1969年イタリアグランプリ
レース詳細 | |||
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1969年F1世界選手権全11戦の第8戦 | |||
モンツァ・サーキット (1957-1971) | |||
日程 | 1969年9月7日 | ||
正式名称 | XL Gran Premio d'Italia | ||
開催地 |
モンツァ・サーキット イタリア モンツァ | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 5.750 km (3.573 mi) | ||
レース距離 | 68周 391.000 km (242.956 mi) | ||
決勝日天候 | 晴(ドライ) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | ロータス-フォード | ||
タイム | 1:25.48 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | マトラ-フォード | |
タイム | 1:25.2 (64周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | マトラ-フォード | ||
2位 | ロータス-フォード | ||
3位 | マトラ-フォード |
1969年イタリアグランプリ (1969 Italian Grand Prix) は、1969年のF1世界選手権第8戦として、1969年9月7日にモンツァ・サーキットで開催された。
ジャッキー・スチュワートがレースを制し、3戦を残して初のドライバーズチャンピオンを決め、マトラに初のコンストラクターズチャンピオンをもたらした。優勝したスチュワートから4位のブルース・マクラーレンまで0.19秒差という最も僅差のレースとなった[1]。
背景
[編集]前戦ドイツGPから1ヶ月経過したが、この間にオウルトン・パークで非選手権レースのインターナショナル・ゴールドカップが開催され、ブラバムのジャッキー・イクスが優勝した。ヨアキム・ボニエは同レースでアクシデントを起こして負傷した[2]。
フェラーリは、水平対向12気筒エンジン搭載の新車312Bのテスト走行に集中するため前戦ドイツGPを欠場し、ホームグランプリとなる本レースのデビューを目指した。パワーは従来のV12エンジンを上回り、エースのクリス・エイモンも312Bに期待を寄せていたが、トラブルが続出したことにうんざりしたエイモンはそのままチームを去ってしまった。312Bはテスト最終日にもクランクシャフトが壊れ、本レースの出走は不可能となった[3]。
エントリー
[編集]フェラーリは新車312Bが出走できなくなったため、従来型の312を1台だけ出走させることになった。ドライバーには地元出身の元F2ドライバーであるエルネスト・ブランビラが起用された[4]。ブラバムはオーナーのジャック・ブラバムが手首の負傷から復帰した。一方、プライベーターのヨアキム・ボニエは前述したオウルトン・パークでの負傷のため欠場した。ロータスは四輪駆動車の63をジョン・マイルズに与えた。マトラも四輪駆動車のMS84をジョニー・セルボ=ギャバンに与える予定だったが取りやめた[2]。
エントリーリスト
[編集]チーム | No. | ドライバー | コンストラクター | シャシー | エンジン | タイヤ |
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ゴールドリーフ・チーム・ロータス | 2 | グラハム・ヒル | ロータス | 49B | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | F |
4 | ヨッヘン・リント | |||||
6 | ジョン・マイルズ | 63 | ||||
スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC | 8 | クリス・エイモン 1 | フェラーリ | 312B | フェラーリ 3.0L F12 [3] | F |
10 | ペドロ・ロドリゲス エルネスト・ブランビラ 2 |
312/69 | フェラーリ 255C 3.0L V12 | |||
オーウェン・レーシング・オーガニゼーション | 12 | ジャッキー・オリバー | BRM | P139 | BRM P142 3.0L V12 | D |
14 | ジョン・サーティース | |||||
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング | 16 | デニス・ハルム | マクラーレン | M7A | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | G |
18 | ブルース・マクラーレン | M7C | ||||
マトラ・インターナショナル | 20 | ジャッキー・スチュワート | マトラ | MS80 | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | D |
22 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | |||||
24 | ジョニー・セルボ=ギャバン 3 | MS84 | ||||
モーターレーシング・ディベロップメンツ・リミテッド | 26 | ジャッキー・イクス | ブラバム | BT26A | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | G |
28 | ジャック・ブラバム | |||||
ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシングチーム | 30 | ジョー・シフェール | ロータス | 49B | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | F |
フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ | 32 | ピアス・カレッジ | ブラバム | BT26A | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | D |
エキュリー・ボニエ | 34 | ヨアキム・ボニエ 4 | ロータス | 49B | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | F |
シルビオ・モーザー・レーシングチーム | 36 | シルビオ・モーザー | ブラバム | BT24 | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | G |
ソース:[5] |
- 追記
- ^1 - エイモンはマシンが準備できず欠場[6][4]
- ^2 - ブランビラは予選初日のみ。以後はロドリゲスに交代[4]
- ^3 - セルボ=ギャバンはエントリーのみ[6]
- ^4 - ボニエは負傷のため欠場[2]
予選
[編集]唯一となったフェラーリ・312を走らせたエルネスト・ブランビラだったが、圧倒的に速いモンツァでF1デビューを果たす[注 1]ことに怖気づき、金曜の予選初日を終えた後、ペドロ・ロドリゲスにシートを明け渡してしまった[4]。
ヨッヘン・リントがポールポジションを獲得し、2番手のデニス・ハルムとともにフロントローを占めた。初のドライバーズチャンピオンに王手をかけたジャッキー・スチュワートは3番手で、フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズからブラバムを駆るピアス・カレッジとともに2列目を分け合い、3列目はブルース・マクラーレンとジャン=ピエール・ベルトワーズが占めた。前年度王者のグラハム・ヒルは9番手、土曜から出走したロドリゲスは12番手、前戦ドイツGPの勝者ジャッキー・イクスは2度のエンジントラブルにより最下位に終わった[2]。
予選結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
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1 | 4 | ヨッヘン・リント | ロータス-フォード | 1:25.48 | - | 1 |
2 | 16 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 1:25.69 | +0.21 | 2 |
3 | 20 | ジャッキー・スチュワート | マトラ-フォード | 1:25.82 | +0.34 | 3 |
4 | 32 | ピアス・カレッジ | ブラバム-フォード | 1:26.48 | +1.00 | 4 |
5 | 18 | ブルース・マクラーレン | マクラーレン-フォード | 1:26.48 | +1.00 | 5 |
6 | 22 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | マトラ-フォード | 1:26.72 | +1.24 | 6 |
7 | 28 | ジャック・ブラバム | ブラバム-フォード | 1:26.90 | +1.42 | 7 |
8 | 30 | ジョー・シフェール | ロータス-フォード | 1:27.04 | +1.56 | 8 |
9 | 2 | グラハム・ヒル | ロータス-フォード | 1:27.31 | +1.83 | 9 |
10 | 14 | ジョン・サーティース | BRM | 1:27.40 | +1.92 | 10 |
11 | 12 | ジャッキー・オリバー | BRM | 1:28.40 | +2.92 | 11 |
12 | 10 | ペドロ・ロドリゲス | フェラーリ | 1:28.47 | +2.99 | 12 |
13 | 36 | シルビオ・モーザー | ブラバム-フォード | 1:28.51 | +3.03 | 13 |
14 | 6 | ジョン・マイルズ | ロータス-フォード | 1:30.56 | +5.08 | 14 |
15 | 10 | エルネスト・ブランビラ | フェラーリ | 1:30.86 | +5.38 | DNS 1 |
16 | 26 | ジャッキー・イクス | ブラバム-フォード | 1:37.06 | +11.58 | 15 |
- 追記
決勝
[編集]フェラーリの不振にもかかわらず多くの観客が詰めかけ[2]、例年にも増して激しいスリップストリーム合戦が終始繰り広げられ、レースは大いに盛り上がった[9]。
当時のモンツァにはシケインがなく[注 2]、直線スピードを重視するためにウィングを装着しないマシンもある中[9]、ジャッキー・スチュワート、ヨッヘン・リント、デニス・ハルム、ピアス・カレッジ、グラハム・ヒル、ブルース・マクラーレン、ジャン=ピエール・ベルトワーズ、ジョー・シフェールの8台が一塊となって首位を争った。ハルムは最終的にブレーキの故障で、シフェールはエンジンの故障で脱落した。カレッジも燃料供給の問題で首位を争う5台から引き離されていった。ヒルは残り5周でドライブシャフトが壊れてリタイアしたため、最後まで首位を争ったのは4台となった。最終ラップでスチュワートはリントとのリードを失うものの取り戻し、ベルトワーズは最終コーナーのパラボリカで2台の前に出たが大きく膨らんでしまい、最後のホームストレートでスチュワートとリントに抜かれた[2]。優勝したスチュワートと2位のリントの差は0.08秒、3位のベルトワーズと0.17秒、4位のマクラーレンと0.19秒という大接戦だったが、その中でトップを多く走ったのはスチュワートであり、彼の頭脳的な勝利であった[9]。フェラーリのペドロ・ロドリゲスは6位に入賞したが、優勝したスチュワートよりも2周遅れであった[4]。
スチュワートは6勝目を挙げ、アメリカ大陸での3戦を残して早々と初のドライバーズチャンピオンの座を射止めた[2][1]。
レース結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
