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北林谷栄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
きたばやし たにえ
北林 谷栄
北林 谷栄
女中ッ子』(1955年)の撮影現場。田坂具隆監督と北林谷栄
本名 安藤 令子/蓮以子
あんどう れいこ
生年月日 (1911-05-21) 1911年5月21日
没年月日 (2010-04-27) 2010年4月27日(98歳没)
出生地 日本の旗 日本東京府東京市京橋区竹川町
(現在の東京都中央区銀座
死没地 日本の旗 日本・東京都世田谷区
職業 女優声優
ジャンル 舞台映画テレビドラマ
活動期間 1936年 - 2003年
配偶者 なし(離婚歴あり)
著名な家族 長男(河原朝生
主な作品
舞台
『泰山木の木の下で』

テレビドラマ
繭子ひとり
前略おふくろ様』〈第一シリーズ〉
高原へいらっしゃい
琉球の風
映画
キクとイサム
にあんちゃん
喜劇 にっぽんのお婆あちゃん
にっぽん昆虫記
橋のない川
利休
大誘拐 RAINBOW KIDS
阿弥陀堂だより

アニメ
となりのトトロ
受賞
日本アカデミー賞
最優秀主演女優賞
1991年大誘拐 RAINBOW KIDS
最優秀助演女優賞
2002年阿弥陀堂だより
ブルーリボン賞
主演女優賞
1959年キクとイサム
その他の賞
キネマ旬報賞
主演女優賞
1991年『大誘拐 RAINBOW KIDS』
助演女優賞
2002年『阿弥陀堂だより』
毎日映画コンクール
女優主演賞
1959年『キクとイサム』
1991年『大誘拐 RAINBOW KIDS』
紀伊國屋演劇賞
個人賞
1972年『泰山木の木の下で』
1982年『タナトロジー』
1997年『黄落』
芸術祭
奨励賞
1958年
紫綬褒章
1978年
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北林 谷栄(きたばやし たにえ、1911年明治44年〉5月21日 - 2010年平成22年〉4月27日)は、日本の女優声優。本名は安藤 令子[1][2][3] / 蓮以子(あんどう れいこ)[4][5]。長男は画家の河原朝生

劇団民藝の創設に参加し、30代から老け役を演じてきた「日本一のおばあちゃん女優」で、老け役の代表格であった。

来歴・人物

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生い立ち

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1911年(明治44年)、東京市京橋区竹川町(現在の東京都中央区銀座)の洋酒問屋「大野屋」に生まれる[6]。父方の祖母の手で育てられる。「れいこ」と名付けたのも、「蓮以子」という漢字をあてたのもこの祖母とのこと。北林はこの祖母を終世愛し、強い影響を受けた[7][8]

幼いころから家族に連れられて寄席、芝居、映画に親しみ、家にあった円本全集等、多種多様な大人向けの本を読みふける。1920年(大正9年)、第一次世界大戦の戦後恐慌の折に銀座の店舗兼自宅は取引先の銀行に取られ、木挽町に転居した。1923年(大正12年)、小学6年生のとき、関東大震災では実家は焼けて火事の中を逃げまどい[9]、虐殺された朝鮮人の遺体を見て強い衝撃を受ける[6]。被災後、実家はさらに傾いていく。1929年(昭和4年)、山脇高等女学校を卒業した。

女優として

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築地座の舞台を見て演劇に惹かれ、新劇女優を志し1931年創作座の研究生となる。1935年に初舞台の「温室村」で主役を務める。

1936年新協劇団へ入団し築地小劇場の『どん底』ナスチャ役(ルカ役は滝沢修、ペペル役は宇野重吉、錠前屋役は小沢栄太郎)で同劇団での初舞台を踏み注目を集める。久保栄を「お師匠さま」と仰ぎ、以前から知り合いであった宇野重吉や、信欣三[10]と3人でサークル「文殊会」を組む。1940年、左翼的とみなされた同劇団は国策により強制的に解散させられた。戦時下の1942年、北林は宇野、信らとともに移動劇団・瑞穂劇団(大政翼賛会傘下の日本移動演劇連盟に加盟)を結成し、各地を巡演した。この時期に『左義長まつり』(とんどまつり、久保田万太郎演出)で、宇野の強い押しで初めて老女役を演じる。戦時中は「帝大新聞」の編集や少女雑誌の記者としても働いていた。

