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ジャック・ラフィット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャック・ラフィット
Jacques Laffite
ジャック・ラフィット (2015年)
基本情報
フルネーム ジャック=アンリ・マリー・サバン・ラフィット
Jacques-Henri Marie Sabin Laffite
国籍 フランスの旗 フランス
出身地 同・パリ
生年月日 (1943-11-21) 1943年11月21日(81歳)
F1での経歴
活動時期 1974-1986
所属チーム '74-'75,'83-'84 ウィリアムズ
'76-'82,'85-'86 リジェ
出走回数 180 (176スタート)
タイトル 0
優勝回数 6
表彰台(3位以内)回数 32
通算獲得ポイント 228
ポールポジション 7
ファステストラップ 7
初戦 1974年ドイツGP
初勝利 1977年スウェーデンGP
最終勝利 1981年カナダGP
最終戦 1986年イギリスGP
テンプレートを表示

ジャック=アンリ・マリー・サバン・ラフィットJacques-Henri Marie Sabin Laffite, 1943年11月21日 - )は、フランス出身の元レーシングドライバー。「ジャック・ラフィー」と呼ばれることもあり、これはフランス語に近い表記とされることもあるが実際にはフランス語でもLaffiteは「ラフィット」に近い発音である[1]

プロフィール

[編集]

パリ出身。父は弁護士[2]、少年時代から常に一緒に行動するような友人に、のちにルノー・ワークスなどで活躍したF1ドライバージャン=ピエール・ジャブイーユがおり、ジャブイーユ家とラフィット家はフランス中部にあるリゾート地に別荘を共同所有しているような強い絆がある関係だった。ラフィットとジャブイーユは成長後、義兄弟(お互いの妻が姉妹。ジャブイーユの妻の名前はジェヌヴィエーブ、ラフィットの妻はベルナデット。)となった[2]

ラフィットのレーシングドライバーとしてのスタートは極めて遅く、モータースポーツに関わり始めたのが23歳、レースデビューが26歳という遅咲きである。1973年に30歳でフランスF3チャンピオンを獲得。翌年に30歳を超えてからのF1デビューであった。1975年のヨーロッパF2シリーズで6勝を挙げチャンピオン獲得、1974年・1975年とF1に参戦初期の弱小チームだったウィリアムズから参戦。同年の11月には来日し、JAFグランプリF2000クラス(のちの全日本F2)にスポット出場している[3]

1976年、F1に1カー体制で新規参入したフランスチーム・リジェのエースドライバーに就任。1977年スウェーデングランプリで自身にとってもリジェにとっても初となるF1勝利を挙げる。同年第3戦南アフリカグランプリでは、コースマーシャルと衝突した弾みで飛んできた消化器により即死状態だったトム・プライスの車が自車と接触して止まる事になった。同年11月には前年に続いて来日し、全日本F2000選手権最終戦・鈴鹿を独走で制している[4]。なお。この優勝は日本のトップフォーミュラにおける初の外国籍選手の優勝であった[5]

1979年からリジェは2カーエントリーに拡大され、ティレルで勝利を挙げていたパトリック・デパイユが加入し、ラフィットと優勝経験を持つフランス人コンビを組んだ。ニューマシン、リジェ・JS11の戦闘力は高く、ラフィットは開幕から2連勝を挙げてチャンピオン争いに絡んだ。年間ドライバーズランキングは4位、リジェのコンストラクターズランキングは3位と躍進のシーズンとなった。

1980年、移籍したデパイユに変わりディディエ・ピローニが加入しチームメイトとなる。改良型のJS11/15をドライブしドイツGPで優勝、年間ランキング4位を獲得。コンストラクターズ選手権では2位とリジェの最高順位となる結果を残した。

1981年、リジェにルノー・ワークスからジャブイーユが移籍してきたため、「義兄弟コンビ」となった。ラフィットはリジェ・JS17で2勝を挙げ、最終戦で優勝すればワールドチャンピオンを獲得できるポジションに付けていたが、ランキング4位で終了。3年連続でドライバーズランキング4位につけるなど安定した年間成績を残した。同年のスペインGPでは、予選終了時刻前に自身のタイムアタックを終えると最終結果を確認せずに切り上げてゴルフに出かけてしまった。結果はポールポジションを獲得し、決勝ではわずか0.211秒差及ばず2位となっている(このレースの優勝者はフェラーリジル・ヴィルヌーヴであるが、1位から5位までがわずか1.231秒の差でフィニッシュする接戦であった。3位はジョン・ワトソン、4位はカルロス・ロイテマン、5位はエリオ・デ・アンジェリス[6]。1982年オフに7年過ごしたリジェからウィリアムズへの復帰が決定。この1981年がラフィットのキャリア・ピークであり、すでに38才となっていた。

