プフォルツェン
紋章 | 地図 (郡の位置) |
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基本情報 | |
連邦州: | バイエルン州 |
行政管区: | シュヴァーベン行政管区 |
郡: | オストアルゴイ郡 |
市町村連合体: | プフォルツェン行政共同体 |
緯度経度: | 北緯47度55分53秒 東経10度36分54秒 / 北緯47.93139度 東経10.61500度座標: 北緯47度55分53秒 東経10度36分54秒 / 北緯47.93139度 東経10.61500度 |
標高: | 海抜 656 m |
面積: | 23.69 km2 |
人口: |
2,420人(2023年12月31日現在) [1] |
人口密度: | 102 人/km2 |
郵便番号: | 87666 |
市外局番: | 08346 |
ナンバープレート: | OAL, FÜS, MOD |
自治体コード: |
09 7 77 158 |
行政庁舎の住所: | Bahnhofstr. 7 87666 Pforzen |
ウェブサイト: | www.pforzen.de |
首長: | Herbert Hofer (ヘルベルト・ホーファー) |
郡内の位置 | |
地図 | |
プフォルツェン (ドイツ語: Pforzen) は、ドイツ連邦共和国バイエルン州シュヴァーベン行政管区のオストアルゴイ郡に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)で、プフォルツェン行政共同体の本部所在地である。
地理
[編集]プフォルツェンはアルゴイ地方に位置する。
自治体の構成
[編集]この町は、公式には5つの地区 (Ort) からなる[2]。
- ハンマーシュミーデ
- インゲンリート
- イルピスドルフ
- ライナウ
- プフォルツェン
歴史
[編集]1992年に丘陵墓青銅器時代(青銅器時代中期、紀元前1500年頃)の埋葬品が発掘された。出土品はアルゴイ地方では類例のない形状であり、学問上高い価値のあるものであった。プフォルツェン近郊にある6世紀後半のアレマン人の墓からは銀のバックルが見つかっている。その銘文は西ゲルマン語で書かれた現存する最古の頭韻文である。
プフォルツェンはイルゼー帝国修道院に属した。1803年の帝国代表者会議主要決議以後この町はバイエルンに属した。バイエルンの行政改革に伴う1818年の市町村令により現在の自治体が成立した。
バイエルン王立ルートヴィヒ南北鉄道のカウフボイレン - アウクスブルク間が1847年9月1日に開通し、プフォルツェンは鉄道で結ばれた。当時のプフォルツェン駅は現在のツェラーベルク(リーデン)にあったが、廃止されている。
人口推移
[編集]- 1970年 1,499人
- 1987年 1,714人
- 2000年 1,994人
- 2007年 2,126人
- 2009年 2,262人
プフォルツェンの名前は「アルゴイへの門 (Pforte)」を意味する。
行政
[編集]町長はヘルベルト・ホーファー (CSU/Freie Wählergemeinschaft) である。
紋章
[編集]図柄: 銀地と青地に上下二分割。上部は二重のナイトで、その脚には矢を踏んでいる。下部は歩く金のシカ。
紋章の内容とその意味: 二重のナイトはプフォルツェン家の紋章から採られた。プフォルツェン家は12世紀にはすでにその名が記録され、14世紀にこの家が断絶した後にその所領がイルゼー修道院のものとなった。プフォルツェンに合併したインゲンリートとそのゼバスティアン礼拝堂は聖ゼバスティアンのアトリビュートである矢で表現されている。下部は、12世紀に名前が挙げられているライナウアー家という別の貴族家を表している。この貴族家は町域内のライナウを本拠地とし、その紋章は歩くシカであった。
経済と社会資本
[編集]教育
[編集]- 国民学校 1校
引用
[編集]- ^ https://www.statistikdaten.bayern.de/genesis/online?operation=result&code=12411-003r&leerzeilen=false&language=de Genesis-Online-Datenbank des Bayerischen Landesamtes für Statistik Tabelle 12411-003r Fortschreibung des Bevölkerungsstandes: Gemeinden, Stichtag (Einwohnerzahlen auf Grundlage des Zensus 2011)
- ^ Bayerische Landesbibliothek Online