ポール・ゴンザレス
基本情報 | |
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国籍 |
アメリカ合衆国 オーストラリア (二重国籍) |
出身地 | アメリカ合衆国・テキサス州フォートワース |
生年月日 | 1969年4月22日(55歳) |
身長 体重 |
183 cm 87 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 三塁手、一塁手 |
プロ入り | 1990年 MLBドラフト10巡目 |
初出場 | NPB / 1999年5月8日 |
最終出場 | NPB / 1999年5月18日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | オーストラリア |
五輪 | 1996年、2000年、2004年 |
この表について
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オリンピック | ||
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男子 野球 | ||
銀 | 2004 | 野球 |
ポール・リチャード・ゴンザレス(Paul Richard Gonzalez、1969年4月22日 - )は、アメリカ合衆国・テキサス州フォートワース出身の元プロ野球選手(内野手)。
オーストラリア在住の女性との恋愛をきっかけにオーストラリア国籍を取得し、アメリカ合衆国とオーストラリアの二重国籍を持つ。
来歴・人物
[編集]1990年のMLBドラフト10巡目でサンディエゴ・パドレスに指名され契約。メジャー昇格を果たせぬまま1994年シーズン途中にシカゴ・ホワイトソックスに移籍するが、ここでもメジャー昇格は果たせなかった。
1996年は、独立リーグのテキサス・ルイジアナ・リーグに加盟しているアビリーン・プレイリードッグスでプレー。
1998年6月、オリックス・ブルーウェーブの入団テストに合格。翌1999年、正式に入団。5月16日の対西武戦(西武ドーム)で5番・指名打者につき、初めてスタメンを勝ち取った。しかし、外国人枠(この年のオリックスには、野手の上限が2人に対して投手がマーク・ミムズ、エドウィン・ハタド、ウィリー・バンクスの3人、野手に至ってはゴンザレス、トロイ・ニール、クリス・ドネルス、ハービー・プリアム、ロベルト・ペレスの5人と計8人も在籍していた)の関係で間もなくして二軍に降格されてしまう。この年のジュニアオールスターゲームでは、ウエスタン・リーグの5番・指名打者として出場している。結局、一軍出場は8試合のみとなり、シーズン終了後に自由契約となった。
1996年のアトランタオリンピック、2000年のシドニーオリンピック、2004年のアテネオリンピックと3度のオリンピックでオーストラリア代表に選出されている。アテネではチームの銀メダル獲得に貢献した。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1999 | オリックス | 8 | 16 | 16 | 2 | 3 | 1 | 0 | 1 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | .188 | .188 | .438 | .625 |
通算:1年 | 8 | 16 | 16 | 2 | 3 | 1 | 0 | 1 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | .188 | .188 | .438 | .625 |
記録
[編集]- NPB
- 初出場:1999年5月8日、対千葉ロッテマリーンズ7回戦(千葉マリンスタジアム)、9回表にハービー・プリアムの代打で出場
- 初安打:1999年5月14日、対西武ライオンズ7回戦(西武ドーム)、6回表に松元秀一郎の代打で出場、潮崎哲也から右翼へ二塁打
- 初先発出場:1999年5月16日、対西武ライオンズ9回戦(西武ドーム)、5番・指名打者として先発出場
- 初本塁打・初打点:1999年5月18日、対千葉ロッテマリーンズ9回戦(岩手県営野球場)、3回裏に小宮山悟から中越ソロ
背番号
[編集]- 53 (1999年)
- 36 (2000年)
- 23 (2002年)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 ポール・ゴンザレス - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference