1968年アメリカグランプリ
レース詳細 | |||
---|---|---|---|
1968年F1世界選手権全12戦の第11戦 | |||
日程 | 1968年10月6日 | ||
正式名称 | XI United States Grand Prix | ||
開催地 |
ワトキンズ・グレン・グランプリ・サーキット アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ワトキンズ・グレン | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 3.78 km (2.35 mi) | ||
レース距離 | 108周 408.2 km (253.8 mi) | ||
決勝日天候 |
晴(ドライ) 最高気温: 51.1 °F (10.6 °C) 最大風速: 14 mph (6.3 m/s)[1] | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | ロータス-フォード | ||
タイム | 1:04.20 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | ジャッキー・スチュワート | マトラ-フォード | |
タイム | 1:05.22 (52周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | マトラ-フォード | ||
2位 | ロータス-フォード | ||
3位 | ホンダ |
1968年アメリカグランプリ (1968 United States Grand Prix) は、1968年のF1世界選手権第11戦として、1968年10月6日にワトキンズ・グレン・グランプリレースコースで開催された。
レースは108周で行われ、マトラのジャッキー・スチュワートが2番手スタートから優勝した。ロータスのグラハム・ヒルが2位、ホンダのジョン・サーティースが3位となった。後にチャンピオンとなるマリオ・アンドレッティのF1デビュー戦である。
エントリー
[編集]1ヶ月前のイタリアGPで予選初日のみ出場した地元出身のマリオ・アンドレッティがロータスの3台目[2]、ボビー・アンサーがBRMの2台目で改めてスポット参戦した[3]。マクラーレンはイーグルのダン・ガーニーに引き続きM7Aの3台目を貸し出し[4]、フェラーリは前戦カナダGPの予選で負傷したジャッキー・イクスに代わり、デレック・ベルを起用した[5]。
エントリーリスト
[編集]チーム | No. | ドライバー | コンストラクター | シャシー | エンジン | タイヤ |
---|---|---|---|---|---|---|
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング | 1 | デニス・ハルム | マクラーレン | M7A | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | G |
2 | ブルース・マクラーレン | |||||
ブラバム・レーシング・オーガニゼーション | 3 | ジャック・ブラバム | ブラバム | BT26 | レプコ 860 3.0L V8 | G |
4 | ヨッヘン・リント | |||||
ホンダ・レーシング | 5 | ジョン・サーティース | ホンダ | RA301 | ホンダ RA301E 3.0L V12 | F |
スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC | 6 | クリス・エイモン | フェラーリ | 312/68 | フェラーリ 242C 3.0L V12 | F |
7 | デレック・ベル | 312/67 | ||||
オーウェン・レーシング・オーガニゼーション | 8 | ペドロ・ロドリゲス | BRM | P133 | BRM P142 3.0L V12 | G |
9 | ボビー・アンサー | P138 | ||||
ゴールドリーフ・チーム・ロータス | 10 | グラハム・ヒル | ロータス | 49B | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | F |
11 | ジャッキー・オリバー | |||||
12 | マリオ・アンドレッティ | |||||
アングロ・アメリカン・レーサーズ | 14 | ダン・ガーニー | マクラーレン | M7A | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | G |
マトラ・インターナショナル | 15 | ジャッキー・スチュワート | マトラ | MS10 | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | D |
ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシングチーム | 16 | ジョー・シフェール | ロータス | 49B | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | F |
ヨアキム・ボニエ・レーシングチーム | 17 | ヨアキム・ボニエ | マクラーレン | M5A | BRM P142 3.0L V12 | G |