1983年ケケ・ロズベルグと共にウィリアムズ・FW08Cを駆り、最終戦南アフリカGPでは同年にF1復帰したホンダV6ターボエンジンをウィリアムズに供給開始時のドライバーとなった。

1985年、リジェに復帰。チームメイトはアンドレア・デ・チェザリス。ラフィットは3度表彰台に登壇するなど速さを取り戻し、ランキング9位を得る。

1986年もリジェに残留。ルネ・アルヌーとフランス人コンビを組み、ルノー・ターボエンジンを搭載するリジェ・JS27をドライブとオーナーのギ・リジェが望んだオール・フレンチ体制となった。開幕戦ブラジルGPで3位表彰台、デトロイトGPで2位表彰台に立つなど、42才にして衰えの知らない元気な姿を見せていた。第9戦イギリスGPでは、当時のF1最多出走記録であったグラハム・ヒルの出走数176に並んだ。しかし、決勝レースがスタートしタイ記録が達成された直後、多重事故によりラフィットはコース右側のグリーンに押し出され、ガードレールに正面から突っ込んでしまい両足の複雑骨折を負った[7]。以後F1への復帰を目指しリハビリテーションに励み、「松葉杖も要らなくなったし、あと2年はグランプリで走る自信がある」とF1復帰を望んでいた[8]。その後リジェとは1989年までテスト・リザーブドライバーとして契約しており[9]1987年JS291988年JS31についてはマシンの出来が不調でシーズン中に大きなモデファイを必要としたため、その改良具合を確認するテスト走行をラフィットが担当するまでに回復していたが、実戦に復帰することはなかったため、この86年イギリスGPが最後のF1GP出走となった。

30歳以上でF1デビューしたドライバーの中でもっとも決勝出走回数が多いドライバーで、前述のG.ヒルの記録に並んだ時には既に42歳になっていた。F1決勝出走176GPのレコードは、1989年リカルド・パトレーゼが更新するまで(ヒルと並んで)F1最多出走記録であった。

1987年ディジョンで開催されたWTC第3戦でレース復帰。アレッサンドロ・ナニーニとのコンビでアルファロメオ・A75ターボの第2ワークスカーを駆って予選14位・決勝9位でレースを終えた[10]

以後、フランステレビ局のF1レース中継解説者としてサーキットを訪れている。

エピソード

[編集]

ラフィットのヘルメットデザインは、黒地の無地ヘルメットに、出身のウィンフィールドレーシングスクールのステッカーだけが貼られたシンプルなものがトレードマークとなっていた。

ゴルフ好きで知られ、アラン・プロストと共同出資でディジョン郊外のゴルフコースを購入しオーナーとなっている[11]。同じくゴルフ好きだったナイジェル・マンセルとも親交がある。

1984年アメリカグランプリの際にはサーキットにパジャマ姿で現れるというエピソードを残した。これはアメリカとヨーロッパの時差により、ヨーロッパでのテレビ中継の放映時間調整のために決勝レースが通常より3時間早い午前11時スタートと設定され、ウォームアップランは午前7時開始となったことに対する皮肉を込めたラフィットのジョークであった。その姿を見たチーム関係者たちは皆爆笑したという。元F1メカニックの津川哲夫は著書「F1グランプリボーイズ」の中でラフィットを「サーキットのコメディアン」と称している。

ラフィットが在籍していたウィリアムズはホンダエンジンを搭載しており、日本でもある程度の知名度がある。

カーナンバー (フォーミュラ1)

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  • 21 (1974年第11戦 - 1975年第3戦.5.6.8-14戦)
  • 26 (1976年-1982年第3戦.5-16戦.1985年-1986年第9戦)
  • 2 (1983年)
  • 5 (1984年)

