)私としては、恐怖政治をイメージしやすい「一党独裁制」という言葉をより中立的な表現にしたつもりでした。一般的に、悪印象すぎたり美化された表現を中立的な表現に直したつもりが、議論して元の表現が妥当との結論になった場合、「印象操作を意図して編集した」「中立的でない記述をした」と非難されるべきなのでしょうか。
(b)Rabit gtiさんは、ファシズムの記事について「暴力性の記述が不十分」と考えて加筆すること自体が、中立的でない、やってはいけないと言うのでしょうか?
(c)については了解しました。
(d)そのようなルールがあるとは言っていません。結論として私の主張は以下のようになります。
ナチズムビスマルク(の社会政策)、北一輝を社会主義の潮流として記述するのは偏っています。彼らが通常、社会主義とはみなされていないという事実もあわせて記述しなければ、中立的ではありません。
社会主義#アナキズムについては、すでに以下の記述があります。-「アナキズム(無政府主義)は個人主義的な立場、自由主義的な立場、社会主義的な立場など多様な思想の総称だが、(後略)」
(e)偏ったレッテル張りは、当然避けなければなりません。しかし、偏ったレッテル張りと、適切で概括的な記述は区別する必要があります。社会主義#潮流では、社会主義の諸潮流が概括的、簡潔に記述されています。また、北一輝に関する「戦前右翼の理論的最高指導者とされる」という記述は、他の百科事典にもある記述であり、レッテル張りではありません。--Miki08 2010年5月20日 (木) 01:11 (UTC)


コメント (a)仮に本当に、共産党の「一党独裁制→一党制」が「中立的な表現に直したつもり」という動機ならば、共産党の記事を編集するには無知すぎます。既に書きましたが、仮に知らなくても中国共産党など各リンク先の記事を5秒づつ読めば「一党独裁制」で統一されている事が判ります。私は以前より「自分の知識のある分野で編集してください」とお願いしています。(b)世界中のあらゆる思想や人物に対して「暴力性のある思想、人物」と書く事自体、明らかに中立的ではありません。例えばベニート・ムッソリーニアドルフ・ヒトラーヨシフ・スターリンオウム真理教の記事では、「暴力的」や「暴力性」や「暴力主義」の用語は、全く使われていません(特定の暴力事件や発言や書名などのみ)。Miki08さんはWikipediaの中立性を、自分勝手に都合良く広く解釈しすぎです。「辞書などを含め世間一般で暴力主義と言われているものは、そう書いてよい、むしろ書く方が中立的だ」と思っているなら、Wikipediaの「中立」とは違います。Wikipedia:中立的な観点では「広く支持されていること=正しい、とほのめかすようなことのないように気をつけてください」ともあります。これに納得できないなら、Wikipediaの編集を続けるべきではありません。(d)「偏っています」とありますが、それを判断するのはMiki08さんではありません。Wikipediaは「読者に主流と思われる考えを主に紹介する」ものではありません。(e)本の記事の冒頭に、マルクスやエンゲルスの場合は「左翼の○○が書いた本」とは書かず、北一輝には「右翼の○○が書いた本」のように書くのは、明らかに中立的ではなく、レッテル張りです。本当にやめてください。--Rabit gti 2010年5月20日 (木) 13:38 (UTC)


  • (a)私は一党独裁制という言葉が使われていることを知らないわけではありませんが、現在の中国、ベトナムを「一党独裁制」と表現することは時代遅れのように感じ、一党独裁制一党制が同じ意味であるなら、「一党制」のほうが合っていると思った次第です。
(b)広く支持されていること=正しい、とほのめかすようなことのないように気をつけます。ただし、「これは、主流派の見方を主流派の見方だと紹介することを禁止するわけではありません。」「論争の種になるような立場を主張することなく、単に記述する」よう気をつけます。(いずれもWikipedia:中立的な観点より)
(d)社会主義のノートページの「国家社会主義の記述の中立化」の節に記述・提案させていただきました。
(e)「戦前右翼の理論的最高指導者とされる北一輝」という表現は、北一輝の説明としては妥当なものと思いますが、彼の著作の記事の冒頭にあえて記述したのは適切でなかったかと思いました。--Miki08 2010年5月24日 (月) 15:01 (UTC)

コメント (a)(b)(e) 一応了解しました。恐らく「中立的」の理解に幅があります。Wikipediaは事実のみを書くべきで、仮にヒトラーやスターリンが読んでも「事実はその通りだな」と思えるのが理想と思います。「今の日本の常識では妥当で公正だな」では、中立的とは言えません。(d)ノートで反対をコメントしました。--Rabit gti 2010年5月25日 (火) 14:32 (UTC)

右翼思想・左翼思想、極右、極左の記事の編集

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右翼思想・左翼思想編集極左編集極右編集などを連続して行っていますが、いずれも世界的観点ではなく、通俗的すぎます。それぞれ取消しました。昨年よりこのような編集が多すぎて迷惑です。Wikipediaは通俗事典ではなく百科事典です。少しは知識のある分野で編集をお願いします。とりあえず。--Rabit gti 2010年5月7日 (金) 13:57 (UTC)

追加で記載しますが、極右極左で、現在の記載内容を単に理解できないからといって、安直に削除するなどの編集をやめてください。それぞれ、過去はレッテル張りや決めつけが多かった記述を、政治学的に概念中心に整理したものです。内容も中立的とは言えません。毎回ですが、非常に迷惑です。また日本共産党の視点を宣伝する場でもありません。詳細はノート:極左に記載しました。--Rabit gti 2010年5月9日 (日) 13:57 (UTC)

コメント 本日も極左編集で、関連項目から「革新」などの項目を削除していますが、内容的に明らかに関連する項目の勝手な削除は止めてください。ノート:極左#Miki08さんによる一連の編集にも追記しました。--Rabit gti 2010年5月16日 (日) 12:57 (UTC)

続きは ノート:極左#関連項目について を参照ください。--Miki08 2010年5月19日 (水) 08:24 (UTC)

政党政治、極右、極左の記事の編集

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Miki08さんは「左翼と右翼には共通点がある」といった立場を敵視しては、あちこちから参照削除を繰り返していますが、Wikipedia:中立的な観点では、複数の立場は併記すべきとあります。仮に参照先の記事に検証が必要でも、それは必要であれば個別に改善されるべきであり、参照から削除する理由にはなりません。(1)「政治的シンクレティズムは新しい政治的立場の形成を説明するものであり、「政治的シンクレティズム」という政治的立場があるわけではない」などと勝手な定義(初めて聞いた定義です。右翼も左翼も政治的シンクレティズムも呼称にすぎませんし、形成後も継続するのが普通です。)を理由とした編集政党政治、(2)自分が大量に未検証をつけた直後の「政治的シンクレティズム(旧「融合思想」)の記事は未検証の事項が多いため参照から外しました)」を理由とした極左極右などは、差し戻しました。(3)また上記差し戻しに含まれていますが「共産主義、イスラム、環境保護団体、極右が同盟しているかのような、具体性のない三色同盟を関連項目から削除」を理由とした極右からの三色同盟も同様です。「三色同盟」という立場または主張が「具体性がない」と判断すべきなのはMiki08さんではありません(私も個人的には否定的立場ですが、少数意見や異端意見でも記事に関連する記事ならば併記すべきです。筆者の個人的立場にかかわらず、Wikipediaでは「一般的(通説的)な意見を掲載し、マイナー(異端)な意見は他記事からの参照度を下げる」べきものではありません。Wikipediaは「百科事典」であり「教科書」ではありません。しかし、Miki08さんは過去からこのような編集を繰り返しています。迷惑行為となるため、止めてください。--Rabit gti 2010年6月9日 (水) 02:59 (UTC)


  • (1)「シンクレティズム」は、ウィキペディア日本語版や英語版において、「混合宗教となること」、「・・・調和させる試み・企て」、「結合すること」などと説明されています。そのため、「政治的シンクレティズム」も、異なる政治的立場の結合(または折衷)を意味し、結合の結果できた政治的立場を指す言葉ではないと私は理解しました。そのため、Template:政党政治の中の「融合思想」を「政治的シンクレティズム」に置き換えるのは不適切と考え、削除しました。
(2)当時の「政治的シンクレティズム」の記事の大部分は出典が不明で、記事の信頼性が低いと判断せざるをえませんでした。極左・極右の記事中に「政治的シンクレティズムも参照」と目立つように記述するのは、記事がもっと出来上がってからにしたほうがよいと判断しました。
(3)「三色同盟」について
現在の三色同盟の記事には、同盟の具体的内容が一切記述されていません。また、日本のマスコミで、共産主義、イスラム、環境保護団体、ナチズム・極右の四者の同盟が存在するという報道はされていません。「三色同盟」は米国の一部の保守派などの根拠のない主張である可能性が大きいと思います。
また、Wikipedia:関連項目には以下のようにあります。
  • (関連項目は)多少の関連性が有るに留まる項目を紹介する一覧表ではありません。
  • 「関連項目」のセクションは短く、必要最小限であるべきです。
以上のことから、信頼性が極めて疑わしい「三色同盟」を極右の関連項目から削除したのは適切だったと思います。迷惑行為ではなく、信頼される百科事典をつくるために必要な行為です。--Miki08 2010年6月10日 (木) 16:24 (UTC)

