ミハイル・ルコーニン
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ミハイル・ルコーニン | |
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誕生 |
Михаи́л Кузьми́ч Луко́нин 1918年10月29日 ロシア社会主義連邦ソビエト共和国アストラハン |
死没 |
1976年8月4日(58歳没) ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、モスクワ |
墓地 | ノヴォデヴィチ墓地 |
職業 | 詩人 |
最終学歴 | マキシム・ゴーリキー文学大学 |
ジャンル | 愛国詩、反戦詩 |
文学活動 | 社会主義リアリズム |
主な受賞歴 |
スターリン賞(1948年) ソビエト連邦国家賞(1973年) |
影響を受けたもの
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ウィキポータル 文学 |
ミハイル・クジミッチ・ルコーニン(ロシア語:Михаи́л Кузьми́ч Луко́нин、ラテン文字表記例:Mikhail Kuzmich Lukonin、1918年10月29日 - 1976年8月4日)は、ロシアアストラハン出身の詩人。
1948年にスターリン賞を受賞し、1973年にはソビエト連邦国家賞を受賞した。1942年以降はソビエト連邦共産党のメンバーとなった。
生涯
[編集]1918年10月29日、ロシアのアストラハンに郵政労働者の家庭に生まれるが、1920年に父がチフスにより死去する。
幼少期はヴォルゴグラードで過ごし、ヴォルゴグラードのトラクター工場(en:Volgograd Tractor Factory)で働いた[1]。
1937年にスターリングラード教育大学を卒業し、1938年から1941年にかけてマキシム・ゴーリキー文学大学に通った。
1942年からはソビエト連邦共産党のメンバーとなった。
1951年には戦災復興に従う復員兵たちをうたった詩集『平和への道(Дорога к миру)』を著し、当時のロシアを景気付けた。
1976年8月4日に亡くなる。その後ノヴォデヴィチ墓地に埋葬された。
作品
[編集]- 1938年、『Разбег』
- 1947年、『Сердцебиение』
- 1948年、『Рабочий день』
- 1950年、『Лирика』
- 1951年、『平和への道(Дорога к миру)』
- 1960年、『Признание в любви』
- 1962年、『Клятва』
- 1963年、『Товарищ поэзия』
- 1964年、『Преодоление』
- 1973年、『Передовая』
脚注・参考文献
[編集]脚注
[編集]- ^ 万有百科大事典 1973, p. 700.