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本山哲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本山哲
2010年モータースポーツ・ジャパンにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1971-03-04) 1971年3月4日(53歳)
出身地 東京都
SUPER GTでの経歴
デビュー 2005
所属 MOTOYAMA Racing w/ Team LeMans
車番 6
過去所属 NISMO
MOLA
NDDP Racing with B-MAX
出走回数 123
優勝回数 16
ポールポジション 9
過去参加シリーズ
1990-1995
1995-1997
1996-2008
1996-2004
全日本F3選手権
全日本ツーリングカー選手権
フォーミュラ・ニッポン
全日本GT選手権
選手権タイトル
19982001
20032005
20032004
2008
フォーミュラ・ニッポン

全日本GT選手権 (GT500)
SUPER GT (GT500)

本山 哲(もとやま さとし、1971年3月4日 – )は、東京都出身のレーシングドライバー

プロフィール

[編集]

経歴

[編集]

両親がレーシングカートのサーキット場「サーキット秋ヶ瀬(埼玉県さいたま市桜区)」を経営していたことから、幼少時よりポケバイやレーシングカートに乗っており、少年時代にはポケバイの全国大会やレーシングカートのSL全国大会でも優勝している。 1986年には全日本カート選手権にエントリーし、同年にA1クラス、1987年・89年にA2クラスのシリーズチャンピオンを獲得し、翌1990年には全日本F3選手権にて四輪レースにデビューした。

国内トップカテゴリーでは1998年、2001年、2003年、2005年のフォーミュラ・ニッポン(FN)および、2003年、2004年、2008年の全日本GT選手権(JGTC、現SUPER GT)・GT500クラスのシリーズチャンピオンを獲得しており日本を代表するトップドライバーの一人。その長年の活躍と大事なレースで特に見せる速さ、集中力、レースの支配から、「帝王」、「2代目日本一速い男」の異名を持つ(『SUPER GT+』より)。夫人は元レースクイーン小寺雅子

FNでの年間チャンピオン獲得後、複数のF1チームからのオファーがあったものの海外進出には消極的だったが[1]、2003年4月に幼馴染でもある親友・加藤大治郎(Moto GPライダー)がレース中事故死したことを機に積極的な海外進出を試みる姿勢に転換。同年中にワールドシリーズ・バイ・ニッサンのテストに参加したほか、10月のF1日本GPでは、ジョーダン・フォードから金曜日のテスト走行に出走するなど、機会があれば海外のレースに参戦したいとの姿勢を見せるようになった。なお、加藤の事故死以降、搭乗するレーシングカーには97年、98年に加藤が鈴鹿8時間耐久ロードレースに参戦した際の監督だった高橋国光が監督を務めたチーム国光のマシンと同様にMoto GPにおける永久欠番となった加藤のゼッケン「74」が記されたステッカーを貼付している。

実際2003年末から2004年初頭にかけて、ジョーダン等のF1チームと交渉を持つも契約締結には至らなかった。日本人ドライバーがF1に進出するためには、

  1. 海外におけるフォーミュラレースでの実績
  2. トヨタホンダ等のサプライヤーとのコネクション
  3. 資金力(個人スポンサーの持込など)

が必要とされており、海外実績が非常に乏しく、日産自動車の開発ドライバーを務めていた本山は、F1に参戦中だったホンダやトヨタとの有力なパイプを持っておらず、レギュラードライバーの若年化も著しかったF1のシート獲得は非常に厳しいものであった。その状況下でもさらに日産とルノーの資本提携関係を基にルノーF1のシートを目指し、スペインヘレスサーキットで、ルノーのセレクションを受けた[1]。テストでは当時のレギュラードライバーであるフェルナンド・アロンソに匹敵するタイムを叩き出したものの、当時33歳となっていた本山の年齢なども含めて、ルノー側のニーズに合わず交渉は不調に終わった。また、思うようにチームから求められる持参金が集まらない現実もあり海外進出は成らなかった。

その後は国内レースに専念する方針に切り替え、前述のように2005年のFNと2008年のSUPER GTでチャンピオンを獲得した。また、この年の開幕戦において、ブノワ・トレルイエとのコンビでこの年からサーキットへとカムバックした日産・GT-Rのデビューウィンを果たし、その後シーズン3勝を挙げている。

2009年には、FNにエントリーしないこと(引退ではない)を自身のホームページなどで発表し、SUPER GTに集中することとなった。開幕戦ではGT参戦通算100戦目を迎え、またシーズン2勝を挙げ、最終戦までチャンピオン争いをしていたが最終戦のもてぎでトレルイエのドライブ中にタイヤバーストに見舞われマシンが損傷。シリーズ連覇を果たせなかった。

