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清水ミチコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミッちゃんから転送)
清水 ミチコ
本名 坂田美智子
ニックネーム (清水の)ミッちゃん、シミチコ
生年月日 (1960-01-27) 1960年1月27日(64歳)
出身地 日本の旗 日本岐阜県高山市
血液型 B型
身長 162cm
最終学歴 文教大学女子短期大学部家政科卒業
事務所 ジャムハウス
活動時期 1983年 -
同期 ダウンタウン
野沢直子
現在の代表番組
過去の代表番組
他の活動
配偶者 坂田幸臣(ジャムハウス社長・運営統括責任者[1][2]
公式サイト 4325.net
受賞歴
1988年 第25回ゴールデン・アロー賞芸能新人賞[3]
1988年 リーボックベストフットワーカーズ大賞[4]
2021年 第13回伊丹十三賞受賞
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清水ミチコ
YouTube
チャンネル
活動期間 2020年 -
登録者数 23.4万人
チャンネル登録者数・総再生回数は
2024年1月5日時点。
テンプレートを表示

清水 ミチコ(しみず ミチコ、1960年昭和35年〉1月27日[5][6] - )は、日本ものまねタレントナレーター女優ラジオパーソナリティ歌手エッセイストYouTuber。ジャムハウス所属。

モノマネを得意とする。「隣人は芸のこやし[5]を座右の銘としている。

本名は坂田 美智子[7]。旧姓、清水[7]岐阜県高山市出身。私立高山西高等学校文教大学女子短期大学部家政科卒業。血液型B型

愛称は「(清水の)ミッちゃん」「シミチコ」。

人物

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マスコミから「ものまねの女王[5][8]と称されている。また本人は、自身のモノマネ芸を「(本物に近いが実は偽物の)カニカマ」と称している[8]ピアノ弾き語りモノマネ(声・歌・ピアノのタッチを真似る)・様々な芸能人の顔マネ・扮装などで知られる。モノマネを集めたCDや顔マネや溶け込みを載せた書籍も発売している)。デビュー直後の1987年頃は肩書について「(私は)お笑いタレントではありません。イミテーションシンガーと呼んでいます」と答えていた[9]

Steinway & Sonsグランドピアノを自宅に所有しており、矢野顕子などのピアノ弾き語りの物真似では、歌だけでなくピアノ演奏の物真似も自らの手で行う。ピアノ演奏はほぼ独学で習得した。また家庭科教諭免許状を取得している。

ちびまる子ちゃん』(フジテレビ)にはアニメーションでは山口百恵役で、2006年の実写ドラマ版ではまる子の母・すみれ役で出演。

三谷幸喜の作品に複数回出演しており、公私ともに親交がある。

弟の清水イチロウは高山で喫茶店を経営するほか、細野晴臣をモノマネするファンで、細野のコンサートで姉の矢野顕子モノマネとデュエットした[10]

歌手や女優をものまねすることが多いため、音楽芝居に広く精通するが、スポーツは疎く、野球は「ルールはもとより、役割(ポジション)も全くわからない」と語る。

略歴

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実家は高山市内で喫茶店を経営しており、現在は弟が継いでいる[11]。清水も継ぐためにパティシエを志し、何軒かの洋菓子店で修業していたが、その傍らでラジオ番組にネタを投稿しており[11]、短大時代にラジオ番組に投稿したネタが採用されて自信をつける。当時は親からの帰郷指令をごまかしながらアルバイトで働いており、そのアルバイト先デリカテッセンの主人の知り合いが放送作家を募集していたことがきっかけで、1983年10月にラジオ番組『クニ河内のラジオギャグシャッフル』(RKB毎日放送)の構成兼出演者となる[12][13][14]

ものまね芸やライブ活動をやる上でタモリを目標としている[8]。このためピアノの弾き語りと物まねを掛け合わせるなど、音楽と笑いから成る芸のスタイルは、元々タモリからヒントを得たものである[14]。また人気ミュージシャンの歌の世界を要約して、自ら作詞作曲して歌うネタ「作曲法」は、吉田拓郎をモチーフにする[14]。「裏テーマ」は、敬愛する松任谷由実[14]

1986年、渋谷ジァン・ジァンで初ライブ[14]。モノマネなどの芸が認められ、1987年に新人発掘番組『冗談画報』(フジテレビ)でテレビ初出演[15]したのちに、『森田一義アワー 笑っていいとも!』に出演して知名度を上げる[13]。さらに1988年にコントバラエティー番組『夢で逢えたら』にダウンタウンウッチャンナンチャン野沢直子と共に「お笑い界の次世代ホープ」としてレギュラーに抜擢され、人気を得た[8]。プライベートでは1987年、ラジオ番組の台本・構成をともに手掛けていたディレクターの坂田幸臣と結婚し、1988年に長女を出産した。

1990年代から、芸能人・政治家・その時々に世間で話題になる一般人[注 1]などの「顔まね」もやり始める[8]。以後バラエティ番組やライブ活動などで、シニカルな視点を交えたユーモアあふれるトークやデフォルメ度の高いモノマネ芸、及び高い音楽性を誇るピアノの弾き語りネタで老若男女問わず高い人気を集める[16]

2013年12月30日、自身プロデュースによる初の武道館ライブ「国民の叔母・清水ミチコの『ババとロック』in 武道館」[注 2]を開催[16]。ほどなくして毎年秋から春までの全国ツアー(年末または年始の武道館ライブを挟む)も開催し、この武道館ライブは、一部マスメディアから「年末年始の風物詩」とも言われるようになった[8]

2020年頃のコロナ禍でしばらくの間ライブ活動が減ったことをきっかけに[8]4月より、自身のYouTubeチャンネルを開設し、モノマネ等の動画を配信している。このYoutubeチャンネルで多い時に100万回再生を記録する動画もあったことなどが評価され[6]、翌2021年7月28日、第13回伊丹十三賞を受賞した[17]

エピソード

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子供時代

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幼い頃、実家は岐阜県の飛騨高山で果物やお菓子などを売る店をしており、しばらくして父が店の横にある倉庫を改装してジャズ喫茶『if』[注 3]として営業を始めた[8]。以後、実家で流れるジャズや時々父やバンド仲間が集まって演奏を聞いた[注 4]のが、音楽に接する原体験となった[8]。小学1年生でピアノ教室に通い始め、歌謡曲やCMソングを弾くのが好きになったが、教室で練習のために決められた音楽を弾くことがつまらなく感じ、短期間で辞めた[8]。小学校では教室の隅によく友達を集めて面白いことを喋っており、子供ながらに話術が鍛えられた[注 5]

中学生の頃、先輩の男子から「生徒会の副会長に立候補するから応援演説をしてほしい」と頼まれた[8]。当時人気のラジオパーソナリティのトークの手法をマネてスピーチしたところ、聞いていた全校生徒たちが爆笑の渦になり、その気持ちよさに感激した[8]。高校1年生の時、デビュー間もない矢野顕子の音楽をラジオで初めて聴いて衝撃を受けた[8]。進路を考える際、一時音大進学も考えてピアノを再び習い始めたが、後日考えが変わて辞めた[注 6]。高校3年生の頃、実家のジャズ喫茶が軌道に乗って3店舗出店するようになり、弁当屋も経営していた[6][8]。長女なため「将来店を継ぐかも」との思いや「(店を継がない場合でも)家政科に進んだら先生にもなれる」との考えから、短大の家政科に進学[6][8]

上京後のバイト生活

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短大入学を機に上京したが、以降両親からことあるごとに「飛騨高山に帰って喫茶店を手伝ってほしい」と電話で頼まれた[6]。在学中は色々な人のライブを見に行き、中でも深夜ラジオを聴いて憧れ始めたタモリのライブに衝撃を受けたという[注 7]。その後家庭科の教員免許を取って短大を卒業したが、在学中にパティシエに憧れたり、“刺激のある東京からまだ離れたくない”との思いもあって実家に帰るのを延期した[8]

