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ノート:浄土真宗親鸞会/過去ログ2

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教団に批判的な外部リンクについて

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浄土真宗親鸞会に批判的な外部リンクを削除するユーザーがいるようですが、ウィキペディアは布教の場でも糾弾の場でもないのですから、教団の公式ウェブサイトと同じく批判的なウェブサイトへのリンクも必要かと思われます。皆さんのご意見をお聞かせください。--Dojo 2006年3月22日 (水) 07:52 (UTC)

とりあえず公式サイトを除いてコメントアウトしました。現在、大学などのサークルで新入生勧誘が活発な時期であり、浄土真宗親鸞会に好意的なサイトのみがあるのはどうかなと思います。--Jazzy 2006年3月23日 (木) 00:44 (UTC)
新規ユーザーです。この問題をほっておけなかったもので…親鸞会の学生勧誘活動はいろいろな大学で問題になっています。被害者も後を絶ちません。また、利用者:浄土真宗親鸞会というかなり紛らわしい利用者ページの存在があったり、はてなキーワードのリンク先[[1]]にある批判サイトへのリンク先が、いつの間にか別のサイトにすり替えられていたりと、ネット上でも怪しい動きが多すぎます。何しろ、良い評判は全く聞きません。ほかの新宗教団体と同じく、好意的なサイトと、批判的なサイトを両方書くべきだと思います。--智之 2006年3月23日 (木) 12:18 (UTC)
どんなユーザー名を使おうが、本人の勝手だと思いますが。そんなことで「怪しい動き」だの「良い評判は全く聞かない」だの偏った考えをされても困りますね。--Canina以上のコメントは、Canina会話投稿記録)さんが[2006-03-24 08:48:39 (UTC)]に投稿したものです。
すみません。私は利用者:浄土真宗親鸞会は検索結果を混乱させて親鸞会にネガティブな情報を隠しているように見えましたので…誤解でしたら申し訳ないのですが、普通はこういう紛らわしいユーザー名は使わないので、ついこうした意図があるように思ったのです。また、「よい評判は全く聞かない」というのは、実際に私の知る限りではそうなのです。組織名や宗教団体を隠して勧誘したり、組織的集団的な心理操作のような事が行われていると聞いています。親鸞会についての「良い評判」とは、残念ながら親鸞会の内部からしか聞こえてきません。また、脱会者にも会いましたが、自分自身が親鸞会にいたことを悔いると共に、非常に親鸞会の問題点について憂慮していました。利用者:Caninaさんもこの項目について随分編集に加わっておられる様ですが、こうした親鸞会の実態を明らかにしているサイトへのリンクを隠そうとしておられる様に思います。「良い評判は全く聞かない」というのが偏った考えならば、なおさら批判的なサイトへのリンクも加えるべきだと思いますが如何でしょうか。--智之 2006年3月24日 (金) 13:32 (UTC)
外部リンク以外にも関連団体とか関連項目(浄土真宗一の会を新規で立ち上げたのはCanina氏の筈だが?)、参考文献まで一方的に消すのは言論弾圧では? --名称未設定 2006年3月23日 (木) 13:14 (UTC)

賛否両論、ともに載せて、あとは、読んだ人に選択してもらえばいい

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親鸞会の問題点は、批判意見を受け止めて、それに耐えながら反論するというものではなく、 批判意見を聞き入れず、シャットアウトしてしまうところにあると思います。

どんな団体でも批判意見などあるものだし、本当にまともな宗教団体なら、 批判意見にも耳を傾けた上で、それらの批判に耐えながら、 歴史的に選択されてゆくものだと思います。

ですから、こういった公共のページには、 もちろん、親鸞会の公式ホームページも載せればいいし、それに反する親鸞会への批判的な内容も のせるべきだと思います。

賛否両論、ともに載せて、あとは、読んだ人に選択してもらえばいいと思う。 ここは情報を提供する場であって、最終的にどちらを信じるのか、 または、どちらもお互いに言い分はあると理解するのか、その判断は読者に任せればいいと思います。--木村耕二 2006年3月23日 (木) 15:03 (UTC)

木村耕二さんのご意見を支持します。どういうサイトがあるのかまったく知りませんが、ある程度認知されているサイトに絞って、賛否双方を載せるのが中立的な観点からいって妥当と思います。批判的なサイトを削除する動きがあると、親鸞会への印象をかえって悪化させるのではないでしょうか。--S kitahashi(Plé) 2006年3月24日 (金) 08:02 (UTC)
木村耕一からパクった利用者名を使う奴から言われても、説得力ないね。--以上の署名のないコメントは、半額会話投稿記録)さんが 2006-03-24 14:34:33 (UTC) に投稿したものです。

Jazzy氏の編集である「www.shinrankai.or.jp」のみ掲載する方針を支持します。Canina以上のコメントは、Canina会話投稿記録)さんが[2006-03-24 08:39:07 (UTC)]に投稿したものです。

木村耕二さんのご意見を指示します。Caninaさんの主張は、失礼ながら今までの編集履歴などを見ても思いましたが、親鸞会に対して批判的なサイトを何とかして隠したい意図を感じます。少なくとも、浄土真宗親鸞会被害家族の会[[2]]と、なぜ私は親鸞会をやめたのか[[3]]は、掲載しても良いのではないでしょうか。--智之 2006年3月24日 (金) 13:32 (UTC)
そんなに除名講師部員瓜生崇のサイトを載せたいのか? --以上の署名のないコメントは、半額会話投稿記録)さんが 2006-03-24 14:26:58 (UTC) に投稿したものです。
私はまだ新米なので判断が付きませんが、このようなところに公人でもない個人名を入れることが果たして妥当なことなのでしょうか。もし他の方も異論ないようなら、利用者:半額さんの書き込みを消したいと思います。--智之 2006年3月24日 (金) 16:09 (UTC)
瓜生氏は公人だろ? 出エジプト会で講演しているからな。--半額以上のコメントは、半額会話投稿記録)さんが[2006-03-25 15:53:52 (UTC)]に投稿したものです。

親鸞会で長年幹部として活動してきた人が、自分が体験してきたことに基づいて、具体的な意見を述べているので、親鸞会批判サイトとして、その意見を掲載していいと思います。誰が作ったか、以上にその内容が大事でしょう。また、「なぜ私は親鸞会をやめたのか」は、個人の意見だけでなく、親鸞会に批判的な人(現役会員も含めて)が、数多く意見を述べているので、非常に意義のあるサイトだと思っています。
ですから、「なぜやめたのか」に対する親鸞会側の反論サイトも含めて、両方掲載すればいいのではないでしょうか。「なぜやめたのか」だけでも偏っていますし、親鸞会側のサイトだけでも偏っているように思います。とにかく読者に両方の情報を与えることが意義あることだと思います。親鸞会は今まで、巧みな情報操作によって、批判意見をもみつぶしてきましたが、「なぜやめたのか」のサイトは、親鸞会を真っ向から批判し、親鸞会の圧力に屈しない数少ないサイトだと思いす。そういう意味で、「なぜ私は親鸞会をやめたのか」は、今までのサイトにない、非常に意義のあるサイトだと思っています。--木村耕二 2006年3月24日 (金) 15:45 (UTC)

中立性・公平性の維持の観点から、肯定的なサイトと否定的なサイトは同数であるのが望ましいと思います。また、上の議論では必ずしも理性的な議論がなされているとはいえない状況にあるようですが、私に対するものも含め、反対意見には合理的理由を付することをお願いします。--S kitahashi(Plé) 2006年3月24日 (金) 15:49 (UTC)
  • 私もS kitahashi/sigさんと同じ意見です。中立性、公平性を維持する上で、肯定的なサイトと否定的なサイトと両方掲載することに何か問題があるでしょうか? Caninaさんがなぜ、親鸞会に批判的なサイトを載せることに躊躇されているのか、理解できません。分かりやすく、ご意見を聞かせて下さい。しっかりとした意見を述べられないのなら、一部の意見をもみけそうとしていると言われても仕方がないように思います。逆にしっかりとした意見を述べて下さるなら、また、考える余地があると思いますが、いかがでしょうか? --木村耕二 2006年3月24日 (金) 15:58 (UTC)
  • S kitahashi/sigさんの仰るとおり、肯定的なサイトと否定的なサイトを同数載せる事が好ましいと思います。他の新宗教団体の項目を見てもそのようになっているようです。Caninaさんがどのような考えで親鸞会に否定的なサイトを載せることに反対なのか、未だにしっかりとした理由を書いておられないようですが、親鸞会が社会的に大変に問題視されている団体であるということは紛れもない事実なのですから、そうした情報を閲覧者に与えるのは客観性という観点からきわめて重要だと思っています。如何でしょうか。--智之 2006年3月24日 (金) 16:09 (UTC)
  • 肯定的なサイトと否定的なサイトを両方掲載することには賛同します。ただ、両者を同数にすることにこだわる必要があるのでしょうか。数合わせのために、掲載するに値しないサイトへの外部リンクを貼り付けても仕様がありません。個々のサイトについて掲載すべきか議論していく過程で自ずと中立的な記事に仕上がるように思います。--Dojo 2006年3月24日 (金) 16:26 (UTC)
私が「同数」にこだわるのは、以下のふたつの理由によります。1.本来は数合わせなどする必要はないと思いますが、ここまで議論が行われている以上、外部リンクの選別には気を遣ったほうがよいのではという点。もちろん、数合わせのために無用なサイトを挙げる必要はないと思います。2.我々と括っていいのか分かりませんが「否定的サイトを載せるべきであるとする派」も、一定の譲歩をしたほうがいいのではないかという点。Caninaさんや半額さんが理性的な議論をしているかどうかはアレですが、多数意見をもって少数を封殺することには抵抗を感じます。それぞれが譲歩するかたちが望ましいと考えます。
具体的には『Jazzy氏の編集である「www.shinrankai.or.jp」』が肯定的なサイトと認定し、批判的なサイトを1件に絞ることを提案します。上掲2サイトは双方とも捨てがたいものがありますが、あえて一つに絞ることによって、記事の中立性と正当性を主張できると考えます。--S kitahashi(Plé) 2006年3月24日 (金) 19:56 (UTC)
--S kitahashi(Plé)さんの意見に賛成致します。親鸞会の公式サイトと、批判的なサイト一つというのがもっとも適当かと思います。批判的なサイトは浄土真宗親鸞会被害家族の会が適当かと思います。なぜ私は親鸞会をやめたのかも大変資料価値の高いサイトですが、被害家族の会からのリンクで容易に訪問可能ですし、ほかの肯定的サイトについても公式サイトからほぼリンクとして網羅されているでしょう。--智之 2006年3月25日 (土) 00:39 (UTC)
また、これは本題とは関係ありませんが、本文の記述について、若年層への布教において統一協会などと同じく宗教団体であることを隠して勧誘していること。その活動が大学関係者の中で非常に問題になっていることも記述した方が良いと思います。この組織は非常に多くの問題を内包していますが、その中でも真っ先に挙げられるのがこの問題です。ウィキペディアの中立性、客観性の観点からもこの問題点を取り上げることは妥当だと思います。--智之 2006年3月25日 (土) 00:39 (UTC)

