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ノート:くす (京極竜子の侍女)

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ノート:浅井くすから転送)

改名提案

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「浅井くす」を「宝光院 (くす)」へ改名することを提案します。まず「浅井くす」なる人名はつかわれていません。松の丸殿の乳母になったのなら既婚のはずです。院号は同音の宝光院とも放光院ともありますが、前者でよいようです。--Quark Logo会話2016年7月16日 (土) 12:18 (UTC)[返信]

条件付反対 条件付賛成 一応反対としましたが、記事内も要出典だらけのようですし、もう少し改名の根拠となる資料や調査結果を出していただけないと検討できかねるというつもりで、そこのところが明確になれば票を変えたいと思います。また、wikipediaにおける歴史人物の記事の人名の付け方としては当時代に名乗っておらず呼ばれてもいなくても、一般的に膾炙している人名を優先するところもあり、松の丸殿にしても死別していても既婚で記事名は「京極竜子」になっています。「くす」にしても「宝光院」にしても、ゆらぎがあるようですし「くす (浅井氏)」「くす (宝光院)」なども候補としては有りなようにも思えます。--ジャムリン会話) 2016年7月16日 (土) 13:10 (UTC) 票修正:--ジャムリン会話2016年7月17日 (日) 08:52 (UTC)[返信]

コメント - 記事は改訂予定です。要出典だらけの部分は初版の利用者:Ayakey会話 / 投稿記録 / 記録氏が書いたままの部分で、憶測と間違いなどです。
「くす」という人物については、調べたところ、この『三方郡誌』にある記述”だけ”に近いようです。が、生母だとAyakey氏がした「本念宗心大姉」なる内容はみたところ存在しないようです。どこからひねり出したのかわかりませんので、それらは削除して、大幅にコンパクト(要するに要出典付けられた部分の大半は削除)にまとめる予定です。一応、古文書があるのは事実のようなので、「京極さま・御内くす」という人は史料的には存在するようです。木像やそれに関する伝承も『三方郡誌』のとおりあるようです。
他方で、「浅井くす」という現在の名前は明らかに記事名のガイドラインに違反しています。書籍にこれを用いるものがありません。そもそも現代のような旧姓を名乗る習慣自体がありません。ウィキペディアには何個か時代考証無視して現代風の名前にした記事がありますが、あまりよろしくない。しかも夫が誰であったかも不明です。さらに一方で、放光院殿心室理性尼大姉という法名ならば、生前に出家していたはずです。ということで、他の例に従えば院号を採用するのが通常でしょう。また金山龍澤寺というのは現在も実在して木像もあるそうなので、この部分は信用してもよいような気がします。ただ、放光院の方が良いかは迷うところです。実際に、放光院という院号の別人もいます。美浜町までいって確認するわけにもいかないので、位牌に書いてあるという記述は無下に否定もできないので困ったものです。
美浜町のHPなどでは、「京極くす」としてますが、京極氏の家中の人というだけで、姓のように使うのは語弊があるでしょう。「くす」という名はわかってますが、姉妹は常高院崇源院など、院号で記事になっているのでそれに揃えるほうがいいのではないかと思います。法字が心室、法諱が理性という尼僧ですから。
京極竜子については、結構、書籍に使われていて出典を見いだせます。もちろん歴史的には、松の丸殿(松丸殿)の方がいいとは思いますし、こちらも寿芳院に揃えるほうが方がいいような気もします。ただ出典の全くない「浅井くす」とはこれは違うケースでしょう。京極竜子や京極マリアはこの名前でかなり有名です。
で、候補的には、①院号を後にする記事名がほとんどない、②「くす」では曖昧さが起こらない、③一方で「くす」だけでは人名かどうかすらわからないことから
  1. 宝光院 (浅井氏)
  2. 放光院 (くす)
  3. 放光院 (浅井氏)
  4. くす (浅井氏)
で、考えてみると、浅井氏ではこれも誰だか分かりづらいのではないかと。で、一応、3と迷って、1を選んだ次第です。ただ、院号がはっきりしないので、5でもいい気もしますが、「浅井くす」と余り違いがないという批判も受けそうです。--Quark Logo会話2016年7月16日 (土) 15:49 (UTC)[返信]
コメント ありがとうございます。法名にゆらぎがあるようですから、記事名と括弧内と、どちらかが確定かつ限定的であった方が同定しやすいと思いますので、Quark Logoさんのご提示の中では2.宝光院 (浅井氏)か、5.くす (浅井氏)が、曖昧さなく該当人物を表しているのではないかと思いますが、浅井くすをリダイレクトで残すのであれば、宝光院 (くす)でも反対はしません。--ジャムリン会話) 2016年7月17日 (日) 02:23 (UTC) 加筆修正:--ジャムリン会話2016年7月17日 (日) 08:52 (UTC)[返信]
コメント - いろいろ考えてみたら、「京極さま・御内くす」の”御内”は正室を意味するらしいと思うので、京極氏に嫁いだと考えられるような気がします。で、浅井氏なのか、京極氏なのかはっきりしないので、やはり最初の宝光院 (くす)で浅井くすのリダイレクト残し、プラス放光院 (くす)をリダイレクトということで、網羅的によいのではないでしょうか?--Quark Logo会話2016年7月19日 (火) 03:05 (UTC)[返信]
コメント 近代以前の日本史人物としての著名な女性ですと、wikipedia以外の事典や辞書であっても他の歴史コンテンツであっても、院号や号ではなく姓名が記事名や項目名になっている際には、現代と結婚の事情や姓氏に対する慣習が時代によって違っていたせいなのか、、配偶者との離別や死別で再婚・再嫁も珍しいことでもなかったせいなのか、当時代の名乗りや呼ばれ方とは別に「細川ガラシャ」(明智 珠)のように婚家姓として膾炙している場合と、「北条政子」「日野富子」のように婚家ではなく出身氏族の氏や苗字が優先されている場合がありますので、確かに難しいですね。それとは別にwikipediaでは()付きのリダイレクトは有用性が低い(「☓☓ (ジャンル・曖昧さ回避語句)」で検索する状況があまり想定できない)として削除対象にもなっていますので、「放光院」をリダイレクト、または同院号の別人が居る場合は曖昧さ回避で良いと思います。--ジャムリン会話2016年7月19日 (火) 06:59 (UTC)[返信]

