ノート:鎮西寿々歌
この記事は過去に削除依頼の審議対象になりました。新しく依頼を提出する場合、以下を参考にしてください。
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この項目では存命人物を扱っているため、公式方針である存命人物の伝記を厳守する必要があります。訴訟になりそうな記述については、出典が明記されていなかったり、信頼性に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません。{{要出典}}や{{要検証}}などのタグを貼るなどして記述の出典を求める行為は、このケースにおいては間違った対応です。そのような記述を残したままにしないでください。名誉毀損のおそれのある記述については特にこれが強く当てはまります。 |
ここは記事「鎮西寿々歌」の改善を目的とした議論用ノートページです。 |
出典検索?: "鎮西寿々歌" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · ジャパンサーチ · dlib.jp · ウィキペディア図書館 |
記事の復帰依頼について
[編集]現在、記事の復帰依頼を行っています。復帰が認められ次第、投稿保護についても解除を依頼する予定です。議論への参加をお願いします。議論はこちらで行っています--ひちょすけ(会話) 2015年2月15日 (日) 15:35 (UTC)
- 最初に削除された後に増えたお仕事についてだけ明記させていただくと…。
- アオハルのグラビアページへの出演(sweet号~0.99号 オンラインのレギュラーも含む)
- CSフジコヤブガチピン写真館 MC 番組公式サイト
- ABCラジオのテレビコマーシャル[1]
- 赤城乳業 旨ミルクCM(CM NOW vol.171にて掲載あり)
- ドラマ大阪環状線 ひと駅ごとの愛物語への出演 [[2]]
- 公表されている分だけでもこれだけあります。--ひちょすけ(会話) 2016年1月26日 (火) 09:42 (UTC)
- あ、そうだった。これもあるんでした。NHK歴史秘話ヒストリアの単発の出演もありました。--ひちょすけ(会話) 2016年1月26日 (火) 13:06 (UTC)
記事の復帰に関する手続きを行うかどうかの投票
[編集]ノート:鎮西寿々歌#記事の復帰依頼についてを踏まえて、改めて復帰の依頼に関する手続きを行うかを決めたいと思います。前回の依頼の提示から約1年が経過しようとしており、依頼がすでに流れています。なのでここで議論を行い、もし復帰してもいいと合意された場合、その合意をもとにスムーズに手続きを行いたいと思います。合意されなかった場合はそのままです。おおざっぱにこれまでのこの記事の経緯を確認すると…。
- 2011年4月に特筆性(ケースE)を理由に記事が削除される
- 以降、改善なき再作成が繰り返される
- 作成保護となる
(事実誤認があったら訂正をお願いします)となっていますが、この1番目の(日本時間の日付的に)昨日提示したものが特筆性の改善がなされていると僕は思っていますが、ほかの方の意見を求めます。--ひちょすけ(会話) 2016年1月26日 (火) 15:42 (UTC)
- 賛成 提案者票。 報告なお、当時削除依頼の投票に参加した利用者:Kiku-zouさんとその他第3者へのコメント依頼を行いました。--ひちょすけ(会話) 2016年1月26日 (火) 16:42 (UTC)
- 報告鎮西寿々歌 (女優)として再作成されているようです。--るっか(会話) 2016年1月30日 (土) 05:42 (UTC)
- コメントもしそっちで議論するような流れでしたらこちらに来るよう言っていただけますでしょうか?--ひちょすけ(会話) 2016年1月30日 (土) 08:03 (UTC)
- 報告利用者:Ohgiさんに参加を依頼しました。--ひちょすけ(会話) 2016年1月30日 (土) 08:58 (UTC)
- コメント天才てれびくん卒業後2年10ヶ月の間に女優として出演したのは銀二貫(NHK)全9回のうち最後の1回の最後の10秒足らず、歴史秘話ヒストリア2014年10月(正味7分程度)2016年2月(正味10分程度)大阪環状線~ひと駅ごとの愛物語~(30分ドラマ)でラスト回の主演(まだ放送前)以外は数秒の出演 舞台経験なし。これで「女優」としての特筆性ありとされる合理的な判断基準が知りたいですね。--佐渡兵衛尉(会話) 2016年2月13日 (土) 09:00 (UTC)
- コメント今回の場合、どっちかというと演技活動より今までの芸能活動全体を見て特筆性ありとみなされたものだと思いますがね。天てれもそうだし、それ以外にもたくさん活動していて、芸能人としての特筆性が認められたものだと思います。--ひちょすけ(会話) 2016年2月13日 (土) 09:15 (UTC)
- 報告Wikipedia:削除依頼/鎮西寿々歌にて、るっかさんから報告があった記事の特筆性などについて議論された結果、存続で削除依頼は終了しました。これをもってここでの議論もいったん閉めて、ノート:鎮西寿々歌 (女優)にて鎮西寿々歌の記事の作成保護解除と保護解除した先への記事の内容の移転を議論したいと思います。--ひちょすけ(会話) 2016年2月13日 (土) 09:36 (UTC)
