ノート:羊崎文移
この記事は過去に削除依頼の審議対象になりました。新しく依頼を提出する場合、以下を参考にしてください。
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この項目では存命人物を扱っているため、公式方針である存命人物の伝記を厳守する必要があります。訴訟になりそうな記述については、出典が明記されていなかったり、信頼性に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません。{{要出典}}や{{要検証}}などのタグを貼るなどして記述の出典を求める行為は、このケースにおいては間違った対応です。そのような記述を残したままにしないでください。名誉毀損のおそれのある記述については特にこれが強く当てはまります。 |
この項目を削除していただく事は可能でしょうか
[編集]初めまして、羊崎文移です。 ちょっとお伺いいたしますが、この項目を削除していただく事は可能でしょうか? 私はそんなに名前の知れた著名人では有りません。
Wikipediaに関してはあまり詳しくないので、どなたか、どのような削除が可能かどうかの議論の仕方などをお教えいただけると幸いです。—以上の署名の無いコメントは、219.39.5.32(会話/Whois)さんが[2007年1月20日 (土) 15:29 (UTC)]に投稿したものです。
本人の確認のため私のブログ[1](ブロクのテーマ「ネット関連」)にも意志表示かいて置きました。 みなさまのご判断にお任せいたします。敬具。—以上の署名の無いコメントは、219.39.5.32(会話/Whois)さんが[2007年1月20日 (土) 16:03 (UTC)]に投稿したものです。
- Wikipedia:連絡先/記事の問題/本人よりをご覧いただき、直接管理者にメールでお問い合わせをされてはいかがでしょうか。削除の方法としては、記事自体の削除、特定の記載内容の削除等があります。--Clapon 2007年1月20日 (土) 16:37 (UTC)
レスありがとうございます。機械に疎いので間違えないように、全て当方のご判断にお任せする方向で事を進めようと思います。失礼しました。羊崎文移--219.39.5.32 2007年1月20日 (土) 23:53 (UTC)
- 私め身から出た錆な所もありますので、放置も 考えてます。お忙しい中、失礼いたしました。Wikipediaみなさまがんばってください。敬具。m(__)m 羊崎文移--219.39.5.32 2007年1月21日 (日) 01:50 (UTC)
- 記事はほぼ本人のブログや掲示板の書き込みで確認できるものです。偏らず中立性があれば問題無しと思われます。--Nisikinomiya 2007年5月9日 (水) 06:19 (UTC)
- 今の時点では、安易に削除は不必要だと思います。理由として、今後発展し成長する可能性がある事と、宣伝とは遠い中立な公益性のある記事だからです。
このある意味特殊な人物の来歴を知るのは、客である一般市民の権利だと思います。どのような考えを持ち、普段何をしているのか、まったく謎である人物をここまで出来るだけ中立に書かれた記事は珍しいのです。 書かれたご本人は、著名じゃないから消去してくれ、と主張されてますが、毎年様々な趣向の本を発行して、さらにそれが今後も続くという様な事になれば、著作者、表現者としての公共の責任が有る訳です。 もちろん、ご本人の人権、権利は尊重します。その上で誹謗中傷ではなく、中立を保てば記事として良いものになるし、市民の参考になるものです。--蚊耀 2007年5月28日 (月) 08:26 (UTC)
- 放置の方針で来ましたが、5月31日に管理人メールのアドバイスを実行致しました。6月3日に大変迅速で丁寧なアドバイスを頂きました。そろそろ審議に行けるかと存じます。羊崎文移--かんな文移 2007年6月3日 (日) 15:58 (UTC)
- 審議ご苦労様です、お手数かけました。深夜、地方から帰宅しましたら私と関係の深い某掲示板が荒れて、その他妙なコピペなどが出回ってますが、私の事を書くのはよいですが、他の揉め事をこちらに持ち込んだら管理人様、ユーザ様もお怒りになられるでしょう。これは当然の事です。場合によっては再度の削除依頼もありえる事でしょう。--かんな文移 2007年6月17日 (日) 22:34 (UTC)
本文の記事の人物記述について