では、記事名を宝光院 (くす)で、リダイレクトに「浅井くす」「放光院」ということにします。--Quark Logo会話2016年7月20日 (水) 02:44 (UTC)[返信]

改名しました。--Quark Logo会話2016年8月2日 (火) 12:01 (UTC)[返信]
(お知らせ)放光院のリダイレクトは解除しました。--KAMUI会話2016年8月5日 (金) 21:44 (UTC)[返信]

改名提案(2回目)

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本記事を、宝光院 (豊臣秀吉の侍女)に改名することを提案します。

現時点で曖昧さ回避に使われている「くす」とは、本ページで扱われている人物の俗名です。Wikipedia:記事名の付け方#正式名称には「記事名の括弧内に別名(中略)を併記してはなりません。」と書かれており、今の曖昧さ回避はその部分に該当します。「くす」とだけでは何の意味の言葉か記事名だけではわからず、宝光院が一見、寺の名前に見えるためより分かりにくいです。

当初の記事名である「浅井くす」はガイドライン違反だと以前の提案で指摘されていますが、わたしが示した別名併記についてもその提案があった2016年時点で存在した文言です。

単に肩書きの「侍女」だけでは誰の侍女なのかわからないため相手の人物名も入れたものにしたいと考えます。--図書助会話2024年7月10日 (水) 07:34 (UTC)[返信]

賛成 適切な改名かと思います。--大杉剣士郎会話2024年7月13日 (土) 00:25 (UTC)[返信]
コメント 「くす」として知られる人物からその部分を除くことは「認知度が高い」「見つけやすい」の観点からどうなのでしょう。それならば「くす (豊臣秀吉の侍女)」が適当なのでは。--Sorani Sh会話2024年7月13日 (土) 03:19 (UTC)[返信]