コメント (1)宗教・政治に限らず「~ism(~主義)」を「attempt to(試み)」の形で説明する場合もある事は一般的です。目的の達成を必ずしも前提とはしないためですが、「自由主義」や「民主主義」などと同様、「作成時の話だけであり、その後の状況(状態、体制)は指さない」という訳ではありません。実際に 習合神仏習合シンクレティズム(コトバンク)シンクレティズム(インテリジェンス辞書)シンクレティズム(Yahoo辞書)などでも、表現は色々ですが、結果(状態)は呼ばないとは書かれていません。現実的にも、明確な創始者が不明な場合は「これは複数の宗教がまざっている」と第三者が後から発見するが、信仰者自身にとっては「最初から融合している(まざってない、別物ではない)」という場合が多数でしょう。つまり、基本的には他称です。(2)そもそも多様な思想や立場を「右、左」と単純に呼び分ける事自体が極めて相対的・通俗的・乱暴なため、「うまく分類できない」「人によって意味が大幅に違う」「両方の要素がみられる」場合が多々生じるのは、例外ではなく必然です。このため参照に記載しています。記事の出来のレベルと、その用語を参照する必要性(関連性、必然性)は別です。(3)個人的に「米国の一部の保守派などの根拠のない主張である可能性が大きい」と思うのは自由で、個人的には私も同感ですが、Wikipedia:中立的な観点では少数派や異端的な主張を含め、全て同等に併記すべきです。そもそも特定の立場から「複数の敵が実はつながっている」と見る主張はごく一般的なもので、過剰反応すべきでもありません(保守から見れば資本主義も共産主義も伝統破壊主義、ナチスから見れば自由主義も共産主義もユダヤの陰謀、左派から見れば王党派も封建主義も自由主義もナチスも右翼)。小数意見であれ、存在する立場を勝手に「根拠のない主張」と決め付けて参照を削除する事は、動機は善意からにせよ焚書坑儒にも通じる独善かつ情報統制であり、Wikipedia:中立的な観点に反する不適切な迷惑行為です。(勝手な個人ルールを「必要な行為」などと決め付けてWikipediaに押し付けないこと。仮に不満ならば参加しないか、ルール作成に参加すること。)--Rabit gti 2010年6月13日 (日) 03:47 (UTC)


上記コメントについて

  • 少数意見の扱いについて
中立的な観点の説明では、「広く支持されていること=正しい、とほのめかすようなことのないように気をつけてください。」という方針とともに、「少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。それは論争の形について誤解を与えかねません。」という方針があります。
Rabit gtiさんは「少数派や異端的な主張を含め、全て同等に併記すべき。」(上記コメントの(3))と主張していますが、これは後者の方針に反するのではないでしょうか?

「極左」、「極右」のノートの6月13日のコメントについて

  • 私が「複数立場の併記に執拗に反対した」とはおもに何を指しているのでしょうか?
  • Rabit gtiさんが迷惑行為と見なしているものについて、私なりに論点整理してみました。(以下、敬称略)
(1)社会主義の「潮流」節におけるナチスの記述について
【Miki08の主張】ナチスを社会主義の潮流として記述するのは中立的でない。「ナチスは一般に社会主義とは見られていない」と併記すべき。
【Rabit gtiの主張】Wikipediaは主流の見方を教える教科書ではない。自分が要求する記述にできなければ中立的ではないとの主張である。
(2)Miki08が、中国、ベトナム等を「一党独裁制」から「一党制」に書き換え
【Rabit gtiの主張】特定思想の美化である。
【Miki08の主張】悪印象すぎる表現を中立的表現に直した。
(3)Miki08が、ファシズムの概要を「反民主主義、反共産主義、・・・」等と記述。北一輝について「戦前右翼の理論的最高指導者とされる」と記述。
【Rabit gtiの主張】レッテル張りである。
【Miki08の主張】適切な要約である。
(4)Miki08が、極右の「関連項目」から三色同盟を削除
【Rabit gtiの主張】根拠がないと思われる主張でも「関連項目」から削除するのは情報統制である。
【Miki08の主張】「関連項目」は必要最小限とすべきとのガイドライン案に従い、信頼性が極めて疑わしい「三色同盟」を削除するのは適切。
(5)全体的評価
【Rabit gtiの主張】Miki08は中立的でない編集、迷惑行為を繰り返している。
【Miki08の主張】意見の相違であるのに、Rabit gtiは「中立的でない編集」と一方的に決めつけ、私が迷惑行為を繰り返しているかのように印象操作している。
以上、主要点のみ記述し、枝葉は省略しています。足りない点、不満な点などありましたらご指摘ください。--Miki08 2010年6月15日 (火) 07:49 (UTC)


コメント まとめ、ありがとうございます。

  • (A)少数意見の扱いについて。指摘通り、ガイドは矛盾していると思います。Wikipediaのガイドは尊重すべきですが、著作権や個人情報など厳守すべきもの以外では、ガイド自体にも記載されているように、完全でもなく、相互に矛盾するガイドも多数あり、それらは多くの場合はコミュニティ(ローカルルール、ノートでの議論など)での解決を期待されている、というのが私の理解です。私自身はガイドからの引用は最低限にしています(都合の良い個所ばかり抜き出しては自己正当化を図る、権威主義的な教条主義は避けたいため)。では、何を指針とするかというと、Wikipediaの資産でもある多数の既存の記事(特に中立的と評価された優秀な記事)との比較です。政治思想の記事は編集合戦になりやすく、特に中立性が求められます。その中でMiki08さんの多数の編集は(他の大多数の編集者と比較しても)「中立性が低い」「特定の記事に、他の記事には求められていない書き方を要求する」と私は認識しているため、批判を続けています。率直に言って個々の編集は些細な事ですし、ノートでは本来は既述についてのみ議論すべきですが、「社会主義へのひいき(ひきたおし)、右翼思想への偏見(必要以上のレッテル張り)」が露骨に執筆に出ているとしか思えません。意見が違うのはWikipediaでは問題ありません。執筆者はスターリニストでもファシストでも良いのです。しかしWikipediaでは特定の思想からは中立である必要があります。
  • (B)「複数立場の併記に執拗に反対した」は、社会主義の国家社会主義での単純併記への反対(下記(1))や、ファシズムでの極右・融合思想・左翼などの呼称の単純併記への反対(小数意見への差別)、などを指しています。
  • (C)「迷惑行為とみなしているもの」は(1)~(5)のまとめに不満はありませんが、誤解を招く点を以下に補足します。
    • (1)「ナチスは社会主義の潮流である」との議論は誰もしていません。思想と団体を混同しないでください。現在の既述内容は「社会主義の潮流には、国家社会主義もある。国家社会主義は複数の意味で使われている。そのうちNational-はナチスなどが提唱した」です。この既述に問題はなく中立的です。それに対して「ただしナチスは通常は社会主義とは呼ばれておらずファシズムと呼ばれている」などの補足が「最低限必要」と主張し続けるのが異常すぎます。例えばアダム・スミス#国富論にはマルクスが登場しますが「資本主義の話かと思ったら、資本主義と対立したマルクスが突然出るのは読者が誤解するから「共産主義者のマルクスは」と書くべきだ」とでも書くのでしょうか?両者は経済学者なので、いちいちレッテル張りする必要性はありません。(なお、そもそも「ナチスはファシズム」という日本語がおかしい)。
    • (2)「一党独裁制 → 一党制」自体は些細な話ですが、プロレタリア独裁を含め、「共産主義を、悪印象すぎる表現から、より民主的に読者にみせよう」との意図が既に中立的ではありません。(別の話ですが、Miki08さんがプチ・ブルジョワ的な用語認識でマルクス主義に「民主的」な化粧をしようとする事自体が、マルクスや共産主義者への侮辱でしょう。良し悪しは別として、一時的にせよ武力革命を目指す場合は、一定の独裁は常識です。)
    • (3)明白なレッテル張りです。冒頭では該当の思想内容を既述すべきで、敵対者からの批判を列挙すべきではありません。例えば「マルクス・レーニン主義とは、反自由主義、反民主主義、反議会主義、反平和主義な思想である」と書くのと同じで、批判ばかりで内容が不明です。なお北一輝は「右翼」を自称し、そう記載した辞書も多いですが、「日本の右翼」など多くの著作や右翼団体・保守団体では、右翼の源流とされるのは国学者や西郷隆盛などで、北一輝は指導者とも源流ともされていない場合が大多数です。この事実は認識した上で書いていますか?(北一輝の言う「右翼」とは、当時の共産主義と対置させて「天皇を掲げた、国家主導の革命」という意味で、中身に保守主義は無く、天皇は単なる飾り物で、実質は誰が見ても共和主義です。)
    • (4)三色同盟の概念そのものを「信頼性が極めて疑わしい」と参照を削除するのは、中立的ではありません。
    • (5)以上のように「意見の相違」は問題となりません。「中立的でない編集」のみが問題です。簡単に言えば「読者に社会主義には良い印象、右翼には悪い印象を与えようとの印象操作が、あまりに多すぎる。細部に異常なほど固執し、「要出典」や「要検証」を常識以上に多数付け、それを指摘すると、そう書かない方が中立的でないとの、他人に理解できない反論を繰り返し、結果的に迷惑行為を続けている。時々反省すると書いて、やや改善しているが、手法を変えては懲りずに繰り返す、もぐら叩きが続いている」というのが私の認識です。
    • (6)ついでに書くと、自分のコメントを何日も編集続けるのは最低限にして欲しい。私も後から追記したり、誤記を修正する場合が多いが、Miki08さんの場合は論旨がコロコロ変わる場合も多い(コメントを見て反論を考えていると、元のコメントが大幅に書き換えられている事が毎日のようにある)--Rabit gti 2010年6月15日 (火) 14:06 (UTC)

コメント 上記にまだ回答が無いと思ったら別の場所[1]に関連する話(反論に思われる)を書いているようです。Wikipedia上のやりとりは、ノートや会話ページを含めて第三者にも公開されており、意味無く別の場所に続きを書かないようお願いします。(こういった初歩的な事を含め、残念ながら独善的な展開があまりに多く、参加者への迷惑と認識しています。)--Rabit gti 2010年6月18日 (金) 04:36 (UTC)


