ユーリー・ファイエル
ユーリー・フョードロヴィチ・ファイエル | |
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基本情報 | |
出生名 | Юрий Фёдорович Файер |
生誕 |
1890年1月17日 ロシア帝国 キエフ |
死没 |
1971年8月3日(81歳没) ソビエト連邦 モスクワ |
学歴 | モスクワ音楽院 |
ジャンル | クラシック |
職業 | 指揮者、ヴァイオリニスト |
担当楽器 | ヴァイオリン |
共同作業者 | ボリショイ劇場 |
ユーリー・フョードロヴィチ・ファイエル(露: Юрий Фёдорович Файер;ラテン文字表記:Yuri Fyodorovich Faier、1890年1月17日(ユリウス暦1月5日)キエフ - 1971年8月3日 モスクワ)はソビエト連邦の指揮者。ソ連人民芸術家(1951年授与)。スターリン賞受賞者。バレエ指揮者として知られた。
概要
[編集]1980年、ロシア帝国領キエフで生まれた。1906年にキエフの音楽学校を卒業し、ヴァイオリニストとしていくつかのオーケストラに所属して活動した。1909年から1910年の間はリガ歌劇場でコンサートマスターおよび指揮者として、1914年から1915年の間はジミーン・オペラ劇場でヴァイオリニストとして活動した。
1917年、モスクワ音楽院に入学し、ヴァイオリンをゲオルギー・ドゥロフに師事。1919年に音楽院を卒業した。また、指揮法についてもヴァイオリニスト・作曲家であり、ボリショイ劇場のバレエ指揮者として活躍したアンドレイ・アレントス(1855年 - 1924年)について学んだ。まず、ヴァイオリニストとして1916年にボリショイ劇場のコンサートマスターとなり、1919年にドリーブの『コッペリア』を同劇場で指揮し、指揮者としてのデビューを果たした。1923年から1963年までの40年間にわたってボリショイ劇場の常任指揮者として活躍し、作曲家や振付師らとともに優れた舞台を作り上げ、ボリショイ・バレエの黄金期を築き上げた。
1971年、モスクワにて死去。
ボリショイ劇場との活動
[編集]バレエのレパートリーは50曲以上に及び、そのうちの多くがボリショイ劇場初演作品であった。主なレパートリーのうち同時代のソ連作曲家の作品には、グリエールの『赤いけしの花』[1]、『青銅の騎士』、アサフィエフの『バフチサライの泉』、『パリの炎』、プロコフィエフの『ロメオとジュリエット』[2]、『シンデレラ』[3]、『石の花』[4]、ハチャトゥリアンの『ガイーヌ』、『スパルタクス』、ショスタコーヴィチの『明るい小川』などがある。
- 録音作品
メロディアに残された録音もバレエ作品が多く、ドリーブの『コッペリア』、チャイコフスキーの『白鳥の湖』、グラズノフの『ライモンダ』、『お嬢さん女中(恋愛合戦)』、グリエールの『赤いけしの花』、『青銅の騎士』などがある。
受賞・栄典
[編集]1937年にロシア連邦共和国人民芸術家、1951年にソ連人民芸術家の称号を授与された他、4度にわたりスターリン賞を受賞している。
- 1941年:スターリン賞第2席 高い水準のバレエ上演に対して
- 1946年:スターリン賞第1席 バレエ『シンデレラ』上演に対して
- 1947年:スターリン賞第1席 バレエ『ロメオとジュリエット』上演に対して
- 1950年:スターリン賞第2席 バレエ『赤いけしの花』上演に対して
参考文献
[編集]- Biographical Dictionary of Russian/Soviet Composers ISBN 0-313-24485-5
- MELODIYA A Soviet Russian L.P.Discography ISBN 0-313-22596-6
- 最新名曲解説全集6 管弦楽曲III(音楽之友社) ISBN 4-276-01006-3
- 作曲家別名曲解説ライブラリー プロコフィエフ(音楽之友社) ISBN 4-276-01060-8