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1970年スペイングランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スペイン 1970年スペイングランプリ
レース詳細
1970年F1世界選手権全13戦の第2戦
ハラマ・サーキット (1967-1990)
日程 1970年4月19日
正式名称 XVI Gran Premio de España
開催地 ハラマ・サーキット
スペインの旗 スペイン マドリード
コース 恒久的レース施設
コース長 3.404 km (2.115 mi)
レース距離 90周 306.360 km (190.363 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)[1]
ポールポジション
ドライバー ブラバム-フォード
タイム 1:23.90
ファステストラップ
ドライバー オーストラリア ジャック・ブラバム ブラバム-フォード
タイム 1:24.3 (19周目)
決勝順位
優勝 マーチ-フォード
2位 マクラーレン-フォード
3位 マーチ-フォード

1970年スペイングランプリ (1970 Spanish Grand Prix) は、1970年のF1世界選手権第2戦として、1970年4月19日ハラマ・サーキットで開催された。

レースはティレルジャッキー・スチュワートが優勝し、マーチにF1初勝利をもたらしたが[2]、運営上の不手際が相次いだ一戦となってしまった[3]

レース前

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前戦南アフリカGPの後、本レースのために各チームが再びハラマに集まるまで6週間のブランクがあった。この間、ほとんどのイギリスのチームは、ブランズ・ハッチで行われた非選手権レースのレース・オブ・チャンピオンズ英語版に参加した。同レースはティレルマーチ・701を駆るジャッキー・スチュワートが制した[4]

エントリー

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ヤードレー化粧品のスポンサードにより、カラーリングが一新されたBRM・P153ドニントン・グランプリ・コレクション所蔵)

前戦南アフリカGPから顔ぶれはほとんど変わらなかったが[4]ロータスは楔形ボディの革新的な新車72[5]を投入した[4]。レギュラーのヨッヘン・リントジョン・マイルズが72を走らせ[4]、地元出身のアレックス・ソラー=ロイグ英語版49Cでスポット参戦する[5]マクラーレンは、スポーツカーレース用に開発されたアルファロメオV8エンジンを搭載したM7Dアンドレア・デ・アダミッチに与えた[6]BRMはスポンサーにヤードレー化粧品が付き、エントラント名とマシンのカラーリングが変更された[6]

エントリーリスト

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チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
イギリスの旗 ティレル・レーシング・オーガニゼーション 1 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート マーチ 701 フォードコスワース DFV 3.0L V8 D
16 フランスの旗 ジョニー・セルボ=ギャバン
イタリアの旗 スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 2 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス フェラーリ 312B フェラーリ 001 3.0L F12 F
イギリスの旗 ゴールドリーフ・チーム・ロータス 3 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント ロータス 72 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
19 イギリスの旗 ジョン・マイルズ
イギリスの旗 ガーヴェイ・チーム・ロータス 23 スペインの旗 アレックス・ソラー=ロイグ 49C
フランスの旗 エキップ・マトラ・エルフ 4 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ MS120 マトラ MS12 3.0L V12 G
22 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ
イギリスの旗 ブルース・マクラーレン・モーターレーシング 5 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン M14A フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
11 ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン
20 イタリアの旗 アンドレア・デ・アダミッチ M7D アルファロメオ T33 3.0L V8
イギリスの旗 ロブ・ウォーカー・レーシングチーム 6 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス 49C フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
イギリスの旗 モーターレーシング・ディベロップメンツ・リミテッド 7 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム BT33 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
イギリスの旗 アウト・モトール・ウント・シュポルト 24 西ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン
イギリスの旗 チーム・サーティース 8 イギリスの旗 ジョン・サーティース マクラーレン M7C フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
イギリスの旗 マーチ・エンジニアリング 9 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン マーチ 701 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
14 スイスの旗 ジョー・シフェール
イギリスの旗 ヤードレー・チーム・BRM 10 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM P153 BRM P142 3.0L V12 D
15 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー
21 カナダの旗 ジョージ・イートン
イギリスの旗 フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ 12 イギリスの旗 ピアス・カレッジ デ・トマソ 505 フォードコスワース DFV 3.0L V8 D
アメリカ合衆国の旗 STPコーポレーション 18 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ マーチ 701 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
西ドイツの旗 UTAレーシング・オーガニゼーション 25 西ドイツの旗 ヴェルナー・ビッケル 1 BRM P139 BRM P142 3.0L V12 D
アメリカ合衆国の旗 ピート・ラブリー・フォルクスワーゲン・インク 26 アメリカ合衆国の旗 ピート・ラブリー 2 ロータス 49B フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
ソース:[7]
追記
  • ^1 - ビッケルはエントリーのみ[8]
  • ^2 - ラブリーはマシンが準備できず欠場[8]

