ノート:1−1+2−6+24−120+…
ここは記事「1−1+2−6+24−120+…」の改善を目的とした議論用ノートページです。 |
2012年9月28日 (金) 01:04 (UTC)の取り消し
[編集]冒頭の定義文などを修正した編集(差分)に対する取り消し(差分)について。どこが問題なのかの指摘もなかったので理解しかねますゆえ、ご説明をお願いいたします。取り消しされた利用者にはWP:ESを今一度ご一読およびご理解ください。--青子守歌(会話/履歴) 2012年9月28日 (金) 05:57 (UTC)
- 青子守歌氏の編集で記事の主題に関するコンテクストが不明瞭になっていましたので、差し戻すのに特に説明は不要と思います。--Super-real dance(会話) 2012年9月28日 (金) 07:27 (UTC)
- コメント とりあえず最初に、ノートで編集に対して異論を出されているのに再び取り消しを強行したこと(差分)に対しては批難しておきます。WP:EWを誘発しないように。さて、それはともかく。「主題に関するコンテクストが不明瞭」という主張が不明瞭です。具体的にどこがどう不明瞭であったのか何ら説明となっていません。冒頭の定義文のことを指しているのだろうと推測されますが、それなら全体の取り消しではなく冒頭のみを直すべきです。で、その定義文ですが、現状の
では、「1−1+2−6+24−120+…が何であるか」が不明確です。万有引力の法則を説明するのに「万有引力の法則(式)を発見したのはニュートンであった」では意味がわからないのと同様です。例えば1+2+3+4+…など他の記事を参考にしても、こんな書き方はなされていません。少なくとも現状よりは、私の版で修正したような解析学において階乗の交代和、即ち発散級数(式)に対して、適当な総和法によって有限な値を割り当てたのはオイラーが最初の人であった
の方が明確です。そして、「これこれこういう」の部分は、翻訳元のen:1 − 1 + 2 − 6 + 24 − 120 + · · ·がオイラーの功績を冒頭にもってきていることを尊重すれば、「オイラーが割り当てた」という部分を持ってきてもよいでしょう。あるいは1+2+3+4+…を真似るなら1 − 1 + 2 − 6 + 24 − 120 +すなわち(式)は、これこれこういう発散級数である。
となるでしょうか。いずれにせよ、現状の定義文を良しとする意見には賛同し兼ねます。ゆえに、上記案のいずれかの選択もしくは代案の提案、あるいは現状の定義文がより優れている根拠について具体的説明を求めます。--青子守歌(会話/履歴) 2012年9月28日 (金) 10:32 (UTC)1 − 1 + 2 − 6 + 24 − 120 +は発散級数の1つで、階乗の交代和として以下の式で表される(式)。これに有限な(略)オイラーであった」
- コメント とりあえず最初に、ノートで編集に対して異論を出されているのに再び取り消しを強行したこと(差分)に対しては批難しておきます。WP:EWを誘発しないように。さて、それはともかく。「主題に関するコンテクストが不明瞭」という主張が不明瞭です。具体的にどこがどう不明瞭であったのか何ら説明となっていません。冒頭の定義文のことを指しているのだろうと推測されますが、それなら全体の取り消しではなく冒頭のみを直すべきです。で、その定義文ですが、現状の
- いちいちダメさ加減を論って無能さを証明するような真似はしたくないから、なるべくやんわり言って反省して去ってもらおうと考えていたのですが、ご本人がサンドバッグになりたいとおっしゃるのでは仕方がありませんね……。
- はっきり言えば、青子守歌氏の「定義」文とやらは表面的な形にこだわるあまりその内容を見ずに嘘を断言している荒らしレベルの最低の文です。代案として挙げているものも全く同じ誤りを犯しているので、全く話になりません。
- 「定義」文とやらでは、「発散級数である」が骨子ですから、記事は発散級数であることを説明する内容でなければならないことになりますが、本来は(そして実際に)そうではありません。そして、「オイラーが初めて有限な値を割り当てた」が「発散級数」を修飾する句になっているが、これが「定義」であり「より定義っぽく」したと要約で主張してこう改変したということは、つまり記事は「有限な値なのに発散するのだ」ということを説明する内容であると断言しているのと等しく、そしてそれは明らかに誤りです。
