ノート:盆栽
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よかれと思って直したら荒らし扱いされたので、今後は間違いを見付けても見なかったフリをします。—以上の署名の無いコメントは、かずにゃん(ノート・履歴)さんによるものです。--Carkuni 2010年7月21日 (水) 15:05 (UTC)
- 差分を参照をご覧ください。他の有用なものまで除かれないようお願いいたします。--Carkuni 2010年7月21日 (水) 15:05 (UTC)
参考文献削除の理由
[編集]「文献のみの提示は不要。記事に加筆してください。」とのことですが趣旨が不明瞭です。「出典が必要」ということも「参考文献が出典の代わりになるものではない」ということも理解しますが、参考文献が不要とは思えません。参考文献の有用性は利用者個々の興味や意欲などに依存するものです。削除するには別に積極的な理由が必要なのではないでしょうか?--PUECO(会話) 2012年7月10日 (火) 07:30 (UTC)
- 既存の記述(独自研究の虞)が当該文献に基づいたかのように見え、記述と参考文献との間に齟齬が生じるからです。- NEON(会話) 2012年7月10日 (火) 08:12 (UTC)
「齟齬が生じる」ではなく、「齟齬が生じる可能性がある」ではないでしょうか?少なくともわたしの挙げた参考文献においては齟齬が生じる余地はないと思われます。個別の事実に基づいた議論をお願いします。「既存の記述(独自研究の虞)が当該文献に基づいたかのように見え」というのも可能性でしょうが、参考文献と出典を混同することを前提とすることは不適当ではないでしょうか?利用者に対して侮辱になるとも思えるのですが。--PUECO(会話) 2012年7月10日 (火) 10:13 (UTC)
わたしが求めているのは、表題のとおり削除の理由です。 「文献のみの提示」である「参考文献」という項目は不要だとのお考えですか? わたしの挙げた記事は「参考文献」として不適当なものでしたか?「出典」についての不備を「参考文献」の項目に及ぼすのは不適切ではないかと思うのですがいかがでしょうか?--PUECO(会話) 2012年7月10日 (火) 11:50 (UTC)
- まず、WP:CITE には「参考文献のセクションには、記事の内容を裏付ける実際に参考にした文献を挙げてください。」とあります。既にあなたが混同しています。「齟齬が生じる余地はない」ならば実際に ref タグを使って本文と対応させて下さい。
- 「関連書籍」のつもりでした、というならば、それはある程度完成された記事において発展的内容を読者に与える為に設けるべき節です。独自研究だらけの記事でこの本を読んで下さい、と目録だけ示すのは執筆者の怠慢です。他誌の紹介は百科事典の本分ではありません。- NEON(会話) 2012年7月10日 (火) 14:55 (UTC)
不要であることの理由は了解しました。ただし私は別の意見を持っています。ご推察のとおり私が挙げたのは「関連書籍」にあたるものでした。しかしここWikipedia では参考文献と関連書籍との区別はそれほど厳密ではないもののように思われます。百科事典においては 本書「参考文献」項目中 「解説」節における「一般図書など」の例によるほうが親切であり、問題もないと思います。「怠慢な執筆者」の尻拭いをした後でなければ関連書籍であるものを参考文献として掲出すべきではないというのは生産的ではないように思われます。
さて私が求めているのは「削除の理由」です。不要=存在しなくてよい と削除=存在してはならない との間の乖離は大きいと思います。「Wikipedia:出典を明記する」項目の「出典無き記載の扱い」節では(本文の扱いについてですが)明らかにナンセンスである場合と「疑わしくかつ有害である場合」には削除すべきだとあります。今回の削除の理由は唯一「齟齬」であるようですが、それの有害性とはどのようなものでしょう?--PUECO(会話) 2012年7月11日 (水) 10:02 (UTC)
- 読者に「記述が出典に基づいている」と誤解させることが有害です。何故記事に全く加筆せず、書籍だけ示すことに拘るのか分かりませんが。- NEON(会話) 2012年7月12日 (木) 08:13 (UTC)
ここでの「有害」というのは、個人や団体に損失を与えたり権利や名誉を傷つけることではないかと思うのですが、どこかのそそっかし屋さんが誤解したとしても、誰をも傷つけることはないと思います。誤解ということ自体がマイナスであり有害だというう論もあり得ますが、そのようなことはありません。誤解に基づく恋の成就なんてこともありますから。誤解がマイナスなのはそれが誤った言動をもたらす場合です。前に「齟齬をきたす余地が無い」と書いたのは仮にそのような誤解が起きても、そこから誤った言動が導かれることはあり得ないという意味です。--PUECO(会話) 2012年7月12日 (木) 11:37 (UTC)
誤解を生む可能性が有害であり削除の理由になるということであれば、「要出典」というタグの存在理由は無くなるように思います。検証不能の命題がWikipedia のものであるかのように「誤解」されるのはこの上ない有害な事象でしょうから。それを解決するのは削除ですか? それとも?--PUECO(会話) 2012年7月12日 (木) 14:38 (UTC)