[編集]- 羊崎文移です。今、この様な事を書くと、また誤解を招くかもしれませんが、どのようなアクションを起こしても同じと判断し、事実のみ書かせて頂きます。私めの記事に外山恒一氏、保坂展人氏、元気いいぞう氏、武田崇元氏の名前が記載されていますが、記述されている人物は、私、竹野文敏とは面識が確かにありますが、深い付き合いのまったくない方々です。外山氏に関していえば1993年以降まったく顔を会わせておりませんし。保坂氏、元気氏とは年に数回会うか会わないか、会っても私の顔を覚えているかどうか分からないほどだと思われます。武田氏に関しては、出口王仁三郎、霊界物語や、私の出版などの関係での付き合いはありますが、私生活ではまったくお付き合いしておりません。全て、友人ではなく知人程度のお付き合いです。ちょっと、記載されている人物に迷惑がかからないようここで表明しておきます。記載されている方々に私のペンネームや本名を聞かれても、私の事を知らないと言う方がいてもまったく不思議ではないことをこの場で記しておきます。--かんな文移 2007年10月1日 (月) 11:00 (UTC)
- いいえ、指摘が先ずノートで行われた事を、とても嬉しく思います。 さて。とりあえず問題のない記述を考えていこうとすると。『面識がある』あるいは『交流が過去にあった』という記述に留める事も出来ると思います。かんな文移氏のお言葉からは、『あまり大げさに書かないでくれ』という意図のように感じられましたが相違ないでしょうか。--秋月 智絵沙(Chiether) 2007年10月3日 (水) 12:17 (UTC)
- 井戸端から来ました。こういう場合、先ず、問題がある箇所に要出典ではありませんか。出典には、それが検証可能かどうかに加えて、それに言及する価値があるかどうかという面もあります。文移さんの活動は良く存じておりませんが、福田首相など、「面識がある」が千人単位になるのではないでしょうか。ウィキペディアのノートは出典にならないので、この他に「面識がある」と記述されている文献があるかないかですが、出典がなければ原則除去です。要出典を貼って存在するはずのない出典が提示されるのを待ちましょう。(本当なら待たずに除去しても良いと思いますが、御本人が関わっているので慎重に)HOTUMA 2007年10月3日 (水) 13:02 (UTC)
- んー。あまり存命人物に、特に本人からの情報提供に「要出典」は好ましくないのですが(批判内容よりも緊急度は低いですが)。今、公式ページを見たところ2007-10-01 20:40:13付けでブログに同様の内容が記載されています。Wikipedia:存命人物の伝記#本人を情報源にする場合の『当事者提供の情報と記事本文のソース無しの記述が矛盾する場合、出典の無い記述は取り除かれねばなりません』に該当するでしょう。 もっともこれを「矛盾」に相当するかというと怪しいですが、何にしろ出典を求めなきゃいけない理由があれば、出典を待つ前に取り除くべき事案である可能性を考慮すべきです。--秋月 智絵沙(Chiether) 2007年10月3日 (水) 14:20 (UTC)
- とりあえず過大評価にならぬよう「面識」などに留め、かつブログでの発言を反映させてみました。--秋月 智絵沙(Chiether) 2007年10月3日 (水) 14:36 (UTC)
- んー。あまり存命人物に、特に本人からの情報提供に「要出典」は好ましくないのですが(批判内容よりも緊急度は低いですが)。今、公式ページを見たところ2007-10-01 20:40:13付けでブログに同様の内容が記載されています。Wikipedia:存命人物の伝記#本人を情報源にする場合の『当事者提供の情報と記事本文のソース無しの記述が矛盾する場合、出典の無い記述は取り除かれねばなりません』に該当するでしょう。 もっともこれを「矛盾」に相当するかというと怪しいですが、何にしろ出典を求めなきゃいけない理由があれば、出典を待つ前に取り除くべき事案である可能性を考慮すべきです。--秋月 智絵沙(Chiether) 2007年10月3日 (水) 14:20 (UTC)
- こんばんは、たくさんのみなさまのご意見恐縮です。記事ページの尻拭いまでさせてしまった事をお詫びいたします。私の経歴などは、ほぼ今までのブログ記事や他のホームページ掲示板の私自身による書き込みで、私の本名を検索した結果を元に作成されたと思われる箇所もありますが、個人名がやたらリンクされると、見ておられる方に誤解を招きやすいと感じ、今回ノートページに書かせて頂きました。記事に関しては今のところひどい間違いはございませんが、その内誰々の政党で働いているだの弟子だの大げさな虚偽記事に作りかえられてしまうのではないかと危機感を持ち元から絶とうとアクションを起こす前に井戸端で相談したのは正解だったと実感致しました。これからは行動を起こす前にご相談します。今まではその逆だったようですので…。ありがとうございました。問題なければこのままで構わないのですが、初めて私の記事をご覧になられた方々が、ノートページまで見てくださることを祈ってます。敬具--かんな文移 2007年10月3日 (水) 14:47 (UTC)