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  • 智之さんの意見に賛成です。公式ホームページと、被害家族の会のホームページと、両方掲載されていれば、意見の対立しあったものが両方掲載されていて、読者としても非常に興味深いと思います。--木村耕二 2006年3月25日 (土) 03:18 (UTC)
  • 智之さんの意見に反対です。中立性という問題に関してですが、百科事典という性質上、公式サイト1つでシンプルにいけばいいと思います。
    批判系のサイトは、わざわざ掲載しなくても、検索すれば出てきます。
    訴訟で係争中というのなら話は別ですが。--ます56 2006年3月25日 (土) 05:48 (UTC)
公式サイト1つでシンプルにいくのは、ケースによってはアリだと思います。本記事でそれが適用しづらいのは、一定の「反浄土真宗親鸞会派」がいること、そして社会現象としてそれなりの認知度をえていること、何よりこのノートで議論になっていることが理由にあります。これまでの議論を反映せず、公式サイトのみでいく場合、皆が納得するだけの理由が必要となるのではないでしょうか。--S kitahashi(Plé) 2006年3月25日 (土) 06:42 (UTC)
事実として、親鸞会の勧誘活動が社会的に問題になっていること、また、親鸞会によって被害を受けたと主張する人が多数存在することをこの場合考えなければならないと思います。ます56さんは百科事典という性質上公式サイト一つと主張しておられるようですが、どういう性質上どうして一つでなければならないのかという、説得力のある理由が見いだせません。ほかの新宗教団体の記事を見てもそうですが、社会的に批判を受けている団体は批判的なサイトへのリンクをその記事に含めています。あと、検索すれば出てくるという問題ですが、現在親鸞会は弘宣部という部門において、検索エンジンでの検索結果から、親鸞会への批判的なサイトを排除するという対策を行っており、これは元親鸞会の幹部の証言により明らかになっています。(この事はいずれ公にされると思われます) こうしたことからも、批判的なサイトへのリンクを記事に含めることは必要だと思っています。--S kitahashi(Plé)さん、木村耕二さんの意見に賛成です。--智之 2006年3月25日 (土) 08:37 (UTC)
補足ですが、利用者:ます56さんは、1万年堂出版について、同社の宣伝費として親鸞会で献金が募られていた件、などのノート記載事項を、合意を得ずに白紙化するなどの行為をされています。親鸞会について批判的な意見は何が何でも消したいというお考えかも知れませんが、この記事においても単に批判的な意見を隠したいがために、リンク先を公式サイト一つと限定しておられるのではないかと疑われても仕方がないように思えますが如何でしょうか。私はここで親鸞会を批判したいと思っているのではありません。ただ、多くの批判がある団体なのだから、そのことも記事として含めるべきだと申し上げているのです。--智之 2006年3月25日 (土) 09:00 (UTC)
批判したいから出て来たんだろ。正直に言え。--半額以上のコメントは、半額会話投稿記録)さんが[2006-03-25 15:53:52 (UTC)]に投稿したものです。
半額さん、あなたは親鸞会の会員さんですか? ここは感情的に自分の主張をぶつける場ではありません。理性的に意見を言えないのなら編集に参加する資格はないように思います。--智之 2006年3月26日 (日) 03:48 (UTC)

私は正直に言いますが、親鸞会には批判的です。親鸞会は組織ぐるみで社会的に問題のあるマニュアルまで作り、宗教法人の名前を隠して、全国の大学で勧誘活動を行っています。(詳細は「なぜ私は親鸞会をやめたのか」に述べられています)このような点で、親鸞会は社会的に非常に問題のある団体だと思っています。すでに、多くの大学で過去問題になっており、公認化を取り消された大学も少なくありません。また、献金をめぐってのトラブルなども、過去、たくさんおきていますし、親子間の問題も沢山取りざたされており、被害家族の会がすでに存在しています。ですから、社会において多くの人からそのように見られている親鸞会の姿を描いた、親鸞会に批判的なサイトを掲載すべきだと考えています。ただ、批判的なサイトだけでは、親鸞会の一部にしかならないと思います。親鸞会の公式ホームページも載せて、中立性を保つべきだと思います。そういった意味で、肯定的なサイトと批判的なサイトの両方を載せるべきだとおもいます。すでに長年にわたって、多くの批判を受けているのが親鸞会ですから、「親鸞会とはこのような団体(肯定的サイトで紹介)です。しかし、数々の批判を受けている団体(批判的サイトで紹介)である」ということも、きっちり掲載すべきだと思います。--木村耕二 2006年3月25日 (土) 16:53 (UTC)

  • それでは、リンク先については公式ページと、親鸞会被害家族の会の二つということで宜しいでしょうか。皆さんの同意が得られれば変更をお願いしたいと思います。--智之 2006年3月26日 (日) 12:20 (UTC)
私も「公式ホームページ」と「被害家族の会のホームページ」の2つでいいと思います。--木村耕二 2006年3月26日 (日) 12:58 (UTC)
智之さんへ、それに関しては反対です。辞書という観点から言っても、反論・反対系のサイトを載せていくって言うことでいいますと、親鸞会側の方で、反・被害者家族の会サイトを立ち上げたらそれも載せるって言うことになるんでしょうか?
それに対して、反「反・被害者家族の会サイト」ができたらまた、それも掲載するって言うことでしょうか?
そもそwikipediaで言葉を調べるような人は、検索エンジンを使える人ばかりでしょうから。「親鸞会」で検索をしたときに出てくる、「被害者家族の会」サイトを、「浄土真宗親鸞会」に掲載する必要性は感じません。
上記理由により反対いたします。--ます56 2006年3月27日 (月) 14:03 (UTC)
ます56さん。親鸞会のサイトはネット上にあふれんばかりに存在していますし、批判系のサイトもいくつかあります。それに反論するサイトもあるのでしょう。ですから、それらを代表して一つずつ載せたらどうかというのがここまでの皆さんの意見です。検索エンジンで訪問できるサイトを掲載する必要性がないのなら、公式サイトだって必要性がありません。インターネット上の百科事典なのですから、ハイパーリンクで参考になるサイトへの道筋を示すのはごく当たり前のことではないかと思いますが如何でしょうか。統一協会にしても、創価学会にしても、エホバの証人にしても、顕正会にしても、公式サイトへのリンクと共に批判系のサイトへのリンクを持っています。それは、その団体について触れる以上、多くの批判を受けている団体である、という事を、各団体の主張とは別にきちんと明らかにしている訳です。私は残念ながらます56さんの今までの投稿履歴などを見ても、親鸞会に批判的な記述やリンクを消して回っているだけのように思えます。それは、本当は辞書という観点が重要なのではなく、親鸞会に批判的なサイトを見せたくないだけではないかと勘ぐりたくなります。そうした声を無条件で聞いていては、中立的な百科事典とは言えないでしょうね。--智之 2006年3月27日 (月) 15:37 (UTC)
利用者:ます56氏は、この議論が『公式』と『被害者の会』のみに絞ると言う方向でまとまっているのを現状維持(公式にのみリンク≠Wikipedia日本語版に問題が無い団体としか書かれていない様に見せかけたい)したいが為に反論している様にしか見えませんが? --名称未設定 2006年3月27日 (月) 15:56 (UTC)
利用者:智之氏と、通りすがりさんの意見しか、聞いてませんが、まとまりつつと言われても、私は合意しかねます。
社会的に問題のある団体だと、社会的に認知されているといっても本当でしょうか? 宗教法人だからいろいろとこころよく思わない人もあるでしょう。そもそも、それほど名前が知られていないのが現状ではないでしょうか? 顕正会や、エホバの証人と同列にならべて考えるのは、規模の面や、実害の程度(訴訟や刑事事件も含む)を考えて、あえて両側サイトを掲載する必要は感じられません。--ます56 2006年3月28日 (火) 07:39 (UTC)
ます56さん。残念ながら、親鸞会が社会的に問題のある団体だと認知されている事は本当です。特に大学関係者(教職員)や、カルト宗教の被害相談に関わっている方にとっては親鸞会というのは大変問題のある団体として知られています。大学側に寄せられる相談件数などを考えると、顕正会や統一教会と程度は一緒といえるかもしれません。そしてその批判の多くが、度をすぎた勧誘や入信への方法、また金銭をめぐるものであり、この点も顕正会や統一教会と類似しています。招待を隠した勧誘という点だけでも問題だと思いますが、その他にも、親鸞会の学生会員が、被害相談する親御さんの電話を盗聴したり、メールを盗み見て組織に報告したり、といった事例まで報告されています。ます56さんが被害の程度という点についてどの程度認識し、どういう根拠で同列に並べる事はできないと考えておられるのかわかりませんが、親鸞会が「問題のない」団体ならば、受けている批判をきちんと明らかにした上で、親鸞会という団体を見る人が判断すればいい事であって、これをもって「両側サイトを掲載する必要はない」と主張するのは幾分無理があるように私は思います。また、重なりますが、ます56さんご自身の投稿記録を拝見した感想を述べさせていただくと、辞典にふさわしい中立的な記事を作成する事を主眼において投稿されているというよりは、親鸞会に対してネガティブな記事を消して回っておられるようにしか思えないのですよ…。組織というのは様々な批判を受けて健全な方向にシフトしてゆくものです。記事とは関係ありませんが、もし親鸞会の言う事が絶対に正しく、それに対する批判はすべて誹謗中傷だと思っておられるとしたら、そうした考えは大変に危険なものであると老婆心ながらご忠告させていただきます。--智之 2006年3月28日 (火) 14:02 (UTC)

やはり、私は公式ホームページと被害家族の会のホームページの両方を掲載すべきだと思います。親鸞会についてあまり よく知らない人が、「どんな会なのか?」と調べたい時に、会の公式ホームページは、会としての自分たちの団体の内容を 明記したものですから、これはもちろん掲載が必要ですが、親鸞会はこれまでに、多くの批判を受け、家族問題まで 起こし、社会的にも全国の大学当局、自治体で問題になっている親鸞会の負の面を紹介することは重要だと思います。 これは、1人や2人が言っていることでは、ないのですから。 私の知っている人の中には、これらの両方のホームページをみて、親鸞会への入会を決意された人もいれば、入会され なかった人もいます。親鸞会の問題については、大学当局や、大学の自治体、また、カルト宗教を研究している学者の中 でも知られており、一番は、親鸞会(特に学友部)は、入会する人の中で、退会する人の割合が非常に高く、様々な 批判を受けています。親鸞会について辞書として説明を行う上で、公式ホームページとともに、批判的な内容のものを 掲載し、「一方で、親鸞会はこのような批判も受け続けている」との説明は必要であり、非常に重要であると思います。--木村耕二 2006年3月28日 (火) 14:18 (UTC)

顕正会やエホバの証人と比べれば規模は小さく、一般的な認知度はまだまだ低いのかもしれませんが、逆に親鸞会を 知っている人たちや、親鸞会の大学での活動を知っている職員、また、親鸞会の会員のご家族の方々といった人たちは、 「親鸞会は問題のある団体」だと完全に認知されています。訴訟や刑事事件といったことにまでは至っていないのかも しれませんが、特に学友部は毎年多くの問題を起こし、親鸞会をやめる人があとをたたず、実際に在籍していた人たち、 そしてその関係者の方々が多くの批判を行っています。

ます56さんの意見を聞いていると、「掲載の必要なないのでは?」といったような非常に消極的な意見であるように 感じます。「多くの必要性を感じる」という積極的な意見と比べると、あまりにも消極的で、必要性を感じる人が 多いのですから、掲載しても構わないのではないでしょうか? それとも、「掲載してはならない。掲載することには 問題がある」とお考えなのでしょうか? もし、そのようなご意見でしたら、「掲載することには問題がある理由」に ついて、論理的、積極的なご意見を聞かせて頂きたいと思います。

ます56さんが、親鸞会の社会的な問題点をあまり御存知なく、必要性を感じないだけなのでしたら、批判的サイトを 掲載しても問題ないように思います。むしろ、私は「批判的な内容のサイト」は、多くの批判を受け続けている親鸞会の 紹介をする上で、是非とも必要だと感じています。ただ、肯定的な情報と否定的な情報を公平に入手して、親鸞会に 対してどのような認識をもつのかは、あくまで読者一個人に任せればいいと思います。--木村耕二 2006年3月28日 (火) 14:31 (UTC)