レース戦績

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略歴

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シリーズ チーム レース 勝利 PP FL 表彰台 ポイント 順位
1972 ル・マン24時間レース オートモビルズ・リジェ 1 0 0 0 0 N/A DNF
1973 1 0 0 0 0 N/A DSQ
1974 ヨーロピアン・フォーミュラ2英語版 BP・レーシング・フランス 10 1 1 1 5 31 3位
フォーミュラ1 フランク・ウィリアムズ・レーシング・カーズ 5 0 0 0 0 0 NC
ル・マン24時間レース オートモビルズ・リジェ 1 0 0 0 0 N/A 8位
1975 ヨーロピアン・フォーミュラ2 オートモビルズ・マティーニ英語版 14 6 5 4 7 60 1位
フォーミュラ1 フランク・ウィリアムズ・レーシング・カーズ 10 0 0 0 1 6 12位
世界スポーツカー選手権 ウィリ・カウセン・レーシング・チーム英語版 3 3 0 0 3 60 NC
1976 フォーミュラ1 リジェジタン 16 0 1 1 3 20 7位
世界スポーツカー選手権 エキップ・ルノー・エルフ 4 0 3 0 1 15 NC
ヨーロピアン・フォーミュラ2 フレッド・オパート・レーシング英語版 2 0 0 1 2 0 NC
ウィリ・カウセン・レーシング・チーム 1 0 0 0 0
1977 フォーミュラ1 リジェ・ジタン 17 1 0 1 2 18 10位
ヨーロピアン・フォーミュラ2 フレッド・オパート・レーシング 3 0 0 0 0 0 NC
ル・マン24時間レース ルノー・スポール 1 0 0 0 0 N/A DNF
1978 フォーミュラ1 リジェ・ジタン 16 0 0 0 2 19 8位
ヨーロピアン・フォーミュラ2 モーブラン・レーシング・サーヴィセス 2 0 0 0 0 0 NC
ル・マン24時間レース グランド・ツーリング・カーズ Inc. 1 0 0 0 0 N/A 10位
1979 フォーミュラ1 リジェ・ジタン 15 2 4 2 6 36 4位
BMW・M1・プロカー・チャンピオンシップ英語版 BMW・モータースポーツ英語版 4 1 1 0 2 35 7位
1980 フォーミュラ1 エキップ・リジェジタン 14 1 1 1 5 34 4位
BMW・M1・プロカー・チャンピオンシップ BMW・モータースポーツ 6 0 1 0 1 37 9位
1981 フォーミュラ1 エキップタルボジタン 15 2 1 1 7 44 4位
1982 15 0 0 0 1 5 17位
1983 TAGウィリアムズ・チーム 13 0 0 0 0 11 11位
1984 ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング 16 0 0 0 0 5 14位
1985 エキップ・タルボ・ジタン 15 0 0 1 3 16 9位
1986 エキップ・リジェ 9 0 0 0 2 14 8位
1987 世界ツーリングカー選手権 アルファ・コルセ英語版 6 0 0 0 0 86 17位
1990 ドイツツーリングカー選手権 ビガッツィ・M・チーム 21 1 0 3 3 107 7位
ル・マン24時間レース ヨーストポルシェ・レーシング 1 0 0 0 0 N/A 14位
1991 ドイツツーリングカー選手権 スノベック・S.A. 21 0 2 1 3 81 11位
1992 MS・レーシング 23 0 0 1 0 43 13位
1993 ル・マン24時間レース ジャカディ・レーシング 1 0 0 0 0 N/A DNF
1994 ラルブル・コンペティション 1 0 0 0 0 N/A DNF
1996 ル・マン24時間レース チーム・ビガッツィ・SRL 1 0 0 0 0 N/A 11位
2007 FIA GT3・ヨーロピアン・チャンピオンシップ英語版 オートGT・レーシング 6 0 0 0 0 0 22位
2008 7 0 0 0 0 0 29位