- かんな文移さんは、「誰某と年に何回か会う」とか「誰某とは知人である」とか書いて欲しがっているのではなく、「誰某」を丸ごと削って欲しいと考えているのですよね。私が要出典と言っているのは、そもそもの「誰某と交流がある」についてです。交流があると書かれなければ、面識程度しかないと書く必要もありません。それでも書きたがる人は、このノートを根拠に面識があると書くかもしれないので、そうしたいなら別の出典を探してくださいということです。でも、公式ページが出典になってしまうのなら、それに沿うことを書かれても止むを得ませんね。HOTUMA 2007年10月3日 (水) 15:26 (UTC)
- はい、とにかく誤解を招かぬよう、実質的な面識がどの程度であるのか具体的にここのノートと公式ブログに書かせて頂きましたが、記事本文にもユーザの方に書いて頂き、これで誤解、誇張解釈防止にはなるかなとは思いますが…。--かんな文移 2007年10月4日 (木) 11:09 (UTC)
- 公式ブログは拝見しておりませんが、問題になる部分を伏字にするか、思いきって閉鎖してしまうか、考えられた方が良いかと存じます。公式ブログを放置しながらウィキペディアの記事から消去というのは感情的に反発を招く恐れがありますし、これから先、公式ブログを情報源にしてウィキペディアに記述を追加する人が出てきた場合に対処が面倒になります。HOTUMA 2007年10月4日 (木) 12:11 (UTC)
著名人に該当する者のプライバシーについて
[編集]ウィキペディアの基準で、あるいは世間一般の基準で著名人に該当するからといって何でも書いて良いというものではありません。それが「公共の関心事」に当たるか、あるいは既に広く知られている事実でなければプライバシー侵害になります。HOTUMA 2007年10月4日 (木) 12:11 (UTC)
- ありがとうございます!今、すごく感謝しています。本来ならさほど著名人でもない私、羊崎文移が記事ごと消えるべきだったのですが…。多くの方々で決めることですので。HOTUMA様本当にありがとうございました。これで他のリンクされた方々に迷惑はかからなくなるかとおもわれます。敬具。本当にありがとうございました。--かんな文移 2007年10月4日 (木) 13:23 (UTC)
- ブログの方も、整理しようと思いますが、大事な思い出なので非公開の方針で整理しようかと思います。--かんな文移 2007年10月4日 (木) 13:27 (UTC)
- 『当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する』に合致しますので、該当編集に賛同します。 さて、ひと段落したと思います。私は、暫くウォッチリストに入れておこうと思いますが、編集動向を見守り、必要であればseetalk等を行いましょう。--秋月 智絵沙(Chiether) 2007年10月4日 (木) 14:01 (UTC)
- ブログ整理完了致しました(特に著名人の人名が全面にその場で近く出ている記事を重点的に)。本当に皆様には感謝しています。HOTUMA様、秋月様多くの皆様本当にありがとうございます。--かんな文移 2007年10月4日 (木) 14:29 (UTC)
今後の対応について
[編集]ちょっと雷雨(?)の影響で別のパソコンでログインしてますが、久々にネットを見たら「…これか」という気分になりましたが、ベテランのユーザ様が、いろいろ対処してくださったことに感謝いたします。(そもそも、このような訳の分からない人名項目が存在しているのが根本的な問題と感じるのですが…、削除が難しいなら、せめてどこか別のプロジェクトに移転してほしいのが本音ですが…)。なんでいまさらこのようなことを意見するのかというと、本文の履歴に、一部冤罪が書かれていたからです。エチケット云々以前に初め「2度自身で削除依頼した」が、次の編集では「3度」になっているのはなぜ??という理不尽かつ、不条理な思いがしました。ここは匿名掲示板の類ではありません。一部のユーザ様がこの場のレベルを自ら落とすようなことがあれば井戸端で再び問題の議論を提出することもあるでしょう。対処してくださったベテランのユーザの方々には、本当に感謝しています。ありがとうございました。--かんな文移 2008年8月29日 (金) 01:38 (UTC)
- WP:LIVEでしっかり対応しますので、ご安心ください。ですが、かんな文移さん自身は、我々を信用して軽く流して頂ければ良いかと思います。子供のころのいじめっ子を思い出して下さい。相手が、必死になればなるほど、おもしくがるものです。歯牙にもかけない、泰然自若。まずは、それが一番よろしいかと。--背番号9 2008年8月30日 (土) 12:07 (UTC)
そろそろ整理をしませんか?
