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1968年モナコグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

座標: 北緯43度44分4.74秒 東経7度25分16.8秒 / 北緯43.7346500度 東経7.421333度 / 43.7346500; 7.421333

モナコ 1968年モナコグランプリ
レース詳細
1968年F1世界選手権全12戦の第3戦
モンテカルロ市街地コース(1929-1972)
モンテカルロ市街地コース(1929-1972)
日程 1968年5月26日
正式名称 XXVI Grand Prix Automobile de Monaco
開催地 モンテカルロ市街地コース
モナコの旗 モナコ モンテカルロ
コース 市街地コース
コース長 3.145 km (1.954 mi)
レース距離 80周 251.600 km (156.337 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)
ポールポジション
ドライバー ロータス-フォード
タイム 1:28.2
ファステストラップ
ドライバー イギリスの旗 リチャード・アトウッド BRM
タイム 1:28.1 (80周目)
決勝順位
優勝 ロータス-フォード
2位 BRM
3位 クーパー-BRM

1968年モナコグランプリ (1968 Monaco Grand Prix) は、1968年のF1世界選手権第3戦として、1968年5月26日モンテカルロ市街地コースで開催された。

本レースはロータスグラハム・ヒルポール・トゥ・ウィンで制し、BRMリチャード・アトウッドファステストラップを記録して2位、クーパールシアン・ビアンキが3位となった。アトウッドとビアンキはF1キャリアで唯一の表彰台であった。

背景

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前年ロレンツォ・バンディーニが事故死したのを受け、港のシケインはタイトになり、周回数は従来の100周から20周短縮され、80周に変更された。フェラーリは安全対策が十分でないと感じたため、本レースを欠場した[1]

フランス国内が政治不安に陥ったため、レース主催者は停電が発生した場合でもトンネルの照明が消えないようにするため、地元の映画製作会社から発電機を借用した[2]

エントリー

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グラハム・ヒルは、ロータスジム・クラークマイク・スペンス英語版を失ったことに対して「絶望」していると述べたが、それにもかかわらず、チームは新しい49Bを投入した。49Bにはノーズウイングとエアダムが備えられ[3]F1マシンにウイングが使用された最初のレースとなった。1968年は、F1マシンにウイングが設置される年になることが証明されていく。マトラ・インターナショナルジャッキー・スチュワートはまだ右手の骨折からの回復途上であり、ジョニー・セルボ=ギャバンが代走を務める[1]ワークスマトラ・スポールは、自製V12エンジンを搭載したMS11が完成し、ジャン=ピエール・ベルトワーズがドライブする[1][4]BRMはスペンスの代走としてクリス・アーウィンを起用していたが、アーウィンが耐久レースの「ニュルブルクリンク1000kmレース英語版」で頭部を負傷して選手生命を絶たれた[注 1]ため、リチャード・アトウッドレグ・パーネル・レーシング英語版から移籍した。クーパーは、前戦スペイングランプリで3位を獲得して堅実なパフォーマンスを発揮したブライアン・レッドマンスパ・フランコルシャン1000kmレース英語版に出場するため、ルシアン・ビアンキが代走を務める[1]

マクラーレンデニス・ハルムは、本レースの5日後に開催されるインディ500英語版と掛け持ちで出場するため、モナコとインディアナポリスを慌ただしく往来した[1]

エントリーリスト

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チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
フランスの旗 マトラ・スポール 1 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ MS11 マトラ MS9 3.0L V12 D
イギリスの旗 ブラバム・レーシング・オーガニゼーション 2 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム BT26 レプコ 860 3.0L V8 G
3 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント BT24 レプコ 740 3.0L V8
イギリスの旗 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション 4 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM P133 BRM P142 3.0L V12 G
5 イギリスの旗 クリス・アーウィン 1 P126
15 イギリスの旗 リチャード・アトウッド
イギリスの旗 クーパー・カー・カンパニー 6 イタリアの旗 ルドヴィコ・スカルフィオッティ クーパー T86B BRM P142 3.0L V12 F
7 ベルギーの旗 ルシアン・ビアンキ
日本の旗 ホンダ・レーシング 8 イギリスの旗 ジョン・サーティース ホンダ RA301 ホンダ RA301E 3.0L V12 F
イギリスの旗 ゴールドリーフ・チーム・ロータス 9 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス 49B フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
10 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー
イギリスの旗 マトラ・インターナショナル 11 フランスの旗 ジョニー・セルボ=ギャバン マトラ MS10 フォードコスワース DFV 3.0L V8 D
イギリスの旗 ブルース・マクラーレン・モーターレーシング 12 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン M7A フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
14 ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン
イギリスの旗 レグ・パーネル・レーシング 16 イギリスの旗 ピアス・カレッジ BRM P126 BRM P142 3.0L V12 G
イギリスの旗 ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシングチーム 17 スイスの旗 ジョー・シフェール ロータス 49 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
スイスの旗 ヨアキム・ボニエ・レーシングチーム 18 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ マクラーレン M5A BRM P142 3.0L V12 G
アメリカ合衆国の旗 アングロ・アメリカン・レーサーズ 19 アメリカ合衆国の旗 ダン・ガーニー イーグル T1G ウェスレイク 58 3.0L V12 G
イギリスの旗 ケン・シェパード 20 イギリスの旗 キース・セント・ジョン 2 マクラーレン M2B クライマックス V8 G
スイスの旗 シャルル・ホーゲル・レーシング 21 スイスの旗 シルビオ・モーザー ブラバム BT20 レプコ 620 3.0L V8 G
イギリスの旗 バーナード・ホワイト・レーシング 22 イギリスの旗 デビッド・ホッブズ 3 BRM P261 BRM P142 3.0L V12 G
ソース:[5]
追記
  • ^1 - アーウィンはニュルブルクリンク1000kmレースで負傷したため、アトウッドに交代[1]
  • ^2 - マシンが準備できず[6]
  • ^3 - エントリーのみ[6]

