ベラシ・F1 70
カテゴリー | F1 | ||||||||
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コンストラクター | ベラシ | ||||||||
デザイナー | ヴィットリオ・ベラシ | ||||||||
主要諸元 | |||||||||
シャシー | アルミニウム製モノコック | ||||||||
エンジン | フォード-コスワース DFV 2,993 cc (182.6 cu in) 90° V8, | ||||||||
重量 | 560 kg | ||||||||
燃料 | シェル | ||||||||
タイヤ | グッドイヤー | ||||||||
主要成績 | |||||||||
チーム |
シルビオ・モーザー・レーシングチーム ジョリークラブ・スウィツァランド | ||||||||
ドライバー | シルビオ・モーザー | ||||||||
コンストラクターズタイトル | nc | ||||||||
ドライバーズタイトル | nc | ||||||||
初戦 | 1970年モナコグランプリ | ||||||||
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ベラシ・F1 70 (Bellasi F1 70) は、ベラシが開発したフォーミュラ1カー。1970年と1971年のF1世界選手権にシルビオ・モーザーのドライブで出走した。予選を通過したのは2回のみであったが、いずれも技術的な問題が原因でリタイアした。
歴史
[編集]1969年にスイス人ドライバーのシルビオ・モーザーは、それまで所属していたシャルル・ホーゲルからチームを購入した。新チームとしてシルビオ・モーザー・レーシングチームが設立され、ファクトリーマシンであったブラバム・BT24を購入して参戦した。7戦に出場しアメリカグランプリでは6位入賞、1ポイントを獲得した。1970年、レギュレーションの変更によってそれまでのように旧型のブラバムのシャシーを購入して参戦するわけにはいかなくなり、モーザーはオリジナルのシャシーを用意しなければならなくなった。
ベラシ・F1 70はアルミニウム製モノコックシャシーにコスワースV8を搭載した。マシンはシーズン序盤に間に合わず、第5戦のオランダグランプリでようやく登場したが、予選は最下位の24位で決勝には出場できなかった。続くフランスグランプリも予選23台中21位で決勝には進出できなかった。予選を最下位で通過したグラハム・ヒルとは0.26秒差であった。チームは予算不足でイギリスグランプリを欠場、ドイツグランプリには出場したもののここでも予選落ちした。続くオーストリアグランプリでようやく予選を通過する。決勝では13周目にエンジンのオーバーヒートでリタイアとなった。イタリアグランプリでも予選落ちし、その後シーズン後半は出場を放棄した。
1971年シーズンはイタリアグランプリのみの参戦であった。予選は通過したものの、決勝は5周目にサスペンショントラブルでリタイアとなった。このグランプリがベラシとモーザーにとって最後のグランプリとなった。
F1における全成績
[編集]年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | WDC | ポイント |
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1970年 | ベラシ/シルビオ・モーザー | F1 70 | RSA | ESP | MON | BEL | NED DNQ |
FRA DNQ |
GBR | GER DNQ |
AUT Ret |
ITA DNQ |
CAN | USA | MEX | NC | 0 |
1971年 | ベラシ/ジョリークラブ・スウィツァランド | RSA | ESP | MON | NED | FRA | GBR | GER | AUT | ITA Ret |
CAN | USA | NC | 0 |