わたしは曖昧さ回避ではない部分が宝光院だったのそれを引き継いで提案しました。この方は宝光院を称して生涯を終えたようで、前回の提案では「他の例に従えば院号を採用するのが通常でしょう」というコメントもあり、高台院(ねね)、芳春院(まつ)、見性院(千代)のような事例を指しています。Sorani Shさんはこのような人物の記事名も院号ではなく俗名に改名すべきとお考えでしょうか。わたしが挙げた人物は院号よりも俗名の方が知られていると思われますが。そして「認知度が高い」「見つけやすい」というは、そもそも先の提案ではこの人物は「『三方郡誌』にある記述”だけ”に近いようです」とあり、人物自体の認知度が低いです。--図書助会話2024年7月13日 (土) 06:36 (UTC)[返信]

先の提案ではこの人物は「『三方郡誌』にある記述”だけ”に近いようです」とあり- とのことですが、記事の人物への検証は先の議論だけで終えたとお考えでしょうか。まさかとは思いますが「当該人物に一切の知識は無いが、ガイドラインに違反しているから多分こんな感じだろう」で改名提案をしている訳ではないですよね?文献や使用例を精査した上での提案ですよね?この点だけ気になったのでお聞かせいただけますか。先の議論に参加された方に誰もお声がけをしていないようですので。--Sorani Sh会話2024年7月13日 (土) 08:01 (UTC)[返信]

以前の提案の利用者に声をかけていなかったのはWikipedia:勧誘行為というのもありますから控えていました。以前の議論参加者に呼びかけていないことを指摘しておきながらSorani Shさんは動かれていないのでわたしがやっておきましたが勧誘行為の問題があるならSorani Shさんは一緒に責任を問われることになるのはご承知いただきたいです。

Sorani Shさんはわたしの過去の言動と考えが違うようでなのでコメント内容にもそれによるバイアスがかかっているのではないでしょうか。他方のノートであった「ルールを守ることに固執」へのご説明しないままで、このような状況ではそちらのコメントに返信しないものも出てきます。わたしが先日からしている2つの提案と別の場所でのわたしの言動を持ち出すことについてよくお考えいただきたいです。--図書助会話2024年7月14日 (日) 11:45 (UTC)[返信]

何が言いたいのかイマイチよく分かりませんが、他の記事の件は他の記事のノートで答えますので、ここで他の人が何の話をしているか分からないようなことを持ちださないでください。あちこちで風呂敷を広げたがるのはよくないですよ。--Sorani Sh会話2024年7月14日 (日) 11:56 (UTC)[返信]

そちらはわたしが行った別の改名提案で「ほかの記事でも思いましたが」と、本提案に触れています。なのになぜ「あちこちで風呂敷を広げたがるのはよくないですよ」とコメントされるのか。あなたにとっての「あちこちで風呂敷を広げたがる」がわかりません。--図書助会話2024年7月17日 (水) 07:25 (UTC)[返信]

  • コメント宝光院という寺院との区別でカッコがあるようですので、それならば改名は適切です。「くす」は現在どうなっているのか確認していませんが、曖昧さ回避でも良いのではないかとも思います。--大杉剣士郎会話2024年7月18日 (木) 00:37 (UTC)[返信]