自由が丘のケーキ屋で厨房のバイトをしながら、糸井重里などが講師を務めるクリエイター養成の「パロディー講座」にも通った[8]。同時期にラジオの深夜放送やサブカルチャー雑誌「ビックリハウス」に自作コントなどを投稿して時々採用されていた[8]。また、当時から桃井かおり松任谷由実矢野顕子などのモノマネをしていた[8]。ある日バイト先のケーキ屋で作ったまかない料理を店の職人から「美味しい」と褒められたことで、「自分はパティシエより惣菜関係の仕事が向いてるのかも」と感じた[8]。するとこの様子に気づいた上司の紹介で、田園調布のデリカテッセン(洋風惣菜屋)で働かせてもらうことになりバイト先を変更[8][注 8]

惣菜屋のオーナー[注 9]に上記ラジオ番組へのネタ投稿などの話をすると後日別のラジオ番組のディレクターを紹介され、「ネタのデモテープを作ってきて」と告げられた。これにより芸能界入りのチャンスをつかみ、惣菜屋のバイトを続けながらクニ河内のラジオ番組の放送作家兼出演者となった[8]。その番組では構成を考え、本番でリスナーのハガキを読み、モノマネやその他ネタを披露した[8]

タレントとして活躍

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1986年頃に持ちネタが増えてきたところで、“サブカルの聖地”と呼ばれる小劇場「渋谷ジァン・ジァン」の新人オーディションに応募[8]。テープ審査に合格し、ほどなくして同劇場で自身初のライブ『モノマネ講座』を披露した[注 10]

1987年、フジテレビのバラエティー番組『冗談画報』に初出演、さらに『森田一義アワー 笑っていいとも!』にもレギュラー出演を果たす[8]。また、ライブを収録した初アルバム『幸せの骨頂』も発表し、モノマネタレントとして知名度を上げていった[8]。同年ラジオ番組のディレクターと結婚し、翌年に長女を出産[8]。これらタレントとしての活躍や東京で結婚・出産をしたことで、それ以降両親から「実家に帰って店を手伝って」と言われることはなくなった[6]

コントバラエティー番組『夢で逢えたら』のレギュラー出演が決まり、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、野沢直子と共演。番組で彼らと様々なコントをやったが、実力の差を目の当たりにして陰で思い悩む日々を過ごした[注 11]。その後、個性的なキャラクター「伊集院みどり」を体当たりで演じ、好評を得たことで悩みを克服した[注 12]

武道館ライブについて

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2013年から始まった武道館ライブは元々、とあるアーティストが開催予定の武道館ライブをドタキャンし、これに困ったイベンターから急遽穴埋め的にライブの開催を依頼されたことから始まった[6]。武道館ライブを含む全国ツアーまでの流れは、「主に7月・8月はネタ作りで、10月頃にそのネタを覚えた後、そこから本番の日まで何度もリハーサルを行う」とのこと[8]

「音楽の聖地」とも言われる大舞台での初ライブとあって、“本格的なミュージシャンではない自分に本当にできるのかな”という強いプレッシャーがあったため、第1回は数組の豪華ゲストに出演してもらう形でのライブとなった[8][16]。第2回から単独公演をやり始めた[8][18]が、以降も回によっては弟・清水イチロウなどの出演者や有名人ゲストも登場している(後述)。その後、武道館ライブは2023年1月3日の回で10周年を迎えた[6]

家族の存在

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本人は、「私の芸のルーツは家族」としている[6]。清水が生まれる前にいた曽祖父は、自分の楽しみのために平気で嘘をついたり、人をからかうのが大好きな人だった[8]。後に曽祖父の話[注 13]を聞いた清水は「(人柄などが)私に似てる(笑)」と評しており、ものまね芸で時に見せるシニカルなトークは曽祖父の影響を受けているという[8]。また、ジャズ喫茶を経営していた父はせっかちな性格だったが、近所の人のものまねなどをして人を笑わせていたため、数多くの馴染み客から愛されていたという[6][8]

長年地元で自営業をする両親は、「お客さん第一」に明るく接客してきた[注 14]。本人もこの影響を受けていたため、その後2009年頃にラジオの本番直前に父の訃報を耳にしたが、リスナーのために普段通りのトークを披露した[注 15]

普段はものまねのネタなどを思いつくと最初に夫・坂田幸臣や娘に見てもらっている[6]。武道館ライブでは夫もステージ作りに協力し、娘夫婦は毎回観に来てくれているという[6]。また、弟のイチロウはピアノなど複数の楽器が弾ける[注 16]ことから、清水の全国ツアーに帯同して何度かライブに出演している[6][8]