掲載する必要は無い、と言いますか、掲載しないべきである、という意見です。
批判があるのは事実ですが、そもそも批判されない存在などあり得ません。公平を期すためには、賛否両論載せるべきだという意見は、一見、客観的なように思えるところが、怖ろしい罠だと思います。賛否両論あるのは、表記する以前に、調べる者が知っておけばよい常識です。問題は、その「否」の部分が、どれだけ強いか、という点です。
批判的な側からすれば「大変強い」と言うでしょうし、擁護する側からすれば「弱い」と言うでしょう。それを、強いから載せるべきだ、弱いから削るべきだ、という議論にしなければならないのだと思いますが、間に入る立場の者がいないのですから、無理です。皆さんの意見を読む限り、擁護側と批判側しかいないようですから、無理です。
批判側の「『親鸞会は問題のある団体』だと完全に認知されています」などの表現が、それを如実に表わしています。
それと、批判側の皆さんは、賛否両論サイトに、それぞれ、「親鸞会公式サイト」と「被害者家族の会」とを主張していますが、それは暴論でしょう。どさくさに紛れて、という様相です。百歩譲って、両論併記というなら、「親鸞会公式サイト」擁護側のサイトでは無くて、親鸞会を公式に説明しているサイトですから中立と見なされなければならないでしょう。そのほかに、賛否両論の2サイトを、という話で無ければ、譲歩も何もあったものではありません。
「家族の会」を掲載したいというのであれば、擁護側に、擁護するサイトを1つ載せる代わりに、批判サイトを1つ載せることでどうでしょうか、と。もっとも、擁護側は、それに同意しない可能性は極めて高いでしょうが。--Jazz 2006年3月29日 (水) 00:55 (UTC)
Jazzさん。新しくアカウントを作られた方のようですね。この節の最初の方にJazzyさんという方が書き込みをしておられるのをご存知でしょうか。他意は無いと信じたいところですが、「李下に冠をたださず」という言葉もあるのですから、あまり紛らわしいユーザー名を使うのはおやめになった方がいいかもしれません。
さて、「批判側の皆さんは〜どさくさにまぎれて、という様相です」と仰っていますが、新しく入ってこられた方のようなので説明しますと、実はそうではないのですよ。当初この親鸞会の項目には、「被害家族の会」へのリンクが存在していたのです。それが保護解除の後に、主にリンクを巡って激しい編集合戦となり、それでいったん公式サイト以外のリンクを全部消して、ここで話し合いをしましょう、という経緯なのです。ご存じなかったとはいえ、この点はjazzさんの誤解ですから、ご承知おきください。
さて、間に入る立場の人がいない、また、批判者と擁護者しかいない、と断定しておられるようですが、この節の前半の部分をご覧になっては如何でしょうか。Wikipediaで多くの編集に加わっておられるような立場の方が、批判サイトへのリンクを考えるべきだとはっきり仰っていますよ。私はこれらの方々の意見は中立的な方の意見だと思っていますが如何でしょうか。
また、文章全般をみて思った事ですが「暴論」とか「恐ろしい罠」などの表現を見ますと、随分感情的になっておられるように思いますが御自覚はありませんでしょうか。相手の意見を「暴論」と断定するには、よほどの根拠がなければならないと思いますが、それだけの根拠や裏付けに乏しいような感がしております。「賛否両論あるのは、表記する以前に、調べる者が知っておけばよい常識です。」という言葉などを読ませていただきますと、私などはいったいそんな事を常識だといつ誰が決めたのかなぁ(笑)と、不遜にも思ってしまいます。私がもし「批判を受けている団体には、批判側のサイトへのリンクをつけるのが『常識』です」と申し上げたら、果たしてjazzさんはどう思われますか?
批判者と擁護者がいるのは当然でしょう。双方の主張が噛み合ないのも考えられる話です。だから批判側のサイトもリンクする事によって、後は読者の判断に任せたらどうか、という意見を「暴論」と断ずるにはあまりにも無理があるように思っています。--智之 2006年3月29日 (水) 14:01 (UTC)
Jazzさんがどのような立場の方なのか、よく分かりませんが、言葉遣いなどを見ていると、智之さんが指摘されるように「恐ろしい罠」とか「暴論」といった感情表現が目立ち、何とかして批判サイトを掲載させたくない、というお考えなのかな、と思ってしまいます。逆に、Jazzさんからすれば、親鸞会に批判的な人たちの「『親鸞会は問題のある団体』だと完全に認知されています」との表現は感情的に思えるのかもしれません。ただ、どなたかも言われていたように、批判や問題のない団体など、ある訳がないのですし、また、私もそのような表現を使っていますが、親鸞会に問題があるからといって、「親鸞会の全てが悪い」「親鸞会の存在意義はない」といった意味ではありません。ですから何度もいうように、親鸞会が自分たちを紹介するために良いことを書いている「公式ホームページ」(けっして中立ではないと思いますが)を掲載する一方で、多くの人が指摘している、親鸞会の問題点について述べられている批判的なサイトを掲載すべきだと言っているのです。
また、「賛否両論あるのは、表記する以前に、調べる者が知っておけばよい常識です」と言われていますが、不思議にも多くの検索エンジン上では、親鸞会に批判的なサイトはことごとく検索順位が操作され低くなっていますので、「調べるものが知っておけばよい」と言われていますが、調べてもなかなか知る機会がないのではと思います。だからこそ、ここでは百科事典としての機能を正しく働かせるために、親鸞会に肯定的なサイトと批判的なサイトの双方を掲載すべきです。そうすることによって、親鸞会について調べた人が、「親鸞会は〜という団体であり、〜といった批判を受けている団体である」という情報を入手することができるのです。
過去、数多くの人によって、様々な批判を受けているにも関わらず、調べた人がそのような情報を入手できないのは、どう考えても公平性や中立性が損なわれているように感じます。
公式サイトによって、親鸞会の歴史、教義、各地での活動、また会員の声といったことを知れる訳ですから、親鸞会についての非常に詳しい情報が得られると思います。そこに、「親鸞会への批判の声」として、批判的なサイトを共に掲載する訳ですから、より公平・中立で情報量の多い内容になるかと思います。あくまで親鸞会を批判するためだけのものではありませんし、中立性が保たれるべきですから、批判サイトは5個も10個も並べるのではなく、1つくらいでいいと思います。いかがでしょうか? --木村耕二 2006年3月29日 (水) 15:36 (UTC)

外部リンクのバランス

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横から失礼。上で上げられている外部リンクを拝見しましたが、この会を知る上では

  • 公式サイト
  • 好意的なサイト(父母の会など)
  • 批判的なサイト(浄土真宗親鸞会被害家族の会、または なぜ私は親鸞会をやめたのか など)

の3種類を乗せるのが良いのではないでしょうか。ウィキペディアの「好意的に書く」という原則を考えれば、公式サイト以外に、批判的なサイトのリンクと同数、好意的なサイトを載せるほうがバランスが良いと思われます。

親鸞会擁護の方へ:この会に限らず、宗教を扱う項目では、どんな批判があるかという情報は貴重です。布教に支障があるのではと心配されているかもしれませんが、入会前にそういう批判があるということを知って、なおかつ入信(というのでしょうか?)されるのが、理想ではありませんか? --miya 2006年3月29日 (水) 16:44 (UTC)

  • miyaさん、貴重なご指摘ありがとうございます。私は公式サイトと批判的なサイトを各1種類と考えておりましたが、ご意見を拝聴しますと3種類でも良いように思います。私自身が親鸞会の会員の家族や、現会員、脱会者、学校関係者といった方から多くの相談を受けてきたこともあり、その経験を踏まえて申し上げるのですが、「親鸞会がこのような団体だと最初から知っていたならば、入らなかった」といわれる方が本当に多いのです。(もっとも、主に学生への布教において親鸞会は団体名を隠して勧誘しますが、これも自分たちが多くの批判を受けているとの自覚があるから、隠しているのでしょう) 一般的に宗教というのは一旦入ってしまうと、精神的に多くを依存してしまい、疑問を持ってもそれを打ち消す方向に心が動いたり、あるいはおかしいと思っても中々抜けるだけの勇気を出せなかったりします。ですから「宗教を扱う項目では、どんな批判があるかという情報は貴重」とおっしゃるMiyaさんのご意見には深く同意します。Miyaさんのご意見に賛同いたします。--智之 2006年3月30日 (木) 03:35 (UTC)
  • miyaさんの意見も分かりますが、宗教団体だから、批判的なリンクをのせるのが、普通であるというのは賛同しかねます。智之さんの意見も、宗教団体だから、他のイメージも載せていいはずだという意見ですが、私は反対します。一般企業名をwikipedia検索しても、外部リンクは公式サイト一つになっています。企業名は外部リンク1つでよいけれど、宗教団体は批判意見(大小によらず)というのは、どうかと思います。「好意的に書く」というのなら、公式サイト一つでよいと思います。--ます56 2006年3月31日 (金) 11:24 (UTC)
ます56さま。「批判的なリンクをのせるのが普通」とは誰も申していません。miyaさんは、この会(親鸞会)を知る上では、3種類のサイトをリンクした方がよいと仰った上で、その中に批判的なサイトを一つ加えておられるのです。
そして、「宗教団体は批判意見(大小によらず)というのは」とも誰も言っていません。私に関しては前々からずっと、親鸞会は大変に問題の多い団体であるから、批判意見も掲載した方がいいと申し上げております。親鸞会の正体や立場を隠した勧誘が、様々な大学で問題になり関係者が苦慮していること、あるいは毎年親鸞会について非常に多くの相談がよせられ、会員の家族の方が苦しんでおられる事。そして何より脱会された方が、今までなぜあんな多くのお金や時間を費やして来たのだろう、と悔やみ、苦しんでおられる事。そうした事は今までの投稿で十二分に書いて来たはずです。そして、宗教団体について批判的な意見があるという情報がなぜ貴重なのかについても、説明しています。それらへのきちんとした反論が無いまま、ただ、「一般企業は公式サイト一つなのだから」と言われるのでは、納得される方は少ないのではありませんか。そもそも一般企業と宗教団体を同列に扱う事はできないでしょう。
先ほどからます56さんのご意見を拝見しておりますが、失礼ながら「批判サイトへのリンクを考えるべきだ」という他の多くの人の意見に対して、主張を曲解して批判するなど、誠意のあるお答えをしておられるとは考えにくいのです。重ねて申し上げますが、今までの投稿履歴をみても、親鸞会に対して批判的な意見を消したいだけなのだろうか、と思う次第です。
批判的なサイトへのリンクがあると都合が悪い、とお考えなのかもしれませんが、親鸞会の皆さんが言われるように「唯一絶対の真実を説く幸せな集まり」が親鸞会ならば、たとえ多くの批判があっても自ずと人は集まってくるでしょう。そうした批判を受け入れず、ただネット対策などを通して批判を隠そうとしたり、「組織を批判しない」と会員に誓約書を書かせているようでは、これは「創価学会」や「顕正会」と同一に論じられても仕方ないと思いますが如何でしょうか。
以上、少し話題がそれてしまいましたが、私の意見です。ます56さんにおかれましては、なぜ批判的なサイトを載せる事を是としないのか、ここにおられる他の方の意見を曲解せずきちんと受け取った上で、説明される事を希望いたします。--智之 2006年3月31日 (金) 13:55 (UTC)
一般企業に関する記事にも批判的な外部リンクは掲載されてしかるべきでしょう。それが為されていないのは記事が「書きかけ」であるからに過ぎません。記事の内容を補足する上で意義のある外部リンクは、たとえ批判的なものであっても掲載するべきです。記事の対象として捉える限り、一般企業と宗教団体とを区別する必要はないように思います。--Dojo 2006年3月31日 (金) 14:18 (UTC)
Dojoさん。ありがとうございます。同感です。--智之 2006年4月1日 (土) 02:45 (UTC)

本文で書くかリンクで済ませるか

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企業の話が出ましたね。たとえばアムウェイをご覧ください。これは外部リンクは現在公式サイトのみで、問題点は本文内で詳述されています。こうすれば批判サイトをリンクする必要もなくなります。ます56さんはリンクで済ますのと本文で詳述するのとどちらが良いと思われますか? --miya 2006年3月31日 (金) 17:09 (UTC)

いまアムウェイの項目を読みました。かなりの字数を割いてアムウェイの問題を指摘していますね。親鸞会の問題点をきちんと書いたならばこの字数では収まらないと思いますが、例えば週刊誌などで報道されていて、「これが親鸞会の問題点である」と広く認知されている事を中心にまとめて、記述する事も考えられると思います。私はあくまでも「批判的なサイトへのリンクを入れるべきだ」と考えておりますが、まる56さんがどうしてもと仰るのなら、miyaさんが提案する「本文で書く」というのでもあり得るかなと思っております。
ます56さんにおかれましては、ただ反対、反対と連呼されるだけではなく、これだけ多くの人が批判サイトへのリンクを考えるべきだと意見を言っているのですから、それに応じた妥協点や対案を出して頂きたいと思います。--智之 2006年4月1日 (土) 01:26 (UTC)

