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ジェフ・リース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジェフ・リース
基本情報
国籍 イギリスの旗 イギリス
(イングランドの旗 イングランド)
出身地 同・ウォリックシャー州
キングズベリー
生年月日 (1951-05-01) 1951年5月1日(73歳)
F1での経歴
活動時期 1978-1980,1982
所属チーム '78,'80 エンサイン
'79 ティレル
'80 シャドウ
'80 ウィリアムズ
'82 セオドール
'82 ロータス
出走回数 12 (5スタート)
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1978年イギリスGP
最終戦 1982年フランスGP
テンプレートを表示

ジェフリー・トンプソン・リース(Geoffrey Thompson Lees, 1951年5月1日 - )は、イギリスの元レーシングドライバーイングランド出身。

F1世界選手権ヨーロッパF2選手権などに参戦した後、1980年代半ば以降は日本に活動の場を移した。全日本F2選手権全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)等で活躍。

経歴

[編集]

1971年にイギリスのフォーミュラ・フォード1600に参戦してレースデビュー。

1976年にイギリスF3にステップアップ。

1978年のイギリスグランプリエンサインのマシンに乗り、F1に初めてエントリーしたが、予選不通過に終わった。

1979年のドイツグランプリティレルのマシンに乗りF1に出場し、予選16位・決勝7位となる(これが公式なF1デビュー)。

1980年にはシャドウやエンサイン、ウィリアムズといったチームからF1にスポット参戦を繰り返すが、計8戦中予選通過はわずか2回のみという成績に終わる。

1981年はF2にステップダウンし、ラルトに加入[注釈 1]。リースは同年のヨーロッパF2選手権でシリーズチャンピオンを獲得した。

1982年にはセオドールロータスからF1にスポット参戦するが、かろうじて予選を通過するのが精一杯で、結局同年を最後にF1からは撤退を余儀なくされた。

1983年、生沢徹が監督を務めるi&iレーシングの招きに応じて来日し、全日本F2選手権にフル参戦。チームの前年までのエースは中嶋悟であったが、ヨーロッパでの意見の相違や関係の悪化から、あまりよくない状態での別れとなっており、生沢が「出て行った」中嶋に絶対に勝つという思いでリースにオファーを出したという経緯があった[1]。リースは生沢からの期待に応え、来日初年度にして移籍先で苦しむこととなった中嶋を破り全日本F2のシリーズチャンピオンを獲得した[注釈 2]

以後は日本に活動拠点を移し、全日本F2やJSPC、富士グランチャンピオンレース(富士GC)などに参戦。1985年からヤマハ・OX66エンジンの開発を松本恵二と共に担当、1986年全日本F2第2戦富士ではヤマハエンジンでF2勝利を挙げた[2]1987年にはホンダF1エンジンのテストドライバーとして日本国内でのF1エンジンテストを担当したこともあった[3][注釈 3]

1989年に富士GCの最後のシリーズチャンピオンに輝いたほか、JSPCではトヨタのワークスドライバーとして活躍、 1992年にJSPCの最後のシリーズチャンピオンになった。

エピソード

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トヨタ・スープラ(3代目・A70後期型)のテレビCMにドライバーとして出演、水を張ったテストコース上で華麗なドライビングを披露している。その幻想的ともいえる映像は大のクルマ好きである喜多郎を感激させ、自身初となるオリジナルCM楽曲製作を快諾させるほどの出来栄えだったが、リース本人は「レーシングドライバーに、わざとスピンなんかさせるんじゃない!」と、かなり怒っていたという。

レース戦績

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F1

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チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 WDC ポイント
1978年 エンサイン/マリオ・デリオッティ・レーシング N175 ARG BRA RSA USW MON BEL ESP SWE FRA GBR
DNQ
GER AUT NED ITA USA CAN NC
(44位)
0
1979年 ティレル 009 ARG BRA RSA USW ESP BEL MON FRA GBR GER
7
AUT NED ITA CAN USA NC
(25位)
0
1980年 シャドウ DN11 ARG BRA RSA
13
USW
DNQ
NC
(28位)
0
DN12 BEL
DNQ
MON
DNQ
FRA
DNQ
GBR GER AUT
ユニパート (エンサイン) N180 NED
Ret
ITA
DNQ
CAN
ウィリアムズセオドール FW07B USA
DNQ
1982年 セオドール TY02 RSA BRA USW SMR BEL MON DET CAN
Ret
NED GBR NC
(34位)
0
ロータス 91 FRA
12
GER AUT SUI ITA CPL