  • (A) 私(Miki08)は、二つの方針は両立可能と思います。中立的な観点の説明には、「公正に論争を記述するためには、競合する様々な観点を、その主題についての専門家や関係者の勢力に合わせて提示すべきです。」とあります。したがって、その主題についての専門家や関係者の勢力比と明らかに合致しない偏り、つまり「どちらか一方の側をひいきするような偏り」や暗示は中立的でないということです。
(A)と(コメント)について。Rabit gtiさんの「少数派や異端的な主張を含め、全て同等に併記すべき」という主張がウィキペディアの方針に反する疑いが強まったため、その点については私のノートで議論するのではなく、独立した論点として利用者‐会話:Rabit gti#中立的な観点についてで提起しました。
(B)と(1)について。「ナチスは通常、社会主義とは見られていない」という併記に反対したのはRabit gtiさんではないですか?
(B-2)「ファシズムでの極右・融合思想・左翼などの呼称の単純併記への反対(小数意見への差別)」とは、主にどのコメントまたは編集を指しているのでしょうか?
(1-2)Rabit gtiさんの比喩は適切でないと思います。ナチスが社会主義の潮流に記載されているのは、マルクスが古典派経済学の主要な理論家に記載されているのに相当します。そういう場合、注釈は必要です。
(2)私としては、恐怖政治をイメージしやすい「一党独裁制」という言葉をより中立的な表現にしたつもりだったと何度も述べています。記述内容ではなく「意図」が中立的でないとの非難はやめてください。
(3)市民的自由や民主主義の徹底した否定はファシズムの本質的特徴とされていますが、マルクス主義の本質的特徴とはされていません。本質の記事における、本質と付帯的な性質との区別も参照ください。ファシズムの説明として「自由主義を否定し」、「反共産主義を掲げ」等と記述するのは適切です。
(3-2)「戦前右翼の理論的最高指導者」という表現には「戦前」という限定がついており、北一輝が戦後の右翼にそれほど評価されていない事実と一致します。
(4)Rabit gtiさんの主張は以下のいずれでしょうか?
  1. そもそも「信頼性が極めて疑わしい」という判断自体が中立的でない。(記述の信頼性について判断するべきでない。)
  2. 三色同盟については「信頼性が極めて疑わしい」とまでは言えないので残すべきである。
  3. 信頼性が極めて疑わしい主張であっても、関連項目から削除するべきではない。(関連項目に登録されたものは基本的に他人が削除してはいけない。)
(A)の後半および(5)について。批判は具体的にお願いします。
(6)については気をつけます。ただし「論旨がコロコロ変わる場合も多い」は事実ではありません。--Miki08 2010年6月20日 (日) 03:38 (UTC)


コメント (全体) 再三繰り返していますが、問題は「Miki08さんによる中立的でない編集行為」です。これは迷惑行為なので止めてください。(A)話をずらさいでください。私は「公正に論争を記述するためには」の大前提である、複数意見がある場合の併記の必要性をガイドに沿って説明しています。Wikipediaでは複数意見ある場合は併記をガイドしています。併記後の論争自体の記述の話ではありません。念のためこちらにも以下引用します。「まず、最も重要なことは、論争の種になるような立場を、主張することなく単に記述する、ということがどのようなことかを考えてみることです。偏りのない記述は、最も普及している観点だけを提示するものではありません。また、最も普及している見方を正しい見方として提示するものでもありません。様々な異なる観点の中間に位置する観点からの意見を(中間=中立であるかのように)正しいものとして提示するものでもありません。全ての観点を提示するということは、 p 主義者は p が正しいと考えており、一方で q 主義者は q が正しいと考え、現在その点をめぐる論争がある、というようなの記述をすることです。全ての観点を提示するにあたって、誰がどのような理由で p や q を信じており、どちらがより広く支持されているか、といった背景の説明を大量に供給できることが理想です。(広く支持されていること=正しい、とほのめかすようなことのないように気をつけてください。)詳細に書かれた記事であれば、p 主義者と q 主義者がお互いをどのように評価しているか、それぞれの立場が、相手に対して持っている強みなどを説明しつつ、どちらが優れた立場であるかについては確固として言及を避けることになるでしょう。」。(A)私がMiki08さんの会話ノートに書いた内容に疑問や反論があるなら、そこに書くべきです。私が記事に対して問題編集をした訳ではありません。ノート上の意見に疑問がある場合、別のノートに書くのは常識外です。一般常識に反した行為はしないでください。(私は多数の方と議論をしていますが、知る限りではMiki08さんだけが、残念ながら最も一般常識が通じません。)(B)再三書いていますが、団体と思想を混同しないでください。ちゃんと再読ください。(B-2)以下記述へのMiki08さんへの反対の話です。「学者の多くはファシズムを、「右翼・左翼」の分類では極右としている。しかし一部の学者は、ファシズムは右翼と左翼の融合思想、または本質的には左翼と主張している。」。以上は複数意見を併記しており、更に多数意見は先頭に書き「多く」と明記し、小数意見もノーベル賞受賞経済学者が著作で繰り返している意見でアメリカなどでは普及しており「トンデモ本」ではなく、非常に中立的な記述です。これを中立的で無いと言うほうが、中立的ではありません。(1-2)意味不明です。現在の記述でも「ナチスは社会主義である」などとは書かれていません。(そもそも集団を○○主義と記述するのが間違いです。ナチスでも共産党でも、提唱と実践は別です。)(2)軽微な話ですが、Miki08さんの非中立的な編集の1つであり、更にリンク先の各国共産党を見れば「一党独裁」での用語統一が瞬時に判る筈で、部分的な修正はすべきでありません(別件の黒シャツ隊も同様)。(3)「市民的自由や民主主義の徹底した否定」は、独裁全体主義に共通の特徴で、特にファシズムに特有の特徴とは言えません。つまり批判者からの批判を列記しているだけで、無意味で有害です。ましてファシズムを「暴力主義」と言うのは、他思想や他体制と比較しても根拠不明です。(3-2)話のすりかえです。「戦前ならば、当時の一般的な保守(右翼)は北一輝を支持していた」などの事実はありません。戦前も戦後も、一般的な保守(右翼)は保守主義です。北一輝は(右翼を自称しても)革命的な共和主義者です。疑問があれば、各種の右翼・保守の文献を読んでみてください。(4)1です。(A)の後半および(5)について。具体的な指摘は個々同時に行っていますが、Miki08さんから「誤解」などとごまかされているため、具体的にも全体的にも指摘しています。(6)追記や修正が全くいけないと言っているのではありません。私もします。ただしMiki08さんは(少なくとも私が過去議論した相手の中では)極端に多く、本人は否定しても論旨がコロコロ変わるとしか読めない場合があり、それが「誤解」であれ、誤解を招く要因を増やすのは避けたほうが無難と思います。--Rabit gti 2010年6月20日 (日) 07:34 (UTC)

  • (3-2)の追記です。「疑問があれば、各種の右翼・保守の文献を読んでみてください。」と書きましたが、右翼#戦前でも大筋は書かれています。冒頭の伝統的な保守右翼の潮流は私が追記しましたが、仮にその部分は無視しても、北一輝などは以下系統で、後から発生し、最初から社会主義などの革命思想の流れ(影響)を含んでいます。「1920年代、世界恐慌が日本にも波及してくると、右翼も社会主義から強い影響を受け、一部の国学の系統を引く日本の保守思想家や左翼からの転向組の中から国家社会主義思想を持つグループが現れた。この系統は自称で正統右翼と言う。この潮流はやがて戦時体制という形で国家に事実上取り入れられることになった。」。少なくとも世間一般で「保守的・右翼的」と言われる「高貴な血統や貴族文化や伝統宗教を尊重する、忠君愛国、革命思想には反対、いわゆる体育会系」の思想・勢力・結社とは大幅に異なります。つまり「右翼」という用語は同じでも、中身が伝統的な意味の右翼(保守)ではありません。実際、北一輝は「国家、天皇」を掲げても「天皇」個人の意思は完全無視で、これは通常の右翼の発想では明白な不敬罪です。ご参考まで。--Rabit gti 2010年6月20日 (日) 12:37 (UTC)


  • (A)私のノートで議論し、Rabit gtiさんのノートに紹介とリンクを置くようにします。
Rabit gtiさんは以下の方針に従うつもりでしょうか?
重要な制限事項がひとつあります。複数の観点を比較する記事では、少数派の意見について、より広く普及している観点と同じだけの詳細な説明を加える必要はありません。論争を説明する際には、少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。それは論争の形について誤解を与えかねません。公正に論争を記述するためには、競合する様々な観点を、その主題についての専門家や関係者の勢力に合わせて提示すべきです。(中立的な観点より)
(3-2)「戦前右翼の理論的最高指導者とされる北一輝」という表現は、出典もありおおむね妥当と思いますが、少数意見への配慮が足りなかったように思います。以後気をつけます。
私がファシズムについて「反民主主義、反共産主義、・・・」と記述したのはノートページでした。ここでは中立的でない「編集」行為が問題なので、論点整理の(3)を、以下のように変更したいと思います。(6月15日のコメントを書き換えるという意味ではありません。)
(変更前)
(3)Miki08が、ファシズムの概要を「反民主主義、反共産主義、・・・」等と記述。北一輝について「戦前右翼の理論的最高指導者とされる」と記述。
【Rabit gtiの主張】レッテル張りである。
【Miki08の主張】適切な要約である。
(変更後)
(3-1)Miki08がファシズムの概要説明として「自由主義を否定し」、「反共産主義を掲げ」等と記述したことについて
【Rabit gti】レッテル張りである。
【Miki08】適切な記述である。
(3-2)Miki08が「戦前右翼の理論的最高指導者とされる北一輝」と記述したことについて
【Rabit gti】レッテル張りである。
【Miki08】おおむね妥当な表現だが、少数意見への配慮が足りなかった。
(B)私は「詳論はリンク先の記事に記述するのが適当かと思います。」と述べており、詳細な併記に反対しているわけではありません。
(1-2)併記の必要性について繰り返すのはやめておきます。しかし、「ナチスは多くの場合、社会主義とは見られていない」という簡潔な併記に反対したのはRabit gtiさんです。ノート:社会主義#国家社会主義の記述の中立化をご覧ください。
(3)「ファシズムの本質的特徴」を「ファシズムに特有の特徴」にすりかえないでください。
(4)ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」でしたので、「信頼性が極めて疑わしい」との理由は取り下げます。
三色同盟」の記事は、英語版と日本語版にしかないようです。英語版の記事の会話ページには、「この記事はプロジェクトの重要性尺度に基づいて重要度-低と評価されました。」というタグがついています。重要度には Top、High、Mid、Lowの4段階があり、Low(低)は「主題はその研究分野の内部でさえ特に注目に値しないか重要ではありません。」というものです。
日本語版の「関連項目」は必要最小限にすべきとされています。英語版でさえ重要でないとされている「三色同盟」を「関連項目」から削除したことは適切だったと思います。
(7)Rabit gtiさん、私の行為を歪曲して伝えるのはやめてください。たとえば
  • 編集上の意見対立を、「Miki08さんによる中立的でない編集行為」、「迷惑行為」と決めつけ、非難を繰り返していること
  • 「Miki08さんの場合は論旨がコロコロ変わる場合も多い」との記述(6月15日のコメントの(6))
(補足)
  • 私はノートページで「暴力性」という言葉を使いましたが、ファシズムを「暴力主義」とは言っていません。
  • 私は融合思想の併記に反対していません。私が述べた主張を再掲しておきます。
現在、「ファシズム」の記事の冒頭(定義部)に、反民主主義、反共産主義、独裁、侵略などのファシズムの重要な特徴が記述されていません。代わりに、「コーポラティズム」や「習合思想」という一部の学者のファシズム解釈が記述されています。これは特定の観点への偏りであり、改善が必要と考えます。「コーポラティズム」や「習合思想」は、「思想」の章に移動するのが適切と考えます。(「ノート:ファシズム」2010年5月4日)
最後に、他の方のコメントを歓迎します。--Miki08 2010年6月22日 (火) 07:41 (UTC)