大変議論も長くなりましたので、ここらで結論を出したいと思うのですが如何でしょうか。私自身は批判的なサイト1種を含めた3種のリンクを入れる事を提案いたします。ここまでの議論の流れを見ますと、批判的なリンクを入れるか、本文に親鸞会の問題について記述するかのどちらかになると思います。その場合は週刊誌や月刊誌などで報道された親鸞会の問題点を、整理して載せるというのでは如何でしょうか。このノートの議論を見てもお分かりとは思いますが、批判的サイトへのリンクも親鸞会の問題点について記述する事も、いっさいまかりならんというのは、いささか主張としては無理がありすぎるように思います。擁護派の方はできれば二日以内にご回答をいただければと思っております。よろしくお願いします。--智之 2006年4月1日 (土) 15:06 (UTC)

智之さんの意見に賛成です。ます56さんをはじめ、批判サイトをなんとしても掲載したくない、とお考えの方は、これを読んだ人が納得できるような主張を、具体的に述べて頂けたらと思います。2日たってもご意見がなければ、3つのサイト(公式HP、擁護派HP、批判HP)を載せる方向でいいかと思います。過去、多くの人が会を離れ、数多くの批判を受けている団体ですから、批判的なサイトが公開され、「親鸞会」を検索した人に、情報として提供すべきだと思います。ただ、あくまで一つの情報であり、それらの情報をすべて入手して、どのような行動をとるかは、読者にゆだねられます。--木村耕二 2006年4月2日 (日) 14:41 (UTC)

では、3つのサイト(公式HP、擁護派HP:父母の会、批判HP:被害家族の会)で、記事編集してみました。よろしくお願いします。--Canina 2006年4月3日 (月) 05:42 (UTC)

智之さんとmiyaさんの意見を取って、了解いたしました。3つのサイト(公式HP、擁護派HP:父母の会、批判HP:被害家族の会)で、外部リンクということで合意いたします。それ以上は増やす必要はないと思います。--ます56 2006年4月3日 (月) 13:30 (UTC)

ます56氏は……

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親鸞会の布教のために『彼らにとって都合の悪い事実』を消して歩いている様にしか見えませんが? --名称未設定 2006年3月31日 (金) 11:47 (UTC)

Wikipedia:個人攻撃はしない --Dojo 2006年3月31日 (金) 14:00 (UTC)
Dojoさんの言われる事は本当にその通りなのですが、確かに名称未設定さんがそうとられても仕方がない部分もあります。個人攻撃はしないという原則は十二分に承知した上で申し上げますが、ます56さんにおかれましては、相手の主張をよく受け入れた上で、対案や妥協点を見いだす努力をして頂きたいとご忠告させて頂きます。--智之 2006年4月1日 (土) 01:31 (UTC)

参考文献について

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利用者:Canina氏にお伺いしたいんですが、『メディアが見た〜』を参考に肯定的な物を二つ、批判的なのを二つ載せたんですが、両者共に一方的に削除するのはどう言った理由なんでしょうか? --名称未設定 2006年3月26日 (日) 05:36 (UTC)

一切の回答が無かったので今後の一方的な削除は悪戯として対処します。--名称未設定 2006年4月9日 (日) 16:49 (UTC)
すみません。忘れていた訳じゃないのですが、まあいいんじゃないかと思うようになりました。--Canina 2006年4月11日 (火) 12:50 (UTC)

学生の勧誘について

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親鸞会が大学新入生に対して、最初は「親鸞会」という名前を伏せて、ただのサークルとして勧誘していることは、紛れもない事実です。私の実体験と実際に加入してしまった知人の話を元に整理すると、その手法は以下のとおりです。

①大学の正門前で、大学生(っぽい人が)「サークルの相談会(紹介?)をやっていますので、来てみませんか」と勧誘。(当然、「親鸞会」とか「宗教」とか「幸せ」とかを匂わす発言はしない。)

②勧誘に応じると、ごく普通の飲食店の2階に連れて行かれる。そこでは、多数の新入生がサークルの説明を受けている。

③そこで、勧誘された人から「幸せについて考える」サークルであることを明かされる。そこから延々サークルの説明。(この時点でも「親鸞会」という名前は出していない。)

④説明が終わると、名前や電話番号など連絡先を書くように言われる。

⑤記入を拒むと、なぜか中年の男性が登場。それから、その人が延々サークルの説明をする。説明が終わると、再び連絡先を書くように言われる。 《以下は、書いてしまった場合のパターン》

⑥4月上旬に食事会に招待される。新入生は無料。

⑦ゴールデンウィークに1週間の合宿がおこなわれる。新入生は格安。合宿ではセミナーが中心。セミナーの内容は、親鸞の教えについて学ぶことがほとんど。(とはいえ、この時点でも「親鸞会」という名前は出していない。)

《それより先は不明》

知人の話によると、そのサークルが「親鸞会」だと明かされたのは、GWの合宿が終わったころだそうです。知人が「親鸞会」だということに気づき、先輩に尋ねたら、「親鸞会」だと認めたそうです。

私は「親鸞会」に被害を受けたわけではないし、知人も「親鸞会」の人は皆いい人だった、と言っていますので、「親鸞会」を悪だとは思っていません。また、新入生に対する勧誘の手法についても、是か非か判断を下すつもりはありません。

しかしながら、「親鸞会」が新入生に対し、自らの正体を隠し勧誘をおこなっていることは紛れもない事実です。現在のウィキペディアの記述では、そこら辺のところがお茶を濁したような記述になっていますが、勧誘の手法については事実としてはっきりと記述すべきだと思います。(それを拒む者は、非中立的な「親鸞会」もしくは宗教関係者および擁護者とみなしてよいと思います。) --222.159.44.114 2006年5月6日 (土) 15:04 (UTC)

日本語版の特有の問題(管理者の中にこの団体の信者がいると言われている)が有るのでああ言った曖昧な表現にならざる得ないということを了承ください。--名称未設定 2007年2月18日 (日) 06:51 (UTC)
222.159.44.114さんはまず、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないをご覧ください。主張なさりたいことには、誰もが閲覧可能な情報源が必要です。あなたの体験がそのまま出版物となっているものか、信頼性の高いウェブサイトを探して、出典としてください。また、名称未設定さんのように曖昧な表現をすべきではありません。管理者の中に信者がいようといまいと、われわれ執筆者は、基本原則を踏まえてより良い記事の執筆を行うべきです。管理人が不適切な行為をしているとお感じになった場合はWikipedia:管理者の解任をご覧ください。--Takeshi14 2008年7月4日 (金) 17:06 (UTC)

献金について

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利用者:Okidoki氏により、以下の編集が行われましたが、承服できない部分があるため質問します。

- 親鸞会での献金活動は「財施」と言われ、献金額に応じて会員は12の「燈」というランクに分けられている。会員は行事の際は自分の「燈」が明記された名札を着け、法話を聞く際にはこのランクの高いものから順番に席を取る。献金には毎月収められる「会費」の他に、高森の著書が発刊されたり、高額な絵画、新しい会館の建設などの際に必要に応じて集められている。尚、献金した会員に対して収支報告は一切なされていない。

+ 親鸞会で会費は、本人の希望によって、12通りから選ぶことができる。いつでも変更は自由である。行事の際は名札を着ける。財施は、新しい会館の建設、会館にかかげる絵画などの際に必要に応じて呼びかけられる。

以上のように大きな削除がされていますが、その削除内容は枝葉末節とも思えないので、削除するに至る理由を明示ください。

  • 特に、カルトの特徴のひとつである献金による差別化などは、親鸞会を記述する上で重要な箇所だと考えます。

--MKT (Talk) 2009年7月15日 (水) 07:35 (UTC)

カルトの特徴のひとつである献金による差別化などは、親鸞会を記述する上で重要な箇所」とMKTさんは述べられていますが、カルトとはなんでしょうか。また、なぜ、親鸞会がカルトなのでしょうか。会費に複数種類がある=カルト、なんでしょうか。--Okidoki 2009年7月16日 (木) 04:48 (UTC)
カルト云々は横へ置きましょう。セクション冒頭のとおり、恣意的に記述を削っておられますが、その理由について返答ください。--MKT (Talk) 2009年7月18日 (土) 15:46 (UTC)
もう少し自分の発言に責任をもたれてはどうでしょうか。
この項目の記述について、「カルトの特徴のひとつである献金による差別化などは、親鸞会を記述する上で重要な箇所」とMKTさんが言われたから、それについてお尋ねしているのです。MKTさんがどのように思っておられるのかが分からないと、MKTさんが「大きな削除がされている」「削除内容は枝葉末節とも思えない」と仰有る心も理解できないと思います。よろしくお願いします。カルトとはなんでしょうか。また、なぜ、親鸞会がカルトなのでしょうか。会費に複数種類がある=カルト、なんでしょうか。--Okidoki 2009年7月21日 (火) 05:53 (UTC)
親鸞会はカルトではないとOkidokiさんは思っておられるのですね。わかりました。
Okidokiさんが削除された単語や記述のいくつかを挙げると、「親鸞会での献金活動は「財施」と言われ」、「献金額に応じて会員は12の「燈」というランクに分けられている」。といった部分が削られています。これはどうしてでしょうか。事実とは異なるのでしょうか。また、「会員は行事の際は自分の「燈」が明記された名札を着け、法話を聞く際にはこのランクの高いものから順番に席を取る。」「尚、献金した会員に対して収支報告は一切なされていない。」といった箇所が削除されていますが、事実と異なるからなのでしょうか。--MKT (Talk) 2009年7月21日 (火) 17:10 (UTC)
追記しますが、今回記事が編集保護となり、Okidokiさん、貴方自身も投稿ブロックを受けたという事実を踏まえたならば、件の削除について、その説明責任があるのは誰でもない貴方です。私が何を考えているかを知りたいと要求するのは、物事の順番が違いますね。第一、貴方自身が投稿ブロックなど無かったかのように平然と振る舞い、発言されているのが不思議でなりません。貴方の行いが上記ノートにある過去の事件も含めて、既にWikipediaから「歓迎されざる」のだということを自覚されませんか。まさに恥ずべし傷むべしとは思われませんか。もう少しご自分の行為に責任をもたれてはどうでしょうか。追記でした。--MKT (Talk) 2009年7月21日 (火) 17:23 (UTC)
待った。ブロックはあくまで編集合戦を止めるために、やむを得ず行ったものです。Okidokiさんが行われた削除そのものについては、何も申し上げておりません。情報に全く根拠が無いとか、さほど重要なものでないとか、理由があれば削除されても良いでしょう。そして、ブロック後かどうかに関わらず、こうして対話を行うことはむしろ推奨されるべきことです。そこを非難するのは筋違いではないでしょうか。Okidokiさん同様、MKTさんもその情報が重要であることを説明する必要があるのではないでしょうか。その上で、お互いに納得できるようなうまい妥協点を探る努力をしてください。これは、議論の相手を批判することよりも優先すべきことです。お互い、Wikipediaから歓迎されるような、建設的な議論を行われますよう、強く願います。--Bellcricket 2009年7月21日 (火) 18:32 (UTC)

カルトの特徴のひとつである献金による差別化などは、親鸞会を記述する上で重要な箇所」とMKTさんが言われ、その理由を尋ねると「カルト云々は横へ置きましょう」と逃げられます。再度、お尋ねしても、返答されないで、的外れなことを言われます。ご自身がどのような中傷を書かれたか自覚ないのしょうか。MKTさんは「お前はカルトだ」と言われても平気なのでしょうか。どうしてそのように言われるのか、尋ねるのが当然と思いますが・・・。
 それなのに、MKTさんは自分の言葉に責任を持っておられません。「親鸞会=カルト」とMKTさんは思っておられるのかもしれません(それはMKTさん自身のことですから仕方ありませんが)。ですが、そんな偏った見方をされているから、「カルト」「差別化」「献金活動」「ランクにわけられている」「ランクの高い」等と言う言葉が次々と出てきて、文章全体が、普通の人が読めば、いかにも親鸞会がヘンな金集めしていると思えるような、おかしな表現になっていると思います。Wikipediaにはふさわしくないと思います。それを普通の文章に変えたまでです。--Okidoki 2009年7月22日 (水) 12:29 (UTC)

カテゴリの変更

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「Category:浄土系仏教」の整理にともない、本ページを「Category:浄土系仏教」から「Category:浄土真宗」に変更する提案です。(詳細は、Category‐ノート:浄土系仏教を参照してください。)--Resto1578 2009年9月30日 (水) 16:09 (UTC)