(key)

ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権

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エントラント シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
1978年 Polifac BMW Junior Team マーチ・782 BMW THR HOC NÜR PAU MUG VLL ROU DON
Ret
14位 4
ラヴェン・レーシング シェブロン・B42 ハート NOG
6
PER
DNQ
MIS
4
HOC
Ret
1980年 ラルト・レーシング ラルト・RH6/80 ホンダ THR HOC NÜR VLL PAU SIL ZOL MUG ZAN PER MIS HOC
Ret
NC 0
1981年 ラルト・RH6/81 SIL
7
HOC
5
THR
NC
NÜR
5
VLL
5
MUG
2
PAU
1
PER
Ret
SPA
1
DON
1
MIS
2
MAN
2
1位 51

全日本F2選手権,全日本F3000選手権

[編集]
チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1981年 RALT HONDA SUZ SUZ SUZ SUZ SUZ
4
12位 10
1982年 RACING MATE TEAM LEMANS SUZ FSW SUZ
9
SUZ
4
SUZ SUZ 10位 12
1983年 チーム・イクザワ SUZ
6
FSW
4
MIN
1
SUZ
7
SUZ
1
FSW
1
SUZ
5
SUZ
1
1位 93 (103)
1984年 ADVAN SPORTS SPEED BOX MOTOR SPORTS SUZ
Ret
FSW
Ret
MIN
Ret
SUZ
12
SUZ
8
FSW
4
SUZ
4
SUZ
6
9位 29
1985年 SUZ
Ret
FSW
Ret
MIN
3
SUZ
11
SUZ
6
FSW
Ret
SUZ
3
SUZ
3
6位 42
1986年 ムーンクラフト SUZ
Ret
FSW
1
MIN
3
SUZ
3
SUZ
4
FSW
4
SUZ
10
SUZ
2
3位 80(79)
1987年 Marlboro Team NOVA SUZ
10
FSW
1
MIN
5
SUZ
2
SUZ
3
SUG
2
FSW
12
SUZ
3
SUZ
Ret
3位 83
1988年 伊太利屋スポーツチーム・ルマン SUZ
4
FSW
13
MIN
4
SUZ
Ret
SUG
1
FSW
Ret
SUZ
Ret
SUZ
Ret
5位 15
1989年 伊太利屋 NIKKEI Team Le Mans SUZ
4
FSW
14
MIN
Ret
SUZ
15
SUG
5
FSW
Ret
SUZ
13
SUZ
Ret
13位 5
1990年 TEAM HAYASHI SUZ FSW MIN SUZ SUG FSW FSW SUZ FSW SUZ
Ret
NC 0
1991年 SUZ
14
AUT
18
FSW
13
MIN
11
SUZ
6
SUG
Ret
FSW
DNQ
SUZ
8
FSW
C
SUZ
DNQ
FSW
Ret
22位 1

富士グランチャンピオンレース,日本グランチャンピオンレース

[編集]
チーム 1 2 3 4 5 6 順位 ポイント
1986年 ムーンクラフト FSW
Ret
FSW
1
FSW
6
FSW
1
1位 26
1988年 伊太利屋スポーツ・チーム・ルマン FSW
1
SUG
1
FSW
2
FSW
2
SUZ
1
FSW
5
1位 98
1989年 カワイスチール・チーム・ルマン FSW
3
SUG
1
FSW
2
SUZ
2
FSW
3
FSW
4
1位 84