予選

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レース前に主催者は決勝に出走できる台数を16に制限し、うち10台(ジャッキー・スチュワートティレル/マーチ)、デニス・ハルムマクラーレン)、ジャック・ブラバムブラバム)、ジョン・サーティースサーティース/マクラーレン)、グラハム・ヒルロブ・ウォーカー/ロータス)、ヨッヘン・リント(ロータス)、クリス・エイモン(マーチ)、ジャン=ピエール・ベルトワーズマトラ)、ペドロ・ロドリゲスBRM)、ジャッキー・イクスフェラーリ[9])は自動的に決勝への進出を認めることにしたが[10]、この決定は物議を醸し、ウィリアムズフランク・ウィリアムズ代表は非民主的でかつ恣意的であると反論した。例えば、ヒルは土曜日にクラッシュしてマシンを壊したが、それによってタイムが出せなくても自動的に決勝へ進出できる。このルールがなければ決勝に進出できない可能性があった[9]

予選の結果、ブラバムがポールポジションを獲得し、2番手のハルムと3番手のスチュワートがフロントローに並んだ[4][注 1]。ブラバムはこれがF1最後のポールポジションであった[11]。2列目はベルトワーズとロドリゲス、3列目はエイモン、イクス、リントが占めた[4]。しかし、予選開催中は決勝に出走できる台数が不明となってしまい、土曜の予選で下位に終わったドライバーは決勝に出走できるかわからなかった。さらに悪いことに一部の時間帯はスチュワードにより記録されなかった。ピアス・カレッジ(ウィリアムズ/デ・トマソ)はウォームアップでクラッシュしてマシンを壊し、決勝に出場できなくなった[9]

日曜の朝、CSI(国際スポーツ委員会)[注 2]は決勝に出場できる台数を17(カレッジの欠場により実際には16)とすることを発表し、アンドレア・デ・アダミッチ(マクラーレン)、ジョン・マイルズアレックス・ソラー=ロイグ英語版(以上ロータス)、ジョー・シフェール(マーチ)、ジョージ・イートン英語版(BRM)が予選落ちとなった。しかし、主催者は地元出身のソラー=ロイグを決勝に出場させたいため各チームに嘆願書を出し、イートンを除く4台を突然グリッドに並べた。CSIはこれを認めず、グアルディア・シビル国家憲兵)の協力を得て4台をグリッドから排除した[9]

これらの不手際により、グリッド順位決定のタイムと実際の予選タイムにはかなりの違いがあることに留意されたい[1]

予選結果

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順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 7 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム-フォード 1:23.90 - 1
2 5 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 1:24.10 +0.20 2
3 1 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート マーチ-フォード 1:24.20 +0.30 3
4 4 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ 1:24.46 +0.56 4
5 10 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM 1:24.50 +0.60 5
6 9 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン マーチ-フォード 1:24.65 +0.75 6
7 2 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス フェラーリ 1:24.70 +0.80 7
8 3 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント ロータス-フォード 1:24.80 +0.90 8
9 22 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ マトラ 1:24.90 +1.00 9
10 15 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー BRM 1:25.00 +1.10 10
11 11 ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン マクラーレン-フォード 1:25.00 +1.10 11
12 20 イタリアの旗 アンドレア・デ・アダミッチ マクラーレン-アルファロメオ 1:25.15 +1.25 DNQ 1
13 8 イギリスの旗 ジョン・サーティース マクラーレン-フォード 1:25.20 +1.30 12
14 19 イギリスの旗 ジョン・マイルズ ロータス-フォード 1:25.30 +1.40 DNQ 1
15 14 スイスの旗 ジョー・シフェール マーチ-フォード 1:25.38 +1.48 DNQ 1
16 12 イギリスの旗 ピアス・カレッジ デ・トマソ-フォード 1:25.40 +1.50 13 2
17 16 フランスの旗 ジョニー・セルボ=ギャバン マーチ-フォード 1:25.46 +1.56 14
18 6 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス-フォード 1:25.54 +1.64 15
19 18 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ マーチ-フォード 1:25.70 +1.80 16
20 23 スペインの旗 アレックス・ソラー=ロイグ ロータス-フォード 1:25.80 +1.90 DNQ 1
21 24 西ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン ブラバム-フォード 1:26.20 +2.30 17
22 21 カナダの旗 ジョージ・イートン BRM 1:26.40 +2.50 DNQ 1
ソース:[12][13]
追記
  • ^1 - CSIが決勝出場台数を17に制限したことに伴い予選落ち[9]
  • ^2 - カレッジはウォームアップのアクシデントでマシンを壊したため、決勝出走を見合わせた[9]

