1968年ベルギーグランプリ
レース詳細 | |||
---|---|---|---|
1968年F1世界選手権全12戦の第4戦 | |||
スパ・フランコルシャン (1947-1978) | |||
日程 | 1968年6月9日 | ||
正式名称 | XXVIII Grand Prix de Belgique | ||
開催地 |
スパ・フランコルシャン ベルギー スパ | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 14.100 km (8.761 mi) | ||
レース距離 | 28周 394.800 km (245.317 mi) | ||
決勝日天候 | 曇(ドライ) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | フェラーリ | ||
タイム | 3:28.6 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | ジョン・サーティース | ホンダ | |
タイム | 3:30.5 (5周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | マクラーレン-フォード | ||
2位 | BRM | ||
3位 | フェラーリ |
1968年ベルギーグランプリ (1968 Belgian Grand Prix) は、1968年のF1世界選手権第4戦として、1968年6月9日にスパ・フランコルシャンで開催された。
28周で行われたレースは、マクラーレンのブルース・マクラーレンが6番手スタートから優勝、BRMのペドロ・ロドリゲスが2位、フェラーリのジャッキー・イクスが3位となった。
背景
[編集]前戦モナコグランプリでロータス・49Bのフロントノーズに初めてウイングが装着されたが、このアイデアはフェラーリやブラバムにも採用された。フェラーリはエースのクリス・エイモンの312にリアウイングを初めて装着し[1][2]、エイモンのチームメイトであるジャッキー・イクスの312にはウイングが装着されなかった[3]。ブラバムはジャック・ブラバムのBT26にリアウイングを装着し、揚力に対抗するためフロントノーズにダイブプレーンを取り付けた[4]。次戦オランダグランプリにはイクスの312にもウイングが装着された(そして他チームもこのアイデアを採用していった)。
インディ500でダン・ガーニーが2位、デニス・ハルムは4位となった[5]。
エントリー
[編集]前戦モナコGPを欠場したフェラーリのエイモンとイクスが復帰し、右腕を骨折したジャッキー・スチュワートもマトラ・インターナショナルに復帰したが[5]、しばらくは副え木を当てての参戦を強いられた[6]。ルシアン・ビアンキはクーパーに留まり、ルドビコ・スカルフィオッティの後任となった[5]。
エントリーリスト
[編集]チーム | No. | ドライバー | コンストラクター | シャシー | エンジン | タイヤ |
---|---|---|---|---|---|---|
ゴールドリーフ・チーム・ロータス | 1 | グラハム・ヒル | ロータス | 49B | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | F |
2 | ジャッキー・オリバー | |||||
ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシングチーム | 3 | ジョー・シフェール | ロータス | 49 | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | F |
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング | 5 | ブルース・マクラーレン | マクラーレン | M7A | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | G |
6 | デニス・ハルム | |||||
マトラ・インターナショナル | 7 | ジャッキー・スチュワート | マトラ | MS10 | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | D |
ホンダ・レーシング | 8 | クリス・アーウィン 1 | ホンダ | RA300 | ホンダ RA273E 3.0L V12 | F |
20 | ジョン・サーティース | RA301 | ホンダ RA301E 3.0L V12 | |||
マトラ・スポール | 10 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | マトラ | MS11 | マトラ MS9 3.0L V12 | D |
オーウェン・レーシング・オーガニゼーション | 11 | ペドロ・ロドリゲス | BRM | P133 | BRM P142 3.0L V12 | G |
12 | リチャード・アトウッド | P126 | ||||
