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プロジェクト‐ノート:フィクション/登場人物と設定の記述/過去ログ1

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他言語版にあるキャラクター記事の翻訳[編集]

Wikipedia:多数の言語版にあるが日本語版にない記事にある記事のように日本語版で翻訳もしくは書きおろしをしてでも作成すべき記事は星の数ほどあり毎日のように多数作成されていて、「英語版などにあるから」という理由は作成するにあたり皆さんが納得できる確固たる動機の1つになっています。

しかし、キャラクターの単独記事が英語版などにある場合そのまま翻訳(もちろんGFDL違反、機械翻訳、冒頭のみ翻訳はもちろん論外で直訳、誤訳も避けなければいけませんが、元がGAFA記事だったり翻訳だけでなくしっかり出典を補完した場合含めて)することについてガイドライン絡みを含めてトラブルが起こらないか危惧しています。

翻訳に頼りがちな非日本語作品(日本国外作品)のはともかく日本語作品(日本国内作品)のでも日本語版には無いが英語版などで単独記事になっているキャラクターも実は多く見かけます。具体的な例として「涼宮ハルヒ」の場合日本語版では涼宮ハルヒシリーズの登場人物#涼宮ハルヒで内包されていますが英語版などではen:Haruhi Suzumiya (character)のように単独記事になっています。少し古いですがこのようなキャラクター記事をまとめていたユーザーもいらっしゃいます(挙げて恐縮ですが)。つまり、もし「多数の言語版にあるのに本家本元であるはずの日本語版にないから(一番最初に挙げたWikipediaページに列挙されているから)」という理由で翻訳したら出来が良い記事でも「このガイドラインに反している」「ノートで発議して合意を得てからにしろ」「英語版など他言語版に合わせる必要は無い。日本語版は日本語版。」「ウィキプロジェクトやローカルルールを厳守しろ」などと言って削除だ統合だと難癖をつけられ執筆能力のある作成者がモチベーションを喪失するという重大な事態に発展する可能性を感じるということです。

難しいとは思いますが何かしらかの形でこのガイドラインに翻訳に関して反映出来ませんでしょうか?--122.131.214.160 2013年2月5日 (火) 05:00 (UTC)

コメント 立項時にノートでの提案が必要と書かれているのは一覧だけなので、翻訳時に足枷になるようなことは少ない気がします。en:Haruhi Suzumiya (character)に関していえば、英語版でもスタートクラスの記事ですのでそのまま翻訳しても問題視されるとは思いますが--半保護用会話2013年2月8日 (金) 10:55 (UTC)
コメント 基本的には分割であっても、新規立項であっても、翻訳であっても特筆性があるのならば製作して構わないと思っていますが、逆に言うと特筆性が無い記事を作成されるのはよろしくないでしょう。モチベーションが下がるとの事ですが、それは使い所を間違えているからと思われます。本来百科事典として取り上げるべきは対象が社会的な著名性や特筆性を備えている場合のみである筈なのに、日本語版でも粗製乱造が激しく、(おそらくファンによって)作品内の事ばかりが取り上げられていたりするだけです。ネットの発達や、嬉しい事に海外でも作品のファンが増えた事は喜ばしい事ですが、他言語版に記事がある事自体は特筆性の証明にはならないでしょう。精力的に記事作りをしたいと言われるのであればモチベーションを資料探しや他言語版が日本語版における特筆性を備えているかを注意深く観察し、場合によってはご自身で探し出した資料で他言語版の記事の質を向上させ、その上で各ノートで個別記事化しても問題ない内容であるから翻訳しましょうと提案出来るよう勤めては如何でしょうか? 私も作りたい記事は沢山ありますが、資料が無いのであれば作らないと言うのはキャラクター記事に限らずWikipediaにとっての基本でしょう。--C会話2013年2月14日 (木) 22:15 (UTC)
報告 ページの改名に伴って議論を移しました。取り敢えず、改名による修正の際に、他の編集者の混乱を防ぎましょうというような主旨の文章は省きました。--半保護用会話2013年2月15日 (金) 11:10 (UTC)

このページの場所[編集]

知らない間に改題・移動されてたみたいですね。探すのにえらく苦労しました。ガイドラインはWikipedia名前空間にあるのが普通じゃないでしょうか。実際、WP:WAFWP:PLOTSUMといった関連するフィクション関連のガイドラインはWikipedia名前空間にありますよね。Wikipedia名前空間に戻して、もともとあるガイドラインやガイドラインナビゲーションテンプレートからリンクしたほうがいいかなと思います。--Bugandhoney会話2013年3月13日 (水) 13:22 (UTC)

キャラクター以外にも対象範囲を広げた結果、Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)との区別が付き辛くなったのでこちらに移しました。プロジェクト:フィクションの管理下で運用しようという意図もあります。プロジェクト名前空間自体、Wikipedia名前空間から派生したものですし、元々プロジェクト寄りの文書なのでここでも問題ないのではないかと思います。--半保護用会話2013年3月13日 (水) 15:38 (UTC)
えーと、これは正式なガイドラインですから、コミュニティ全体で管理すべきでしょう。Wikipedia名前空間にないガイドラインって知ってますでしょうか。名前に関しては単に区別しやすい名前にすればよいだけでしょう。--Bugandhoney会話2013年3月13日 (水) 16:49 (UTC)
逆に聞きたいのですが、プロジェクト:映画/映画作品スタイルガイドを正式なものとする場合はWikipedia名前空間に移すんでしょうか。記事名に拘りがあるわけではないので、改名したいのなら改名でもいいですけど--半保護用会話2013年3月14日 (木) 10:42 (UTC)
はい。そういう風に考えてました(いつになるかわかんないですけど)。訳出元の英語版ガイドラインは正式なガイドラインでWikipedia名前空間にあります。
ちょっと調べてみましたけど、Wikipedia名前空間にないガイドラインは他にはないですね。それで、WP:RULESには、方針についての提起と討論は、Wikipedia名前空間上のページやノートページで行われますとありますから、正式なガイドラインの議論をプロジェクト名前空間でするというのはやっぱりウィキペディアの習慣から外れているかなと思います。--Bugandhoney会話2013年3月14日 (木) 15:07 (UTC)
では改名先ですが、Wikipedia:フィクション作品における登場人物および設定の記述辺りで--半保護用会話2013年3月14日 (木) 16:46 (UTC)
この機会に、関連したガイドラインを統一的に改名にしてはどうでしょうか。
その上でナビゲーションテンプレートに追加すれば参照性が高まるかなと思います。--Bugandhoney会話2013年3月14日 (木) 22:39 (UTC)
コメント それでもいいですね。「フィクションの登場人物」だと重複表現っぽくなるので「フィクションの設定と登場人物」の方が収まりがいいと思います。--半保護用会話2013年3月15日 (金) 10:40 (UTC)
コメントどうもです。正式に提案しました[1][2][3][4][5][6]。--Bugandhoney会話2013年3月15日 (金) 19:06 (UTC)