2010年は、この年に装着していたミシュランタイヤとのマッチングに苦しみ不調に陥った。さらに、チーム側が巻き返しを狙っていた第7戦富士では、直前に上陸した台風により富士スピードウェイ周辺の道路が被害を受け中止となったこともあり、未勝利に終わった。

2011年は、再び装着タイヤをブリヂストンに戻し、第2戦富士で勝利を挙げるが、それ以降2戦連続ノーポイントに終わり、同じGT-Rを駆るMOLA柳田真孝ロニー・クインタレッリにランキングで先行を許す。しかし、第7戦オートポリスでは予選12番手スタートから追い上げを見せて優勝。最終戦では、ポールポジションからスタートしたMOLAを5番手から追い、終盤に本山が柳田をかわしトップに立つとそのまま逃げ切って2連勝を飾り、本山自身は3年ぶりとなるシーズン3勝を記録することができたが、チャンピオンはこのレースで着実に2位を得たMOLAコンビの手に渡った。

2012年は、世界耐久選手権(WEC)参戦のために離脱したトレルイエに代わり、ミハエル・クルムと8年ぶりにコンビを組んだが、2年ぶりのシーズン未勝利に終わった。6月にはニッサンのデルタウイングを駆って久々となるル・マン24時間レースに参戦したが、自身のドライブ中に中嶋一貴に接触されリタイアに終わった。

2013年は、柳田とクインタレッリに譲るかたちで長年在籍したNISMOを離れ、関口雄飛を育成するためMOLAへ移籍してコンビを組む。

2014年は、WedsSports BANDOHに移籍した関口に変わり、柳田真孝とコンビを組む。本年は、予選、決勝ともに速さは見せるもののレース中に車体が炎上しリタイアするなど、GT-R勢の中でも不運なトラブルが続き、未勝利に終わった。

2015年も、前年と同じく柳田とコンビを組みGT500参戦。第3戦で2011年以来の優勝を果たすなど活躍をみせシーズン6位。

2016年、2017年はブランパン耐久シリーズ覇者の千代勝正がGT500にステップアップしコンビを組む。第5戦鈴鹿では千代が第4戦でクラッシュしたことにより高星明誠とコンビを組み3位表彰台を獲得する。

2017年の第4戦のSUGOでは、DENSO SARD LC500の平手晃平と最終ラップまで激闘を繰り広げ、雨が降ってきたことによってコースアウトしハーフスピン状態になった平手を、同じくコースアウトをしてコースに戻ってきた際に接触、結果として平手を助ける格好になり2位となったものの、レース後はSNS等でスポーツマンシップを称賛された。ただし、レース自体は満足のいくものだったものの、レース終了直後はやはり悔しかったとコメント。同年はこの2位が最高成績であり、シーズン12位という成績に終わる。

2019年、GT500から引退。2月の日産の体制発表記者会見で行われた引退セレモニーでは、師匠である星野一義や後輩ドライバーから花束が贈呈された。同年よりNISMOのエグゼクティブアドバイザーに就任しニッサン系チームをサポートする[2]

2020年はスーパーフォーミュラに参戦するBuzz Racing with B-MAXの監督を務める。またスーパー耐久にTAIROKU Racingの日産・GT-R NISMO GT3で参戦するとされたが、結局同チームが新型コロナウイルスの流行の影響で活動を休止したため、参戦は実現しなかった。一方で12月には、フォーミュラ・リージョナル・ジャパニーズ・チャンピオンシップ(FRJC)と全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権(SFL)にスポット参戦。FRJCではチーム郷[3]、SFLではB-MAX RACING[4]からの参戦となる。

2021年はSUPER GTに復帰を果たす。Team LeMans with MOTOYAMA RacingからGT300クラスに参戦。チームランキングは22位となった。

1997年 全日本ツーリングカー選手権 最終戦

[編集]

1997年、本山は全日本ツーリングカー選手権(JTCC)で中子修黒澤琢弥とチャンピオン争いを繰り広げていた。中子がポイントリーダーで迎えた最終戦のインターTEC富士)第2レースで、16周目のヘアピン進入時に本山のインを突いた中子がブレーキをロックさせ本山に接触、本山のマシンは損傷・スピンして順位を落とした。この接触でタイトルの望みが消えた本山は、中子に報復するため、1周のスロー走行の後、18周目の100Rでアウトから来た中子に体当たりする形でコース外へ押し出し、中子はコースアウト・クラッシュした。その後、本山はピットに戻りレースを終えた。レース結果は「リタイア」ではなく「失格」となった[5]