レグ・パーネル・レーシング | 14 | ピアス・カレッジ | BRM | P126 | BRM P142 3.0L V12 | G |
クーパー・カー・カンパニー | 15 | ルシアン・ビアンキ | クーパー | T86B | BRM P142 3.0L V12 | F |
16 | ブライアン・レッドマン | |||||
ヨアキム・ボニエ・レーシングチーム | 17 | ヨアキム・ボニエ | マクラーレン | M5A | BRM P142 3.0L V12 | G |
ブラバム・レーシング・オーガニゼーション | 18 | ジャック・ブラバム | ブラバム | BT26 | レプコ 860 3.0L V8 | G |
19 | ヨッヘン・リント | |||||
アングロ・アメリカン・レーサーズ | 21 | ダン・ガーニー 2 | イーグル | T1G | ウェスレイク 58 3.0L V12 | G |
スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC | 22 | クリス・エイモン | フェラーリ | 312/67 | フェラーリ 242 3.0L V12 | F |
23 | ジャッキー・イクス | |||||
ソース:[7] |
- 追記
- ^1 - アーウィンはニュルブルクリンク1000kmレースで負傷したため不参加[8]
- ^2 - マシンが準備できず[9]
予選
[編集]クリス・エイモンがウイングを装着したフェラーリ・312で、2番手のジャッキー・スチュワート(マトラ・インターナショナル)に4秒の差を付けてポールポジションを獲得した。ウイングを装着しなかったジャッキー・イクスは3番手で、フェラーリ勢がフロントローの3台のうち2台を占めた[注 1]。2列目はジョン・サーティース(ホンダ)とデニス・ハルム(マクラーレン)、3列目はブルース・マクラーレン(マクラーレン)、ピアス・カレッジ(レグ・パーネル・レーシングのBRM)、ペドロ・ロドリゲス(BRM)が占めた。グラハム・ヒルとジャッキー・オリバーのロータス勢は金曜日に2台ともマシントラブルを抱え、土曜日が雨となったため、後ろから2列目に沈んだ[5]。
その土曜日にルドビコ・スカルフィオッティがロスフェルドで行われたヒルクライムの事故で亡くなったというニュースが流れた。それは4月のジム・クラーク、5月のマイク・スペンスに続く、この年3人目となる現役F1ドライバーの訃報であった[5][10]。
結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 22 | クリス・エイモン | フェラーリ | 3:28.6 | - | 1 |
2 | 7 | ジャッキー・スチュワート | マトラ-フォード | 3:32.3 | +3.7 | 2 |
3 | 23 | ジャッキー・イクス | フェラーリ | 3:34.3 | +5.7 | 3 |
4 | 20 | ジョン・サーティース | ホンダ | 3:35.0 | +6.4 | 4 |
5 | 6 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 3:35.4 | +6.8 | 5 |
6 | 5 | ブルース・マクラーレン | マクラーレン-フォード | 3:37.1 | +8.5 | 6 |
7 | 14 | ピアス・カレッジ | BRM | 3:37.2 | +8.6 | 7 |
8 | 11 | ペドロ・ロドリゲス | BRM | 3:37.8 | +9.2 | 8 |
9 | 3 | ジョー・シフェール | ロータス-フォード | 3:39.0 | +10.4 | 9 |
10 | 16 | ブライアン・レッドマン | クーパー-BRM | 3:41.4 | +12.8 | 10 |
11 | 12 | リチャード・アトウッド | BRM | 3:45.2 | +16.6 | 11 |
12 | 15 | ルシアン・ビアンキ | クーパー-BRM | 3:45.9 | +17.3 | 12 |
13 | 10 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | マトラ | 3:52.9 | +24.3 | 13 |
14 | 1 | グラハム・ヒル | ロータス-フォード | 4:06.1 | +37.5 | 14 |
15 | 2 | ジャッキー・オリバー | ロータス-フォード | 4:30.8 | +1:02.2 | 15 |
16 | 17 | ヨアキム・ボニエ | マクラーレン-BRM | 4:34.3 | +1:05.7 | 16 |
17 | 19 | ヨッヘン・リント | ブラバム-レプコ | 4:46.7 | +1:18.1 | 17 |
18 | 18 | ジャック・ブラバム | ブラバム-レプコ | No Time | - | 18 |
決勝
[編集]日曜日はくすんだ曇り空で、スタートでクリス・エイモンがリードし、ジャッキー・イクス、ジョン・サーティース、デニス・ハルムがエイモンを追ったが、2周目にサーティースがリードを奪った。グラハム・ヒル、リチャード・アトウッド、ジャック・ブラバム、ヨッヘン・リントがマシントラブルに巻き込まれ、相次いでリタイアした[5]。
