1972年ドイツグランプリ
レース詳細 | |||
---|---|---|---|
1972年F1世界選手権全12戦の第8戦 | |||
ニュルブルクリンク北コース (1967-1982) | |||
日程 | 1972年7月30日 | ||
正式名称 | XXXIV Großer Preis von Deutschland[1] | ||
開催地 |
ニュルブルクリンク 西ドイツ ニュルブルク | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 22.835 km (14.189 mi) | ||
レース距離 | 14周 319.690 km (198.646 mi) | ||
決勝日天候 | 晴(ドライ)[2] | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | フェラーリ | ||
タイム | 7:07.0[3] | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | ジャッキー・イクス | フェラーリ | |
タイム | 7:13.6[3] (10[2]周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | フェラーリ | ||
2位 | フェラーリ | ||
3位 | マーチ-フォード |
1972年ドイツグランプリ (1972ねんドイツグランプリ、英: 1972 German Grand Prix) は、1972年のF1世界選手権第8戦として、1972年7月30日にニュルブルクリンクで開催された[4]。
レースは14周で行われ、フェラーリのジャッキー・イクスが優勝した。イクスはポールポジションとファステストラップを獲得し、かつ全周回でトップを走行したことによりグランドスラムを達成した。イクスにとってはこれが通算8回目でかつ最後のF1世界選手権レースにおける優勝であった。チームメイトのクレイ・レガツォーニが2位、マーチのロニー・ピーターソンが3位となった。
エントリー
[編集]ティレルは新車005のインボードブレーキに起因するひどい振動により熟成が進まず[5]、ニュルブルクリンクに005を持ち込まないことを決めた[1]。
フェラーリはサッカーで遊んでいた際に腕を負傷したクレイ・レガツォーニが復帰し、アメリカのレースを優先したマリオ・アンドレッティに代わり、F1デビュー戦となった前戦イギリスGPで6位に入賞したアルトゥーロ・メルツァリオが引き続き起用された。マクラーレンのピーター・レブソンもアンドレッティ同様アメリカのレースを優先したため、ブライアン・レッドマンが代走を務める[1]。
BRMは3台のP160Cをジャン=ピエール・ベルトワーズ、ハウデン・ガンレイ、レイネ・ウィセルに与え、ピーター・ゲシンがメンバーから外された[1]。
マトラは新車MS120Dの修理が終わり、クリス・エイモンが再び同車を走らせる[6]。
ウィリアムズにとって初めてのオリジナルF1マシン「ポリトイ・FX3」は前戦イギリスGPでデビューしたが、同GPの決勝でアンリ・ペスカロロがクラッシュしたことにより大破させたため、再びマーチ・721をペスカロロに与えた。テクノはデレック・ベルを起用した[1]。
コンニューのフランソワ・ミゴールはサーキットには行ったものの、経験の浅いドライバーがいる未知のマシンであることを理由に主催者からエントリーを拒否された[6]。
エントリーリスト
[編集]予選
[編集]ジャッキー・イクスは前年にポールポジションを獲得したジャッキー・スチュワートが記録したタイム(7分19秒0)を約12秒上回り[1]、そのスチュワートに1.7秒差でポールポジションを獲得した[10]。エマーソン・フィッティパルディとロニー・ピーターソンが2列目、フランソワ・セベールとカルロス・ロイテマンが3列目に並び、クレイ・レガツォーニ、クリス・エイモン、アンリ・ペスカロロ、デニス・ハルムがトップ10に入った[11]。
予選結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 4 | ジャッキー・イクス | フェラーリ | 7:07.0 | - | 1 |
2 | 1 | ジャッキー・スチュワート | ティレル-フォード | 7:08.7 | +1.7 | 2 |
3 | 2 | エマーソン・フィッティパルディ | ロータス-フォード | 7:09.9 | +2.9 | 3 |
4 | 10 | ロニー・ピーターソン | マーチ-フォード | 7:11.6 | +4.6 | 4 |
5 | 7 | フランソワ・セベール | ティレル-フォード | 7:12.2 | +5.2 | 5 |