この件で中子に罰金5万円、本山に罰金50万円のペナルティが科せられ[6]、本山は後に行われたFN最終戦とJGTC GTオールスター戦への出場を鈴木亜久里と話し合った上、謹慎の意味で欠場した[7](FN最終戦の代役は道上龍[7]、JGTC GTオールスター戦の代役は土屋武士[8])。この際競技ライセンスの剥奪やレース界追放も検討されたが[9]、その才能を惜しんだNISMOやチーム・ルマンや鈴木亜久里の尽力により、何とか免れることとなった。モータージャーナリストの林溪清は著書「F1の秘密」内でこの事件について触れ、名指しはしなかったものの「このような選手にF1へ行く資格はない」と評している。

なお、本山と中子の当事者同士の間では、この件の直後にコントロールタワーで本山は中子と顔を合した際に謝罪しそれほどのわだかまりは無く、時を経て2020年には雑誌上で対談しこの最終戦の状況について述懐している[10]

本山は1999年フォーミュラ・ニッポン最終戦でも、ランキング首位のトム・コロネルの明らかな過失で接触し、チャンピオンの権利を失っているが、この時は激しい感情を相手にぶつけることはなかった[11]

レース戦績

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  • 1984年
    • SLカート全国大会・Aクラス優勝
    • 地方選手権・NA2クラス(シリーズ6位)
  • 1985年 - 地方選手権・NA2クラス(シリーズ3位)
  • 1986年 - 全日本カート競技選手権・A1クラス(シリーズチャンピオン)
  • 1987年 - 全日本カート競技選手権・A2クラス(シリーズチャンピオン)
  • 1988年
    • 全日本カート競技選手権・FKクラス(シリーズ6位)
    • JAPAN KART GP(決勝2位)
    • カート世界選手権・スーパー100クラス(決勝2位)
  • 1989年 - 全日本カート競技選手権 A2クラス(シリーズチャンピオン)
  • 1990年
    • 全日本F3選手権(#98 浅田飴パッションRT33無限/ラルトRT33 MF204
    • 日本グランプリ記念レース Panasonic F3 スーパーカップレース(#98 浅田飴パッションRT33無限/ラルトRT33 MF204)(決勝19位)
    • インターナショナルF3リーグ(#98 浅田飴パッションRT33無限/ラルトRT33 MF204)(決勝19位)
  • 1991年
    • 全日本F3選手権(TEAM TAKEONE #5 /ラルトRT35 MF204)(シリーズ6位)
    • インターナショナルF3リーグ(TEAM TAKEONE #99 /ラルトRT35 MF204)(決勝21位)
    • SUGO INTER FORMULA・VW GOLFレース(#98 浅田飴パッションGOLF)(決勝7位)
    • 91'レース・ド・ニッポン・VW GOLFレース(#98 浅田飴パッションGOLF)(決勝6位)
    • SUGO INTER 500km・VW GOLFレース(#98 浅田飴パッションGOLF)(決勝DNF)
  • 1992年
    • 全日本F3選手権(#11 J-TRIAL ラルト 無限/ラルトRT35 MF204)(シリーズ8位)
    • フジテレビジョン日本グランプリレース記念 F3 スーパーカップレース(#11 BESTEX ラルト 無限/ラルトRT35 MF204)(決勝6位)
  • 1993年
    • 全日本F3選手権<Rd.5-7>(#12 DALLARA 無限/ダラーラF393 MF204)<Rd.8-10>(#12 DALLARA FIAT/ダラーラF393 FIAT)
    • SUGO耐久500kmレース(#33 BLITZ SUPRA/スープラ JZA80)(総合32位)
  • 1994年
    • 全日本F3選手権<Rd.1,7-10>(TEAM 5ZIGEN #50/ダラーラF393 3S-G)(シリーズ7位)
    • N1耐久シリーズ<Rd.1 スポット参戦>(#33 BLITZ SUPRA/スープラ JZA80)(決勝26位)
    • 第11回SUGO 300km耐久レース(#11 レッツオ・BP・トランピオ・GTR/スカイラインGT-R)
  • 1995年
    • 全日本F3選手権(DOME RACING #6 ANABUKI・童夢・無限/ダラーラF395 MF204)(シリーズ2位・1勝)
    • 全日本ツーリングカー選手権(#51 BPオイル・トランピオエクシヴ/コロナ エクシヴ ST202)
    • NICOS CUP 十勝24時間レース(#11 RAZO TRAMPIO GT/スカイラインGT-R BCNR33)(総合7位)
  • 1996年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(FUNAI SUPER AGURI #56/レイナード95D MF308)(シリーズ10位)
    • 全日本GT選手権・GT300クラス<Rd.3-6>(HOSINO RACING #12 パーソンズシルビア/シルビア S14 SR20DET)(シリーズ29位)
    • 全日本ツーリングカー選手権<Rd.1-8>(NISMO #32 ザナヴィ・サニー)<Rd.9-14>(NISMO #32 ザナヴィ・カミノ/プリメーラ カミノ HP11)(シリーズ9位)
  • 1997年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.1-9>(FUNAI SUPER AGURI #56/レイナード97D MF308)(シリーズ11位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(HOSINO RACING #12 カルソニックスカイライン/スカイラインGT-R BCNR33 RB26DETT)(シリーズ11位)
    • 全日本ツーリングカー選手権(NISMO #23 ザナヴィカミノ/プリメーラ カミノ HP11)(シリーズ3位・2勝)
  • 1998年
    • 全日本選手権フォーミュラニッポン(LEMONed Le Mans #8/レイナード99L MF308)(シリーズチャンピオン・3勝)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(オートバックスレーシングチームアグリ #50 ARTAスカイライン/スカイラインGTR BCNR33 RB26DETT)(シリーズ12位)
    • ル・マン24時間レース(NISMO # JOMO日産R390GT1)(総合10位)
  • 1999年
    • 全日本選手権フォーミュラニッポン(UNLIMITED Le Mans #1/レイナード99L MF308)(シリーズ2位・3勝)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #1 ペンズオイル ニスモ GTR/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT)(シリーズ3位・1勝)
    • ル・マン24時間レース(NISMO # 日産R391)
    • ル・マン富士1,000km・LMPクラス(NISMO #23 NISSAN R391)(優勝)