- PUECOさんの言っていることは詭弁だと思います。ウィキペディアでは方針「Wikipedia:検証可能性」に基づき、原則的にすべての記述には出典が必要です。そして、出典ではないのに出典であるかのように情報源を置くことは不適切な行為である、という点について反論がなされていません。つまり上記のコメントは論点のすり替えだと思います。--Calvero(会話) 2012年7月15日 (日) 10:44 (UTC)
わたしは出典でないものを出典であるかのように提供してはいません。まあ誤解を招く仕方であったかもしれませんが。 関連書籍であるものを参考文献として掲出したのは「不適切」なことなのでしょうが、わたしが求めているのはそれが即削除に該当するものであるか?その理由なのです。--PUECO(会話) 2012年7月15日 (日) 13:27 (UTC)
- 理由は既に提示されているので、理解してください。すくなくとも、不要だから除去する、という以上に何か説明が必要なのですか。いきなり編集を取り消されたので憤慨されているのかもしれませんが、PUECOさんが何がしたいのか、よくわかりません。--Calvero(会話) 2012年7月16日 (月) 03:28 (UTC)
有害性について説明がなされていません。「不要だから除去する」ということが通用するのは自分の文章についてです。--PUECO(会話) 2012年7月16日 (月) 05:17 (UTC)
- Wikipedia では著作権やライセンスが定める以上の所有権、「誰それの文章」という概念は無く、他人の文章だから編集を遠慮せよという事もありません。そもそもあなたは、投稿時に表示された「自身の文章を勝手に編集や再配布してほしくない場合は、ここに投稿しないでください。」という警告を承諾して投稿した筈です。諸方針やガイドラインを理解してから参加して下さい。先に編集したことを尊重する「yourpedia」のような百科事典もありますから、Wikipedia の仕組みに納得できなければそちらで活動して下さい。- NEON(会話) 2012年7月19日 (木) 03:54 (UTC)
「Wikipedia:編集方針」をぜひお読みください。そこには「自由に編集してください」と書いてありますが、「思うまま勝手にやってください」とは書いてないように思います。
ところで わたしが「有害性が必要である」と書いたことに対して、「と誤解させることが有害です」という記事をお書きになったのは、あなたが有害性の必要を認めたうえでの行動だと理解したのですが、誤解でしたか?
この点からこそ議論が再開されるものではないかと思うのですが?
あなたは「Wikipedia:出典を明記する」中の文章に異論をお持ちなのですか?--PUECO(会話) 2012年7月19日 (木) 06:44 (UTC)
前言を一部訂正します。「Wikipedia:編集方針」を再確認したところ「自由に編集してください」というそのものの文言は存在しませんでした。ただし「完璧でなくても良いのです。編集を楽しんでください」節は題名からも自由な編集を薦めるものだと思いますし、その節の末尾部分は削除の制限を述べているものと思います。
で 投稿者宛の警告では使われていた「勝手に」という言葉が編集者宛の文書では使われていないという「Wikipedia の仕組み」を、「諸方針やガイドラインを理解してから参加」することを他者に要請する方はどのように解釈されるのでしょうか?理由のある「仕組み」のはずなんですが。
というわけで坐久重労 おやすみなさい。--PUECO(会話) 2012年7月20日 (金) 11:57 (UTC)
- コメント関連項目でリストを掲載する目的は(Wikipedia以外の)他のメディアに対するリンクが目的です。Wikipedia:方針とガイドラインに「過剰なリンクを避ける」と明示されていますし弊害として「他の文書へのリンクはそれらを権威づけてしまうかもしれません。」とあります。言い換えると、本文に引用されていない資料を特定の意図で選抜するという行為は、特定加筆者に固有の見解でないことが必要です。いままでの議論において、削除された文献情報を選択した判断が、ある個人の固有見解ではないという根拠が示されていません。
- Wikipedia:検証可能性にも書かれているように根拠の出典は掲載を希望する側が示すルールです。したがって、情報を選択した判断がその関連文献のリストを掲載したPUECOさん個人の固有見解ではないということを立証していただかなくては、削除を否定する証拠の提示に欠けています。繰り返しますと、ルールの問題ではなく、第三者が検証できる「どのように選抜したか」という事実の記録が提示されないのが問題なのです。--あら金(会話) 2012年7月20日 (金) 14:10 (UTC)
論点を拡散しないでください。
わたしが求めているものがなんであるかご理解いただけないのでしょうか?あまりに同じことを繰り返すのは申し訳ないことと思います。
で わたしは削除されたものの復帰を求めているわけではありません。削除という行為は適当だったのですか?「書き改める」という行為が推奨されていたはずなのに それに拠らなかった理由は何なのですか?というようなことなのです。--PUECO(会話) 2012年7月21日 (土) 20:04 (UTC)
静かになったところで論点を整理しておきますがその前に1点。