ブライアン・レッドマンは7周目にサスペンションが壊れ、コンクリートウォールを超えて駐車されていた車に激突したためリタイアし、そのままサーキットを離れた。マシンは炎上したが、レッドマン自身は右腕の骨折といくつかの軽度の火傷で済んだ[5]。
その後まもなく、エイモンはサーティースが撒き散らした小石がオイルラジエーターに当たり、そこからオイルが漏れてリアタイヤが滑り、コースアウトを喫してリタイアとなり[13]、首位のサーティースも12周目に左リアサスペンションのロアアームがモノコックから剥離してしまい、姿を消した[14]。これでハルムがリードを奪ったが、すぐにジャッキー・スチュワートに追い越され[5]、ハルムのドライブシャフトが破損して減速するまで[15]2人は目まぐるしく首位の座を入れ替えた[5]。これでスチュワートはブルース・マクラーレンに30秒の差を付けてリードしたが[5]、残り2周で燃料を使い果たしてピットインしてしまい、マクラーレンが首位に立ってそのままチェッカーフラッグを受けた[15]。ペドロ・ロドリゲスが2位、イクスは3位でフィニッシュした[5]。
ブルース・マクラーレンは1962年モナコグランプリ以来6年ぶりに通算4勝目を挙げ、ジャック・ブラバムに次ぐ自らの名を冠したマシンでF1世界選手権レースを制した2人目(オーナー兼ドライバーを含めると、前年のベルギーグランプリでイーグルのダン・ガーニーが勝って以来3人目)のドライバーとなった[16]。また、マクラーレンチームにとっても記念すべきF1世界選手権における初勝利であった[17][注 2]。
結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 5 | ブルース・マクラーレン | マクラーレン-フォード | 28 | 1:40:02.1 | 6 | 9 |
2 | 11 | ペドロ・ロドリゲス | BRM | 28 | +12.1 | 8 | 6 |
3 | 23 | ジャッキー・イクス | フェラーリ | 28 | +39.6 | 3 | 4 |
4 | 7 | ジャッキー・スチュワート | マトラ-フォード | 27 | 燃料切れ | 2 | 3 |
5 | 2 | ジャッキー・オリバー | ロータス-フォード | 26 | トランスミッション | 15 | 2 |
6 | 15 | ルシアン・ビアンキ | クーパー-BRM | 26 | +2 Laps | 12 | 1 |
7 | 3 | ジョー・シフェール | ロータス-フォード | 25 | 油圧 | 9 | |
8 | 10 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | マトラ | 25 | +3 Laps | 13 | |
Ret | 14 | ピアス・カレッジ | BRM | 22 | エンジン | 7 | |
Ret | 6 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 18 | ハーフシャフト | 5 | |
Ret | 20 | ジョン・サーティース | ホンダ | 11 | サスペンション | 4 | |
Ret | 22 | クリス・エイモン | フェラーリ | 8 | ラジエーター | 1 | |
Ret | 16 | ブライアン・レッドマン | クーパー-BRM | 6 | スピンオフ | 10 | |
Ret | 12 | リチャード・アトウッド | BRM | 6 | オイルパイプ | 11 | |
Ret | 18 | ジャック・ブラバム | ブラバム-レプコ | 6 | スロットル | 18 | |
Ret | 1 | グラハム・ヒル | ロータス-フォード | 5 | ハーフシャフト | 14 | |
Ret | 19 | ヨッヘン・リント | ブラバム-レプコ | 5 | エンジン | 17 | |
Ret | 17 | ヨアキム・ボニエ | マクラーレン-BRM | 1 | ホイール | 16 | |
ソース:[18]
|
- ジョン・サーティース - 3:30.5(5周目)
- ラップリーダー[20]
- クリス・エイモン - 1周 (Lap 1)
- ジョン・サーティース - 9周 (Lap 2-10)
- デニス・ハルム - 2周 (Lap 11, 15)
- ジャッキー・スチュワート - 15周 (Lap 12-14, 16-27)
- ブルース・マクラーレン - 1周 (Lap 28)
達成された記録
[編集]- ファステストラップの最高平均速度 - ジョン・サーティース (241.140km/h)
- 最高平均速度での勝利 - ブルース・マクラーレン (236.797km/h)
- 最多エントリー - ジャック・ブラバム (100)
- 節目となった記録:
- 100戦目のエントリー - ジャック・ブラバム (ドライバー)
- 10回目のファステストラップ - ジョン・サーティース (ドライバー)
- 初優勝 - マクラーレン (コンストラクター)
- 最後の優勝: ブルース・マクラーレン