    • Pokka1000km(#23 ロックタイトニスモ GT-R/スカイラインGT-R)(決勝DNF)
  • 2000年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(TEAM IMPUL #19/レイナード99L MF308)(シリーズ3位・1勝)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(TEAM IMPUL #12 カルソニックスカイライン/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT)(シリーズ3位・1勝)
  • 2001年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(excite TEAM IMPAL #1/レイナード99L MF308)(シリーズチャンピオン・4勝)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(TEAM IMPUL #12 カルソニックスカイライン/スカイラインGTR BNR34 RB26DETT)(シリーズ11位)
  • 2002年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(XBOX TEAM IMPAL #1/レイナード01L MF308)(シリーズ2位・5勝)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #22 XANAVI NISMO GT-R/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT→VQ30DETT)(シリーズ8位)
  • 2003年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(TEAM IMPAL #19/ローラB351 MF308)(シリーズチャンピオン・4勝)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #23 XANAVI NISMO GT-R/スカイラインGT-R BNR34 VQ30DETT)(シリーズチャンピオン)
    • 第10回十勝24時間レース・クラス3(#23 C-WESTアドバンZ33/フェアレディZ Z33)(総合12位)
  • 2004年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(ADiRECT TEAM 5ZIGEN #1/ローラB351 MF308)(シリーズ6位・1勝)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #1 XANAVI NISMO Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズチャンピオン・2勝)
    • 第11回十勝24時間レース(#245 モバイルキャスト アドバン Z/フェアレディZ Z33)(総合3位)
  • 2005年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(arting RACING TEAM with IMPUL #23/ローラB351 MF308) (シリーズチャンピオン・3勝)
    • SUPER GT・GT500クラス(NISMO #1 XANAVI NISMO Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズ3位・1勝)
  • 2006年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(arting RACING TEAM with IMPUL #1/ローラB06/51 RV8J)(シリーズ5位)
    • SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 XANAVI NISMO Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズ6位・1勝)
    • 第13回十勝24時間レース・GTクラス(#74 アラビアンオアシスZ/フェアレディZ Z33)(総合7位・クラス優勝
  • 2007年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(Arabian Oasis TEAM IMPUL #19/ローラB06/51 RV8J)(シリーズ4位・3勝)
    • SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 XANAVI NISMO Z/フェアレディZ Z33 VK45DE)(シリーズ8位・1勝)
  • 2008年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(Team Le Mans/ローラB06/51 RV8J)(シリーズ11位)
    • SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 XANAVI NISMO GT-R/GT-R R35 VK45DE)(シリーズチャンピオン・3勝)
  • 2009年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #1 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VK45DE)(シリーズ3位・2勝)
  • 2010年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VRH34A)(シリーズ7位)
  • 2011年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VRH34A→VRH34B)(シリーズ2位・3勝)
  • 2012年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VRH34B)(シリーズ8位)
  • 2013年 - SUPER GT・GT500クラス(MOLA #1 REITO MOLA GT-R/GT-R R35 VRH34B)(シリーズ12位)
  • 2014年 - SUPER GT・GT500クラス(MOLA #46 S Road MOLA GT-R/GT-R R35 NR20A)(シリーズ11位)
  • 2015年 - SUPER GT・GT500クラス(MOLA #46 S Road MOLA GT-R/GT-R R35 NR20A)(シリーズ6位)
  • 2016年 - SUPER GT・GT500クラス(MOLA #46 S Road CRAFTSPORTS GT-R/GT-R R35 NR20A)(シーズン10位)
  • 2017年 - SUPER GT・GT500クラス(MOLA #46 S Road CRAFTSPORTS GT-R/GT-R R35 NR20A)(シーズン12位)
  • 2018年 - SUPER GT・GT500クラス(NDDP Racing with B-MAX #3 CRAFTSPORTS MOTUL GT-R/GT-R R35 NR20A)(シーズン17位)