6 | 12 | カルロス・ロイテマン | ブラバム-フォード | 7:12.4 | +5.4 | 6 |
7 | 9 | クレイ・レガツォーニ | フェラーリ | 7:13.4 | +6.4 | 7 |
8 | 8 | クリス・エイモン | マトラ | 7'13.9 | +6.9 | 8 |
9 | 20 | アンリ・ペスカロロ | マーチ-フォード | 7:14.4 | +7.4 | 9 |
10 | 3 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 7:14.5 | +7.5 | 10 |
11 | 21 | カルロス・パーチェ | マーチ-フォード | 7:16.6 | +9.6 | 11 |
12 | 15 | ティム・シェンケン | サーティース-フォード | 7:17.2 | +10.2 | 12 |
13 | 6 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | BRM | 7:17.3 | +10.3 | 13 |
14 | 22 | ロルフ・シュトメレン | アイフェラント-フォード | 7:17.5 | +10.5 | 14 |
15 | 11 | グラハム・ヒル | ブラバム-フォード | 7:18.4 | +11.4 | 15 |
16 | 14 | マイク・ヘイルウッド | サーティース-フォード | 7:21.0 | +14.0 | 16 |
17 | 18 | レイネ・ウィセル | BRM | 7:21.4 | +14.4 | 17 |
18 | 17 | ハウデン・ガンレイ | BRM | 7:22.3 | +15.3 | 18 |
19 | 5 | ブライアン・レッドマン | マクラーレン-フォード | 7:23.2 | +16.2 | 19 |
20 | 16 | アンドレア・デ・アダミッチ | サーティース-フォード | 7:23.7 | +16.7 | 20 |
21 | 26 | ウィルソン・フィッティパルディ | ブラバム-フォード | 7:24.8 | +17.8 | 21 |
22 | 19 | アルトゥーロ・メルツァリオ | フェラーリ | 7:25.9 | +18.9 | 22 |
23 | 25 | デビッド・ウォーカー | ロータス-フォード | 7:29.5 | +22.5 | 23 |
24 | 23 | ニキ・ラウダ | マーチ-フォード | 7:32.2 | +25.2 | 24 |
25 | 27 | デレック・ベル | テクノ | 7:33.3 | +26.3 | 25 |
26 | 29 | デイヴ・チャールトン | ロータス-フォード | 7:34.1 | +27.1 | 26 |
27 | 28 | マイク・ボイトラー | マーチ-フォード | 7:35.9 | +28.9 | 27 |
ソース:[12][13] |
決勝
[編集]25万人近い大観衆がレースを待ちわびていた中、スタート直前のウォームアップ走行でクリス・エイモンの点火装置が破損し、ピットへ戻り修理しなけれなならなかった。エイモンを除く26台がスターティンググリッドに並び、レースはスタートした[6]。
ジャッキー・スチュワートとロニー・ピーターソンがホイール・トゥ・ホイールの攻防で2位を争う中、ジャッキー・イクスがリードする。スチュワートとピーターソンのバトルはピーターソンが制し、スチュワートはクレイ・レガツォーニとエマーソン・フィッティパルディにも抜かれて5位に後退した[11]。エイモンは1周半遅れてピットからスタートした[13]。
E.フィッティパルディは2周目にレガツォーニを、5周目にピーターソンを抜いて2位に浮上する。9周目にピーターソンがスピンし、レガツォーニとスチュワートに遅れを取った。11周目にE.フィッティパルディのギアボックスが火災に見舞われ、ロータス・72Dから白煙が吹き出してリタイアした。これでレガツォーニが2位に浮上し、フェラーリの1-2体制が築かれた。スチュワートは最終ラップでレガツォーニに迫り[11]、ハッツェンバッハの森に差し掛かったところでレガツォーニをオーバーテイクしようとしたが両者は接触してしまい[14]、スチュワートはガードレール(アームコバリア)に激突してサスペンションが破壊し、チャンピオン争いで首位を独走するE.フィッティパルディとの差を縮める機会を失ってしまった。スチュワートは激怒したが、レガツォーニは肩をすくめて「彼がコントロールを誤ったのさ」と言いニヤリと笑った[14]。
