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1968年スペイングランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スペイン 1968年スペイングランプリ
レース詳細
1968年F1世界選手権全12戦の第2戦
ハラマ・サーキット (1967–1990)
ハラマ・サーキット (1967–1990)
日程 1968年5月12日
正式名称 XIV Gran Premio de España
開催地 ハラマ・サーキット
スペインの旗 スペイン マドリード
コース 恒久的レース施設
コース長 3.404 km (2.115 mi)
レース距離 90周 306.360 km (190.363 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)
ポールポジション
ドライバー フェラーリ
タイム 1:27.9
ファステストラップ
ドライバー フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ-フォード
タイム 1:28.3 (47周目)
決勝順位
優勝 ロータス-フォード
2位 マクラーレン-フォード
3位 クーパー-BRM

1968年スペイングランプリ (1968 Spanish Grand Prix) は、1968年のF1世界選手権第2戦として、1968年5月12日ハラマ・サーキットで開催された。

本レースは、前月にホッケンハイムリンクで開催されたF2レースの事故で亡くなった元チャンピオンのジム・クラークの死後の最初のレースであった。クラークは、前戦の開幕戦南アフリカグランプリで優勝して9点を獲得し、本レースの前にドライバーズチャンピオンシップをリードしていた。

エントリー

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前年の秋にF1世界選手権レース復帰の前哨戦としてハラマで行われた非選手権F1レースのスペイングランプリ英語版を制し、前戦南アフリカグランプリも制したジム・クラークだったが、本レースの1ヶ月前の4月7日ドイツホッケンハイムリンクで行われたF2レース「ドイツトロフィー英語版」で事故死した[1]

クラークの事故死に続き、本レースから5日前のインディ500英語版での練習走行中にクラークの代走として参加したマイク・スペンス英語版も事故死してしまい、クラークの死によって打ちのめされていたチーム・ロータスを率いるコーリン・チャップマン1954年以来14年ぶりのF1カレンダー復帰となったスペイングランプリに来ないことを選んだ[2]。ロータスはクラークの代走としてジャッキー・オリバーを起用したが間に合わず、グラハム・ヒル1台のみの参加となった[3]

また、ロータスはイギリスの伝統的なナショナルカラーであるブリティッシュグリーンではなく、1月中旬にスポンサー契約を結んだゴールドリーフの赤と金色のカラーリングで初めて登場し、マシンをスポンサーカラーに塗った最初のワークスチームとなった[注 1]。F1草創期からマシンを彩り続けていたナショナルカラーの伝統が崩れ去ったと同時に、そのエースドライバーまでもが彼岸へと旅立った[1]

スコットランド出身でクラークの後輩にあたるジャッキー・スチュワートも4月末にハラマで行われたF2レースで右腕を骨折してしまい、本来マトラのワークスチーム(マトラ・スポール)のジャン=ピエール・ベルトワーズがスチュワートの代走として、セミワークスマトラ・インターナショナルで新車MS10を走らせる[2][4]フェラーリアンドレア・デ・アダミッチも3月に行われたレース・オブ・チャンピオンズ英語版ブランズ・ハッチ)のクラッシュにより負傷し、以後はクリス・エイモンジャッキー・イクスの2台体制で臨むことになる[5]

ヨーロッパラウンドが始まり、他チームも新車の投入やエンジンの変更が相次いだ。マクラーレンフォード・コスワース・DFVエンジンを搭載した新車M7Aが投入され、ブルース・マクラーレンデニス・ハルムのニュージーランドコンビによる2台体制が整った[6]。前年のチャンピオンチームであるブラバムは、パワーアップされたレプコの新型DOHC4バルブV8エンジンを搭載したBT26[7]クーパーは前年に登場したT86マセラティV12エンジンからBRMのV12に換装したT86Bをそれぞれ投入した[8]。BRMは前述の通りスペンスの事故死によりペドロ・ロドリゲス1台のみの参加となり、エンジンはH16を諦めV12に一本化され、新車P133が投入された[9]ホンダは前作RA300に引き続きローラと共同開発で[10]、エンジンも含めて完全な新車としたRA301を投入し、中村良夫監督は密かにチャンピオン獲得を目論んだが[11]空冷エンジン搭載のRA302が並行開発され始めたためRA301の完成は遅れ、鈴鹿サーキットでのシェイクダウンテストのみで本レースに臨まなければならなかった[12]

プライベーターのロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシングチームは本レースからロータス・49を走らせる[7]レグ・パーネル・レーシング英語版ピアス・カレッジ前年のモナコグランプリ以来1年ぶりに起用し、BRM・P126を走らせる[9]

