コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:雲仙岳

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。


関連項目に74式戦車

[編集]

何で関連項目に74式戦車があるのでしょうか2008年7月9日 (水) 10:08 (UTC)--以上の署名のないコメントは、210.199.211.249会話/Whois)さんが 平成20年7月9日 (水) 19:08‎ (UTC) に投稿したものです(メルビル会話)による付記)。

普賢岳噴火の際に、74式戦車が災害派遣で送られたことがあるからだと思われます。探せばインターネット上にそれについて触れた記事がいくつかあります。が、ここの本文中には記載がないんですよね。--Ukemuri 2008年9月16日 (火) 11:40 (UTC)[返信]
項の名前を挙げておられなかったので、「関連項目に74式戦車」という項名を作成させてもらいました。ご了承ください。--メルビル会話2015年8月16日 (日) 05:03 (UTC)[返信]

警官の警告を無視して規制区域に入って取材した報道関係者の死亡について

[編集]

7月19日に上記の関係する記載が、選択的に削除される編集がなされていますが、これは事実と認定できることですから、消さずに存続させるべきでしょう。退避勧告に従わない報道関係者のために配置された警察官や、報道関係者が利用したタクシー運転手が巻き添えに死亡したのも事実です。問題のビデオは雲仙岳災害記念館にて常時エンドレス放映されていますので、その事実が客観的に確認でき検証可能です。この件については反響が大きく、現在でも多数の記載がwebに残っています。 特に反論なければ、この部分の編集を復活させようと思いますが如何でしょうか?--メルビル 2011年7月20日 (水) 08:38 (UTC)[返信]

