ドンブロフスキのマズルカ
Mazurek Dąbrowskiego | |
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和訳例:ドンブロフスキのマズルカ | |
作詞者のユゼフ・ヴィビツキ | |
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別名 |
Jeszcze Polska nie zginęła (ポーランドは未だ滅びず) |
作詞 | ユゼフ・ヴィビツキ(1797年) |
作曲 | 不明 |
採用時期 | 1927年(ポーランド第二共和国)[1] |
試聴 | |
ドンブロフスキのマズルカ(ポーランド語: Mazurek Dąbrowskiego)は、ポーランドの国歌。ユゼフ・ヴィビツキ(Józef Wybicki)作詞。「ポーランドは未だ滅びず(Jeszcze Polska nie zginęła)」の名でも呼ばれる。
かつて、作曲者はポーランドの大貴族で作曲家のミハウ・クレオファス・オギンスキと推定されたが、現在では否定されている。楽曲はかつてのユーゴスラビア社会主義連邦共和国及びユーゴスラビア連邦共和国、セルビア・モンテネグロの国歌であった「スラヴ人よ」にも使われている(「スラヴ人よ」の場合は、「ドンブロフスキのマズルカ」よりもテンポが遅く、メロディが強調されている)。
この歌は第3次ポーランド分割によって共和国が全ての領土を失ってから2年後、1797年にヤン・ヘンリク・ドンブロフスキ将軍が率いる亡命ポーランド人部隊の軍歌として書かれたものだが、この抵抗歌が第一次世界大戦後にポーランド国歌として定着した。
なお、このときの亡命ポーランド人部隊は共和国復興のためにフランスのナポレオン・ボナパルトに協力して対オーストリア戦を戦ったため、歌詞中にボナパルトの名が登場する。その後、ポーランド人部隊はナポレオンの指揮下で各地を転戦しながら数々の戦功をあげ、後のワルシャワ公国の建国へとつながっていくのであった。
歌詞
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Jeszcze Polska nie zginęła,
Przejdziem Wisłę, przejdziem Wartę,
Jak Czarniecki do Poznania
Już tam ojciec do swej Basi
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ポーランドは未だ滅びず、 我らはヴィスワ川とヴァルタ川を渡り
チャルニェツキはポズナンへと戻った
ある父は、涙して、
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脚注
[編集]- ^ “世界大百科事典内のマズルカの言及”. コトバンク. 2018年8月28日閲覧。
- ^ イタリア国歌の歌詞にはポーランドが登場する。