決勝

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スタート直後にジャッキー・オリバーBRM・P153はコントロールを失ってジャッキー・イクスフェラーリ・312Bに衝突し、まだ燃料が満タンだった両者のマシンは大きく炎上した。オリバーは無事に脱出できたが、イクスはレーシングスーツ全体に炎が燃え移った状態で救出され、軽度の火傷を負った。イクスは火傷に悩まされながらこの年の大半を過ごすことになる[14]。マシンは2台とも完全に燃え尽きた[15]。オリバーがフロントのスタブアクスル[14](車軸)の破損をチームに報告したため、BRM陣営はチームメイトのペドロ・ロドリゲスをピットへ呼び寄せリタイアさせた[4]

消火作業に手こずる間もレースはそのまま続行され[15]マーチ・701を駆るティレルジャッキー・スチュワートが1度も首位を譲ることなく優勝し、F1世界選手権2戦目のマーチに初優勝をもたらした[4]。なお、プライベートチームによるF1世界選手権レースの優勝はこれが最後である[注 3]デニス・ハルムはスタートでスチュワートに続いたが、イグニッション(点火装置)の問題でリタイアした。これでジャック・ブラバムが2位となったが、ジャン=ピエール・ベルトワーズに追い抜かれた。しかし、ベルトワーズが32周目にエンジントラブルでリタイアし、ブラバムは2位に返り咲いた。代わってベルトワーズのチームメイトであるアンリ・ペスカロロが3位となったが、ペスカロロも2周後にエンジントラブルでリタイアした。これでジョン・サーティースが3位に浮上したが、レース中盤にギアボックスのトラブルにより順位を落としてリタイアし、ブラバムが62周目にエンジントラブルでリタイアすると、ブルース・マクラーレンが2位、マリオ・アンドレッティが3位に浮上してレースを終えた[4]

マクラーレンは最後の表彰台、入賞、完走を[16]、アンドレッティは初の表彰台、入賞、完走を記録した[17][18]グラハム・ヒルは4位に入賞して通算獲得ポイントを279点とし、歴代1位のファン・マヌエル・ファンジオ(277.64点)を上回る新記録を樹立した[9]

レース結果

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順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 1 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート マーチ-フォード 90 2:10:58.2 3 9
2 11 ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン マクラーレン-フォード 89 +1 Lap 11 6
3 18 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ マーチ-フォード 89 +1 Lap 16 4
4 6 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス-フォード 89 +1 Lap 15 3
5 16 フランスの旗 ジョニー・セルボ=ギャバン マーチ-フォード 88 +2 Laps 14 2
Ret 8 イギリスの旗 ジョン・サーティース マクラーレン-フォード 76 ギアボックス 12
Ret 7 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム-フォード 61 エンジン 1
Ret 24 西ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン ブラバム-フォード 43 エンジン 17
Ret 22 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ マトラ 33 エンジン 9
Ret 4 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ 31 エンジン 4
Ret 5 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 10 イグニッション 2
Ret 9 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン マーチ-フォード 10 エンジン 6
Ret 3 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント ロータス-フォード 9 イグニッション 8
Ret 10 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM 4 オリバーの事故後撤退[1] 5
Ret 2 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス フェラーリ 0 アクシデント 7
Ret 15 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー BRM 0 アクシデント 10
DNS 12 イギリスの旗 ピアス・カレッジ デ・トマソ-フォード 予選でアクシデント 13
DNQ 20 イタリアの旗 アンドレア・デ・アダミッチ マクラーレン-アルファロメオ 予選不通過
DNQ 19 イギリスの旗 ジョン・マイルズ ロータス-フォード 予選不通過
DNQ 14 スイスの旗 ジョー・シフェール マーチ-フォード 予選不通過
DNQ 21 カナダの旗 ジョージ・イートン BRM 予選不通過
DNQ 23 スペインの旗 アレックス・ソラー=ロイグ ロータス-フォード 予選不通過
ソース:[19]
優勝者ジャッキー・スチュワートの平均速度[8]
140.350 km/h (87.209 mph)
ファステストラップ[20]
ラップリーダー[21]
太字は最多ラップリーダー