[編集]羊崎文移です。もうこちらの項目が立ち数回存続しましてだいぶたちますが、さいきんウィキペディアのルール頁を見ていくつか気が付きましたのでコメントさせていただきます。 検証可能性とWikipedia:自分自身の記事をつくらないに関してです。 まず検証可能性ですが、本文の「1993年に代々木~市民運動にも参加している」と関連項目全ては「検証不可能」のため除去されるべきだと思います。こちらのノートに私のブログなど(?)から確認できるみたいなことが書かれてますが、これは個人のウェブサイトなので出典無効に当たるかと。
次に「自分自身の記事をつくらない」には以下のような記述があります。 「『ウィキペディアにすでにあなたについての記事があるとき』
自分のことについて、中立的な立場から書くことはとても難しいものです。そのため、ウィキペディアでは自分のことについては他の利用者に執筆を任せるのが望ましいでしょう。自分自身で編集するのではなく、記事のノートページで出典となりうる情報や、編集の提案をし、あなたとは利害関係にない人物が記事を編集するのを待ちましょう。
また、自分の関係していることの記事についてどうしても編集したい場合は、一度ノートページでご自身が記事の主題となっている本人であることを表明した上で提案を行って、合意を得てから編集することが推奨されます。ここで第三者の目が入ることによって、上に挙げたような問題点が解決されることがあるからです。
ただし、誰の目にも明らかな問題点があるときには、自分が関係していることについての記事を直接に編集することも許されます。たとえば、荒らしを差し戻すような場合です。でも、もちろんこの場合、荒らしは、単純で誰にでも荒らしとわかるような行為でなければなりません。内容へ異論があって行われた編集の場合はあてはまりません。同様に、自分自身についての誤った、あるいは古い基礎情報(例えば、結婚の有無、現在の勤め先、出生地など)を修正することは自由です。ただし、事実に異なる解釈が可能な場合、他の人も編集するであろうことを理解してください。
ウィキペディアは百科事典であり、そのため、二次的または三次的な資料であるべきです。つまり、ウィキペディアには「新情報」や「新理論」が含まれていてはいけない、ということであり(独自研究は載せないについてご参照ください)、すべての情報には内容を確かめることのできる出典が必要です。あなた自身について、あなたが記事に書き加えたい事実、出来事の説明、弁明などは、すべて検証可能でなければなりません。
もちろん、ウィキペディアはあなたについての不正確な記事をそのままにしておくことは望んでいません。我々の中立的な観点の方針は、公正で、偏らない記事を作ることを目指すためにあります。我々の目標は、我々自身の意見を提供することではなく、他の人の意見を正確に再現し、そのもとの意見を参考文献、出典として示すことなのです。出典となる情報のありかを教えてくだされば、それは我々がより公平な観点から記事を執筆することを可能としてくれます。
もし掲載されている写真が気に入らなければ、ご自身のよい写真を、適切なフリーコンテントのライセンスのもとでウィキペディアに寄稿してくだされば幸いです。」
羊崎文移という記事はなくしてほしいのですが(ウィキペディアの品質上の面でも)、もし残すのであれば私は検証可能な業界紙や商業誌の出典をいくつか提示できることはできます。 出典を明記すれば少なくとも「ウィキペディアの品質面」は向上するかと思われます。 特筆性は私がノートなどで提示した出典を第三者のユーザの方々が判断され、本文を修正されればよろしいかな?と。
また井戸端に行く前にノートに書き留めました。いずれにせよこれからも体調が良好な限りウィキペディアに奉仕する思いは変わりありません。敬具--かんな文移 2010年10月13日 (水) 11:00 (UTC)
- こんにちは。おひさしぶりです。記事整理あたり、いくつか確認したいことがありますので教えていただいてよろしいでしょうか。また今後、本記事を編集される方の参考にもなればと思います。生年月日、出身都道府県については[2]で公開されておられるので問題ありませんが、本名は著書などで公開されておられたのでしょうか。
- 特殊系漫画家という表現は文移さんが名乗ったことがあるのでしょうか。それともどなたかによる評価、あるいはWikipediaでの造語の可能性が高い、いずれになりますでしょうか。
- 実際に事実であっても出典が示せない場合は編集除去もありうると思いますが代々木アニメーション学院から市民運動にも参加している。の部分に誤りはないということでよろしいでしょうか。すべて事実だとしても載せるべき重要な事柄かどうかという判断が必要ですがこれは第三者が行うことが望ましいでしょう。1973年にお生まれになっておられ、1993年代々木アニメーション学院、の記述の後に10台の頃、運動に参加し、デモにも加わっていた。代々木アニメーション学院入学前に運動、デモに参加されていたかどうかで記述を直す必要性も考えられます。
- 七人の刑事に関するものは氏の主張の中でも特筆すべきものであるのかどうか。雑多な内容の記述となっているおそれもあります。
- 評価の節は全除去でも良いのではと思います。経歴としての事実であり検証可能であれば評価ではなく経歴、人物といった節で書くべきものと思います。
- 著作、これは間違いがなければそのまま現状維持で良いと思います。
- 関連項目、これはWikipedia:関連項目にあるようになるべく本文中に取り込むべきものだと思います。たとえば社会民主党がありますが、どの程度の関わりがどの程度の期間あったかがはっきりしないことには関連項目として置く意味がありません。党員である(った)事実があればともかく、共同歩調を取って活動したというだけでは氏の行動と社会民主党の一致部分が仮にあったとしても不一致な部分もあるかもしれないわけであること、社会民主党の記事を読んでも氏に対する理解が深まる項目と言えるのかという問題があります。
- 以上の点について情報がいただければと思います。記事修正にはあまりタッチできないかもしれませんが編集の方向性だけでも参考になればと思いコメントいたしました。--Tiyoringo 2010年10月13日 (水) 11:37 (UTC)
- 羊崎文移です!Tiyoringo様、お久しぶりです、いつもお忙しい中恐縮です。
- まず、生年月日と都道府県ですが、自著で生年(1973年生れ)、出身地(神奈川県)は明記してあります。特殊系漫画家とは名乗った覚えはなく、世間的にはテンプレどうり同人作家でしょう。
- 羊崎文移です!Tiyoringo様、お久しぶりです、いつもお忙しい中恐縮です。
- 代々木アニメーション、市民運動、デモなどの記述についてですが信頼できる情報源のガイドラインに照らしあわすと、これは一次資料に該当。すなわち仮に私が「そのとおりだ」と自称しても検証不可能=信頼性のない情報(同じことが一連の関連項目、評価にも当てはまるかと思われます。
- 「七人の刑事」などドラマ関係の本については二次資料に該当するかどうかだと思われます。ガイドラインによると。
- 「独立した二次資料とは?」
- 「独立した二次資料」
- 「『編集者の監視や、事実の検証プロセスを経ている』 『合作していない』 『利用できる一次資料を彼ら自身で見ており、評価するに当たっては彼ら自身の判断を使っている 』たとえ同じ一次資料があったとしても、分析者が異なれば、報告される事実についての結論は異なることになるかもしれません。実際には多くの二次資料では、それぞれの調査方法によってさまざまな一次資料を使っています。同意の先入観、不同意の先入観、誤りは、常に自明ではありません。こうしたものを明らかにする一番の方法は、ほかの二次資料と照合することです」とあります。
- 私の本の出典を明記いたしますと、改訂版では関係者(脚本家、俳優、その他の皆様[3])の協力を頂いた。
- 「『特別機動捜査隊』物語の検証1961-1977」という出版物が週刊読書人2009年9月11日号の日本図書館協会選定図書週報の頁に掲載された。
- 前述した「『七人の刑事』を探して1961-1998改訂増補」が季刊考える人2010年秋号(NO.34)の脚本家先生の連載に取り上げられた。こちらの季刊誌は全国書店で発売中ですので、容易に検証が出来ると存じます。
- ざっと出典などを記述しましたが、また新しい動きがないとも限りません。最終的に羊崎文移に特筆性があるかどうかは執筆ユーザの皆様のご判断におまかせいたします。ウィキペディアの品質(信頼性)が向上することを願っております。敬具。羊崎文移 拝--かんな文移 2010年10月13日 (水) 14:50 (UTC)
