アンリ・ペスカロロ
アンリ・ペスカロロ | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | フランス |
出身地 | 同・パリ |
生年月日 | 1942年9月25日(82歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1968-1974,1976 |
所属チーム |
'68,'69,'70 マトラ '71-'72,73 マーチ '71-'72,'73 ウィリアムズ '73 イソ・マールボロ (ウィリアムズ) '74 BRM '76 サーティース |
出走回数 | 64 (57スタート) |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 1 |
通算獲得ポイント | 12 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 1 |
初戦 | 1968年カナダGP |
最終戦 | 1976年アメリカGP |
アンリ・ペスカロロ(Henri Pescarolo、1942年9月25日[1] - )は、フランス出身の元レーシング・ドライバー。 姓は「ペスカローロ」とも表記される。
ル・マン24時間レースでは3連覇を含む4度の総合優勝を果たし、33回出場という最多記録を持つ。ペスカロロ・スポール(Pescarolo Sport)の創始者であり、ヘリコプターパイロットでもある。
経歴
[編集]1967年にフランスF3選手権のシリーズチャンピオンを獲得し、1968年カナダグランプリにてマトラワークスチームよりF1デビュー。1971年より弱小時代のウィリアムズに移籍し、以後もマーチ、BRM、BSファブリケーションズと移籍しながら参戦した。F1での通算成績は64戦に出走し表彰台1回、通算獲得ポイントは12。1976年を最後にF1でのシートを失いスポーツカーレースへと参戦カテゴリーを移す。彼は特有の緑色のヘルメットをトレードマークとして使用し、顔全体にあごひげを蓄えているが、それはクラッシュで負ったやけどの一部を覆っている。
耐久レースでは長いキャリアを誇る。ル・マン24時間レースでは前述のように1966年から1999年まで33回出場[2](1969年は新型マシン、マトラ・MS640のテスト中の事故で欠場[3])。1972年はマトラシムカ・MS670でグラハム・ヒルと組んで、1973年はマトラシムカMS670Bでジェラール・ラルースと組んで、1974年もマトラシムカMS670でジェラール・ラルースと組んで、1984年にもヨースト・レーシングからポルシェ・956でクラウス・ルドヴィックと組んで勝利した。
現役引退後は2000年に自身のチーム「ペスカロロ・スポール」を結成し、ル・マン24時間レースやル・マン・シリーズに参戦している。彼のチームはソニー・コンピュータエンタテインメントのPlayStation 2とグランツーリスモ4のスポンサーを受けたことで知られる。
ペスカロロはまた年一回のダカール・ラリーに参加している。
レース戦績
[編集]フォーミュラ1
[編集]年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | WDC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1968年 | マトラ | MS11 | RSA | ESP | MON | BEL | NED | FRA | GBR | GER | ITA | CAN Ret |
USA DNS |
MEX 9 |
NC | 0 | ||||
1969年 | MS7 (F2) | RSA | ESP | MON | NED | FRA | GBR | GER 5 |
ITA | CAN | USA | MEX | NC | 0 | ||||||
1970年 | MS120 | RSA 7 |
ESP Ret |
MON 3 |
BEL 6 |
NED 8 |
FRA 5 |
GBR Ret |
GER 6 |
AUT 14 |
ITA Ret |
CAN 7 |
USA 8 |
MEX 9 |
12位 | 8 | ||||
1971年 | マーチ/ウィリアムズ | 701 | RSA 11 |
17位 | 4 | |||||||||||||||
711 | ESP Ret |
MON 8 |
NED 13 |
FRA Ret |
GBR 4 |
GER Ret |
AUT 5 |
ITA Ret |
CAN DNS |
USA Ret |
||||||||||
1972年 | 721 | ARG 8 |
RSA 11 |
ESP 11 |
MON Ret |
BEL NC |
FRA DNS |
GER Ret |
AUT DNS |
ITA DNQ |
CAN 13 |
USA 14 |
NC | 0 | ||||||
ポリトイズ/ウィリアムズ | FX3 | GBR Ret |
||||||||||||||||||
1973年 | マーチ | 721G/731 | ARG | BRA | RSA | ESP 8 |
BEL | MON | SWE | NC | 0 | |||||||||
イソ・マールボロ (ウィリアムズ) | IR | FRA Ret |
GBR | NED | GER 10 |
AUT | ITA | CAN | USA | |||||||||||
1974年 | BRM | P160E | ARG 9 |
BRA 14 |
RSA 18 |
ESP 12 |
BEL Ret |
MON Ret |
NED Ret |
NC | 0 | |||||||||
P201 | SWE Ret |
FRA Ret |
GBR Ret |
GER 10 |
AUT | ITA Ret |
CAN | USA | ||||||||||||
1976年 | サーティース/BSファブリケーションズ | TS19 | BRA | RSA | USW | ESP | BEL | MON DNQ |
SWE | FRA Ret |
GBR Ret |
GER DNQ |
AUT 9 |
NED 11 |
ITA 17 |
CAN 19 |
USA NC |
JPN | NC | 0 |
ル・マン24時間レース
[編集]出典
[編集]- ^ Jenkins, Richard. “The World Championship drivers - Where are they now?”. OldRacingCars.com. 2007年7月29日閲覧。
- ^ 『ルマン 偉大なる耐久レースの全記録』p.137。
- ^ 『スポーツカー・プロファイル・シリーズ6』p.43。
- ^ “All Results of Henri Pescarolo”. RacingSportCars. January 20, 2019閲覧。
参考文献
[編集]- ジョー・ホンダ『ルマン 伝統と日本チームの戦い』グランプリ出版、1995年。ISBN 4-87687-161-2。
- 黒井尚志『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』集英社、1992年。 ISBN 4-08-780158-6。
- 檜垣和夫『スポーツカー・プロファイル・シリーズ6 マートラ MS620/MS630/MS650/MS660/MS670/MS680 アルピーヌ M63/M64/M65/A210/A220』二玄社、2010年。ISBN 978-4544400472。
- 檜垣和夫『ルマン - 偉大なる耐久レースの全記録』二玄社、1999年 ISBN 978-4544040654。
タイトル | ||
---|---|---|
先代 ジョニー・セルボ=ギャバン |
フランスF3 チャンピオン 1967 |
次代 フランソワ・セベール |
先代 ヘルムート・マルコ ジィズ・ヴァン・レネップ |
ル・マン24時間優勝者 1972 with: グラハム・ヒル |
次代 アンリ・ペスカロロ ジェラール・ラルース |
先代 アンリ・ペスカロロ グラハム・ヒル |
ル・マン24時間優勝者 1973 with: ジェラール・ラルース |
次代 アンリ・ペスカロロ ジェラール・ラルース |
先代 アンリ・ペスカロロ ジェラール・ラルース |
ル・マン24時間優勝者 1974 with: ジェラール・ラルース |
次代 ジャッキー・イクス デレック・ベル |
先代 ヴァーン・シュパン ハーレイ・ヘイウッド アル・ホルバート |
ル・マン24時間優勝者 1984 with: クラウス・ルートヴィッヒ |
次代 クラウス・ルートヴィッヒ パオロ・バリッラ ジョン・ウィンター |