改名提案[編集]

上で議論しましたとおり、本ガイドラインに加えて、関連する二つのガイドラインの改名を以下の通り提案します。

改名の理由は関連したガイドラインに統一的な名前をもたせて参照性を高めるためです。--Bugandhoney会話2013年3月15日 (金) 19:06 (UTC)

賛成します。ここのノートのリダイレクトは残す必要性がないと思うので移動後に削除で良いかと--半保護用会話2013年3月16日 (土) 04:13 (UTC)
条件付反対Wikipedia:あらすじの書き方」は、フィクションに限定されておらず、内容的にもノンフィクションに適用すべきでないと考える要素もないので、「フィクションの」という言葉を付け加えるべきではないでしょう。--Greeneyes会話2013年3月20日 (水) 15:09 (UTC)
コメントどうもです。「ノンフィクションのあらすじ」って何ですか?たとえば、どの記事のことでしょうか。WP:PLOTSUMは導入部一文目に、現在ウィキペディアの中には、文学作品や映画、漫画などの創作作品の記事が多数あり、多くの場合これらの記事には作品内で描かれている物語のおおまかな記述(あらすじ)が含まれます。このページでは、そうした記述をあたえる際の基本的な留意点について解説しています(強調引用者)とありますので、フィクション作品を対象としているのではないですかね。--Bugandhoney会話2013年3月20日 (水) 15:54 (UTC)
PJ:MOSFILMでは一応ドキュメンタリーではあらすじ(ドキュメンタリーにはすじ、プロットはないはずなので、違う名前のほうがよいのですが)の書き方は、他の映画とは少し異なるというふうになっています。重なる部分は多いでしょうけど。--Bugandhoney会話2013年3月20日 (水) 21:34 (UTC)
架空の事象を扱わなければ創作作品ではない、ということはないでしょう。たとえば、風景画は現実を写したものですが、創作作品です。
Bugandhoneyさんはノンフィクションとして、ニュース、ガイド、解説のようなコンテンツを想定してらっしゃるのでしょうか。しかし、少なからぬノンフィクションが物語を持ち、説明するにはそのあらすじが不可欠です。たとえば「シッコ#概要」「ボウリング・フォー・コロンバイン#内容」「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ#内容」は、節名は違いますがあらすじが書かれています。ノンフィクションの場合、その内容は現実に起ったことではありますが、物語は多かれ少なかれ作者の創意の現われであり、作品としてのあらすじは現実の事象とは区別すべきと思います。
仮にノンフィクションは適用外とするとしても、そのような修正は改名提案のついでに行うような事柄ではなく、「ガイドラインをこのように変更したいが如何」という形で参加者を募り議論を行うべき事項でしょう。--Greeneyes会話2013年3月24日 (日) 05:12 (UTC)
はい。たぶん、「ノンフィクション」という言葉の定義の問題だと思います。実際にあった出来事や史実を題材にした創作作品を、すべて想像上の物語と対比させて、「ノンフィクション」と呼ぶことはあるみたいなのですが(ウィキペディアのノンフィクションもその一つです)、この用語法は私にはかなり抵抗がありますね。とりあえず辞書・事典的な定義ではノンフィクションとは:
  • 記録文学・紀行文・体験記など、つくり話・小説でないもの(新明解国語辞典)
  • 字義どおりにはフィクションではないもの,つまり小説,詩,戯曲を除くすべての著作物。日本やアメリカの書評紙ではベストセラーの一覧をフィクションとノンフィクションに分け,後者には健康促進,ペットの飼い方などの実用書まで含まれる。(コトバンク
となっていて、Weblioではフィクションの類義語として「創作」を挙げています[7][8]。つまり、フィクション=創作、ノンフィクション=非創作、ということですよね。たとえば、Amazonで「ノンフィクション」とすると、トップに来るのが乙武洋匡さんの『自分を愛する力』となっています[9]。こういう著作物には「あらすじ」に対応するものがないんじゃないかな、というのが私の考えでした。ドキュメンタリー映画を「創作作品」と呼ぶのも抵抗があります。外部媒体だと話の流れを紹介するのにドキュメンタリーでも他の映画と同じように「あらすじ」とする場合もあれば、マイケル・ムーア映画のウィキペディア記事のように「あらすじ」という言葉を避けて別の言葉を使う場合もあります。あるいは、KEYNOTEの『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』のページでは、※本作はドキュメンタリーのためストーリーはありませんなどとなっています。あらすじの「すじ」は英語で言うとPlotのことで、小説や脚本の筋、ということなので、ドキュメンタリーにはそういうのはないってことなのかなと思うのですが。--Bugandhoney会話2013年3月25日 (月) 13:56 (UTC)
あらすじのないノンフィクションがいくらたくさんあっても、また、最もヒットしているノンフィクションがその種のものであっても、ここでの議論には無関係です。問題になっているのは、それ以外のノンフィクションだからです。
また、「類義語」とは「同義語ではない」ということを意味しています。つまり、「フィクション≠創作」です。[10]が同義語も類義語として書きうる書式だったので修正)この資料で示されている「フィクション」と「創作」の類似は、「小説」や「夢物語」と同程度のものであり、ここでの議論に耐えうる資料ではありません。--Greeneyes会話2013年3月31日 (日) 01:59 (UTC)
著作権法には、「著作物(引用者注:を次のように定める。)思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。 」とあります。すなわち、著作権が発生する著作物は全て「思想又は感情を創作的に表現したもの」です。一部の著作物は創作ではないという区別をすることはできません。--Greeneyes会話2013年3月31日 (日) 01:49 (UTC)
んー、なかなか話がかみ合わないですね...。著作権法を持ち出すのは唐突な印象をもったのですが、たとえば新聞記事やルポルタージュは著作権法で保護される著作物なので、「思想又は感情を創作的に表現したもの」ということになると思うのですが、だからといって、新聞記事やルポを「創作物」や「創作作品」とは普通呼ばんでしょう(用語としておかしい)ということなんですけどね...。--Bugandhoney会話2013年4月6日 (土) 00:45 (UTC)
「ノンフィクションは創作的であっても創作物ではない」という論述は非常に奇妙に思えます。創作的である=創作物である=著作物である、創作的ではない=創作物はない=著作物ではない、と考えるのが自然です。新聞記事やルポルタージュであっても、創作的であれば創作物であるはずです。それを普通どう呼ぶかは関係ありません。逆に、創作的でない単なる事実の記述であれば(たとえば訃報・天気予報など)、創作物でも著作物でもありません。
そもそもの問題として、Bugandhoneyさんは、ノンフィクション記事に対し、Wikipedia:あらすじの書き方では認められない編集をすることで、記事がどのように良くなるのかを示す必要があると思います。今のところ、Bugandhoneyさんの主張は「ノンフィクションにはあらすじがないのでフィクションに限定しても問題ない」という趣旨にとどまっており、積極的にそうしたいと他者を説得できる要素がありません。--Greeneyes会話2013年4月9日 (火) 09:37 (UTC)
そのへんは、2013年3月20日 (水) 21:34 (UTC)の投稿で少しだけ言及しましたけど、フィクションとノンフィクションでは内容の紹介の仕方がおのずと変わってくるんじゃないですかね。ノンフィクションはすじや登場人物を紹介することに意味がない(そもそもそんなものがない)場合もあるので。アル・ゴアの『不都合な真実』、安倍晋三の『美しい国へ』、柳田理科雄の『空想科学読本』、堤未果の『貧困大国アメリカ』、トーマス・フリードマンの『フラット化する世界』、養老孟司の『バカの壁』、ジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』といった映画、著書の内容を手短に紹介するときにWP:PLOTSUMは参考になりますかね。特に、「あらすじの文体」、「ネタバレの扱い」、「登場人物節との関係」といった節は無意味かなと。--Bugandhoney会話2013年4月9日 (火) 13:14 (UTC)
2013年3月20日 (水) 21:34 (UTC) で述べられたことは、私が不十分であるとした「ノンフィクションにはあらすじがないのでフィクションに限定しても問題ない」という内容に当たります。私の指摘は、それは不十分な理由であり、限定によって記事が改善できる必要があるというものです。
例示された作品も、「問題ない」ケースの例示になります。あらすじらしいあらすじがないのであれば、改名しなくともWikipedia:あらすじの書き方はもとより関係なく、ゆえに、改名すべき理由にはなりません。
お聞きしたいのは、あらすじと言えるものがある場合に、Wikipedia:あらすじの書き方で認められないスタイル(たとえば、結末まで書かない、ネタバレを過度に避ける)を認めることで、記事がよりよくなるのか、ということです。私にはそうは思えず、そのようなスタイルはノンフィクションであっても好ましくないと考えます。--Greeneyes会話2013年4月16日 (火) 16:37 (UTC)
そういうことは起きないと考えています。あくまでも「フィクション」という言葉の定義の話であって、Greeneyesさんが想定しているのよりもフィクションという言葉の定義は広いというだけの話です。Greeneyesさんが「ノンフィクション」と呼んでいる作品も一般的ないしウィキペディア上ではフィクションに分類されるのでは。たとえば、フィクション作品とあらすじの関係を述べているガイドラインにWP:IINFOというのもありますけど、これを読んで「俺が書いているのは史実ないし現実世界の出来事に基づいたノンフィクション作品だからWP:IINFOに従う必要はない!記事はあらすじだけでもよくて、作品の影響なんて書かなくてもいい!」などと言い出す人はまず出てこないと思いますし、出てきたとしても屁理屈としか思われないでしょう。WP:IINFOが言っている「フィクション作品」というのは、あらすじが書けるような作品、というような意味合いしかないです。--Bugandhoney会話2013年4月26日 (金) 16:07 (UTC)
結局のところ、「フィクションに限定しても問題ない」というご意見にとどまるということでしょうか。だとしたら、改名した方が「良い」とする理由がないのですから、やはり、改名はすべきではないと思います。--Greeneyes3会話2013年5月10日 (金) 16:34 (UTC)

