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ヤマトキヨウダイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヤマトキヨウダイ
現役期間 1962年 - 1965年
欧字表記 Yamato Kyodai
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1960年5月9日
死没 1971年
ヒンドスタン
ヤマトチカラ
母の父 クモハタ
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産者 (有)伏木田牧場
馬主 門井みち
調教師 稲葉幸夫東京
競走成績
生涯成績 38戦12勝
獲得賞金 31,953,150円
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ヤマトキヨウダイ日本中央競馬会に登録されていた競走馬。引退後に種牡馬となった。甥に1966年朝日盃3歳ステークスモンタサンがいる。

※なお、馬齢は旧表記とする。

経歴

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1960年5月9日北海道浦河郡浦河町伏木田牧場に生まれる。母のヤマトチカラの馬主であった門井みちの所有馬となり、東京競馬場稲葉幸夫厩舎に預託される。

3歳 - 4歳

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1962年10月21日、東京競馬場でのサラブレッド3歳新馬戦にて梶与四松騎乗でデビューし、9番人気で2着入線。同年11月17日にデビュー3戦目のサラブレッド3歳未勝利戦(東京競馬場)で初勝利を挙げた。

陣営では当時の日本競馬の主力サイアーであったヒンドスタン産駒であり、母の父が東京優駿馬のクモハタという良血であることからクラシック戦線への期待をかけていたが、4歳春は思うように成績が上がらず、1963年4月29日の40万円下条件戦での1勝のみとなった。その後、8月の福島競馬場での信夫特別で加賀武見に乗り代わって勝利すると、9月8日、秋競馬緒戦の京王杯オータムハンデキャップに挑戦したが同じ稲葉幸夫厩舎のトキクインの5着と敗れた。その後はオールカマーカブトヤマ記念クモハタ記念と重賞に連続出走したが、勝つことは出来なかった。

5歳 - 6歳

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明け5歳となった1964年1月3日の正月競馬金杯5着の後、2月23日中山記念で3着、6月13日の平場オープン競走では当時若手騎手であった嶋田功が騎乗して1着となる。中1週置いて日本経済賞で1着となり、重賞初制覇。その後は重賞格上げ前のCBC賞(オープン特別)でも1着となった。

迎えた秋競馬緒戦の京王杯オータムハンデで2着、毎日王冠では4着と敗れはしたものの、天皇賞(秋)の前哨戦となった目黒記念(秋)でアサホコ(後の天皇賞馬)に競り勝つ。その勢いで第50回天皇賞(秋/芝3,200m)に出走。2番人気に支持され、レースでは同期のメイズイ(1番人気)など他馬を寄せ付けず、3分21秒7の当時のレコードタイムで八大競走初制覇を果たした。

そして暮れの第9回有馬記念に出走。この有馬記念にはこの年の4歳クラシック三冠馬のシンザンは出走しなかったが、メイズイ、ウメノチカラヒカルポーラなどの顔ぶれが揃う中、3番人気に支持され、牝馬トーストに1馬身3分の4の差をつけて優勝。八大競走2連勝を飾ると同時に、1964年度の啓衆社賞最優秀5歳以上牡馬に選ばれた。

ヤマトキヨウダイは6歳も現役を続行し、勝ち星こそなかったが全てのレースで掲示板を外さない安定ぶりを見せた。1965年第10回有馬記念でシンザンの5着に入ったのを最後に現役を引退した。

現役引退後

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現役引退後のヤマトキヨウダイは種牡馬となったが、これといった産駒を出せずに終わった。

戦績

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主な勝ち鞍

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血統表

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ヤマトキヨウダイ血統ボワルセル系 / Gainsborough 4×4=12.50%、Blandford 4×4=12.50%) (血統表の出典)

*ヒンドスタン
Hindostan
1946 黒鹿毛
父の父
Bois Roussel
1935 黒鹿毛
Vatout Prince Chimay
Vasthi
Plucky Liege Spearmint
Concertina
父の母
Sonibai
1939 鹿毛
Solario Gainsborough
Sun Worship
Udanipur Blandford
Uganda

ヤマトチカラ
1953 鹿毛
クモハタ
1936 栗毛
*トウルヌソル Gainsborough
Soliste
*星旗 Gnome
Tuscan Maiden
母の母
ヤマトナデシコ
1943 鹿毛
*プリメロ Blandford
Athasi
オーグメント Gallon
第二アストニシメント F-No.7-c

外部リンク

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