  • 反対 - 「宝光院 (豊臣秀吉の侍女)」は長すぎるのと下記の理由で反対です。前回の提案でも上がって検討した 「宝光院 (浅井氏)」を推します。豊臣秀吉の侍女かどうかよりも、伝・浅井長政の娘だという部分がこの人物の重要な部分だと思うからです。特に話はないので豊臣秀吉の侍女という属性の見出しから引かれることはないのではないかと思います。 --Quark Logo会話2024年7月18日 (木) 07:16 (UTC)[返信]
    • 追記 - あるいは長たらしい説明がいいなら「宝光院 (浅井長政の娘)」の方になると思います。むろん浅井長政の娘として確実でもなく広く認知もされていないのでそれが適切かどうかはまた別の問題であり、私の意見は前者の「宝光院 (浅井氏)]」です。--Quark Logo会話2024年7月18日 (木) 07:41 (UTC)[返信]
わたしが「宝光院 (豊臣秀吉の侍女)」を改名候補にしたのは通常、人物の曖昧さ回避は職業や肩書きを入れるもので職業といっていいはずの侍女を使い、誰のかもわかるようにその相手の名も入れました。あくまで参考ですが絵島 (和宮の侍女)小侍従 (細川ガラシャの侍女)按察使局 (崇源院の侍女)胡氏 (万暦帝の侍女)という記事もあったからです。Quark Logoさんは以前の提案で浅井氏だと分かりにくいとされていましたがその点はどうなんでしょう。長い曖昧さ回避にせざるを得ないときもありますし、職業や肩書き以外だと次いで生年が候補ですが本記事人物の生没年は不詳です。--図書助会話2024年7月18日 (木) 10:01 (UTC)[返信]
  • 多少わかりにくくなるのはウィキペディアにルールに沿うとしょうがないでしょう。豊臣秀吉の侍女としての事績が存在しないので、それを見出しにつけても人物比定不能ということを指摘しています。列挙された侍女シリーズも全然わかりやすくはないですね。あと按察使局は、侍女ではないのではないかと思いますからこれは間違っているのでは。大上臈だと書いてあるのに・・。侍女は腰元とか小間使のことで、御殿女中とか女房が正しいはず。胡氏も侍女ではない。万暦帝のと入れるなら側室か妾でしょう。万暦帝の死後に侍女に落とされていると記事には書いてあり、知らんけど記事の内容とタイトルが矛盾する。絵島もたぶん側近だというなら侍女ではない。職業や肩書を入れるといって間違っていたら話にならないですし、これは歴史用語がいろいろあるので意外と難しい。安易に入れると間違えます。--Quark Logo会話2024年7月19日 (金) 18:57 (UTC)[返信]
わたしが挙げた他の同系統の記事名には別の曖昧さ回避にした方がいいものがあるとの考えはわかりましたが、同じく以前の提案でQuark Logoさんはこの人物が浅井氏なのか、京極氏なのかはっきりしないともされています。その場合、浅井氏も浅井長政の娘も不向きだとの考えだったように思われますが、それについてはどうでしょうか。--図書助会話2024年7月20日 (土) 11:09 (UTC)[返信]
@Quark Logoさんへ
わたしの先のコメントから1週間経ちましたがQuark Logoさんの挙げられている理由だとわたしが言及したように以前のQuark Logoさんの発言からして宝光院 (浅井氏)、宝光院 (浅井長政の娘)のいずれにも改名するのは曖昧であり、使えないように思います。今のところこれに対するご返事はないので通知しておきます。前回の提案に参加された他の方にも呼びかけましたが今回の議論には参加されていません。このままではわたしが当初より提案している「宝光院 (豊臣秀吉の侍女)」へ改名することになりますが、いかがでしょうか。--図書助会話2024年7月28日 (日) 09:25 (UTC)[返信]
  • 「使えないように思います」とありますが、理由がかかれておらずわかりません。他人にもわかるようにあなた自身がなぜそう思うのか理由を説明してください。「曖昧であり」ということなら、豊臣秀吉の侍女も同じくらい曖昧であろうと思いますし、「侍女」と「浅井長政の女(=「むすめ」と読みます)」は同じテキストにでてくるため、差があるとは考え難いです。どうして一方は曖昧で一方は曖昧ではないとあなたが思うのか、ちゃんとわかるように説明してください。また、浅井氏(この家の女性を意味する)と浅井長政の女は同じ意味になりますが、短く端的な方がよかろうということで私はこれを推しています。
さらに、私は豊臣秀吉の侍女が不適切であるという理由をすでに明示していますが、あなたがなぜ豊臣秀吉の侍女が適切であると思っているかの理由を示してください。根拠がよくわからないです。ご自身の見解の核心部が曖昧のように思います。--Quark Logo会話2024年7月29日 (月) 04:23 (UTC)[返信]

