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モーラ (レーシングチーム)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社モーラ
MOLA INTERNATIONAL CO., LTD.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
211-0014
神奈川県横浜市神奈川区入江1-28-9
もりふじビル2階
設立 1988年1月
業種 サービス業
法人番号 6020001024643 ウィキデータを編集
代表者 代表取締役 花輪幸夫
資本金 1,400万円
外部リンク http://mola-international.co.jp/
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MOLA
S Road MOLA GT-R(2014年シーズン車両)
S Road MOLA GT-R(2014年シーズン車両)
国籍 日本の旗 日本
チーム代表 花輪幸夫(代表)
大駅俊臣(監督)
活動期間 1990年 - 現在
カテゴリ 全日本F3000
SUPER GT
N1耐久
チームズ
タイトル
SUPER GT 3(2008(GT300),2011(GT500)),2012(GT500)
N1耐久 1(1996(C-2))
ドライバーズ
タイトル
SUPER GT 3(2008(GT300),2011(GT500),2012(GT500))
公式サイト MOLA INTERNATIONAL
2017年のSUPER GT (GT500)
エントリー名 MOLA
レーサー 日本の旗 本山哲
日本の旗 千代勝正
マシン 46. S Road CRAFTSPORTS GT-R
タイヤ ミシュラン
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株式会社モーラ: MOLA INTERNATIONAL CO., LTD.)は、神奈川県横浜市に本社を置く日本の企業。レーシングカーのメンテナンスなどモータースポーツ関連事業を手掛ける他、かつては独自のレーシングチームの運営も行っていた。

概要

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2011年度参戦車両

1988年1月に神奈川県相模原市で設立され、レーシングカーのメンテナンスと設計を主業務として事業を開始。中でもマツダとは一時深い関係で、1990年代にはマツダスピードワークス車両のメンテナンスを請け負っていた。また過去にはスポーツランドSUGO筑波サーキット仙台ハイランドなどのラップタイム計測システムなどを手がけた。

レース活動

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1990年にレーシングチームを発足し全日本F3000選手権に参戦、独自チームでのレース活動を開始した。全日本F3000への参戦は同年限りで、以後はN1耐久シリーズ(現 スーパー耐久)へ断続的に参戦していた。

2005年からSUPER GTのGT300クラスにフェアレディZで参戦を開始して本格的な活動を再開し、2008年にはGT300クラスでドライバーとチームのダブルタイトルを獲得。最終戦では鏡音リン・レン痛車仕様で走行し、痛車としても史上初のチャンピオンに輝いた。

以後も日産陣営の有力チームの一つとして活動を続け、2011年からはGT500クラスにステップアップ、GT-Rを走らせている。その2011年には、ステップアップ初年度にいきなりシリーズチャンピオン獲得という偉業を達成した。2012年も最終戦を待たず、第7戦・オートポリスでシリーズチャンピオンを決めるという圧倒的な強さでシリーズ2連覇を達成した。なお、GT500クラス史上初のブリヂストン以外のタイヤを使用するチームによるタイトル獲得となった。(ミシュランタイヤ使用)[1]

2013年は2連覇を支えた柳田真孝ロニー・クインタレッリの両名が共にニスモに移籍し、代わりにニスモから本山哲が、GT300から関口雄飛がやってきたが、1年通して苦しいレース運びに終始することになってしまった。

2014年は関口がトヨタ陣営に移籍した。代わりに柳田が2年ぶりにチームに復帰し、チャンピオン経験が複数回ある者同士の豪華なコンビとなった。が、シーズンでは去年同様苦しい走りが続いた。2015年は第3戦タイで3シーズンぶりの勝利を挙げた。2016年GT300クラスから千代勝正がステップアップし、本山哲とタッグを組む。

2017年まで日産のセミワークスチームとして活動を続けたが、2018年以降はSUPER GTへのエントリーを見送っている。2019年からはGT300に参戦するKONDO Racingのメンテナンスを受託している。

脚注

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  1. ^ 波乱のGT第7戦はS Roadが大逆転V! 王座決定 - オートスポーツ・2012年9月30日