チェック 提案から2週間が経っても、コメント・反対意見が得られないようなので合意が得られたものとします。--Resto1578 2009年10月12日 (月) 16:59 (UTC)

元講師部員からの法論の申し出を

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親鸞会の高森顕徹会長は元講師部員からの法論の申し出をひたすら無視していますが、かつて「相手が誰であろうと、相手の希望する方法で法論する」と言っていた公約を破棄したのですね。親鸞会の教義はいまや多くの批判サイトで批判されていますが、会長はじめ講師も誰も、外に向かっては反論できないようです。--以上の署名のないコメントは、シルビウス会話投稿記録)さんが 2010-10-24 14:24:01 (UTC) に投稿したものです。

過去の版へのリバートの提案_20110314

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何時しか親鸞会にとって都合の悪い記述が削除され、教義内容ばかりで埋め尽くされるようになってしまいました。異論が無ければ過去のないようにリバートしたいと思います。--智之 2011年3月14日 (月) 08:39 (UTC)

空悟です。私は親鸞学徒です。
実数は7000人程度という証言もある。」とは如何なる根拠に基づくのでしょうか? 読売新聞記事より信頼性は高いのでしょうか?
教義と目的は異なるものですし、分離した方が分かりやすいでしょう。
教義を「弥陀の本願について」「信心決定したらどうなるか」「信心決定するまで」「阿弥陀仏について」に分類した方が分かりやすいでしょう。
教義内容が冗長すぎる」と言われたので短くしましたが、まだ冗長でしょうか?
会の職員に対して「時間外の作業は自主的なお布施であって時間外手当の対象ではない」といった不法な確認書を書かせたり、一部の信者に対しては関連団体である病院の債務返済が滞った場合「自分の全財産を贈与する」といった契約書を結ばせていることが明らかになった。」とは如何なる根拠に基づくのでしょう?
構成員」・「信者」という言い方は親鸞会では使用しませんので「会員」に修正しました。
歴史は親鸞会のサイトを参考に詳しくしました。
確認のための文献や情報源をご存じの方はご提示ください。」とあるため、参考文献を載せました。
GW後に本性を現す「浄土真宗親鸞会」」「親鸞会"悪魔の3大契約書"」という言葉はリンク先を見ても確認できませんし、客観性の欠けたあまりに悪意的な題名であるため削除しました。
リンク先に「浄土真宗親鸞会被害家族の会」を載せるなら、「浄土真宗親鸞会「家族の会」の正体」も載せるべきです。
判断は両方を読んでから下すべきです。--空悟 2011年3月16日 (水) 13:39 (UTC)
情報 上記投稿中に「「教義内容が冗長すぎる」と言われたので」とあるのは、2011-03-01 07:37:55 (UTC)の版の編集内容の要約欄に「教義内容が冗長すぎるのと親鸞会の宣伝ばかりになってしまったのでリバート。差分/36576074とあるのを引用したものと思われます。--Yumoriy会話2024年6月2日 (日) 08:33 (UTC)
空悟様
親鸞学徒ということは空悟様は親鸞会の会員という事ですね。承知いたしました。
Wikipediaは親鸞会の宣伝をする場所ではありません。お互い客観的な記述を心がけましょう。
会員数7000名の根拠ですが、「消費者法ニュース2009年1月号」および「週刊ダイヤモンド2010年11月13日号」です。これについては両論併記すべきでしょう。教義内容についてはまだ冗長ですし、いくつか議論を経ずに無断で削除されている部分もあります。これは後日検討しましょう。
会の職員に対して「時間外の作業は自主的なお布施であって時間外手当の対象ではない」といった不法な確認書を書かせたり、一部の信者に対しては関連団体である病院の債務返済が滞った場合「自分の全財産を贈与する」といった契約書を結ばせていることが明らかになった。」については「週刊ダイヤモンド2010年11月13日号」の記事からです。記事内にはその書面も写真で掲載されていました。親鸞会側からの抗議や反論は無かったようです。
親鸞会"悪魔の3大契約書"」という言葉は実際の記事に明記されています。図書館なりで確認してください。異論無ければそのまま載せます。
「浄土真宗親鸞会「家族の会」の正体」も載せるべきというご意見ですが、このサイトは誰が作ったか分からない上に内容も信用できません。リンク先についてはノートの過去ログを参照していただければ分かりますが、かなり長い議論を経た後に決まっています。異論無ければ削除しましょう。家族の会の正体を載せたいのならば6年にわたって親鸞会のことを記述している「さよなら親鸞会」も載せてしかるべきでしょう。
1週間お待ちしますので、もし異論無ければリバートします。--智之 2011年3月18日 (金) 09:50 (UTC)
智之様
客観的な記述については了承しました。
「消費者法ニュース2009年1月号」の記事は浄土真宗本願寺派僧侶による記事です。「週刊ダイヤモンド2010年11月13日号」はフリーライターによる投稿記事です。検証可能性に「ウィキペディアの記事は、事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源に基いて書くべきです。」と有ります。
読売新聞記事はこの条件を満たすと思われますが、本願寺派僧侶とフリーライターによる記事はこの条件を満たさないと思われます。情報源として「信頼できる情報源(例えば、査読制度のある雑誌や新聞)」は有るのでしょうか?
特に「会の職員に対して「時間外の作業は自主的なお布施であって時間外手当の対象ではない」といった不法な確認書を書かせたり、一部の信者に対しては関連団体である病院の債務返済が滞った場合「自分の全財産を贈与する」といった契約書を結ばせていることが明らかになった。」については、私は親鸞会と10年以上ご縁のある人間ですが、一度も見たことも聞いたこともない話です。到底信じられません。検証可能性に「珍奇な主張には強固な情報源が必要です」と有ります。広く信頼されている発行元からの情報を求めます。
「浄土真宗親鸞会を取り上げたメディア」の文についても信頼できる情報源のないもの、客観的な記述に欠けているものは削除すべきだと思われます。信頼できる情報源のないもの、客観的な記述に欠けているものはどれかについて後日検討しましょう。
教義内容について後日検討する件は承知しました。
教義と目的の分離・「構成員」「信者」を「会員」に修正・参考文献の件・歴史の詳細化については1週間異論がなければ決定とします。
外部リンク先については過去の議論を尊重しましょう。「浄土真宗親鸞会「家族の会」の正体」の削除は了解しました。--空悟 2011年3月18日 (金) 15:01 (UTC)

────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────空悟様、一つ一つ作業を進めて行きましょう。まずは最初のところからですね。本願寺僧侶とフリーライターの記事が客観的情報源として条件を満たさないという根拠を教えてください。たとえば自分達のブログから発信した情報ならまだしも、これは消費者ニュースと週刊ダイヤモンドという歴史のある雑誌から出ている記事ですので、内容については一定の信頼性があると言えるでしょう(訴訟リスクがあるため根拠の無い記事を媒体が掲載することはありません)。読売の記事にしても小沢氏の記事にしても情報が古い上に、会員数を五万人あるいは十万人とする根拠が見当たらず、おそらく親鸞会の発表をそのまま鵜呑みにして書いている可能性があります。最後は読者が判断することですから、情報源明示の上両論併記という形で掲載しましょう。
次に不法な確認書について。親鸞会会員である貴方が十年以上聞いた事が無いということですが、当然ながら客観的な裏づけにはなりません。(私は親鸞会の脱会者を複数知っていますが、この記事の内容については「事実である」という証言を得ていますが、同様に客観的な裏づけにはならないでしょう)また、記事では親鸞会が使った契約書面も証拠として掲載していますし実際に被害にあった信者についてもインタビューをして裏づけを取っているようで、十分に信頼できる情報だと思われます。社会的問題点として記事の根拠を明らかにして掲載しましょう。信頼できるかどうかは閲覧者が見て判断することではないでしょうか。
ただ、これらのことは「マスメディアの批判」という項目を1つ作ってまとめた方がいいかもしれません。その方向で作業させて頂きますが異論ありませんか。
掲載メディアについては了解しました。後日検討しましょう。
教義についても検討しましょう。目的と教義の分離は必要が無いと思います。また教義内容に裏づけがありませんので大幅削除を予定しています。これは今議論しているものが決着つき次第作業に入りましょう。
参考文献については上に申し上げましたように異論がありますので、議論しましょう。
歴史についても「参詣者であふれるため」「降誕会・報恩講には約1万人が参詣する。」など根拠が明らかでない記述があります。客観的根拠に基づかない情報ですから削除いたしましょう。
構成員」「信者」について。これは一般的な言い方であって親鸞会でどう言われているかはあまり関係ないのではないでしょうか。別に会員でも構いませんが。
外部リンク先については「メディアの見た親鸞会」は以前の議論で著作権侵害のサイトではないかという懸念がもたれています。異論無ければ外します。「親鸞会ブログポータル」を入れるなら「親鸞会ブログポータルナビ」も同様にリンク先に入れましょう。異論無ければ書き換えます。--智之 2011年3月19日 (土) 01:03 (UTC)

智之様、空悟様 「マスメディアの批判」という項目を作ることに賛成します。外部の人から親鸞会はどう見られているのかを知るのは、第三者が親鸞会を知る上での指標になると思います。
また、肯定的な意見と否定的な意見のある「親鸞会ブログポータルナビ」もよい指標になると思います。--Sharemorisawa 2011年3月21日 (月) 11:14 (UTC)
Sharemorisawa様、ありがとうございます。ではマスメディアの批判的な内容については「マスメディアの批判」という項目を作ってまとめることにしましょう。近日中に編集に取り掛かりたいと思います。「ブログポータルナビ」もリンクに入れておきます。--智之 2011年3月21日 (月) 14:53 (UTC)
ノートでの議論に伴い、会員数の両論併記などいくつかの修正を行いました。また「マスメディアの批判」という項目を新たに加えました。--智之 2011年3月28日 (月) 04:39 (UTC)

編集合戦について

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現在激しい編集合戦が行われています。2月19日以降はノートでの合意を経ない大幅な改変が続いており、それ以降の版に一旦戻したいと思いますがどうでしょうか。皆さんの意見をお聞かせください。--智之会話2012年3月3日 (土) 15:01 (UTC)

どうも保護されてしまったようです。豊田商事事件との関わりなど親鸞会に都合の悪い事実や、報道、リンクはすべて削除されてしまった状態での保護になりました。毎年新入生の勧誘時期になると何処からとも無くこういう人が現れて消されるのですが、いずれバレるのであまり意味はないような気がするのですけどね。4月5日に保護が解除されるようですので、その後はまた考えてみましょう。--智之会話2012年3月7日 (水) 07:35 (UTC)

編集依頼:高森顕徹氏の略歴その他

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高森顕徹氏の略歴に 1929年2月 富山県氷見市の浄土真宗本願寺派末寺に次男として誕生。
1946年大学の夏休み中 浄土真宗華光会の故伊藤康善会長の著作「仏敵」を読み獲得(ぎゃくしん)。
1946年 浄土真宗華光会の機関誌『華光』第5巻、第5号に獲信体験を発表。
1949年1月 「化城を突破して」を華光社より出版。
1987年4月18日号 『週刊現代』 の記事。 「豊田商事から大量献金をけていた謎の「教団」の正体」
2010年11月13日号 『週刊ダイヤモンド』の記事。 「信者や職員を苦しめる親鸞会“悪魔の3大契約書”」
1、特専部の信者に対する財産の贈与契約書。 2、親友部の信者に対する残業代ゼロの確認書。 3、講師部の信者に対する退部時1000万円支払いの誓約書。

参考:親鸞会ナビ親鸞会年表
http://seaglet.sakura.ne.jp/chtable.html

これらの出来事は、浄土真宗親鸞会を語る上でなくてはならないものです。
また、リンク先に 浄土真宗親鸞会の出身母体となった
浄土真宗華光会 http://homepage3.nifty.com/keko-kai/
そして 宗教法人浄土真宗親鸞会 被害家族の会 http://homepage2.nifty.com/nonsect/ 日本脱カルト協会 http://www.jscpr.org/
を次回の編集に是非追加して下さい。 --Tennjinnbosatu会話) 2012年3月9日(金) 20:54

記述「1958年(昭和33年)に発足した、浄土真宗の宗派の一つ」について

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浄土真宗親鸞会(じょうどしんしゅうしんらんかい)は、1958年(昭和33年)に発足した、浄土真宗の宗派の一つ。

