モ式小銃
モ式小銃(画像とスペックはKar98k) | |
モ式小銃 | |
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種類 | 軍用小銃 |
製造国 |
ドイツ帝国 ナチス・ドイツ 中華民国 清 満洲国 その他 |
設計・製造 | モーゼル |
年代 | 20世紀 |
仕様 | |
種別 | 軍用小銃 |
口径 | 7.92 mm |
銃身長 | 600 mm |
ライフリング | 4条右回り |
使用弾薬 |
7.92x57mmモーゼル弾 智式機関銃弾 九八式普通実包 |
装弾数 | 5 発 |
作動方式 | ボルトアクション方式 |
全長 | 1,100 mm |
重量 | 3.9 kg |
銃口初速 | 760 m/s |
有効射程 | 500 m |
歴史 | |
製造期間 | |
配備期間 | ~1945年 |
配備先 | 満洲国、シャム王国、その他 |
関連戦争・紛争 | 日清戦争、第二次世界大戦(満洲事変、日中戦争、太平洋戦争) |
バリエーション | I型、II型、III型、その他 |
製造数 | 50,000 挺+40,000 挺以上 |
モ式小銃(モしきしょうじゅう)とは、昭和13年(1938年)に日本陸軍がドイツから輸入したボルトアクション式小銃である。また中国大陸で日本軍が鹵獲したり製造したモーゼル式小銃もモ式小銃と呼ばれた。
輸入モ式小銃
[編集]昭和12年(1937年)の日独伊防共協定の成立を受けてこれを記念し、昭和13年(1938年)に小銃をドイツから約50,000挺購入し、「モ式小銃」として昭和14年(1939年)に準制式化した物である。モはモーゼルの意味である。昭和12年に日中戦争(支那事変)が始まり、小銃の需要が高まったことと、新たな同盟国への政治的配慮が購入の理由であった。
モ式小銃には歩兵用のI型(モーゼル・スタンダードM1924、市販型)、騎兵用のII型(Kar98k)、歩兵・騎兵共用のIII型(vz.24、チェコスロバキア製)があった。
ドイツから輸入された、M1924・Kar98k・vz.24を、1939年4月から5月にかけて、開発中の試製九九式小銃との比較審査を行い、使用に問題無しと判定され、同年10月にそれぞれI型・II型・III型の名称で準制式化された。
狭義の意味でのモ式小銃とはこれらの輸入したモーゼル式小銃のことである。
鹵獲モ式小銃
[編集]7.92 mm×57 モーゼル弾は、日本国内の工廠でチェッコ機銃用や九八式旋回機関銃用に生産されていた。また満洲の新京や奉天の工廠、占領した中国各地の工廠でも生産されており、現地調達もできたので、弾薬補給の心配はなかった。
中国の軍隊の小銃の口径は多種多様な種類があったが、中心となったのは6.5 mmと7.92 mm(8 mmと表記することもあり)の2種類であった。6.5 mmは主に日本の三十年式実包と三八式実包であり、三八式実包は山西省で生産が行われた。
日清戦争以来、中国の様々な軍隊の主力小銃となったのは、多種多様な形式のモーゼル、マンリッヘル系の小銃であり、ドイツからの輸入と同時に、漢陽や金陵や広東や満洲でのライセンス生産も行われた。
中国で生産されたモーゼル式小銃は主に、漢陽八八式歩槍(Gew88のコピー)、M1903(6.5 mm口径)、M1904(6.8 mm(7 mmと表記することもあり)口径)、元年式歩槍(1912年、6.8 mm(7 mm)口径、後に7.92 mm口径に変更、元年式7.92毫米歩槍と改称)、M1898、十三年式7.9毫米歩槍(張作霖政権で生産、1924年、チェコスロバキア製、7.92 mm口径)等があった。この他に内戦期には各国の小銃が輸入された。国民政府は26種類もの小銃を使用していたとされる。
1934年(昭和9年、民国23年)、再統一を果たした国民政府はモーゼル・スタンダードM1924を軍の主力小銃とすることを決定する。この小銃は蔣介石の名から中正式歩槍(歩槍は中国語で小銃の意味)と命名された。1935年(民国24年)から各地で生産が行われ、国民革命軍の主力小銃となった。
その後、中正式歩槍はKar98kを原型とした「中正式歩槍二式」に生産が移行した。モーゼル・スタンダードM1924を原型とした中正式歩槍は「中正式歩槍一式」に改称された。
これらのモーゼル式小銃を日本軍は満洲事変と日中戦争で大量に鹵獲し、南京に保管していた。
満洲生産型モ式小銃
[編集]奉天工廠でも東京造兵工廠が技術指導し、中正式歩槍約40,000挺を製造させた。そしてこれらにドイツから輸入したモ式小銃約50,000挺が加わった。
これらの雑多な鹵獲モ式小銃、満洲生産型モ式小銃、輸入モ式小銃は、弾薬規格が違う日本陸軍では基本的に使用されず[注釈 1]、満洲国に譲渡され満洲国軍に配備されたほか、満洲の後期結成師団、汪兆銘政権軍、皇協軍(捕虜や投降中国兵を集めて編制)などに配備されたり、日本海軍が教育訓練用に使用したり、シャム王国軍向けに輸出された(いわゆるシャム・モーゼル)。また日本国内で三十年式銃剣に似たモ式小銃専用銃剣も生産され、シャム王国に輸出された。
シャム・モーゼル
[編集]また、これらとは別に日本国内でもモーゼル式小銃を輸出用に生産していた。
小倉工廠でGew98のコピーである46式小銃を生産し、1903年から1908年までシャム王国(現在のタイ王国)に輸出していた[1]。
46式小銃は8 mm×50R弾の45式弾薬(円頭弾、弾丸重量15.4 g、初速624.8 m/s)を使用していたが、1923年には8 mm×52R弾の66式弾薬(尖頭弾、弾丸重量11.7 g、初速685.8 m/s)を使用する三八式歩兵銃[2]を新たに66式小銃として採用する。よって46式小銃と66式小銃に構造及び弾薬の互換性は無い。
46式小銃のGew98と異なる点としては、三十五年式海軍銃と同様の手動式遊底覆(ボルトカバー)が付属している事である。これらの銃はシャム・モーゼルまたはサイミーズ・モーゼル(Siamese Mauser)とも呼ばれる。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 「「モ」式小銃(第123型)及「モ」式銃剣(第123型)準制式制定の件」 アジア歴史資料センター Ref.C01001757300