ル・マン24時間レース

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チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回数 総合
順位
クラス
順位
1972年 フランスの旗 オートモビルズ・リジェ フランスの旗 ピエール・モブラン リジェ・JS2-マセラティ S3.0 195 DNF DNF
1973年 フランスの旗 ギ・リジェ 24 DSQ DSQ
1974年 フランスの旗 アラン・セルパギ 310 8位 5位
1977年 フランスの旗 ルノー・スポール フランスの旗 パトリック・デパイユ ルノー・アルピーヌ A442 S+2.0 289 DNF DNF
1978年 アメリカ合衆国の旗 グランド・ツーリング・カーズ Inc. オーストラリアの旗 ヴァーン・シュパン
アメリカ合衆国の旗 サム・ポージー
ミラージュ・M9-ルノー 293 10位 5位
1990年 ドイツの旗 ヨーストポルシェ・レーシング フランスの旗 アンリ・ペスカロロ
フランスの旗 ジャン=ルイ・リッチ
ポルシェ・962C C1 328 14位 14位
1993年 フランスの旗 ジャカディ・レーシング フランスの旗 ミシェル・メゾンヌーヴ
フランスの旗 クリストフ・デシャヴァンヌ
ヴェンチュリ・500LM-ルノー GT 210 DNF DNF
1994年 フランスの旗 ラルブル・コンペティション フランスの旗 ジャック・アルメラス
フランスの旗 ジャン=マリー・アルメラス
ポルシェ・911 Carrera RSR GT2 94 DNF DNF
1996年 イタリアの旗 チーム・ビガッツィ・SRL イギリスの旗 スティーブ・ソパー
ベルギーの旗 マルク・デュエツ
マクラーレン・F1 GTR-BMW GT1 318 11位 9位

ヨーロピアン・フォーミュラ2選手権

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エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 順位 ポイント
1974年 BPレーシング・フランス マーチ・742 BMW M12 BAR
Ret
HOC
10
PAU
2
SAL
1
HOC
2
MUG
Ret
KAR
3
PER
7
HOC
18
VAL
3
3位 31
1975年 オートモビルズ・マルティニ マルティニ・Mk16 EST
1
THR
1
HOC
Ret
NÜR
1
PAU
1
HOC
1
SAL
NC
ROU
Ret
MUG
Ret
PER
1
SIL
Ret
ZOL
Ret
NOG
Ret
VAL
2
1位 60
1976年 フレッド・オパート・レーシング シェブロン・B35 BMW HOC THR VAL SAL PAU
2
HOC ROU MUG PER EST NOG
2
NC 0
ウィリ・カウセン・レーシング・チーム マーチ・762 ハート HOC
Ret
1977年 フレッド・オパート・レーシング シェブロン・B40 ハート SIL THR HOC
7
NÜR VAL PAU
10
MUG ROU NOG
Ret
PER MIS EST DON NC 0
1978年 モーブラン・レーシング・サーヴィセス マーチ・782 BMW THR HOC NÜR PAU
11
MUG VAL ROU DON NOG
Ret
PER MIS HOC NC 0

全日本フォーミュラ2000選手権

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エントラント シャシー エンジン タイヤ 車番 1 2 3 4 5 順位 ポイント
1975年 Marlboroアストロン VICIC マーチ・742 三菱・R39 B2 B 81 FSW SUZ FSW SUZ SUZ
7
-[12] -[12]
1976年 CLUB MEDITERRANEE VICIC シェブロン・B35 BMW M12/7 B 16 FSW SUZ FSW SUZ SUZ
1
-[12] -[12]

フォーミュラ1

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経歴

[編集]
  • 1974年 ウィリアムズからF1初参戦。
  • 1975年 シーズンランキング12位。
  • 1976年 リジェに移籍、シーズンランキング8位。初ポールポジション。
  • 1977年 シーズンランキング10位。初優勝。
  • 1978年 シーズンランキング8位。
  • 1979年 シーズンランキング4位。2勝。
  • 1980年 シーズンランキング4位。1勝。
  • 1981年 シーズンランキング4位。2勝。
  • 1982年 シーズンランキング18位。
  • 1983年 ウィリアムズに移籍、シーズンランキング11位。
  • 1984年 シーズンランキング14位。
  • 1985年 リジェに移籍、シーズンランキング9位。
  • 1986年 イギリスグランプリで事故により負傷し、以後F1を欠場。シーズンランキング8位。