全日本耐久選手権/全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権

[編集]
所属チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 順位 ポイント
1983年 チーム・イクザワ トムス・83C/トヨタ C SUZ SUZ FSW
DNS
NC 0
1985年 アドバンスポーツノバ ポルシェ・956 C1 SUZ TSU SUZ
1
11位 20
チーム・イクザワ トムス・84C/トヨタ FSW
Ret
1985年 童夢 童夢・84C/トヨタ C1 SUZ
1
8位 41
童夢・85C/トヨタ FSW
6
FSW
Ret
SUZ
21
FSW
Ret
FSW
(9)
FSW
2
1986年 トムス トムス・85C/トヨタ C1 SUZ
4
10
トムス・86C/トヨタ FSW
Ret
FSW
Ret
SUZ
Ret
FSW
(9)
FSW
1987年 トヨタ・チーム・トムス トヨタ・87C C1 SUZ
3
FSW
1
FSW
Ret
SUZ
1
FSW
Ret
SEN
C
FSW
Ret
3位 52
1988年 トヨタ・88C C1 FSW
6
SUZ
Ret
FSW
6
28位 12
トヨタ・88C-V FSW
Ret
SUZ
11
FSW
22
1989年 トヨタ・89C-V C1 FSW
5
FSW
8
FSW
Ret
SUZ
(2)
FSW
Ret
22位 11
1990年 トヨタ・90C-V C1 FSW FSW
C
FSW SUZ
3
SUG
8
FSW 16位 15
1991年 C1 FSW
6
FSW
5
5位 54
トヨタ・91C-V FSW
3
SUZ
Ret
SUG
1
FSW
Ret
SUG
5
1992年 トヨタ・TS010 C SUZ FSW FSW SUG FSW
1
MIN
1
1位 40

全日本GT選手権

[編集]
チーム コ.ドライバー 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
2002年 ADVAN土屋エンジニアリング 日本の旗 山路慎一 トヨタ・スープラ GT500 TAI FSW
13
SUG SEP FSW TRM MIN SUZ NC 0

ル・マン24時間レース

[編集]
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1982年 イギリスの旗 ニムロッド・レーシング イギリスの旗 ティフ・ニーデル
イギリスの旗 ボブ・エバンス
ニムロッド・NRA/C2-アストンマーティン C 55 DNF DNF
1986年 日本の旗 童夢 スウェーデンの旗 エイエ・エリジュ
日本の旗 鈴木利男
童夢・85C-L-トヨタ C1 141 DNF DNF
1986年 日本の旗 トムス 日本の旗 中嶋悟
日本の旗 関谷正徳
トムス・86C-L-トヨタ C1 105 DNF DNF
1987年 日本の旗 トヨタ・チーム・トムス オーストラリアの旗 アラン・ジョーンズ
スウェーデンの旗 エイエ・エリジュ
トヨタ・87C-L C1 19 DNF DNF
1988年 日本の旗 関谷正徳
日本の旗 星野薫
トヨタ・88C C1 351 12位 12位
1989年 イギリスの旗 ジョニー・ダンフリーズ
イギリスの旗 ジョン・ワトソン
トヨタ・89C-V C1 58 DNF DNF
1990年 日本の旗 関谷正徳
日本の旗 小河等
トヨタ・90C-V C1 347 6位 6位
1992年 オーストラリアの旗 デビッド・ブラバム
日本の旗 片山右京
トヨタ・TS010 C1 192 DNF DNF
1993年 オランダの旗 ヤン・ラマース
アルゼンチンの旗 ファン・マヌエル・ファンジオ2世
C1 353 8位 5位
1995年 イギリスの旗 リスター・カーズ イギリスの旗 ドミニック・チャペル
イギリスの旗 ルパート・キーガン
リスター・ストーム・GTS GT1 40 DNF DNF
1996年 イギリスの旗 ニューカッスル・ユナイテッドリスター イギリスの旗 ティフ・ニーデル
イギリスの旗 アンソニー・レイド
GT1 295 19位 11位
1997年 イギリスの旗 ティフ・ニーデル
南アフリカの旗 ジョージ・フーシェ
リスター・ストーム・GTL GT1 21 DNF DNF
1998年 日本の旗 トヨタ・モータースポーツ
ドイツの旗 トヨタチームヨーロッパ
ベルギーの旗 ティエリー・ブーツェン
ドイツの旗 ラルフ・ケレナース
トヨタ・GT-One TS020 GT1 330 DNF DNF
2000年 ドイツの旗 トーマス・ブシャー・プロモーション
イギリスの旗 デビッド・プライス・レーシング
ドイツの旗 トーマス・ブシャー
フランスの旗 ジャン=マルク・グーノン
BMW・V12 LM LMP900 180 DNF DNF