主なシリーズタイトル

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全日本カート選手権・A1クラス
シリーズチャンピオン・1回(1986年)
全日本カート選手権・A2クラス
シリーズチャンピオン・2回(1987年,1989年)
フォーミュラ ニッポン
シリーズチャンピオン・4回(1998年,2001年,2003年,2005年)
通算勝利数・27勝…歴代1位
通算PP獲得数・21回…歴代1位
JGTC&SUPER GT・GT500クラス
ドライバーズチャンピオン・3回(2003年,2004年,2008年)…歴代1位タイ
通算勝利数・16勝…歴代1位タイ

フォーミュラ

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全日本フォーミュラ3選手権/全日本スーパーフォーミュラライツ選手権

[編集]
チーム エンジン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 順位 ポイント
1990年 LE GARAGE COX RACING TEAM 無限 SUZ
9
FSW
15
SUZ
12
TSU
14
SEN
5
SUG
13
TSU
13
SUZ
Ret
NIS
5
SUZ
DNS
11位 4
1991年 SUZ
6
FSW
7
SUZ
7
TSU
16
SEN
4
MIN
14
TSU
2
SUG
3
SUZ
26
SUZ
20
6位 14
1992年 XEBEC MOTOR SPORTS SUZ
Ret
TSU
2
FSW
17
SUZ
Ret
SEN
5
TAI
10
MIN
6
SUG
6
SUZ
8
SUZ
6
8位 11
1993年 ダラーラ・アウトモビリ・ジャパン SUZ TSU FSW SUZ SEN
11
TAI
Ret
MIN
9
11位 4
フィアット SUG
5
SUZ
5
1994年 TEAM 5ZIGEN トヨタ SUZ
7
FSW TSU SUZ SEN TOK MIN
5
TAI
4
SUG
4
SUZ
Ret
7位 8
1995年 DOME RACING 無限 SUZ
2
FSW
C
TSU
1
MIN
3
SUZ
2
TAI
2
SUG
5
FSW
9
SUZ
2
SEN
3
2位 37
2020年 B-MAX ENGINEERING VW TRM1 TRM2 TRM3 OKA1 OKA2 SUG1 SUG2 SUG3 AUT1 AUT2 AUT3 SUZ1 SUZ2 SUZ3 FSW1
8
FSW2
Ret
FSW3
Ret
NC 0