クーパー・カー・カンパニー | 18 | ビック・エルフォード | クーパー | T86B | BRM P142 3.0L V12 | F |
19 | ルシアン・ビアンキ | |||||
マトラ・スポール | 20 | アンリ・ペスカロロ | マトラ | MS11 | マトラ MS9 3.0L V12 | D |
21 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | |||||
レグ・パーネル・レーシング | 22 | ピアス・カレッジ | BRM | P126 | BRM P142 3.0L V12 | G |
ソース:[6] |
予選
[編集]予選初日は主にジャッキー・スチュワートとクリス・エイモンとの間で争われ、スチュワートが1分04秒27のトップタイムを記録した。しかし、スチュワートはスタブ車軸の破損により予選2日目に暫定ポールポジションを守り切ることができず、スチュワートを0秒07上回ったマリオ・アンドレッティが歴戦のグランプリスターたちを退けてポールポジションを獲得した。F1の慣例では決勝をスタートして初めて「デビュー」と見なされるから、前回予選初日のみ走行したイタリアGPは除外されるため、本レースがデビュー戦となる。F1デビュー戦でポールポジションを獲得したのは、F1世界選手権の最初のレースである1950年イギリスGPのジュゼッペ・ファリーナ以来2人目で、事実上史上初の快挙であった[7][注 1]。アンドレッティとスチュワートがフロントロー、グラハム・ヒルとエイモンが2列目、デニス・ハルムとヨッヘン・リントが3列目を占めた[5]。
予選結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 平均速度 | グリッド |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 12 | マリオ・アンドレッティ | ロータス-フォード | 1:04.20 | 207.533km/h | 1 |
2 | 15 | ジャッキー・スチュワート | マトラ-フォード | 1:04.27 | 207.307km/h | 2 |
3 | 10 | グラハム・ヒル | ロータス-フォード | 1:04.28 | 207.274km/h | 3 |
4 | 6 | クリス・エイモン | フェラーリ | 1:04.37 | 206.985km/h | 4 |
5 | 1 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 1:04.57 | 206.343km/h | 5 |
6 | 4 | ヨッヘン・リント | ブラバム-レプコ | 1:04.81 | 205.579km/h | 6 |
7 | 14 | ダン・ガーニー | マクラーレン-フォード | 1:05.23 | 204.256km/h | 7 |
8 | 3 | ジャック・ブラバム | ブラバム-レプコ | 1:05.25 | 204.193km/h | 8 |
9 | 5 | ジョン・サーティース | ホンダ | 1:05.32 | 203.974km/h | 9 |
10 | 2 | ブルース・マクラーレン | マクラーレン-フォード | 1:05.69 | 202.825km/h | 10 |
11 | 8 | ペドロ・ロドリゲス | BRM | 1:06.10 | 201.567km/h | 11 |
12 | 16 | ジョー・シフェール | ロータス-フォード | 1:06.17 | 201.354km/h | 12 |
13 | 21 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | マトラ | 1:06.96 | 198.979km/h | 13 |
14 | 22 | ピアス・カレッジ | BRM | 1:07.02 | 198.800km/h | 14 |
15 | 7 | デレック・ベル | フェラーリ | 1:07.06 | 198.682km/h | 15 |
16 | 11 | ジャッキー・オリバー | ロータス-フォード | 1:07.46 | 197.504km/h | 16 |
17 | 18 | ビック・エルフォード | クーパー-BRM | 1:08.56 | 194.335km/h | 17 |
18 | 17 | ヨアキム・ボニエ | マクラーレン-BRM | 1:08.93 | 193.292km/h | 18 |
19 | 9 | ボビー・アンサー | BRM | 1:09.60 | 191.431km/h | 19 |
20 | 19 | ルシアン・ビアンキ | クーパー-BRM | 1:09.77 | 190.965km/h | 20 |
21 | 21 1 | アンリ・ペスカロロ | マトラ | 1:10.43 | 189.175km/h | 21 |
- 追記
- ^1 - ペスカロロはエンジントラブルのため、No.21のスペアカーでタイムを記録した
決勝