第4戦終了時点のランキング
[編集]
|
|
- 注: トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半6戦のうちベスト5戦がカウントされる。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 本レースのスターティンググリッドは3-2-3。
- ^ 本レース以前に行われた非選手権レースを含めると、3月のレース・オブ・チャンピオンズ(ブランズ・ハッチ)でブルースが、4月のBRDCインターナショナル・トロフィー(シルバーストン)でハルムが勝利を収めている。
出典
[編集]- ^ “Legends”. Motor Sport magazine archive. p. 18 (October 1998). 10 August 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。9 August 2016閲覧。
- ^ (林信次 1995, p. 58,64)
- ^ Lawrence (1999) p.100
- ^ Nye (1986) p.72
- ^ a b c d e f g h i j k “Belgian GP, 1968”. grandprix.com. 2019年8月29日閲覧。
- ^ (林信次 1995, p. 59)
- ^ “Belgium 1968 - Race entrants”. STATS F1. 2019年8月29日閲覧。
- ^ “Grand Prix Results: Monaco GP, 1968”. grandprix.com. 3 February 2015閲覧。
- ^ “Belgium 1968 - Result”. STATS F1. 2019年8月29日閲覧。
- ^ (林信次 1995, p. 61)
- ^ “Belgium 1968 - Qualifications”. STATS F1. 2019年8月29日閲覧。
- ^ “Belgium 1968 - Starting grid”. STATS F1. 2019年8月29日閲覧。
- ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 240)
- ^ (中村良夫 1998, p. 249)
- ^ a b (ダグ・ナイ 1989, p. 198)
- ^ (林信次 1995, p. 43,58)
- ^ (林信次 1995, p. 58)
- ^ “1968 Belgian Grand Prix”. formula1.com. 18 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。26 September 2015閲覧。
- ^ “Belgium 1968 - Best laps”. STATS F1. 2019年9月1日閲覧。
- ^ “Belgium 1968 - Laps led”. STATS F1. 2019年9月1日閲覧。
- ^ “1968 Belgian GP”. ChicaneF1. 2019年8月27日閲覧。
- ^ a b “Belgium 1968 - Championship”. STATS F1. 12 March 2019閲覧。
参照文献
[編集]- Wikipedia英語版 - en:1968 Belgian Grand Prix(2019年3月12日 14:22:49(UTC))
- Lang, Mike (1982). Grand Prix! Vol 2. Haynes Publishing Group. pp. 66–67. ISBN 0-85429-321-3
- Lawrence, Mike (1999). Brabham+Ralt+Honda: The Ron Tauranac story. Motor Racing Publications. ISBN 1-899870-35-0
- Nye, Doug (1986). Autocourse history of the Grand Prix car 1966–85. Hazleton publishing. ISBN 0-905138-37-6
- 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6。
- 中村良夫『F-1グランプリ ホンダF-1と共に 1963-1968 (愛蔵版)』三樹書房、1998年。ISBN 4-89522-233-0。
- アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2。
- ダグ・ナイ『チーム・マクラーレンの全て』森岡成憲(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2。
外部リンク
[編集]前戦 1968年モナコグランプリ |
FIA F1世界選手権 1968年シーズン |
次戦 1968年オランダグランプリ |
前回開催 1967年ベルギーグランプリ |
ベルギーグランプリ | 次回開催 1970年ベルギーグランプリ |