エントリーリスト

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チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
イギリスの旗 ブルース・マクラーレン・モーターレーシング 1 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン M7A フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
2 ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン
イギリスの旗 ブラバム・レーシング・オーガニゼーション 3 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム BT26 レプコ 860 3.0L V8 G
4 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント BT24 レプコ 740 3.0L V8
イギリスの旗 レグ・パーネル・レーシング 5 イギリスの旗 ピアス・カレッジ BRM P126 BRM P142 3.0L V12 G
イギリスの旗 マトラ・インターナショナル 6 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ MS10 フォードコスワース DFV 3.0L V8 D
日本の旗 ホンダ・レーシング 7 イギリスの旗 ジョン・サーティース ホンダ RA301 ホンダ RA301E 3.0L V12 F
イギリスの旗 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション 8 イギリスの旗 マイク・スペンス 1 BRM P126 BRM P142 3.0L V12 G
9 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス P133
イギリスの旗 ゴールドリーフ・チーム・ロータス 10 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス 49 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
11 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー 2
イギリスの旗 クーパー・カー・カンパニー 14 イギリスの旗 ブライアン・レッドマン クーパー T86B BRM P142 3.0L V12 F
15 イタリアの旗 ルドビコ・スカルフィオッティ
イギリスの旗 ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシングチーム 16 スイスの旗 ジョー・シフェール ロータス 49 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
スイスの旗 ヨアキム・ボニエ・レーシングチーム 17 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ 3 マクラーレン M5A BRM P142 3.0L V12 G
イタリアの旗 スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 19 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン フェラーリ 312/67 フェラーリ 242 3.0L V12 F
21 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス 312/68 フェラーリ 242C 3.0L V12
イギリスの旗 バーナード・ホワイト・レーシング 20 イギリスの旗 デビッド・ホッブズ 4 BRM P261 BRM P142 3.0L V12 G
スペインの旗 エスクーデリア・カルボ・ソテロ 22 スペインの旗 ホルヘ・デ・バグラチオン 2 ローラ T100 フォードコスワース FVA 1.6L L4 D
ソース:[13]
追記
  • ピンク地F2マシン
  • ^1 - スペンスはインディ500の練習走行中に事故死
  • ^2 - マシンが準備できず[14]
  • ^3 - 他のレースに出場したため欠場[14]
  • ^4 - ホッブズはスターティングマネーの支払いを巡って紛争となり撤退[14]

予選

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クリス・エイモンフェラーリ)が初のポールポジションを獲得し、ペドロ・ロドリゲスBRM)とデニス・ハルムマクラーレン)とともにフロントローを占めた[注 2]ブルース・マクラーレン(マクラーレン)とジャン=ピエール・ベルトワーズマトラ)が2列目、グラハム・ヒルロータス)は6番手に沈み、テスト不足のまま投入せざるを得なかった新車RA301のブレーキフェードや燃費の問題で7番手に終わったジョン・サーティースホンダ[15]ジャッキー・イクス(フェラーリ)とともに3列目から決勝をスタートする[16]

結果

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順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 19 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン フェラーリ 1:27.9 - 1
2 9 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM 1:28.1 +0.2 2
3 1 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 1:28.3 +0.4 3
4 2 ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン マクラーレン-フォード 1:28.3 +0.4 4
5 6 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ-フォード 1:28.3 +0.4 5
6 10 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス-フォード 1:28.4 +0.5 6
7 7 イギリスの旗 ジョン・サーティース ホンダ 1:28.8 +0.9 7
8 21 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス フェラーリ 1:29.6 +1.7 8
9 4 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント ブラバム-レプコ 1:29.7 +1.8 9
10 16 スイスの旗 ジョー・シフェール ロータス-フォード 1:29.7 +1.8 10
11 5 イギリスの旗 ピアス・カレッジ BRM 1:29.9 +2.0 11
12 15 イタリアの旗 ルドビコ・スカルフィオッティ クーパー-BRM 1:30.8 +2.9 12
13 14 イギリスの旗 ブライアン・レッドマン クーパー-BRM 1:31.0 +3.1 13
14 3 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 1:44.2 +16.3 DNS
ソース:[17][18]

決勝

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グラハム・ヒル(画像は同年のオランダGP)が2年半ぶりに優勝した。

ロータスの運命は酷暑となった日曜日のレース中に変わった[2]ペドロ・ロドリゲスBRM)がリードし、ジャン=ピエール・ベルトワーズマトラ)、クリス・エイモンフェラーリ)、デニス・ハルムマクラーレン)が続いた。ベルトワーズは12周目にリードを奪うが、エンジントラブルで4周遅れとなった。エイモンは首位の座を取り戻し、ロドリゲスは28周目にスピンを喫してクラッシュするまで2位につけた。彼はメカニックがマシンを回収するのを待っている間、観客が「ハゲワシのように車に降りて、ミラー、シート、防風板、およびノーズカウリングを剥ぎ取った」[2]。これらのリタイアによってヒルは2位に浮上し、58周目に1マイル (1.6 km)前方のエイモンが燃料ポンプの故障でリタイアしたことで首位の座を得た[2]。ヒルの後ろを走っていたハルムは2速を失ったため後退し、ヒルはペースを落としてフィニッシュした[2][3]。ベルトワーズはマシントラブルから回復し、自身及びマトラにとって初めてのファステストラップを記録した。ジョン・サーティースホンダ)は74周目にギアボックスがトラブルを起こしてシフト不能となったため、リタイアに終わった[19]