これは、長いというか間違い 簡略化してわかりやすく  

浄土真宗親鸞会(じょうどしんしゅうしんらんかい)は日本の新興宗教(宗教団体)。

でいいんじゃね。紛らわしい表現を含んでいないのでベターと思うが、いかがでしょう。
修正お願いします。--Tennjinnbosatu会話2012年3月10日 (土) 16:24 (UTC)

1958年(昭和33年)に発足した、 の文面は、沿革の欄に移転すべきかと
1.大学での偽装勧誘
2.豊田商事との関係
3.伊藤康善氏や大沼法龍氏の著書からの盗作問題
など、特筆すべき記事は別の項目をあらたにつくるべきです。
それから
第2次世界大戦前に興されたものを新興宗教、戦後に興されたものを新宗教と区別する考え方が一般的だが、学術的定義は確立していない。
と厳密に定義すれば、新宗教らしいのだが、広義の意味では、新興宗教に入るし、一般人でこの違いのわかる人は、少数。
いかがでしょいか? 次回の編集に追加してください。--Tennjinnbosatu会話2012年3月11日 (日) 07:53 (UTC)
親鸞会が会員にレンタルしている偽造本尊
参照:親鸞会と1万年堂出版
この件も別項目で加筆することを希望します。--Tennjinnbosatu会話2012年3月11日 (日) 08:45 (UTC)
情報 当セクション中の投稿で「第2次世界大戦前に興されたものを新興宗教~」と引用されているのは、記事「新宗教」の2012-03-04 14:48:51‎ (UTC)の版の概説節にある記述と考えられます。--Yumoriy会話2024年6月2日 (日) 08:33 (UTC)

編集の報告:除去された記述の復帰、教義内容の整理_20120423

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編集合戦後に無断で削除された記述(偽装勧誘や豊田商事とのかかわり、また親鸞会に批判的なリンクの削除など)を元に戻し、教義内容についての整理を行いました。教義内容については冗長なため一般的な浄土真宗の教義と重なる部分は削除しています。まあ、すぐに親鸞会の弘宣局の方が気づいて改変されるかも知れませんが。このベースをたたき台にして議論しましょう。前のページではあまりに親鸞会に対して都合の悪いものが全部消え去ってしまっていたので。--智之会話2012年4月23日 (月) 17:11 (UTC)

Stefanfanがまた改変してますので差し戻しました。--Amida会話) 2012年4月26日 (月)

過剰な教義節

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信者以外が見てもわかるように簡潔にまとめるべきです。7日待って意見がなければ、とりあえず全削除します。--JapaneseA会話2013年8月12日 (月) 07:12 (UTC)

と思ったのですが、それ以前の問題のようですね。過剰な関連項目や、冒頭での定義の誤り(浄土真宗の一派でなく、浄土真宗系の新興宗教)、不都合な記述の削除、これら全て目的外利用者による改竄と判断します。現状の歪んだ版でなく過去版に戻した方が良いと思います。どの版に戻すべきでしょうか? --JapaneseA会話2013年8月12日 (月) 07:25 (UTC)

評価

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「評価」に「北陸富山新聞 1996.02.03 朝刊 30頁」とあるのですが、これは北國新聞または富山新聞のことではないでしょうか。北國新聞1996年2月3日付30面に載っている連載記事には確かにこういう文章があり、この回から会の評価を書いた一段落を引用した形にはなっていると思います。ただ紙名が誤っていたのでは引用になりませんから、投稿した方が実際に見た紙名に修正すべきだと思います。データベースの類ではよく「北國・富山新聞」と書かれますから、おそらく単にそれを誤記したのでしょうし、連載記事なのでどちらにも載っているのでしょうけれど、私は現物を見ておりませんので修正しません。--西村崇会話2024年3月30日 (土) 00:00 (UTC)

申し訳ありません。「北國・富山新聞」の方が正確だと思いますので、修正いたします。コメントありがとうございます! --リズム音会話2024年5月16日 (木) 08:09 (UTC)

オーマイニュース の根拠は不適切ではないか

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オーマイニュース 「GW後に本性を現す『浄土真宗親鸞会』」を根拠に、Wikipediaの記載がありますが、

すでに閉じられたサイトであり、記事の中に記載のメールアドレスも連絡ができませんでした。

検証可能性」のない根拠ではないでしょうか。

問題なければ削除いたします。

ご意見をいただければと思います。--リズム音会話2024年6月1日 (土) 02:18 (UTC)

根拠にした記載の出典は、すでに削除されているようですが。--KQuhen会話2024年6月1日 (土) 23:45 (UTC)
まだ残っています。--リズム音会話2024年6月2日 (日) 01:11 (UTC)
一週間たって特に意見がなければ、いったん削除いたしますね。
そのあと必要なら、情報を復活させるかの議論をノートでさせていただければと思います。
または今日中にご意見をいただければと思います。--リズム音会話2024年6月7日 (金) 01:55 (UTC)

出典を追加して、加筆します。この内容を元に議論をお願いします。--KQuhen会話2024年6月8日 (土) 11:33 (UTC)

 いえ、元の状態でお願いします。
KQuhenさんの記載をもとにする理由がよくわかりません。ネガティブキャンペーンをされているようにしか思えません。
あと、早めに意見を書いていただけないでしょうか?
--リズム音会話2024年6月9日 (日) 03:28 (UTC)

「オーマイニュース」は情報源にしておりません。
特別:投稿記録/リズム音」さんが全削除された「更新部分[4]」をお読みいただきますようお願いします。--KQuhen会話2024年6月9日 (日) 23:04 (UTC)

オーマイニュースについて情報源にしていないと承知しました。--リズム音会話2024年6月16日 (日) 05:42 (UTC)

2010年10月24日までの過去ログをサブページ化しました

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当ノートページの最初の投稿から2010年(平成22年)10月24日 14:24:01 (UTC)の版までの過去ログサブページを作成しました。ページ名は (1)「ノート:浄土真宗親鸞会/過去ログ1」(2004年 - 2005年)および (2)「ノート:浄土真宗親鸞会/過去ログ2」(2006年 - 2010年)です。
2010年10月24日以来、当ノートページ冒頭部に「* 2009年10月15日までの過去ログ」として掲示されていた(cf. 2010-10-24 14:51:37 (UTC)の差分2024-06-20 05:55:54 (UTC)の版)およびそこから除外されていた2010年の投稿を底本とし、履歴を参照しながら欠落した署名と投稿日時を補完し、可読性向上のための整序と註記を施した上で2分割しています。過去ログのサブページ化にともない当ノートページ冒頭部の固定リンク方式による過去ログリンクは除去し、代わりにTemplate:Archive boxを検索窓付きで設置します(検索窓から過去ログページのワード検索が可能となります)。過去ログページに編集ミスなど発見された方は、訂正いたしますのでお知らせください。--Yumoriy会話) 2024年6月21日 (金) 15:31 (UTC) / 補筆訂正--Yumoriy会話2024年6月22日 (土) 07:06 (UTC)

団体を擁護する不自然な編集が多い件について

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記事の変更履歴やこのノートページをご覧いただければ一目瞭然かと思いますが、リズム音さんが当団体を擁護するための編集を繰り返しておられます(団体に係る不利益・ネガティブな記述の削除)。また、この方この方この方この方など、実質当団体を擁護するために作られたような捨てアカウントが非常に多いです。編集時の要約も似通っていますし、WP:SOCKの可能性も踏まえて一度検討する必要があると思います。--240F:79:9287:1:78AF:3A4E:4D61:7AEA 2024年6月6日 (木) 11:06 (UTC)

編集内容を見ていただければわかるのですがWikipediaの方針に基づいた記載を心がけています。(たまにミスしてかいるかもしれませんが)
Wikipediaの方針に反する記載があるにもかかわらず、団体擁護につながるという理由で、記載を削除するなと言われているのでしょうか?
履歴を見ていただければわかりますが、そもそも同一人物により執拗にネガティブキャンペーンが展開され、独自研究や検証不可能な情報が羅列していました。
関心のある人がWikipediaページを修正するので、同一人物になりやすくなるのは仕方ないことではないでしょうか。
方針に合う記載は残し、合わない記載は削除すればいいと思います。
多重アカウントかどうかの検討は、どうぞなされたらいいと思います。
私はこのアカウントで修正いたします。--リズム音会話2024年6月7日 (金) 01:24 (UTC)
実質当団体を擁護するために作られたような捨てアカウントが非常に多い
このような主張も根拠がなく、誹謗中傷レベルだと思われますが、このような書き込みを匿名アカウントでするのは、いかがなものでしょうか?
あげられているアカウントの編集時の要約もみましたが、要約なんだからそんなに差がつかない気がしますが。。。
編集理由を書いている人のほうが少ないので、理由の記載がみられて私は好感がもてますが。。。
非常に多いです
非常に多いって、3つですか?
ポジティブ情報を記載する(擁護する?)アカウントは、とても少ないように見えますが。。。
ご意見をお待ちしています。--リズム音会話2024年6月7日 (金) 01:48 (UTC)

特別:投稿記録/リズム音」「特別:投稿記録/Mozu888」「特別:投稿記録/ゼルダルマ」「特別:投稿記録/ウルカ」「特別:投稿記録/北陸の片田舎」「特別:投稿記録/まこなり+」さん等、同様の編集をされている方が多いように思われます。--KQuhen会話2024年6月8日 (土) 11:33 (UTC)

これで多いでしょうか。。。? --リズム音会話2024年6月9日 (日) 03:25 (UTC)

他にも遡ると「特別:投稿記録/240F:A1:1137:1:E59A:3C3A:334:CB0A」「特別:投稿記録/126.124.103.248」「特別:投稿記録/Shachiiii」「特別:投稿記録/Marikouji」「特別:投稿記録/60.81.110.20」「特別:投稿記録/125.206.34.116」「特別:投稿記録/Stefanfan」「特別:投稿記録/Goodoon」「特別:投稿記録/ディメンション」「特別:投稿記録/Okidoki」「特別:投稿記録/半額」「特別:投稿記録/Canina」さんなど、親鸞会が望む情報以外を削除される方が多いように思われます。
『宗教問題15号:親鸞会とは何か』で様々な親鸞会の問題が検証されている中、肯定的な部分のみを抽出しておられますが、あまりに情報が選択的すぎます。Wikipediaは、親鸞会の広告宣伝の場ではありません。--KQuhen会話2024年6月9日 (日) 23:04 (UTC)

親鸞会が望む情報以外を削除される方が多いように思われます。
思う思わないで判断されても困ります。
ウォッチリストで44人います。その中でも少なくありませんか?一部のように思うのですがどうでしょうか。
親鸞会が望むかどうかはしりませんが、ポジティブ情報以外を削除する人もいれば、ポジティブ譲歩を削除する人もいますよね?
そこが問題ではないように思います。
肯定的な部分のみを抽出しておられますが、あまりに情報が選択的すぎます。
選択するぎる、すぎないというのではなく、Wikipediaの方針にあっている、あっていないで、言っていただけないでしょうか?
私からしたら、選択的すぎない、としか言いませんよ。
毎回ですが、KQuhenさんは、もう少しWikipediaの方針をもとに理由をかいていただけますか?
そこが事実だと判断したので抜き出しました。
他のも事実であれば、このノートで検証しましょうか。--リズム音会話2024年6月16日 (日) 04:02 (UTC)
Wikipediaの方針「WP:RS」「WP:V」「WP:SOAPBOX」等にあっていません。
出典を追加して加筆いたしました。--KQuhen会話2024年6月16日 (日) 05:05 (UTC)
ノートの議論なしですね、別に私は良いですが。承知しました。--リズム音会話2024年7月18日 (木) 08:24 (UTC)

親鸞会被害家族の会は信頼できる情報源なのか。

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前提として、Wikipediaには三大方針として「検証可能性」「中立的な観点」「独自研究は載せない」があります。

これらの方針に関連して、ページの内容が「信頼できる情報源」である必要があります。

ページに記載されている「親鸞会被害家族の会」の信頼できる情報源にあたらないと考えます。

理由は以下のとおりです。

・「『自主公表された情報源』 ウェブサイトを作ったり本を自費出版したりした上で、自分がある分野の専門家だと主張することは誰にでもできます。そのため、自費出版物、個人のウェブサイトやブログは、ほとんどの場合は適切な情報源としては認められません」というWikipediaの信頼できない情報源としてあげるWebサイトに該当します。

