モンセフ・マルズーキ
モンセフ・マルズーキ المنصف المرزوقي | |
モンセフ・マルズーキ(2012年11月)
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任期 | 2011年12月13日 – 2014年12月31日 |
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首相 | ベージー・カーイド・アル=セブシー ハンマーディー・ジバーリー アリ・ラライエド メフディ・ジョマア |
任期 | 2001年7月24日 – 2011年12月13日 |
出生 | 1945年7月7日(79歳) フランス領チュニジア、グロンバリア |
政党 | 共和国のための会議(CPR) |
出身校 | ストラスブール大学 |
配偶者 | ベアトリクス・ライン |
宗教 | スンナ派 |
モンセフ・マルズーキ(アラビア語: المنصف المرزوقي, ラテン文字転写: al-Munṣif al-Marzūqī、1945年7月7日 - )は、チュニジアの人権活動家、内科医、政治家。2011年12月12日に制憲議会で同国大統領に選出され、3年間務めた。
人権活動
[編集]グロンバリアに生まれ、フランスのストラスブール大学で薬学を学んだ。1979年に帰国すると、スースにコミュニティ・メディシン・センターを設立する一方、児童虐待防止のためのアフリカ・ネットワークを結成した。チュニジア人権同盟にも加わった[1]。マハトマ・ガンジーの非暴力抵抗運動を学ぶためインドを旅し[2]、アパルトヘイトから転換した南アフリカ共和国も訪ねた[3]。
政治活動
[編集]1991年に政府がイスラーム主義政党のナフダに徹底した弾圧を加えると、マルズーキは彼に法を順守させようとして呼びよせたザイン・アル=アービディーン・ベン・アリー大統領と対決した[3]。1993年には「良心の囚人の国家防衛委員会」創立委員となったが、委員会が政権の支持者に乗っ取られたのち辞めさせられた。虚偽報道の喧伝や、禁止されているイスラーム主義団体に関与したかどで、何回か起訴もされた。その後、自由国民委員会を結成。アラブ人権委員会の委員長に就任し[1]、2011年1月17日現在、その役員でもある[4]。
2001年に設立した共和国のための会議(CPR)は[5][6]、2002年にその活動が禁止された後は、フランスに移って活動を続けた[1]。
ジャスミン革命でベン・アリー大統領が亡命したのを受けて、マルズーキはチュニジアへの帰国と大統領選への立候補の意思があることを表明した[1]。
大統領職
[編集]2011年12月12日、チュニジアの制憲国民議会は賛成155票、反対3票、棄権42票でマルズーキを暫定大統領に選出した[7][8]。棄権は野党のボイコットによるもので、新憲法を非民主的だと指摘していた。
就任から一夜明けた12月14日には、ナフダのハンマーディー・ジバーリーを首相に指名した[9]。ジバーリー内閣は12月20日に発足した[10]。
2012 年、モンセフ マルズーキはチュニジアとリビアの合併を呼びかけました。[1].
その後、マルズーキは2014年3月にジャスミン革命以降発令され続けていた非常事態令を解除し、翌月には財政状況の悪化を理由に自身の報酬を従来の3分の2に削減した[11]。また、同年にはチュニジアにおけるいわゆるアラブの春を成功に導いた功績を評価されて、ノルウェー放送協会 (NRK) からノーベル平和賞の最有力候補に挙げられた[12]。同年12月末に大統領を退任。
2021年11月、モンセフマルズーキは、国家の安全を危険にさらしたとして国際的な逮捕状の対象となりました。[13]。
「神への冒とく」判決問題
[編集]2012年3月28日、2人の男が「神への冒とく」によって有罪判決を受け、7年半の懲役刑に服することになった。2人はネット上に、預言者ムハンマドと妻アーイシャがセックスをしているイメージ画を投稿していた[14]。マルズーキは5月のアルジャジーラ英語版とのインタビューで、この一件によって、チュニジアにおける市民の自由が脅威に晒されているとは感じないと答えた[15]。
5月3日にはさらに、ネスマTVオーナーのナビール・カルーイなど3名が「神への冒とく」と「公序良俗をかく乱した」かどで有罪となった。ネスマTVは、神の視覚表現がある2007年の映画「ペルセポリス」の吹き替え版を放送することにしていた。責任者であるカルーイには2400ディナール、映画の吹き替え制作に携わった放送局の番組編成ディレクターと女性団体代表にはそれぞれ1200ディナールが罰金として科せられた[16]。この件について、マルズーキはチュニスの大統領宮殿で記者らに「この評決は、チュニジアのイメージを悪くするのではないか。いま、チュニジアについて話している世界中の人々は、もれなくこのことを話題にしているだろう」と述べた[17]。
脚注
[編集]- ^ a b c d “Moncef Marzouki declares presidential candidacy”. Al Arabiya. (16 January 2011). オリジナルの2011年1月17日時点におけるアーカイブ。 2011年1月16日閲覧。
- ^ “Marzouki: Tunisia’s opposition stalwart turned president”. English.alarabiya.net (2011年12月13日). 2012年4月11日閲覧。
- ^ a b Coll, Steve. "The Casbah Coalition. Tunisia's second revolution", The New Yorker, 4 April 2011. retrieved on April 30, 2011.
- ^ “What is the Arab Commission for Human Rights” (2011年). 2011年1月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月17日閲覧。
- ^ “Déclaration constitutive”. Congress for the Republic (2001年7月24日). 2011年1月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月17日閲覧。
- ^ “Première liste des membres fondateurs du CPR”. Congress for the Republic. 2011年1月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月17日閲覧。
- ^ “Tunisia’s assembly elects human rights activist as interim president”. Washington Post. (2011年12月12日) 2011年12月12日閲覧。 [リンク切れ]
- ^ “Tunisian activist, Moncef Marzouki, named president”. BBC News. (2011年12月12日) 2011年12月12日閲覧。
- ^ Mzioudet, Houda (14 December 2011), “Ennahda’s Jebali Appointed as Tunisian Prime Minister”, Tunisia-live.net, オリジナルの2012年1月17日時点におけるアーカイブ。 21 December 2011閲覧。
- ^ Tunisian PM presents new government, AFP, (20 December) 21 December 2011閲覧。
- ^ http://www.aljazeera.com/news/middleeast/2014/04/tunisian-president-cuts-own-pay-two-thirds-2014418133335471788.html
- ^ 木村正人 (2014年10月10日). “ノーベル平和賞は「アラブの春」を成就させたチュニジア大統領か”. 2014年10月10日閲覧。
- ^ Jeune Afrique (2021年11月5日). “Tunisie : Moncef Marzouki visé par un mandat d’arrêt international”. 2021年11月5日閲覧。
- ^ Tunisia Chief backs Conviction for Islam insult
- ^ http://www.aljazeera.com/programmes/talktojazeera/2012/05/201251282833168287.html
- ^ http://www.tunisia-live.net/2012/05/03/owner-of-nessma-tv-fined-2400-dinars-in-persepolis-trial/
- ^ Time. (3 May 2012). http://globalspin.blogs.time.com/2012/05/03/controversial-tunisian-court-ruling-reflects-dilemmas-of-the-arab-spring/
外部リンク
[編集]党職 | ||
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