コメント (A)私はMiki08さんの前回引用部分を含め、Wikipedia:中立的な観点を尊重しています。解釈の相違は当然ありうると思いますが、仮に私の記事の記述で、反すると思われる個所があれば具体的に指摘ください。当ガイドでは、複数意見は併記すべきと書いてあります。「記事の冒頭では多数意見のみを書き、小数意見は記事の詳細の中に書くと良い」などの推奨もありません。実際にも、後半で中立的に併記しても、冒頭で編集合戦になるケースは非常に多く、同じ場所(この場合は冒頭)に、(簡単に)併記すべきと思います。英語版でもそうなっています。次に、Miki08さんの前回引用部分は、私の理解では、併記自体の制限ではなく、併記後に書かれる比較説明のバランスの話でしょう。Miki08さんの前回引用部分は、複数意見併記の必要性の後に書かれており、「複数の観点を比較する記事では、少数派の意見について、より広く普及している観点と同じだけの詳細な説明を加える必要はありません。」とあります。つまり「複数意見を併記した後で、各意見の比較を記述する場合は、(必要性と量のバランスを考えて)小数意見の説明は簡潔に」との趣旨に読めます。更に、Miki08さんの前回引用部分の直後に「しかし、これは少数派の観点が、それぞれの記事においても軽い扱いを受けるべきだ、ということではありません。」との注意がわざわざ付けてあります。私はこの注意は、Miki08 さんのような誤解を防ぐためと理解しています。実際には、ファシズムでの「極右、左翼、融合思想」は、簡単な併記だけで比較説明はありません。更に併記でも少数意見は、多数意見の後にごく簡潔に書かれており、問題ありません。なお私の書いた「少数派や異端的な主張を含め、全て同等に併記すべき」の、「同等」とは「(扱い的に)同資格・同レベル・同一個所で併記すべき」との意味で、「(量的に)詳細を同量で説明すべき」ではありません。 (3-2) 北一輝の件は了解しました。なお「戦前右翼の理論的最高指導者とされる北一輝」という表現の話は、元々 Miki08さんを批判しているのではなく、「ネット辞書を含め、世間で右翼や左翼と呼ぶ例の多くは特定の視点に偏っていたり、無理解が多い」という、単なる情報提供です。(Wikipediaでは、より中立的でありたいものです。)(3-?) ファシズムで「反自由主義・反民主主義反共主義を掲げ」は記事本文にも書いています(移動であり、直後に私が修正済ですが)。 (B) 上記(A)と同じ。(1-2) 経緯の話ならば、多くの似た案が蒸し返され、私が妥協し、後で「後悔している」「日本語としてもおかしい」と書いた通りです。現状と今後の話ですが、例えば「ボリシェビキは通常は社会主義とみなされている(呼ばれている、されている)」という日本語は、おかしいと思いませんか? (3) 「本質的特長」と「特有の特徴」に出典も無く分けて区別するのは、独自研究で、特定の立場です。 (4)および(7) 「レッテル張りの意図で行ったかどうか」は、実際は私にも Miki08 さんにも証明不可能です。私が書いているのは正確には「特定の立場に立ったレッテル張りにしか思えないような編集を続けないでください。「一党独裁」や「突撃団」など、実は単なる誤解や不注意かもしれませんが、そうであれば関連する記事を少し読んでから編集すれば簡単に避けられた編集であり、多数繰り返さないでください」というものです。(a) ファシズムの「暴力性」で「突撃団」を追加するのも意味不明です。例えば「レーニンは共産党とチェーカーを指導した」と書きますか? 組織全体と、組織内の一部を併記するのは、通常は不自然です。(これも、特定の立場に立ったレッテル張りにしか思えないような編集です。)(b) 上記(A)と同様で、複数意見は同じ場所(ここでは冒頭)に簡潔に併記すべきと思います。現在でも簡潔です。 (c) 私も常に他の方のコメントを歓迎します。--Rabit gti 2010年6月25日 (金) 14:56 (UTC)


  • (A) Rabit gtiさんが主張した「全て同等に併記すべき」の「同等」は、「同量で説明すべき」という意味ではありません、については了解しました。
(A-2) 「少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。」などの方針は、「併記後に書かれる比較説明」にだけ適用される方針ではなく、記述全体に適用されるべき方針であるのは明らかです。
ウィキペディア英語版の中立的な観点の説明では、記述のウエートについて多くの説明があります。たとえば
  • 「対立している意見の相対的な隆起(目立つこと)を偽らないでください。」(Don't misrepresent the relative prominence of opposing views.(「1.1 A simple formulation」より))
  • 「正当なウエートと不当なウエート」(2.3 Due and undue weight)
  • 「中立性はそれらの隆起(目立つこと)に比例して観点に重みをつけます。」(Neutrality weights viewpoints in proportion to their prominence.(「2.5 Balance」より)) など
(A-3) どんな少数意見でも、たとえ1人の学者の意見でも無条件で同じ場所(導入部など)に併記すべきであるという主張でしたら、賛成できません。導入部に記述するかどうかは個々の記事での議論に任されていると思います。
(B) 「上記(A)と同じ。」の意味がわかりません。「社会主義#国家社会主義」において、私は「ナチスは通常、社会主義とはみなされていない。」という事実の併記を主張し続けたのであり、「併記に執拗に反対した」のはRabit gtiさんのほうです。
(1-2) 文法的に正しくないなら、文章を改善すればよいと思います。たとえば
ナチスは通例、社会主義運動としてではなく、極端な国家主義の運動として理解されている。」など
(3-?) 私は「ファシズム」の冒頭説明を以下のように充実させました(差分表示)。
(修正前)
「ファシズムは急進主義権威主義国家主義の政治的イデオロギーとされる。」
(修正後)
「ファシズムは急進主義権威主義的な国家主義の政治的イデオロギーとされる。ファシズムは通常、国粋主義または民族主義と、反自由主義・反民主主義反共主義を掲げ、国内では統制経済による資本主義の制限と独裁、国外には侵略を行うとされる。ナチス・ドイツナチズム以外に、当時のスペインポルトガルなどの全体主義集産主義権威主義体制、更には日本軍国主義天皇制ファシズムなども含まれる場合がある。」
この「反自由主義・反民主主義・反共主義を掲げ、」という表現が最適だとは思っていませんが、Rabit gtiさんと編集合戦になった箇所であり、表現には手をつけずに移動だけおこないました。
(3) 「ファシズムの本質的特徴」と「ファシズムに特有の特徴」を区別するのは独自研究だという主張に同意するわけではありませんが、話を元に戻したいと思います。意見の相違点は以下のようにまとめられると思います。
ファシズムの特徴として「市民的自由や民主主義の徹底した否定」を挙げることについて(以下、敬称略)
【Rabit gtiの主張】ファシズムだけの特徴ではない。批判者からの批判であり、無意味で有害。
【Miki08の主張】適切である。
(4)と(7) ファシスト党より黒シャツ隊の結成のほうが2年早く、黒シャツ隊は「初期ファシズムの基幹勢力」とされています(日本大百科全書)。したがって、「黒シャツ隊」の加筆は不自然なことではなく、むしろ必要なことだと思います。--Miki08 2010年7月21日 (水) 05:11 (UTC)

コメント (A-2)および(A-3)。指摘のような極端な例を、私が記事に記述した例があれば指摘してください。履歴を見る限り、私は Miki08 さんより 100倍以上は記述していると思いますが、なるべく複数意見の存在を意識し、多数派を先頭に、多数派と判るよう、内容的および量的なバランスを考えながら、中立的となるよう既述している積もりです(もちろん人により理想的なバランスは変わりますし、私も後で反省する場合も多いですが。)逆に Miki08 さんの「改善」という修正は、失礼ながら、過去に複数の方から中立性の問題点を指摘されているのが、客観的な事実ではないのですか?「批判されたら、批判し返す」「自分は正しいと主張し続ける」のもいいですが、どちらが百科事典に有害な修正を加えてしまっているか、たまには冷静に自問してください。なお「ファシズムは本質的には左翼」論は、上述のように少数意見とはいえ「たとえ1人の学者の意見」や、極端な異端説や、有名人の単なる放言などではありません。日本では有名ではありませんが、リバタリアリズムの観点からは自然な視点であり(自由主義経済以外を左翼とみなす)、ノーベル賞受賞者を含めた複数の経済学者が出版しており、特にアメリカでは支持者が多い立場です。私は個人的には支持者ではありませんが、現代理論としては無視できませんし、英語版では冒頭に記述されています。なおムッソリーニはイタリア社会共和国では社会主義に回帰しています(この点はヒトラーとは違う)。(B)繰り返しですが、過去の経緯ではなく、百科事典として不適切な記述と言っています。(1-2)例示とはいえ、それではスターリン主義と見分けがつきませんし、百科事典にそのような注釈を付ける事自体が不適当です。他の記事で、このような注釈を必須としている記事がありますか? (3-?) 移動を行っただけ、というのは私も既述です。別の話ですが、著作権違反の疑いが濃い記述でもあります。(3) 私は、「反○○主義」を列挙するのではその思想の説明になっておらず、単に批判者からの批判の列挙にすぎない、と再三言っています。(4)(7) 黒シャツ隊の方が先という話は、私は 2010年4月20日 (火) 15:20 (UTC) に「黒シャツ隊はファシスト党(前身を含む)の一部」と既に書いています。「暴力性の記述が不十分と考え」という説明も意味不明です。レーニン主義は平和主義だったのでしょうか?--Rabit gti 2010年7月21日 (水) 13:44 (UTC)