コメント メルビルさんの意見に同意します。警官の制止を無視した点は、些細ですが見逃せない点だと感じます。--貫鉄 2011年7月26日 (火) 06:54 (UTC)[返信]
貫鉄さま ありがとうございます。特に反対意見はないようですね。出典となりえる書物が入手できましたので、近いうちに加筆したいと思います。なお他の方の加筆作業を妨げるものではありません。また、上記のような作為的な情報の削除行為には反対します。--メルビル 2011年11月24日 (木) 02:48 (UTC)[返信]
この項目について興味を持ち、多数の文献に目を通したましたが・・・・メルビル氏曰く「反響が大きい」と自覚されているにも関わらず、①火砕流の危険を明確に伝えなかった火山学者、②防災関係者の情報伝達体制の不備、③大火砕流後にルポライターが警戒区域に侵入したことが住人にどのように思われていたのか・・・etc、調べれば簡単に分かる事実についての記述が全く欠けているのはどういうことでしょうか?また「警官の警告を無視」と表題にありますが、そもそも警官が明確に報道陣に警告したのは6月3日16時の大火砕流時であって、それ以前は報道陣の取材はフリーパスに近い状態でした。とりあえず知りえた範囲で加筆させていただきました。--HKT3012会話2015年8月14日 (金) 15:51 (UTC)[返信]
私に対しての個人的な質問でしょうか?。私はこの項の主記載者でもありませんし、完璧な記事がどの時点においても書かれているとは思っていません。ですので欠けている情報があると思われるなら、どうぞ遠慮なく追記してください。また警察の警告が何月何日に開始されたのかは存じ上げませんが、亡くなられた方々は警察の警告を無視して取材を続けられていた方々なのは異論ないところかと思います。警告に従って退去された方々は助かっています。このノートの項名『警官の警告を無視して規制区域に入って取材した報道関係者の死亡について』は、確かにご指摘のように噴火当初から警告を無視した取材がおこなわれたように受け取れる文章です。『警官の警告を無視して規制区域での取材継続し、亡くなった報道関係者と巻き添えになった人々について』という文章に変更してよろしいでしょうか?--メルビル会話2015年8月14日 (金) 18:03 (UTC)[返信]
ノートの項名を変更することに異論はありません。念のため確認させていただきますが、おっしゃられている「警察、もしくは警官による警告」とは、いつ、どのように行われたのですか?情報源を提示していただければと思います。前述した6月3日については、既に避難勧告地域に入っていた報道陣の避難を呼び掛けるために警官が向かったのであり、意味合いが違うと思いますので。-HKT3012会話) 2015年8月15日 (金) 06:510(UTC)
意味の取違いをされていますかね。ご覧になったことがあると思いますが、この動画ををご覧ください。同じ動画が雲仙の災害資料館でも上映されていますのでYOUTUBEから削除されても検証可能です。ここに警察の退去を進める声も一緒に入っていますが、この人たちは退去せず亡くなられています。6月3日ではなく、いつから定点の取材制限の勧告があったというと、上記では存じ上げないと記載しましたが手元の資料で確認すると、九大観測所の大田所長を警告発生源として記者らに警告が伝えられたのが5月29日、6月2日には島原警察署の所長名義で対策本部に記者らを集めて、報道の全線を筒野バス停まで下げるように要請されています。その後の再三にわたって警告が発せられ、6月3日の午後4時にも巡査らが報道現場を回り警告が発せられています。--メルビル会話2015年8月15日 (土) 09:29 (UTC)[返信]
動画の16時8分前後に写っているパトカーについては、雲仙普賢岳測候所から避難誘導の依頼を受けて定点に向かい、その帰途、定点から数百メートル下にある農業研修所付近で火砕流に被災、警察官2名が殉職されました。仮にこの時点で定点にいる報道陣が避難誘導に従っていたとしても火砕流から逃れることは困難でした。先に「警告に従って退去された方々は助かっています」と書かれていますが、この避難誘導に従って助かった方がいらっしゃるのでしょうか?定点より高い位置で撮影していたため火砕流の接近に気付き、いち早く退避を始めた地元テレビ局クルーや、タクシー運転手の警告に従った日経新聞の記者らが九死に一生を得ましたが・・・・。よって、このケースは適当では無いと思われます。また6月2日以降も「その後の再三にわたって警告が発せられ」とありますが、私が知るのは地元派出所の巡査が大火砕流直前の16時前に、天候悪化を受けて報道陣に定点からの早期引き上げを忠告に行ったこと、それと前述したパトカーで避難誘導に向かった警察官、この2件のみですが、他にもあるのでしょうか?また5月29日、6月2日の警告については九大・大田所長の要請を、前者は島原市、後者は島原警察署が伝えたのであって、標題の「警察による警告」という表現には違和感があります。というのも、警察は火山学者らの警告を報道陣に伝言していたものの、避難勧告地域の境界線に立つ警察官らは報道陣の入域規制を全く行わずフリーパスであったことが明らかになっています。つまり警察とその現場は報道陣との軋轢を極力恐れており、報道陣へ警告していた主体は火山学者であって警察ではありません。動画で「それは大田教授の指示によるものですか?」「そうです」というやり取りがあるように、これは明らかです。これは提案ですが、標題は「島原市が設定した避難勧告地域に立ち入って被災した報道関係者、および巻き添えとなった人について」が適当だと考えますが、いかがでしょう。--HKT3012会話2015年8月15日 (土) 11:40 (UTC)[返信]