- コメントもしそっちで議論するような流れでしたらこちらに来るよう言っていただけますでしょうか?--ひちょすけ(会話) 2016年1月30日 (土) 08:03 (UTC)
記事における問題について
[編集]現在記事に二つの問題があると表示されていますが以下の理由により解決済みとして良いのではないでしょうか。 皆様の意見を伺えればと思います。
- 【問題1】ほとんどまたは完全に一つの出典に頼っています。(2016年1月)
- →現在複数の出演情報において出典先が明記されており、それが一つで無いことは明らかです。
- 【問題2】人物の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。(2016年1月)
- →ノート:鎮西寿々歌 (女優)の記事での議論により、特筆性を満たしているとの合意に至りました。
- こちらの記載も取り除いて良いのではないでしょうか。
- 議論の程よろしくお願い致します。
--Jacknick2000(会話) 2016年2月20日 (土) 15:24 (UTC)
- 賛成 記事の現状および削除依頼等での議論から、いずれも除去で問題ないと思います。--むじんくん(会話) 2016年2月21日 (日) 00:36 (UTC)
- (コメント)Template:存命人物の出典明記への差替えであれば賛成します。現状では出典のない略歴や家族構成などの記述がありますので。--Strangemist(会話) 2016年2月22日 (月) 03:00 (UTC)
- (コメント)Template:存命人物の出典明記への差替えを行いました。--Jacknick2000(会話) 2016年2月24日 (水) 11:02 (UTC)
- コメント「満たしていると合意に至った」と断定できるほどの議論もなく、合意と言えるほどの人数も議論に参加しているようには見えません。特筆性があるとは、あの経歴からは全く感じられません。--佐渡兵衛尉(会話) 2016年2月25日 (木) 10:18 (UTC)
- 佐渡兵衛尉さんへ ノート:鎮西寿々歌 (女優)での議論で一度納得していただけた(矛を収めていただけた)と認識していたのですが、こちらのノートで再度同じ趣旨の議論をなさるおつもりなのでしょうか?
- ちなみに佐渡兵衛尉さんはこの記事をどうなさりたいのでしょうか?「特筆性がない」と主張なさっていることは理解していますが、その先が見えません。
- 「特筆性はない」との意見
- でも削除依頼等の提出は行わない
- 記事の記載内容を提示されているわけでもない
- となると議論の落としどころがわかりません。一度そのあたりの見解をお聞かせいただきたいと思います。--Kubou(会話) 2016年2月25日 (木) 10:37 (UTC)
- 佐渡兵衛尉さんへ まずひちょすけさんがノート:鎮西寿々歌 (女優)にて提示した「記事の移動を行うかどうかについて」という議論で、
- ひちょすけさんを含めたむじんくんさん、Strangesnowの三人が「分かりやすく納得のできる」理由を
- 提示した上で賛成なさっています。これはwikipediaが求める特筆性をクリアした上で単独記事の保護を解除するという事と同義となります。
- そして、反対意見の出ぬままWikipedia:合意形成によるところの合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間=約1週間)が過ました。これを合意と言わずなんと言うのでしょう。
- 佐渡兵衛尉さんは該当の議論に置いて反対意見を出す事もせず、一度終了した議論を蒸し返しているに過ぎません。
- Kubouさんの仰るように、一体この記事をどうしたいのか教えて頂ければと思います。--Jacknick2000(会話) 2016年2月26日 (金) 11:52 (UTC)
- コメントこれはウィキにおける合意形成の根本的な問題だと思うのですが、この記事の対象のような著名性の極めて低い人物についての議論には参加する人間があまりにも少なく、賛成が数人増えただけでそちらの意見がまるで社会的なコンセンサスを得たかのような話になってしまいます。逆もまた真なりで、反対者のほうが数人多ければどれだけ合理的な理由を出しても通ることなく却下されます。これはシステム上の問題ですのでここで言っても仕方のない事ですが、ウィキの辞典としての信頼性を確保する為にはこの問題の解決は必要と考えます。当該議論についてですが、なお特筆性に関して検証の余地があると考えますので「特筆性を満たしているとの合意に至りました。こちらの記載も取り除いて良いのではないでしょうか。」という論題について否定意見を述べる事に問題があるようには思えないのですが。そもそも反対意見の無い話し合いを議論とは呼びません。俺たち3人で合意形成したのだから、反対者は黙れという空気が漂う中では議論にはなりません。無駄かもしれませんが、時期を見て削除依頼を出そうと思っています。--佐渡兵衛尉(会話) 2016年2月27日 (土) 00:01 (UTC)
- 申し訳ありませんが長文です。ご回答を差し込みやすいように「 」単位で署名しておきます。
- 佐渡兵衛尉さんへ 返答されたツリーの位置から私のコメントにも回答されていると判断し、もう少し確認させていただきます。
- まず、今後の予定(というかこの記事に対するアプローチ)について、削除依頼提出を視野に入れて考えているという回答をいただきました。ありがとうございます。