  • 文面から、7月21日の私のコメントの(A-2)については了解いただけたように思います。
(A-3) 導入部に記述する少数意見は、ある程度有力なものであるべきだという点では一致できたように思います。
(B) Rabit gtiさんは私を「複数立場の併記に執拗に反対した」と非難しましたが、この非難は続けるつもりでしょうか?
(1-2) 注釈を必要としている類似例には以下のものがあると思います。
  • 自由民主主義#党名での、「ロシア自由民主党は、ソ連崩壊を受けて領土の回復や反ユダヤ主義を標榜しており、通常は極右政党と呼ばれている。」などの記述。
  • 社会主義#アナキズムでは、「アナキズム(無政府主義)は個人主義的な立場、自由主義的な立場、社会主義的な立場など多様な思想の総称だが、」とあり、アナキズムが必ずしも社会主義でないことが記述されています。
(3-?) 著作権が問題になったのは別の文章(大辞林からの引用)です。
(3) Rabit gtiさんによるリバート(差し戻し)を回避するために、「反自由主義・反民主主義・反共主義を掲げ」等の記述の改善を見送ったことを、Rabit gtiさんは私の迷惑編集と非難するのでしょうか?
(4) 「三色同盟」については6月22日の私のコメントの(4)で了解いただけたように思います。
(7) ファシズム#概要の黒シャツ隊については、批判を考慮して記述を改善しました。
(変更前)ムッソリーニファシスト党黒シャツ隊などを組織し
(変更後)ムッソリーニは「戦闘ファッシ」(黒シャツ隊を参照。後にファシスト党に改組)などを組織し
(7-2) Rabit gtiさんは「『暴力性の記述が不十分と考え』という説明も意味不明です」と書いていますが、編集意図を詳しく聞いてどうするのでしょうか? 編集意図を問題にするのではなく、編集内容の是非や改善についての議論をお願いします。--Miki08 2010年7月29日 (木) 05:19 (UTC)

コメント (A-2) 全く了解しておりません。「私は中立性を念頭に編集しており、記述に問題があれば具体的に指摘してください」と当然の話を書いただけです。原則として複数意見は差別せずに併記すべきです。(A-3) 最初から書いています。「たとえ1人の学者の意見」などと極論を書いたのはMiki08さん本人です。(B) Miki08さんが、今後も複数立場の併記に反対する(一部意見の記載場所を変える事を含む)ならば、今後も非難します。(1-2) 意味不明です。注釈は必要です。Miki08 さんが今回例示したロシア自由民主党やアナキズムの現在の説明は、大筋妥当と思います。私が繰り返し指摘しているのは、「反○○○」の列挙では、レッテル張りにしかならない(説明にも注釈にもならない)という話です。(3) 意味不明です。私はMiki08さんが「常に迷惑編集をしている」と書いたことは1回もありません。まともな編集も多数あると思っています。しかし(他の編集者と比較してもあまりにも)「迷惑編集が多すぎる」と非難しています。今後とも迷惑編集は非難します。 (4) 了解していません。平行線です。(7) これは拝見しております。(7-2) 私は最初から具体的記述として、「ファシスト党(前身を含む)」と、その組織の一部を同列に併記する必要性が無い、と書いています。それへのMiki08自身による編集理由の説明が『暴力性の記述が不十分と考え』です。このため「暴力性とは何ですか? 他の思想と比較してどこが暴力性ですか? 出典は?」と聞くのは当然です。仮にここで議論すべきでない話なら、そもそも『暴力性の記述が不十分と考え』と書かないでください。--Rabit gti 2010年8月3日 (火) 16:14 (UTC)

  • (A-4) 具体的な記述については対応するノートページで議論したいと思います。
(A-2) たとえば、見解Aの支持者が9割、見解Bの支持者が1割で両論併記する場合、どちらが多数派かわからないような書きや、見解Bが多数派であるかのような書き方は、百科事典として望ましくないとは思いませんか? Wikipedia:中立的な観点の「重要な制限事項がひとつあります。……」の段落にはそういうことが書いてあるとは思わないでしょうか?
(3) ナチスは「反自由主義・反民主主義・反共主義を掲げ、」という記述が優れているとは言いませんが、ナチスについて基本的な事実を述べていると思います。少なくとも、「批判者からの批判を列記しているだけで、無意味で有害」「迷惑編集」と非難されるような記述ではないと思います。論点整理はまとめの一例ですが、Rabit gtiさんの私に対する迷惑行為という非難のほとんどは、実際には編集上の意見の相違です。
(7-2) ムッソリーニが政権をとる過程の説明が、「政党を組織し、国民の高い支持を背景に…」では不十分と考え、武装行動隊(黒シャツ隊)について加筆したということです。「暴力性」という言葉がひっかかる方は、「暴力性の記述が不十分と考え」を「記述が不十分と考え」に読み替えてください。--Miki08 2010年8月10日 (火) 13:06 (UTC)

政治思想系のサイドバーのデザイン修正について

[編集]

個別の調整も必要ですが、全体的な標準化や見易さも考慮した方が良いかと思います。詳細はTemplate‐ノート:共産主義のサイドバーに記載しました。(気づくとは思いましたが念のため、こちらにも記載しました。)--Rabit gti 2010年7月6日 (火) 02:24 (UTC)

  • 共産主義のサイドバーの幅を元に戻しました。社会主義のサイドバーについては、要約欄の説明でご理解いただけるかと思ったのですが・・・。改めてノートで提案しました。政治思想のテンプレートのスタイルを統一することがどこかで合意されているのでしょうか?--Miki08 2010年7月22日 (木) 04:35 (UTC)

改名後は後作業をしてください

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詳細はノート:政治的シンクレティズム#「融合思想」から改名(対処済み)を参照ください。

ご指摘ありがとうございました。--Miki08 2010年7月22日 (木) 04:35 (UTC)

社会主義での無意味な「要出典」について

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社会主義#科学的社会主義の記述「ただしこの空想的社会主義という名称は、自らを科学的社会主義と称するマルクス主義の立場からの呼称であり、中立的なものとは言えない」の「中立的なものとは言えない」部分に、無意味な「要出典」をつけないでください[2]。該当部分を書き戻しました。以前から再三指摘していますが、リンク先の詳細に書いてある事や、容易に自分で検索できる事にまで「要出典」をつけるのは迷惑行為です。空想的社会主義には「「科学的社会主義」に対する「空想的社会主義」なる語の使用は、単に「より旧世代である」というレッテル貼りでしかない」と記述されています。[3] では「シャルル・フーリエもサン・シモンも、まったく“空想的”ではなかった。これはのちのマルクスやエンゲルスが打ち出した社会主義から見て、かれらが“空想的”ではあれ先駆していたという意味でつけられた呼称にすぎない。」とあります。[4] では「マルクスやエンゲルスは、空想的社会主義と揶揄し」との表現があります。マルクスやエンゲルスが、「空想的社会主義」を一面では評価したのも事実ですが、「しかし科学的ではないから空想的で現実的でない」との意味合いでレッテル張りした表現の用語である事もまた明白です。毎回私が「開き直る初心者に、初歩の初歩を無料で延々と教えてさしあげている」形が続いていますが、この程度は「要出典」をつける前に今後は自分で調べてください。大多数の他の編集者はそうしています。(正直にいって、Miki08さんほど、あたかも発作を起こすかのように、安易・大量に「要出典」を付けたり外したりする方は、私は見た事がありません。記事は個人のワークシートではありません。ガイドを持ち出す以前に、人間として常識的なレベルや頻度も考慮してください。--Rabit gti 2010年7月23日 (金) 16:38 (UTC)


  • Rabit gtiさん、出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側、またはその編集を残すことを希望する側であり、除去を求める側ではありません。記事の改善のためにご協力お願いします。
前回のコメントで、Rabit gtiさんは「初歩の初歩を無料で延々と教えてさしあげている」と相手を馬鹿にした言い方や、「要出典」の付加について「人間として常識的なレベルや頻度も考慮してください。」と人格非難を込めた言い方をしています。批判するときも事実にもとづき礼儀を忘れないようにお願いします。
また、Rabit gtiさんが示した出典については以下のとおりです。
  • 空想的社会主義」の記事中の、「『科学的社会主義』に対する『空想的社会主義』なる語の使用は、単に『より旧世代である』というレッテル貼りでしかない」という記述についてですが、その情報源が示されておらず、出典として無効です。
  • 4についてですが、そのトップページに「内容の正確性については、まったく保証しません。」との断り書きがあり、出典として無効です。
  • 3についてですが、文章中で「中立的」という語は使われていません。
以上のことから、「空想的社会主義という名称は中立的なものとは言えない。」と記述するには、出典がまったく不十分です。--Miki08 2010年7月26日 (月) 05:03 (UTC)

コメント その用語が歴史的に明白に、批判者の側からのレッテル張りで行われた造語であり、それらの出典も多数ある事実を元に「空想的社会主義という名称は中立的なものとは言えない。」と記載するのは、百科事典として中立的に必要な記述です。各出典は百科事典ではないので「中立的」との語が必須ではありません。しかし、この用語を適切とみなすマルクス主義者も、不当とみなす各社会主義者なども存在するのが事実である以上、「この用語は中立的ではない」という記述が妥当です。なお、Miki08さんが他の編集者と比較して常識を超えた頻度での「要出典」の追加や削除を繰り返し、私が注意した事は過去に何回もあります。今回も再発したとみなすのは妥当です。--Rabit gti 2010年8月3日 (火) 15:35 (UTC)


(1) 「批判者」という記述について

マルクス、エンゲルスは空想的社会主義の単なる批判者ではなく、彼らの「天才的な思想の萌芽や思想をよろこぶ」と高く評価しています。詳しくは空想的社会主義の記事の中ほどの『空想から科学へ』からの引用をお読みください。

(2) 「レッテル張り」という記述について

「レッテル張り」という言葉には「不適切な断定」というニュアンスがあります。「適切なレッテル張り」とは言いません。空想的社会主義という呼称が「適切な特徴づけ」なのか「不適切なレッテル張り」なのか検討せずに、Rabit gtiさんは「不適切なレッテル張り」と決めつけています。