イクスは前年にフランソワ・セベールが記録したファステストラップのタイムを7秒上回り、首位の座を一度も譲らない完璧なスタイルで走り通して完勝した[14]。イクスはニュルブルクリンク北コースでグランドスラム[注 1]を達成した4人目かつ最後のドライバーとなった。イクス以前にニュルブルクリンク北コースでグランドスラムを達成したドライバーはアルベルト・アスカリ(1952年)、ファン・マヌエル・ファンジオ(1956年)、ジム・クラーク(1965年)の3人である[15]。レガツォーニは復帰戦を2位でフィニッシュし[16]、フェラーリは1970年メキシコGP以来2年ぶりの1-2フィニッシュを達成した[17]。スチュワートに代わって3位表彰台を獲得したのはピーターソンで、マーチは今シーズン初の表彰台を獲得した。以下、ハウデン・ガンレイ、ブライアン・レッドマン、グラハム・ヒルがポイントを獲得した[1]。
レース結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 4 | ジャッキー・イクス | フェラーリ | 14 | 1:42:12.3 | 1 | 9 |
2 | 9 | クレイ・レガツォーニ | フェラーリ | 14 | +48.3 | 7 | 6 |
3 | 10 | ロニー・ピーターソン | マーチ-フォード | 14 | +1:06.7 | 4 | 4 |
4 | 17 | ハウデン・ガンレイ | BRM | 14 | +2:20.2 | 18 | 3 |
5 | 5 | ブライアン・レッドマン | マクラーレン-フォード | 14 | +2:35.7 | 19 | 2 |
6 | 11 | グラハム・ヒル | ブラバム-フォード | 14 | +2:59.6 | 15 | 1 |
7 | 26 | ウィルソン・フィッティパルディ | ブラバム-フォード | 14 | +3:00.1 | 21 | |
8 | 28 | マイク・ボイトラー | マーチ-フォード | 14 | +5:10.7 | 27 | |
9 | 6 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | BRM | 14 | +5:20.2 | 13 | |
10 | 7 | フランソワ・セベール | ティレル-フォード | 14 | +5:43.7 | 5 | |
11 | 1 | ジャッキー・スチュワート | ティレル-フォード | 13 | 接触 | 2 | |
12 | 19 | アルトゥーロ・メルツァリオ | フェラーリ | 13 | +1 Lap | 22 | |
13 | 16 | アンドレア・デ・アダミッチ | サーティース-フォード | 13 | +1 Lap | 20 | |
14 | 15 | ティム・シェンケン | サーティース-フォード | 13 | +1 Lap | 12 | |
15 | 8 | クリス・エイモン | マトラ | 13 | +1 Lap | (8) 1 | |
NC | 21 | カルロス・パーチェ | マーチ-フォード | 11 | 規定周回数不足 | 11 | |
Ret | 2 | エマーソン・フィッティパルディ | ロータス-フォード | 10 | ギアボックス | 3 | |
Ret | 20 | アンリ・ペスカロロ | マーチ-フォード | 10 | アクシデント | 9 | |
Ret | 3 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 8 | エンジン | 10 | |
Ret | 14 | マイク・ヘイルウッド | サーティース-フォード | 8 | サスペンション | 16 | |
Ret | 12 | カルロス・ロイテマン | ブラバム-フォード | 6 | ディファレンシャル | 6 | |
Ret | 22 | ロルフ・シュトメレン | アイフェラント-フォード | 6 | 電気系統 | 14 | |
Ret | 25 | デビッド・ウォーカー | ロータス-フォード | 6 | オイル漏れ | 23 | |
Ret | 23 | ニキ・ラウダ | マーチ-フォード | 4 | オイル漏れ | 24 | |
Ret | 27 | デレック・ベル | テクノ | 4 | エンジン | 25 | |
Ret | 29 | デイヴ・チャールトン | ロータス-フォード | 4 | 体調不良 | 26 | |
Ret | 18 | レイネ・ウィセル | BRM | 3 | エンジン | 17 | |
ソース:[18] |
- 優勝者ジャッキー・イクスの平均速度[8]
- 187.676 km/h (116.616 mph)
- ファステストラップ[19]
-
- ジャッキー・イクス - 7:13.6 (10周目)
- ラップリーダー[20]
- 太字は最多ラップリーダー
- ジャッキー・イクス - 14周 (全周回)
- 達成された主な記録[1]
-
- ドライバー
