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カーティス・ヒューズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミスター・ヒューズから転送)
ミスター・ヒューズ
ミスター・ヒューズの画像
Mr. Hughes in 2009
プロフィール
リングネーム ミスター・ヒューズ
カーティス・ヒューズ
カーティス "ザ・キャット" ヒューズ
ビッグ・キャット・ヒューズ
ザ・ビッグ・キャット
ゴッチ・グレイシー
本名 カーティス・ヒューズ
ニックネーム トータル・プロテクション
(Total Protection)
ミスター・ミーン
(Mr. Mean)
ザ・ラフネック
(The Ruffneck)
身長 196cm
体重 140kg(全盛時)
誕生日 (1964-12-07) 1964年12月7日(59歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ミズーリ州の旗 ミズーリ州カンザスシティ
スポーツ歴 アメリカンフットボール
トレーナー サニー・マイヤース
ボブ・ガイゲル
デビュー 1988年
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カーティス・ヒューズCurtis Hughes1964年12月7日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーミズーリ州カンザスシティ出身のアフリカ系アメリカ人

用心棒ギミックヒールミスター・ヒューズMr. Hughes)での活躍で知られ、トータル・プロテクションTotal Protection)の異名を持つ[1]

来歴

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カンザス州立大学にてアメリカンフットボールで活動後、NWAセントラル・ステーツ地区のレジェンドであるサニー・マイヤースボブ・ガイゲルのトレーニングを受け、1988年にデビュー。黒人レスラーの大先輩アーニー "ザ・キャット" ラッドにあやかり、当時はカーティス "ザ・キャット" ヒューズCurtis "The Cat" Hughes)を名乗っていた。

地元カンザスシティWWAを皮切りにAWAテキサスを転戦した後、1990年秋にアーニー・ラッドのニックネームと同じザ・ビッグ・キャットThe Big Cat)の名でWCWに登場。翌1991年3月21日、新日本プロレス東京ドーム大会にビッグ・キャット・ヒューズのリングネームで初来日し、エル・ヒガンテの対戦相手を務めた[2]

その後、ソフト帽に黒スーツの用心棒キャラクターに変身し、ミスター・ヒューズMr. Hughes)と改名。サングラスを付けたまま試合を行うスタイルで注目を集める。レックス・ルガーのボディーガードを経て、1991年の末よりハーリー・レイスマネージャービッグバン・ベイダーと巨漢コンビを結成。1992年1月の"Clash of the Champions XVIII" ではリックスコットスタイナー・ブラザーズと対戦した[3]

1993年ハービー・ウィップルマンをマネージャーにWWFに短期間登場。予選でカマラを下し6月13日開催のキング・オブ・ザ・リングに出場したが、1回戦でミスター・パーフェクトに反則負けを喫している[4]。また、ポール・ベアラーから骨壷を奪うなど、ジ・アンダーテイカーとの抗争も行われた[1]

WWFを離れた後、シェーン・ダグラスのボディーガードとしてECWに参戦。1993年12月26日のPPV "Holiday Hell" ではサンドマン1994年7月16日の "Heat Wave" ではトミー・ドリーマーに勝利[1]1996年2月17日の "CyberSlam" においてはババ・レイ・ダッドリーと肉弾戦を展開した[5]。その間、1994年にはWARへ来日、3月2日の両国国技館大会にてキング・ハクと対戦している[6]

以後はWWFに単発出場し、1997年ハンター・ハースト・ヘルムスリー1999年クリス・ジェリコのボディーガードをいずれも短期間ながら務めた。一時期は170kg級の巨体だったものの、1999年の参戦時はウエイトを大幅に絞り込んでおり、当時ケン・シャムロックと抗争していたジェリコがスパーリング・パートナーに選んだ「伝説の強豪」という設定のもと、9月13日のRAW初登場の際はゴッチ・グレイシーGotch Gracie)なる覆面格闘家に扮していた[7]

セミリタイア後の2000年代からは、居住地のジョージア州アトランタをベースに各地のインディー団体にスポット参戦しており、2004年11月にはプエルトリコWWCアブドーラ・ザ・ブッチャーロックンロール・エクスプレスと対戦[1]2007年テネシー州メンフィスMemphis Wrestlingに出場し、グレッグ・バレンタインビル・ダンディーココ・B・ウェアらとレジェンド対決を行っている[1]2008年はRome Georgia Wrestlingにてボビー・イートンのボディーガードとなり、リッキー・モートン戦に介入した[1]2010年代はアトランタのWWA4にてトレーナーとしても活動している[8]

得意技

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大幅なウエイトダウンに成功し、後年の公式体重は250ポンド(約113kg)[8]

獲得タイトル

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  • IWNヘビー級王座:1回
  • IWUヘビー級王座:1回
  • SSCWヘビー級王座:1回
  • ASWブラスナックル王座:1回

脚注

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  1. ^ a b c d e f Mr. Curtis Hughes”. Online World of Wrestling. 2010年9月20日閲覧。
  2. ^ NJPW/WCW Starrcade 1991 in Tokyo Dome”. Wrestlingdata.com. 2017年2月19日閲覧。
  3. ^ WCW Clash Of The Champions #18”. Cagematch.net. 2017年2月19日閲覧。
  4. ^ WWF King Of The Ring 1993”. Cagematch.net. 2017年2月19日閲覧。
  5. ^ ECW CyberSlam 1996”. Wrestlingdata.com. 2017年2月19日閲覧。
  6. ^ WAR at Tokyo 1994/03/02”. Wrestlingdata.com. 2017年2月19日閲覧。
  7. ^ WWE Yearly Results 1999”. The History of WWE. 2010年9月20日閲覧。
  8. ^ a b WWA4 profile”. 2011年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月21日閲覧。

外部リンク

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