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リージ・アンド・リーフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『リージ・アンド・リーフ』
フェアポート・コンヴェンションスタジオ
リリース
録音 1969年10月16、19、22、29日及び11月1日
ジャンル フォーク・ロック[1][2]
時間
レーベル アイランド ILPS 9115 (UK)
A&M SP 4257 (US)
プロデュース ジョー・ボイド
フェアポート・コンヴェンション アルバム 年表
アンハーフブリッキング
(1969年)
リージ・アンド・リーフ
(1969年)
フル・ハウス
(1970年)
テンプレートを表示
専門評論家によるレビュー
レビュー・スコア
出典評価
Allmusic5/5stars[3]
The Village Voice'B–[4]

リージ・アンド・リーフ』 (Liege & Lief) は、イギリスのフォークロック・バンド、フェアポート・コンヴェンションによる4枚目のアルバムであり、1969年の一年間にイギリス国内で3枚リリースされたうちの3枚目のアルバムである。全曲でサンディ・デニーをリード女性ボーカリストとしてフィーチャーしている(デニーは1968年のデビュー・アルバム『フェアポート・コンヴェンション』には参加していなかった)。デイヴ・スウォーブリックデイヴ・マタックスはそれぞれフィドル/マンドリンとドラムでバンド・メンバーとしてフル参加した(スウォーブリックは前作『アンハーフブリッキング』にゲスト参加していた)。このアルバムはすべての曲が(「マティ・グローヴズ」、「タム・リン」などのような)伝統的な英国およびケルトの民俗素材を(自由に)改変したものか、同様のスタイルで書かれた(「カム・オール・イェ」、「クレージー・マン・マイケル」といった)オリジナル曲から構成された、フェアポートとして初めてのアルバムである。デニー(および創設メンバーでベース・プレーヤーのアシュリー・ハッチングス)がアルバムのリリース前にバンドを脱退したが、フェアポート・コンヴェンションは、イギリスのフォークロックのイディオムに基づいて音楽を強力に作り上げるために現在も引き続き活動している。

アルバムはそこそこの成功をおさめ、全英アルバムチャートに入っていた15週間の間に最高で17位に達した[5]。しばし論争となることもあるが(大西洋を挟んだ両岸で数年前にバーズによって一般的になったアメリカ風のフォークロックとの用語の混乱をさけるために使われる)「ブリティッシュ・フォークロック」の最初のアルバムと位置付けられている。『リージ・アンド・リーフ』の人気は新しいスタイルの商業化と、明確なジャンルとして芸術的に確立するために大いに役立った。2006年のBBC Radio 2 Folk Awardsでのリスナーによる投票では、「史上最も影響力のあるフォーク・アルバム」に選ばれた[6] [7]。Colin Larkinの All Time Top 1000 Albums (2000)の第3版では254番に選ばれた[8]

歴史

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マーティン・ランブルに死をもたらした高速道路事故の後、バンドはドラマーなしの状態になっていた。『アンハーフブリッキング』のリリース後に、デイヴ・マタックスがその役割を引き継いだが、それまではメッカ・ボールルームのドラマーだったので、「まったく新しいスタイルのドラミングを学ぶ」必要があった[9]。バンドの他のメンバーよりも少し年上で、フィドルの名手でありかつマンドリン奏者のデイヴ・スウォーブリックは、すでにギタリストのマーティン・カーシーとのデュオで成功していたが、『アンハーフブリッキング』にゲスト参加したのちに、フルタイムでフェアポートに加わることになった。

リード・ボーカリストのデニーと新しく加入したスウォーブリックとマタックス、リードギターのリチャード・トンプソンとボーカル、リズムギターのサイモン・ニコル、エレクトリックベースのアシュリー・ハッチングスによって実体を持ったバンドは、1969年の夏にウィンチェスターのブラッシュフィールド近くのファーリー・チェンバレンにある家で[10]『リージ・アンド・リーフ』を練習しまとめ上げ、同年9月24日にロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールでのチケット完売コンサートでお披露目した。この時のブートレグ(観客による録音)は存在するが、非常に低品質である[11]

