ブルーノ・エベルトン・クアドロス
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名前 | ||||||
本名 |
ブルーノ・エベルトン・クアドロス Bruno Everton Quadros[注 1] | |||||
愛称 | 青野さん | |||||
ラテン文字 | BRUNO QUADROS | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1977年2月3日(47歳) | |||||
出身地 | リオデジャネイロ[1] | |||||
身長 | 185cm[2] | |||||
体重 | 76kg[2] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (CB[2]) / MF (DH[2]) | |||||
利き足 | 右足[3][4] | |||||
ユース | ||||||
1991-1996 | フラメンゴ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1997-1999 | フラメンゴ | 32 | (2) | |||
1998 | → ボタフォゴ (loan[5]) | 12 | (1) | |||
1999-2000 | ガラタサライ | |||||
2000 | イスタンブールスポル | 9 | (0) | |||
2000-2001 | フラメンゴ | |||||
2001 | → スポルチ (loan[5]) | 3 | (0) | |||
2002 | サンカエターノ | |||||
2002-2003 | グアラニ | 59 | (2) | |||
2004 | クルゼイロ | 14 | (0) | |||
2005-2006 | セレッソ大阪 | 56 | (0) | |||
2007 | コンサドーレ札幌 | 43 | (1) | |||
2008-2009 | FC東京 | 25 | (0) | |||
2010 | アルキ・ラルナカ | 16 | (0) | |||
2011-2012 | リネンセ | 23 | (0) | |||
通算 | 292 | (6) | ||||
代表歴 | ||||||
1996 | ブラジルU-21 | |||||
監督歴 | ||||||
2012-2014 | リネンセ | |||||
2014 | ドゥケ・デ・カシアス | |||||
2015 | マリーリア | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ブルーノ・エベルトン・クアドロス(Bruno Everton Quadros[4][注 1]、1977年2月3日 - )は、ブラジルリオデジャネイロ州リオデジャネイロ出身の元プロサッカー選手。元監督。サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)、ミッドフィールダー(ボランチ)。キリスト教徒[3]。
現役時代は長髪だった。日本語に堪能である。
経歴
[編集]7歳の頃にフットサルを始めた。
1997年、CRフラメンゴでプロデビューし、エスタジオ・ド・マラカナンでのプレーという目標を叶えた[10]。当時のポジションはボランチ[11]。
セレッソ大阪
[編集]2005年にJリーグ・セレッソ大阪に加入[4]。Jリーグでのプレー経験がある代理人のジルマールや、親交のあったジーコ[注 2]から日本のサッカーやC大阪について詳しい情報を得ていたこともあって[11]、早々にチームにフィット。3バックの中央に入って[12] 守備陣を統率し[13]、巧みなカバーリングで活躍[11]。チームはリーグ戦で19節から無敗で首位に立ち、5位のチームまで優勝の可能性が最終節まで残る大混戦となった。しかし、その最終節では累積警告で出場停止。セレッソは2-2の引き分け、優勝争いをしていた他の全4チームは勝利したため、一気に5位に転落してシーズンを終えた。
2006年9月、J1第23節千葉戦でオーバーヘッドをした際に骨折し、戦線を離脱[14]。その影響も有り守備陣は崩壊、リーグ最終戦には出場したが、チームのJ2降格を食い止められなかった[14]。降格に伴う運営費圧縮から翌年の契約交渉が折り合わず[13]、C大阪を退団。
コンサドーレ札幌
[編集]守備の建て直しを図るコンサドーレ札幌から高いプロ意識[15] とリーダーシップを評価され[13]、2007年より札幌に移籍[16]。目標のフル出場[14] こそ達成できなかったものの、守備の核となり[3] 札幌のJ2優勝・J1昇格に大きく貢献した[17]。しかし、札幌は翌年のJ1での戦いに向けて、DFを日本人選手のみで揃える(主に攻撃陣に外国籍枠を割く)方針を採ったため、ブルーノは構想外となり[17] 放出された[18]。
FC東京