(3) 「中立的なものとは言えない」という記述について

「中立的でない」という言葉には「偏っている」「正しくない」という響きがあります。「…は中立的なものとは言えない」という記述は、その逆の見解が正しいことを示唆しており、中立的な観点に反すると思います。今回の場合、「中立的なものとは言えない」という記述に出典もないため、「空想的社会主義はマルクス主義の立場からの呼称である。」という事実の記述にとどめるのが適切と考えます。

(4) 無意味な「要出典」という非難について

(3)に照らして判断するなら、今回「社会主義」の記事に1ヶ所 要出典をつけたことは、無意味なことではなく、記事の改善に役立つことだったと思います。

(5) 記事修正の方法について

他の編集者は「要出典」をつけたりせずに記事を削除・修正しているようですが、そのほうがいいと思われますか?--Miki08 2010年8月6日 (金) 03:15 (UTC)


コメント (1)マルクスらが「空想的社会主義」を、評価と限界の両方を主張している事は事実です。しかし私の指摘は、マルクスらの意図ではなく、「空想的社会主義」という呼称(用語)自体が、「空想的であり現実的ではない、科学的なのはマルクス主義だけである」という明白なレッテル張りで、中立的な用語では無い、という話です。一般常識で考えても「空想的」と他称されて納得する社会改良家や革命家はいないでしょう。しかも「空想的社会主義」の場合は、特定の思想(グループ)を「○○的」と呼称したのですらなく、マルクス主義を「科学的社会主義」と自称して、それ以前の社会主義を全て「空想的社会主義」と総称した用語であり、歴史的に中立的でない用語である事は明白です。例えばインディアンも特定の立場からの呼称のため、呼称について詳細に記述されています。 (2) 言葉の遊びをするつもりはありません。私は用語が「正しい」かどうかの話しているのではなく、「中立的な用語ではない」と指摘しています。仮にマルクス主義の立場からは現在でも「特徴を現す適切で正しい用語」です。しかしマルクス主義以外の立場からは、そうとは限らない用語です。 (3) 「中立的でない」という事は「特定の立場からの説明や用語である」という意味です。Wikipedia:中立的な観点でも冒頭に「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない、というものです。」と表現しています。「正しい」かどうかの話はしていません。(4) 上記(1)~(3)により賛成できません。(Miki08さんは、特定の立場からの議論や編集があまりに多すぎる、という指摘を私は続けています)。 (5) 「要出典」をつけてから議論して対応する方が望ましい事は明らかです。ただし、いずれにせよ、個人の特定の立場から中立性を欠く指摘や議論や編集を続ける編集者は、Wikipediaでは不適切であり問題があります(本人が善意であれ)。--Rabit gti 2010年8月6日 (金) 05:38 (UTC)


  • (1)~(3)について。批判を含んだ他称が中立的でないとすれば、自称も中立的でないということにならないでしょうか? Rabit gtiさんの主張にしたがえば、賛成も反対もしていない中立的な第三者がつけた名称以外はすべて中立的な名称ではない、ということにならないでしょうか? そういったことは出典にもとづいて記述するべきだと思います。「(空想的社会主義という名称は)中立的なものとは言えない」という記述が信頼できる情報源に基づいていないなら、「Wikipedia:独自研究は載せない」にしたがって削除するのが適切と思います。
(5)の特定の立場からの議論が多いについて。「利用者‐会話:Miki08#政党政治、極右、極左の記事の編集」での議論と重なると思いますので、そちらで議論したいと思います。--Miki08 2010年8月9日 (月) 08:07 (UTC)


コメント (1)(3) 繰り返しますが、私は「特定の立場からの用語(レッテル張り)である」という意味で、単に「中立的ではない」という表現を使用しています。これはWikipediaガイドでの用法とほぼ同じです。「空想的社会主義という名称は、マルクス主義という特定の立場からの用語」である事は歴史的事実で、出典もあり、常識レベルです。例えば「南蛮という語は、蔑称の意味以外でも使われた」が事実でも、基本が蔑称(自己を良く、相手を悪く言う言葉として造られた語)である事は事実なのと同じです。なお、仮にMiki08さんの主張が、「空想的社会主義という名称は、マルクス主義という特定の立場からの用語」という事実(記述)は同意するが、単に本文で「中立的な用語ではない」と表現する事には反対している、のであれば、ファシズム修正と同様にすれば良いという意味ですか? (5) 場所はどちらでも。本日の政治的シンクレティズム多数の例示からファシズムなどのみを削除した件も、明らかに恣意的な削除選択で、非中立的にしか思えません。修正の動機が確信犯にせよ、単なる配慮不足にせよ、好ましい修正とは思えません。--Rabit gti 2010年8月11日 (水) 16:41 (UTC)


  • (1)~(3) 以下の記述なら、大きな問題はないと思います。
空想的社会主義という名称は、自らを科学的であるとするマルクス主義の立場からの呼称である。
以下はやや冗長ですが、同じく大きな問題はないと思います。
空想的社会主義という名称は、自らを科学的であるとするマルクス主義の立場からの呼称であり、彼ら自身が空想的社会主義と自称したわけではない。
他方、「空想的社会主義という名称は、中立的なものとは言えない」という表現では、「空想的社会主義という名称は偏っており不適切である」というニュアンスが強いため、賛成できません。細かいことですが、「称する」という言い方も「自称しているが本当はちがう」という意味が感じられ、中立的ではないと思います。
(5) 「利用者‐会話:Miki08#政党政治、極右、極左の記事の編集」で同じ趣旨の議論をしていると思いますが、足りなければ具体的に、そして最初から個人のノートページで提起するのではなく、できるだけ各記事のノートページで提起してください。
(5-2) 「政治的シンクレティズム」の編集については、「ノート:政治的シンクレティズム#右翼と左翼の結合について」の2010年8月13日付コメントで回答しました。--Miki08 2010年8月14日 (土) 01:03 (UTC)


コメント (1)(3) 以下記述で更新しました[5]。「ただし「空想的社会主義」という名称は、自らを「科学的社会主義」と称するマルクス主義の立場からの呼称である。 」(対比やリンクを考慮し「科学的社会主義」、呼称の話なのでカッコ書き、自称でないのは時代的に明白で詳細はリンク先にも記載済のため省略。)ただし私の修正理由は、「特定の立場からの呼称」と明記済のため「中立的ではない」事は明白で重複なので、というものです。なお「称する」との表現が「中立的でない」は、個人的な考えすぎとしか思えません。どの国語辞書でも「称する」や「提唱する」にネガティブな意味はありません。実際にも「科学的社会主義」や「空想的社会主義」という用語は、修正主義などと同様に、マルクス主義やその影響のある立場から使われおり、ソ連崩壊後では一般のマスコミでも使用頻度が減っており、社会民主主義や社会主義以外の立場からは避けられる事が多く、一般化したとは言い難い用語です。 (5) 基本的には、個々の記事の具体的な記述の議論はそのノートで、「中立的でない編集や迷惑行為を続けている」場合は当人の会話ページを中心に行うのが妥当と思います。各ノートで複数記事の話を続けるのは他編集者へも迷惑で、逆に個々の記事では「些細な編集」でも多数の記事で繰り返して全体として迷惑行為となっている場合も存在するためです。もちろん、片方の話が、他方の話に転じる事は多いですが。 (5-2) 了解しました。--Rabit gti 2010年8月15日 (日) 07:09 (UTC)


  • (1)(3) 了解しました。「称する」については、大辞林に「実際はそうではないのに、…であると言う。いつわる。」という用法が記載されています。
(5) 記事のノートでの議論だけで解決する場合もあると思いますので、よろしくお願いします。--Miki08 2010年8月17日 (火) 06:22 (UTC)

「ファシズム」でのノートの議論を無視した一方的編集について

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記事の記述の議論ではなく、編集の仕方への指摘のため、こちらにも書きます。ノート:ファシズムでの議論に、回答もせず一方的な編集(中立的でもなく、世界的視点でもなく、特筆性も疑問な「反論」を、記事内に追加する)をする事は、迷惑行為です。該当の内容は「批判」の節などに書かれています。「思想」はその思想の説明です。以上はウィキペディアの思想系の記事全体で各国語版を含めて一般的な構成です。取り消しました。過去1年間以上、このような行為があまりに多すぎます。ウィキペディアはマルクス主義者専用事典ではありません。意見や反論があれば、ノート等で議論してください。--Rabit gti 2010年9月25日 (土) 06:31 (UTC)

ノート:ファシズムの(F)で回答しました。--Miki08 2010年10月4日 (月) 13:08 (UTC)


拝見しましたが、該当の(F)「Rabit gtiさんは大幅な編集を続けており、私だけが編集できないのは不公平です。また、「あらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って」記事を書くという方針に照らして、このような加筆が認められないのはおかしいと思います。」としか書かれておらず、それへは私が2010年9月28日に「編集量の問題ではなく、中立的記述かどうかの問題です。中立的でなければ1行でも問題です。また中立的かどうかの議論はノートで行っています。なお私はMiki08さんの編集でも、問題ないと考えた編集は書き戻していません。私の履歴を参照。」と反論後、回答がありません。実際にその後も、私は問題のある編集のみを書き戻しており、Miki08さんを含め問題ない編集は残しています。指摘であれば事実に基づいてお願いします。

また、客観的な事実を以下に列挙します(記事への記述の議論ではなく、Miki08さんの編集姿勢の問題点のため、こちらに記載します)。


現在、Rabit gtiさんへの反論を準備中ですが、膨大な攻撃の一つ一つに説得力のある回答をすることは大変手間がかかり、 なかなか回答できずにいます。--Miki08 2010年10月10日 (日) 00:12 (UTC)

  • 了解しました。なお回答が遅いと抗議しているのではなく、未回答のまま更なる問題編集[7]をしたことを指摘しています。また仮に都合の良い出典を多数追加しても、中立的でない記述や偏向した編集を今後も認める可能性はなく、ノートの議論が長文化するだけで実際の進展はなく、他の参加者には迷惑なので、各項目とも単に了解した・しないで充分です。--Rabit gti 2010年10月10日 (日) 00:43 (UTC)