ボブ・ディランなどの歌のカバーはなくなり、(「レイナーディン」、「マティ・グローブズ」、「脱走者」、「タム・リン」などの)伝統的な英国のフォークソングの電化バージョン、(「カム・オール・イェ」、「フェアウェル・フェアウェル」、「クレイジー・マン・マイケル」と言った)トラディショナル風のバンドメンバーによる新しい作曲[注釈 1]、およびデイヴ・スウォーブリックのフィドル演奏によって推進されるフォークダンス曲のインストルメンタルメドレーの最初の長いメドレーなどに置き換えられた。

トラディショナルな素材の多くは英国民族舞踏民謡協会によって維持されているセシル・シャープのコレクションの中からハッチングスによって見出されたが、スウォーブリックはそのほかにもトラディショナルな楽曲としてクレジットすることを求めている[注釈 2]バーズの「イージー・ライダーのバラード」、伝統的なバラッド「サー・パトリック・スペンズ」、伝統的なアイルランドのメロディーにリチャード・ファリーニャによる歌詞を与えられて、デニーをリード・ボーカルとした「ザ・クワイエット・ジョイ・オブ・ブラザーフッド」などの曲はリハーサルされ、また録音もされたが最終的なリリースには含まれていない。最後の2つはそれぞれフェアポート・コンヴェンションとサンディ・デニーによる後のアルバムで異なるアレンジで登場することになった。

ハッチングスは、アルバムにつながったファーリー・チェンバレンでのリハーサルのセッションについて:「魔法の時間だった……そしてそのアルバムにはたくさんの魔法がある。家や部屋には特別な感覚があり、そのアルバムには多くの隠された魔法と奇妙さがありました。過去は奇妙です、私たちの祖先は多くの奇妙なことをしました」と後に語った。また、トンプソンは「古い歌のように共鳴するものはありません……美しく書かれ、数百年にわたって洗練されたものを歌うことは、まだ意味と緊急性を持ち、それでも心に鮮やかな写真を作成することは、やりがいのあることです。バンドが主流の人気を獲得し、人々の生活に少しでも伝統を近づけることができると期待したと思います」と述べている[13]

アルバム・タイトルは、中英語の二つの単語で構成されている: liege は封建制度での君主への忠誠を[14]lief は準備ができていることを意味する[6] [15]。グレーとパープルの見開きジャケットには、楽曲の一覧およびクレジットとともにバンドのカメオ画像が掲載された。オリジナルの見開きジャケットの内側には(「チャイルド・バラッド」で知られる)フランシス・ジェームズ・チャイルド とセシル・シャープのコレクションのようなイースターの芝居やパドストウの馬の着ぐるみなどの10の異なる伝統的な音楽や民話の様子を示すイラストが描かれている。

バンドは数か月間英国をツアーし、デンマークを訪れ、スタジオで録音する前に『リージ・アンド・リーフ』の素材を演奏した(BBCラジオの『Top Gear』で録音されたパフォーマンスも含む)。しかしながらアルバムが12月2日にリリースされる前の1969年11月にハッチングスとデニーの両名が脱退している。ハッチングスは新しいバンドスティーライ・スパンで伝統音楽をさらに追求し、デニーは自らのオリジナル曲を中心としたフォザリンゲイでの活動に重点を置いていた[16] [注釈 3]。彼らの離脱の後にはハッチングスだけが(新人のデイヴ・ペグによって)置き換えられたため、次作『フル・ハウス』は翌年に人数が減った5人のグループでの録音となった。

