マックス・ノイキルヒナー
マックス・ノイキルヒナー | |
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2007年 SBKブランズハッチ | |
国籍 | ドイツ |
生年月日 | 1983年4月20日(41歳) |
出身地 | ザクセン州エルツゲビルクス郡Stollberg |
ウェブサイト | max-neukirchner.de |
ロードレース世界選手権での記録 - Moto2クラスに参戦 - | |
現在のチーム | MZレーシングチーム |
ゼッケン | 76 |
チャンピオン | 0 |
レース数 | 3 |
優勝回数 | 0 |
表彰台回数 | 0 |
PP回数 | 0 |
FL回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 1 |
2011年の成績 | - |
マックス・ノイキルヒナー (Max Neukirchner, 1983年4月20日 - ) は、ドイツのオートバイレーサー。 ザクセン州エルツゲビルクス郡Stollberg出身。2005年から2010年までスーパーバイク世界選手権に参戦した。2011年はロードレース世界選手権Moto2クラスに参戦する。
経歴
[編集]キャリア初期
[編集]1987年から3年連続でロードレース東ドイツ選手権250ccクラスチャンピオンとなり[1]、1994年にはロードレース世界選手権500ccクラスに参戦したロタール・ノイキルヒナー[2]を父に持つマックスは、幼いときからトライアルやモトクロスで経験を積んだ。
1997年、14歳のとき初めてのロードレースとしてADACジュニアカップに、父が率いる「チーム・ノイキルヒナー・レーシング」から参戦、アプリリアの125ccマシンを駆った。1999年からはドイツロードレース選手権(IDM)125ccクラスに参戦、翌2000年には同選手権250ccクラスにステップアップし、2002年にはシリーズランキング2位を記録した。
2003年にはヨーロッパ選手権の250ccクラスで、日本の関口太郎、フィンランドのヴェサ・カリオ(ミカ・カリオの兄)に次ぐランキング3位を記録した[3]。また2001年から2003年にかけては毎年ワイルドカード枠でロードレース世界選手権ドイツGP250ccクラスのレースに参戦、2003年には15位で完走し初ポイントを獲得している。
スーパースポーツ世界選手権 (2004)
[編集]2004年、ノイキルヒナーはクラフィ・チームでホンダ・CBR600RRを駆ってスーパースポーツ世界選手権(WSS)に参戦した。この年ノイキルヒナーは地元オッシャースレーベンで5位に入ったのが最高位、63ポイントを獲得しシリーズランキング9位を記録した。
スーパーバイク世界選手権 (2005 -2010)
[編集]引き続きクラフィ・チームに所属した2005年シーズンはホンダ・CBR1000RRを駆り、ベテランのピエールフランチェスコ・キリをチームメイトにスーパーバイク世界選手権(SBK)にステップアップを果たすこととなった。ノイキルヒナーは第2戦フィリップアイランドのレース2で早くも初表彰台(3位)を獲得した。第3戦バレンシアでの大きなクラッシュで手を骨折し、その後はしばらく調子を崩すものの、シーズン後半は安定した成績を残し、年間ランキング12位でルーキーイヤーを終えた[4]
2006年もクラフィ・チームに残留する予定だったが、チームは2台体制を維持するための資金を用意できなかったため、MotoGPから移ってきたアレックス・バロスにシートを奪われる形となってしまった[5]。そこでノイキルヒナーはチーム・ペデルチーニに移籍し2気筒のドゥカティ・999を駆ることとなった。開幕戦カタールでは10位入賞を果たすものの、その後は成績は低迷し、第5戦を終えた時点でチームを去った[6]。その後はしばらく失業状態が続いたが、第9戦アッセンからはファビアン・フォレに代わってスズキ・ワークスのアルスター・チームのシートを獲得[7]、GSX-R1000を駆った初レースを6位でフィニッシュする活躍を見せ、この年のシリーズランキングは18位となった。
2007年はサテライトチームのスズキ・ジャーマニーから出場、1年落ちのワークス仕様のGSX-R1000 K6を駆ることとなった。この年ノイキルヒナーは第11戦地元ラウジッツのレース1でリタイヤを喫するまで、開幕から19レース連続で12位以上での完走を果たす安定度を見せた。最終戦マニクールでは負傷欠場の加賀山就臣の代役としてアルスター・チームから出場、レース1ではチームメイトのマックス・ビアッジを上回る4位でフィニッシュを果たし[5]、年間ランキングでは9位と成績を伸ばした。またこの年の4月にはFIM世界耐久選手権の開幕戦であるル・マン24時間耐久ロードレースにスズキ・エンデュランス・レーシング・チームからウィリアム・コステス、ギヨーム・ディートリッヒと共に出場、見事総合優勝を果たした[8]。
2008年はアルスター・チームのレギュラーライダーとして参戦。チームメイトの加賀山とフォンシ・ニエトが最新ワークス仕様のGSX-R1000 K8を駆った一方、ノイキルヒナーのマシンは前年のK7を改良したものだったが、第3戦バレンシアで自身初のポールポジションを獲得した[9]。決勝レース1ではファイナルラップの最終コーナーまではトップを走行していたが、カルロス・チェカと接触して転倒、鎖骨を折ってしまった。しかし第4戦アッセンのレース1では自身2度目の3位表彰台を獲得、そして第5戦モンツァのレース1で芳賀紀行とのバトルを0.058秒差で制し、初勝利を遂げた。これはドイツ人ライダーとしても初のSBK優勝であった[10]。その後も第8戦ミサノのレース1で2勝目を挙げるなど活躍を続けてスズキのエースライダーとしての地位を確立し[5]、シリーズランキング5位の成績を残した。
2009年シーズンもアルスターに残留。開幕戦フィリップアイランドのレース1で2位表彰台に立つなど好調な滑り出しを見せていたが、第5戦モンツァのレース1のスタートで多重クラッシュに巻き込まれ、大腿骨骨折の重傷を負ってしまった[11]。これによりノイキルヒナーは長期欠場を強いられることとなった。7月にはレース復帰を目指してイモラでの合同テストに参加したが、そこでも転倒を喫して椎骨を骨折してしまった[12]結局このシーズンは実戦復帰を果たせないまま終えることとなり、序盤8レースのみの出走でシリーズ16位に終わった。