- 追記です。えーと、これは本人自己申告の一次情報ですが、事実のみ記させて頂きますと、本文「精神障害者の人権擁護の市民運動に参加している」とありますが、正確には「参加していた」、現在は別の活動をしているという事です。人生というものは流動的に変化するものでありまして、その流動的に変化していることが流動的に本文に更新されないことは、そのまま私、「羊崎文移」に著名性、特筆性がないことを立証している…と思われるのですが?いずれにしても関連項目が除去されたのは記事の品質、信頼性の前進ですので感謝いたします。時間はかかるかもしれませんが、この調子で記事がどんどん整理されて、やがて最終的な段階に入る日が来るのも近いと思います。ありがとうございます。敬具。羊崎文移 拝--かんな文移 2010年10月14日 (木) 14:42 (UTC)
- 追記です。まだあまり日にちも経過していませんが、少し私事も入り申し訳ないのですが体調面があまり優れないようで時間がない予感がして来ましたので身辺整理とは大げさかもしれませんが、私がPCを開ける内にウィキペディアの品質を保つ(ケースE、著名性、特筆性のない記事を遺さない)努力はさせていただきます。まず井戸端の前に別のところで質問させていただきます。羊崎文移 拝--かんな文移 2010年10月17日 (日) 15:35 (UTC)
- 追記です。私が知っているかぎり業界紙と商業誌の出典文献は上記の「週刊読書人」と「考える人」の二点のみです。ちなみに現時点では私、羊崎文移にはなんの受賞歴もありません。これらの事から、掲載するには時期尚早の人物記事と削除に提出すれば皆様も納得のいく結果になるとおもうのですが…。ちなみに特筆性のノートページの意見を考えていたとき、真っ先に浮かんだのが重要、主要な「受賞歴」だったのですが…。私が今言えるのはこれだけですが…、皆様お忙しい中恐縮ですがどうかご考慮ください。羊崎文移 拝--かんな文移 2010年10月19日 (火) 00:17 (UTC)
3年ぶりにコメントしますね。
[編集]お久しぶりです。羊﨑文移です(実名: 竹野文敏 はもう2007年の昔にこのページに書いてましたので影響ないかと)。この3年間、私はずっと静観し続けその後1年間wikipedia離れ(私の存在を消し、すべて第三者の方々ににお任せするため)てきましたが、こちらに出典を明記したにも関わらすまったく削除もされなければ加筆もされない、テンプレートのみが延々と貼り続けられる理由を私なりに考えてみました。理由としては「誰も私を知らない」「知っているが相手にされていない」「知ってる方はネットをやらない」「削除依頼するとコミニュティが疲労する」など(あくまでも「私なりに考えた」結果ですが)が思いつきました。私は正直なところインターネットは何を言っても無駄な世界だと感じてます(もちろん、wikipedia日本語版の方々は違うと思います。無法地帯であるインターネットの世界に初めて「礼儀と秩序」を確立させたサイトですし)。
考えた末、少し思いを改めまして検証可能な箇所のみ残すのなら掲載維持でも構わないという結論に至りました(削除するときは削除するで)。
しかしながら誰も私の事など知らないし興味もないので第三者の執筆者がおりません。そんな時下記のような記述を見つけました(続きます)。--文移(会話) 2014年2月23日 (日) 07:37 (UTC)
以下引用 「ウィキペディアにすでにあなたについての記事があるとき[編集]
自分のことについて、中立的な立場から書くことはとても難しいものです。そのため、ウィキペディアでは自分のことについては他の利用者に執筆を任せるのが望ましいでしょう。自分自身で編集するのではなく、記事のノートページで出典となりうる情報や、編集の提案をし、あなたとは利害関係にない人物が記事を編集するのを待ちましょう。
また、自分の関係していることの記事についてどうしても編集したい場合は、一度ノートページでご自身が記事の主題となっている本人であることを表明した上で提案を行って、合意を得てから編集することが推奨されます。ここで第三者の目が入ることによって、上に挙げたような問題点が解決されることがあるからです。