予選

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当時のモナコグランプリは決勝への進出台数が16に制限されており、本年は招待枠の10台(マトラジャン=ピエール・ベルトワーズブラバムジャック・ブラバムヨッヘン・リントBRMペドロ・ロドリゲスクーパールドヴィコ・スカルフィオッティホンダジョン・サーティースロータスグラハム・ヒルマクラーレンブルース・マクラーレンデニス・ハルムイーグルダン・ガーニー)に決勝進出の権利を与え、決勝に進出する残りの6台と全16台のグリッド順位を予選の結果によって決定した[7]

3年前の勝者グラハム・ヒルは、2番手のジョニー・セルボ=ギャバンに0.6秒の差を付けてポールポジションを獲得した。ジャン=ピエール・ベルトワーズが前戦スペイングランプリファステストラップを記録したマトラ・MS10は、セルボ=ギャバンがフロントローを占めたことにより競争力の高さを改めて証明した[1]

結果

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順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 9 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス-フォード 1:28.2 - 1
2 11 フランスの旗 ジョニー・セルボ=ギャバン マトラ-フォード 1:28.8 +0.6 2
3 17 スイスの旗 ジョー・シフェール ロータス-フォード 1:28.8 +0.6 3
4 8 イギリスの旗 ジョン・サーティース ホンダ 1:29.1 +0.9 4
5 3 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント ブラバム-レプコ 1:29.2 +1.0 5
6 15 イギリスの旗 リチャード・アトウッド BRM 1:29.6 +1.4 6
7 14 ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン マクラーレン-フォード 1:29.6 +1.4 7
8 1 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ 1:29.7 +1.5 8
9 4 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM 1:30.4 +2.2 9
10 12 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 1:30.4 +2.2 10
11 16 イギリスの旗 ピアス・カレッジ BRM 1:30.6 +2.4 11
12 2 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 1:31.2 +3.0 12
13 10 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー ロータス-フォード 1:31.7 +3.5 13
14 7 ベルギーの旗 ルシアン・ビアンキ クーパー-BRM 1:31.9 +3.7 14
15 18 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ マクラーレン-BRM 1:32.1 +3.9 DNQ
16 21 スイスの旗 シルビオ・モーザー ブラバム-レプコ 1:32.4 +4.2 DNQ
17 6 イタリアの旗 ルドヴィコ・スカルフィオッティ クーパー-BRM 1:32.9 +4.7 15 1
18 19 アメリカ合衆国の旗 ダン・ガーニー イーグル-ウェスレイク 1:32.9 +4.7 16 1
ソース:[8][9]
追記
  • ^1 - スカルフィオッティとガーニーはあらかじめ決勝出走の権利が与えられていた[7]

決勝

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スタートでジョニー・セルボ=ギャバングラハム・ヒルからリードを奪い、ブルース・マクラーレンは1周目のシケインでヒルのチームメイトであるジャッキー・オリバーと接触した。セルボ=ギャバンは3周目にドライブシャフトが壊れてクラッシュする不運に見舞われた。これでヒルが首位に立った[1]ホンダジョン・サーティースは5周目にヒルの後ろにつけて首位浮上の機会を伺う[10]ヨッヘン・リントは9周目にサーティースをオーバーテイクしようとした際にクラッシュした[1]。サーティースは18周目のトンネル手前でギアボックスが壊れてリタイアした[10]。一連の事故とマシントラブルの末、完走したのは僅か5台で、このうち3位以下は優勝したヒルから4周遅れであった。ヒルは1965年以来4度目のモナコグランプリ制覇で、「ミスター・モナコ」の称号を得た[11][注 2]BRM移籍初戦のリチャード・アトウッドがヒルの僅か2秒遅れでフィニッシュしたのは驚きの結果であった。ヒルはレース中にラップレコードを3回更新したが、アトウッドがF1キャリア唯一のファステストラップを記録した[2]。アトウッドは3位となったクーパールシアン・ビアンキとF1キャリアで唯一の表彰台を獲得した。

