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リファレンスポイント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リファレンスポイント
Louis Freedmanの勝負服
欧字表記 Reference Point
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1984年2月26日
死没 1991年12月
ミルリーフ
Home on the Range
母の父 Habitat
生国 イギリス
馬主 Louis Freedman
調教師 ヘンリー・セシル
競走成績
生涯成績 10戦7勝
獲得賞金 $1,252,819
勝ち鞍 ウィリアムヒルフューチュリティ (1986)
ダンテステークス (1987)
ダービーステークス (1987)
KGVI & QES (1987)
グレートヴォルティジュールステークス (1987)
セントレジャーステークス (1987)[1]
テンプレートを表示

リファレンスポイント(Reference Point、1984年2月26日 - 1991年12月)は、イギリスのサラブレッド競走馬・種牡馬。1986年8月から1987年10月までに10のレースに出場し、7勝した。1987年の3歳の時に、ヨーク競馬場ダンテステークスダービーアスコット競馬場キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスグレートヴォルティジュールステークスセントレジャーステークスに勝利した。2012年のキャメロットまで、ダービーの勝利馬がセントレジャーに出場しなかった。シーズン最終戦であった凱旋門賞には敗れた。

現役時代

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デビュー前

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イギリスバークシャー州クリーブデンスタッドにて生まれる。生産はルイス・フリードマン。[2][3]ミルリーフは1971年のエプソムダービー優勝馬で、1978年と1987年に英愛リーディングサイアーとなった。母ホームオンザレンジは1981年のサンチャリオットステークス優勝馬である。

2歳時(1986年)

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リファレンスポイントは2歳時に3回レースに出走した。8月30日にサンダウンパーク競馬場で行われたハートオブバラエティSでデビューし、1番人気に推されるも3着。9月23日同コース同距離で行われたドーキングSでは2着に8馬身差をつける初勝利をあげた。10月にはドンカスター競馬場で行われたG1ウィリアムヒルフューチャリティSに出走。同厩のスハイリーの2番人気だったが、2着ベンガルファイアに5馬身差で逃げ切りG1初勝利。この勝利により同年の欧州調教2歳馬として最高の評価を受けた。[4]

3歳時(1987年)

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1987年3月、副鼻腔に感染症を患い手術を受ける。これにより英2000ギニーへの出走は断念した。[5] 5月にヨーク競馬場で行われたダンテSで復帰。スタートから逃げを打ち、2着アスコットナイトに1馬身差で勝利した。

エプソムダービーでは19頭中2.5倍の1番人気に推される。スタートから先頭に立つと2着モストウェルカムに1馬身差をつけ逃げ切り勝ちを収めた。[6] 勝ちタイム2分33秒9は1936年にマームードが記録した2分33秒8に次ぐ好タイムであった。[7]

次走はエクリプスステークスで古馬と初対戦となった。ペースメーカー役のメディアスターゲストを抑え猛然と逃げを打つも、ムトトに4分の3馬身差され2着に終わる。[8] [9] 3週間後、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスに2.1倍の1番人気で出走。またも逃げを打つと残り2ハロンで後続を突き放し、2着セレスティアルストームに3馬身差で優勝した。[10]

その後は9月の英セントレジャーを経て、10月の凱旋門賞に向かう計画が立てられた。ステップレースとして8月のグレートヴォルティジュールステークスに出走。単勝1.07倍の1番人気に答え勝利するも、濡れた馬場で脚を滑らせ軽傷を負った。[11] 9月のセントレジャーSは6頭立ての1番人気で出走し、2着マウンテンキングダムに1馬身半差をつけ勝利。これで本馬の獲得賞金総額は77万4275ポンドとなり、英国のみで走った馬の獲得賞金総額史上1位となった。[12]10月の凱旋門賞も1番人気で出走。例によってスタートから先頭に立つも、直線で後続に飲まれトランポリノの8着と惨敗。[13]レース後の検査で左前脚の蹄に腫瘍ができている事が判明し、この年限りで引退し種牡馬入りした。[14]

評価

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本馬はタイムフォーム・レーティングで139の評価を与えられた。これは当時11番目に高い評価であり、ニジンスキーアレッジドトロイの評価を上回るものだった。[15] ジョン・ランドールとトニー・モリスは著書「チャンピオンの世紀」の中で本馬を20世紀で36番目に優れた英国馬であり、80年代ではシャーガーに次いで優れたダービー勝ち馬と評価した。[4]

BBCのスポーツ特派員リー・マッケンジーは、近年のダービー優勝馬の「ベスト6」の1頭として本馬を評価し[16] 、本馬の「職人的な」レーススタイルが、時々本馬の評価されない原因になっていると語った。

