フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル (映画)
フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル | |
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For Me and My Gal フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル | |
監督 | バスビー・バークレー |
原案 | ハワード・エメット・ロジャース |
製作 | アーサー・フリード |
出演者 |
ジュディ・ガーランド ジーン・ケリー ジョージ・マーフィ |
音楽 |
ロジャー・イーデンス ジョージー・ストール |
撮影 | ウィリアム・ダニエルズ |
編集 | ベン・ルイス |
製作会社 | メトロ・ゴールドウィン・メイヤー |
配給 | ロウズ Inc. |
公開 |
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上映時間 | 104分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
製作費 | $841,000[1] |
興行収入 | $4.4 million[1] |
『フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル』(For Me and My Gal) は、1942年のアメリカ合衆国のミュージカル映画。
バスビー・バークレーが監督を務め、ジュディ・ガーランド、ジーン・ケリー、ジョージ・マーフィが主演し、マルタ・エゲルト、ベン・ブルーが助演した。ケリーにとって本作がデビュー作となった。
第一次世界大戦中、ヴォードヴィル俳優のハリー・パルマーが自身とジョー・ヘイデンについて執筆した草稿を基に、リチャード・シャーマン、フレッド・F・フィンクルホフ、シド・シルバースが脚本を執筆した。メトロ・ゴールドウィン・メイヤーのアーサー・フリードのチームがプロデュースした。
ストーリー
[編集]ヴォードヴィル全盛期、アメリカは第一次世界大戦に参戦間近となる。ヴォードヴィリアンのジョー・ヘイデン(ジュディ・ガーランド)およびハリー・パーマー(ジーン・ケリー)はブロードウェイにあるパレス・シアターでの公演、そして終演後の結婚を約束する。
公演数週間前、ハリーは召集令状を受け取る。出征を遅らせるため、ハリーは故意に手を怪我する。同日、ジョーは医学生の兄弟が戦死したことを知る。
ハリーが意図的に怪我をしたことを知ったジョーはハリーを拒絶し公演を降板する。ハリーは上演を諦めて入隊しようとするが、手が不自由となったため入隊することができない。ハリーはYMCAに参加し、前線隊への慰問に出掛ける。
ハリーと仲間は危険地帯に入り、救護隊が砲撃されるのを未然に防ぐ。ハリーは敵の潜伏部隊の砲台の機関銃を破壊している最中に負傷し、その勇気を称えられる。
戦後、パレス・シアターで祝勝会が行なわれる。ジョーが「ジョニーが凱旋するとき」を歌っていると、観客の中にハリーがいることに気付く。ジョーはハリーのもとに駆け寄り再会し、過去に2人が初めて共演した「フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル (曲)」を共に歌う。
キャスト
[編集]- ジョー・ヘイデン:ジュディ・ガーランド
- ハリー・パーマー:ジーン・ケリー
- ジミー・K・メトカフ:ジョージ・マーフィ
- イヴ・ミナード(歌手):マルタ・エゲルト
- シド・シムズ(ジミーの相棒):ベン・ブルー
- ウエアリング氏(パレス・シアターの支配人):スティーブン・マクナリー
- ニューヨーク・パレスのドアマン:ロバート・ホマンズ (クレジット無し)
- リリー・ダンカン:ルシル・ノーマン (クレジット無し)
- ジム:エドワード・ペイル・シニア (クレジット無し)
- ダニー・ヘイデン(ジョーの兄弟):リチャード・クワイン (クレジット無し)
- フランス人医師:アディソン・リチャーズ (クレジット無し)
- エディ・ミルトン(劇場エージェント):キーナン・ウィン (クレジット無し)
楽曲
[編集]バスビー・バークレーの監督作品であるが、本作ではバークレーの特色である大規模なミュージカル・シーンがない。ボビー・コノリー振付によるヴォードヴィル・シーンが多い[2]。
- Oh, You Beautiful Doll - ナット・エイヤー作曲、シーモア・ブラウン作詞、ロジャー・イーデンス追加作詞。ジョージ・マーフィ、ジュディ・ガーランド他が演じる。
- For Me and My Gal - ジョージ・メイヤー、エドガー・レスリー、レイ・ゴーツ作詞作曲。ジーン・ケリー、ジュディ・ガーランドが演じる。
- When You Wore a Tulip and I Wore a Big Red Rose - パーシー・ウェンリッチ作曲、ジャック・マホニー作詞。ジーン・ケリー、ジュディ・ガーランドが演じる。
- アフター・ユーヴ・ゴーン After You've Gone - ターナー・レイトン作曲、ヘンリー・クリーマー作詞。ジュディ・ガーランドが歌う。
- Ballin' the Jack - クリス・スミス作曲、ジム・バリス作詞。ジーン・ケリー、ジュディ・ガーランドが演じる。
- Till We Meet Again - リチャード・ホワイティング作曲、リチャード・イーガン作詞。マルタ・エゲルト、アンサンブルが歌う。
- 第一次世界大戦中のヒット曲:By the Beautiful Sea, There's a Long, Long Trail, How Ya Gonna Keep 'em Down on the Farm (After They've Seen Paree)?, Where Do We Go from Here, Boys, 遥かなティペラリー/It's a Long Way to Tipperary, Good Bye Broadway, Hello France, (There are) Smiles (That Make Us Happy), Oh! Frenchy, ジョニーが凱旋するとき/When Johnny Comes Marching Home Again, Pack Up Your Troubles in Your Old Kit-Bag, and Smile, Smile, Smile