・サイト内で根拠の記載がないため、書かれていた内容の事実確認ができず、検証可能性を満たしているサイトではない

・「一般的に、最も信頼できる資料は、査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌です。常識的な判断として、事実の確認、法的問題の確認、文章の推敲などに多くの人が関わっていればいるほど、公表された内容は信頼できます。」というWikipediaの信頼できる情報源の例にも当たらない。

・違法性の認められるような被害の実態が不明

・裁判をされたなどの被害が見当たらない

そこで特に問題なければ、親鸞会被害家族の会の情報は削除したいと思います。

ご意見のほど、よろしくお願いいたします。

--リズム音会話2024年5月27日 (月) 00:06 (UTC)

個人ブログを出典にした箇所は、購入した2冊の本が届き次第、修正したいと思います。これらの本は地元の図書館にも所蔵されていました。
  • 特別:投稿記録/リズム音さんは、出典のない加筆や出典付きの記述の削除、裁判所の検索ページを出典に「偽装勧誘の違法性が認められたことは一度もなく、被害が公に認められたことはない」と加筆されましたが、これはガイドラインには違反しないのでしょうか。
--KQuhen会話2024年5月27日 (月) 11:28 (UTC)
個人ブログを出典にした箇所は
■質問1
親鸞会被害家族の会についての質問ですので、お答えいただければと思います。
こちらはガイドラインに反しているので、削除しますね?
「偽装勧誘の違法性が認められたことは一度もなく、被害が公に認められたことはない」と加筆されました
■質問2
どのガイドラインか示していただけますでしょうか?
裁判所の検索ページで検索しても見つからないと思います。--リズム音会話2024年5月27日 (月) 14:19 (UTC)
特別:投稿記録/リズム音さん自身で裁判所の判例を検索され、→「偽装勧誘と言われるが、違法性が認められたことは一度もなく、被害が公に認められたことはない」と記述することは、「WP:NOR」に違反します。親鸞会被害家族の会については、他の出典にも記述がありました。--KQuhen会話2024年6月1日 (土) 23:45 (UTC)
WP:NOR」に違反します
このページのどこの内容に違反するのでしょうか?
独自研究ではなくて、『事実の記載』という主張をしています。
事実として、違法性が認められた事例が見つからないのです。
WP:NOR」のページ自体をもってこられても、どこに反しているのかわかりません。
このページの、この内容に反する、と指摘してください。
指摘通りでしたら、削除いたします。
WP:NOR」ページの、どの内容に反するか、具体的に指摘してください。
親鸞会被害家族の会については、他の出典にも記述がありました。
他の出典に記載があったからといって、根拠になるわけではありません。
Wikipediaの方針にあっているかどうか、の話をしています。
再度記載しますが、理由は以下のとおりです。
以下の理由にあてはまらないと考えられましたら、具体的に理由をご教示ください。
・「『自主公表された情報源』 ウェブサイトを作ったり本を自費出版したりした上で、自分がある分野の専門家だと主張することは誰にでもできます。そのため、自費出版物、個人のウェブサイトやブログは、ほとんどの場合は適切な情報源としては認められません」というWikipediaの信頼できない情報源としてあげるWebサイトに該当します。
・サイト内で根拠の記載がないため、書かれていた内容の事実確認ができず、検証可能性を満たしているサイトではない
・「一般的に、最も信頼できる資料は、査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌です。常識的な判断として、事実の確認、法的問題の確認、文章の推敲などに多くの人が関わっていればいるほど、公表された内容は信頼できます。」というWikipediaの信頼できる情報源の例にも当たらない。
・違法性の認められるような被害の実態が不明
・裁判をされたなどの被害が見当たらない
--リズム音会話2024年6月2日 (日) 01:25 (UTC)

本が手に入りましたので出典を追加して、加筆します。この内容を元に議論をお願いします。--KQuhen会話2024年6月8日 (土) 11:33 (UTC)

そもそも議論の途中で、意見をいただいておりません。
元の状態でこちらの議論を続けていただきますよう、お願いします。
そして私の質問に早めに答えていただきますよう、よろしくお願いいたします。--リズム音会話2024年6月9日 (日) 03:30 (UTC)

「親鸞会被害家族の会」は情報源にしておりません。
「親鸞会被害家族の会」については、出典を追加しました。
「裁判などで、違法性が認められた勧誘はない」に関しては、2016年4月11日の『やや日刊カルト新聞』に、裁判例がないことが書かれていたのでこれを出典にしました。「特別:投稿記録/リズム音」さんが全削除された「更新部分[5]」をお読みいただきますようお願いします。--KQuhen会話2024年6月9日 (日) 23:04 (UTC)

「親鸞会被害家族の会」は情報源にしておりません。
「親鸞会被害家族の会」はWikipediaの方針にあっていない情報として理解しました。--リズム音会話2024年6月16日 (日) 05:48 (UTC)
裁判例がないことが書かれていたのでこれを出典にしました。
ちょっとよくわからないのですが、なぜ「事実」に出典がいるのでしょうか?
不要な記載は、蛇足であり、削除すべきじゃないでしょうか。--リズム音会話2024年6月16日 (日) 05:51 (UTC)
横から失礼 横から失礼 そういうルールだからです(Wikipedia:独自研究は載せない)。事実であることの証明のためにそのようなルールになっています。本来Wikipediaではあらゆる記述に出典をつけなければなりませんが、残念ながらそうではない記述も多数存在します。ですが既についている出典を不要と見なして除去してはいけません。でなければ各自が事実だと思った妄想や、意図的に事実と偽る捏造が、根拠なく書き放題になってしまいますので。--フューチャー会話2024年6月17日 (月) 06:08 (UTC)
浄土真宗親鸞会の会員なるものの一人としてコメントをさせていただくと、ハッキリ言って違法性のあるような活動は無いように思われます。浄土真宗親鸞会は著書を出してまで、日蓮宗を主とした他の宗派をことごとく非難しているという事実が、親鸞会の全体で明らかになっています。
すなわち日蓮宗という伝統的派閥の仏教を批判しているわけです。
そのせいでインターネットの情報の多くでは「新興宗教だー」とか「カルト団体だー」などと叩かれるのです。また、刑事訴訟/民事訴訟をともに起こされた事実はなく、親鸞会被害者家族の会の情報をのせることに関して、内部の目から見た観点では少なくとも偏った意見であり、Wikipediaの編集方針に反することから、僕は全面的に反対します。--平田 海心会話2024年6月19日 (水) 13:37 (UTC)
承知しました。Wikipediaの編集方針に明らかに反していますので、削除していきますね。--リズム音会話2024年7月18日 (木) 08:07 (UTC)
遅くなりました🙇‍♂️
承知しました。では出典を掲載していきます。--リズム音会話2024年7月18日 (木) 08:06 (UTC)
遅くなりました🙇‍♂️
承知しました。では出典を掲載していきます。
--リズム音会話2024年7月18日 (木) 08:08 (UTC)
ありがとうございます。確認のために一つだけ質問させていただきたいのですが、その出典って「親鸞会被害者家族の会」とは別の団体から出されている情報ということでよろしいですか。--平田 海心会話2024年7月19日 (金) 23:49 (UTC)
内部の目から見た観点では少なくとも偏った意見であり、Wikipediaの編集方針に反する
ちょっと意味が分かりません--KQuhen会話2024年7月18日 (木) 09:42 (UTC)

偽装勧誘について

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浄土真宗親鸞会では、偽装勧誘の記載があります。

しかしこれまで裁判などで、違法性が認められた勧誘はありません。

そこで質問ですが、違法性がないのに「偽装勧誘」といえるのでしょうか?

ご意見をいただけえばと思います。--リズム音会話2024年6月1日 (土) 02:32 (UTC)

親鸞会は統一教会同様に偽装勧誘を行う新宗教だと複数の書籍で指摘されています。宗教名を明かさずに勧誘するのは、インフォームドコンセント(情報提供の原則)に反する行為であり、「信教の自由の侵害(法律的次元)」だけでなく「自律的思考の侵害(社会的次元)」「スピリチュアリティの侵害(宗教的次元)」において批判されています。裁判例の有無の問題ではないようです。--KQuhen会話2024年6月1日 (土) 23:45 (UTC)
その侵害がなされているというのは、どうやって判断するのでしょうか?
裁判以外で、わかるのでしょうか?
個人の判断であれば、独自研究にあたり、「独自研究は載せない」に反するのではないでしょうか?--リズム音会話2024年6月2日 (日) 01:28 (UTC)
一週間たって特に意見がなければ、いったん削除いたしますね。
そのあと必要なら、情報を復活させるかの議論をノートでさせていただければと思います。
または今日中にご意見をいただければと思います。--リズム音会話2024年6月7日 (金) 01:54 (UTC)

出典を追加して、加筆します。この内容を元に議論をお願いします。--KQuhen会話2024年6月8日 (土) 11:33 (UTC)

いえ、元の状態で議論をお願いします。
KQuhenさんの記載をもとにする理由がよくわかりません。ネガティブキャンペーンをされているようにしか思えません。
あと、早めに意見を書いていただけないでしょうか?
--リズム音会話2024年6月9日 (日) 03:28 (UTC)

親鸞会の違法勧誘がなぜ社会問題になっているのかは、「特別:投稿記録/リズム音」が全削除された「更新部分[6]」に書かれています。
「ネガティブキャンペーンをされているようにしか思えません」
しておりません。様々な出典によると、偽装勧誘は親鸞会の特徴の1つです。それを記述しないのはあまりに選択的すぎます。--KQuhen会話2024年6月9日 (日) 23:04 (UTC)