年度別成績

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エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 WDC ポイント
1974年 ウィリアムズイソ・マールボロ FW フォード・コスワース DFV 3.0 V8 ARG BRA RSA ESP BEL MON SWE NED FRA GBR GER
Ret
AUT
NC
ITA
Ret
CAN
15
USA
Ret
NC 0
1975年 ウィリアムズ FW02 ARG
Ret
BRA
11
RSA
NC
ESP 12位 6
FW04 MON
DNQ
BEL
Ret
SWE NED
Ret
FRA
11
GBR
Ret
GER
2
AUT
Ret
ITA
Ret
USA
DNS
1976年 リジェ JS5 マトラ MS73 3.0 V12 BRA
Ret
RSA
Ret
USW
4
ESP
12
BEL
3
MON
12
SWE
4
FRA
14
GBR
DSQ
GER
Ret
AUT
2
NED
Ret
ITA
3
CAN
Ret
USA
Ret
JPN
7
7位 20
1977年 JS7 マトラ MS76 3.0 V12 ARG
NC
BRA
Ret
RSA
Ret
USW
9
ESP
7
MON
7
BEL
Ret
SWE
1
FRA
8
GBR
6
GER
Ret
AUT
Ret
NED
2
ITA
8
USA
7
CAN
Ret
JPN
5
10位 18
1978年 ARG
16
BRA
9
USW
5
8位 19
JS7/9 マトラ MS78 3.0 V12 RSA
5
BEL
5
SWE
7
JS9 MON
Ret
ESP
3
FRA
7
GBR
10
GER
3
AUT
5
NED
8
ITA
4
USA
11
CAN
Ret
1979年 JS11 フォード・コスワース DFV 3.0 V8 ARG
1
BRA
1
RSA
Ret
USW
Ret
ESP
Ret
BEL
2
MON
Ret
FRA
8
GBR
Ret
GER
3
AUT
3
NED
3
ITA
Ret
CAN
Ret
USA
Ret
4位 36
1980年 JS11/15 ARG
Ret
BRA
Ret
RSA
2
USW
Ret
BEL
11
MON
2
FRA
3
GBR
Ret
GER
1
AUT
4
NED
3
ITA
9
CAN
8
USA
5
4位 34
1981年 タルボリジェ JS17 マトラ MS81 3.0 V12 USW
Ret
BRA
6
ARG
Ret
SMR
Ret
BEL
2
MON
3
ESP
2
FRA
Ret
GBR
3
GER
3
AUT
1
NED
Ret
ITA
Ret
CAN
1
CPL
6
4位 44
1982年 JS17B RSA
Ret
BRA
Ret
USW
Ret
SMR BEL
9
DET
6
CAN
Ret
17位 5
JS19 MON
Ret
NED
Ret
GBR
Ret
FRA
14
GER
Ret
AUT
3
SUI
Ret
ITA
Ret
CPL
Ret
1983年 ウィリアムズ FW08C フォード・コスワース DFV 3.0 V8 BRA
4
USW
4
FRA
6
SMR
7
MON
Ret
BEL
6
DET
5
CAN
Ret
GBR
12
GER
6
AUT
Ret
NED
Ret
ITA
DNQ
EUR
DNQ
11位 11
FW09 ホンダ RA163-E 1.5 V6 t RSA
Ret
1984年 ホンダ RA163E 1.5 V6 t BRA
Ret
RSA
Ret
BEL
Ret
SMR
Ret
FRA
8
MON
8
CAN
Ret
DET
5
DAL
4
14位 5
FW09B ホンダ RA164E 1.5 V6 t GBR
Ret
GER
Ret
AUT
Ret
NED
Ret
ITA
Ret
EUR
Ret
POR
14
1985年 リジェ JS25 ルノー EF4B 1.5 V6 t BRA
6
POR
Ret
SMR
Ret
MON
6
CAN
8
DET
12
FRA
Ret
GBR
3
GER
3
AUT
Ret
NED
Ret
ITA
Ret
BEL
11
EUR
Ret
RSA AUS
2
9位 16
1986年 JS27 BRA
3
ESP
Ret
SMR
Ret
MON
6
BEL
5
CAN
7
DET
2
FRA
6
GBR
Ret
GER HUN AUT ITA POR MEX AUS 8位 14

BMW・M1・プロカー・チャンピオンシップ

[編集]
チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
1979年 BMW・モータースポーツ ZOL
Ret
MCO DIJ SIL HOC
Ret
ÖST
1
ZAN
2
MNZ 6位 35
1980年 DON AVU
4
MCO NOR
7
BRH
4
HOC
10
ÖST
Ret
ZAN
3
IMO 8位 37