[編集]2008年はCB陣の層が薄かった[19]FC東京からオファーを受け完全移籍した[7][20]。しかし開幕直前に肩を負傷[21][22]。シーズン中にも負傷がたて続き[23][24][22]、10月初旬には左足底部の筋損傷を完全に治療するためにブラジルに帰国するなど[25][22] 出場機会は乏しかった。怪我が癒えた2009年はCBで今野泰幸とコンビを組み[26] レギュラーに定着。丁寧なビルドアップを志向するチームにあって、足元の技術の高さを発揮し[27] 配球役も担った[28]。
同年のナビスコカップ決勝にもフル出場し、無失点勝利に貢献。C大阪、札幌では果たせなかったJ1でのタイトルを獲得した。敬虔なキリスト教徒であり[3]、試合後にはチャンスを掴んだことに対し、神に祈りを伝えていた[29]。交渉が折り合わず、12月に同年限りでの退団が発表された[8]。
CAリネンセ監督就任
[編集]2011年、ブラジルのCAリネンセに加入[2][30]。2012年6月、現役を引退し、リネンセの監督に就任することが発表された[31]。2014年2月に退任[32][30]。
Jリーグ復帰
[編集]2016年、古巣の北海道コンサドーレ札幌のコーチに就任。以後7年間務めた。この間5人の子供を授かった。退任時に「北海道でコーチとしてのサイクルは終了しますがコンサドーレの皆様、北海道の皆様に対する恩を絶対に忘れません!今まで本当にありがとうございました。 ブルーノ・クアドロスと家族より」とコメントした[33]。
2022年、古巣のJ1リーグ・セレッソ大阪のコーチに就任。「16年振りに大阪に戻ることを、我々家族は嬉しく思っています。結果、そしてタイトル獲得のために共に力を合わせて頑張っていきましょう!」とコメントした[34]。
エピソード
[編集]- 29歳で初来日、最初は全く日本語を話せなかったが、日本語の習得に熱心に取り組んだ結果[14]、1年間で、Jリーグにおいてはピッチ上での指示は全て日本語でこなし、日常会話程度なら通訳なしで話せるまでに上達[9][14]。セレッソ大阪通訳の白沢敬典は「夫婦共に日本語を覚えるのが早く、手がかからなかった」と述懐している[35]。
- センターバックだが、足下の技術があり、ドリブルで大きく持ち上がる事もあった。FC東京時代はセンターバックとボランチの中間ポジションを与えられた事もあり、ゴール前まで近づき決定的なシュートを放つなど、セットプレー以外でも攻撃に参加した[36]。
- ニックネームの「青野さん」は、ブルーノの「ブルー」を「青」に置き換えたもの。
- CAリネンセ監督時、同姓のルシアーノ・クアドロスが同クラブのコーチを務めていたが、ブルーノとルシアーノの間に血縁関係は無い[37][38]。
- セレッソ時代にサポーターがブルーノのチャント(応援歌)を歌っていたところ、それを聞いたブルーノが踊り出し、それを観たサポーターが真似した事で振り付けがついた。「ブールーノクアドロース、ラララー、ラララーラー」この応援歌は2007年より香川真司のチャントとして、振り付け込みで引き継がれている。2010年にはドイツのドルトムントサポーターまで引き継がれ海を渡った。
- 歌が大好きで弾き語りができ、自作のCDを持っている。
個人成績
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1997 | フラメンゴ | セリエA | 20 | 1 | |||||||
1998 | 12 | 1 | |||||||||
ボタフォゴ | 12 | 1 | |||||||||
1999 | フラメンゴ | ||||||||||
トルコ | リーグ戦 | トルコ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1999-00 (en) | ガラタサライ | スュペル・リグ | 0 | ||||||||
イスタンブールスポル | 9 | 0 | |||||||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2000 | フラメンゴ | AZUL (セリエA) | 1 | 0 | |||||||
2001 | セリエA | ||||||||||
スポルチ | 3 | 0 | |||||||||
2002 | サンカエターノ | ||||||||||
グアラニ | 18 | 1 | |||||||||
2003 | 41 | 1 | 50 | 1 | |||||||
2004 | クルゼイロ | 14 | 0 | 22 | |||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2005 | C大阪 | 2 | J1 | 33 | 0 | 8 | 1 | 4 | 1 | 45 | 2 |
2006 | 23 | 0 | 7 | 0 | 1 | 0 | 31 | 0 | |||
2007 | 札幌 | 15 | J2 | 43 | 1 | - | 0 | 0 | 43 | 1 | |