2007年には2枚組のアルバム『Liege and Lief Deluxe Edition』がリリースされた。2枚目のディスクは、主にBBCラジオのライブ・パフォーマンスと、2つのスタイル的に特徴のないアウトテイク、「ザ・レディ・イズ・ア・トランプ」と「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」で構成されていた[19]

受容と影響

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2007年8月、デニーの後任であるゲスト・ボーカリストのクリスと再集合メンバー

『リージ・アンド・リーフ』はジョン・ピールによってラジオ番組「トップ・ギア」で宣伝された結果[20]、全英アルバムチャートで15週間をかけて17位に達した[21]。今日のレビューとしては、『ローリング・ストーン』誌においてジョン・メンデルソンは「静かで芸術的で伝統的なフォーク」の信者にのみアルバムを推薦し、「逃亡者」のみが以前のアルバムでグループが作ってきたような「聴衆を捕らえる」歌であると感じていた[22]。「ヴィレッジ・ヴォイス」紙のロバート・クリストガウはあまり熱心ではなく、自身の「反フォーク」的な趣味のために、『アンハーフブリッキング』に続くアルバムに対してより伝統的な素材に失望したと書いている[4]

このアルバムはイギリスのフォークロックの進展に大きな影響を与えたものとみなされている。2002年にBBCラジオ2のリスナーから「史上最も重要なフォークアルバム」に選ばれ、2006年のBBCラジオ2フォーク・アウォードでは『リージ・アンド・リーフ』が「史上最強のフォークアルバム」賞を受賞した。イベントではサイモン・ニコル、リチャード・トンプソンアシュリー・ハッチングスデイヴ・スウォーブリックデイヴ・マタックスというもともとのメンバーと共にサンディ・デニーの代わりにクリス・ホワイルが加わって「マティ・グローヴズ」を演奏した。サンディ・デニーとトレヴァー・ルーカスの娘であるジョージア・ルーカスは亡くなった母親に代わってこの賞を受けとった。この記念式典は2007年8月10日にフェアポート・クロップレディ・コンヴェンションとして繰り返され、新しいアルバムが作られた(「外部リンク」を参照)。この出来事の前に、『リージ・アンド・リーフ』のオリジナル・メンバーによる実質的な再結成は、例えば1992年の25周年コンサートでデニーの代わりにヴィッキ・クレイトンが加わって「逃亡者」、「タム・リン」、「クレイジー・マン・マイケル」を演じたり、やはり同じメンバーで1997年の30周年記念コンサートでの「カム・オール・イェ」、「レイナーディン」、「マッティ・グローヴズ」などを演奏していた[23] [24]

懐古的なレビューにおいて、オールミュージックのマーク・デミングはこのアルバムについて「これまでで最も純粋にフォーク志向のフェアポート・コンヴェンションのアルバムであったが、完全にオリジナルで妥協のない激しいロックだった」と語った[25]。2007年6月、モジョ誌は、「世界を変えた100枚のレコード」のリストにおいて『リージ・アンド・リーフ』を58位に挙げた[26]。2010年のUKフォークロックミュージックシーンに関する著作「エレクトリック・エデン」の中で、著者のロブ・ヤングは『リージ・アンド・リーフ』の時代と、その結果のアルバムに13ページを費やし、アルバムは「ごく少数のイギリスのフォークロックのレコードが共有する一貫性と整合性を保持している」と述べ、さらに「……運命は厳しい。イギリスのバラッドは、その完全な脅威と謎を示しています。そして、苦痛と喪失についての暫定的な反省がありますが、それは厳しい経験によって汚染されています」としている[27]。一方、1996年に執筆したパトリック・ハンフリーズにとってこのアルバムは100%の成功作とは言えない。「カム・オール・イェ」は「やや強制的」に聞こえ、「逃亡者」の解釈は「歩行者」のようだし、「タム・リン」は「鉛のように重苦しく」、ソロパートは「臆病」と述べている。しかし、彼は「マッティ・グローヴズ」を「スウォーブリックとトンプソンの相互作用を味わえる」と讃え、デニーの歌の質を「レイナーディン」称え、インストルメンタル・メドレーが(トンプソンとハッチングスのギターとベースの貢献とともに)スウォーブリックのフィドルに輝く機会を与えるものと評し、「クレージー・マン・マイケル」は「アルバムの実質的な結論」、「フェアウェル・フェアウェル」を「フェアポートがピークに達したときの完璧な例」と述べている[28]