- そして、特筆性についての考え方ですが、Wikipedia:特筆性 (人物)にある「検証可能で信頼できる出典において、すでに特筆性が立証されている映画やテレビ番組、舞台公演、その他の作品における重要な役割が明記されていること」に対して、
- コヤブガチピン写真館のMCとして出演
- →こちらは、佐渡兵衛尉さんは、重要な役割については否定されておらず、月1回の放送であることから否定的な見解を述べられていますが、週1回1クール(3か月)の番組への出演と比べて特に見劣りするわけではないと考えます。
- (まだ放送前ではありますが、2週間後に予定されている)大阪環状線 ひと駅ごとの愛物語第10話での主演
- →未放送分ですが、間もなく放送される(削除依頼等の手続きを行っている間には放送されてしまう)番組で主演という立場での出演です。
- この2点が項目を満たすのではないかと考えます。1点目の放送回数といいますか長期間放送されている番組への出演という点と、2点目の主演した(する)という点について、特筆性有無のご意見をいただきたいと思います。
- 最後に、意見が合わず、心情的に理解できる部分もありますが「俺たち3人で合意形成したのだから、反対者は黙れという空気が漂う中では議論にはなりません」といったコメントはあまりよくないのではないかと思います。私は、感覚的には「特筆性あり」と判断していますが、この議論内では中立な立場と思っており、コメント依頼から端を発した議論で第3者の立場として議論させていただいているつもりです。私を含めて、議論参加者全員でWikipedia:議論が白熱しても冷静にを今一度確認しましょう。--Kubou(会話) 2016年2月27日 (土) 03:26 (UTC)マークアップを「#」にしましたが次行のコメントによりうまく番号が振られなかったため「*」に変えました。--Kubou(会話) 2016年2月27日 (土) 05:08 (UTC)
- Jacknick2000さん・他 特筆性ありと判断されている意見の方々へ。私が上記で佐渡兵衛尉さんに対して質問させていただいた内容は、Wikipedia:特筆性 (人物)の中の「付加的な基準」部分です。そもそもこの基準の「基本的な基準」を満たすことができれば、もう少し「特筆性あり」の判断に結びつく判断がしやすいと考えます。記事中で用いられている出典はいわゆるい一次情報源となります。そのほかに、「基本的な基準」である信頼でき客観的に独立し、対象者から独立し、公にされた二次情報源に取り上げられている場合に該当するような情報はありませんでしょうか?Wikipedia:削除依頼/鎮西寿々歌でむじんくんさんが提示されているこちらの記事などはそういった二次情報源にあたります。これ1点のみで即「特筆性あり」と判断できるようには思えませんが、こういった情報が集まればOKな気がします。
- もう1点、テンプレート除去の議論についてですが、私の認識ではノート:鎮西寿々歌 (女優)での最終議論結果は「特筆性あり」の判断でまとまった、ではありません。佐渡兵衛尉さんが「矛を収めて」いただいたため、議論を終了した、と思っています。緩く「特筆性あり」そうだな~、といった程度のコンセンサスであると思っており、それを踏まえると上記のテンプレート除去の提案からの期間は1週間(168時間)に満たないものとなります。それなりに賛成意見があるため、疑義がなければ除去でよかったと思いますが、佐渡兵衛尉さんから異論が出たタイミングで、いったん差し戻しの上、再度議論開始であったかと思います。
- 上記2点についてご意見をいただきたいと思います。--Kubou(会話) 2016年2月27日 (土) 03:26 (UTC)
- この記事に二次情報源が足りないことに関してはその通りだと思います。私はこの役者のことについて詳しくないです。たまたま目についたので調べましたが、特筆性については子役の頃からの細かい出演歴とCM起用数に併せ、Kubouさんが言及されたそちらの出典と雑誌で言及されているらしい(らしい、です。私は入手できる環境にありませんが雑誌 CM NOW 2014年11月号で取り上げられているようです)ことで判断しました。また、天才てれびくん関連の楽曲でクレジットはされているようですが、この項目に載せるべきかは判断できませんでした。削除依頼でどなたかも書いておりましたが、塵も積もれば……とも思います。--StrangeMist (StrangeSnow / Talk) 2016年2月27日 (土) 05:01 (UTC)
- コメント私の悪いクセで、一言入れてしまうちょっとした例えなどが攻撃性を帯びるようで(書いている時は特に感じませんが、後で読みなおしたり、ご指摘を受けると強い表現だったと反省することがよくあります)不快感を感じられましたら、申し訳ありません。特筆性に関しては恐らく同じ条件でありと感じるか、なしと感じるかの違いだけだと思います。天才てれびくんに出演しただけでは特筆性なしと判断がされ、その後の積み重ねに特筆性を認定できるか、という話になると思うのですが、何度も書いて申し訳ありませんが、天才てれびくん卒業後の約3年間でNHKの連続ドラマ「銀二貫」最終話の最終シーン数秒(すでにすべての話が終わって後日談として語られる部分で、エンディングのスタッフロールまでのつなぎ的なあまり重要性のない部分)歴史秘話ヒストリアは2エピソードで、2話あわせても合計20分に満たない出演(先日の回はクレジットもされていません)大阪環状線では最終話は主役という事ですが未放送であり、それ以外の放送回は毎回冒頭に登場するプロローグ部分とエピソード内では数秒の登場です。