2008 | FC東京 | 4 | J1 | 2 | 0 | 4 | 2 | 0 | 0 | 6 | 2 |
2009 | 23 | 0 | 8 | 0 | 3 | 1 | 34 | 1 | |||
キプロス | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2010-11 (en) | アルキ・ラルナカ | 2 | ファースト | 16 | 0 | 4 | |||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2011 (en) | リネンセ | 4 | サンパウロ州 | 14 | 0 | ||||||
2012 (en) | 9 | 0 | |||||||||
通算 | ブラジル | セリエA | |||||||||
トルコ | シュペルリガ | 9 | 0 | ||||||||
日本 | J1 | 81 | 0 | 27 | 3 | 8 | 2 | 116 | 5 | ||
日本 | J2 | 43 | 1 | - | 0 | 0 | 43 | 1 | |||
キプロス | ファースト | 16 | 4 | ||||||||
総通算 |
国際大会個人成績 | ||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
UEFA | UEFA EL | CL予選 | ||||
1999-00 C / CL (en) | ガラタサライ | 2 | 2[2] | 0 | ||
CONMEBOL | スダメリカーナ杯 | リベルタドーレス杯 | ||||
2002 | サンカエターノ | - | 5[2] | 0 | ||
2004 S (en) / L (en) | クルゼイロ | 2 | 0 | 1 | 0 | |
通算 | UEFA | 2 | 0 | |||
CONMEBOL | 2 | 0 | 6 | 0 | ||
総通算 | 8 | 0 |
- 1999年9月15日:UEFAチャンピオンズリーグ初出場 - グループステージ 1次リーグ vs ヘルタ・ベルリン (Ali Sami Yen Stadium)
- 2005年3月6日:Jリーグ初出場 - J1第1節 vs ヴィッセル神戸 (神戸ウイング)[6]
- 2007年6月2日:Jリーグ初得点 - J2第19節 vs 京都サンガF.C. (札幌厚別)[6]
- 2010年8月29日:キプロス・ファーストディビジョン初出場 - 第1節 vs アノルトシス・ファマグスタ (GSZ Stadium)
指導歴
[編集]- 2012年 CAリネンセU-20 監督[30]
- 2012年 - 2014年2月 CAリネンセ 監督
- 2014年7月[39]- 8月[40] ドゥケ・デ・カシアスFC 監督
- 2015年[41] マリーリアAC 監督
- 2016年 - 2022年 北海道コンサドーレ札幌 コーチ
- 2023年 - セレッソ大阪 コーチ
監督成績
[編集]年度 | クラブ | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 備考 |
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2013 (en) | リネンセ | サンパウロ州1部 | 9位 | 27 | 19 | 7 | 6 | 6 | インテリオール ベスト4 |
2014 (en) | 16位 | 10 | 10 | 3 | 1 | 6 | シーズン途中で退任 | ||
2014 (en) | カシアス | セリエC | 20位 | 5 | 6 | 1 | 2 | 3 | 第7節から第12節まで指揮 |
2015 (en) | マリーリア | サンパウロ州1部 | 20位 | 2 | 12 | 0 | 2 | 10 | 第4節から指揮 |
総通算 | - | - | 47 | 11 | 11 | 25 | - |
タイトル
[編集]選手時代
[編集]- CRフラメンゴ
- コパ・ドス・カンペオンイス・ムンジアイス :1回(1997[1])
- リオデジャネイロ州選手権:2回(1999、2001[1])
- タッサ・グアナバラ:1回(1999)
- タッサ・リオ:1回(2000)
- ボタフォゴFR
- トルネイロ・リオ=サンパウロ:1回(1998)
- クルゼイロEC
- ミナスジェライス選手権:1回(2004[1])
- ガラタサライSK
- コンサドーレ札幌
- Jリーグ ディビジョン2:1回(2007[1])
- FC東京
- 個人
代表歴
[編集]脚注
[編集]- 注釈
- 出典
- ^ a b c d e f g Bruno Quadros sambafoot
- ^ a b c d e f g CAL, apresenta zagueiro Bruno Quadros CAリネンセ (2011年1月21日)