主なものまねレパートリー

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  • 大竹しのぶ - 三谷幸喜らを介して交流があり、「しのぶちゃん」「ミッちゃん」と呼び合う間柄[19]。2013年のコンサートにも出演[20]。2015年1月に『ぴったんこカン・カン』(TBSテレビ)で共演し、大竹しのぶ&大竹しのぶの奇妙な対談が行われた[21]。大竹が朝日新聞夕刊で毎週金曜日に連載しているコラム「まあいいか」は、2016年4月から月1回休載となり、休載日には代わりに清水が書く「まあいいさ」が掲載されている。大竹はラジオから流れる清水のモノマネを聞いた際、自分の声かと勘違いしたという[22]
  • 黒柳徹子 - 定期的に『徹子の部屋』(テレビ朝日)に招かれており、特別編成版にも出演している。自宅に招待したこともあり、黒柳が自身の飼っていると会話していたエピソードなどを披露している。また、ものまねを気に入ったお礼に清水がライブで使用するVTRにノーギャラで出演してくれたこともある[6]
  • 平野レミ - 日頃から「平野レミ研究家」を自称。暴走ぶりに半ば呆れながらも人間的な魅力を感じているという。自宅に招かれたこともあり、平野の夫である和田誠とも交流があった。
  • 松任谷由実 - モノマネをする際は「松任谷ユーミソ」と名乗る[23]。松任谷からは「山田邦子のモノマネは自分に対しての憧れがあるけれど、清水のモノマネには毒を感じる」と言われた[24]。近年は清水を『愉快犯』と呼んだり[25]、自身のラジオ番組のゲストに呼んだり[26]と、松任谷側の対応も軟化している。
  • 桃井かおり - 映画『木村家の人びと』でライバル家族役で共演した[注 17]ほか、桃井主演の『ビューティ7』では本人が出演していないシーンで主人公のパロディを演じた。桃井側の態度は良好である。
  • 森山良子 - 森山のコンサートにもゲスト出演しており、「私以上に私らしい」と評している[27] 。息子の森山直太朗は「母かと思ったらミチコさんだった」と述べている。『徹子の部屋』には平野レミ、清水、森山の3人で「平清森(たいらのきよもり)」として出演した[28]アートネイチャー(レディースアートネイチャー)のCMでは共演している。
  • 矢野顕子 - 2009年2月15日の矢野顕子リサイタル(大阪サンケイホールブリーゼ)[注 18]や矢野の定例ツアー「さとがえるコンサート」(2012年)に参加した。矢野の娘である坂本美雨は「第二の母」と呼んで慕っている[29]。ユニット「やもり」の相方である森山は「本物のアッコちゃん(矢野)としか思えなかった」と述べている[30]。清水は高校時代に『11PM』で童謡を歌う矢野の姿を見て衝撃を受け、当時ビデオがなかった為、直ぐ様ラジカセをテレビの前に置いて矢野の歌を録音して繰り返し聞いていた。それ以来のファンで憧れの人。その度合いは凄まじく、発売当時に買ったアルバム『JAPANESE GIRL』のオリジナルのLPを帯付きで持っていたり雑誌等から矢野の記事を切り抜いてスクラップして大事にとってある程。後に矢野とは対談したり同じステージを行なう。
  • 由紀さおり - 安田祥子からは「本物の妹(由紀)としか思えなかった」と述べられている。また、清水のモノマネがきっかけで『夜明けのスキャット』や、さまざまな童謡を歌えるようになったという。コンサートにもゲスト出演しており、「ひだまり」の作詞作曲を手がけた水野良樹いきものがかり)からは「安田家の三女」と呼ばれた。由紀不在時に『コメディーお江戸でござる』『道中でござる』に出演した際、伊東四朗からは「モノマネには毒を感じる」と言われてしまった。えなりかずきは「第二の実妹(=由紀さおり)」と評し、『おやじの背中』で共演した西田敏行は「由紀さん以上に由紀さんらしい」と評している。
  • 吉田日出子 - 清水のモノマネを見てから「モノマネ以上にゆっくり話そう」と決めたという。