北林谷栄の芸名は20歳の頃に長野県を旅した時に、林、谷川の美しさに感動してつけたという。

1945年に画家の河原冬蔵と結婚し1男1女を儲けたが、北林が仕事で地方に出かけている最中に幼い娘が火傷で不慮の死を遂げ[7][11]、夫とは後に離婚している。

1947年、宇野や滝沢らと民衆芸術劇場を設立した。1950年には劇団民藝創立に加わり、以後幹部女優として『かもめ』、『泰山木の木の下で』など多くの舞台に出演した。

映画デビューは1937年公開の成瀬巳喜男監督の『禍福』だった。黒澤明監督の『醜聞』では志村喬演じる老弁護士の妻を演じた。その後『原爆の子』などで個性的な老婆を演じ評価を高めていった。1956年市川崑監督の『ビルマの竪琴』には、物売りの老婆役で出演し民衆のたくましさ、豊饒さを演じた[12]1985年に同監督でリメイクされた『ビルマの竪琴』でも同役で出演している。1959年の『キクとイサム』では混血児の孫を育てる祖母を演じ、第10回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞した。そのほか今村昌平監督作『にあんちゃん』、『にっぽん昆虫記』、市川崑監督作『』、今井正監督作『喜劇 にっぽんのお婆あちゃん』、岡本喜八監督作『肉弾』など数多くの名作・話題作に立て続けに出演した。山本薩夫監督の『華麗なる一族』では、他作品でのおしゃべりな印象の演技とは異なり、出番も少なく、台詞は「あっ、そう」の一言ぐらいと笑い声だけという佐橋総理夫人を演じた。

銀座わが町』(1973年)や『鬼平犯科帳』第1シーズン第13話「笹やのお熊」(1989年)では、本人の生まれ同様の口跡爽やかな江戸っ子も演じた。

1975年には大泥棒ホッツエンプロッツを元にした『お尋ね者ホッツェンプロッツ』を作・演出している。1978年紫綬褒章を受章した。1980年、半年間ロンドンに留学し、演劇を勉強した。

声優としてはベティ・デイヴィスヘレン・ヘイズの吹き替えを担当した。また、ディズニー・アニメの日本語版(旧版)では、女王マレフィセント、トレメイン夫人といった悪役を切れ味鋭く演じた。1988年に公開された宮崎駿監督の『となりのトトロ』では、大垣勘太(カンタ)のおばあちゃん役を担当し、幅広い世代に名前を知られることとなった。

1989年7月19日にドラマ撮影のため滞在していたアメリカ・オレゴン州で脳動脈瘤破裂で倒れ、一時は生死すら危ぶまれた[13][14]が大手術とリハビリが功を奏し、翌1990年に舞台で復帰した。1991年公開の映画『大誘拐 RAINBOW KIDS』で可愛らしくも転んでもタダでは起きない強かで得体の知れない老ヒロイン ・柳川とし子刀自を演じ、映画もヒットし、日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞するなど各映画賞を総なめにするなど、健在振りを示した[15]

2002年公開の『阿弥陀堂だより』では、既に脚が悪くなり、歩行も覚束ない状態であったが、主演を務めたのが劇団民芸創設時からの盟友であった宇野重吉の息子・寺尾聰であることから出演を快諾し、阿弥陀堂を守る老女を演じ、日本アカデミー賞・最優秀助演女優賞を受賞した。

2003年4月11日から13日まで世田谷パブリックシアターで催された舞台「北林谷栄の世界『蓮以子 93になった』」が公の場に出た最後となった。以後も出演交渉はあったがすべて断り、静かに余生を送った。

