1970年のF1世界選手権
1970年のFIAフォーミュラ1 世界選手権 |
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前年: | 1969 | 翌年: | 1971 |
一覧: 開催国 | 開催レース |
1970年のF1世界選手権(1970ねんのエフワンせかいせんしゅけん)は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第21回大会である。1970年3月27日に南アフリカで開幕し、10月25日にメキシコで開催される最終戦まで、全13戦で争われた。
シーズン概要
[編集]1970年シーズンはティレルがシムカとの協定に従って、コスワースではなくマトラのV12エンジンを使用するよう依頼された。スチュワートはマトラV12をテストしたが、コスワースDFVより劣っていることを理解した。ティレルの予算は大半がフォードから提供されたものであり、もう一つの大きな要素はフランスの国有石油会社エルフによるものであった。
ケン・ティレルにはスポンサーシップの衝突のため、マトラ製シャシーを使い続けることができなくなった。しかしながら臨時の解決策として、自身のシャシーを秘密に開発している間、マーチ 701シャシーを購入して使用することとした。最初のティレルはマトラ・MS80に多くの部分が似ていた。
ウェッジシェイプの新型ロータス・72は非常に革新的な車であり、トーションビーム式サスペンション、後方配置のラジエター、インボード式フロント・ブレーキ、オーバーハングしたリアウィングを装着していた。72は元からサスペンションに問題を抱えていたが、アンチ・ダイブ、アンチ・スクワット式のサスペンションは他車に対して優越性を示し、シーズンはヨッヘン・リントがモンツァで事故死するまで支配することとなった。リントは死後に70年のタイトルを獲得した。ジャッキー・イクスはオーストリア、カナダ、メキシコで勝利しシーズン2位となった。イクスがエマーソン・フィッティパルディに代わってアメリカグランプリで勝利していたなら、彼がタイトルを獲得していた。
1970年シーズンはグッドイヤーによるスリック・タイヤが導入された。
チャンピオンに3度輝いたジャック・ブラバムがこのシーズンをもって引退した。
開催地及び勝者
[編集]ラウンド | レース | サーキット | 開催日 | ポールポジション | ファステストラップ | 優勝者 | コンストラクター | タイヤ | レポート |
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1 | 南アフリカグランプリ | キャラミ | 3月7日 | ジャッキー・スチュワート | ジャック・ブラバム | ジャック・ブラバム | ブラバム-フォード | G | 詳細 |
2 | スペイングランプリ | ハラマ | 4月19日 | ジャック・ブラバム | ジャック・ブラバム | ジャッキー・スチュワート | マーチ-フォード | D | 詳細 |
3 | モナコグランプリ | モナコ | 5月10日 | ジャッキー・スチュワート | ヨッヘン・リント | ヨッヘン・リント | ロータス-フォード | F | 詳細 |
4 | ベルギーグランプリ | スパ・フランコルシャン | 6月7日 | ジャッキー・スチュワート | クリス・エイモン | ペドロ・ロドリゲス | BRM | D | 詳細 |
5 | オランダグランプリ | ザントフォールト | 6月21日 | ヨッヘン・リント | ジャッキー・イクス | ヨッヘン・リント | ロータス-フォード | F | 詳細 |
6 | フランスグランプリ | シャレード | 7月5日 | ジャッキー・イクス | ジャック・ブラバム | ヨッヘン・リント | ロータス-フォード | F | 詳細 |
7 | イギリスグランプリ | ブランズ・ハッチ | 7月18日 | ヨッヘン・リント | ジャック・ブラバム | ヨッヘン・リント | ロータス-フォード | F | 詳細 |
8 | ドイツグランプリ | ホッケンハイムリンク | 8月2日 | ジャッキー・イクス | ジャッキー・イクス | ヨッヘン・リント | ロータス-フォード | F | 詳細 |
9 | オーストリアグランプリ | エステルライヒリンク | 8月16日 | ヨッヘン・リント | ジャッキー・イクス クレイ・レガツォーニ |
ジャッキー・イクス | フェラーリ | F | 詳細 |
10 | イタリアグランプリ | モンツァ | 9月6日 | ジャッキー・イクス | クレイ・レガツォーニ | クレイ・レガツォーニ | フェラーリ | F | 詳細 |
11 | カナダグランプリ | モントランブラン | 9月20日 | ジャッキー・スチュワート | クレイ・レガツォーニ | ジャッキー・イクス | フェラーリ | F | 詳細 |