フォーミュラ・ニッポン

[編集]
チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
1996年 FUNAI SUPER AGURI レイナード・95D 無限 SUZ
7
MIN
Ret
FSW
5
TOK
17
SUZ
12
SUG
3
FSW
5
MIN
6
SUZ
Ret
FSW
Ret
10位 9
1997年 レイナード・94D SUZ
4
11位 7
レイナード・97D MIN
DNS
FSW
Ret
SUZ
Ret
SUG
Ret
FSW
Ret
MIN
6
TRM
Ret
FSW
4
SUZ
1998年 LEMONed Racing Team Le Mans SUZ
Ret
MIN
1
FSW
1
TRM
2
SUZ
Ret
SUG
4
MIN
1
FSW
2
SUZ
Ret
1位 45
1999年 UNLIMITED RACING Team Le Mans レイナード・99L SUZ
1
TRM
2
MIN
1
FSW
Ret
SUZ
Ret
SUG
2
FSW
3
MIN
Ret
TRM
1
SUZ
Ret
2位 46
2000年 TEAM IMPUL SUZ
6
TRM
4
MIN
Ret
FSW
8
SUZ
6
SUG
4
TRM
3
FSW
2
MIN
2
SUZ
1
3位 34
2001年 excite TEAM IMPUL レイナード・01L SUZ
Ret
TRM
9
MIN
1
FSW
Ret
SUZ
1
SUG
1
FSW
4
MIN
1
TRM
2
SUZ
Ret
1位 49
2002年 XBOX TEAM IMPUL SUZ
Ret
FSW
1
MIN
1
SUZ
5
TRM
1
SUG
Ret
FSW
3
MIN
1
TRM
4
SUZ
1
2位 60
2003年 TEAM IMPUL ローラ・B351 SUZ
1
FSW
1
MIN
1
TRM
9
SUZ
14
SUG
1
FSW
1
MIN
13
TRM
2
SUZ
3
1位 56
2004年 ADiRECT TEAM 5ZIGEN SUZ
5
SUG
12
TRM
5
SUZ
4
SUG
1
MIN
6
SEP
Ret
TRM
5
SUZ
6
6位 21
2005年 arting RACING TEAM with IMPUL TRM
4
SUZ
4
SUG
1
FSW
2
SUZ
1
MIN
3
FSW
13
TRM
1
SUZ
2
1位 52
2006年 ローラ・B06/51 トヨタ FSW
3
SUZ
8
TRM
3
SUZ
3
AUT
Ret
FSW
3
SUG
5
TRM
Ret
SUZ
Ret
5位 16
2007年 Arabian Oasis TEAM IMPUL FSW
Ret
SUZ
1
TRM
6
OKA
10
SUZ
1
FSW
Ret
SUG
4
TRM
11
SUZ
1
4位 38
2008年 Team LeMans FSW
Ret
SUZ
4
TRM
16
OKA
Ret
SUZ1
8
SUZ2
3
TRM1
9
TRM2
5
FSW1
14
FSW2
14
SUG
Ret
11位 14

全日本ツーリングカー選手権

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チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 順位 ポイント
1995年 Object T トヨタ・コロナ FSW1
Ret
FSW2
Ret
19位 9
トヨタ・コロナEXiV SUG1
8
SUG2
5
TOK1
22
TOK2
17
SUZ1
19
SUZ2
16
MIN1
22
MIN2
Ret
TAI1
Ret
TAI2
11
SEN1
Ret
SEN2
12
FSW1
Ret
FSW2
17
1996年 NISMO 日産・サニー FSW1
Ret
FSW2
8
SUG1
Ret
SUG2
DNS
SUZ1
8
SUZ2
7
MIN1
8
MIN2
9
9位 46
日産・プリメーラ・カミノ SEN1
5
SEN2
Ret
TOK1
6
TOK2
5
FSW1
4
FSW2
4
1997年 FSW1
C
FSW2
C
TAI1
4
TAI2
2
SUG1
3
SUG2
3
SUZ1
Ret
SUZ2
1
MIN1
DSQ
MIN2
3
SEN1
1
SEN2
Ret
TOK1
2
TOK2
4
FSW1
6
FSW2
DSQ
3位 100