舞台に関しては今年四月に客演として初舞台が決まったようですが、この3年で女優としてはこれだけです。タレントとしては、匿名性の高いCM数本で、基本的にノンクレジットです。CSの「コヤブガチピン写真館」が唯一タレントとしての仕事ですが、学校の行事を優先させています。非常に認知度の低い(特筆性の低い)番組への出演も、学校行事より優先順位を低く考えているのは明らかで、学生が空いた時間を利用してタレントをやっている、というほうが現実に近いように個人的には感じます。このような状況から、現時点で天才てれびくん時代を知る人以外の認知度は極めて低いと考えます。ウィキペディアの閲覧数を調べる事ができるWikipedia article traffic statisticsで確認しても、天才てれびくん卒業後(2013年4月~)は日に10件もいかない程度の検索数です。これは特筆性のある人物の検索数とは、個人的には思えません。コンセンサスを得ようにも、そもそも鎮西寿々歌について知っている人、現在タレントとして興味を持って人があまりに少なすぎるため、賛成するにしても反対するにしても議論が極端に浅くなってしまいます。実際の話、反対しているのは私一人です。合計で4人足らずの人間しか議論に参加しない人物に特筆性があるのかという、根本的な疑問はお感じになられないでしょうか。以上の条件を提示してもなお、間違いなく特筆性ありと多くの方が心証を得られるのであれば、私の感覚がズレているという事かもしれません。記事に関してはブログ一点のみ(しかもこのブログは過去の経緯から、本人が記述していない可能性もあります)を根拠にした編集者の思い込みの部分に出典無効の編集をしていますが、すぐ戻されてしまいます。徒労ですが、記事が存在している以上はなるべく怪しい部分は少ないほうがいいと思いますので、気がついたら直しています。以上です。もっと多くの方のご意見があれば議論も深まるのではないかと期待します。--佐渡兵衛尉(会話) 2016年2月27日 (土) 09:21 (UTC)
- 佐渡兵衛尉さんへ ご存知のことかもしれませんが、一般的な辞書上の定義としての「特筆性」と「Wikipediaでの特筆性」は異なります。ご存知ないようであれば(特筆性から改名された)「Wikipedia:独立記事作成の目安」も参考にしてください。また、人物記事の特筆性や記事内容の改善について4人程度の参加者というのは普通と思います(私の経験では3~4人というのが多いです)。
- 特筆性有無について、私としては上記でも書いていますが、特筆性のある出演と思っているのは「コヤブガチピン写真館」と「大阪環状線 ひと駅ごとの愛物語第10話での主演」です。「コヤブガチピン写真館」への出演について学業を優先しているため特筆性がないという主張ですが、あと2週間して「大阪環状線 ひと駅ごとの愛物語第10話」が放映された後であれば、特筆性ありという判断に変わりますでしょうか?--Kubou(会話) 2016年2月28日 (日) 07:04 (UTC)
- コメント「満たしていると合意に至った」と断定できるほどの議論もなく、合意と言えるほどの人数も議論に参加しているようには見えません。特筆性があるとは、あの経歴からは全く感じられません。--佐渡兵衛尉(会話) 2016年2月25日 (木) 10:18 (UTC)
- コメントほぼほぼ佐渡兵衛尉さん(以下佐渡さん)とは真逆の立場にはなります。まず、佐渡さんの意見に反論をさせていただきますが、まず結構特筆性の議論とは関係のない部分が混ざってませんか?例えば、学校行事による番組の欠席に関してはどっちの優先順位が上だとしても番組出演に関する特筆性が変化するわけではありません。閲覧数についてですが、そもそも記事がないことはwikiに入る前に別の検索エンジンを使うときにわかることですから、少なくてもしょうがないはずですし、少ないからと言って特筆性には影響はないでしょう。仮に人気があって、閲覧が多くても特筆性のなさを理由に削除されるケースはありますしね。なお、僕は基本的に特筆性ありの立場です。一番の理由はそれこそ先ほどStrangeMistさんが最後に述べてましたがそれこそ「チリも積もれば山となる」です。どれも単発だと怪しいけどそれを合わせたうえで鎮西寿々歌のタレントとしての特筆性が認められるものだと思います。--ひちょすけ(会話) 2016年2月27日 (土) 11:21 (UTC)
- コメントたしかにタレント価値が高い人物であれば、例え学校行事を優先したとしても特筆性ありとされるかもしれません。しかし鎮西寿々歌に関して言えば、天才てれびくん以降の仕事が「単発」「散発」であり、それぞれ一つ一つも秒単位、匿名性が高いなど、彼女に注目している人以外は全く気づきもしないようなものばかりです。学校行事云々に関しては、彼女が生活において何を優先しているかの問題で、たった一本のレギュラー番組より学校生活を重視している点は、彼女がタレントとしてどれだけ自覚があるかの判断材料にはなると思います。ウィキ閲覧数についてはウィキの記事自体がなくても、ノートなど関連ページなどがインデックスされていればカウントされるはずですから、検索の絶対数はやはりかなり少ないように思います。またウィキだけでなくグーグル等での検索そのものも天才てれびくん現役当時の3分の1以下です。もし天才てれびくん以降の積み重ねが彼女の特筆性の重要な要素だとするなら、特筆性が認められなかった時代から検索数が3分の1以下になっている現在の彼女に特筆性があるとするのは、かなり無理があると思います。チリも積もればといいますが、匿名性の高い仕事をいくら積み重ねても著名になることはありません。一般には知られていない分野で著名性は低いが、その分野で大きな功績のある人物であれば話は別ですが、タレント業界における彼女の絶対的価値を考えた時、現状で特筆性が高い、もしくは高くなっていると考えるだけの要素が、個人的には見当たりません。--佐渡兵衛尉(会話) 2016年2月28日 (日) 02:28 (UTC)