多数の記事でのガイドに違反する外部リンクの追加について

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Miki08さんが右翼ファシズム共産主義国家社会主義など多数の記事で同様の行為を行っているため、こちらに記載します。Wikipedia:外部リンクの選び方#掲載すべきでない外部リンク は、追加しないでください。単なる記事名でのネット辞書へのリンクは、リンク先の「記事に含まれている内容を本質的に超えないもの。」に該当します。なお、ガイドに記載のように「現在の当記事は内容が不十分なので、それを補うため」などは理由になりません。また、他の大多数の記事を見れば、このような事をしているのは Miki08さん程度とすぐに気づく筈です。ガイドの独自研究な解釈や反論、あるいは独りよがりな編集を続けるのではなく、ガイドを尊重してください。仮にガイドに意義があれば、ガイドへ改訂提案をしてください。--Rabit gti 2010年11月16日 (火) 15:09 (UTC)

(回答)Rabit gtiさんが指摘している、「掲載すべきでない外部リンク 」の該当項目の全文は以下のとおりです。
「1.記事に含まれている内容を本質的に超えないもの。これは、その記事が将来秀逸な記事に選定されたとき、当然含まれるべき内容以上の記述を持たない外部サイトへのリンクも掲載すべきでないことを意味します。」
これは、秀逸な記事になれば当然含まれるべき内容しか含まない、ありきたりで、情報提供性に乏しい外部リンクを意味します。小学館の『日本大百科全書』は基本的に専門家が書いたものであり、そのような、参照しても役に立たないものではありません。「ネット辞書」にもいろいろあり、国語辞典は外部リンクに値しませんが、定評のある百科事典が外部リンクに値するのは明らかです。--Miki08 2010年11月18日 (木) 00:56 (UTC)
まず、ガイドでは「ありきたりで、情報提供性に乏しい外部リンク」や「参照しても役に立たない」とは書いてありません。常識的には、役に立たないリンクはガイドに書くまでもありません。次に「国語辞典は外部リンクに値しません」は同意します。「定評のある百科事典」は(場合によっては「国語辞典」も)、必要であれば出典として掲載(できれば該当する箇所への 本文中に注釈を挿入する)すべきと思いますが、「外部リンク」への掲載は不適切と思います。(右翼では大和屋敷さんが節名を「文献情報」にしてしまいましたが、節名の話ではありません。)実際、日本語版でも各国語版でも大多数の記事では、「百科事典」は「外部リンク」には掲示せずに、本文中に注釈を挿入する形で使用しています。--Rabit gti 2010年11月18日 (木) 07:03 (UTC)
特別役立たない外部リンクを掲載すべきでないことは、「ガイドに書くまでもありません」どころか、ガイドラインで繰り返し強調されています。
Wikipedia:外部リンクの選び方の冒頭には、「記事の扱っている事柄についての理解を促進するのに特別役立たない外部サイトへのリンクを記事に掲載することは避けるべきです。」とあります。
Wikipedia:外部リンクの選び方#基本的な考え方の冒頭には次のように書かれています。
「1.その外部リンクが、記事の内容を補完するものであること。
2.その外部リンクが、記事の内容についての読者の更なる理解への助けとなること。」
掲載すべきでない外部リンクの第一に挙げられている、「記事に含まれている内容を本質的に超えないもの。」が同じ趣旨であるのは明らかです。そして、日本大百科全書などの百科事典が「記事に含まれている内容を本質的に超えないもの」ではなく、「記事の内容についての読者の更なる理解への助けとなる」ことも明らかです。多くの記事で百科事典への外部リンクが掲載されていないことは、ガイドライン違反の証明にはなりません。
ガイドラインに反する主張をおこなっているのは Rabit gtiさんのほうです。議論中にもかかわらず一方的に該当箇所を削除するというルール違反はやめてください。--Miki08 2010年11月20日 (土) 11:24 (UTC)
相手の文章の一部を読んで過剰反応するのは避けましょう。Wikipedia:議論が白熱しても冷静に。まず私が書いた趣旨は「今回話題となっている「掲載すべきでない外部リンク」の最初の項目の中の記述の中では、「役立たない外部リンクを掲載すべきでない」事は書いていない(いちいち繰り返していない)が、それは当然だから(別途書いてあるから)」というものです。つまり「ウィキペディアの全ガイドの中で、どこにも書いていない」という話はしていません。次にMiki08さんの解釈では、ウィキペディアの各記事には「定評のある百科事典」の該当項目へのリンクは積極的に掲載する方が推奨となりますが、現実には各国語版でも日本語版でも大多数の記事で行われていません。これは今回もMiki08さんと大多数の編集者の間でガイドの解釈が正反対(どちらかが独自研究)です。この客観的事実は、逃げないで、少なくとも認識してください。少数派であるMiki08さんとしては、必要ならばガイドの修正提案もできます(採用されるかは別ですが)。最後に、この話題は最初から会話やノート等で議論中ではありません。逆に削除後に私が会話にこの節を作りました。なお右翼のみで大和屋敷さんが削除後にノートで発言しましたが、既に終了しています。従ってルール違反はありません。私がMiki08 さんに、ガイドの説明と、ウィキペディアでの一般的な書き方を説明し続けているだけです。(相変わらず会話が通じないようですが、私の説明が下手であって、別の方からの意見なら理解して頂けるかもしれないので、Wikipedia:井戸端の併用も考えてみますね。)--Rabit gti 2010年11月20日 (土) 13:52 (UTC)
Wikipedia:井戸端に、経緯と他の方の意見希望を記載してみました。--Rabit gti 2010年11月20日 (土) 14:09 (UTC)
「議論中にもかかわらず一方的に該当箇所を削除した」というのは私の誤解でした。--Miki08 2010年11月25日 (木) 12:16 (UTC)

日本共産党のみを過度に弁護する編集を取り消しました

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常識的なバランスと中立的な記載を考慮してください。詳細は「ノート:極左#日本共産党のみを過度に弁護する編集を取り消しました」に書きました。偏向した迷惑編集の繰り返しはやめてください。--Rabit gti 2010年11月22日 (月) 12:20 (UTC)

中立的な記述に努力し、記述バランスにも気をつけています。「ノート:極左#日本共産党のみを過度に弁護する編集を取り消しました」で回答しました。--Miki08 2010年11月25日 (木) 10:41 (UTC)

中立的でない多数の編集はやめてください

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極右[8]極左[9]で中立的でない編集をしないでください。急進主義の意味は radical = 根 = 抜本的 = 革命的であり、過去にMiki08さんに説明済です。同じ不適切な編集を、時間差で繰り返さないでください。また社会主義とファシズムナチズムの思想的・歴史的な関連は、各リンク先記事に詳細に記載済です。極右・極左の記事での単なる「共通点」の列挙を、特定の立場で非中立的に改悪しないでください。更にノート:ファシズムでの1か月以上の無回答はWikipedia:合意形成のガイドに反しています。Wikipedia:中立的な観点に反する編集は、他のいかなるガイドでも正当化できません。私以外からも何回か中立的でないと指摘されている事を、真剣に受け止めてください。既に1年以上にわたり数十回も繰り返していますが、Wikipedia:中立的な観点を再読し、独自研究で独善的な解釈や正当化をしないよう、強くお願いします。--Rabit gti 2010年12月11日 (土) 03:04 (UTC)