2010年シーズンに向けて、怪我の回復状況を不安視したアルスター・チームはノイキルヒナーとの契約を延長しないことを発表した[13]。その後ノイキルヒナーはテンケイト・チームのシートを確保、再びホンダ・CBR1000RRを駆ってSBK6年目のシーズンを迎えた。しかしこの年、チームメイトのジョナサン・レイが4勝を挙げてシリーズ4位の成績を収めた一方、苦戦が続いたノイキルヒナーの最高位は第4戦アッセンでの9位に留まり、シリーズランキング18位に沈んでしまった。
ロードレース世界選手権Moto2クラス (2011)
[編集]2011年、ノイキルヒナーは元グランプリライダーのマーチン・ウィマーがCEOを務めるMZチームから、ロードレース世界選手権Moto2クラスに参戦する[14]。
主なレース戦績
[編集]スーパースポーツ世界選手権
[編集]シーズン | バイク | 出走 | 優勝 | 表彰台 | PP | FL | ポイント | シリーズ順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004年 | ホンダ・CBR600RR | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 63 | 9位 |
スーパーバイク世界選手権
[編集]シーズン | バイク | 出走 | 優勝 | 表彰台 | PP | FL | ポイント | シリーズ順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005年 | ホンダ・CBR1000RR | 21 | 0 | 1 | 0 | 0 | 123 | 12位 |
2006年 | ドゥカティ・999RS スズキ・GSX-R1000 |
18 | 0 | 0 | 0 | 0 | 28 | 18位 |
2007年 | スズキ・GSX-R1000 | 25 | 0 | 0 | 0 | 1 | 149 | 9位 |
2008年 | スズキ・GSX-R1000 | 27 | 2 | 7 | 2 | 1 | 311 | 5位 |
2009年 | スズキ・GSX-R1000 | 8 | 0 | 2 | 0 | 0 | 75 | 16位 |
2010年 | ホンダ・CBR1000RR | 26 | 0 | 0 | 0 | 0 | 54 | 18位 |
合計 | 125 | 2 | 10 | 2 | 2 | 740 |
ロードレース世界選手権
[編集]シーズン | クラス | バイク | 出走 | 優勝 | 表彰台 | PP | FL | ポイント | シリーズ順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001年 | 250cc | ホンダ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - |
2002年 | 250cc | ホンダ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - |
2003年 | 250cc | ホンダ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 31位 |
2011年 | Moto2 | FTR | |||||||
合計 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
脚注
[編集]- ^ http://www.sport-komplett.de/sport-komplett/sportarten/m/motorradsport/hst/168.html
- ^ https://web.archive.org/web/20160403021109/http://www.motogp.com/ja/riders/Lothar+Neukirchner
- ^ http://www.max-neukirchner.de/en/max
- ^ http://www.crash.net/world+superbikes/racer_bio/171/max__neukirchner.html
- ^ a b c Neukirchner out, Barros poised to join.
- ^ Kurtis Roberts replaces Neukirchner at Pedercini.
- ^ Neukirchner replaces Foret at Alstare.
- ^ https://www.afpbb.com/articles/-/2215198?pid=1533875
- ^ http://www.crash.net/motorsport/wsbk/news/161683-0/max_breaks_collarbone_in_victory_clash.html
- ^ http://www.worldsbk.com/pubb_EN/news_ext.php?id=2270[リンク切れ]
- ^ Neukirchner suffers broken femur
- ^ http://www.motorcyclenews.com/MCN/sport/sportresults/World-Superbikes/2009/July/16julywsbimolaneukirchner/
- ^ http://www.carolenash.com/insidebikes/bike-sport/suzuki-cut-ties-with-neukirchner.htm
- ^ http://uk.eurosport.yahoo.com/01112010/23/moto2-neukirchner-mz.html
外部リンク
[編集]- max-neukirchner.de マックス・ノイキルヒナー公式ウェブサイト
- worldsbk.com マックス・ノイキルヒナー経歴
- motogp.com マックス・ノイキルヒナー経歴