[編集]レース当日、93,000人の大観衆は、ポールポジションからスタートするマリオ・アンドレッティ、7番手スタートのダン・ガーニー、19番手スタートのボビー・アンサーのアメリカ人ドライバーたちによる強力なホームショーを期待した。ジャッキー・スチュワートは好スタートを切り、群衆のお気に入りのアンドレッティからリードを奪った。1周目が終わると、スチュワート、アンドレッティ、クリス・エイモン、グラハム・ヒル、ヨッヘン・リント、デニス・ハルム、ガーニー、ジョン・サーティース、ブルース・マクラーレンの順となった。
アンドレッティは6周目までにエイモンとの差を広げてスチュワートに迫ろうとしたが、3周後にノーズが壊れて右フロントウイングが地面をこすり続けた。アンドレッティは13周目まで2位をキープしたがピットインを強いられ、ピットクルーはテープで応急措置を施してコースに戻し、13位まで後退した。
エイモンは10周目までヒルと3位を争ったが、自身の水漏れによってスピンを喫した。その6周後にハルムはオイルで滑り、3位から9位に後退した。ガーニーは3位を走行中の26周目に360度のスピンを喫し、サーティースに抜かれた。
アンドレッティは33周目にクラッチが壊れてリタイアした。ガーニーはサーティースを抜き返し、2人の激しいバトルはレースが終わるまで続いた。スチュワートは40周目までにヒルを26秒リードし、その10秒後にガーニーとサーティースが続いた。スチュワートは52周目にファステストラップを記録してヒルとの差を31秒に広げ、残りのドライバーを周回遅れにした。ヒルはしばらくの間、緩いステアリングコラムに苦戦した。
97周目、マクラーレンの1分20秒前を走行していたジョー・シフェールのロータス・49Bがガス欠に陥って燻りだし、給油のため次の周にピットインした。シフェールがピットアウトすると、マクラーレンが5位に浮上した。
マクラーレンも給油のためにピットインしなければならず、シフェールは2周後に5位を取り戻した。首位を独走するスチュワートは安定したペースで走り抜いて優勝し、ヒルはガス欠目前に陥ったが2位に滑り込んだ[10]。サーティースは、前を走る3位のガーニーがスローパンクチャーに陥って燃料が残り少なくなったことでペースを落としたことに気づき、最終ラップでガーニーを追い抜き、3位表彰台を獲得した。ハルムはポイント獲得を目指したが、ドライブシャフトが壊れてリタイアした[5]。
スチュワートはマトラ-フォードで全周回をリードしたが、一度だけそれを脅かされる出来事があった。コーナーを曲がると2人の観客がコースを歩いてるのを見つけ、「これまで誰かを追い越してきたのと同じくらい近かった」「少しだけ彼らに会いたかった」と彼は語った。それはスチュワートにとって初めてのアメリカGP勝利であり、初のチャンピオンへの可能性を最終戦までつなぐことになった。「自分がペースをコントロールできると感じたのは、F1でのキャリアで初めてのことだった」「スピードを上げると、コースのスピードが上がった。もっと遅く行くと、彼らはもっと遅く行った。それは驚くべき発見だった」と彼は語った。
レース主催者は、優勝したスチュワートの賞金8,300ポンドはF1史上最高額であると主張した。
チャンピオン争いは、ランキング首位のヒルが6点を加算して39点、ヒルと同点でランキング2位だったハルム[注 2]は無得点で33点のまま、同3位のスチュワートは9点を加算して36点とし、ヒルがハルムに6点差を付けて首位をキープし、レースを制したスチュワートがハルムを抜き、ヒルに3点差の2位に浮上した。この3人がチャンピオン獲得の可能性を残し、1ヶ月後の最終戦メキシコGPを迎えることになった[5]。
レース結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 15 | ジャッキー・スチュワート | マトラ-フォード | 108 | 1:59:20.29 | 2 | 9 |
2 | 10 | グラハム・ヒル | ロータス-フォード | 108 | +24.68 | 3 | 6 |
3 | 5 | ジョン・サーティース | ホンダ | 107 | +1 Lap | 9 | 4 |
4 | 14 | ダン・ガーニー | マクラーレン-フォード | 107 | +1 Lap | 7 | 3 |
5 | 16 | ジョー・シフェール | ロータス-フォード | 105 | +3 Laps | 12 | 2 |
6 | 2 | ブルース・マクラーレン | マクラーレン-フォード | 103 | +5 Laps | 10 | 1 |
Ret | 22 | ピアス・カレッジ | BRM | 93 | 燃料切れ | 14 | |
Ret | 1 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 92 | アクシデント | 5 | |
NC | 19 | ルシアン・ビアンキ | クーパー-BRM | 88 | 規定周回数不足 | 20 | |
Ret | 3 | ジャック・ブラバム | ブラバム-レプコ | 77 | エンジン | 8 | |
Ret | 4 | ヨッヘン・リント | ブラバム-レプコ | 73 | エンジン | 6 | |
Ret | 18 | ビック・エルフォード | クーパー-BRM | 71 | エンジン | 17 | |
Ret | 8 | ペドロ・ロドリゲス | BRM | 66 | サスペンション | 11 | |
NC | 17 | ヨアキム・ボニエ | マクラーレン-BRM | 62 | 規定周回数不足 | 18 | |