トラックリスト

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サイド1
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.「カム・オール・イェ」(サンディ・デニーアシュリー・ハッチングス)  
2.レイナーディン(トラディショナル、フェアポート・コンヴェンション編曲)  
3.マティ・グローヴス(トラディショナル、フェアポート・コンヴェンション編曲[注釈 4][注釈 5])  
4.「フェアウェル・フェアウェル」(詞:リチャード・トンプソン、曲:トラディショナル[注釈 6])  
サイド2
#タイトル作詞作曲・編曲時間
5.「逃亡者」(トラディショナル、フェアポート・コンヴェンション編曲)  
6.「メドレー
  • I. "The Lark in the Morning" 朝のひばり
  • II. "Rakish Paddy" アイルランドの放蕩者
  • III. "Foxhunter's Jig" 狐狩人のジグ
  • IV. "Toss the Feathers トス·ザ·フェザーズ」(トラディショナル、デイヴ・スウォーブリック編曲)
  
7.タム・リン(トラディショナル、デイヴ・スウォーブリック編曲)  
8.「クレイジー・マン・マイケル」(詞:リチャード・トンプソン、曲:デイヴ・スウォーブリック)  
CD化時のボーナストラック
#タイトル作詞作曲・編曲
9.「サー・パトリック・スペンス」(トラディショナル、フェアポート・コンヴェンション編曲)  
10.「クワイエット・ジョイズ・オブ・ブラザーフッド」(トラディショナル、編曲:デニー、トンプソン、スウォーブリック、デイヴ・マタックス、作詞:リチャード・ファリーニャ)  

パーソネル

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製作

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  • プロデューサー:ジョー・ボイド
  • スタジオ:サウンド・テクニクス(ロンドン)
  • エンジニア:ジョン・ウッド
  • カバー写真: エリック・ヘイズ
  • スリーブのコンセプトとデザイン:フェアポートとロベルタ・ニコル
  • デザイン調整– ディオジェニック企画