ただし、誰の目にも明らかな問題点があるときには、自分が関係していることについての記事を直接に編集することも許されます。たとえば、荒らしを差し戻すような場合です。でも、もちろんこの場合、荒らしは、単純で誰にでも荒らしとわかるような行為でなければなりません。内容へ異論があって行われた編集の場合はあてはまりません。同様に、自分自身についての誤った、あるいは古い基礎情報(例えば、結婚の有無、現在の勤め先、出生地など)を修正することは自由です。ただし、事実に異なる解釈が可能な場合、他の人も編集するであろうことを理解してください。
ウィキペディアは百科事典であり、そのため、二次的または三次的な資料であるべきです。つまり、ウィキペディアには「新情報」や「新理論」が含まれていてはいけない、ということであり(独自研究は載せないについてご参照ください)、すべての情報には内容を確かめることのできる出典が必要です。あなた自身について、あなたが記事に書き加えたい事実、出来事の説明、弁明などは、すべて検証可能でなければなりません。
もちろん、ウィキペディアはあなたについての不正確な記事をそのままにしておくことは望んでいません。我々の中立的な観点の方針は、公正で、偏らない記事を作ることを目指すためにあります。我々の目標は、我々自身の意見を提供することではなく、他の人の意見を正確に再現し、そのもとの意見を参考文献、出典として示すことなのです。出典となる情報のありかを教えてくだされば、それは我々がより公平な観点から記事を執筆することを可能としてくれます。
もし掲載されている写真が気に入らなければ、ご自身のよい写真を、適切なフリーコンテントのライセンスのもとでウィキペディアに寄稿してくだされば幸いです。」(引用終わり)。
ノートで合意があれば「検証可能な箇所」においては自身で編集しかないのでしょうか。もちろん、第三者のユーザの方々のチェックの上でです。もう少し後ほどまたコメントさせて頂きます。アドバイスがあればよろしくお願いいたします。失礼しました。敬具 羊崎文移(竹野文敏) 拝--文移(会話) 2014年2月23日 (日) 07:52 (UTC)
またWikipedia:井戸端などで提案させて頂くかもしれませんが、うっとうしくなくたまに、合意を尊重致しますのでよろしくお願いいたします。編集、加筆奉仕に専念いたします。羊崎文移(竹野文敏) 拝--文移(会話) 2014年2月23日 (日) 15:04 (UTC)
本項目記事の文案です。
[編集]2014年2月24日に井戸端で頂きましたアドバイスを厳守し、商業誌、商業単行本の頁数を出典した上で仮の記事を作ってみます。あとノートページへの誘導テンプレートのみは項目が存続する限り外さないで頂きたい所存です。今までの議論を読んで頂くのが品質にもつながるかと。問題点、御指摘はいつでもよろしくお願いいたします。敬具。羊崎文移(竹野文敏) 拝--文移(会話) 2014年2月25日 (火) 04:22 (UTC)
すいません、どうしてもリンクなど上手くいかないので、文面に手落ちがあるかもしれませんが、事実のみ(検証可能な出典)を明記します。時間かけて少しづづやります。
記事文案:1
羊崎 文移(ようざき ふみい、1973年3月8日 - 、本名・竹野文敏)は神奈川県出身の男性同人作家。
略歴
[編集]2004年以降、今日の話題社から出版された著作がある[1]。2007年ごろからの創作活動は、文章によるドラマデータ集などを中心をしたものとなっている。自著『「七人の刑事」を探して』『「ダイヤル110番」元祖刑事ドラマ』において、現存していない七人の刑事の映像が、どこかに存在しているのではないかと主張し、その映像公開と放送再開を求めていた。その後、当時の関係者の善意の協力により「七人の刑事を探して」改訂増補を出版。改訂版はムック本でも引用され[2]。考える人にて山田太一の評論も受ける事になる[3]。評論内の「これは限られた人だけが享受できる詩なのだ」という記述は連載をまとめた単行本「月日の残像」を書評した荒川洋治も引用した。[4]。
著作
[編集]- 王都物語(漫画、今日の話題社、2004年)
- 暗闇の用心棒(漫画、今日の話題社、2004年)
- 王都物語2(漫画、今日の話題社、2005年)
- 異郷秘話(漫画、今日の話題社、2005年)
- 王都物語3(漫画、今日の話題社、2005年)
- 「七人の刑事」を探して1961-1998(文章、今日の話題社、2006年)