- ^ a b c d “選手データベース ブルーノ・クアドロス FC東京”. 2010年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月12日閲覧。 WEBサッカーマガジン
- ^ a b c d e ブルーノ クアドロス選手・ファビーニョ選手・ゼ カルロス選手獲得のお知らせ セレッソ大阪 (2005年1月22日)
- ^ a b c Historia brunoquadros.com
- ^ a b c 登録選手一覧表 Jリーグ 2009.12.06
- ^ a b ブルーノクアドロス選手 FC東京へ完全移籍のお知らせ コンサドーレ札幌 (2008年1月10日)
- ^ a b “ブルーノ クアドロス選手 来季契約について”. 2009年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月19日閲覧。 FC東京 (2009年12月2日)
- ^ a b 『FC東京ファンブック 2008』毎日新聞社、2008年、68-71頁。
- ^ a b “[07コンサドーレ新戦力](1) ブルーノの夢「コンサでJ1再昇格」”. 2007年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年2月5日閲覧。 スポーツ報知 (2007年2月5日)
- ^ a b c d “インタビュー「SWITCH」ノーカット版!”. 2006年6月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月19日閲覧。 WEBサッカーマガジン
- ^ 変化の予感(1/2)宮崎キャンプリポート第4回 セレッソ大阪 スポーツナビ (2005年02月13日)
- ^ a b c “J2札幌が前C大阪クアドロスに白羽の矢”. 2007年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月12日閲覧。 日刊スポーツ (2007年1月7日)
- ^ a b c d e “DFブルーノ・クアドロス/07年札幌NEWウエーブ1”. 2007年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年1月27日閲覧。 日刊スポーツ (2007年1月26日)
- ^ “<6> DF ブルーノクアドロス=背番号15”. 2007年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年2月7日閲覧。 北海道新聞 (2007年2月7日)
- ^ ブルーノ クアドロス選手 2007年 新加入決定のお知らせ コンサドーレ札幌 (2007年1月19日)
- ^ a b “札幌が来季純国産最終ラインでJ1残留へ”. 2007年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月12日閲覧。 日刊スポーツ (2007年12月5日)
- ^ “CB難解消へ ブルーノ獲り”. 2007年12月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月19日閲覧。 東京中日スポーツ (2007年12月19日)
- ^ “ブルーノ クアドロス選手 完全移籍加入決定のお知らせ”. 2008年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月19日閲覧。 FC東京 (2008年1月10日)
- ^ “ブルーノ クアドロス選手の検査結果について”. 2008年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月19日閲覧。 FC東京 (2008年1月29日)
- ^ a b c ブルーノ「年内に帰ってくる」 東京中日スポーツ (2008年10月10日)
- ^ “ブルーノ クアドロス選手の検査結果について”. 2008年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月19日閲覧。 FC東京 (2008年5月2日)
- ^ “ブルーノ クアドロス選手の検査結果について”. 2012年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月19日閲覧。 FC東京 (2008年7月4日)
- ^ “ブルーノ クアドロス選手の帰国について”. 2008年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月19日閲覧。 FC東京 (2008年10月8日)
- ^ 5/22(金) 5/24(日)J1リーグ戦:第13節 FC東京 vs 川崎F プレビュー Jリーグ (2009年5月22日)