議論参加者が少ないというコメントもありましたので、コメント依頼に提出いたしました。--Kubou(会話) 2016年2月28日 (日) 07:04 (UTC)
- Kubouさんへ Wikipedia:独立記事作成の目安を読みなおしたうえで、特筆性に関しての見解を(かなり長くて申し訳ありませんが)述べさせていただきます。「立項される対象がその対象と無関係な信頼できる情報源において有意に言及されている状態であること」「一般的な目安あるいは各分野での特筆性の基準を満たすならば、取り扱う対象は、独立記事として作成、収録するだけの価値を有すると推定される」が大まかな目安になるかと思います。一般的な目安として、独立記事として作成、収録するだけの価値があるか否かを考えるための指標は、『記事主題そのもの(ここでは鎮西寿々歌)とは無関係な人たちが書いて公表した、「取るに足らない」ものではない作品において、記事の主題を「取るに足らない」程度以上の言及をしているかどうか』という事だとうたわれています。
この、「取るに足らない」ものではない の例として、『IBMに関するソーブル著の360ページの本やブラック著の528ページの本は明らかに「取るに足らないようなもの」ではありません。しかし、ビル・クリントンが高校時代に作っていたバンド「Three Blind Mice」についてウォーカーが述べたたった1行の文は「取るに足らないようなもの」でしょう』とあります。さらに『名簿やデータベース、マイナーな新聞記事などによる言及は、信頼できる情報源に該当したとしても、独立記事として作成、収録するだけの価値があることを示す証拠にはならないでしょう。』ともあります。鎮西寿々歌のタレント活動について、著名な作者や、研究家によって言及された著作物は現在の所ありませんし(天才てれびくん時代に出版されたムックは一冊存在しますが)著名なインタビュアーや、タレント評論家などによって取り上げられた事もありません。例えばここでは独立記事作成の価値の証拠にはならないとされるマイナーな新聞などからでさえも、タレントとしてインタビューを受けた事もありません。(現在は番組自体が消滅したマイナーなラジオ番組でゲストとして呼ばれましたが、これなどは「マイナーな新聞記事などによる言及」の範疇に入るでしょう。
各分野での特筆性の基準は ○検証可能で信頼できる出典において、すでに特筆性が立証されている映画やテレビ番組、舞台公演、その他の作品における重要な役割が明記されていること ○娯楽の分野に、ユニークであるか、多くのまたは革新的な貢献を行ったこと というものですので、どちらも当てはまらないと考えます。2番目の基準は語る必要もないと思います。一番目の基準で、「コヤブガチピン写真館」と「大阪環状線」において、重要な役割が明記されているか?という事になりますが、「コヤブガチピン写真館」に関していえば、この番組の要であるプロカメラマンの関村良氏のウィキベージは存在しません。番組にとって最も重要な人物のページが存在しないのに、同番組内でアシスタントでしかない鎮西寿々歌にそれ以上の存在価値があるはずもなく、「重要な役割」という部分に疑義が生じます。また「大阪環状線」では、後述しますが、シリーズ中ある程度重要度があるのは最後の1回のみであり、シリーズ全体から見ればその役割は重要とまでは言えないと考えます。このドラマ自体も、深夜2時頃始まる30分ドラマであり、特筆性があると言えるほどのものか疑問があります。制作サイド、報道等では鎮西寿々歌を「重要である」ように強調はしているようですが、それは多分に宣伝の要素が含まれており、彼女の本質的な重要度を表すものではありません。
「ある時点においては特筆性を示す情報源が足りないとされた場合であっても、その後情報が出揃い特筆性が立証されたり、あるいは状況が変化して特筆性が発生する場合もあります。」とあります。例としてまだメジャーになっていなかった時代のお笑いコンビのオードリーが記事を削除され、その後の活躍で再掲載された事例が紹介されています。鎮西寿々歌の場合、この例の全く逆のパターンだと考えます。彼女のタレント活動において、恐らく最も特筆性があると推察できる期間は天才てれびくんレギュラー期間の4年です。NHK地上波の長寿子供番組で週4日の帯番組であり(ビットワールドも天才てれびくんに含めれば5日)認知度も高く、出身者として著名な芸能人もいます。しかし、ウィキペディアはこの番組一本の出演では特筆性なしと判断し、作成された記事を削除しています。この前提が生きているのであれば、現在の彼女の記事が削除を免れている事自体が非論理的です。前回のコメントでも触れましたが、大手検索サイトでの検索数は天てれ出演時代の 3分の1にまで減っています。「特筆性なし」の判定が下っている時代と較べて3分の1しか検索されていないタレントに「特筆性が生じている」とするのは、矛盾以外の何者でもありません。天てれ後の彼女の3年間は、それまでと比べれば「ほとんど活動なし」と言えるものであり(何度も天てれ後の活動に関しては書いていますので割愛します)記事作成の根拠そのものがありません。「最も活躍度の高い時期」に削除対象になった人物が、その後ほとんど活動らしい活動をしていないにも関わらず「特筆性あり」と判断される根拠が「一つ一つは大した事はないが、ちりも積もればだから」というのは、果たして万人を納得させられるものでしょうか。