(回答) (1) 抜本的、革命的な左翼と、極端な左翼(極左)は意味が異なるので、同義語でなく類義語としました。抜本的・革命的な左翼/右翼であっても極左/極右とは見られていない場合や、逆に、ならず者集団に近い極左/極右もありえると思います。
(2) 「時間差で繰り返した」について
極右を修正した後に、極左の同様の箇所を修正するのは当然のことです。
(3) 「共通点を書く節だ」という批判については、ノート:極左で反論しました(2010年12月13日のコメントの(回答)(1))。
(4) ノート:ファシズムへの回答は努力します。
(5) 上記の(1)、(2)からもわかるように、Rabit gtiさんの私にたいする「中立的でない」などの非難の多くは、自分は正しいとの考えにもとづく一方的な決めつけです。ウィキペディアは戦場ではありませんなどもお読みいただき、礼儀を忘れず丁寧にふるまっていただくことをお願いします。--Miki08 2010年12月13日 (月) 09:34 (UTC)
コメント (1)「左翼・右翼」の用語はヨーロッパ発で、英語で言えば「far, extreme, radical, ultra, (revolutionary)」などの多くの形容があり、それぞれニュアンス相違はありますが明確な相違や定義は無いため、一括して列挙しています。しかしMiki08さんは、日本語の漢字の語感だけで勝手に整理したため不適切です。「超右翼」の出典は存在します[10][11][12]。「ならず者集団に近い極左/極右」は、あまりに中立的でない概念です。共産主義者が敵対者に使用するレッテル張りに「うじ虫」「寄生虫」「豚」などがありますが、それと同じです。まず主観的表現であり、仮に「ならず者集団」が存在するとしても、右翼・左翼・中道でも同様です。ウィキペディアではファシスト党日本赤軍日本共産党も同等に客観的に中立的に記述する必要があります。ガイドだからではなく、必要だからです。(2)過去の極右極左での、Miki08さんを含めたレッテル張り合戦を指しています。 (3)反論になっていない事をコメントしました。 (4)努力の必要はありません。逆に同じ話のループならば更なる迷惑行為なので止めてください。 (5)客観的に言えば、私よりMiki08さんの方が、表現も丁寧で細かいガイドも読んでいます。そして履歴を見れば判る通り、私は1年以上、ほぼ毎週、取消、巻き戻し、大量編集をしていますが、私への「中立的でない」との指摘は、単純なミスや誤解を除けば、現在のところMiki08さんだけです。逆にMiki08さんの編集量は私の 1/100 未満の筈ですが、過去に複数の方から「中立的でない」「不適切」などの指摘を受けています。ウィキペディアの議論は全て公開されており、特に知名度の高い記事では、仮に過剰な個人攻撃があれば即座に横槍が入ります。(しかし妥当な指摘であれば、誰も介入せず放置される場合が大半のようです。良し悪しは別として。)私個人は正直には、他人の編集の取消も議論する時間も大変に残念ですが、過去に書いた通り、ウィキペディアの記事を非中立的な改悪から防衛するために、仕方なく続けている、という立場です。ここで本気で考えて頂きたいのですが、すぐに反論を考えて、利用できるガイドや出典を探すのではなく、根本原因がどこにあるか冷静に考え、Wikipedia:中立的な観点を再読ください。--Rabit gti 2010年12月14日 (火) 13:56 (UTC)
(回答)(1) 日本のマスコミで「極右」という言葉は外国人排斥などと関連して使われており、「急進右翼」(急進的な右翼)とは意味が異なるように思います。「急進右翼」は、「極右」の別名とするより類義語としたほうがよいと思い、記事を修正しました。「極左」も武力闘争と関連して使われることが多く、「急進左翼」、「革命的左翼」とは意味が異なるように思います。
Rabit gtiさんが示した「超右翼」の出典のうち、後の二つは革マル派の書籍や宮沢賢治を中傷している書籍であり、非常に偏ったものです。使用方法も、「超右翼的」など合成語の一部であったりしており、「超右翼」という言葉が一般的な用語でないことがかえって裏付けられたように思います。
「ならず者集団に近い」という表現が問題と思われるなら「抜本的・革命的でない」に読み替えて下さい。
(5) ファシズムの記事でコメント依頼をおこないました。--Miki08 2010年12月22日 (水) 07:52 (UTC)
コメント ウィキペディアは世界的観点で書くべきです。日本独自の傾向があれば補足的に書く場合もありますが、冒頭の説明を日本独自に修正するのは本末転倒です。また、「Ultra-Right」と「Ultra-Left」は多数の英文書籍で使われており[13] [14] [15]、その直訳が「超右翼」「超左翼」(出典: 日本人と日本文化国際協力事業団朝日新聞記事総覧)や、「ウルトラ右翼」「ウルトラ左翼」です(出典:諸君(文藝春秋)。使用頻度は低いため、冒頭の列挙では英語版でも日本語版でも最後にしていますが、存在しない用語ではありません。なお、革マル派は出典にならないと言うのは、中立的でない立場の典型です。個人的な好悪や偏見は、ウィキペディアの編集の議論に持ち込むべきではありません。また、なにが「抜本的・革命的」か、どの団体が「抜本的・革命的」かを決めるのは、Miki08さんではありません。実際には同一の勢力に対して、立場や観点により色々な表現や意味が混在使用しており、「○○党は革命的、○○党は暴力的、○○党は排外主義」などの固定的に定義は不可能で、またそういった発言を単に列挙してもレッテル貼りにしかなりません。従って極左等では基本的には、その概念や歴史を記述しています。繰り返しますが編集は中立的に行うべきで、その集団への個人的な好き嫌いを持ち込んではいけません。ウィキペディア上では、共産党ナチス赤軍派も、完全に同等です。--Rabit gti 2010年12月22日 (水) 09:33 (UTC)
世界的観点で書くべきという指摘については了解しました。「Wikipedia:独自研究は載せない」に立ち返って考えたいと思います。手近な和英辞典の「極左」をひくと、the extreme left、the far left、人の場合は an ultraleftist となっています([16][17])。「極右」の場合は the extreme right、the far right、ultraconservatism、人の場合は an ultrarightist、a fanatical rightist となっています([18][19])。
これらの和英辞典に載っている語については、原語表記または別名に掲載して だいたい問題ないと思います。逆に、和英辞典に通常載っていない語を原語表記または別名に掲載するには、相応の確かな出典が必要と思います。
「超右翼」、「ウルトラ右翼」という訳語(直訳)の出典については了解しました。
革マル派については、Wikipedia:信頼できる情報源#反体制勢力、宗教集団、過激派のウェブサイトの「よく知られた過激派さらにはテロリスト集団は、それらが政治的、宗教的、人種的あるいはほかの特徴を持つもののどれであっても、けっしてウィキペディアの情報源として使われてはなりません。」により判断しました。--Miki08 2010年12月23日 (木) 14:17 (UTC)
私の掲示した出典は、全てネット検索すれば誰でも一瞬で得られる内容です。出典記載義務は執筆者側にあるとはいえ、現実には全ての記事の全ての文に対しての、文中に注釈を挿入した形での出典の明記は容易ではないため、誰でも容易に確認できる内容ならば、まずはご自分でも確認される事をお勧めします--Rabit gti 2010年12月26日 (日) 14:37 (UTC)

利用者の行為についてのコメント依頼に出しました

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Miki08さんが複数のノートで、中立的ではない同じ編集要求を繰り返し続けている件について、Wikipedia:コメント依頼したので、お知らせします。該当のノートはWikipedia:コメント依頼/Miki08です。本人がコメントされる場合はWikipedia:コメント依頼/サンプルの「○○さんのコメント」の節のように記載できます。--Rabit gti 2011年1月19日 (水) 14:50 (UTC)

調べてから書いてください

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かねて多数の記事でお願いしていますが、知識の無い分野で、容易に調べられる内容を、まともに調べずに安易に改悪するのは止めてください[20]日本共産党の綱領では「党は、この状況を打破して、まず平和で民主的な日本をつくりあげる民主主義革命を実現することを当面の任務とし、ついで 社会主義革命 に進むという方針のもとに活動した。」と明記されています。「社会主義的変革」は、資本主義(民主主義革命後)から「社会主義・共産主義」へと移行する「変革」として、用語が使い分けられています。更に日本共産党自身のQ/Aでも「この状態を変革するのが、 社会主義革命 であり、それによって実現されるのが共産主義社会です」です。取り消しました。私以外の多くの方から多くのノートやコメント依頼で指摘済ですが、多数の記事で不正確な編集をするのはやめてください。--Rabit gti 2011年2月6日 (日) 14:18 (UTC)

(1) 上記の「……任務とし、ついで社会主義革命に進むという方針のもとに活動した。」というのは、戦前の日本共産党の説明です。日本の将来の社会主義への変革を指す場合、現綱領では「社会主義革命」ではなく「社会主義的変革」という言葉を使っています。
(2) 指摘の日本共産党による綱領解説3の中で、「社会主義的変革」という語は3回使われています。マルクスの著作にもとづいた共産主義社会の解説の中で「社会主義革命」の語が1回使われたことを理由に、現綱領の一貫した用語法を否定するのは無理です。Rabit gtiさんの独自研究です。
(3) Rabit gtiさんは私に「知識の無い分野で、……安易に改悪するのは止めてください。」と言っていますが、これは侮辱的な決めつけです。これまでもたびたびお願いしていますが、礼儀を忘れず、丁寧にふるまっていただくようお願いします。--Miki08 2011年2月7日 (月) 05:16 (UTC)

コメント 突然ですが横から失礼します。

Rabit gti様に申し上げます。日本共産党の記事の内容に関わる議論は、当該記事のノート欄にて行うべきものではないでしょうか。既にMiki08様が告知していますので、続きはそちらでなさった方がよろしいかと存じます。

また、「私以外の多くの方から多くのノートやコメント依頼で指摘済ですが」と書かれていますが、それにはMiki08様に対するコメント依頼において私が行ったコメントも含まれるのでしょうか。強制はできませんが、他者を非難する際に自分のコメントが引き合いに出されることを、私は望みません。他の利用者様どうしの対立の激化でなく、収束を願って敢えてコメントしたのです。そういう気持ちも汲んでいただきたいと思います。--Janpaul 2011年2月8日 (火) 04:04 (UTC)

コメントまず今回の発端となった私の取消しは、私の誤読でしたのでノートで撤回しました[21]。このため上記の私の発言も取り消し(取消し線)しました。大変失礼しました。次に、Miki08さんの会話ページに、Janpaulさんへの返信を書く事をご容赦ください。

Janpaulさんへ。ご指摘のように私も、記事の記述の議論はノートに書くべきと思っています。ただ私は当時「社会主義革命で間違いない」と完全に信じ込んでいたため、問題は記事の記述ではなく、利用者に「知識の無い分野で、……安易に改悪するのは止めてください。」と指摘したく、会話ページに書いたものです。しかし上記のように実際は私の誤読による問題でした。また「利用者への指摘なのでここに書きます」と最初に書いておけば良かったと思っています。次にWikipedia:コメント依頼/Miki08への大変公平なコメント、感謝しております。依頼者兼当事者のためコメントを控えていますが、「偏向」「独善的」「迷惑行為」などの表現は「中立的でない編集の繰り返しはやめてください」などの一般的な表現に戻します。私の書いた「私以外の多くの方」は「不正確な編集」の指摘なのでJanpaulさんの発言は含んでいません。ただ、被依頼者が改善せず、再度のコメント依頼や、最悪の場合はブロック依頼となる場合は、Janpaulさんが他の方によるコメントを客観的に例示して頂いたのと同様の形で、私も例示には加える予定でした。ただしそれは、判断材料提供のための「客観的事実の指摘」で、「他者を非難する」目的ではありません。なお私も「対立の激化」を望んでいません。お手数ながら私の履歴を見て頂ければと思いますが、私は単純な誤解を除き、当初から一貫して「Wikipedia:中立的な観点」に反する編集を、(相手が誰でも)取消や編集対応しており、(相手が誰でも)問題ない編集を取消などはしておらず、また自分の間違いと気づけばその時点で撤回している積もりです(そうでないものがあれば、教えて頂けると助かります。)私も収束を願っています。収束は簡単で、中立的でない編集や編集要求を続ける方が、その行為を止めるだけです。私が批判しているのはガイドに反する相手の行為で、相手ではありません。ただしガイド違反を繰り返す、複数の方のコメント無視を続ける方の場合は、過去の事実を併記する必要はあると思っています。被依頼者との不毛な「対話」は11か月続いており、正直、反論を書くのも個人的には大変不愉快で、好きで続けているのではありませんが、私としてはウィキペディアを中立的でない編集から「防衛」しているだけです。Wikipedia:中立的な観点はガイドによれば「絶対的で交渉の余地のないもの」なので、談合やバーター取引による編集は不適切と思っています。ただし、私に勘違いや問題行為があれば、今後とも指摘頂ければ大変助かります(本当に)。--Rabit gti 2011年2月8日 (火) 16:04 (UTC)
Janpaul様、コメントありがとうございます。--Miki08 2011年2月9日 (水) 06:17 (UTC)