その他レパートリー

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以下、五十音順。

など

出演

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テレビ番組

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現在の出演

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過去の出演

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テレビドラマ

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テレビアニメ

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ラジオ番組

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ラジオドラマ

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映画

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アニメーション映画

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CM

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その他コンテンツ

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武道館ライブ

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  • 第1回公演「国民の叔母・清水ミチコの『ババとロック』 in 日本武道館」(2013年12月30日)[16]
  • 第2回公演「清水ミチコ一人武道館~趣味の演芸~」(2015年1月2日)[18]
  • 第3回公演「国民の叔母・清水ミチコの一人フェスIN 武道館 SPECIAL」(2015年12月30日)[43]
  • 第4回公演「清水ミチコ 30th Anniversary『ひとりのビッグショー』 IN 武道館 SPECIAL」(2017年1月2日)[44]
  • 第5回公演「国民の叔母 清水ミチコのひとりジャンボリー ~祝 武道館5回目スペシャル~」(2017年12月30日)[45]
    • ゲスト - 清水イチロウ
  • 第6回公演「清水ミチコ・森山良子 初夢フェス in 武道館 ~ライブでアラモード~」(2019年1月2日)[46]
  • 第7回公演「清水ミチコ BEST LIVE 2021~GoTo 武道館 with シミズ~」(2021年1月2日)[47][注 20]
  • 第8回公演「清水ミチコ大感謝祭 in 武道館~作曲法SPECIAL~」(2022年1月2日)[48]
    • 出演 - 清水イチロウ
  • 第9回公演「清水ミチコリサイタルin武道館~カニカマの夕べ~」(2023年1月2日)[49]
    • 出演 - 清水イチロウ
  • 第10回公演「清水ミチコアワー ~ひとり祝賀会~ in 日本武道館 10th anniversary」(2024年1月3日)[50]
    • 出演 - 清水イチロウ

ディスコグラフィ

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アルバム

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  1. 幸せの骨頂(1987年12月、ミディ[51]
  2. イージー・ジャパニーズ〜清水ミチコの明るい日本語講座〜(1988年5月、ミディ)
  3. 幸せのこだま(1989年11月、ミディ)
  4. miss VOICES(1990年12月、ミディ)
  5. 飴と鞭(1992年10月) - 2005年7月20日にソニー・ミュージックダイレクトから再リリース。再リリース版にはデジタルリマスター音源が使われている上に、ボーナス・トラック2曲が追加されている[52]
  6. 歌のアルバム(2005年2月23日、ソニー・ミュージックダイレクト)
  7. リップサービス(2006年11月29日、ソニー・ミュージックダイレクト)
  8. バッタもん(2009年12月23日、ソニー・ミュージックダイレクト)[53]
  9. 清水ミチコ物語(2012年3月28日、ソニー・ミュージックダイレクト)
  10. 趣味の演芸(2014年12月24日、ソニー・ミュージックダイレクト)
  1. こんな私でよかったら(1988年5月、ミディ)

シングル

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  1. 冬のホテル(1988年12月、ミディ)
  2. 月刊明星メドレー〜シブイ編〜(1992年9月、TDKレコード
  3. 愛した人はバツイチ【ナインティナイン&清水ミチコ】(1994年4月、BMGビクター
  4. ほっとっとっとな まいにちキグルミチコ】(2007年8月22日、ビクターエンタテインメント) - テレビアニメ『あたしンち』エンディングテーマ

ビデオ

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VHSビデオ

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  1. 幸せの骨頂〜ビジュアル編〜(1989年3月、ミディ
  2. miss VOICES〜これ本番ですか?〜(1991年5月、ミディ)
  3. abab phonics アブアブフォニックス(1997年、中央出版

DVD

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  1. LIVE! 清水ミチコのお楽しみ会 “リップサービス”(2008年9月17日、ソニー・ミュージックダイレクト[54]
  2. LIVE! 清水ミチコのお楽しみ会 〜バッタもん〜(2011年9月、ポニーキャニオン
  3. 私という他人(2013年4月24日、ソニー・ミュージックダイレクト)