第2戦終了時点のランキング

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  • : トップ5のみ表示。前半7戦のうちベスト6戦及び後半6戦のうちベスト5戦がカウントされる。

脚注

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注釈

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  1. ^ 本レースのスターティンググリッドは3-2-3。
  2. ^ 1978年に国際自動車スポーツ連盟(FISA)に改編され、1993年FIAに吸収された。
  3. ^ ここで言うプライベートチームとは、自チームでマシンを製造せず、他のコンストラクター(ワークスチーム)からマシンを購入して参戦しているチームのことである。なお、ティレルはこの年の終盤戦から自製マシンで参戦を開始した。

出典

[編集]
  1. ^ a b c (林信次 1995, p. 130)
  2. ^ (林信次 1995, p. 103)
  3. ^ (林信次 1995, p. 105)
  4. ^ a b c d e f g h i Spanish GP, 1970”. grandprix.com. 2019年12月17日閲覧。
  5. ^ a b (林信次 1995, p. 110)
  6. ^ a b (林信次 1995, p. 111)
  7. ^ Spain 1970 - Race entrants”. STATS F1. 2019年12月17日閲覧。
  8. ^ a b c Spain 1970 - Result”. STATS F1. 2019年12月17日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g Spain 1970”. STATS F1. 2019年12月17日閲覧。
  10. ^ Poachers turned gamekeepers: how the FOCA became the new FIA - Part 1: Introduction and timeline”. Forix.com (21 November 2007). 2019年12月16日閲覧。
  11. ^ 戦績:J.ブラバム”. F1 DataWeb. 2019年12月17日閲覧。
  12. ^ Spain 1970 - Qualifications”. STATS F1. 2019年12月17日閲覧。
  13. ^ Spain 1970 - Starting grid”. STATS F1. 2019年12月15日閲覧。
  14. ^ a b (アラン・ヘンリー 1989, p. 253)
  15. ^ a b (林信次 1995, p. 104-105)
  16. ^ 戦績:B.マクラーレン”. F1 DataWeb. 2019年12月17日閲覧。
  17. ^ “The Grand Prix of Spain”. Motor Sport: 30. (May 1970). http://www.motorsportmagazine.com/archive/article/may-1970/30/grand-prix-spain 31 July 2015閲覧。. 
  18. ^ 戦績:M.アンドレッティ”. F1 DataWeb. 2019年12月18日閲覧。
  19. ^ 1970 Spanish Grand Prix”. formula1.com. 31 October 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。22 December 2015閲覧。
  20. ^ Spain 1970 - Best laps”. STATS F1. 2019年12月18日閲覧。
  21. ^ Spain 1970 - Laps led”. STATS F1. 2019年12月18日閲覧。
  22. ^ a b Spain 1970 - Championship”. STATS F1. 20 March 2019閲覧。

参照文献

[編集]
  • Wikipedia英語版 - en:1970 Spanish Grand Prix (2019年3月20日 18:09:18)
  • 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6 
  • アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2 

外部リンク

[編集]
前戦
1970年南アフリカグランプリ
FIA F1世界選手権
1970年シーズン
次戦
1970年モナコグランプリ
前回開催
1969年スペイングランプリ
スペインの旗 スペイングランプリ 次回開催
1971年スペイングランプリ