結果

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順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 10 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス-フォード 90 2:15:20.1 6 9
2 1 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 90 +15.9 3 6
3 14 イギリスの旗 ブライアン・レッドマン クーパー-BRM 89 +1 Lap 13 4
4 15 イタリアの旗 ルドビコ・スカルフィオッティ クーパー-BRM 89 +1 Lap 12 3
5 6 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ-フォード 81 +9 Laps 5 2
Ret 2 ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン マクラーレン-フォード 77 オイル漏れ 4
Ret 7 イギリスの旗 ジョン・サーティース ホンダ 74 ギアボックス 7
Ret 16 スイスの旗 ジョー・シフェール ロータス-フォード 62 トランスミッション 10
Ret 19 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン フェラーリ 57 燃料ポンプ 1
Ret 5 イギリスの旗 ピアス・カレッジ BRM 52 燃料ポンプ 11
Ret 9 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM 27 アクシデント 2
Ret 21 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス フェラーリ 13 イグニッション 8
Ret 4 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント ブラバム-レプコ 10 油圧 9
DNS 3 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ エンジン
ソース:[20]
ファステストラップ[21]
ラップリーダー[22]

達成された記録

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[23]

第2戦終了時点のランキング

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  • : トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半6戦のうちベスト5戦がカウントされる。

脚注

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注釈

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  1. ^ これ以前に前戦南アフリカグランプリでプライベートチームのチーム・ガンストン英語版のマシンが、スポンサーのガンストン英語版のオレンジに塗られ、F1初のスポンサーカラーに塗られたマシンを使用したチームとなった。 'SA was ahead of the curve' – 50 years of sponsorship in F1”. wheels24.co.za. 4 October 2018閲覧。
  2. ^ 本レースのスターティンググリッドは3-2-3。

出典

[編集]
  1. ^ a b (林信次 1995, p. 57)
  2. ^ a b c d e f Hill victorious for mourning Lotus”. ESPNf1.com. ESPN. 3 February 2015閲覧。
  3. ^ a b Grand Prix Results: Spanish GP, 1968”. Grandprix.com. 3 February 2015閲覧。
  4. ^ (林信次 1995, p. 59,73)
  5. ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 236)
  6. ^ (林信次 1995, p. 58)
  7. ^ a b (林信次 1995, p. 70)
  8. ^ (林信次 1995, p. 71)
  9. ^ a b (林信次 1995, p. 72)
  10. ^ Honda RA301”. HONDA. 2019年8月21日閲覧。
  11. ^ (中村良夫 1998, p. 236-238)
  12. ^ (中村良夫 1998, p. 241-244)
  13. ^ Spain 1968 - Race entrants”. STATS F1. 2019年8月18日閲覧。
  14. ^ a b c Spain 1968 - Result”. STATS F1. 2019年8月18日閲覧。
  15. ^ (中村良夫 1998, p. 244-245)
  16. ^ Spanish GP, 1968”. grandprix.com. 2019年8月21日閲覧。
  17. ^ Spain 1968 - Qualifications”. STATS F1. 2019年8月18日閲覧。
  18. ^ Spain 1968 - Starting grid”. STATS F1. 2019年8月18日閲覧。
  19. ^ (中村良夫 1998, p. 245)
  20. ^ 1968 Spanish Grand Prix - Race Result”. formula1.com. Formula One World Championship Limited. 13 October 2017閲覧。
  21. ^ Spain 1968 - Best laps”. STATS F1. 2019年8月18日閲覧。
  22. ^ Spain 1968 - Laps led”. STATS F1. 2019年8月18日閲覧。
  23. ^ 1968 Spanish Grand Prix”. ChicaneF1. 26 September 2015閲覧。
  24. ^ a b Spain 1968 - Championship”. STATS F1. 20 March 2019閲覧。

参照文献

[編集]
  • Wikipedia英語版 - en:1968 Spanish Grand Prix(2019年3月20日 18:03:10(UTC))
  • Lang, Mike (1982). Grand Prix! Vol 2. Haynes Publishing Group. pp. 62–63. ISBN 0-85429-321-3 
  • 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6 
  • 中村良夫『F-1グランプリ ホンダF-1と共に 1963-1968 (愛蔵版)』三樹書房、1998年。ISBN 4-89522-233-0 
  • アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2 

外部リンク

[編集]
前戦
1968年南アフリカグランプリ
FIA F1世界選手権
1968年シーズン
次戦
1968年モナコグランプリ
前回開催
1954年スペイングランプリ
スペインの旗 スペイングランプリ 次回開催
1969年スペイングランプリ