2010年4月27日午後8時40分、肺炎のため東京都世田谷区の病院で死去した[16]。満98歳没(享年100)。北林の訃報に劇団民藝の後輩である奈良岡朋子大滝秀治が哀悼のコメントを発表した[17]

没時、北林は日本の演劇人の中で長岡輝子に次ぐ高齢者であった。

老け役について

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若い頃から老け役が多く、30代後半で、既に「老女役は北林」と評され、日本を代表するおばあちゃん役者として知られた(元々1930年代の頃の映画界や演劇界での年寄り役は、重要な役どころは少なく、どちらかというと物語の都合上、辻褄合わせに登場する機会が多かったとされる[18])。年寄り役は台本での書かれ方も役者の年寄りの演技もお粗末なものだったため、北林曰く「当時の女優たちにとっておばあさん役は貧乏くじを引くようなものだった」。加えて「おばあさん役は美人な女優にはオファーされることが少なく、大抵はブスな人が演じていた」とのこと[18]

このことに不満を持っていた北林は、しょっちゅう宇野に「年寄り役の人物描写をもっと掘り下げるべき」などと述べていた。すると、ある日、宇野から先述の『左義長まつり』で重要な位置づけのおばあさん役[19]を依頼されて出演すると、当時30代だった北林にとって初めての老け役となった[18]。「依頼してくれた宇野に絶対に恥をかかせまい」という一心で懸命に演じると、このおばあさん役が好評を得たという。

これをきっかけに多くの作品で老女役を依頼されるようになり、特に映画・テレビ共に、田舎の農村・漁村・山村で生活するおばあさんを演ずることが多かった。衣装は自前であった。盛岡の朝市のおばさんの着物や朝鮮人のおばあさんの古着など、「生活の苦汁」がしみ込み「生活の垢」がついたキモノを集めて愛蔵し、さまざまな役に応じて着なしていた[20][21]。地方公演の際、農家に案山子の服がほしいと頼んだこともある[22]。また映画『キクとイサム』では、役作りのため前歯を抜いたという。また役作りについても、映画『ビルマの竪琴』のリメイク版にオリジナル版と同じ物売りの老婆役で出演した際は、老婆の芝居に磨きをかけるため、事前に軍事政権下のミャンマー(当時はビルマ連邦社会主義共和国)を訪れて取材するなど、研究熱心な一面もあった[23]

一時は業界の一部から“バカの一つ覚え”と言われることもあった[18]が、それを意に介さず老女役を演じ続けた。老け役として認知されてきたある日、宇野から「あんたよくババァ役ばっかりやって飽きねーな」と言われ、腹を立てて「ババァ役を初めに依頼したのはあんたでしょ」と言い返したとのことである[18]

家族

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  • 祖父・安藤又吉(1858年生) ‐ 岐阜・安藤喜七の三男。[24]
  • 祖母・寿々(1862年生) ‐ 幕府御用達菓子商・金沢三右衛門の三女。次代の金沢三右衛門(1846年生)は東京麦酒創業者。[25][26]
  • 父・安藤勝次(1885年生) ‐ 又吉・寿々の長男。洋酒問屋「大野屋」店主。[24]
  • 母・らく(1890年生) ‐ 東京・島野金次郎の三女。三輪田高等女学校卒。[24][27]
  • 夫・河原冬蔵 ‐ 画家
  • 長男・河原朝生(1949年生) ‐ 画家。[28]
  • おじ・平居(平井)均(1898年生) ‐ 日本初の創作版画画廊「版画荘」主人。商館支配人の四男として生まれ、弁護士の叔父の養子となり、東京外国語学校ドイツ語科卒業後、ドイツ光学機器輸入販売店カールツァイス社で部長を務め、養父の遺産で銀座並木通りで画廊を経営した。ブルーノ・タウトの著作の翻訳も担当した。姪の谷栄は、均の蔵書『近代劇全集』などを耽読し、新劇を志すことになったという。[29]