世界ツーリングカー選手権

[編集]
チーム 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 DC ポイント
1987年 アルファ・コルセ アルファロメオ・75 MNZ JAR
Ret
DIJ
ovr:9
cls:5
NÜR
ovr:9
cls:7
SPA
ovr:12
cls:9
BNO
ovr:10
cls:8
SIL
ovr:10
cls:8
BAT CAL WEL FUJ 17位 86

ドイツツーリングカー選手権

[編集]
チーム 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 順位 ポイント
1990年 ビガッツィ・M・チーム BMW・M3 Sport Evo ZOL
1

6
ZOL
2

4
HOC
1

Ret
HOC
2

DNS
NÜR
1

3
NÜR
2

Ret
AVU
1

4
AVU
2

Ret
MFA
1

7
MFA
2

Ret
WUN
1

14
WUN
2

Ret
NÜR
1

1
NÜR
2

8
NOR
1

8
NOR
2

Ret
DIE
1

18
DIE
2

4
NÜR
1

2
NÜR
2

6
HOC
1

14
HOC
2

5
7位 107
1991年 スノベック・S.A. メルセデス・190E 2.5-16 Evo2 ZOL
1

21
ZOL
2

Ret
HOC
1

5
HOC
2

9
NÜR
1

5
NÜR
2

6
AVU
1

15
AVU
2

21
WUN
1

4
WUN
2

5
NOR
1

13
NOR
2

8
DIE
1

3
DIE
2

Ret
NÜR
1

3
NÜR
2

3
ALE
1

DNS
ALE
2

DNS
HOC
1

12
HOC
2

12
BRN
1

13
BRN
2

Ret
DON
1

5
DON
2

7
11位 81
1992年 MS・レーシング ZOL
1

9
ZOL
2

14
NÜR
1

18
NÜR
2

10
WUN
1

8
WUN
2

6
AVU
1

9
AVU
2

4
HOC
1

7
HOC
2

6
NÜR
1

11
NÜR
2

9
NOR
1

11
NOR
2

11
BRN
1

Ret
BRN
2

13
DIE
1

18
DIE
2

8
ALE
1

10
ALE
2

8
NÜR
1

Ret
NÜR
2

Ret
HOC
1

Ret
HOC
2

DNS
13位 43

グランプリ・マスターズ

[編集]
チーム シャシー エンジン 1
2005年 チーム・GMF デルタ・モータースポーツ・GPM ニコルソン・マクラーレン 3.5 V8 RSA
Ret

脚注

[編集]
  1. ^ Forvoチーム. “Jacques Laffite の発音: Jacques Laffite の フランス語 の発音”. Forvo.com. 2022年12月8日閲覧。
  2. ^ a b 無冠の帝王③ターボ革命に捧げたレース人生 ジャン-ピエール・ジャボイーユ グランプリ・エクスプレス フランスGP号 14-15頁 山海堂 1989年7月29日発行
  3. ^ JAFグランプリF-2000/リザルト JAF日本自動車連盟モータースポーツ
  4. ^ 1976日本グランプリ自動車レースF2000チャンピオン・リザルト JAF日本自動車連盟モータースポーツ
  5. ^ "JAFグランプリとは?"21回を数えるJAFグランプリの歴史 鈴鹿サーキット 2022年9月16日
  6. ^ スポーツ・グラフィック「ナンバー」編 文藝春秋文春文庫ビジュアル版『激走!F1』 54-71頁。
  7. ^ さらば愛しきブランズハッチ 金子博 Racing On No.010 44頁 武集書房 1987年2月1日発行
  8. ^ 復帰を目指しリハビリを開始したラフィット 元気に自転車トレーニング Racing On No.010 1987年2月号 38頁
  9. ^ 続出No.3ドライバーたち GPX '89ブラジルGP号 37頁 山海堂 1989年4月15日発行
  10. ^ ラフィーがレースに復帰 ディジョンWTC第3戦 オートスポーツ No.475 1987年7月1日号 140頁 三栄書房
  11. ^ スペシャルインタビュー アラン・プロスト グランプリ・エクスプレス モナコGP号 12-13頁 1989年5月27日発行
  12. ^ a b c d JAF(日本自動車連盟)ライセンスではない外国ライセンスドライバーはポイント対象外。

関連項目

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タイトル
先代
ミシェル・ルクレール
フランスF3 チャンピオン
1973
次代
開催休止
先代
パトリック・デパイユ
ヨーロッパF2 チャンピオン
1975
次代
ジャン=ピエール・ジャブイーユ