改名の必要性がよくわからなかったのですが、参照性を高めるという点は理解できますので改名してもよいかと思います。改名先はWikipedia:スタイルマニュアル (あらすじ) Wikipedia:スタイルマニュアル (登場人物と設定)でいいんじゃないですか。文書の内容やカバーする範囲などは冒頭部分でいくらでも補足説明できるのだから、語の定義などをめぐってあれこれ議論する必要はないでしょう。--頭痛会話2013年5月10日 (金) 18:45 (UTC)

はい。改名の理由は参照性を高める、というだけです。関連するガイドラインに「フィクションの○○」って入ってたら分かりやすいかなと思いまして。別にガイドラインの対象となる記事を、Greeneyes3さんが言うところの「フィクション」に限定させる、というような話ではないです。「フィクション」という言葉を入れることにこだわらなければ、確かにGreeneyes3さんとの議論をすぐに終わらせられますね。(あらすじ)はフィクション作品記事のあらすじってすぐに分かりますけど、(登場人物と設定)はフィクション作品記事のことだってすぐに分かりますかね。今の文書にもフィクションは入っているので、(フィクションの設定と登場人物)じゃだめですか?--Bugandhoney会話2013年5月10日 (金) 19:04 (UTC)
いや、私はどっちでもいいんですが、フィクション以外に「登場人物」って使いますか。--頭痛会話2013年5月10日 (金) 19:22 (UTC)
はい。それはその通りです。「フィクションの登場人物」だと重複表現のように聞こえるので、「設定」を先に持って来たほうがよいというような指摘を上のほうで半保護用さんからも受けました。(登場人物と設定)でいいのかもしれないです。ナビゲーションテンプレートで(フィクション関連)、(あらすじ)、(登場人物と設定)というふうに順に並べるのが一番分かりやすいかも知れないです。--Bugandhoney会話2013年5月10日 (金) 20:17 (UTC)
Wikipedia:スタイルマニュアル (あらすじ) なら、「十分な議論なしにノンフィクションが除外される」とした反対条件はクリアされるので、問題ないです。なお、これまで特に明言はしていないと思いましたが、他の2件の改名には反対ではありません。設定と登場人物はどちらの案でも可です。--Greeneyes3会話2013年5月28日 (火) 17:08 (UTC)

登場人物記事に関して[編集]

すみません。一応確認させていただきたいのですが…。このガイドラインは一般記事に対してが基本で、登場人物記事(例:SPECシリーズの登場人物)に対して言及するものではないんですよね?