6月3日の分刻み、時間刻みの時系列を作成して議論することは、無益だと思うのですが。当日、午後4時頃に避難誘導された件は把握されているですね。その誘導に従っていても助からなかったということですね?。私が言っているのは当日の話に限った話ではないのです。私が所有している出典では、6月2日に警察署長が災害対策本部に記者を集めて報道の前線を下げるように要請したが、記者は従わなかったと明記してあります。警察の要請には「それは強制力のある命令ですか」「いえ、あくまでお願いです」「じゃあ、取材できるんだ」というやり取りがあったようで、「いくら注意しても報道の人はどうしても行ってしまう」という若手巡査の報告や、定点を担当する巡査も「日課のように言いましたが、何度言っても下がろうとしない(著作権に配慮して要約)」というコメントが記載されています。引用も著作権の絡みで限界がありますから、HKT3012さんもこの書物を入手して読んでみてください。「大火砕流に消ゆ」江川紹子 ISBN 4-7974-9511-1。危険か安全かを判断するのは学者であり警察ではありません。学者が判断し警察がその規制を伝達するのは当然の事です。以上より提案された項の名称については同意できかねます。--メルビル会話2015年8月15日 (土) 14:01 (UTC)[返信]
あと、当日の避難指導にしても、「指導に従って避難していても助からなかった可能性が大きいと予想される」からといって問題視しない(という意味で宜しいですか?)というのは独自研究ではないでしょうか?。私自身を含めてwikipediaの執筆者の立場で、問題である~どうせ助からないから問題ではないと議論しても、やはり独自研究にしかなりませんので、問題視して報道した出典を提示できれば御納得していただけるのではないでしょうか?。休日中につきデーターベースにアクセス出来ませんが、連休明けに出典を検索してみます。--メルビル会話2015年8月15日 (土) 14:06 (UTC)[返信]
紹介いただいた書籍については最近読みましたが、6月2日の記述については見落としていました、ありがとうございます。この本については、ルポライターが大火砕流後に警戒区域に侵入したことに対する地元住人の声、犠牲となった報道陣の素顔等が克明に書かれており、非常に参考になります。またこの書籍以前に読んだ文献(本文脚注に記載)から得た情報もほぼ間違っていないと確信を得ることが出来ました。話を戻します。標題については水掛け論になりますのでこれ以上は申しません。ただし補足させていただくと、火山学者が警告を伝達した対象は警察に限定されておらず、島原市にも伝えられており、市災害対策本部は29日、報道関係者に「傾斜計の数値が普段と違うので、筒野バス停から上には絶対に入らないようにしてほしい」と要請しています。この「データに異常がある」と切迫した表現で伝えられたことにより、報道関係者らは九大の大田所長に取材したところ「おかしな数字が出た訳ではないが、(避難勧告地域に)マスコミが入ると住人も入ってしまうので控えてほしい」との回答を得ましたが、「異常」ではなく「変化」と言い直したことで不幸にも報道関係者には危機感が伝わらなかった事実があります。こうした点においても「警察からの警告」と限定してしまうより、広義の意味を込めて「島原市が設定した避難勧告地域に立ち入って(以下略)」を提案したのですが。--HKT3012会話2015年8月15日 (土) 14:57 (UTC)[返信]
動画見るとパトカーに乗った警察官らが避難誘導のために定点にやって来たのが16時7分、それから1分も経たないうちに動画は途切れていることが分かります。九大理研報によると、パトカーは定点付近で火砕流に遭遇し農業研修所付近まで辿り着いたとあります。つまりあの時点で定点にいた場合、逃げ出してもこの辺りまで辿りつくのがやっとであると解釈できます。ましてや報道陣はカメラ含む機材持って車外にいましたから、既にパトカーに乗車していた警察官より不利です。また、この当時の定点の状況については、農業研修所より更に下に位置する眉山焼付近にいたものの不安になって日経記者を乗せて逃げたタクシー運転手の証言があります(この方は「パトカーの警報聞いて不安になったので山を注視していた」とあるので、避難誘導により助かった例ですね、失礼)。資料P168から始まりますが、彼によると「定点付近は道が狭くすれ違うのがやっと、さらに車も多かったため、すぐには逃げられない」そうです。よってパトカーが避難誘導してから1分も経たない内に、報道陣を乗せたタクシーが視界が極端に悪い状況で定点から600~700m離れた避難勧告地域外まで脱出するのは非常に困難と判断できます。ただし、避難誘導に従わなかったことを『どうせ助からないから問題ではない』とは申しておりませんし、『問題である~どうせ助からないから問題ではない』と議論するつもりは一切ありません。まあこれはご指摘のとおり独自研究にはあたるかもしれません。ご参考までに。--HKT3012会話2015年8月15日 (土) 15:44 (UTC)[返信]
HKT3012さんは度々本項に加筆されていますが、とても良い内容で編集されていると思っています。気分を害されることがありましたらご容赦くださいね。--メルビル会話2015年8月16日 (日) 04:58 (UTC)[返信]