全日本GT選手権/SUPER GT

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チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
1996年 HOSHINO RACING 日産・シルビア GT300 SUZ FSW SEN
Ret
FSW
Ret
SUG
12
MIN
7
29位 4
1997年 TEAM IMPUL 日産・スカイラインGT-R GT500 SUZ
Ret
FSW
5
SEN
15
FSW
4
MIN
6
SUG
14
11位 24
1998年 Autobacs Racing Team Aguri GT500 SUZ
13
FSW
C
SEN
11
FSW
6
TRM
6
MIN
9
SUG
8
12位 17
1999年 NISMO GT500 SUZ
2
FSW SUG
6
MIN
1
FSW
3
TAI
7
TRM
3
3位 69
2000年 TEAM IMPUL GT500 TRM
17
FSW
5
SUG
5
FSW
3
TAI
6
MIN
1
SUZ
3
3位 66
2001年 GT500 TAI
15
FSW
Ret
SUG
7
FSW
7
TRM
3
SUZ
11
MIN
5
11位 28
2002年 NISMO GT500 TAI
11
FSW
7
SUG
7
SEP
4
FSW
2
TRM
10
MIN
2
SUZ
Ret
8位 51
2003年 GT500 TAI
2
FSW
4
SUG
3
FSW
5
FSW
2
TRM
11
AUT
5
SUZ
3
1位 86
2004年 日産・フェアレディZ GT500 TAI
1
SUG
Ret
SEP
3
TOK
Ret
TRM
3
AUT
1
SUZ
7
1位 73
2005年 GT500 OKA
Ret
FSW
4
SEP
1
SUG
8
TRM
6
FSW
10
AUT
6
SUZ
2
3位 60
2006年 GT500 SUZ
2
OKA
Ret
FSW
4
SEP
5
SUG
2
SUZ
DSQ
TRM
14
AUT
1
FSW
11
6位 69
2007年 GT500 SUZ
2
OKA
Ret
FSW
1
SEP
14
SUG
Ret
SUZ
3
TRM
13
AUT
12
FSW
14
8位 48
2008年 日産・GT-R GT500 SUZ
1
OKA
1
FSW
14
SEP
13
SUG
14
SUZ
8
TRM
12
AUT
1
FSW
9
1位 76
2009年 GT500 OKA
13
SUZ
11
FSW
1
SEP
8
SUG
1
SUZ
6
FSW
2
AUT
2
TRM
14
3位 78
2010年 GT500 SUZ
8
OKA
Ret
FSW
Ret
SEP
2
SUG
6
SUZ
2
FSW
C
TRM
8
7位 48
2011年 GT500 OKA
5
FSW
1
SEP
14
SUG
12
SUZ
4
FSW
6
AUT
1
TRM
1
2位 79
2012年 GT500 OKA
4
FSW
3
SEP
7
SUG
Ret
SUZ
5
FSW
11
AUT
6
TRM
6
8位 40
2013年 MOLA GT500 OKA
10
FSW
9
SEP
6
SUG
7
SUZ
8
FSW
7
AUT
4
TRM
14
12位 28
2014年 GT500 OKA
10
FSW
Ret
AUT
2
SUG
7
FSW
6
SUZ
Ret
CHA
13
TRM
5
11位 31
2015年 GT500 OKA
8
FSW
10
CHA
1
FSW
14
SUZ
6
SUG
2
AUT
6
TRM
Ret
6位 50
2016年 GT500 OKA
3
FSW
7
SUG
13
FSW
Ret
SUZ
3
CHA
12
TRM
8
TRM
6
10位 36
2017年 GT500 OKA
Ret
FSW
11
AUT
4
SUG
2
FSW
11
SUZ
14
CHA
10
TRM
6
12位 29
2018年 NDDP RACING with B-MAX GT500 OKA
7
FSW
10
SUZ
7
CHA
13
FSW
15
SUG
8
AUT
13
TRM
9
17位 14
2021年 Team LeMans w/MOTOYAMA Racing アウディ・R8 LMS EVO GT300 OKA
22
FSW
23
SUZ
12
TRM
19
SUG
18
AUT
24
TRM
20
FSW
18
NC 0
2022年 MOTOYAMA Racing w/ Team LeMans アウディ・R8 LMS EVO Ⅱ GT300 OKA
5
FSW SUZ FSW SUZ SUG AUT MOT 26位 6

FIA 世界耐久選手権

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チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
2014年 NISMO 日産・ZEOD RC Garage 56 SIL SPA LMN
Ret
COA FSW SHA BHR SÃO NC 0

(key)

F1世界選手権

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チーム  シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 WDC ポイント
2003年 ジョーダン EJ13 コスワース・CR3 3.0L V10 AUS MAL BRA SMR ESP AUT MON CAN EUR FRA GBR GER HUN ITA USA JPN
TD
- -

ル・マン24時間レース

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チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
1998年 日本の旗 NISMO
イギリスの旗 TWR
日本の旗 黒澤琢弥
日本の旗 影山正美
日産・R390 GT1 GT1 319 10位 9位
1999年 日本の旗 NISMO ドイツの旗 ミハエル・クルム
フランスの旗 エリック・コマス
日産・R391 LMP 110 DNF DNF
2012年 アメリカ合衆国の旗 ハイクロフト・レーシング イギリスの旗 マリーノ・フランキッティ
ドイツの旗 ミハエル・クルム
デルタウイング-日産 UNC 75 DNF DNF
2014年 日本の旗 NISMO スペインの旗 ルーカス・オルドネス
ベルギーの旗 ヴォルフガング・ライプ
日産・ZEOD RC UNC 5 DNF DNF