英競馬協会により1987年の英国年度代表馬に選出された。[15]


種牡馬時代

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引退後は英国ダルハムホールスタッドで種牡馬入りしたが、1991年12月に事故で脚を骨折し死亡した。[17]種牡馬成績は芳しくなく、残した4世代の産駒でG1を勝利したのはイヴィアンナ(イタリアオークス優勝)1頭であった。[18]

血統表

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レファレンスポイント[19]血統 (血統表の出典)

ミルリーフ (USA)
1968
父の父
Never Bend (USA)
1960
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Lalun Djeddah
Be Faithful
父の母
Milan Mill (USA)
1962
Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Virginia Water Count Fleet
Red Ray

Home on the Range (GB)
1978
Habitat (USA)
1966
Sir Gaylord Turn-To
Somethingroyal
Little Hut Occupy
Savage Beauty
母の母
Great Guns (GB)
1971
Busted Crepello
Sans le Sou
Byblis Grey Sovereign
Niobe (Family:10-d)[20]


出典

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  1. ^ The Sporting Life Flat Results In Full 1986. Queen Anne Press. (1986). pp. 480, 554, 634. ISBN 0-356-12576-9 
  2. ^ History”. Cliveden Stud. 2010年7月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月12日閲覧。
  3. ^ Powerful force in industry; Louis Freedman was one of Britain's foremost owner-breeders, with a stream of top-class performers emanating from his Cliveden Stud.” (1998年12月23日). 2012年1月12日閲覧。
  4. ^ a b Morris, Tony; Randall, John (1999). A Century of Champions. Portway Press. ISBN 1-901570-15-0 
  5. ^ Cook, Chris (2010年10月15日). “Claims Five: Henry Cecil's best two-year-olds | Chris Cook | Sport”. The Guardian (London). https://www.theguardian.com/sport/blog/2010/oct/15/claims-five-henry-cecil-2yos 2012年1月12日閲覧。 
  6. ^ Horse Racing: 100 GREATEST RIDES” (2007年1月31日). 2012年1月12日閲覧。
  7. ^ Steve's perfect reference for record Derby”. Glasgow Herald (4 June 1987). 2012年1月12日閲覧。
  8. ^ Late arrival who found his feet at the right time.”. 2012年1月12日閲覧。
  9. ^ Horse Racing (2011年7月1日). “Coral-Eclipse: The Top 10 winners of the past 40 years”. Telegraph (London). https://www.telegraph.co.uk/sport/horseracing/8611048/Coral-Eclipse-The-Top-10-winners-of-the-past-40-years.html 2012年1月12日閲覧。 
  10. ^ Reference Point scores brilliant double”. New Straits Times (26 July 1987). 2012年1月12日閲覧。
  11. ^ Paley, Tony (2010年8月10日). “Talking Horses | Sport | guardian.co.uk”. The Guardian (London). https://www.theguardian.com/sport/blog/2010/aug/10/horse-racing-tipping-competition 2012年1月12日閲覧。 
  12. ^ Record win for Reference Point”. Manila Standard (14 September 1987). 2012年1月12日閲覧。
  13. ^ France: Trempolino Gives Pat Eddery His Third Successive Arc In Record Time”. Itnsource.com (1987年10月6日). 2012年1月12日閲覧。
  14. ^ WHAT HAPPENED TO ... TREMPOLINO? | Sporting Life – Horse Racing News | Live Racing Results, Racecards, Live Betting Shows”. Sporting Life (2010年3月12日). 2012年1月12日閲覧。[リンク切れ]
  15. ^ a b Morris, Tony; Randall, John (1990). Horse Racing: Records, Facts, Champions (Third ed.). Guinness Publishing. ISBN 0-85112-902-1 
  16. ^ “BBC Sport | Special Events | 2001 | Epsom Derby | Six of the best at Epsom”. BBC News. (2001年6月2日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/in_depth/2001/epsom_derby/1362421.stm 2012年1月12日閲覧。 
  17. ^ “Slip Anchor | Sport”. The Observer (London). (2011年2月9日). http://observer.guardian.co.uk/osm/story/0,,641871,00.html 2012年1月12日閲覧。 
  18. ^ Reference Point | Stud Record | Bloodstock Stallion Book”. Racing Post (2011年11月9日). 2012年1月12日閲覧。
  19. ^ English Derby Winner: Reference Point”. Chef-de-race.com. 2012年1月12日閲覧。
  20. ^ Patricia Erigero Thoroughbred Heritage. “10 Fair Helen/Childers Mare”. Tbheritage.com. 2012年1月12日閲覧。