「大阪環状線 ひと駅ごとの愛物語第10話」が放映された後であれば、特筆性ありという判断に変わりますでしょうか?というご質問ですが、 関西ローカル地上波、開始時間午前1時55分の30分ドラマ(正味23分程度)シリーズ中主演は一本のみで、全体としての重要度は低く、これでは女優として特筆性ありとはとても認定できませんし、今までの経歴にこれが重なったとしても、天才てれびくん時代の露出度から考えればほとんど「無」に等しいタレント活動をどれだけ膨らませても、特筆性ありとは認定しようがありません。やはり、どこをどうがんばっても特筆性を引っ張りだす事ができません。長文失礼いたしました。--佐渡兵衛尉(会話) 2016年2月29日 (月) 15:09 (UTC)
余りに客観性に欠き独自研究に基づく主張ばかりで読んでいるこちらがウンザリしますね。 1.検索数の低下を知名度の低下とみなし、それを特筆性の無い理由の一つにあげられていますが、知名度が下がったからといって一度は特筆性が認められた記事を削除するという例がwikipediaに過去存在していたのであれば教えて頂きたいと思います。もしそういった例を提示できず、天才てれびくん出演時に最も知名度があり特筆性もあったと認められるのであれば、逆説的にその過去の出演のみで記事としての特筆性があるとあなたの主張の中で認めてしまっているようなものです。 2.関西ローカルや深夜であることがドラマの重要度を欠く理由に果たしてなるでしょうか? 全国ネットゴールデンのドラマ出演でなければ特筆性は認められないとでも? 『大阪環状線』はしっかりプレス向けの記者会見を行い、二次情報としてのメディアに取り上げられているドラマであることは承知のはずです。そして主演回が一回のみだということを強調されていますが、ほぼ全話に登場する物語上のキーパーソンであることも触れるべきです。出演時間の長さではなく与えられた役の重要性を加味しないのは全く客観的ではありません。 3.特筆性とは関係ないところですが、本人が公表した名前の由来は出典として有効なのにも関わらず「本人が書いたとは限らない」といった主観的な主張に基づく編集を繰り返するのは何故でしょうか。何度訂正されても議論に持ち込むことすらせず、変化の無い編集をただただ繰り返すのは荒らし行為と呼ばれても仕方がないかと思います。
納得のできるお答えをお待ちしております。 Jacknick2000(会話) 2016年2月29日 (月) 17:22 (UTC)
- Jacknick2000さんへ うんざりさせてしまい、申し訳ありません。まず前提ですが、私は天才てれびくんに出ていた事をもって、特筆性が「あった」とはしていない所を見逃さないでください。あくまでも「推察できる」としました。私自身は特筆性ありとは思わないですが、鎮西寿々歌のタレントとしてのキャリアを通してみれば、最もその可能性が高いと感じる人が多いかもしれないと推察できるからです。そして、客観的事実としてその最も特筆性があると私が「推察できる」期間に、ウィキペディアから「特筆性なし」という判定が出ているわけです。さらに断定を避ける為に「その前提が生きているのであれば」とあえて限定しています。その前提が生きていないのであれば、この限りではありません。
関西ローカル、深夜(午前2時)ドラマ、30分 がドラマとして重要度を欠くと感じているのは私自身です。こればかりは主観でしかありません。逆にあなたは重要度が高いと感じられるのでしょう。ではそれをご説明いただき、第三者に私の意見と比較してもらえばいいだけだと思います。一度プレスに取り上げられたという事のみをもって、「取るに足らないもの」でないとは言い切れないのは、前回のコメントで例示しました。『名簿やデータベース、マイナーな新聞記事などによる言及は、信頼できる情報源に該当したとしても、独立記事として作成、収録するだけの価値があることを示す証拠にはならないでしょう。』
実際ドラマをご覧になっていますでしょうか。私は1,2,3,7話だけ観ております。この中では1、2、3話に登場していますが、カメラで風景を撮っているカットが数秒出てくるだけです。一話完結ですから、恐らく今後も最終話まではストーリーに絡んでくることはないでしょう(あくまで観た回のみからの類推ですし、今後のことも現時点では推察にすぎません)冒頭シーンを含め、彼女は大阪環状線で起こる愛のドラマの目撃者という位置づけです。要するに物語を観る視聴者の立場を象徴しているわけです。見ていない回もあるので断定はできませんが、あの役回りを物語全体のキーパーソンとは通常言いません。したがって重要というほどの役割を担っているとは思いません。