受賞

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主な出演

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舞台

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戦前

民衆芸術劇場

  • 破戒(1948年) - 猪子夫人
  • 山脈(1949年) - 村上たま

劇団民藝

  • かもめ(1950年) - アルカーヂナ
  • その妹(1951年) - 綾子
  • 山びこ学校(1951年) - 藤三郎の母
  • 炎の人(1951年) - ベルト・モリゾウ
  • 厳頭の女(1952年) - 来宮愛子
  • 十三階段(1952年) - メリー村島
  • 五稜郭血書(1952年) - 老婆
  • 神は知っていた(1954年) - マルチド・カンピオン
  • 闇の力(1954年) - マトリョーナ
  • 女の声(1955年) - 森京秀代
  • 最後の人びと(1956年) - フェドーシャ
  • アンネの日記(1956年) - エディス・フランク
  • 漁船天佑丸(1957年) - トリュウス
  • 島(1957年、1959年、1968年、1975年) - 川下きん
  • 運命(1958年) - 英子
  • 法隆寺(1959年) - 板谷しげの
  • どん底(1960年) - ナースチャ
  • 火山灰地(1961年) - 駒井ツタ
  • 根っこ(1962年) - ビーティ・ブライアント
  • オットーと呼ばれる日本人(1962年) - 宋夫人と呼ばれるアメリカ女性
  • 泰山木の木の下で(1963年、1972年、1990年、2001年、2002年、2003年) - ハナ
  • 初恋(1963年)
  • 冬の時代(1964年)
  • バラが問題だ(1966年)
  • 報いられたもの(1966年)
  • 鋤と星(1969年) - ミセス・ゴーガン
  • にんじん(1970年) - ルピック夫人
  • 輩語(1974年) - 朗読
  • お尋ね者ホッツェンプロッツ(1975年)作 / 演出
  • アディオス号の歌(1975年) - 千々岩たま
  • 七人みさき(1976年) - 桐
  • 奇蹟の人(1976年)
  • 我が家は楽園(1977年) - ルーシー・クーパー
  • ちいさな広場(1979年) - ドンナ・カッテ
  • 家族展覧会(1979年) - ララ
  • 廃屋のパーティー(1981年) - エリアーヌ・パーキントン・シンプリン
  • 六道御前(1982年、石牟礼道子原作) - 六道
  • 朝を見ることなく(1982年) - 呉己順
  • タナトロジー(1982年) - 妻
  • わたしは生きたい(1983年) - ファニー・ファレリー
  • ハリウッドの反逆(1985年) - リリアン・ヘルマン
  • 離れのある家(1987年) - モト
  • ドストエフスキーの妻を演じる老女優(1988年) - 彼女
  • 鼬(1989年) - おかじ
  • ハロルドとモード(1990年) - モード
  • 人を喰った話(1991年) - 婆っこ
  • ガイジン(1992年) - エラード・シムズ
  • 「死の三題話」脚色・出演
  • 熊楠の家(1995年) - お品
  • 波のまにまに お吉 (1996年)演出/出演 - 伊勢善のおかみ
  • グラバーの息子(1997年) - 加賀マキ
  • 根岸庵律女(1998年) - 八重
  • かの子かんのん(2000年) - 瓜生房

映画

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太字の題名はキネマ旬報ベストテンにランクインした作品

キクとイサム』(1959年)

テレビドラマ

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ドキュメンタリー

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ラジオドラマ

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  • 海暮色(1977年10月15日、NHK) - あさ 役

吹き替え

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俳優

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アニメ

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エッセイ集

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折々にエッセイを『世界』『悲劇喜劇』『民藝の仲間』『室内』などに書き、それらをまとめたエッセイ集が2冊刊行されている。

  • 『蓮以子八〇歳』 新樹社 1991/05 ISBN 4787584014
  • 『九十三齢春秋』(きゅうじゅうさんれいしゅんじゅう) 岩波書店 2004/03 ISBN 4000226118