2012年12月14日 (金) 09:51‎ などの過去版では

登場人物そのものを解説することが目的ではありません。たとえ充実した記述であっても、それが目的に合わない記述であれば逆に記事の品質を落とすこととなるのです。作品の全体像を求めている初見の閲覧者にとっては登場人物の詳細な記述は多くの場合において邪魔なものでしかないことを今一度ご確認ください。

現在版では

作品記事中の登場人物や設定節はあくまで作品解説の一手段であり、作中要素の設定を個々に解説することが目的ではありません。

と書かれています。

大筋に絡まない登場人物の説明は一覧記事に任せることであり、作品記事内では記載しないことが好まれます。

という記述もあります。 --Benzoyl会話2013年7月19日 (金) 21:13 (UTC)

コメント 本ガイドラインは全ての人物記事に適応されます。従って御提示の例に対しても言及されるものです。
 作品記事では作品そのものの説明がメインであるため人物記事は取り上げないか補助として最小限にする(作品記事内で求められる記述「箇条書きを用いて作中要素の解説をするような記述はあくまで内容解説の補足であり、必ずしも書かなければいけないものではありません。設定や作中での活躍は細部に至るまで記述せず、「作品における位置づけ」に絞って記述する必要があります。」)、一覧記事ではモブや一話限りのゲストを除き網羅できるが個々人の記述は簡潔に(一覧記事内で求められる記述「その事物に関する全ての情報を網羅するような書き方はせず、要点をまとめて簡潔に記述することが必要とされます。」)、個別記事はその人物そのものが主題であるため詳細な内容になりますが、社会的な特筆性が主となりフィクション内の事のみを羅列した記事は一般的に不要となります(より詳しい解説が必要なら個別記事で「ウィキペディアはどんな内容の記事でも扱ってよいところではないため、ただ架空の経緯を綴っただけの記事や、物語中の設定に言及しただけの記事ではウィキペディアの収録基準を満たしません。」)。いずれにおいても基本的にWikipedia:検証可能性に基づき出典が求められます。
 御提示されているSPECシリーズの登場人物に関しては、長大且つ2次出典がほとんどなく一覧子記事としてはふさわしくない内容と言えます。出典を元に簡潔にすべきですが、資料がなければ削除も検討しなければならない内容でしょう。--C会話2013年7月26日 (金) 11:22 (UTC)
質問 文章量の「簡潔に / 長大」についての目安ですが、「作品の長さ(放送話数)」は考慮されないのでしょうか。
単発放送も、シリーズもの(渡る世間は鬼ばかり等)も、大河ドラマ連続テレビ小説も、どれも同じ程度の文章量を求められるものなのでしょうか。--Benzoyl会話2013年9月16日 (月) 07:33 (UTC)

「一覧記事内で求められる記述」節について[編集]

問題視[編集]

一覧記事内で求められる記述」節についてです。

当時、利用者:ウィキペディアッー!会話 / 投稿記録 / 記録氏が、特に改正案(私案)の文面を提示せずに軽く提案。事後承諾的に大幅加筆改正されたようですね。

果たして例えば、ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではないなど、提案時になかった誤解を招くような、縛り言葉は必要なのでしょうか。

一覧記事

--Benzoyl会話) 2013年9月16日 (月) 05:15 (UTC) --Benzoyl会話) 2013年9月16日 (月) 05:23 (UTC) --Benzoyl会話) 2013年9月16日 (月) 05:28 (UTC) --Benzoyl会話2013年9月16日 (月) 07:17 (UTC)

2011年3月2日(改正前)[編集]

長大な作品や多くの登場人物が登場する作品においては、キャラクターそのものの解説がより深く作品を理解する事を助ける事があります。しかしこうした解説が役に立つのはある程度作品に対する知識がある読者であり、あまりに詳しい解説を作品記事内で行なう事は前述の通り初見の読者にとって極めて不親切となります。

従ってより詳しい登場人物の解説が必要だと感じた場合には、作品記事のノートで提案をして合意を計り、登場人物一覧記事として「○○の登場人物」を新規に作成する事を検討して下さい。作品記事内の登場人物節を分割して一覧記事を作成する事は効率的である様に見えますが、視点の違う登場人物節における記述はキャラクター解説には適さず、作品記事からの分割では適切な人物解説記事とはなりません。また、一覧記事の作成後も目的の異なる作品記事内の登場人物節は除去しないで下さい。

ただし本当に登場人物記事が必要かどうかは熟慮を要します。例えばそのキャラクターの全て行動を網羅する様な記述であれば、原著を読む方がよいかもしれません。

場合によっては、既に肥大化している記事から登場人物節を一度分割し、その後改めて作品記事内に相応しい登場人物節を加筆する方が現実的な場合があります。しかしこれは「肥大化させても分割すればよい」との誤解を助長する事となるため、推奨されません。 —  「キャラクターの詳細は一覧記事で」 改正直前 2011年3月2日 (水) 12:29

2011年3月7日(後)[編集]

提案文にあった箇所のみ、下線・太字

「○○の登場人物」のような一覧記事では作品記事より詳しく登場人物を解説することが求められます。そのため、大筋には関係ないが物語には関係する人物や設定に言及することができます。ただし、ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではないため、モブキャラクターにまでは言及しません。また、キャラクターの設定を記述する場合は、公式に発表されているものを中心に書き、憶測は書かないようにしてください。没案などの制作側の裏話には言及できますが、内容がそちらに偏るようなら専用のセクションを設けるのがよいでしょう。 一覧記事での主題はキャラクターに関することになりますので、作品記事内と同様にあらすじを追うような記述は行わないでください。あらすじを書きたい場合は作品記事内に書くか、ストーリー記事の独立化を検討してください。作中での活躍を書く場合は、活躍したシーンそのものの解説にならないように注意が必要です。例えばそのキャラクターの全て行動を網羅するような記述にしかならないのであれば、原著を読む方がよいかもしれません。あくまで一覧記事ですので全体の可読性を損なわない記事を書くように心掛けてください。 — 改正 利用者:ウィキペディアッー!会話 / 投稿記録 / 記録氏 2011年3月7日 (月) 10:41版 (差分:次