- 現在の「導入」文では、「発散級数であること」「適当な総和法の枠組みによって有限の値を割り当てられること」「総和法がオイラーの時代からあること」が何れも並立して「階乗の交代和 1-1+…(+別行式)」を修飾する付帯事項として提示されています。無理に「定義」となる部分を探せば「階乗の交代和」がそれにあたる(階乗の交代和ですよと言えば曖昧さなく意味が通じるという意味で)でしょうけれども、そもそも「1-1+(略)…」という記号は「…」がいろいろ解釈できるなか、ここでは階乗の交代和の意味で使うというだけですから、「1-1+…は階乗の交代和である」などと書いたとしたら同語反復に近く不適切です。故に現在の導入文は「1-1+(略)…」という記号の「定義」文とやらではありません。「定義文である」あるいは「定義文として劣っている」と主張することがそもそも誤りです。
- 現在の冒頭「導入文」は必要な要素を含み、きちんと記事の主題に関してコンテクストを確立するものになっていますので曖昧ではありませんし、「冒頭が記事の短い要約である」べきという(「コンテクストを確立する」ものであるべきというのもそうですが)冒頭スタイルの基本思想にも合致します。
- 結局、青子守歌氏は表面的に薄っぺらく字面を眺めただけで「AはBである」方式の形だけに拘るあまり、完全に内容を破壊していることに全く理解が行っていないということです。これだけ短い記事を、たったあれだけの編集で、ここまで内容をめちゃくちゃにできるというのは、ある意味で才能なのでしょうね。--Super-real dance(会話) 2012年9月28日 (金) 14:52 (UTC)
自身の会話ページを含め、度重なる暴言。荒らし。
冒頭文について
[編集]この編集に関してです。最大の問題は、
1 − 1 + 2 − 6 + 24 − 120 + … とは、で定義される、
が誤りであり、なおかつ同語反復であることです(冒頭で同語反復な定義を避けるべきとする文章がどこかのガイドラインにあったはずと思うのですが、今ちょっと見当たりません(困った……)。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)あたりにありそうなもんですが……)。「誤りである」という意味は(半分は同語反復だからという意味ではあるのですが)、単に表記法が異なるだけで表している内容は同じなので(初学者相手に新規にΣを使った和の記法を導入して直後にその書式の簡単な例を出すという場面ならまだわからなくもないですが、表記を変えただけのものが「定義」になるはずはないので)、簡潔な導入どころか「1+1はいち足すいちである」と書いてあるのと大差ないくらい「変な文章になってる」という意図です。直接関係ありませんが、念のため1+1の項の冒頭が、さすがにこのような同語反復でないことをご確認ください。あと、ボレル和の部分は、その操作をやってよい根拠などを提示ずに正当化のスケッチをなぞって、確認しているだけで「計算」ではないと思われるので、その辺も引っかかります。また、「階乗の交代和」は手続き的な呼称(各項が階乗になっている交代級数(交代和)ということ)であって、式の(固有的な意味での)別名称というのとはちょっとニュアンスが違うと思います。--Buriedunderground(会話) 2015年8月19日 (水) 12:49 (UTC)
- ボレル和などの話は一旦置いておいて、まず冒頭文に関して話しましょう。
- それが本当に同語反復であるかどうかはともかく、私としてはガイドラインに沿った書き方になりさえすれば冒頭文にΣによる表示を組み込む必要性は特に感じません。つまり、「1 − 1 + 2 − 6 + 24 − 120 + …とは、これこれこういう性質を持った交項級数のひとつである」のような書き方ならば、あなたが言うところの同語反復の問題も解決されるし万事OKなのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