1 ご回答が無いのはお忙しいからだとは思いますが、いくら忙しくても「忙しいからちょっと待って」くらいは書けると思うのですが。無口になるタイミングがあまりに絶妙だ、なんて感じる人もあると思うんです。そういえばこの欄で「詭弁を弄するもの」という指摘をされた方があるので、別の場所でその説明を求めたところ、こちらも無言が続いています。お忙しいのでしょう。
2 当のNEONさんはご自分のしっかりした意見をお持ちではないようで、わたしが「理由を説明せよ」と問題提起すると「不要」だの「不適切」だのを持ち出して縷々説明しようとされたり、「有害性が必要だろう」と言うと有害性とは何か、それが必須の物かなどという点は考えもしないで「誤認されることが有害である」などと述べたりしています。
問題はもっと簡潔です。「当該削除はガイドライン○○○に基づくものである。これ以上の説明は不要である」と言いさえすれば済むことです。またどう遠回りするとしてもいずれはここに落ち着かざるを得ないのは誰が見ても明らかでしょう。重要なのは○○○のところでこれが無くては何も言わないのと同じです。
3 もう一つ、わたしが説明を求めることがガイドラインの趣旨に沿わないものであるという論難の仕方もあるでしょう。7月19日のご指摘はその線に基づくものなのでしょうが、あまりにもお粗末すぎました。編集者の行為を説明するのに、投稿者への警告の言辞をもってしてはまともな説明にはならないでしょう。
4 今後もあるかもしれませんので念のため。 わたしは論争を求めてイチャモンをつけているわけではないので、論点をすりかえた論争には参加しません。たとい「詭弁だ」などという挑戦的な言葉を備えていても(たぶん!?)。 ご当人を支援しようという方は歓迎しますが、前記2または3の論点に絞ったほうが良いのではないかと思います。さもないとご当人はますます当惑してさらなる迷い道に紛れ込んでしまうでしょう。--PUECO(会話) 2012年8月1日 (水) 05:58 (UTC)
独自研究
[編集]特定の項目のノートで提案すべきことではないのでしょうが。 「独自研究の恐れがある」との記述に出会いますが、独自研究だと思われるのなら独自研究であると断定すればよいのではないですか?(出典を要求するという形で)。独自研究の恐れは常にあるものと思えば、あいまいな指摘はしなくて済むことです。それともそのような指摘のない部分は信頼できるものと考えてよいという趣旨なのでしょうか?「独自研究の恐れがある」という一般読者向けの文言が「独自研究である」というこのサイト独自の文言にいつの間にか変わっている場合があるんですよね。--PUECO(会話) 2012年7月11日 (水) 12:17 (UTC)
- 出典を要求しているということは、独自研究であると断定されていません。独自研究には出典がありません。一方で出典がないからといって独自研究であるとは限りません。独自研究であると断定されれば、その記述は除去されます。「指摘のない部分は信頼できるものと考えてよい」というのは誤った二分法という詭弁の一種だと思います。--Calvero(会話) 2012年7月15日 (日) 10:44 (UTC)
「出典がないからといって独自研究であるとは限りません。」もちろんそうでしょうが それを誰が何によって判定するのでしょう?「先行研究で述べられていることだから一応正しいと認められる」というような考え自体が破棄されるべきだと思うのですが ここwikipedia では無理なことなんでしょうね。--PUECO(会話) 2012年7月15日 (日) 13:09 (UTC)
- ウィキペディアにおいて「独自研究」が何を意味するのかについては、Wikipedia:独自研究は載せない をお読みください。また Wikipedia:検証可能性 をお読みいただけば、お持ちの疑念はすぐに解消すると思います。--Calvero(会話) 2012年7月16日 (月) 03:28 (UTC)
- コメント「独自研究」の実体がWikipedia加筆者の固有見解ということが分かれば、「加筆された部分の信頼性」の問題ではないことは明白です。「固有見解であれは、当人のみが見解を標榜する」(命題A)ということです。したがって固有見解でないことの論理学的証明は命題Aの対偶であることです。つまり「当人以外の同一の見解が存在すれば、固有見解ではない」ということです。当人以外の同一の見解が存在を指示する方法は二通りあって、1つが出典の明示であり、もう一つが容易類推です。容易類推とは事実から三段論法をはじめとして、だれが行うにしろ論理学的に証明できることが要件であり、証明なしで容易に考え付くということを容易類推は意味しません。たとえばですねぇ、「先行研究で述べられていることだから一応正しいと認められる」という命題はWikipediaの全文検索でもこのノートのしかPUECOさんの書き込みしかHitしませんし、Google検索をしてもHitしないので出典の存在を提示できません。また「先行研究で述べられている(事実)から、正しい(という結論)」というのは論理学的に証明できません。つまり、「出典がないからといって独自研究であるとは限りません。」というPUECOさんの見解表明はPUECOさんの独自見解です。そのようなPUECOさんが容易類推でもない命題を正しい証明であるかのように主張されたことが、詭弁という誤解を発生させた原因だと考えます。--あら金(会話) 2012年7月19日 (木) 05:07 (UTC)