ラウル・アルベルト・フロレンティン・アントラ
ラウル・アルベルト・フロレンティン・アントラ[1](スペイン語: Raúl Alberto Florentín Antola、1965年11月20日 - )は、パラグアイの外交官、大使。母国語のスペイン語と母国語水準のドイツ語に加えて、英語とフランス語にも堪能。アスンシオン出身。既婚で二児の父[2]。2017年より駐日大使[3](但し、信任状捧呈は年明けの2018年2月[4])。
経歴
[編集]ドイツ連邦共和国(当時の西ドイツ)ハンブルクのヴィルヘルム=ギムナジウムとベルギーの国際ドイツ学校ブリュッセル校で中等教育を修めた後、アウクスブルク大学経済学部で経済学士を取得。専攻分野は経営学、マーケティング学、経済社会学。ドイツの大企業シーメンスでのインターンシップ経験もある[2]。
1995年から1999年にかけて在ドイツパラグアイ大使館で一等書記官、対外広報を担当。1999年から2000年にかけて在アメリカ合衆国パラグアイ大使館で参事官、アメリカ合衆国議会および在米国際開発金融機関との渉外を担当。2000年から2002年にかけて在ドイツパラグアイ大使館で参事官、政治・経済・商務を担当[2]。
2002年から2004年にかけて本省勤務、ヨーロッパ局長[2]。
2004年から2009年にかけて在スイスパラグアイ大使館で公使参事官、商務を担当。2009年から2013年にかけて在ドイツ大使、うち2012年以降は在ポーランド大使・在リトアニア大使・在ラトビア大使・在エストニア大使を兼任。在ドイツ大使の在任中、ドイツ連邦共和国功労勲章を受勲している[2]。
2014年、商工省の投資輸出促進局(REDIEX)で局長。同年12月7日より本省勤務の無任所大使、儀式儀礼局長[2]。
2017年10月12日、パラグアイ上院が次期駐日大使にフロレンティンを指名することを承認[3]。2018年2月16日に皇居で信任状を捧呈し、駐日大使として正式に着任した[4]。
2019年10月22日、皇居正殿松の間で今上天皇の即位礼正殿の儀が執り行われ[5]、ウゴ・ベラスケス・モレノ副大統領及び夫人と共に参列した[6]。
出典
[編集]- ^ 名前の2語目であるアルベルトを省略してラウル・フロレンティン・アントラ(ラウル・フロレンティン=アントラ)、母方の姓を省略してラウル・アルベルト・フロレンティン、名前の2語目および母方の姓を省略してラウル・フロレンティンとも。
- ^ a b c d e f La carta de nombramiento y el currículum vítae del Embajador Raúl Florentin
- ^ a b Embajador en Japón - Edicion Impresa - ABC Color
- ^ a b 駐日パラグアイ大使の信任状捧呈 | 外務省
- ^ 即位礼正殿の儀 | 首相官邸ホームページ
- ^ 外交青書 2020 | 即位礼正殿の儀参列者(外国元首・祝賀使節等及び駐日外国大使等) | 外務省
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- “Maquila” is highly appreciated by most investors - 2020年9月11日
- フロレンティン駐日パラグアイ大使、アイリョン・キスベルト駐日ボリビア臨時代理大使 会見 2019.4.12 - YouTube - 日本記者クラブでの会見(2019年4月12日 16:00~17:00)、発言はスペイン語、日本語の通訳つき
公職 | ||
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先代 ナオユキ・トヨトシ(豊歳直之) |
駐日パラグアイ大使 2017年 - |
次代 (現職) |
先代 ???? |
在ドイツパラグアイ大使 2009年 - 2013年 |
次代 フェルナンド・ダニエル・オヘダ・カセレス |
先代 ???? |
在エストニアパラグアイ大使 2012年 - 2013年 |
次代 フェルナンド・ダニエル・オヘダ・カセレス |
先代 ???? |
在ポーランドパラグアイ大使 2012年 - 2013年 |
次代 フェルナンド・ダニエル・オヘダ・カセレス |
先代 ???? |
在ラトビアパラグアイ大使 2012年 - 2013年 |
次代 フェルナンド・ダニエル・オヘダ・カセレス |
先代 ???? |
在リトアニアパラグアイ大使 2012年 - 2013年 |
次代 フェルナンド・ダニエル・オヘダ・カセレス |