- 兵器カノンを唄う(クレイアート、漫画、今日の話題社、2007年)
- 「ダイヤル110番」元祖刑事ドラマ1957-1964 (文章、今日の話題社、2007年)
- 「特別機動捜査隊」物語の検証1961-1977 (文章、今日の話題社、2009年)日本図書館協会選定図書[5]
出典
[編集]- ^ 今日の話題社・書籍分類・その他
- ^ ナックルズBOOKS37「男泣き!刑事ドラマ天国」120頁~127頁2012年3月1日ミリオン出版刊
- ^ 考える人2010年秋号、単行本「月日の残像」183頁~186頁2013年12月20日脚本家新潮社刊
- ^ 「波」全体のための印象2014年1月号現代詩作家新潮社
- ^ 「週刊読書人」2009年9月11号日本図書館協会選定図書週報
外部リンク
[編集]- 羊崎文移、改めて文之助(本人ブログ)
すいません、出典のリンクがどうしても出来なくてタイムリミットになってしまいました。( )←この部分が出典のリンクです。あと新潮社の「秋」2014年1月に私の本に関する評論の評論(第三次資料??)があるのですが、私用で出かけねばなりませぬので後日また!御意見はご自由に(なお、( )の出典明記は全て国会図書館、Amazonなどで検証可能なもののみを記しました)。--文移(会話) 2014年2月25日 (火) 07:33 (UTC)
- 特に問題ないように思います。「出典のリンク」とは「出典」節に表示する方法のことでしょうか?それであれば、<ref>と</ref>の間に出典を書き込むだけです。1か所だけのようでしたので、直しておきました。--Freetrashbox(会話) 2014年2月25日 (火) 12:32 (UTC)
- 御指南ありがとうございます。あとこれは第三次資料にあたるかどうかはわかりませんが現代詩作家先生が山田先生の書評で「『消えた先の夢』も、心に残る。テレビドラマ「七人の刑事」の資料を集めて、一冊にした人の話だ。昔のものだけに、この時点でわかる範囲で、という気持ちから、その人がつくったものらしい。『これは限られた人だけが享受できる詩なのだ』と、山田太一は思うのだ。」「波」2014年1月号(新潮社)の書評ですが(「山田太一 月日の残像」で検索すると荒川先生の当時の書評を記した新潮社サイトが今なら出てきます。)、これは第三次資料の評価に当たるか?山田先生の文を評価したので確かに書かれている事は事実なのですが記載すべきか判断に迷います。後、リンクされてるアメブロですが2013年の大規模なアメブロ不正アクセス事件の影響(?)かどうか分かりませんがアクセス不能になってしまいましたので、出来ればツイッターの方に差し替えたいのですがいかがなものでしょう?皆様の御意見をお待ちしております。敬具--文移(会話) 2014年2月25日 (火) 18:31 (UTC)
- 大袈裟にならぬよう客観的に事実のみ記載してみました。外部リンクはアメブロのみ避難用新ブログに変更。これでおかしなところがなければ井戸端にてアドバイス頂きました通り1週間後に本文に移行しようと思うのですがいかがなものでしょう?皆様の御指摘、御意見お待ちしております。敬具--文移(会話) 2014年2月26日 (水) 05:06 (UTC)
- コメント 大筋問題ないと思いますが、「作家の評論」と書かれると読みにくいので具体的な名前を入れていただいたほうがいいと思います。同様に「前述した作家の本」はタイトルを入れたほうがいいでしょう。--T6n8(会話) 2014年3月1日 (土) 00:48 (UTC)
- 御意見ありがとうございます。先生の御名前と御本を明記し、文章を読みやすくしてみました。おかしな箇所、新たな発見が御座いましたら文章の御修正を頂ける幸いです。出かけ間際で取り急ぎ、失礼しました。--文移(会話) 2014年3月1日 (土) 04:56 (UTC)
- 「Wikipedia:井戸端/subj/「検証可能な出典」は第三者のチェックユーザ様が居てくだされば本人による編集は可能なのでしょうか…?」ご無沙汰しています。井戸端での議論をリンクさせておきますね。提案から約1週間となりますが、慎重に慎重を重ねたいのでもうしばらく待たせていただきます。何か至らぬ点が御座いましたら、どんどん御指導のほどよろしくお願いいたします。--文移(会話) 2014年3月6日 (木) 15:26 (UTC)