 追記 - 過去に「浅井氏なのか、京極氏なのかはっきりしない」と確かに書いてますが、浅井長政の娘で、京極に嫁いだと読むのが正しいだろうと思っています。断定できないという程度の意味で、はっきりしないと言っただけです。通常、◯◯氏というときには実家の方を入れますから、浅井氏(女性の意味)とするべきであろうと考えているわけです。この部分が若干わかりにくいと思いましたので、追記しておきます。ノートだけでなく本文側の記事も参考ください。--Quark Logo会話2024年7月29日 (月) 08:26 (UTC)[返信]

断定できないのなら浅井の名は使えないのではないでしょうか。記事名の付け方にある目安に「曖昧でない」とあります。以前のコメントでもQuark Logoさんは「伝・浅井長政の娘」ともしており、そうだといわれている人物ということになるはずです。豊臣秀吉の侍女も曖昧なら出身地を採用して、宝光院 (若狭国の人物)あたりになるように思います。--図書助会話2024年7月31日 (水) 14:21 (UTC)[返信]
  • 要するに、なんでこの人物は出てくるかというと、浅井長政の娘として出てきてるわけです。☓若狭国の人物では全然ダメです。そこがわかってないのではないでしょうか。記事内容の明確化が記事名のルールとしてあるわけですから、この記事が何なのかを考えれば、宝(寶)光院(異字:放光院)、浅井氏、浅井長政の娘(女)、くす、の4つの要素のなかからしかありえません。あと「断定できないのなら浅井の名は使えないのではないでしょうか」というのは私の言っていることを理解されてないように思います。--Quark Logo会話2024年8月2日 (金) 12:07 (UTC)[返信]
  • コメント 注釈と出典を分離しました。ちなみに出典の1つは個人サイトなので、実のところほとんど出典が付いていない記事です。私は未確認ですが、おそらくこの記事においてもっとも重要な二次資料は大阪城天守閣「特別展 戦国の女たち ―それぞれの人生―」(1999年)だと思いますので、まずはそれを確認して記事を改める必要があると思います。あるいは、もともと明治44年の「福井県三方郡誌」の龍澤寺(205頁)で触れられている人物ですし、独立記事にはせずに、いっそのこと龍澤寺 (福井県美浜町)に改名できるように記事を書き直して、その中で取り上げるくらいで良いのかも知れません。--ねこざめ会話) 2024年8月2日 (金) 19:46 (UTC) 取り消し--ねこざめ会話2024年8月3日 (土) 18:41 (UTC)[返信]
  • は? ねこざめさんが作られた新規記事([1]とか)と比較して、独立記事の目安に達していないとか、出典がほとんどないとかいえないと思うのですが。何百の出典を付ける記事も書きましたが、少ない出典で記事を作ることは対象によっては当然ありえますし、世間的にも関心度が高い浅井長政の子供の情報ということで特筆性に問題があるとは思いません。そもそも改名の議論で独立記事に適さないとか言い出すのはおかしくないですか。改名で行き詰まったから、独立記事の目安で攻めるみたいな、戦線の拡大とか力づくで解決とか、ウィキペディアのマナー的に禁止されてませんかね、とちょっと思います。ちなみにこの記事は私が立項したものではありません。--Quark Logo会話2024年8月3日 (土) 08:24 (UTC)[返信]
返信 主題をよく知らないのに議論を混乱させるような思いつきを書いてしまい申し訳ありません。前回コメントは取り消します。--ねこざめ会話2024年8月3日 (土) 18:41 (UTC)[返信]
特筆性は改名とは別に考えるべきだと思いますが、脚注にある「萩の御前」というページは個人サイトです。管理人は学者や郷土史家というよりも趣味で運営している方のようなので記事の書き換えをしないといけない点はあります。
Quark Logoさんはこの人物が本当に浅井長政の娘かはわからないが、そうだとされているという事実はあるので浅井氏、浅井長政の娘にした方がいいとする考えでしょうか。それでも親族関係が不確かなら避けるべきだとなるように思いますが。