- 最終勝利/初グランドスラム: ジャッキー・イクス - 通算8勝、唯一のグランドスラム[21]
- 最終入賞: ブライアン・レッドマン[22]
- コンストラクター
- 150戦目の出走: BRM
- ドライバー
第8戦終了時点のランキング
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- 注: トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半6戦のうちベスト5戦がカウントされる。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1つのレースでポールポジション、ファステストラップ、優勝、全周回ラップリーダーを達成すること。詳細は当該項目を参照。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h “Germany 1972”. STATS F1. 2020年5月6日閲覧。
- ^ a b “1972年第8戦ドイツグランプリの結果”. F1 DataWeb. 2020年5月6日閲覧。
- ^ a b “Formula One World - History - German Grand Prix 1972”. 15 July 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。27 June 2010閲覧。
- ^ 1972 German Grand Prix Entry list 2020年5月6日閲覧。.
- ^ 林信次 1993, p. 36.
- ^ a b c “1972 German Grand Prix race report”. Motor Sport Magazine. 2020年5月6日閲覧。
- ^ “Germany 1972 - Race entrants”. STATS F1. 2020年5月4日閲覧。
- ^ a b “Germany 1972 - Result”. STATS F1. 2020年5月6日閲覧。
- ^ 林信次 1993, p. 43.
- ^ アラン・ヘンリー 1989, pp. 268–269.
- ^ a b c “German GP, 1972”. grandprix.com. 2020年5月6日閲覧。
- ^ “Germany 1972 - Qualifications”. STATS F1. 2020年5月6日閲覧。
- ^ a b c “Germany 1972 - Starting grid”. STATS F1. 2020年5月6日閲覧。
- ^ a b c アラン・ヘンリー 1989, p. 269.
- ^ “F1 Grand Chelem/Grand Slams Records (2017年イギリスGP終了時点)”. Sportskeeda. 2020年5月6日閲覧。
- ^ 林信次 1993, p. 38.
- ^ “戦績:フェラーリ”. F1 DataWeb. 2020年5月6日閲覧。
- ^ “1972 German Grand Prix”. formula1.com. 7 November 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。22 December 2015閲覧。
- ^ “Germany 1972 - Best laps”. STATS F1. 2020年5月6日閲覧。
- ^ “Germany 1972 - Laps led”. STATS F1. 2020年5月6日閲覧。
- ^ “戦績:J.イクス”. F1 DataWeb. 2020年5月6日閲覧。
- ^ “戦績:B.レッドマン”. F1 DataWeb. 2020年5月6日閲覧。
- ^ a b “Germany 1972 - Championship”. STATS F1. 18 March 2019閲覧。
参照文献
[編集]- Wikipedia英語版 - en:1972 German Grand Prix(2019年3月18日 12:46:42(UTC))
- 林信次『F1全史 1971-1975 [名手スチュワートの退場/若手精鋭たちの新時代]』ニューズ出版、1993年。ISBN 4-938495-05-8。
- アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2。
外部リンク
[編集]前戦 1972年イギリスグランプリ |
FIA F1世界選手権 1972年シーズン |
次戦 1972年オーストリアグランプリ |
前回開催 1971年ドイツグランプリ |
ドイツグランプリ | 次回開催 1973年ドイツグランプリ |