- ^ FC東京、“魅せる”サッカーで旋風を J2で身に付けた自信とたくましさを武器に スポーツナビ (2012年3月13日)
- ^ 【J1:第29節 F東京 vs 柏】プレビュー (archive) J's GOAL (2009年10月17日)
- ^ 【ヤマザキナビスコカップ:決勝 F東京 vs 川崎F】試合終了後のブルーノ クアドロス選手(F東京)コメント J's GOAL (2009年11月3日)
- ^ a b c Após derrota em casa, Linense dispensa Bruno Quadros Estadão.com (2014年2月24日)
- ^ Novidades: Bruno Quadros é o novo treinador do CAL CAリネンセ (2012年6月15日)
- ^ “Técnico Bruno Quadros rescinde com o Linense”. 2014年3月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月25日閲覧。 CAリネンセ (2014年2月24日)
- ^ “ブルーノ クアドロスコーチ セレッソ大阪 コーチ就任のお知らせ”. 2022年12月25日閲覧。
- ^ “ブルーノ クアドロス氏 コーチ就任について”. 2022年12月25日閲覧。
- ^ 『Jリーグ サッカーキング 2014年11月号』フロムワン、201、32頁。
- ^ “2008_ナビスコ・・FC東京の素晴らしい「Moving Football」とヴェルディの前戦トリオ・・(FC東京vsヴェルディ、3-0)・・(2008年5月25日、日曜日)”. 2022年12月26日閲覧。
- ^ Paulistão Chevrolet: Linense aposta em Luciano Quadros para se salvar FUTEBOL INTERIOR (2014年3月13日)
- ^ Luciano Quadros vira técnico do Linense no Paulistão Estadão.com (2014年3月13日)
- ^ Bruno Quadros é o novo técnico do Duque de Caxias ドゥケ・デ・カシアスFC (2014年7月4日)
- ^ Bruno Quadros não é mais técnico do Duque de Caxias ドゥケ・デ・カシアスFC (2014年8月27日)
- ^ Bruno Quadros é apresentado como novo técnico do MAC (188707081152839/photos/871761712847369) - Facebook (2015年2月11日)
- ^ 【 2005Jリーグアウォーズ 】優秀選手賞/優秀新人賞 受賞選手決定 Jリーグ (2005年12月8日)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ブルーノ・エベルトン・クアドロス - Soccerway.com
- ブルーノ・エベルトン・クアドロス - FootballDatabase.eu
- ブルーノ・エベルトン・クアドロス - WorldFootball.net
- ブルーノ・エベルトン・クアドロス - Transfermarkt.comによる選手データ
- ブルーノ・エベルトン・クアドロス - Transfermarkt.comによる指導者データ
- ブルーノ・エベルトン・クアドロス - J.League Data Siteによる選手データ
- ブルーノ・エベルトン・クアドロス - トルコサッカー連盟 (player)
- ブルーノ・エベルトン・クアドロス - Mackolik.com
- ブルーノ・エベルトン・クアドロス (bruno.ewertonquadros) - Facebook
- Bruno Quadros - zerozero.pt (選手)
- Bruno Quadros -zerozero.pt (監督)
- プロフィール (2004年) - ウェイバックマシン(2004年12月6日アーカイブ分) - クルゼイロEC
- プロフィール (2006年) - ウェイバックマシン(2006年12月28日アーカイブ分) - セレッソ大阪
- プロフィール (2007年) - ウェイバックマシン(2007年12月26日アーカイブ分) - コンサドーレ札幌
- プロフィール (2009年) - ウェイバックマシン(2009年12月27日アーカイブ分) - FC東京
- J2日記:〜J2ライター奮闘記〜 - ウェイバックマシン(2014年5月18日アーカイブ分) - J's GOAL (2014年5月15日)
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