パルラーダ (装甲巡洋艦)
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パルラーダ Паллада | ||
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装甲巡洋艦パルラーダ | ||
艦歴 | ||
起工 | 1905年5月17日 海軍工廠 | |
進水 | 1907年10月28日 | |
配備 | 1911年2月2日 | |
所属 | ロシア帝国海軍バルト艦隊 | |
沈没 | 1914年10月11日 | |
除籍 | - | |
要目 | ||
艦種 | 装甲巡洋艦 | |
艦級 | バヤーン級 | |
排水量 | 7835 t | |
全長 | 135.0 m | |
全幅 | 17.5 m | |
全高 | 6.5 m | |
機関 | フランク・ロシア工場製 直立型三段膨張式レシプロ機関 |
4 基 |
ベルヴィール式石炭専焼水管缶 | 26 基 | |
出力 | 17125 馬力 | |
推進用スクリュー | 2 基 | |
プロペラシャフト | 2 基 | |
速力 | 22.3 kn | |
航続 距離 |
2200 浬/14 kn 820 浬/20 kn | |
乗員 | 士官 | 21 名 |
水兵 | 559 名 | |
武装 | 45口径203 mm単装砲 | 2 門 |
45口径152 mm単装砲 | 8 門 | |
50口径75 mm単装砲 | 20 門 | |
47 mm単装砲 | 8 門 | |
37 mm単装砲 | 2 門 | |
7.62 mm単装機銃 | 4 門 | |
64 mm | 2 門 | |
457 mm水中魚雷発射管 | 2 門 | |
装甲 | 舷側クルップ装甲 | 89 - 222 mm |
装甲砲座 | 57 mm | |
砲塔 | 146 mm | |
甲板 | 31 mm | |
司令塔 | 133 mm |
パルラーダ[1](ロシア語:Палладаパルラーダまたはパラーダ)は、ロシア帝国の装甲巡洋艦(Броненосный крейсер)である。艦名は、ギリシャ神話に登場する「パラス」のロシア語名である。1905年から1914年までの間、ロシア帝国海軍で運用された。
艦歴
[編集]パルラーダは、1898年よりフランスの協力のもと開発が始められたバヤーン級装甲巡洋艦の4 番艦として計画された。1905年4月15日にはバルト艦隊への配属が決定され、同年5月17日には、サンクトペテルブルクに新たに作られた海軍工廠で着工した。1907年10月28日には進水し、1911年2月2日より配備に就いた。1907年10月10日までは一等巡洋艦に分類されていた。
1914年に第一次世界大戦が始まると、パルラーダもバルト海方面の作戦に参加した。パルラーダは、速力を生かして偵察・哨戒任務に就いた。
1914年8月26日、パラルーダは防護巡洋艦ボガトィーリとともにドイツの小型巡洋艦マクデブルクが座礁した現場に現れ、救助活動に当たっていた駆逐艦V26を攻撃した。そして、マクデブルクからドイツ軍の暗号書を入手し、同盟国であるイギリスへ齎した。8月27日には装甲巡洋艦リューリクとともにドイツ船舶攻撃に出撃したが、目標を発見できなかった。
10月11日、哨戒任務より帰還する際、フィンランド湾口においてドイツの潜水艦U-26より雷撃を受け沈没した。乗組員すべてが艦と運命を共にした。沈没地点は、北緯59度36分30秒 東経22度49分0秒 / 北緯59.60833度 東経22.81667度と記録されている。
脚注
[編集]- ^ パルラダ、パラーダ、パッラーダとも。
外部リンク
[編集]- Крестьянинов В.Я., Молодцов С.В. Броненосные крейсера типа "БАЯН"
- Броненосный крейсер "Паллада"
- Класс "Баян" - Российский Императорский флот / IT InfoArt Stars
- Класс "Баян" - Russian Imperial Navy, Российский Императорский Флот
- Броненосный крейсер "Паллада"
- Крейсера. - The history of Russian Navy shipbuilding.
- WWI Naval Operations in the Baltic theater (includes account of Pallada's sinking)