2013年2月15日(改正前)[編集]

「○○の登場人物」のような一覧記事では作品記事と違いキャラクターを個々にリストすることが目的となります。そのため、作品記事では触れられなかった登場人物まで紹介することができます。ただし、ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではないため、物語に関与しないモブキャラクターにまでは言及しません。 一覧記事では作品記事と同様にキャラクターの物語における位置付けについて触れることになります。この際、物語の中での言動を全て追うような記述は行わないでください。ストーリーを書きたい場合は作品記事内に書くか、エピソード記事の独立化を検討するべきです。また、キャラクターの設定は説明に必要なものだけを書き、憶測は書かないようにしてください。キャラクター制作側の裏話にも言及できますが、内容がそちらに偏るようなら専用のセクションを設けるのがよいでしょう。あくまで一覧記事ですので全体の可読性を損なわない記事を書くように心掛けてください。そのキャラクターに纏わる全てを網羅するような記述はせず、要点をまとめて簡潔に記述することが重要です。 — 2013年2月15日 (金) 10:52

2013年2月15日(後)[編集]

今回の主な変更点:下線

主にフィクションの一覧で立項されるは「○○の登場人物」のようなキャラクターの一覧記事です。このような記事では、作品記事と違い登場人物等を個々にリストアップすることが目的となるため、作品記事では触れられなかった事物にまで言及することができます。ただし、ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではないため、物語に関与しない事物にまでは言及しません。 一覧記事では作品記事と同様にその事物が作品においてどういう位置づけであるか触れることになります。この際、作中要素それぞれに焦点を当て物語の展開を解説するような記述は控えてください。ストーリーは作品記事内のあらすじ節や、エピソード一覧に任せるべきです。個々の設定は説明に必要なものだけを書き、憶測は書かないようにしてください。二次情報は内容がそちらに偏るようなら専用のセクションを設けるのがよいでしょう。あくまで一覧記事ですので全体の可読性を損なわない記事を書くように心掛けてください。その事物に関する全ての情報を網羅するような書き方はせず、要点をまとめて簡潔に記述することが必要とされます。 — 改正 利用者:半保護用会話 / 投稿記録 / 記録氏 2013年2月15日 (金) 10:54‎ (差分:次

2013年7月26日(最新版)[編集]

主にフィクションの一覧で立項されるは「○○の登場人物」のようなキャラクターの一覧記事です。このような記事では、作品記事と違い登場人物等を個々にリストアップすることが目的となるため、作品記事では触れられなかった事物にまで言及することができます。ただし、ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではないため、物語に関与しない事物にまでは言及しません。 一覧記事では作品記事と同様にその事物が作品においてどういう位置づけであるか触れることになります。この際、作中要素それぞれに焦点を当て物語の展開を解説するような記述は控えてください。ストーリーは作品記事内のあらすじ節や、エピソード一覧に任せるべきです。個々の設定は説明に必要なものだけを書き、憶測は書かないようにしてください。二次情報は内容がそちらに偏るようなら専用のセクションを設けるのがよいでしょう。あくまで一覧記事ですので全体の可読性を損なわない記事を書くように心掛けてください。その事物に関する全ての情報を網羅するような書き方はせず、要点をまとめて簡潔に記述することが必要とされます。 — 最新 2013年7月26日 (金) 11:22‎版

意見・質問[編集]

質問 現在版にある「物語に関与しない事物」とは、具体的に何(どのような範囲)を指すのでしょうか。はたまた、質問せず曖昧にしておいた方が良かったのだろうかとも思いつつ。--Benzoyl会話2013年9月16日 (月) 06:05 (UTC)

質問 同様に「物語に関与しない事物」の物語の範疇もグレーですね。--Benzoyl会話2013年9月16日 (月) 06:09 (UTC)

情報プロジェクト‐ノート:フィクション#フィクションを詳細に説明している記事について」での利用者:半保護用会話 / 投稿記録 / 記録氏の動きがあった模様。そして、「改名と適応範囲の拡大に伴う修正」とのコメントと共に、大幅な改変が行われたようです。→2013年2月15日 (金) 10:54(差分:次
ちょうどその頃、2013年2月15日 (金) 10:52‎ (差分:次)にて、此処の「プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述」へページの移動していることが、有耶無耶っぽい感じもしつつ。
--Benzoyl会話) 2013年9月16日 (月) 06:18 (UTC) --Benzoyl会話2013年9月16日 (月) 06:20 (UTC)
ちなみに利用者:半保護用会話 / 投稿記録 / 記録氏の提案文 2013年1月28日 (月) 14:39 (UTC)差分:次)は、以下のみ。
しかし大幅改変し、事前に文案を出さなかったので加筆した文章に対して何か気になる点があれば修正をお願いします。 2013年2月4日 (月) 11:45 (UTC) とのこと。
* 登場人物の性格などの細かい設定に関しては一次、二次資料を問わず出典の明記が推奨され、「~である模様」「~といった面もある」のような言葉を濁した表現は避ける。また、作中で起こった出来事を逐一加筆しない。

まさか利用者:ウィキペディアッー!会話 / 投稿記録 / 記録氏(2011年11月23日にブロックされてしまったようですが)=利用者:半保護用会話 / 投稿記録 / 記録氏ということはないでしょうが。--Benzoyl会話2013年9月16日 (月) 06:50 (UTC)

「作品記事内ではより簡潔に」節について[編集]

要するに、人物・アイテムの記述も含めて、設定の記述は、「その作品世界の概要が理解できれば十分で、それ以上は書くな」、「設定を細かく記述して作品世界の概要が理解できなくなれば本末転倒である」ということですよね? 今の状態だと何度か読み直さないと意味を理解しづらいと思うのですが。もう少し分かりやすい表現にすることはできないでしょうか。--V5+c6-S3+w8=DDss会話2014年7月18日 (金) 12:03 (UTC)

キャラクター説明における人物名とジェンダーについて[編集]