>様々な出典によると、偽装勧誘は親鸞会の特徴の1つです。
出典の内容について検証してい質問をしていますので、お答えいただけますでしょうか。
検証可能性のある出典なんですよね?検証可能性があるなら、検証すべきです。
なんか毎回KQuhenさんの返信が、質問への回答となっておりません。。。
私の質問に回答した上で、ご意見を述べていただけないでしょうか。
そうでなければ、ノートで議論が進みません!
よろしくお願いいたします。
再度質問いたします。
⇓⇓
様々な権利侵害を主張されていますが、その侵害がなされているというのは、どうやって判断するのでしょうか?
裁判以外で、わかるのでしょうか?
--リズム音会話2024年6月16日 (日) 04:11 (UTC)
浄土真宗親鸞会の会員なるものの一人としてコメントをさせていただきます。
まず偽装勧誘の可能性について「可能性はある」と考えています。その理由となる点は…
・他の宗教と比べて若い世代が多く、大学などを狙っている可能性がある。
・浄土真宗親鸞会が主催するイベントの多くは宗教名をハッキリと出していない。
しかしこれらは、裏付けとなる根拠がない。一人の会員としてのイメージでしかありません。
すなわち日本国憲法などの法律に違反するかは別の問題として、それを裏付ける出典を示すことができないことが、Wikipediaの編集方針に対する問題点だと思います。
偽装勧誘であると主張するのならば、出典をお願いします。
宗教も一種のビジネスですし、合法で活動している可能性は否定できません。--平田 海心会話2024年6月19日 (水) 13:49 (UTC)
出典は既にたくさんついています。そしてリズム音さんの質問にまとめてお答えします。①違法性がないのに「偽装勧誘」といえるのでしょうか?→実際に偽装していれば違法でなくても偽装ではあるでしょう。--フューチャー会話2024年6月20日 (木) 05:42 (UTC)
違法性がない偽装はあるということですが、そうであるならば「偽装」と使うとミスリードになると思います。
一般的に偽装というのは、違法性がある場合に多く使われます。(偽装食品、偽装請負 - 業務請負・業務委託・偽装出向 偽装結婚 偽装離婚)
違法性がないことを強調するか、表現を変更して記載したいと思います。--リズム音会話2024年7月18日 (木) 08:16 (UTC)
②その侵害がなされているというのは、どうやって判断するのでしょうか?裁判以外で、わかるのでしょうか?個人の判断であれば、独自研究にあたり、「独自研究は載せない」に反するのではないでしょうか?→Wikipediaの編集者の判断は独自研究ですが、外部の研究者やジャーナリストなどの判断は独自研究ではありません。その方々がどうやって判断したかは知りません。③検証可能性のある出典なんですよね?検証可能性があるなら、検証すべきです。→ご自身で出典を確認して検証なさってください。④様々な権利侵害を主張されていますが、その侵害がなされているというのは、どうやって判断するのでしょうか?→ここにいる誰もそのような主張はしていませんし、従って判断もしません。これは外部の人間の主張を掲載するかどうかの議論です。--フューチャー会話2024年6月20日 (木) 05:55 (UTC)
返信がかなり遅れてしまって申し訳有りません。
また、貴重なご意見ありがとうございます。
さて本題に入っていきたいと思うのですが、「独自研究」というワードがいくつか見受けられます。僕の個人的なイメージとしてこれらの上記の箇条書きをしたことについては、ご理解いただけると思いますが、それ以前の前提として僕の考えは研究ではないと理解しております。
また裁判所は日本の法律に違反していないかを公正に判決するために存在するものであり、日本の場合は法律を司る唯一の機関が裁判所でありますので、違法性に関しては裁判所の判断が最優先される情報でしょう。しかし、民事裁判・刑事裁判とともに訴訟を起こされた事実がないことは明らかです。要するに偽装勧誘が事実かどうかにかかわらず、違法性が認められない行為をわざわざWikipediaに乗せることは、中立性の観点からも損なわれてしまううえ、特筆性がうすいのではないでしょうか。「国立大学NHKが偽装勧誘をしていると主張しているから信憑性がある」という意見もあるかもしれませんが、どちらにせよ違法行為が認められていないこともまた事実です。具体例として適切であるかはわかりませんが、「Wikipediaスシローの記事にスシロー迷惑動画事件を補足として載せよう」と主張しているようなものです。
最終的な僕の主張としてはこの[偽装勧誘]の見出しを削除してほしいです。それが難しいという場合や、どうしても残したいのであれば、記事を分けるという方向性でお願いします。
長文失礼いたしました。あくまでも一個人の意見です。--平田 海心会話2024年7月5日 (金) 13:39 (UTC)
「違法性が認められない行為をわざわざWikipediaに乗せることは、中立性の観点からも損なわれてしまううえ、特筆性がうすいのではないでしょうか」いや、意味不明なのですが…。--フューチャー会話2024年7月5日 (金) 19:45 (UTC)
具体的にどのような観点がなぜ意味不明なのかを伝えてもらわないと、議論の余地が有りません。--平田 海心会話2024年7月13日 (土) 13:00 (UTC)
Wikipediaに掲載されていることの大半は違法性のない行為です。違法性のない行為の特筆性がうすいことや中立性を損なうことの根拠が示されていないので意味不明なのです。--フューチャー会話2024年7月14日 (日) 10:46 (UTC)
そうですか。具体的なご指摘ありがとうございます。
確かに、Wikipediaに書く・書かないの問題に違法性があるから特筆性があるとか、そうゆうことは関係ないですもんね。
ですが、違法性が認められていないことは事実ですのでメインの記事のほうの「偽装勧誘」という表現は誤解を招く可能性が高まります。ですので、「偽装と思われる勧誘」という表現にとどめておくのがベストでしょう。--平田 海心会話2024年7月15日 (月) 14:53 (UTC)
「偽装勧誘」を「偽装勧誘と思われる行為」に変更するという提案は適切ではありません。「偽装勧誘」という用語は、特定の問題行為や現象を正確に表現するために確立されたものです。これらを「〜と思われる行為」と言い換えることは、問題の本質や深刻さが曖昧になる可能性があります。
また、「勧誘」→「呼び掛け」に変更されていますが、これは適切ではありません。「勧誘」という言葉は、特に宗教団体の活動に関する文脈で、特定の意味を持つ用語として使用されています。「呼び掛け」ではこの文脈が失われる恐れがあります。また、原文や出典で使用されている用語を変更することは、情報の正確性を損なう可能性があります。元の「勧誘」という表現に戻すべきです--KQuhen会話2024年7月16日 (火) 02:07 (UTC)
「〜と思われる行為」と言い換えることは適切ではありませんが、「偽装勧誘」は、「正体を隠した勧誘」「名前を隠した勧誘」と説明されるため、項目タイトルの「偽装勧誘」を→「正体を隠した勧誘」「名前を隠した勧誘」と言い換えることは可能です。
「正体を隠した勧誘」と「名前を隠した勧誘」では、「正体を隠す」の方が適切だと考えられます。「正体を隠す」には「宗教団体であることや親鸞会であることを隠すという意味が含まれますが、「名前を隠す」では、「宗教団体」が隠されていることが明確ではありません。出典の記述には「正体を隠した偽装勧誘などの問題が指摘されている団体」「正体隠しの勧誘」「宗教団体だとは明かさない。親鸞会の名前ももちろん出さない」「親鸞会の勧誘とは原則として『親鸞会』の名前を隠して接触する偽装勧誘である」「徹底して名前を隠す」「名乗らずに勧誘を行うことで、偽装勧誘として批判された」といった表現が使われています。--KQuhen会話2024年7月18日 (木) 08:52 (UTC)
承知しました。表現を検討いたします。--リズム音会話2024年7月18日 (木) 08:54 (UTC)
いえ、外部の記載が、間違っているなら、記載してはいけません。その判断を根拠をもってすべきという主張です。どんな本に掲載されていても客観的に間違っていれば掲載すべきではありません。--リズム音会話2024年7月18日 (木) 08:18 (UTC)
「外部の記載が、間違っている」「客観的に間違っている」
Wikipediaの「検証可能性」の原則に基づき、複数の信頼できる情報源から「偽装勧誘」という事実が確認できます。--KQuhen会話2024年7月18日 (木) 09:15 (UTC)
「外部の記載が、間違っている」「客観的に間違っている」という主張自体に根拠がなく、客観的ではありません。--フューチャー会話2024年7月19日 (金) 02:43 (UTC)
ん?
裁判によらなければ、客観的根拠は、決められませんよね?
客観的根拠を求めるなら、裁判によってください。
それ以外に、偽装勧誘を客観的に、決める手段はありません。
客観的に裁判にもとめるなら、偽装勧誘の記載を削除します。
よろしいですか?--リズム音会話2024年7月19日 (金) 10:45 (UTC)
「裁判によらなければ、客観的根拠は、決められない」
意味が分かりません。--KQuhen会話2024年7月20日 (土) 03:02 (UTC)
裁判によらずとも客観的根拠を示すことが可能であり、偽装勧誘に関する記述を削除することは適切ではありません。親鸞会が偽装勧誘を行っていることは、社会的問題として広く認識されています。親鸞会の偽装勧誘については、複数の書籍や報道機関が記述しており、これらは客観的な根拠として十分に機能します。信頼できる出典が存在する場合、その情報を掲載することが求められます。--KQuhen会話2024年7月20日 (土) 03:05 (UTC)
僕は@KQuhenさんの意見に賛成します。
別に社会的に悪事だとされていることのすべてが、裁判にかけられているわけでは有りません。
例えば、AくんがBくんを殴ったとします。これは「暴行罪」という罪になります。しかし、多くの場合は裁判にかけられるわけではなく、略式起訴という措置が取られています。
また、親鸞会被害者家族の会の情報が信頼性にかけるものだったとしても、少なくとも被害者が存在するという事実だけは認めざるを得ないのです。
裁判のみが客観的事実だあるというわけではなく、複数のソースから同じ情報を手に入れられるということは、そのソースをつくる人がほぼ比例して多くなることを意味し、信頼性もまた比例して強くなっていきます。
親鸞会の会員にどれだけ不都合な事実があろうと、Wikipediaの中立的な観点からの方針からずれてはいけません。--平田 海心会話2024年7月21日 (日) 08:39 (UTC)
「少なくとも被害者が存在するという事実」
→裁判所でこれを決めないなら、どうやって認定するんですか?ちょっとよくわかりません。
惟が許されるなら、主観で被害者がたくさんでますよ?
この事実、どうやって決めるんですか?教えて下さい。--リズム音会話2024年7月21日 (日) 16:08 (UTC)
僕が裁判を論点としようとしている理由は、被害者が存在するかしないかではなく、違法性が認められるかそうでないかということについてです。
日本において法的な被害者とは刑事訴訟法第230条において「犯罪により害を被つた者は、告訴をすることができる。」と定められています、Wikipediaのページの中では「犯罪により罪を被った者」とされていますが、実際の法律の中では被害者が告訴の権利を持つことが明記されているだけです。
また、惟が許されるなら、主観で被害者がたくさんでるという記載がありますが、全くそのとおりです。自分が法的な被害者だと思うのなら警察に出向いて被害届を出すという手続きを取るまでです。
ただし、告訴と被害届は少し意味が違います。告訴とは捜査機関に対して訴追を求めることで、被害届とは犯罪の事実を警察に申告することです。
そして、被害届を出す権利があるものもまた、「犯罪により被害を被った者」でありそういった意味では、ほぼ同じです。
@リズム音さんへの回答は法的に誰でも被害者であるということを表明できるので、ここで改めて被害者の定義を作る必要はない。さらに、日本には親告罪といって、被害者側が告訴しないと公訴できない犯罪があります。なのでご指摘の通り誰でも被害者になろうと思えばなれるということです。
論点がずれないように明記しておきますが、これは親鸞会に対して被害者が少なくとも存在するということを示す法的な定義といいますか、証拠です。--平田 海心会話2024年7月22日 (月) 07:50 (UTC)
書き方の問題だと思いますね。
犯罪でもないのに、犯罪のような書き方をしているのが、問題です。
また「裁判によらずとも客観的根拠を示すことが可能」は、間違いです。
分かっていないと思いますが、裁判以外で、正邪を決められません。
違法じゃない偽装勧誘って、どういう意味なんですか?
やっていいのか、悪いのか。
私は違法性を問題にしますが、違法性が問題にならないのなら、お応えください。--リズム音会話2024年7月21日 (日) 16:06 (UTC)
Wikipediaの記事には違法性のあることではなく、合法性のあることのほうが多く書かれています。それどころか、そもそも法に触れていない記事の方が圧倒的に多いはずです。
なので、違法性が無いから記載する必要が無いという考え方は、通用しません。
違法ではないということは事実ではありますが、反社会的という見方もあるということもまた、事実なのです。その根拠は出典元のページを読めばわかります。
しかし、違法では無いことをあたかも違法であるかのように書いたあの見出しと文面は、それこそWikipediaの中立的な観点から外れてしまっています。それに関しては問題があると思うので、後々議論をしていきましょう。--平田 海心会話2024年7月22日 (月) 08:00 (UTC)
Wikipediaの記事には「偽装勧誘が違法である」とは書かれていません。偽装勧誘そのものが法律で明確に違法とされているわけではありません。ただし、社会的に問題視される行為であり、違法性とは別の次元での問題です。項目タイトルの「偽装勧誘」を「正体を隠した勧誘」と言い換えることは可能ですが、「違法では無いことをあたかも違法であるかのように書いたあの見出しと文面」というのは意味が分かりません。--KQuhen会話2024年7月22日 (月) 08:47 (UTC)
@KQuhenさんの返信に対して、僕は2つの回答をしていきたいと思います。
まず1つは偽装勧誘は違法性のない行為だとは言いけれないことについて、もう1つは違法では無いことをあたかも違法であるかのように書いたあの見出しと文面という部分についてのことです。
まず、偽装勧誘は民法第709条と第714条に触れる可能性があります。つまり法律上保護されるべき利益を侵害された者は損害の賠償を負う責任があります。少し抜粋したり要約したりしましたが、要は民事裁判を起こされてもおかしくないような状況なのです。
次に、違法では無いことをあたかも違法であるかのように書いたあの見出しと文面という部分についてですが、ここはすみません。これは僕の語彙力といいますか、読解力に問題があります。語彙力や読解力はひとりひとり違うので、意味がわからないと言われても仕方有りません。ですが、「偽装勧誘」という部分の文面を読むと違法性があるように感じる人もいます。上に民法云々と書かれていますが、とりあえずその話をすっ飛ばしたとしても中立的な観点から外れています。
誤解の少ないような表現に変更にしたいというふうに考えています。--平田 海心会話2024年7月22日 (月) 09:44 (UTC)