- ちなみに、現在の版でも「1 − 1 + 2 − 6 + 24 − 120 + …, 即ち発散級数 Σf(k) に対して……」と言い換えていますが、これはあなたの考えでは同語反復を行っていることにはならないのでしょうか?あなたの例えを借りれば「1+1, 即ちいち足すいちに対して……」と言っているくらい「変な文章」と言うことになりますが、これはOKなのでしょうか?本当にそれら二つが全く同じ内容を表しているのであれば、わざわざ言い換える必要はないですよね(あなたのご主張をよく理解したいがために尋ねています)。--AT(会話) 2015年8月19日 (水) 14:49 (UTC)
- 「冒頭で同語反復な定義を避けるべき」という議論は私もどこかで見た気がするのですが、日本語版の中からは見つけられませんでした。参考までに英語版のen:Wikipedia:Manual of Style/Lead sectionでは、「パキスタン・イラク関係」という項目の冒頭文として「Pakistani-Iraqi relations are the relations between Pakistan and Iraq.」よりも「Iraq and Pakistan established diplomatic relations in 1947.」のほうがよい、と書いてあるようです。Axiom of translationさんの推す案はこの前者に近いような気がします。--126.130.141.6 2015年8月19日 (水) 15:29 (UTC)
- IPさんが挙げられた文章[1]には「under discussion(議論中)」のタグが貼られています。つまり英語版でも同語反復に関しまだ確固とした見解があるわけではないみたいですね。現にen:Iraq–Pakistan relationsのページでもむしろ前者に近い書き方をしています。--AT(会話) 2015年8月19日 (水) 16:40 (UTC)
- 英語という言語がそもそも極端に同じ言葉の反復を嫌うものであるということも一応追記しておきます。日本語では「○○事件とは、2001年……で発生した連続××事件である」みたいな文章はわりと一般的ですが、英語ではこれも反復的なのでアウトです。同じ段落に同じ単語(「事件、incident」)が入るだけでも良くないとされるからです。他言語版のガイドラインをそのまま日本語版に適用してはいけないとされている理由は、このような文化的違いが怏々としてあるからでしょう。--AT(会話) 2015年8月20日 (木) 00:43 (UTC)
- 私は同語反復的な定義(トートロジー)は定義として無意味であり、記事のコンテクストを確立しないので、冒頭文に適してないということを言っているのですが、上の仰り様だと Axiom of translation さんは同じ単語が繰り返されれば何でも同語反復と(私がそう言っている?と)勘違いされているということなのでしょうか……。
は Axiom of translation さんご自身が「言い換え」と明言されている通り同語反復ではないので、(同語反復という観点で見て)変であるはずがないのですが、上のご返答を見る限りだと私にはお手上げのような気もしてきました……。記事には可哀そうですが、早めに負けを認めて尻尾を巻いて逃げ出す準備をしようかと思います。「1+1, 即ちいち足すいちに対して……」
- 一応、現行の「階乗の交代和」「1-1+2-6+…」「Σ(-1)^n n!」という三者の言い換え併記について意見を述べておくならば、それぞれの特徴として正確性や曖昧さ、厳密さや平易さなどに一長一短があるので、なるべく広い読者を想定するならば言い換えは不要どころかむしろ当然併記すべきであると考えます。まあこれももしかしたら曲解されるのかもしれませんが……。 一般論として、「冒頭に数式を入れるべきではない」という方針がこれもどこかに書いてあったはずですし、私も基本的にそうしています(しかしその代りに「定義」という節を作らないと数学記事はやってられません)が、概念や分野の記事ならまだしも、本項はそもそも主題(記事名)が数式自体なので、冒頭文と概要節や定義節を分離して数式を冒頭から追い出すというのも、容易とは思いません(スタイルマニュアルでは必要ならば項目名が記事の先頭でなくてよいことも明言されているので、現行の記事内容を鑑みても「発散級数の総和法に関してその一例として記事名の級数を取り上げる」というような趣旨の、記事のコンテクストをはっきりさせる文をまず先頭に書くことができれば、問題は解決できると思います)。--Buriedunderground(会話) 2015年8月20日 (木) 14:20 (UTC)