普段テレビドラマ記事などの編集が多いのですが、たまにあらすじや人物説明での、キャラクターの人物名記述について疑問を持つことがあります。一般新聞のラテ欄に載るあらすじなどでも見られることですが、フルネームを使われない場合男性キャラは名字で、女性キャラは下の名前で記述されることが多くないでしょうか? ウィキペディア上でもそのように書かれることがあるのですが、こういう記述が多くみられるのは、21世紀になっても家父長制の「男性=名字=家(すなわち社会)を代表する存在」であるが、女性はそうではないと見なされる、といった、平等の理念からは乖離した「世間」の「現実」(にある差別)を反映してるというか、オンナコドモは社会では主流でないので下の名だけの存在として扱われる(逆にそれは男性への「個人として生きることが許されない」という抑圧のメタファーでもある)ということがラテ欄でも起きてるんだなと推察されます(そうでないとわざわざ男性と女性で書き方を変えることの説明がつかないので)。

私は多くの場合、WP:POVに従い、また基本的には人物伝記事で本人を指す記述は名字のみで書かれる(例:大隅良典など)ことを前提に、男性女性とも名字で、家族が登場するなど同じ名字の人物が被る場合は下の名で、という形で書いてきましたが、最近これをわざわざ女性だけ下の名前記述に変える編集が現れました。悪意なく、「一般的」に変えてるだけのつもりなんでしょうが、中立性を考えたらいただけないと思います。あるいは男女とも下の名で書くことを基本にすべきなのか。PJの取り決め以前に、どういう形が百科事典記事により良いのか、一度広く意見を聞いてみたいと思います。--Garakmiu2会話2016年10月21日 (金) 16:49 (UTC)