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1 | 20 | ジャッキー・スチュワート | マトラ-フォード | 68 | 1:39:11.26 | 3 | 9 |
2 | 4 | ヨッヘン・リント | ロータス-フォード | 68 | +0.08 | 1 | 6 |
3 | 22 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | マトラ-フォード | 68 | +0.17 | 6 | 4 |
4 | 18 | ブルース・マクラーレン | マクラーレン-フォード | 68 | +0.19 | 5 | 3 |
5 | 32 | ピアス・カレッジ | ブラバム-フォード | 68 | +33.44 | 4 | 2 |
6 | 10 | ペドロ・ロドリゲス | フェラーリ | 66 | +2 Laps | 12 | 1 |
7 | 16 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 66 | +2 Laps | 2 | |
8 | 30 | ジョー・シフェール | ロータス-フォード | 64 | エンジン | 8 | |
9 | 2 | グラハム・ヒル | ロータス-フォード | 63 | ハーフシャフト | 9 | |
10 | 26 | ジャッキー・イクス | ブラバム-フォード | 61 | 燃料切れ | 15 | |
NC | 14 | ジョン・サーティース | BRM | 60 | 規定周回数不足 | 10 | |
Ret | 12 | ジャッキー・オリバー | BRM | 48 | 油圧 | 11 | |
Ret | 36 | シルビオ・モーザー | ブラバム-フォード | 9 | 燃料漏れ | 13 | |
Ret | 28 | ジャック・ブラバム | ブラバム-フォード | 6 | オイル漏れ | 7 | |
Ret | 6 | ジョン・マイルズ | ロータス-フォード | 3 | エンジン | 14 | |
DNS | 10 | エルネスト・ブランビラ | フェラーリ | ロドリゲスに交代 | |||
- ジャン=ピエール・ベルトワーズ - 1:25.2(64周目)
- ジャッキー・スチュワート - 58周 (Lap 1-6, 9-17, 19-24, 28-30, 33, 35-36, 38-68)
- ヨッヘン・リント - 7周 (Lap 7, 25-27, 31, 34, 37)
- デニス・ハルム - 1周 (Lap 8)
- ピアス・カレッジ - 2周 (Lap 18, 32)
第8戦終了時点のランキング
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- 注: トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半5戦のうちベスト4戦がカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1963年のイタリアGPにも出場したが予選落ちとなったため、F1デビューを果たせなかった。
- ^ モンツァにシケインが設置されたのは1972年。
出典
[編集]- ^ a b (林信次 1995, p. 79)
- ^ a b c d e f g “Italian GP, 1969”. grandprix.com. 2019年11月26日閲覧。
- ^ a b (アラン・ヘンリー 1989, p. 247-249)
- ^ a b c d e f (アラン・ヘンリー 1989, p. 249)
- ^ “Italy 1969 - Race entrants”. STATS F1. 2019年11月26日閲覧。
- ^ a b “Italy 1969 - Result”. STATS F1. 2019年11月26日閲覧。
- ^ “Italy 1969 - Qualifications”. STATS F1. 2019年11月25日閲覧。
- ^ “Italy 1969 - Starting grid”. STATS F1. 2019年11月25日閲覧。
- ^ a b c (林信次 1995, p. 80-81)
- ^ “1969 Italian Grand Prix”. formula1.com. 9 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。22 December 2015閲覧。
- ^ “Grand Prix Results: Italian GP, 1969”. GrandPrix.com. 7 February 2016閲覧。
- ^ “Italy 1969 - Best laps”. STATS F1. 2019年11月26日閲覧。
- ^ “Italy 1969 - Laps led”. STATS F1. 2019年11月26日閲覧。
- ^ a b “Italy 1969 - Championship”. STATS F1. 1 March 2019閲覧。
参照文献
[編集]- Wikipedia英語版 - en:1969 Italian Grand Prix(2019年3月18日 16:26:27(UTC))
- Lang, Mike (1982). Grand Prix! Vol 2. Haynes Publishing Group. pp. 102–103. ISBN 0-85429-321-3
- 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6。
- アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2。
外部リンク
[編集]前戦 1969年ドイツグランプリ |
FIA F1世界選手権 1969年シーズン |
次戦 1969年カナダグランプリ |
前回開催 1968年イタリアグランプリ |
イタリアグランプリ | 次回開催 1970年イタリアグランプリ |