4位に入賞したルドヴィコ・スカルフィオッティは、本レースから僅か2週間後にロスフェルドで行われたヒルクライムの事故で亡くなり、4月のジム・クラーク、5月のマイク・スペンス英語版に続き、3ヶ月連続でF1ドライバーが命を落とすことになった[1][12]

結果

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順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 9 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス-フォード 80 2:00:32.3 1 9
2 15 イギリスの旗 リチャード・アトウッド BRM 80 +2.2 6 6
3 7 ベルギーの旗 ルシアン・ビアンキ クーパー-BRM 76 +4 Laps 14 4
4 6 イタリアの旗 ルドヴィコ・スカルフィオッティ クーパー-BRM 76 +4 Laps 15 3
5 12 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 73 +7 Laps 10 2
Ret 8 イギリスの旗 ジョン・サーティース ホンダ 16 ギアボックス 4
Ret 4 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM 16 アクシデント 9
Ret 16 イギリスの旗 ピアス・カレッジ BRM 12 シャシー 11
Ret 17 スイスの旗 ジョー・シフェール ロータス-フォード 11 ディファレンシャル 3
Ret 1 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ 11 アクシデント 8
Ret 19 アメリカ合衆国の旗 ダン・ガーニー イーグル-ウェスレイク 9 エンジン 16
Ret 3 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント ブラバム-レプコ 8 アクシデント 5
Ret 2 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 7 サスペンション 12
Ret 11 フランスの旗 ジョニー・セルボ=ギャバン マトラ-フォード 3 ハーフシャフト 2
Ret 14 ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン マクラーレン-フォード 0 アクシデント 7
Ret 10 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー ロータス-フォード 0 アクシデント 13
ソース:[13]
ファステストラップ[14]
ラップリーダー[15]

第3戦終了時点のランキング

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  • : トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半6戦のうちベスト5戦がカウントされる。

脚注

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注釈

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  1. ^ アーウィンはシーズン開幕当初、ホンダでジョン・サーティースのナンバー2として本レースから参戦する予定であった。(中村良夫 1998, p. 239)
  2. ^ 日本では「モナコ・マイスター」と称されている。 ”天才”アイルトン・セナが愛したF1「モナコGP」”. SportingNews日本語版 (2019年5月26日). 2019年8月25日閲覧。モナコマイスター、グラハム・ヒル”. ESPN F1. 2019年8月25日閲覧。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j Grand Prix Results: Monaco GP, 1968”. grandprix.com. 3 February 2015閲覧。
  2. ^ a b Hill cements Monaco reputation”. espnf1.com. ESPN. 3 February 2015閲覧。
  3. ^ (林信次 1995, p. 58)
  4. ^ (林信次 1995, p. 73)
  5. ^ Monaco 1968 - Race entrants”. STATS F1. 2019年8月26日閲覧。
  6. ^ a b Monaco 1968 - Result”. STATS F1. 2019年8月26日閲覧。
  7. ^ a b XXVI Monaco Grand Prix”. Motor Sport Magazine. 2019年8月25日閲覧。
  8. ^ Monaco 1968 - Qualifications”. STATS F1. 2019年8月25日閲覧。
  9. ^ Monaco 1968 - Starting grid”. STATS F1. 2019年8月25日閲覧。
  10. ^ a b (中村良夫 1998, p. 246)
  11. ^ Monaco”. grandprix.com. 2019年8月25日閲覧。
  12. ^ (林信次 1995, p. 61)
  13. ^ 1968 Monaco Grand Prix”. formula1.com. 18 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。26 September 2015閲覧。
  14. ^ Monaco 1968 - Best laps”. STATS F1. 2019年8月26日閲覧。
  15. ^ Monaco 1968 - Laps led”. STATS F1. 2019年8月26日閲覧。
  16. ^ a b Monaco 1968 - Championship”. STATS F1. 19 March 2019閲覧。

参照文献

[編集]
  • Wikipedia英語版 - en:1968 Monaco Grand Prix(2019年4月10日 14:07:44(UTC))
  • Lang, Mike (1982). Grand Prix! Vol 2. Haynes Publishing Group. pp. 64–65. ISBN 0-85429-321-3 
  • 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6 
  • 中村良夫『F-1グランプリ ホンダF-1と共に 1963-1968 (愛蔵版)』三樹書房、1998年。ISBN 4-89522-233-0 

外部リンク

[編集]
前戦
1968年スペイングランプリ
FIA F1世界選手権
1968年シーズン
次戦
1968年ベルギーグランプリ
前回開催
1967年モナコグランプリ
モナコの旗 モナコグランプリ 次回開催
1969年モナコグランプリ