(追記))具体的に上記のような編集行為が起きたのはIQ246〜華麗なる事件簿〜です[11]。ただし該当編集についてはLTA:OSAKANIFを疑っています。日本と韓国のドラマについて、女性が劇中ラストで結婚するとそれまで10話間出生名だったとしても役名から旧姓を除いて相手男性の姓に変えてしまうという、非常に「家父長制」的な傾向の編集に通じるので(そういった騒動を受けてPJ:DRAMAは改訂されました)。--Garakmiu2会話2016年10月21日 (金) 17:33 (UTC)
男性が苗字、女性は名前というのは脚本の慣習です。それ受けて、一般に作品のあらすじや評論も、そのルールで記載されます。
それを「家父長制」的と感じるかどうかはGarakmiu2氏の自由ですし、その慣習の発端は実際に「家父長制」に起因しているのかもしれませんが、分野の慣習を無視して、それは政治的に正しくないからウィキペディアではこうすべきだ(むしろウィキペディアは慣習を作るんだ)、というような論旨であれば、それはWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに抵触する話だと考えます。--EULE会話2016年10月21日 (金) 23:58 (UTC)
>EULE氏
  • 確認ですが「慣習」の根拠とされているのは内部リンクの脚本でしょうか。ですが{{出典の明記}}が貼られ、該当記述には出典がついておりませんので、その正当性を確かめるには参考文献を手配して全部読まないと何とも言えません。また、同項目に外部リンクとしてある「脚本の書き方」はプロの解説とありますが、「シナリオ添削」を受け付けるページに挙げられる脚本家の名はハンドルネームと推察され、匿名で運営されているため本当にプロなのか判断できず、どちらかというと宣伝目的のサイトにも見えWP:ELに抵触する疑いがあり、信頼できる情報源というには難しいと思われ、参考にできません。また、参考文献とされる書籍も、発行は1985年頃と、いわゆる均等法第一世代誕生とほぼ同時期です。つまり雇用における男女平等が始まるか始まらないかで、書籍の考え方はそれ以前の社会の慣習を反映しているのではないか、その後の社会の変化を受けてシナリオ上慣習もPC的方向性が反映されていないのか(30年以上も経っているのですから、たとえば同書の改訂最新版ではどうなっているのか)なども確認したいところです。またあくまで同サイトに載っていた慣習の「理由」ですが、記述するときに男性女性の区別がすぐ分かるよう、という目的なら、下の名前表記に統一するほうが合理的ではないかという気もします。
  • またこの「慣習」はいわゆるWP:JPOVにすぎないとも考えられます。X-ファイルなどでは「慣習」に従えば「捜査官のモルダーとダナは…」と書かれるべきということになりますが、en:The X-Filesも各種外部リンクも「彼女」は「スカリー」です。
  • 脚本上の慣習があったとして、あくまで映画やドラマ業界の慣習であり、その他文学などのフィクションには関係のない話ということになります。今回はフィクション全般の話をしています。
  • PJ:DRAMAでの改訂はプロジェクト‐ノート:テレビドラマ/過去ログ4で話し合い現在の状態ですが、この際は家父長制云々が理由でなく、クレジット表記を無視して「女性が結婚で姓が変わること」を反映させようとするLTAの独自研究を阻止すると同時にバラバラだったスタイルに一定の基準を定めたわけで、別に目的はポリティカルコレクトネスの推進ではありません。ただ、Wikipedia:中立的な観点は三大方針のひとつですし最大限に重視した上で慣習やらプロジェクトのルールとかの落とし所を考える必要があります。またWP:NOTTEXTBOOKには、ウィキペディアは教科書や学術論文ではなく、専門用語でなく一般的用語を使用すべきとありますので、必ずしも「業界」の専門的な概念に従う必要はないと考えられます。
  • この話題は現時点ではウィキペディアのルールを変えるといった目的でなく、広く意見を参考として伺いたいだけです。--Garakmiu2会話2016年10月22日 (土) 04:09 (UTC)
追記:脚本における件の外部リンクはやはり問題と思われるので除去しました。--Garakmiu2会話2016年10月22日 (土) 04:19 (UTC)
さらに追記:Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)Wikipedia:あらすじの書き方などの関連ガイドライン文書にも、あらすじなど執筆に際し脚本の慣習をもとに執筆するようにという指示部分はありませんでした。そもそも、ウィキペディアでのあらすじや人物説明はシナリオのスタイルで書くものではありません。寡聞にして存じませんが、過去の議論でそのような意見が出ていたのでしたらリンク提示いただければ幸いです。--Garakmiu2会話2016年10月22日 (土) 05:40 (UTC)
確認ですが「慣習」の根拠とされているのは内部リンクの脚本でしょうか。
いえ、違います。本当に脚本の基礎的な話なのです。慣習という言葉を使ってますが、原稿用紙に書くときの明確なルールなんです。それでも、出典を提示して欲しいということであれば、今、私の手元にあるものとしては、新井一「シナリオの基礎技術」P16-24とかですかね(「原稿用紙への書き方」で載ってるレベルです)。参考文献に載ってるまさにそれです。で、2015年8月15日第30版です(ってかこんな版数を持ち出すまでもなく、新井一「シナリオの基礎技術」でケチをつけるのがおかしい)。脚本やシナリオの書き方を説明したWEBサイトでも、必ず出てくるくらい基礎中の基礎です(信用できないとかじゃなくてね)。何故、自分の無知を晒し続け、調べようとしないのか不思議でたまりません。何度でも言いますが本当に基礎中の基礎の話なのです。
またこの「慣習」はいわゆるWP JPOVにすぎないとも考えられます
ここでJPOVで反論するのは同ルールへの認識の誤りです。確かに、脚本やそれに伴うものとしての慣習としては日本固有のものかもしれません(というか、海外の脚本はそもそも日本とはルール違うしね)。ただ、重要なのは日本語文献では、そういうルールがあるということです。むしろ、「男女とも下の名で書くことを基本にすべき」という日本語文献にないルールを提示しようとするのが、JPOVに抵触することになります。
あくまで映画やドラマ業界の慣習であり、その他文学などのフィクションには関係のない話
これはおかしい。そもそもラテ欄やドラマの話をされているのに文学を持ち出されても困る。でも、いいでしょう。確かにその通りかもしれません。なら、答えは1つです。そもそもフィクション全体で縛るルールを作るべきではないということです。というか文学だって、基本は作中で使われている呼び名であって、そこで名前で記載すべきなんて提案したって通らない。
PJ DRAMAの話
私はPJ:DRAMAの話などしておりませんが。今、ここで、Garakmiu2氏が、「家父長制だろう」などと言ってることに私は意見を述べているのです。インデントで勘違いしたというなら、そもそも氏のインデントのつけ方が悪かったことに起因しております。
現時点ではウィキペディアのルールを変えるといった目的でなく、広く意見を参考として伺いたいだけです。
それは何の免罪符にもなりませんよ。現時点での正式なルールの発議ではないからとして私の意見に何の問題がありますか。むしろ、私の意見に対する氏の反応こそご自身の主旨に問われるものですよ。
あらすじなど執筆に際し脚本の慣習をもとに執筆するようにという指示部分はありませんでした。
一般的な日本語で記載された文章のルールとして変なもんじゃないと私は意見を述べているのです。私は、脚本のルールを絶対的に守れなどとは言ってません(だいたい、私は割と「あらすじ」を書いてる方ですが、そんな決まりごとは気にしてません)。氏が、(それこそ氏自身が一般的だと認められている)一般的な日本語の文献・情報源に対して、「家父長制」だろうといい、さらに最終的には名前で縛るルールも必要じゃないかというので、意見を述べているのです。
「スタイルマニュアル (フィクション関連)」を出されたので、ついでで述べますが、WP:POVや人物伝記の記法に基づいて活動されているとおっしゃられていますが、同ルールに『「伝記のような形式」で書くな』とあるように、それそもそもフィクションの書き方を決める指針として誤ってます。フィクションは、現実に存在する人物、地理、史実の説明のように書いてはいけないし、むしろそういった物とは書き方が変わるから「スタイルマニュアル (フィクション関連)」というルールができたんです。
最後に
登場人物の氏名に関する脚本のルールは、そもそもとして、そこまで原理原則、絶対に固守しろというものではありません。他ならぬ新井氏自身が、その説明の中の補足として、読み手が用意に把握できるなら(基本、主人公)、例えば男性であっても名前で構わないと言ってます。例えば金色夜叉で、「間とお宮」よりはやっぱり「貫一とお宮」なのですよ。もちろん、家族や親族などが出てくるものなら尚更です。だからといって、特段の理由なく全員を名前表記した脚本を見せたら破り捨てられるでしょうけど。--EULE会話2016年10月23日 (日) 03:21 (UTC)