「本人が書いたとは限らない」というのには当然根拠があります。2012年12月26日の記事の件をご存知でしょうか。この日は天才てれびくんのサンタクロース特集に出演した「パラダイス山元」さんについて書いていますが、ご覧になると分かる通り、名前を「ゴンザレス三上」と間違えています。ゴンザレス三上は「ゴンチチ」というインストゥルメンタルギター・デュオのメンバーの一人です。カタカナ5文字漢字2文字という組み合わせが完全に一致していますが、全くの別人です。この「ゴンチチ」ですが、1978年に結成し、主な活躍年代は80年台、しかもインストのアコースティックギターデュオで、イージーリスニング、リゾートミュージックなど数多くのスタイルを横断していてジャンル分け不能と言われる、知る人ぞ知る非常にマニアックなユニットです。ゴンチチの名前を知っているだけでもかなりマニアックですが、そのメンバーの一人であるゴンザレス三上という名前を知っている人は、同年代ですらかなり少数だと思われます。この名前を知らなければ、この間違いは起こりません。2012年の時点で59歳で知っている人が極めて限られる三上さんの名前を、当時の中学生が知っている事自体が不自然です。彼女がそういう音楽について普段から言及しているのであれば話は別ですが、ご存知かもしれませんが、彼女は当時K-POP好きの普通の女子中学生であり、この妙な間違えを起こす為に必要な「ゴンザレス三上」という名前を知っていたとはとても思えません。この記事に関しては、コメント欄などから彼女のファンによって間違いを再三指摘されているにも関わらず、現在まで訂正も謝罪もありません。あくまで憶測ではありますが、「本人が訂正・謝罪をしてしまうと、本人が書いたと嘘をつかせてしまう事になるために、無視し続けるしかなくなった」という事ではないでしょうか。また、以前彼女は「ブログの為にスタッフに写真を送った」というような表現をしたことがあります。さらに、彼女自身が書いたと思われるブログ記事は文章が稚拙な事が多くすぐわかるのですが、記事によって、極めて理路整然とした文章になっている時があります。とても同一人物が書いたとは思えないものです。誰かが文章を書く時、突然うまくなったりヘタになったりするでしょうか。以上のような「情況証拠」から、もちろん断定はできませんが、状況によってはスタッフが書いている可能性を完全に排除することはできない、という意味で、「本人が書いたとは限らない」と言ったわけです。たしかに議論に持ち込むべきだったかもしれませんが、それならば、私の編集に全く異議を唱えず、無根拠に戻し続けた人も同じように荒らし行為と断罪されてしかるべきと思いますが、いかがでしょうか。私は「出典無効ですよ」と言い続けただけです。
ついでなのでもう一つ言いますが、この出典無効の編集合戦の前に、私はコヤブガチピン写真館のプロデューサーである門澤氏のツイッターでの言及を根拠に「サイレンススズカ」も名前の由来であると編集をしましたが、それも何度も消され、あげく中傷的な編集であるかのように断定されました。門澤氏は鎮西寿々歌を番組に登用した本人であり、彼女に対して中傷となるような意図をもって何かを語るような人物ではありません。その彼が語った言葉を中傷・名誉毀損であるかのように断定するのは、それこそ失礼千万な憶測ではありませんか?ジャングル大帝の主人公のライオン「レオ」から子供に名前をつける人もいますし、由来が動物である事が潜在的に中傷・名誉毀損であるかのような断定をするのも、ある種の思い込みに基づいた、バランスを欠いた行為だと思います。一部の人間がまるで自分の砦であるかのように記事を見張り、「自分が正しい」と思う記事だけを「選別」して、それ以外を中傷とするかのような行為そのものも、きちんと断罪されるべきだと思いますが、いかがでしょうか。一体誰が本質的に「荒らし」なのか、よく全体を見ていただきたいと思います。納得できる解答かどうかはわかりませんが、とりあえずお答えいたしました。毎度長文になってしまい、申し訳ありません。--佐渡兵衛尉(会話) 2016年3月1日 (火) 09:30 (UTC)
コメント揚げ足取りになるかもしれませんけど、書きますね。最初の出典無効の件ですが、そもそも「本人が書いてない可能性」を理由に出典無効にするのは無理があります。ブログの本人の記事を本人が書いてないとしても、事務所関係者が本人のプロフィールについて嘘をつく意味ありますか?で、もう一方の出典無効の件ですが、その門澤氏は競馬番組のプロデューサーでもあります。寿々歌本人がブログなどで認めれいれば話は別ですが1年以上(もうすぐ2年?)経過しているのに認めてる気配がないってことは、「番組を盛り上げるつもりで言った」と疑ってかかってもおかしくはないと思いますし、名前の由来は本人にとってかなり重要なことなので寿々歌本人やその家族が認めた、という証言がない限りは掲載しないべきだと思います(それがあるなら掲載しても問題ない)。あと、特筆性についてですが「タレントとしての特筆性」は出演によって増えるものではあると思いますが、減るものではないと思います。だから僕やは出演数や掲載数の積み重ね(塵も積もれば山となる)で、特筆性があるといっているのです。佐渡さんは「特筆性=人気(知名度)」だと思っているような節があるように見えますが、どうしょう?--ひちょすけ(会話) 2016年3月1日 (火) 12:49 (UTC)