12 | アメリカグランプリ | ワトキンズ・グレン | 10月4日 | ジャッキー・イクス | ジャッキー・イクス | エマーソン・フィッティパルディ | ロータス-フォード | F | 詳細 |
13 | メキシコグランプリ | エルマノス・ロドリゲス | 10月25日 | クレイ・レガツォーニ | ジャッキー・イクス | ジャッキー・イクス | フェラーリ | F | 詳細 |
エントリーリスト
[編集]1970年のドライバーズランキング
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1970年のコンストラクターズランキング
[編集]ポイントは1位から順に6位まで 9-6-4-3-2-1 が与えられた。各コンストラクターとも最上位の車両にポイントが与えられた。前半7戦の内ベスト6戦および後半6戦の内ベスト5戦がポイントランキングに数えられた。
順位 | マニファクチャラー | RSA |
ESP |
MON |
BEL |
NED |
FRA |
GBR |
GER |
AUT |
ITA |
CAN |
USA |
MEX |
ポイント[2] |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ロータス-フォード | 5 | 4 | 1 | Ret | 1 | 1 | 1 | 1 | 15 | DNS | NC | 1 | NC | 59 |
2 | フェラーリ | Ret | Ret | Ret | 4 | 3 | 14 | 4 | 2 | 1 | 1 | 1 | 4 | 1 | 52 (55) |
3 | マーチ-フォード | 3 | 1 | 7 | 2 | 2 | 2 | 5 | 7 | 8 | 2 | 3 | 5 | 4 | 48 |
4 | ブラバム-フォード | 1 | Ret | 2 | 5 | 11 | 3 | 2 | 5 | 3 | 5 | Ret | 10 | Ret | 35 |
5 | マクラーレン-フォード | 2 | 2 | 4 | 6 | 4 | 3 | 3 | 10 | 4 | 6 | 7 | 3 | 35 | |
6 | BRM | 9 | Ret | 6 | 1 | 10 | 12 | Ret | Ret | 4 | Ret | 4 | 2 | 6 | 23 |
7 | マトラ | 4 | Ret | 3 | 3 | 5 | 5 | Ret | 6 | 6 | 3 | 7 | 8 | 5 | 23 |
8 | サーティース-フォード | Ret | 9 | Ret | Ret | 5 | 6 | 8 | 3 | ||||||
- | マクラーレン-アルファロメオ | DNQ | DNQ | DNQ | NC | Ret | DNQ | 12 | 8 | Ret | DNQ | 0 | |||
- | デ・トマソ-フォード | Ret | DNS | NC | Ret | Ret | DNQ | Ret | Ret | NC | Ret | 0 | |||
- | ティレル-フォード | Ret | Ret | Ret | 0 | ||||||||||
- | ベラシ-フォード | DNQ | DNQ | DNQ | Ret | DNQ | 0 | ||||||||
順位 | マニファクチャラー | RSA |
ESP |
MON |
BEL |
NED |
FRA |
GBR |
GER |
AUT |
ITA |
CAN |
USA |
MEX |
ポイント |
- 太字はカウントされたポイント
ノンタイトル戦結果
[編集]レース | サーキット | 開催日 | 優勝者 | コンストラクター | レポート |
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V レース・オブ・チャンピオンズ | ブランズ・ハッチ | 3月22日 | ジャッキー・スチュワート | マーチ-コスワース | 詳細 |
XXII BRDC インターナショナル・トロフィー | シルバーストン | 4月26日 | クリス・エイモン | マーチ-コスワース | 詳細 |
XVII インターナショナル・ゴールドカップ | オウルトンパーク | 8月22日 | ジョン・サーティース | サーティース-コスワース | 詳細 |
注
[編集]- ^ ポイントは1位から順に6位まで 9-6-4-3-2-1 が与えられた。前半7戦の内ベスト6戦および後半6戦の内ベスト5戦がポイントランキングに数えられたが、このルールは1970年シーズンにおいてドライバーのポイント合算に影響を与えなかった。
- ^ 前半7戦の内ベスト6戦および後半6戦の内ベスト5戦がポイントランキングに数えられた。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
外部リンク
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