執筆

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連載

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  • 私のテレビ日記(東京ニュース通信社テレビブロス』連載) - 1996年から2005年連載分は下記の『私の10年日記』に、2006年から2012年連載分は『主婦と演芸』に収録されている。

著書

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共著

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『〜二人』シリーズはラジオ番組『MAKING SENSE』の単行本化で、いずれも三谷幸喜との共著。『ニセ夫婦漫才』はラジオ番組『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』オープニングトークの単行本化で、高田文夫との共著。

関連書籍

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その他

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  • Off The Wall feat. 清水ミチコ - スチャダラパーの楽曲。元々は、スチャダラパーのライブ会場および公式ウェブサイト限定で販売されたミニアルバム『6ピース バリューパック』の収録曲であったが、2015年1月28日に発売されたスチャダラパー12枚目のアルバム『1212』にも公式に収録された。曲の内容は、清水がANIとBose(共にスチャダラパー)に自身のものまねをレクチャーするというもの。

脚注

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注釈

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  1. ^ 2007年に高級料亭・船場吉兆の不祥事の釈明会見で話題になった「ささやき女将」(湯木佐知子)等。
  2. ^ 以降ライブタイトルは、毎回異なる。
  3. ^ 清水によると、当時高山市内に初めてできたジャズ喫茶だったとのこと。
  4. ^ 父は若い頃からジャズ好きでウッドベースを弾いており、以後仲間とバンドを組んで公民館などで演奏していたという。
  5. ^ 本人は後年、「当時よっちゃんていう友達がいて、私がする話によく笑ってくれたんですけど、私が狙いすぎたネタを言った時は笑わないんです。だから、自然と思いついたことを喋った方が面白いと身体で覚えたんですね。私の笑いの基礎ができたのは、彼女のおかげです」と回想している[8]
  6. ^ その理由について本人は、「それまで人から褒められることといえば、ピアノが弾けることでした。でも音大では他の学生もピアノを弾けるのが当たり前なので、周りに埋もれてしまうのは嫌だなと思ったんです。音大に入ったら(子供の頃からちゃんとピアノレッスンを受けてきた同級生との差を感じて)、“自分は音楽から離れるんじゃないか?”という予感がすごく強くなったんです」と述懐している[8]
  7. ^ 本人によると、「ピアノやトランペットを演奏しながら、演芸の要素もあるというライブでした。『(有名な演奏家の)楽器の弾き方講座』という、ちゃんとした作品を壊してパロディーにしていく斬新なコーナーもありました。当時そんなのを見るのは初めてだったので、『音楽と笑いを両立させるなんてすごい!自分もこういう人になりたい!』と思ったんです」と回想している[8]
  8. ^ この時も、両親には「飛騨高山にはない店だから、(将来実家の店を継ぐための)修行のつもりでもうちょっと東京で働いてみるね」と実家に帰るのを延期し続けた[6]
  9. ^ この人物は面倒見が良く、清水からお笑いとピアノ好きなことを聞いて店の2階にあるピアノをバイト終わりに自由に弾かせてくれたとのこと。
  10. ^ この数日前、劇場スタッフが永六輔がものまね好きであることを知っており、オーディション時の清水のデモテープを試しに聞いてもらった。永が清水のものまねを気に入ったことから、客としてこのライブを観に来ることになった。ライブ終了後、清水は永から「君はネタはプロだけど生き方(ライブでテキトーなお辞儀をしていた等)がアマチュアだ」とダメ出しを受けたという[8]
  11. ^ 本人は、「ダウンタウン、ウッチャンナンチャンは、“笑いで天下を取ってやろう!”という意気込みで臨んでたんだと思うんだけど、私にはそんな覚悟はない。前もって考えたネタはウケるけど、コントで彼らにアドリブを仕掛けられても、私は対応できない。“やっぱり自分は素人芸だったんた”って分かったんです。(それまでのライブなどでは)ずっと一人でやってきて人と絡むということがなかったですから、(本作のコントを通じて)本当の自分を映す鏡を見せられたような気がしましたね」と述懐している[8]
  12. ^ 本人は「伊集院みどりは、“後ろから見ると美人なのに振り返ったら不細工”というキャラクター設定でした。そこからさらに設定を掘り下げて、自分の欠点を誇張したメイクを施し、自意識過剰で性格の悪い女として思いっきり演じてみたんです。するとそれが大ウケして、その後行われた番組の『キャラクターの人気投票』で1位を獲得したんですよ。その時、皆(共演者・スタッフ)に恩返しができたような、まるで借金を返せたような気持ちになれましたね。」と回想している[8]
  13. ^ 清水の両親もこの人物に会ったことはなかったが、ある日弟・清水イチロウが近所の高齢者から曽祖父の人柄やエピソードを聞き、弟経由で彼女に伝えられた。それによると曽祖父は不謹慎な所があり、病気で死にそうな人がいると“○○がとうとう死んだみたいだ”などと周りに言いふらし、お坊さんがその家に行ってしまったこともあるという[8]
  14. ^ 清水の祖母に不幸があった時も、両親は来てくれるお客さんのために店の営業を続けるほどだった[6]
  15. ^ 本人は後年、「あの時“このまま本番に臨んで大丈夫なのか”と心配だったんです、実際に本番が始まると不思議と落ち込まず、泣かずに楽しくトークができたんです」と述懐している[6]
  16. ^ この他、サクソフォン、ベース、ギター、三味線が演奏できる。
  17. ^ その初顔合わせ台本の読み合わせをする際、桃井が遅刻してしまったという。清水によると「(以前から清水が桃井のものまねをすることを知っていた)監督が面白がって、私がモノマネで桃井さんのセリフを代読することになったんです。その後現場に来た桃井さんは『いい味出してくれちゃって。(代わりに読み合わせしてくれて)ありがとう』って笑ってくれました」と回想している[6]
  18. ^ 矢野とのデュエット「いもむしごろごろ」は清水のアルバム『バッタもん』ボーナストラックに収録された。
  19. ^ 具体的には、長渕の顔真似をした後日、彼の事務所から連絡が入って「長渕からお話があるそうです。今度東京でライブがあるのでよろしければ観に来て下さい」と告げられた。ライブ鑑賞後、長渕から直接「(ライブで)新しい俺を見てくれましたか?また今度俺をマネしてください」と言われ、グッズやカレンダーなどをプレゼントしてくれたとのこと[8]
  20. ^ 詳細は不明だが、清水の他に出演者がいた模様[47]