- ひちょすけさんへ 問題点は嘘をつく必然性があるかないかではなく、上記で説明させていただいた通り、出典が本人が書いたと確実に言えない点です。もしAの例で本人が書いた可能性が100%でないが、それはOK,しかしBのほうは、どれだけ信頼のできる人の発言であっても、盛り上げる為に言ったかもしれないからダメ。このジャッジはどなたがされるのでしょうか。「特筆性」に関してはウィキのガイドラインを元にどう考えるべきかをjacknick2000さんへの返答でもわかりやすく書いた(つもりな)ので読んでいただければありがたいのですが、鎮西寿々歌の場合、最も特筆性があると多くの人間から認定され得た時期だろうと私が推測した期間(てれび戦士現役時代)に「特筆性なし」という具体的な結果が出ているわけです。この「前提」で、その時以上の活躍(メディア露出、知名度の向上など)を明らかにしていない以上、論理的には現在「特筆性あり」とはできないと言っているのです。ノンクレジットの仕事が単純に100個積み重なっても、著名性が発生するわけではありません(もちろんノンクレジットの仕事をしているうちに注目をされ、それによって著名性が獲得できる可能性はありますが、現在はそういう状況にはありません)--佐渡兵衛尉(会話) 2016年3月2日 (水) 15:15 (UTC)
コメントいえ、ブログの件の場合は仮に本人が書いていないにしても、中身の方に嘘がなければ一次情報源としては全く問題はありません。それでも出典無効と主張する場合は「本人が書いていないこと」ではなく、「中身が嘘である根拠」を提出していただきたい。「本人が書いていないこと」を理由にしてももう意味はありませんし、そこで争う気はありません。中身に虚偽があるかどうかがここでは大事なので。プロデューサーの方は、どれだけ地位が高い人だとしても「本人が言っていた」っていう趣旨の発言がありませんのでどちらにしろダメですし、競馬番組のプロデューサーでもあるため、本人やその親族からの証言、などのよほどの証拠がなければ出典としては認められません。最後に、特筆性に関して「この「前提」で、その時以上の活躍(メディア露出、知名度の向上など)を明らかにしていない」って書いてますが、レギュラー番組以外の雑誌などのメディア出演は天てれに出演していた時期よりも多いのは明らかでは?--ひちょすけ(会話) 2016年3月2日 (水) 16:21 (UTC)
保護について
[編集]現在、出典無効の(主に佐渡兵衛尉さんとの間の)編集合戦によりこの記事は保護されているようですね。まず、編集合戦の該当部にかかる私の編集のこれとこれは、その編集理由を履歴に示してあります。
もう少し詳しく編集を説明しますと、SNSやブログなどの発言については一次情報源として乏しいですが、自身に言及したものに限り(他に二次情報源が無ければ)出典として使うことができるという前提に依っています (WP:SOURCES)。SNSやブログを出典とすることについてはここやここなどで話されている内容がわかりやすいと思います。
- 「サイレンススズカ~」の編集については門澤さんのTwitterを基にしたものであり、門澤さんは鎮西さんではないので、これは出典として扱うことができません。
- 「生まれた時の産声が~」は事務所の公式ブログで「寿々歌です。」と名乗って記されています。この場合、その情報が重要であり、過度に自己を美化するものでなく、また第三者によって公表された信頼できる情報源が存在する場合はその情報と矛盾していない限り使うことができます。
- 佐渡兵衛尉さんによる公式ブログの編集が本人によらないとする見解による編集ですと独自研究です(WP:NOR)。これについては「本人が書いていない」とする信頼できる情報源が必要になると考えます。
佐渡兵衛尉さんにはこれらの編集についてご納得いただきたいのですが、いかがでしょうか?--StrangeMist (StrangeSnow / Talk) 2016年3月1日 (火) 14:25 (UTC) コメント本人だと名乗っていて事務所の公式ブログであれば、100%確実に本人が書いたと言えない可能性があっても許容され、確実に本人が書いているとする信頼できる情報源は必要なく、本人でない可能性に関してのみ信頼できる情報源が必要となる、という論理はどこから来るのでしょうか。この記事が合理性に基づくものでなく、ファンによるファンのための応援記事であり、「特筆性」という言葉も数人の支持者不支持者の増減でどうとでも解釈でき、ウィキペディアがそういう状態を潜在的に許容しているというのであれば、これ以上何も言う事はありません。まさに私の空回りであり、無粋極まる空気の読めない奴、という事なのでしょう。実際に変な奴がごねに来て一人大騒ぎして大迷惑だという空気になっており、みなさんヤレヤレと思っていらっしゃるでしょうから、もうこの辺で終わりにしたいと思います。ファンの皆さんの熱意だけは伝わってきました。彼女が誰もが納得する「真の特筆性」が得られるまで、支えてあげてください。鎮西寿々歌さんのご活躍を祈っております。--佐渡兵衛尉(会話) 2016年3月2日 (水) 15:15 (UTC)
- コメントありがとうございます。1,2についてのご異論はなく、3についてのご異論を頂きましたので、そちらについて返答致します。「本人だと名乗っていて(中略)論理はどこから来るのでしょうか。」とのご質問ですが、一般的に何らかの記事に著者名が表示されているならば、その人によって書かれたものだと推定されます。これは著作権法第十四条などにも示されています。
- 「もうこの辺で終わりにしたいと思います」というのは該当部の編集をこれ以降は行わないということで宜しいでしょうか?
- 特筆性についての議論はご自由に行ってください。--StrangeMist (StrangeSnow / Talk) 2016年3月2日 (水) 16:35 (UTC)