そして、Quark Logoさんのねこざめさんに対するコメントの語調は問題ではないでしょうか。挙げられているねこざめさん作成の記事は、出典自体は揃えられています。それに対して本記事は浅井長政と宝光院の父の戒名が似ていること、宝光院の母の素性、親族関係にあるとされる人物と年齢が合わないことあたりの記述に出典がありません。それだけでなく先に挙げた個人サイトを脚注に使った編集を行ったのはQuark Logoさんです。この点についてはどういうことなんでしょうか。今回の議論に初めてコメントした利用者に対する物言いをみてしまうと、わたしに対しての姿勢もどうなんだろうかと感じてしまいます。--図書助会話) 2024年8月4日 (日) 13:55 (UTC)--図書助会話2024年8月4日 (日) 14:55 (UTC)[返信]
@Quark Logoさんへ
前回のわたしのコメントから1週間が経ちました。その間、改名について新たなコメントはありませんでしたが記事名がガイドラインに沿っていない状態は解消しなければなりません。先にコメントしたようにこの人物が浅井氏、浅井長政の娘かどうかは不確かで、Wikipedia:記事名の付け方#記事名の付け方の目安の「曖昧でない」に則していません。置始女王 (孝謙朝 - 光仁朝)置始女王 (光仁朝 - 桓武朝)藤原明子 (桓武朝)弁内侍 (南北朝時代)のように何かしら活動した時代を曖昧さ回避にした記事はあるものの、本記事人物の生没年は不明、活動時期は不確かです。秀吉の侍女として事績がなく曖昧さ回避に使えないのであれば、宝光院 (若狭国の人物)くらいしか残っていないように思います。このまま他の案がなければそれに改名することになります。--図書助会話2024年8月12日 (月) 18:16 (UTC)[返信]
コメント 記事を全面的に書き直しました。普段、この分野の人物記事を書くことがないのでよくわかりませんが、私は記事名は「くす」が良いのではないかと考えます。院号が「放光院」「宝光院」と複数示されていること、二次資料においてはほぼ「くす」として言及されており町の有形文化財となっているのも「くす女書状」であるなど、Wikipedia:記事名の付け方#記事名の付け方の目安の観点からは「くす」が適していると考えます。曖昧さ回避の括弧内については決めかねていますが、大阪城天守閣 編『特別展 戦国の女たち ―それぞれの人生―』(1999年)では、「彼女は松の丸殿付きの侍女であったのであろう。」(103頁)とありますので、くす (京極竜子の侍女)が良いのではないかと感じています。ただ最初に書いたように私はこの分野にはあかるくないので、強く主張するものではありません。--ねこざめ会話2024年8月14日 (水) 18:15 (UTC)[返信]
全面改稿ありがとうございます。文献では俗名での言及が多かったのですね。前回の提案では院号に2つの表記がある中で宝光院にした決定的な理由があったわけではないようですが、放光院は同名の人物が他にいる、くすの木像に寶(宝)光院とあったからでしょうか。ただ宝光院も同名異人で公家の娘が存在したようなのですが。
Quark Logoさんは長い曖昧さ回避を一概に否定されていたわけではありませんが、秀吉の侍女として事績がないことを理由にわたしが当初提案したものは反対されました。現在の記事内容からして京極竜子の侍女としても同様の指摘がくるかもしれませんけども、院号に表記揺れがあることを考えると、くす (京極竜子の侍女)がいいかもしれません。既に書いたように人物の曖昧さ回避は職業や肩書きが第一候補です。別に案などがなければ、くす (京極竜子の侍女)に改名させていただきます。--図書助会話) 2024年8月15日 (木) 13:04 (UTC)--図書助会話2024年8月15日 (木) 13:11 (UTC)[返信]

前回のコメントから1週間が過ぎ、最終的に異論の無かった「くす (京極竜子の侍女)」に改名しました。--図書助会話2024年8月23日 (金) 22:53 (UTC)[返信]

記事の改訂について

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大阪城天守閣編『特別展 戦国の女たち ―それぞれの人生―』(1999年10月9日)を入手しました。読んでみると現在の記事には間違いが多々みられましたので(たとえば秀吉とくすの木像が造られたのは寛政なのに、記事では寛永となっている)、全面的に改稿する予定です。また個人サイトは出典から外しますのでご承知おきください。--ねこざめ会話2024年8月9日 (金) 15:08 (UTC)[返信]