エピソード

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  • 前述の中子との接触事故のほか、1995年のJTCC第5戦十勝では影山正美とレース中の接触を巡って口論になるなどレース中は血気盛んで近寄りがたい雰囲気を醸し出していたと言われる。しかし40代に入ると、ニコニコ動画脇阪寿一の言いたい放題」にて柳田真孝から「マイルドになった」と指摘されたり、同番組で脇阪寿一から「レース開催期間で笑顔を見せる」と言われ、若手当時の雰囲気とは異なった面をみせている。
  • 20代に海外レースへの進出に積極的ではなかったことに関して、「日本の便利で不自由ない生活が好きだったんですよね」「F1が夢ではなかった。F1ドライバーになりたいと真剣に思ったことは無かったし、全員がF1を目指さないといけないとも思っていなかった」「自分が海外各国を転戦するタイプじゃないというのは、自分でも分かっていた」と当時の心境を述べている[1]
  • グランツーリスモ」を相当やりこんでおり、ニコニコ生放送に出演していたGT6「BMW Z4 CHALLENGE」覇者であるYAM氏の存在を知っていた。
  • FNのチャンピオン時代はあまりに首位を独走しすぎるとTV中継に映らなくなると考えており、レース中首位に立つとタイヤを労りつつTVに映るよう後続との距離を離しすぎないようにあえて近く保っていたことがあるという。
  • 1998年のFN ツインリンクもてぎ戦で、本山は決勝の前日脇阪寿一と朝まで遊んでいたため、決勝当日朝のウォームアップ走行に寝坊した。ウォームアップ中に自分のマシンでコースを周回中の脇阪が、本山の姿が全くないことに気づき、自分のピット(Team ルマン)に無線で「携帯で本山を起こしてくれ」と連絡し本山は最後に間に合ってウォームアップを5分だけ走れた。同日午後の決勝レースでは脇阪・本山が1-2フィニッシュを決めた。しかし、星野一樹によると、あるレースで本山が遅刻した際に本山では無く一樹が怒られたことがあると発言していた。また、その当時寝不足だった理由を後年振り返った際に加藤大治郎と武田雄一が本山の滞在するホテルに泊まっていたためと発言している。[12]
  • 度々交通事故や問題行動を起こしたことでHRCから罰金や契約金カット、運転禁止処分を受けていたことで、生活費が無くなった加藤大治郎武田雄一の生活費を、本山のカードから支払っていたことがあると武田は明かしている。[13]
  • 全日本カート時代のチームメイトの一人に、後にホンダF1のマネージングディレクターとなる山本雅史がいる[14]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 夢ではなく、必然だった。日本で頂点を極めた本山哲のF1挑戦【F1“テスト”経験者の追憶】 Motorsport.com 2022年8月4日
  2. ^ 本山哲、GT500を“引退”。2019年はニッサン系チームエグゼクティブアドバイザーに就任 - オートスポーツ・2019年2月9日
  3. ^ 帝王・本山哲がフォーミュラ復帰! Fリージョナルのオートポリス戦にスポット参戦へ - オートスポーツ・2020年12月4日
  4. ^ スーパーフォーミュラ・ライツ:本山哲が2週連続のフォーミュラ挑戦「左近には勝ちたい!」 - オートスポーツ・2020年12月18日
  5. ^ Racing on No.256 9頁 1997年11月21日発売 ニューズ出版
  6. ^ Racing on No.256 8頁 1997年11月21日発売 ニューズ出版
  7. ^ a b Racing on No.257 45頁 1997年12月5日発売 ニューズ出版
  8. ^ Racing on No.257 122頁 1997年12月5日発売 ニューズ出版
  9. ^ Racing on No.273 60頁 1998年7月24日発売 ニューズ出版
  10. ^ ついに実現した中子修と本山哲のスペシャル対談「JTCCは良くも悪くも“人間味”が出て面白いレースだった」オートスポーツweb 2020年4月2日
  11. ^ Racing on No.307 7頁 1999年12月3日発売 ニューズ出版
  12. ^ Satoshi Motoyama さんの2022年7月4日の投稿”. Instagram. 2023年3月19日閲覧。
  13. ^ 佐藤洋美, 冨樫ヨーコ『カラー版:加藤大治郎』講談社。 
  14. ^ マルコ博士のメルセデスPUよりホンダは10馬力落ち発言は本当?/第1回ホンダF1の山本MDに聞いてみよう - オートスポーツweb 2019年4月10日

関連項目

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外部リンク

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