Ret | 6 | クリス・エイモン | フェラーリ | 59 | 水ポンプ | 4 | |
Ret | 21 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | マトラ | 44 | トランスミッション | 13 | |
Ret | 9 | ボビー・アンサー | BRM | 35 | エンジン | 19 | |
Ret | 12 | マリオ・アンドレッティ | ロータス-フォード | 32 | クラッチ | 1 | |
Ret | 7 | デレック・ベル | フェラーリ | 14 | エンジン | 15 | |
DNS | 11 | ジャッキー・オリバー | ロータス-フォード | 予選でアクシデント | 16 | ||
DNS | 20 | アンリ・ペスカロロ | マトラ | エンジン | 21 | ||
ソース:[11]
|
- ジャッキー・スチュワート - 1:05.22(52周目)
- ラップリーダー[13]
- ジャッキー・スチュワート - 108周 (Lap 1-108) 全周回ラップリーダー
第11戦終了時点のランキング
[編集]
|
|
- 注: トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半6戦のうちベスト5戦がカウントされる。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ F1デビュー戦でポールポジションを獲得したのは、「全員がデビュー戦」であった1950年イギリスGPで獲得したファリーナを除くと、本レースのアンドレッティ、1972年アルゼンチンGPのカルロス・ロイテマン、1996年オーストラリアGPのジャック・ヴィルヌーヴの3人である(1950年-1960年にF1世界選手権の一戦に組み込まれていたインディ500のみ参加したドライバーを除く)。
- ^ ヒルとハルムはレース前の時点で33点を挙げ、優勝回数も2回で並んでいたが、2位の回数がヒル2回、ハルム1回だったため、ヒルが上位であった。
出典
[編集]- ^ “Weather information for the "1968 United States Grand Prix"”. The Old Farmers' Almanac. 2013年11月10日閲覧。
- ^ (林信次 1995, p. 70)
- ^ (林信次 1995, p. 72)
- ^ (林信次 1995, p. 73)
- ^ a b c d “United States GP, 1968”. grandprix.com. 2019年10月16日閲覧。
- ^ “USA 1968 - Race entrants”. STATS F1. 2019年10月16日閲覧。
- ^ (林信次 1995, p. 64)
- ^ “USA 1968 - Qualifications”. STATS F1. 2019年10月15日閲覧。
- ^ “USA 1968 - Starting grid”. STATS F1. 2019年10月15日閲覧。
- ^ (中村良夫 1998, p. 267-268)
- ^ “1968 United States Grand Prix”. formula1.com. 19 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。26 September 2015閲覧。
- ^ “USA 1968 - Best laps”. STATS F1. 2019年10月14日閲覧。
- ^ “USA 1968 - Laps led”. STATS F1. 2019年10月14日閲覧。
- ^ a b “United States 1968 - Championship”. STATS F1. 21 March 2019閲覧。
参照文献
[編集]- Wikipedia英語版 - en:1968 United States Grand Prix(2019年9月9日 4:21:20(UTC))
- Doug Nye (1978). The United States Grand Prix and Grand Prize Races, 1908-1977. B. T. Batsford. ISBN 0-7134-1263-1
- Rob Walker (January, 1969). "1968 U. S. Grand Prix: Money & The Scot". Road & Track, 29-34.
- 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6。
- 中村良夫『F-1グランプリ ホンダF-1と共に 1963-1968 (愛蔵版)』三樹書房、1998年。ISBN 4-89522-233-0。
外部リンク
[編集]- “Stewart beats Hill to set up finale”. 2013年11月17日閲覧。
- USA 1968 - STATS F1
- United States GP 1968 - grandprix.com
前戦 1968年カナダグランプリ |
FIA F1世界選手権 1968年シーズン |
次戦 1968年メキシコグランプリ |
前回開催 1967年アメリカグランプリ |
アメリカグランプリ | 次回開催 1969年アメリカグランプリ |