コメント 私は、フィクションの登場人物は可能な限り、劇中で一般的に使われている呼び名を用いて説明すべきだと考えています。例えば、裏設定として本名が設定されているものの、劇中では常に他の登場人物からペンネームやハンドルネームといった変名で呼ばれているような登場人物について解説するのに、記事中で本名で記述するのは(現実の人物としてならともかく、フィクションのキャラクターとして)不適当かと考えます。それと同じで、劇中で常に名で呼ばれている人物は名で、姓で呼ばれている人物は姓で記述するのが望ましいと考えます。例えばガンダムシリーズの登場人物は、劇中では名に階級付けで呼ばれるのが一般的という約束事があり、「アムロ」「ブライト」「フラウ」「セイラ」を「レイ」「ノア」「ボゥ」「マス」などと表記するのは一般的でなく、不適当かと考えます。
劇中で、登場人物によって姓、名、ニックネームで呼び分けられていて表記揺れがある人物の場合は、主人公や、関わりの多い登場人物からの呼び名を基準にするのが相応しいのではないか、と漠然と考えていますが、主人公だけが(変なニックネームなど)癖のある呼び名を使っている場合や、主人公格の登場人物が複数いる作品などでは表記に迷うところです。そのような場合は、二次資料などの表記に従うのが妥当で、結果として脚本の慣習などに沿ったものになることもあるかも知れません。いずれにせよウィキペディアで参考になるのは、「Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには」などの、前例となっている基準かと思います。
架空の人物の人権に配慮する必要はないと思いますし、そのような「非実在青少年の人権に配慮しよう!」という慣習をウィキペディアから作ろう、という呼びかけには、私も「何ではないか」の観点から反対です。--Kanohara会話2016年10月23日 (日) 09:59 (UTC)
コメント >EULE氏
すみませんが、なぜ私が出典を確認しないと決めつけていらっしゃるのでしょうか。そのような発言は一言もしていません。脚本の記事は2008年から出典の明記が貼り付けられて誰も剥がしていない状態で、参考文献はあるものの<ref>で示されておらず、どの部分が何を根拠にしているのかわからない状態で、不完全な記事です。『シナリオの基礎技術』がロングセラーであることはamazonを見ただけでも分かりましたし、自分に脚本に関する知識があまりないことは自覚していますので、ネット記事のようないい加減なものでなく信頼のおける原典に当たろうとは考えています。しかし当方は基本的に編集に関する書籍は図書館で手配しますので、在庫のある図書館を調べるとか取り寄せするなどしていたら数日はかかります。この議論をスタートしたのが2日前、人物名表記の慣習が脚本の慣習に基づくとの説を確認したのが昨日です。その時間的余裕も許さず、2日目2度目のレスで「何故、自分の無知を晒し続け、調べようとしないのか不思議でたまりません。」「ってかこんな版数を持ち出すまでもなく、新井一「シナリオの基礎技術」でケチをつけるのがおかしい」「それは何の免罪符にもなりませんよ」とのレトリックを駆使したマウンティングをされるとは思ってもみませんでした(私がいつ件の書籍にケチをつけたのですか?それはそちらの思い込みによる非難だと指摘します)。仕事もあるし私の家は図書館の隣にあるわけじゃありません。
あと後半になって突然タメ口を交えた文体になってくるのはなぜですか。10年選手の方に対し釈迦に説法かもしれませんが、Wikipedia:善意にとるWikipedia:個人攻撃はしないWikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:議論が白熱しても冷静にを読み返していただいて、ベテランに相応しい落ち着いた態度でご参加ください。
>Kanohara氏
物語内での呼び名を使うなどの視点は興味深く拝見しました。読み手に対する分かりやすさという点で利点はあるかと思いますが、ファンサイト的記述が増えるとWP:IN-U的方向へ向かう危険があるかな、という懸念も少しだけ感じました(例に出していただいたガンダムなどは許容範囲だと思いますが)。
あとKanohara氏も当方を人権運動家扱いしたいようですが、当方はどちらかというとルールの改訂を何が何でも進めたいという考えはなく、どちらかというとフィクション記事に参加する初心者のために、あらすじや説明文に登場するキャラの名前を書く基準が記事によってバラバラなのはどうしてか、がどこかで明確に説明されていれば迷いが減るのではないかという発想でした。もちろんそれをすべての記事にあてはめたり統一しようという考えはありません(だから改訂提案でなく意見を聞きたいと言っているのに……)。--Garakmiu2会話) 2016年10月23日 (日) 11:18 (UTC)追記--Garakmiu2会話2016年10月23日 (日) 11:31 (UTC)
いいですかね、「家父長制以外に説明がつかない」というから「いや、それ脚本の慣習だから」と述べた。ジェンダーなどの用語、「中立性を考えたいけない」「男女とも下の名で書くことを基本にすべきなのか」などというから、「何ではないか」にも言及した。「一度広く意見を聞いてみたいと思います」という主旨だから、全部で806バイト、簡素に意見を述べた(ルールの発議ならもっと詳細に述べてる)。それに対して、ご自身がそういったものに詳しくないといいつつ、たかが半日でどんな返答をしているのかご理解できてますか。「善意に取る」「冷静に」を出す前に、あなたの私の金曜23:58のコメントに対する一連の返信がどのように受け取られるかまったく想像してないでしょ。
調べてから返答なら全然構いません。私はウィキペディアの議論はかなり気長な方なので。ただ、今回はろくに調べてない状態で、それら前提知識が必要なことや、私がまったく言ってないことを長々と言ってくるし、だから当然、そこの不見識に言及すれば「時間的余裕を許さないのはおかしい」ってなんですか。じゃあ、ちゃんと調べてから(そして、たった800バイトの意見をちゃんと読んで)反論なり意見なりを述べるのが礼儀じゃないんですか。--EULE会話2016年10月23日 (日) 13:00 (UTC)
返信 (Garakmiu2さん宛) Garakmiu2さんが挙げたWP:IN-Uでは、よろしくない例として「伝記のような形式で書かれた登場人物の記事あるいは節」を挙げています。例えば「登場人物をニックネームで表記するのはファンサイトのように見え、百科事典として締まりがないので、もっと格式のある実在の人物の伝記のように見せかけよう」といった動機から、無理に他の登場人物と整合性を図ったり、劇中では一度も使われていない本名で表記したりするようなことは、逆に「ファンサイト的な記述」に陥ってしまう、ウィキペディアではありがちな失敗を招くと思います。
統一のための意見を聞きたい、ということであれば「統一の根拠として、非実在青少年の人権やジェンダーフリーを拠り所にするのは不適切なので、そこから離れて別の根拠を求めるべき」としておきます。提案そのものがジェンダーフリー論から出発しているのですから、統一基準を別に求めるのであれば、この議題はクローズして下さい。--Kanohara会話2016年10月23日 (日) 14:15 (UTC)
さて、提議から1ヶ月ほど立ちますが、Garakmiu2氏はご自身の論旨を諦められた(あるいは認識の誤りを認められた)ということでよろしいでしょうか。この場所の議論だけであれば、別に期間なんてどうでもいいと思うのですが、「IQ246〜華麗なる事件簿〜」の方にテンプレートが貼られてしまっているので、1回ケリだけはつけておいた方が良いと思います。--EULE会話2016年11月19日 (土) 05:34 (UTC)
終了 今回についてはいい議論にならなかった(原因については思うところありますがノーコメントとします)と考えますので、「諦めた」ということになります。終了し告知は除去します。--Garakmiu2会話2016年11月20日 (日) 14:57 (UTC)
原因については思うところがあると当て擦られてしまいましたので、念のため下記のことを指摘しておきます。
今回の例に関して、ラテ欄や公式サイトなどに書かれている通りに書くことは問題ありませんし、むしろ、検証可能性や信頼できる情報源、また各種フィクション関連の文書に照らせば、ウィキペディアとして、もっとも妥当な記述であるとすら言えます。今回、たまたま私が「脚本の慣習」だと述べただけで、実際に慣習があろうが無かろうが、正しかろうが誤りだろうが、情報源にそう書かれていて、しかも一般的にもそう書かれていたなら(その情報源だけの特殊な記法ではないと分かるなら)、それを尊重せねばなりません。そこでウィキペディアの各種文書にはないルールや、明確に否定されているルールを根拠にして、そのような妥当な記述をまったく省みることなく否定するのは、悪意なく、「伝記的(政治的正しい形)」に変えてるだけのつもりなんでしょうが、明白な問題行為なのです。
氏は私のことを相手の気持ちがわからない奴だなどと思っているかもしれませんが、まあ、最後に、特に問題のない記述を個人の勝手なルールで否定されたら、それを記述した人はどう思うか想像してみてください。--EULE会話2016年11月24日 (木) 12:35 (UTC)