脚注

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注釈

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  1. ^ オリジナル曲の中では、「カム・オール・イェ」は伝統的な「呼びかけの曲」(calling-on song)の性格を持っている(例えば、スウォードダンサーが脇のメンバーをその特徴とともに紹介するために使用される)。「フェアウェル・フェアウェル」と「クレイジー・マン・マイケル」は、どちらもトンプソンが作詞したもので、意味はもっと曖昧だが、数ヶ月前の致命的な衝突事故をめぐる出来事と結びついていることがあり、「フェアウェル・フェアウェル」の "will you never cut the cloth" というラインは事故で亡くなったトンプソンの当時のガールフレンドであるジーニー・フランクリン(Jeannie the Tailor)を示していると示唆されており、「クレイジーマン・マイケル」の狂人の主人公は、誤って真実の愛を殺してしまった罪悪感から世界を放浪する運命にあり、トンプソン自身が同じ出来事と関連づけている[12]。トンプソンはこれらの曲を自分でコンサートで演奏したことはないと伝えられている。
  2. ^ スウォーブリック:「…ほとんどの曲は僕のものだった。”マティ・グローヴス”、”タム・リン”、”逃亡者”などは全て僕のバックグラウンドから生まれた曲で、僕が彼らに紹介した曲なんだ…”マティ・グローヴス”はサンディと僕がチャイルドから歌詞をまとめた…アメリカの曲に合わせて、最後に僕がインストゥルメンタル曲(「Famous Flower of Serving Men」)を提供した…”タム・リン”はスリップ・ジグをベースにした曲で、僕が作曲した…”レイナーディン”はバート(A.L. "Bert" Lloyd)と一緒に作った曲。”逃亡者”はルーク・ケリーとやった。(Heylin, p. 104-105に引用されているが、別の場所((Swarb's Corrections: Fairport by Fairport by Nigel Schofield)では、スウォーブリックは、彼が誤って引用されたと述べており、後者の曲をケリーと一緒に演奏したのではなく、単にケリーが3/4拍子で演奏するのを聞いただけであると述べている)。しかし(Hutchings, p. 14)、アシュリーは「...私たちはこの次の曲(”逃亡者”)を、色あせたヴィクトリア朝のブロードサイド(バラード・シート)から学んだ」と述べている。(Swarb's Corrections: Fairport by Fairport by Nigel Schofield)
  3. ^ 最初にデニー、そして次にハッチングスが脱退した正確な理由は複雑で、いまだにはっきりしない。デニーは、バンドが『リージ・アンド・リーフ』に続いてトラディショナル的な方向に進みたいと望んでいたことに不満を持っていたと伝えられており、彼女はトラディショナルな方向性を一回限りのベンチャーにすることを望んでいたのではないかと考えられており、彼女が海外公演に乗り気ではなかったという理由で、実際にバンドから解雇されたという話もある[17]。またミック・ホートンのデニーの伝記にも記されているように、ハッチングスは後に「なぜフェアポートを脱退したのかは分からないが、スティーライ・スパンを結成するためではなかった。バンドを去った後、めまいがして、目立たない故障へと落ち込んでいった...もしあなたが我々の両方に - これは私の考えだけど - 二、三ヶ月後に『また参加しないか』と聞いていたら[……]、賭けてもいいけど二人ともイエスと答えていただろう」と語っている[17]。別の場所では、ハッチングスは、彼の故障は「...事故の遅く出た影響だった、それについては疑問の余地はない」と述べている[18]
  4. ^ 別記されているように、フェアポート(特にデニーとスウォーブリック)は古いイギリスのバラッド "Matty Groves" の歌詞をアメリカの曲、この場合はアパラチアの有名な "Shady Grove" の曲と組み合わせた。この2曲がもともと関連したものだったという指摘は誤りであり、フェアポートによるこの関連付けだけが原因である。
  5. ^ 「マティ・グローヴス」の最後に付け加えられた曲はへディ・ウェスト英語版が歌った "The Maid of Colchseter" というアメリカの楽曲に由来しており、この曲はマーティン・カーシーが自身の "The Famous Flower of Serving-Men" で使用したものでもある。
  6. ^ この曲はチャイルド・バラッドの89番 "Fause Foodrage" に新しい歌詞を付けた曲であり、メロディーはアンディ・アーヴァイン英語版が、"ウィリー・オ・ウィンズベリー英語版" の(およびその後の)朗読のために間違って使用したものである。Penney, Stuart; Chris Savage (November 1996). “Strike Me Pink!”. Record Collector (207): 129. 

