フジタ天台SCマーキュリー
フジタ天台SCマーキュリー | |
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原語表記 |
フジタ天台SCマーキュリー フジタSCマーキュリー |
呼称 | フジタ |
クラブカラー |
ライトグリーン ブルー ホワイト |
創設年 | 1990年 |
解散年 | 1999年 |
所属リーグ | 日本女子サッカーリーグ |
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
フジタ天台SCマーキュリー(フジタてんだいエスシーマーキュリー)は、かつて存在した日本の女子サッカーチーム。神奈川県平塚市を拠点として日本女子サッカーリーグ(L・リーグ)に所属していたが、第20回全日本女子サッカー選手権大会(1999年)を最後に廃部となった。
概要・歴史
[編集]1990年、日本女子サッカーリーグへの参入を希望していた神奈川県綾瀬市の天台FCに建設会社のフジタがスポンサーに付きフジタ天台SCマーキュリーとして誕生[1]。翌1991年6月から旭国際バニーズ、松下電器LSC、日興證券ドリームレディースとともに日本女子サッカーリーグ(JLSL:のちL・リーグ)に参加した。
1994年、前年限りで廃部となった日産FCレディースから選手が移籍。またこの年にJリーグに昇格したベルマーレ平塚と兄妹チーム的存在となり、同じデザインをベースとする黄緑色のユニフォームを採用した。
1995年、チーム名をフジタサッカークラブ・マーキュリー(フジタSCマーキュリー)に改名[1]。
1996年に行われた第17回全日本女子サッカー選手権大会で読売西友ベレーザを3-2で敗って優勝を遂げた。
1998年、長引く不況によりメインスポンサーであるフジタの業績不振が深刻化。その結果、ベルマーレのメインスポンサーからの撤退とマーキュリーの解散が決定し、シーズン中に発表された。
1999年1月に行われた第20回全日本女子サッカー選手権大会の第2回戦で、同じくこの大会で解散となる日興證券ドリームレディースとの対戦に0-1で敗れたのを最後に廃部となった。
成績
[編集]回 | 年度 | クラブ名 | リーグ | チーム数 | 試合 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | 順位 | 皇后杯 | 監督 |
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3 | 1991 | フジタ天台SCマーキュリー | JLSL | 10 | 18 | 3 | 1 | 1 | 16 | 10位 | 2回戦 | 花岡英光 |
4 | 1992 | 10 | 18 | 7 | 2 | 3 | 13 | 8位 | 準々決勝 | |||
5 | 1993 | 10 | 18 | -- | 3 | -- | 15 | 10位 | 2回戦 | |||
6 | 1994 | L・リーグ | 10 | 18 | -- | 8 | -- | 10 | 8位 | 準決勝 | 木村勝 | |
7 | 1995 | フジタサッカークラブ・マーキュリー | 10 | 18 | -- | 8 | -- | 10 | 6位 | 優勝 | ||
8 | 1996 | 10 | 18 | -- | 5 | -- | 13 | 9位 | 準々決勝 | |||
9 | 1997 | 10 | 18 | -- | 7 | -- | 11 | 7位 | 準々決勝 | 結城治男 | ||
10 | 1998 | 10 | 18 | -- | 3 | -- | 15 | 9位 | 2回戦 |
註)92年まで「勝ち点制」を採用。また前後期制を採用した93年以降の成績は年間順位。
獲得タイトル
[編集]- 1996年 第17回全日本女子サッカー選手権大会 優勝
チーム名変遷
[編集]- 1990-1994年 フジタ天台SCマーキュリー
- 1995-1998年 フジタサッカークラブ・マーキュリー
チームカラー
[編集]- 黄緑
(最終年のパターン)
カラー | 上衣 | パンツ | ストッキング |
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FP(1st) | 黄緑・青ストライプ | 青 | 黄緑 |
FP(2nd) | 白・青ストライプ | 白 | 白 |
GK(1st) | 赤 | 赤 | 赤 |
GK(2nd) | 黄 | 黄 | 黄 |
主な所属選手
[編集]渡邊由美