脚註

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  1. ^ sankei おばあちゃん役で定評、女優・北林谷栄さんが死去 Archived 2010年9月14日, at the Wayback Machine. (2010.5.6 15:48)
  2. ^ asahi.com 俳優の北林谷栄さん死去 98歳、日本の「おばあさん」 Archived 2010年6月19日, at the Wayback Machine. (2010年5月6日16時36分)
  3. ^ 1995年サライ13号掲載インタビュー。『上手な老い方』所収
  4. ^ 『蓮以子八〇歳』
  5. ^ 『九十三齢春秋』10ページ
  6. ^ a b 北林谷栄 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」コトバンク 2018年8月22日閲覧。
  7. ^ a b 「自画像」『蓮以子八〇歳』28-40頁
  8. ^ 「「人間」を追いかけて」『九十三齢春秋』3-41頁
  9. ^ 「こどもが大人になったトキ!」『九十三齢春秋』160-163頁
  10. ^ 北林のエッセイによれば、信とは同時期に同じ幼稚園に通っていたらしいとのこと。
  11. ^ 『九十三齢春秋』54ページ
  12. ^ 「北林谷江さんのこと」『民藝の仲間』第226号1983年。『石牟礼道子全集 不知火 第14巻』(藤原書店 2008年)所収
  13. ^ 「開頭手術からの生還」『蓮以子八〇歳』
  14. ^ この際、甘美な臨死体験をしたと語っている。詳細は『証言・臨死体験』および『話せばわかる』参照。
  15. ^ 本編クレジットのキャスティングは風間トオルらがトップに出て来るが、実質的には北林が主演で、公開後の作品紹介では北林が主役の扱いになっている。
  16. ^ 「となりのトトロ」にも…名老婆役の女優 死去していた Archived 2010年5月9日, at the Wayback Machine. スポーツニッポン 2010年5月6日閲覧
  17. ^ “おばあさん役”北林谷栄さんが死去[リンク切れ] サンケイスポーツ 2010年5月6日閲覧
  18. ^ a b c d e 映画「阿弥陀堂だより」のDVDのメイキング映像より。
  19. ^ 北林によると「宇野が演じる人物の母役で、寝小便ばかりしている設定」。
  20. ^ 「生活の苦汁を着る」『蓮以子八〇歳』
  21. ^ 「人はボケるにあらず」『九十三齢春秋』112-118ページ
  22. ^ 1995年サライ13号掲載インタビュー。『上手な老い方』所収。
  23. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P340
  24. ^ a b c 『人事興信録 7版』1925「安藤勝次」
  25. ^ 金沢三右衛門『立身致富信用公録 第6編』 國鏡社 1902
  26. ^ 金沢三右衛門『東洋実業家詳伝 第3編』久保田高吉 博交館 1894
  27. ^ 『大衆人事録 第3版』1930「安藤勝次」
  28. ^ 北林谷栄コトバンク
  29. ^ 古本夜話459 明治書房、版画荘、石川淳『白描』出版・読書メモランダム、2015-03-09
  30. ^ となりのトトロ”. 金曜ロードSHOW!. 2016年6月5日閲覧。
  31. ^ ドラマ 静かなる爆薬 - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
  32. ^ 「北林谷栄さんのこと」『民藝の仲間』第226号1983年。『石牟礼道子全集 不知火 第14巻』(藤原書店 2008年)所収

参考図書

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  • サライ編集部『上手な老い方―サライ・インタビュー集 橙の巻 (Serai books) 小学館 1999年(初出:『サライ』1995年13号)
  • 養老 孟司『話せばわかる―養老孟司対談集 身体がものをいう』清流出版 2003年(1999年11月収録)
  • 立花隆『証言・臨死体験』文藝春秋 1996年(初出:『クレア』1995年2月号ー1996年7月号)

外部リンク

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