- 私は同語反復的な定義(トートロジー)は定義として無意味であり、記事のコンテクストを確立しないので、冒頭文に適してないということを言っているのですが、上の仰り様だと Axiom of translation さんは同じ単語が繰り返されれば何でも同語反復と(私がそう言っている?と)勘違いされているということなのでしょうか……。
(インデント戻します)上にも書きましたが、あなたが何を以て「同語反復」と仰っているかが少し不明瞭だったので質問したのであり、私が現行の版の書き方(やその他の文章)を同語反復だと思っているわけではありません。早合点をされて落ち込まれる前に、まずは冷静に相手方に確認を取ってみることをお勧めします。とにかくあなたの考えでは現行の版のような「言い換え」であればO.K.、という理解でよろしいですね?そうであれば、次のような書き方が可能なはずです。
「階乗の交代和 1 − 1 + 2 − 6 + 24 − 120 + …, 即ち
は、発散する交項級数のひとつである。」
この書き方であればあなたの「同語反復」の問題も回避できており、WP:BETTERにも則った冒頭文になっていて、更に全ての言い換えもきちんと含まれた形になっています。いかがでしょうか。
余談ですが、議論はゼロサムゲームのように「勝ち負け」を競い合うものというよりは、むしろ協力ゲームに近いものではないでしょうか(少なくともWikipedia上ではそうであることが推奨されているでしょう)。討論であればふて腐れたり皮肉的な発言をすることが有効な場面もあるかもしれませんが、議論においては周りの足を引っ張る行為にしかなりませんし、Wikipedia上のエチケットに則っているとも言えないでしょう。以降はお気を付けください。 あと、ガイドラインや方針を引用する場合はきちんと引用していただけませんでしょうか。正直、あるかどうかもわからないルールを引用されても何とも言いようがありません。実際のところ同語反復を禁止するガイドラインなども日本語版には存在しないと思いますが、そこは不問としておきます。--AT(会話) 2015年8月20日 (木) 15:59 (UTC)
- はいはい、えらいえらい。落ち込んでるのではなく、あまりに酷い返答だったので呆れただけです。負けというのは「あなたの好きにしていいですからもう関わらないでください」という意味です、勝負をしてるつもりはありません関わらないでください。お節介ついでに本ノートの前節の議論を読んで「次のような書き方が可能」かどうか考えてみられることをお薦めします。ということでこれで私はとんずらします関わらないでください。--Buriedunderground(会話) 2015年8月20日 (木) 17:16 (UTC)
- 異論はないということで編集に入りたいと思います。最後までお付き合いいただきありがとうございました。AT(会話) 2015年8月21日 (金) 01:34 (UTC)
- ~は人の編集を踏みにじるのが~(個人攻撃を除去しました--AT(会話) 2015年11月15日 (日) 16:49 (UTC))。 Burie氏の編集の30分後に編集されたことが気にかかります。--116.64.208.207 2015年11月14日 (土) 03:22 (UTC)
- IP利用者さんこんばんは。私は自分の編集した文章が書き換えられても「踏みにじられた」などとは感じないですねー(自分だけではなく不特定多数の人々が参加する百科事典なのだから当たり前)。要は双方が納得するまできちんと議論ができるかってことでしょうかね。
- 後半の文章はちょっと意味がよくわかりません。何か問題があればどうぞ遠慮なくはっきり仰ってください(ここに無関係の話題でしたら当方のノートページでも構いません)。--AT(会話) 2015年11月14日 (土) 18:11 (UTC)
- 除去ついでに追記です。つまるところ、双方が納得するまで議論をすれば「自分の編集が踏みにじられた」という逆恨み的な感情は抱かないはずなので、恐らくあなたは過去に議論を回避したり中途半端に放棄した経験があって上のような発言に至ってしまったのではないでしょうか?そうであれば私にケアできることは何もありませんが、何であれ方針に反した言動は以後厳に慎しまれたほうが良いと思います。それでは。--AT(会話) 2015年11月15日 (日) 16:49 (UTC)