出典

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  1. ^ 林家ペー林家パー子 (2011年4月5日). “林家ぺー・パー子 公式ブログ/やりすぎコージー”. GREE. 2018年4月23日閲覧。
  2. ^ 特定商取引法に基づく表記 - 4325shop”. 2018年4月23日閲覧。
  3. ^ 歴代ゴールデン・アロー賞受賞者一覧” (PDF). 日本雑誌協会. 2017年9月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月23日閲覧。
  4. ^ a b c d e information”. 4325.net - 清水ミチコオフィシャルHP. 2018年4月23日閲覧。
  5. ^ a b c #39「清水ミチコ」ワールド(2012年9月13日放送)”. BS日テレ・竹中直人の大人の笑い. BS日本. 2015年4月26日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『女性自身』2024年1月16・23日号.
  7. ^ a b 『現代日本人名録 98』(日外アソシエーツ、1998年)p.1382。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap 『週刊女性』2023年12月19日号.
  9. ^ 東京スポーツ新聞社『東京スポーツ』2024年5月9日A版14面「今週のもう1枚!清水ミチコ」
  10. ^ 細野晴臣、ナイツ&清水姉弟が駆けつけたツアー東京公演”. 音楽ナタリー (2017年11月21日). 2018年11月20日閲覧。
  11. ^ a b 清水ミチコの実家、飛騨のジャズ喫茶に行ってみた”. 日刊SPA! (2012年3月4日). 2020年11月6日閲覧。
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  54. ^ ディスコグラフィ 清水 ミチコ - ソニーミュージックオフィシャルサイト

参考文献

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  • 「人間ドキュメント「音楽と笑いの融合を突き詰め続けるトップランナー」清水ミチコ」『週刊女性』2023年12月19日号、主婦と生活社、2023年12月5日、36-42頁、JAN 4910203631238 

外部リンク

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