世界スポーツプロトタイプカー選手権/スポーツカー世界選手権

[編集]
チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1982年 ニムロッド・レーシング ニムロッド・NRA/C2/アストンマーティン C MNZ SIL NÜR LMN
Ret
SPA MUG FSW BRH NC 0
1983年 チーム・イクザワ トムス・83C/トヨタ C MNZ SIL NÜR LMN SPA FSW
DNS
KYA NC 0
1985年 童夢 童夢・85C/トヨタ C1 MUG MNZ SIL LMN
Ret
HOC MOS SPA BRH FSW
Ret
SHA NC 0
1986年 トムス トムス・86C/トヨタ C1 MNZ SIL LMN
Ret
NOR BRH JER NÜR SPA FSW
9
2
1987年 トヨタ・チーム・トムス トヨタ・87C C1 JAR JER MNZ SIL LMN
Ret
NOR BRH NÜR SPA FSW
Ret
SEN
C
NC 0
1988年 トヨタ・88C C1 JER JAR MNZ SIL LMN
12
NC 0
トヨタ・88C-V C1 BRN BRH NÜR SPA FSW
22
SUN
1989年 トヨタ・89C-V Cat.2 SUZ
6
DIJ JAR BRH NÜR DON SPA MEX 6
1990年 トヨタ・90C-V Cat.2 SUZ
4
MNZ
Ret
SIL
12
SPA
DNS
27位 3
トヨタ・89C-V DIJ
Ret
NÜR
Ret
DON
Ret
MTL
7
MEX
Ret
1991年 トヨタ・TS010 C SUZ MNZ SIL LMN NÜR MAG MEX AUT
(6)
NC 0
1992年 C MNZ
1
SIL
Ret
LMN
Ret
DON
3
SUZ
2
MAG
3
5位 59

全日本ツーリングカー選手権

[編集]
チーム コドライバー 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 順位 ポイント
1987年 ミノルタ トムス 日本の旗 星野薫 トヨタ・スープラ DIV.3 NIS SEN TSU SUG
Ret
FSW
4
SUZ
3
1988年 日本の旗 小河等 JTC-1 SUZ
6
NIS
3
SEN
5
TSU
4
SUG
Ret
FSW
Ret

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ ラルトのマシンには、前年にF2へのエンジン供給を再開したホンダのワークスエンジンが搭載されていた。
  2. ^ 前年チャンピオンの中嶋悟が新チーム・ハラダレーシングのノウハウ不足、不十分な体制に苦しんだことも要因という記事も当時見られた。なお当時の全日本F2では生沢徹のチームと中嶋悟のチームにのみ、ホンダF2エンジンが供給されていた。
  3. ^ 前年まで中嶋悟が担当していたホンダエンジンのテストをこの年はリースと星野一義鈴木利男が担当した。翌年からはエマニュエル・ピロが専任となった。

出典

[編集]
  1. ^ 走る人生 届かなかった世界 一志治夫 GPX 1991スペイン号 12-13頁 山海堂 1991年10月19日発行
  2. ^ エンジン・メーカー代表に聞く YAMAHA 山下隆一 グランプリ・エクスプレス '89NA回帰元年号 19-20頁 1988年2月8日発行
  3. ^ 1987年5月10日いまや幻となった西日本サーキットでの「セピア色の記憶・第7幕」ミラージュCUP「名人の部」第2戦&F3000オールスターレース 正岡貞雄ベストモータリングを創った男のブログ つれづれなるままにクルマ一代 2013年3月17日

関連項目

[編集]
タイトル
先代
ブライアン・ヘントン
ヨーロッパF2選手権
1981年
次代
コラード・ファビ
先代
中嶋悟
全日本F2選手権
1983年
次代
中嶋悟