出典

[編集]
  1. ^ Fielder, Hugh (September 19, 2016). “The 10 Essential Folk Rock Albums”. Classic Rock. TeamRock. September 25, 2016閲覧。
  2. ^ 20 Best Folk Music Albums of All Time”. NME. Time Inc. UK (7 June 2016). 20 August 2016閲覧。
  3. ^ Deming, Mark. “Fairport Convention - Liege & Lief | AllMusic”. allmusic.com. 18 July 2017閲覧。
  4. ^ a b Christgau, Robert (30 July 1970). “Consumer Guide (12)”. The Village Voice (New York). http://www.robertchristgau.com/xg/cg/cg12.php 14 April 2013閲覧。 
  5. ^ FAIRPORT CONVENTION – The Official Charts Company”. 1 March 2011閲覧。
  6. ^ a b Harris, John (3 August 2007). “There was a manic feeling in the air”. The Guardian. https://www.theguardian.com/music/2007/aug/03/folk 30 December 2008閲覧。 
  7. ^ The seventh BBC Radio 2 Folk Awards (2006)”. BBC Radio 2. 30 December 2008閲覧。
  8. ^ Colin Larkin, ed (2000). All Time Top 1000 Albums (3rd ed.). Virgin Books. p. 114. ISBN 0-7535-0493-6 
  9. ^ Simon Nicol writes about Fairport Convention”. 11 February 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。5 May 2008閲覧。
  10. ^ Hinton & Wall, p. 114 onwards; Houghton, p. 190 onwards; Humphries, 1982, p. 45-46
  11. ^ Fairport Convention, Royal Festival Hall, September 24, 1969 (information at rateyourmusic.com)
  12. ^ Humphries, 1996, p. 91
  13. ^ Quoted in Rob Young: Inside Fairport Convention's Liege And Lief: "We were on a crusade…" - Uncut Magazine
  14. ^ Liege”. 5 May 2008閲覧。
  15. ^ Lief”. 5 May 2008閲覧。
  16. ^ Houghton, p. 202-204; Hinton & Wall, p. 137-138.
  17. ^ a b Houghton, p. 205-206
  18. ^ Young, p. 265
  19. ^ Netrhythms : A to Z Album and Gig Reviews”. 5 May 2008閲覧。
  20. ^ Features: The Liege & Lief Story”. 9 May 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。5 May 2008閲覧。
  21. ^ Fairport Convention | full Official Chart History”. Official Charts Company. 16 September 2019閲覧。
  22. ^ Mendelsohn, John (11 June 1970). “Fairport Convention: Liege & Lief”. Rolling Stone (New York) (60). https://www.rollingstone.com/artists/fairportconvention/albums/album/225999/review/5942064/liege__lief 14 April 2013閲覧。. 
  23. ^ Fairport Convention – 25th Anniversary Concert (www.discogs.com)
  24. ^ Fairport Convention – The Cropredy Box (www.discogs.com)
  25. ^ Deming (2011年). “Liege & Lief [Bonus Tracks] – Fairport Convention | AllMusic”. allmusic.com. 28 July 2011閲覧。
  26. ^ MOJO – (June 2007) 100 Records That Changed the World”. 30 December 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。5 May 2008閲覧。
  27. ^ Young, p. 261, 262.
  28. ^ Humphries, 1996, p. 89-91

文献

[編集]
  • Heylin, Clinton. No More Sad Refrains - The Life and Times of Sandy Denny. Helter Skelter, 2000; ISBN 1900924358 デニーの伝記
  • Hinton, Brian and Wall, Geoff. Ashley Hutchings - The Guv'nor and the Rise of Folk Rock. Helter Skelter, 2002; ISBN 1900924323 アシュリー・ハッチングスの伝記
  • Houghton, Mick. I've Always Kept a Unicorn - The Biography of Sandy Denny. Faber & Faber, 2015; ISBN 0571278914 デニーの伝記
  • Humphries, Patrick. Meet on the Ledge - A History of Fairport Convention. Eel Pie, 1982; ISBN 0906008468 フェアポート・コンヴェンションの歴史
  • Humphries, Patrick. Richard Thompson - Strange Affair: The Biography. Virgin Books, 1996; ISBN 0863699936 リチャード・トンプソンの伝記
  • Hutchings, Ashley. A Little Music. Island Music, 1976 (no ISBN) ハッチングスによるソングブック
  • Young, Rob. Electric Eden - Unearthing Britain's Visionary Music. Faber & Faber, 2010; ISBN 9780865478565 英国の音楽史、p.253-265に『リージ・アンド・リーフ』時代の詳細な説明と、その結果であるアルバムについて記載されている

外部リンク

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