- カットされた曲:Spell of the Waltz(マルタ・エゲルト、男声コーラス)、Three Cheers for the Yanks(ラルフ・ブレイン、ヒュー・マーティン作曲)[3]
制作
[編集]ミッキー・ルーニーと共に子役として活動してきたジュディ・ガーランドは19歳になり、本作で初めて成人女性を演じた[4]。オリジナルの脚本ではハリー・パーマーの役は、ガーランド演じる歌手と、ドラマチックな役柄のダンサーと、女性2人と関わるはずであった。当時MGMのアドバイザーでガーランドの演技指導者であったステラ・アドラーはプロデューサーのアーサー・フリードに、2つの役を合わせてガーランドに演じさせることを提案した。またアドラーはジーン・ケリーが主演することも提案した[5]。
当時29歳であったケリーはブロードウェイ・ミュージカルの『Pal Joey』で主演し、『Best Foot Forward』を振り付けるなど舞台で活躍していた[6]。プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックはケリーと映画1本出演の契約をし、撮影終了後にケリーはブロードウェイに戻る予定であった。しかしセルズニックはケリーを配役しないまま1年が過ぎた。アーサー・フリードが本作『フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル』にケリーを出演させてよいか尋ね、セルズニックは契約を譲渡した。MGMのフリードの上司から反対されたが、ケリーは役を得た[5][7]。当初ジョージ・マーフィがハリー・パーマー役を演じる予定であったが、ケリーが出演するにあたり、ケリーがハリー・パーマー役、マーフィがジミー・メトカフを演じることとなった。
ジーン・ケリーとジュディ・ガーランドはうまくいっていた。ガーランドはケリーがハリー役となったことを好ましく思っており、ケリーの舞台演技を映画での演技に合わせようとするのを手伝っていた。さらにガーランドは監督バスビー・バークレーと不仲であり、ケリーを自分の側に引き入れた。ケリーとガーランドは他に『踊る海賊』(1948年)、『サマー・ストック (映画)』(1950年)で共に主演した[8]。
またドイツで30本以上の映画に出演していたハンガリーの歌手マルタ・エゲルトのアメリカ映画デビューとなった。しかしエゲルトはアメリカでは2本しか出演することはなかった[9]。
1942年4月3日から5月23日、カリフォルニア州カルヴァー・シティにあるMGMのスタジオで制作され、6月に追加シーンが撮影された。予算は$803,000と見積もられている。制作中のタイトルは『Me and My Gal』および『The Big Time』が使用されていた。
プレビュー上映の際、観客はエンディングに満足しなかった。観客はジョー(ガーランド)がハリー(ケリー)ではなくジミー(マーフィ)と結ばれることを望んでいた。ルイス・B・メイヤーは3週間で、ケリーの役柄をより誠実に、マーフィの出番を少なく制作し直すよう命じた[5]。
公開
[編集]1942年10月21日、ニューヨークでプレミア上映され、11月26日、ロサンゼルスで公開された。アメリカおよびカナダで$2,894,000、その他で$1,477,000の計$4,371,000の興行収入があり、この年最もヒットした作品の1つとなり[5][10]、MGMは$2,098,000の利益を上げた[1]。
1988年8月、アメリカ国内でMGM/UAホームビデオよりVHSがリリースされ、2004年4月6日、ワーナー・ホームビデオよりDVDがリリースされた。
受賞歴
[編集]ロジャー・イーデンス(編曲)、ジョージー・ストール(音楽監督)がアカデミー作曲賞にノミネートされた[11]。ジーン・ケリーはナショナル・ボード・オブ・レビューから男優賞を受賞した[11][12]。
アメリカン・フィルム・インスティチュートより、2004年に「For Me and My Gal」がアメリカ映画主題歌ベスト100にノミネートされ[13]、2006年にミュージカル映画ベストにノミネートされた[14]。
脚注
[編集]出典
- ^ a b c The Eddie Mannix Ledger, Los Angeles: Margaret Herrick Library, Center for Motion Picture Study.
- ^ Hirschhorn, Clive (1991). The Hollywood Musical (2nd ed.). New York: Portland House. p. 211. ISBN 0-517-06035-3
- ^ TCM Music
- ^ All Movie Review
- ^ a b c d Frank Miller "For Me and My Gal" TCM article
- ^ IBDB Gene Kelly
- ^ IMDb Biography for Gene Kelly
- ^ Garland and Kelly both also appeared in 1946's Ziegfeld Follies, but not together.
- ^ IMDb Martha Eggerth
- ^ "101 Pix Gross in Millions" Variety 6 Jan 1943 p 58
- ^ a b For Me and My Gal - Awards at IMDb
- ^ All Movie Awards
- ^ “AFI's 100 Years...100 Songs Nominees”. 2016年8月13日閲覧。
- ^ “AFI's Greatest Movie Musicals Nominees”. 2016年8月13日閲覧。
外部リンク
[編集]- フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル - American Film Institute Catalog
- For Me and My Gal - IMDb
- For Me and My Gal - TCM Movie Database
- For Me and My Gal - オールムービー
- For Me and My Gal - Rotten Tomatoes
- The Judy Garland Online Discography "For Me And My Gal" pages.
- The Judy Room filmography "For Me And My Gal" page.
- For Me and My Gal on Screen Guild Theater: March 22, 1943